ご存知の通り、大変な事態に陥っている。日本の国はこれからどうなっていくのだろうか。様々なことが取り沙汰される中で、多くの善意ある人々によって被災した人たちの心が少しでも癒され、また、この国に降り注いだ危難が好転して行くことを願いたい。
何をもってもまずは、今回の地震、津波で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、未だに家族の行方さえ分からない方々、家も財産も暮らしの糧もなくした皆様に何とか早く様々な対策が講じられることを、さらにはその上に原発の放射能の恐怖におびえる人たちも含め、一刻も早く心落ち着き、安らいだ気持ちになれるようにと願いたい。
この世は無常である。とおっしゃられたのはお釈迦様である。その真理を本当に理解していれば、この危機的な状況もごく自然なこと、自然の営みに起こるべくして起こったこととして受け入れることも出来るのかもしれない。しかし、私たちはまったくこのことを自然のこと当たり前のことと受けとることなど出来ない。何とか生き延びた方々は奇跡だった、運が良かったと思われるであろう。本当にそのように思えるものだと思うし、その実感はよく理解できる。かつて阪神大震災の折、ボランティアとして現地にあって、多くの被災した人たちの話を聞かせていただいたが、皆さんそう語られていた。
だが、仏教では、何事もいろいろな原因、条件によってこの一瞬成り立っているに過ぎないと考える。私たちの立っている地面も本当はいつどうなるかも分からない、だから無常なのだけれども、普段はみな今までの安定した状態がずっと続くものと考えている。少しずつ変わり、変化していることに気づかない。それが今回のように急激な変化を伴うと突然すべてのことが急転直下変化したと感じる。青天の霹靂、そう誰でもが思うであろう。が、正にこの言葉は私たちが無常ということを本当には分かっていない証拠になるものなのかもしれない。何不自由なく暮らしている人たちにとっても、今は奇跡的な一瞬なのである。
何事も移り変わる、常に変化しつつある。私たちは、そんなことは当たり前のことだと思っている。ただ、おそらくそれは頭で理解しているに過ぎない。本当は無常ということを私たちは受け入れようとはしない。ずっとこの安定した状態が続いて欲しい、続くものと思って生きている。だからこそ、今回の地震は青天の霹靂なのである。
普通、私たちは誰でもが安定したこの状態がずっと続くものと思う。だから、毎日の普段の生活が成り立つのであろうし、そう思っているからこそ家族を持ち、将来のためにいろいろなことも出来る。しかし、それも変化していく、無常だからこそ成り立つことでもある。歳を重ね様々な体験から家族ができ仕事が進み経験を積んでいくのも変化していくからであろう。健康に生きていられるのもこの身体が無常なるものだからである。
安定し変わらずにあって欲しいものと、変化していって欲しいものとが自分にとって望ましい状態である間は、何の不思議も感じずに普段の生活を送っている。それなのに、そのどちらもが本当は無常だからこそ成り立っているということには気づかない。しかし、それらが自分にとって望ましくない方向に変化していくと、途端に無常ないしは無情だと感じるに過ぎない。
この世は無常なるが故に苦であるともお釈迦様はおっしゃられた。誰もが苦を体験しつつあるのに、それに気づかない。何かあったときだけ苦しみを感じているように思う。そして今、こうなって、被災地の人たちとともに私たちはその苦しみを、レベルの違いこそあれ感じつつある。痛みを共感している。無常なるが故にこの世は苦なりということを、正に私たちは学びつつある。
ところで、今私たち国民を不安のどん底に陥れているのは余震もさることながら、福島第一原発四基の状態であろう。高レベルの放射能にさらされながら、現場ではどれだけの作業が出来ているであろうか。どのような人たちがその作業を担わされているのであろう。それを監督する人たちはどこでその指示をしているのであろうか。技術と知識を併せ持つ人たちが現地できちんと状況を把握しているのであろうか。心許ない限りである。
原子力、放射能、それを最も危険なものと知っているはずの日本で、原発がこの狭い国土に、地震国に、何故これほどまでに作られてしまったのか。チェルノブイリ、スリーマイル島の世界的な原発事故があってもなお、建設予定地の住民の反対で作られにくくなっているとは言え、今日まで54基を数えるほどに増設されてきた。福島原発の現地の状況は、おそらくこの人知を越えた恐怖の中で、思い通りの作業が出来ない状況なのではないかと危惧される。
原発は、正常に稼働していたとしても、高レベルの放射能を放射し続ける廃棄物を膨大に排出し続けている。それを安全に半永久的に保管していかねばならない。一万年という果てしない時間で濃度が半減するという数字もどこかで見た記憶がある。それもガラス固化体に入れた上で地下深くに埋められての話だ。一万年もの時間何事もなく保存できるとする科学的な見識は、どうやってこの地震国で保証できるのか。さらには国内にその最終処分場さえ決められない現状の中、無謀に稼働されているのが我が国の原発なのである。
