住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

修行とは

2008年06月26日 12時18分51秒 | 仏教に関する様々なお話
(仏教総合雑誌・大法輪6月号特集「知っておきたい仏教の常識」掲載)

さとりとは、この世の中の真理をさとることに他ならない。この世のありよう、因果法則、道理とも言えよう。それを知るためには教えを学びつつ、心を磨く実践修行が不可欠となる。

仏教の実践は、一般に戒・定・慧という三つの観点から説明される。

日常の生活姿勢を道徳的に規則正しく調え、身心について良い習慣を身につけるために戒があり、

そうした正しい生活のもとで身も心も調整されると心を統一する定が生じ、

そして最終的な目的であるさとりの智慧をはじめ様々な慧を獲得していくのである。

この戒・定・慧に該当する伝統的な南方上座部の修行法をあげるならば、

戒には、衣食住に関わる清貧な生活により清浄な心をもたらす頭陀行(dhuta)があり、

定には、心を統一し禅定をもたらす瞑想法であるサマタ(samatha)が、

慧には、智慧を開発する瞑想法としてヴィパッサナー(vipassana)がある。

頭陀行は、南伝大蔵経『清浄道論』によれば、粗末な袈裟だけを着し、托鉢による一日一座の食を摂り、樹下を住まいとして瞑想に励むなど十三種の行じ方が教えられている。

それにより煩悩を払い衣食住における欲を捨てて仏道に邁進する基礎とするのである。

サマタは、同論には、瞑想の対象(業(ごつ)処(しよ))として四十種の対象が記され、四十業処と言われる。

地面に大皿ほどの円を描き「地、地」と唱え心に念じて地面などの対象と一体となる観念をする十遍処や、

死体の腐乱の様子を観察する十不浄、

仏の徳を念じる仏随念や呼吸を観察する入出息念などの十随念、

さらに慈悲喜捨を念じる四梵住など、

それぞれの対象に心を集中し瞑想することにより、自我の意識がなくなり禅定をもたらすのである。

ヴィパッサナーは、同『長部経典・大念處経』に、四念処として詳述されている。

①呼吸や身体の動き行いについて、

②様々な感覚について、

③心に生じる考えや思いについて、

④自己の内外に生じる現象について、

間断なく観察し、不浄・苦・無常・無我とそれぞれを随観しつつ、智慧を開発する。

これら戒・定・慧は相互に関係し、一体不離となって仏道修行を完成に導くのである。

なお、大乗仏教においても様々な修行が説かれるが、いずれもここに紹介した修行法を継承したものと考えられよう。

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5 コメント

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Unknown (noriko)
2015-02-16 02:11:19
おしえてくださりまことにありがとうございます。
大変たすかりました。
返信する
大念処経 (全雄)
2015-02-15 18:08:36
中山書房仏書林の「南方仏教基本聖典」の中にあるものが一番身近かと思います。

他には、大蔵出版「パーリ仏典長部」ほぼ同様の経典・念処経が「パーリ仏典中部」にもあります。

他にもあると思いますが、どれもわかりやすい現代語で訳されていますから、読むことは可能かと思います。
返信する
Unknown (noriko)
2015-02-15 13:48:00
大念処経はどこで読めますか?わたしにも読めますか?
返信する
癖を減らす (全雄)
2008-07-01 08:02:25
いつも興味深いコメントありがとう。

五感を鋭敏にして、心身の癖をなくす。自我こだわりがない。

だからこそ存在感がある。個性的な役が出来る。

すばらしいですね。仏教そのものです。
返信する
一般的には「両極」と見える (たかひろ)
2008-06-28 11:38:09
少しご無沙汰してます

さて、「俳優、演技」の捕らえ方は演じる者、演出する者、鑑賞する者、それぞれでしょう

僕が約30年の実践で「感じ取った俳優」について記します

1、役によって様子、時には外見までも変わる俳優。
または、存在感、個性が強いと感じられ役を引き付けて演技をしているように見えない俳優。
この両者は基本的に「自我、こだわり、などが殆ど無く、役、作品に対して素直に貢献する」人たちです。
ただし、実生活では自由奔放に見える人も多く、誤解されているようです。
2、五感(六感も含めて)を鋭敏にすることと、実生活で喜怒哀楽を垂れ流すことは一致しません。
3、個性を磨くには、とにかく自我、心身の癖を減らすことが必要。
4、実生活と演技、心技体の感覚は基本的に同じもの

世界中の俳優の多くが、仏教に違和感を感じないのは偶然ではありません、、、
返信する

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