住職のひとりごと

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「アナガリカ・ダルマパーラ著シャキャムニ・ゴータマブッダの生涯」に学ぶ 3

2017年04月28日 07時03分30秒 | 仏教に関する様々なお話

 前回に続き、ダルマパーラ師のブッダ伝を読んで参りましょう。

「その同じ時に、将来かの妻となる、ラーフラの母として知られるヤショーダラー王女が生まれ、馬のカンタカ、宮廷使用人カルダーイー、二輪戦車の馬使いのチャンナ、ブッダガヤの菩提樹が生まれました。そして、一万世界の神々が、未来のブッダが生誕した日を祝福いたしました。」

 多くの神々が祝福せるその日に、お釈迦様の人生の中で、とても深い因縁を持つ人や馬も、また菩提樹と後に言われるようになるお悟りを開かれるブッダガヤのアッサッタ樹までもこの日に生を受けたということです。
 出家の時、お城から馬に乗るその馬がカンタカであり、その時の御者がチャンナでした。
 カルダーイーは、父王の家来であり友人だった人です。お釈迦様出家後、父王はたくさんの使者を派遣して帰城することを勧めるのですが、ことごとくみな、お釈迦様の説法で入信出家してしまうのです。ですが、カルダーイーだけは出家後もカピラヴァッツに帰ることを進言して、お釈迦様が父王にまみえることに成功するのです。

「未来のブッダが生まれて七日目には母が死に、都率天にまれ変わりました。そしてこの神聖なる子は、スッドーダナ王の二番目の妃であり、王妃の妹であつたマハーパジャパティによって養育されました。スッドーダナ王は、王子が使うために、夏と雨期と冬のために一つずつ三つの宮殿を神々の住居のように作ったのでした。この三つの宮殿についてはアングッタラニカーヤ(増支部経典)の注釈に詳しく述べられています。
 十六歳の時、王子シッダールタは王女ヤショーダラと結婚しました。彼らが二十九歳になるまでは、まことに幸せに暮らしましたが、王女が一人の男の子を産むと、その晩に王子シッダールタは世界を救済する道を探求するために偉大なる出家をしたのでした。」

 お釈迦様は若い頃は身体が弱く華奢で、衣類はすべてカーシー産の軽い絹のものを身につけ、邸内を散歩するときには白い傘が差し掛けられ、日射しを避け雨露をしのぎ、塵ホコリが落ちてこないようにされていました。雨期の四ヶ月は雨期用の宮殿で、外に出ることなく毎日美しい女たちの奏でる歌舞音曲を楽しんだということです。が、そうした享楽の生活の中にあってなお体質的なものもあり、沈思黙想を好まれ、疑問は何事も徹底的に解決しなければ済まないところがありました。特に実母を亡くしていることも影響してか、老病死について深く思惟して苦悩されることも多く、その解決のためには王宮の中にあって恵まれた生活の中では果たし得ないと考えられて出家されたのでありました。

「偉大なる出家をなされてから菩薩王子は、黄色い布をまとい、釈迦族の国境から、マガダ国の首都へと歩いていきました。彼は街に出て人々に食を乞い、一人パーンダヴァ山の渓谷に戻り、それを食べ滞在していました。すると、そこへビンビサーラ王がお越しになり、若き王は、菩薩にここにとどまり、この王国の半分を統治するがよいと、仕官することを促しました。しかし、王子は、自分は太陽の種族の出自であり、コーサラ国に属する釈迦族の王子であります。されど、真理を探究する聖なる目的のために王宮での享楽を離れたのであります、と告げました。」

 ここは、出家してまもなくに、マガダ国の首都ラージャガハの街を托鉢する王子の姿を見た王が、ただならぬ修行者と見抜いて家臣に後を付けさせ、訪ねていったという有名な場面です。断られた王は、「ではもしも目的を達し悟られたならば真っ先に自分に教えを垂れ自分を救済して欲しい」と告げたといわれています。

「ラージャガハを後にすると、菩薩は、一人、尊い清らかな修行を成し遂げた仙人を求めてさまよい、アーララカーラーマとウッダカラーマプッタという二人の偉大な仙人のもとにしばらく滞在しました。そこで無色界の禅定についての教えを学びましたが、非想非非想処定に導く瞑想の境地に満足できず、菩薩は苦行生活を送るためウルヴェーラにいたり、六年間、最高の至福に到達することを目標に身体をさいなみ続けました。厳格な断食によって彼の身体はほとんど骸骨のように骨と皮だけとなり、とうとうある日彼は意識を失い倒れてしまいました。彼の近くで修行していた友たちは、彼が死んだものと考えましたが、神々は彼は真理を見いだすまで死なないであろう、と言いました。そして、気絶から覚めた菩薩は、遂に苦行の道を捨てることを決断しました。」

 無色界の禅定とは、言葉による認識を越えた世界の瞑想で、非想非非想処定とは、心が何かを認識する想(概念として捉えること)の働きがあるのでもなくないのでもないという究極の心の統一された状態のことです。教えられて、その境地にすぐに達せられたお釈迦様は、それをも不十分と思われ苦行に臨まれるのです。が、過去にも未来にも誰よりも過酷な苦行に挑まれ、それでもなお目的に達せられるものではないとお考えになられたのでした。