そしていま、高濃度の放射能が放出されている現状において、どうやってその放射能の害から私たちを守れるのか。おそらく何も科学者たちは語ろうとさえしないであろう。正に科学の過信によってもたらされた人災と言えるのではないか。放射能は国境をまたいで飛散していく。人知を越えた無謀なる冒険のために全人類を危険にさらしている。これこそ、この世の無常という真理をまったく分かっていない人たちのなせる業(わざ)なのだと言えまいか。が、ともあれ、まずは現場で必死にこれ以上の被害が拡散しないためにいのちを張って作業している人たちの健闘を祈りたい。
無常とは、ただ私たちに今あるこの悲惨な現状を甘受せよなどという教えではない。天罰などと言ってそれを被災した人たちだけにその悲惨な現実を受け入れよというような教えでもない。無常だからこそ、これからの展望も開ける。苦しみも癒される。家族を亡くし、何も考えられないような心境であったとしても、明日の生活さえどうしたらよいのか何のあても無いとしても、家が無くなり家族と別ればなれになってしまったとしても、必ずそのつらい思い悲しい思いどうしていいか分からない今の心は変化していく。必ず、よい方向に向かっていける。だからこそ、この世は無常なのでもある。どうか希望を失わず、これから少しずつ変わっていける、たくさんの人たちが助けてあげたいと思っている、みんながやさしい思いでいることを忘れないで欲しいと思う。
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何をもってもまずは、今回の地震、津波で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げるとともに、未だに家族の行方さえ分からない方々、家も財産も暮らしの糧もなくした皆様に何とか早く様々な対策が講じられることを、さらにはその上に原発の放射能の恐怖におびえる人たちも含め、一刻も早く心落ち着き、安らいだ気持ちになれるようにと願いたい。
この世は無常である。とおっしゃられたのはお釈迦様である。その真理を本当に理解していれば、この危機的な状況もごく自然なこと、自然の営みに起こるべくして起こったこととして受け入れることも出来るのかもしれない。しかし、私たちはまったくこのことを自然のこと当たり前のことと受けとることなど出来ない。何とか生き延びた方々は奇跡だった、運が良かったと思われるであろう。本当にそのように思えるものだと思うし、その実感はよく理解できる。かつて阪神大震災の折、ボランティアとして現地にあって、多くの被災した人たちの話を聞かせていただいたが、皆さんそう語られていた。
だが、仏教では、何事もいろいろな原因、条件によってこの一瞬成り立っているに過ぎないと考える。私たちの立っている地面も本当はいつどうなるかも分からない、だから無常なのだけれども、普段はみな今までの安定した状態がずっと続くものと考えている。少しずつ変わり、変化していることに気づかない。それが今回のように急激な変化を伴うと突然すべてのことが急転直下変化したと感じる。青天の霹靂、そう誰でもが思うであろう。が、正にこの言葉は私たちが無常ということを本当には分かっていない証拠になるものなのかもしれない。何不自由なく暮らしている人たちにとっても、今は奇跡的な一瞬なのである。
何事も移り変わる、常に変化しつつある。私たちは、そんなことは当たり前のことだと思っている。ただ、おそらくそれは頭で理解しているに過ぎない。本当は無常ということを私たちは受け入れようとはしない。ずっとこの安定した状態が続いて欲しい、続くものと思って生きている。だからこそ、今回の地震は青天の霹靂なのである。
普通、私たちは誰でもが安定したこの状態がずっと続くものと思う。だから、毎日の普段の生活が成り立つのであろうし、そう思っているからこそ家族を持ち、将来のためにいろいろなことも出来る。しかし、それも変化していく、無常だからこそ成り立つことでもある。歳を重ね様々な体験から家族ができ仕事が進み経験を積んでいくのも変化していくからであろう。健康に生きていられるのもこの身体が無常なるものだからである。
安定し変わらずにあって欲しいものと、変化していって欲しいものとが自分にとって望ましい状態である間は、何の不思議も感じずに普段の生活を送っている。それなのに、そのどちらもが本当は無常だからこそ成り立っているということには気づかない。しかし、それらが自分にとって望ましくない方向に変化していくと、途端に無常ないしは無情だと感じるに過ぎない。
この世は無常なるが故に苦であるともお釈迦様はおっしゃられた。誰もが苦を体験しつつあるのに、それに気づかない。何かあったときだけ苦しみを感じているように思う。そして今、こうなって、被災地の人たちとともに私たちはその苦しみを、レベルの違いこそあれ感じつつある。痛みを共感している。無常なるが故にこの世は苦なりということを、正に私たちは学びつつある。
ところで、今私たち国民を不安のどん底に陥れているのは余震もさることながら、福島第一原発四基の状態であろう。高レベルの放射能にさらされながら、現場ではどれだけの作業が出来ているであろうか。どのような人たちがその作業を担わされているのであろう。それを監督する人たちはどこでその指示をしているのであろうか。技術と知識を併せ持つ人たちが現地できちんと状況を把握しているのであろうか。心許ない限りである。
