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雲照律師ゆかりの島根の寺院参拝の記

2024年07月05日 17時26分42秒 | 仏教に関する様々なお話
雲照律師ゆかりの島根の寺院参拝の記

七月二日三日と、雲照律師ゆかりの寺院を参拝した。その日は大雨の予報があり、決行が危ぶまれたが、一時間毎の天気予報では二日午後からは島根県は小降りになるとのことだったので、強く雨の降る中、神辺町御領から車で出雲方面に向かう。尾道自動車道から松江道に入る頃にはまだ強く雨が降っていたが、島根県に入る頃から雨脚が弱まり、出雲自動車道に入り出雲インターで下道に下りる。

まず向かったのは、律師が出家得度に臨んだお寺といわれ、師の慈雲上人がその頃住職されていた多聞院に向かった。出雲市知井宮町の細い路地をいくつも曲がり開けた所に出たと思ったら、前方に茅葺き屋根が突き出た建物の前に出た。山門の前は入口にお地蔵さんが両脇に立つ二十メートルほどの参道があり両脇はまだ田植えのされていない田圃が広がっていた。山門には「養龍山多聞院」と書かれた細長い板が右の柱に掛けられている。中に入ると綺麗に整備され草一本ない境内で、正面に茅葺の本堂、茅葺屋根が高勾配でせり上がり突端は銅板が覆っておりその下には板で覆いがある。草繋全冝師の『雲照大和上伝』には、本尊が胎蔵界大日如来、脇仏に千手観音とある。右手に客殿庫裏、手前左側には大きな仏像が納められたお堂がある。



山門左側に掲示されている案内板によれば、多聞院は、もとは南隣に鎮座していた智伊神社の神宮寺で、何度か天火のためというから雷のことであろうか、そのため焼失を繰り返し、現在の本堂は、宝暦二年(一七五二)再建という。 庫裏は弘化年間(一八四四~四八)改築とあるので、律師生存中の出来事である。享保九年智伊神社が移転したため多聞院と改められた。大阿弥陀堂は貞享二年に郡代官鵜飼七右衛門によって再建されたとある。左側の小さな御堂に御堂一杯の大きな仏さまは阿弥陀如来であった。

ひっそりとして誰も居られない様子であったが、玄関口で御挨拶すると奥様がお出でになり、雲照律師の得度のお寺と知られていると教えて下さった。建物の中は大きな幅広の梁の立派な建物であることが解る。その再建の際には律師もお越しになっていたとも伺った。お昼時のお忙しい時間帯でもあり、早々にお暇した。

それから、東園町に向かった。律師の生家のあった場所である。曹洞宗にはなっているが高野寺という名のお寺が東園町にあってお訪ねした。こちらは広い車道に面して立派な鐘楼が山門横にあって塀も新しい。本堂前に進むと、奥様が落ち葉を掃いておられたので、律師をご存知が尋ねてみたが一向にご存じない。宗派も違い、二百年も前にこの地に生まれた一人の真言僧についてご存知がなくても当然であろう。お参りを済ませ早々に失礼した。駐車場から見る出雲大社方面の緑鮮やかな山並みは、昔のままだろう。車道もなく大きな建物もなかった当時は、水路が張り巡らされた田圃が広がるだけで山並みもさぞ大きく見えていたに違いない。

それから、律師自ら長く住職なされた、雲南市大東町須賀の普賢院に向かった。宍道湖沿いの道に出て水波を見ながら車を走らせた。国道五十四号線を右に曲がり山に入る。須我神社の標識に沿って左に道をとり、神社手前の広場に駐車場があった。須我神社は県社で立派な風格ある神社である。鳥居に太い注連縄が目に入る。

神社の左側に高い階段があり手前に「高野山真言宗鏡智山普賢院」と彫られた石碑が建っている。階段を上がり山門をくぐると、平らな整備された境内がひらけ、正面の建物が本堂と庫裏であろうか、左に玄関、中程にガラス戸の中に障子が開けられ正面に本尊大日如来が祀られている様だ。ガラス戸の中から廊下手前に書額が見える。「大覚寺管長 大僧正密雄書」とあり、「八正道・・十悪人不行」とある。ひっそりと誰もいない様子だったので、隣の須我神社に伺う。



授与所に居られた方から、しばらく無住になっていることと直に後住さんが来られる予定らしいと伺った。もう一度普賢院境内に戻り、境内の石仏を参る。一番建物寄りのところに、大きな縦長の石に、梵字で五点阿字の下に「雲照大和上位」と彫られていた。後ろに回ると、「東京目白僧園開基 明治四十二年四月十三日示寂 現住北脇智寬代」とあった。右側に板に書かれた案内板があり、「雲照和上墓碑 雲照和上は弘化四年(一八四七年)から二十四年間、、当山住職としても務められ、江戸幕末明治維新の動乱時には政府へ、仏教革新の意見を上申し、八十歳の時には国内はもとより朝鮮満州にまで供養行脚なされるなど、更には皇族の方々からの帰依信望も得られ、八十三歳の生涯を通して戒律主義堅持に盡せられた、島根が生んだ名僧である。鏡智山普賢院」と書かれていた。