「菩薩は、父王の王宮に居た頃幸せだったのはどんなときであったかを回想しました。幼少の頃カピラヴッツの田園風景とともに、それは一人ジャブーの樹の下で座り心の目を開いたときであったことを思い出されました。そして、赤子の時にはすべてを適度に行うことが肝要であるように、享楽と苦行の間の道を行くことはいかがであろうかと考えました。この幼少の頃の心理分析が、菩薩が涅槃を模索する修行者の歩みとして中庸の道を選び行ずることに繋がりました。彼がこの中道を選択し、長い間続けてきた断食を止めて食べ物を口にすると、それまで彼に従っていた五人の修行者たちは、菩薩を離れていきました。そして彼は一人になったのでした。」

 五人の修行者は、父王が出家された王子を心配されて派遣したバラモン階級の子弟でした。しかしここでは苦行を止め食事をし始めた菩薩に、贅沢に陥ったものと誤解して去っていくのでした。

「彼は毎日昼間に食べ物を摂るようにして、ゆっくりではありましたが体力を回復していきました。そしてヴェーサカー月(四、五月)の満月の日にアジャパーラバニヤン樹の根元で、スジャータ村の娘から乳粥を供養されると、その晩、彼は涅槃の智慧を悟らないうちには決して立ちあがらないと誓いを立てて菩提樹の下に座りました。
 まず夜のはじめ初夜に、数え切れないほどの幾百万年もの過去世を思い出す、人知の及ばない知識を獲得しました。その次に中夜に、やはり人知の及ばない未来を見る洞察力を得て、それによって、人は死していかにして生まれ変わっていくのかを見ました。人が死んで再び生まれるのは、その人の苦楽の行い業によることを如実に知ったのでした。夜明けごろ後夜には、全知なる偉大な光明を悟り、因と果という大いなる法の真理の働きがあきらかとなり、そして、彼は正等覚者となりました。」

 この正にお悟りに成られた晩に、お釈迦様はどのような思惟のもとで明智を得られていったのか、私たち仏教徒にとって誠に大切な場面であります。ですが、残念ながら日本には、明瞭にこの部分の事情について教えられた仏伝がありません。
 ここにありますように、先ず初夜に自らの過去世をご覧になられています。何十何百何万という過去の生存について、その時の名前、食べ物、苦楽の経験、寿命などについて思い出されたのでした。
 つぎに中夜に、沢山の生けるものたちの生まれ変わる様子をご覧になり、それらの業に応じて生まれ変わっていくことを知られたのでした。
 そして後夜には、苦と煩悩が生じ滅する因と果を如実に知り、それによって煩悩を滅する智慧が生じ、心が解脱し、正に最高の悟りに到達されたのでした。

「それから七週の間、彼は菩提樹の近くに場所を変えつつ、最終的な解放者としての至福の楽しみの時を過ごしました。もはや彼は輪廻することはない、阿羅漢になりました。永遠なる涅槃の至福を発見したのです。二度と生まれることなく死もありません。苦は絶対に起こらず、ただ、慈愛と智慧だけがありました。」

 仏教の悟りとは、つまり仏教の最終のゴールとは、ここにありますように、輪廻しない、生まれ変わらない永遠なる涅槃の至福を体験することだとわかります。つまり、それまでは何度も何度も生まれ変わり、苦しみ多い生存を繰り返すのだということなのです。

「そこへ、天界の死神マーラが来たり、「聖なる方、いま如来は最終の解放を得たり、清寂の中にあり、一人安息を楽しむべし」とのべました。それに対し聖者は、「死の友よ、私はひとり平安を求め涅槃の安穏に留まるべきではないだろう、規律をもって善男子善女人を諭して比丘・比丘尼とし、教えを在家の男女に授け、彼らに教えを広めさせのであろう。誤った教えを止めさせ、そうしてから、私は最終的な安息を求めるであろう」とお応えになりました。ブラフマー神からは、教えを説くことを懇請され、涅槃へ導く、忘れられた道筋を説く教えを説き導くべきであると懇願されました。ブッダはその願いをこそ受け入れ、慈愛と智慧によって、罪と悲しみから世界を救う教化の人生を始めようと考えられました。」

 仏伝文学では、成道時に死神マーラ他種々の悪魔が来襲したとされていますが、いずれも菩薩の清浄なる智慧によって撃退されています。またブラフマー神とは世界の創造主、宇宙の根源とされる神ですから、一切の衆生を代表して、お釈迦様に説法を懇願したということになります。このブラフマー神は、後に梵天として仏教に取り入れられ護法神となるのですが、いずれにせよ、このインド世界を代表する神の願いを入れてお釈迦様は法を説かれることになるのです。

「聖者はブッダガヤから歩いて、かつてウルヴェーラで一緒に苦行に励んだ五人の修行者たちが今ベナレスに居ることを知って、彼らのもとへ向かいました。彼らは今ではサールナートと呼ばれる仙人たちが集う鹿野園にいることがわかりました。
 ブッダは、彼らに、中道の教え、四つの聖な真理を説き、無我の教義を授けました。その三ヶ月後、十月には、罪と悲しみから解放された六十人の比丘が誕生していました。彼らは、はじめよく中ほどよく終わりよい教えを、多くの人々の幸福のため、幸せのため、よりよくあるように、慈悲をもって宣布する役割を与えられたのでした。この六十人の阿羅漢は六十の方角に進んで行き、聖者はガヤとウルヴェーラに戻って行きました。」

 次回は、いよいよお釈迦様の教化活動がスタートいたします。 


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