翌三日は、松江市内のゆかりの寺院を訪ねた。まず向かった先は松江市米子町の自性院。ここは律師が講伝のため何度か訪ねているお寺である。本堂はじめ諸堂をお詣りする。周りに墓地が間近に造られた町中の菩提寺という装いであったがとてもきれいに整備されている。本尊不動明王に手を合わせ、玄関に住職様をお訪ねする。講伝は今ではもう行われていないとのことであったが、雲照和上と書いた袈裟が一領あるとのことだった。探して下さったが見当たらず、また出てきた際に写真を送って下さるようお願いをし失礼する。



次に伺ったのは、律師が四度加行を行った尊照山千手院という松江藩の祈願寺である。松江市石橋町にあり、自性院からは車なら七分ほどの距離である。松江市街が展望できるお寺としても有名で、さすがに高台にあるため、駐車場からしばし坂道を上る。山側には地蔵や不動の石像が迎えてくれている。大きな枝垂れ桜が葉桜になった枝をのばし、それをくぐるように境内に出た。この桜は、樹齢二百五十年といわれ松江市の天然記念物に指定されている。



手前に納経所があり、その右隣に本堂があって、本尊千手観音像を祀る。その右隣に県内最大の平安仏・不動明王を祀る不動堂がある。玄関にお訪ねすると、名誉住職様がお出ましくださり、応接に通されお話を伺う。かつてはその不動堂の後ろに三人が加行できる加行道場があり、本堂と不動堂の間の廊下から後ろに回って道場に行けるようになっていて、本尊と供物壇のみの簡単な設えであったという。不動堂の右側に小倉寺という松江市西持田町小倉にあったお寺が廃寺となりこちらに建物が移築されていた。その前に「雲照大和上」と彫られた大きな石碑が祀られていたことについてお尋ねすると、以前は市内が見渡せる展望の良いところに置かれていたが崖崩れの後こちらに移設されたと教えてくださった。律師が逝去された後まもなくに祀られたということだった。また昭和天皇御幼少の頃川村伯爵邸にて律師が間近に息災のご祈祷をなされておられたとも伺った。立派なお寺のたたずまいはさすがに松江城築城にあたり、その鬼門に造られたお寺としての風格があった。お忙しい中律師の生涯についてご教示下さいました名誉住職様に感謝申し上げます。



そのあと自性院住職様にご紹介いただいた西浜佐陀町の満願寺に向かう。こちらは宍道湖を足下に見下ろす風光明媚なお寺で、椿の鉢植えが所狭しと置かれていて、誠に綺麗に寺内整備が行き届いている。住職様のご案内で、ロウケツ染めによりお寺の縁起を描いた見事な襖絵や本堂の向拝の椿の花を木彫りにした格天井、また本堂では、不動の頭も彫られた両頭愛染明王など珍しいものを沢山拝見させてくださった。境内の四国霊場のお砂踏み道場も参考になった。お忙しい中熱心に解説くださった住職様に御礼申し上げます。

そして、そのあと律師の袈裟が見つかったとご連絡をいただいたので、再度松江城下の自性院に伺う。住職様が応接間に通してくださり袈裟の写真を撮らせてくださった。袈裟を拝見すると、「雲照大和上 発願袈裟千衣之内」とあり、この一条隣に「裁縫人 横浦田鶴子 八百五十八号」とも記されていた。この袈裟は、『大和上伝』に千枚袈裟の発願という章に書かれているものであろう。



律師は明治二十八年九月に千枚袈裟の供養を発願されている。この袈裟はその一領に違いない。一枚の袈裟は、生地を供養する人、袈裟を縫って供養する人、袈裟を着て供養する人の三人の尊い仏縁が結ばれ、これが種子になり後世に芽が出て仏法の興隆になると、律師はお考えになられた。律師生前には六百枚ほどが成就したという。その後遺弟たちが継続して律師の志を完成したとあり、この袈裟は律師入滅後も継続されていた証として、とても貴重な袈裟であると言えよう。お忙しい合間に快く撮影を許可して下さった住職様に御礼申し上げます。

このほか律師ゆかりの寺としては、十八歳で住職された安木市大塚村下吉田の観音寺があり、また実兄宣明師の住職した寺で、何度も求聞持法を修法された仁多郡奥出雲町中村の岩屋寺もあるが、すでに廃寺となってかなりの年月が経っているためお訪ねしなかった。なお、岩屋寺については、登山アウトドア向け Web サービス・スマートフォンアプリを手がける会社の「YAMAP」というサイトに詳しく現在の様子を伝えてくれている。

https://yamap.com/activities/10612793/article

帰りは出雲道から松江道に入り、そのまま尾道道を通って世羅で下道におり、御調、府中、神辺へと無事帰還した。この度は、突然に押しかけたにもかかわらず、いろいろと便宜をはかってくださいましたお寺様方に改めて感謝申し上げます。また千手院様にはトラブルを迅速に解決下さいましたこと深く感謝し御礼申し上げます。合掌


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