原子力、放射能、それを最も危険なものと知っているはずの日本で、原発がこの狭い国土に、地震国に、何故これほどまでに作られてしまったのか。チェルノブイリ、スリーマイル島の世界的な原発事故があってもなお、建設予定地の住民の反対で作られにくくなっているとは言え、今日まで54基を数えるほどに増設されてきた。福島原発の現地の状況は、おそらくこの人知を越えた恐怖の中で、思い通りの作業が出来ない状況なのではないかと危惧される。
原発は、正常に稼働していたとしても、高レベルの放射能を放射し続ける廃棄物を膨大に排出し続けている。それを安全に半永久的に保管していかねばならない。一万年という果てしない時間で濃度が半減するという数字もどこかで見た記憶がある。それもガラス固化体に入れた上で地下深くに埋められての話だ。一万年もの時間何事もなく保存できるとする科学的な見識は、どうやってこの地震国で保証できるのか。さらには国内にその最終処分場さえ決められない現状の中、無謀に稼働されているのが我が国の原発なのである。
そしていま、高濃度の放射能が放出されている現状において、どうやってその放射能の害から私たちを守れるのか。おそらく何も科学者たちは語ろうとさえしないであろう。正に科学の過信によってもたらされた人災と言えるのではないか。放射能は国境をまたいで飛散していく。人知を越えた無謀なる冒険のために全人類を危険にさらしている。これこそ、この世の無常という真理をまったく分かっていない人たちのなせる業(わざ)なのだと言えまいか。が、ともあれ、まずは現場で必死にこれ以上の被害が拡散しないためにいのちを張って作業している人たちの健闘を祈りたい。
無常とは、ただ私たちに今あるこの悲惨な現状を甘受せよなどという教えではない。天罰などと言ってそれを被災した人たちだけにその悲惨な現実を受け入れよというような教えでもない。無常だからこそ、これからの展望も開ける。苦しみも癒される。家族を亡くし、何も考えられないような心境であったとしても、明日の生活さえどうしたらよいのか何のあても無いとしても、家が無くなり家族と別ればなれになってしまったとしても、必ずそのつらい思い悲しい思いどうしていいか分からない今の心は変化していく。必ず、よい方向に向かっていける。だからこそ、この世は無常なのでもある。どうか希望を失わず、これから少しずつ変わっていける、たくさんの人たちが助けてあげたいと思っている、みんながやさしい思いでいることを忘れないで欲しいと思う。
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http://www.asyura2.com/
全雄さんが紹介した原発事故の記事で、原発事故の真相を知り、危機感を抱いて居ます。私の住む石川県は、被曝エリアから離れてはいるものの、安全だと保証できるものではありません。私の友人の住む富山県も被曝エリアからギリギリ離れていますが、不安である事には変わりはありません。寧ろ、福島に近くなる富山県の方が心配です。とりあえず、自分の登録しているSNSや、職場、友人には、テレビ報道で報じられているより原発が危険な状態である事を伝え、周知を徹底しています。
己の利益率を優先したが故に、被害を拡大させた政府及び東京電力には強い怒りを覚えます。政府と東京電力は人命を蔑ろにした報いを受けるべきです。
http://eigonihongonews.blog110.fc2.com/
存じませんでした。そんなに危険な代物だったとは。それを40年から60年使えると虚言まで使って稼働させていた。
東電、安全保安院、原発関係の学者たち、すべての関係各者は重罪を免れないはず。さらにはそれを放置していた全ての人々、全ての日本人の無知も世界の人々に対して罪深いものと感じます。申し訳ない限りだと思います。
しかし、これによって、原発がこの地球から追放される切っ掛けになれば、罪滅ぼしになるのかもしれません。
日本人はこれから今回の事故でどれだけの人が被爆し亡くなっていくか分かりませんが、現時点ですべての原発を停止する必要があるのではないかと思っています。
私の弟の家族も千葉に住んでいるので一寸心配しています。
地震、津波そして原発事故の被害になられた方々は本当に辛い思いをされていると思います。私の妻も日本赤十字に寄付をしたと言っていましたが今回の惨事には資金が幾ら有っても足りないのでしょうね。
処で事故以前の日本のメディアでは優秀で安全な日本の原子力技術と言う様な話ばかりだったので問題の原子炉は日本の日立か東芝製だと思っていましたが(少なくともアメリカ産の原子炉を日本製と言える程度に改良していたと思っていた)何とジェネラルダイナミック社のマークⅠと言われる原子炉で70年代に開発されたモデルで 開発当初から危険だと言われていた問題のある原子炉だそうです。ジェネラルエレクトロニック社の主要技術者3人がマークⅠの危険性を訴えて辞任したほど危険な代物だそうなんです。米原子力規制委員会のメンバーも『事故が起きると制御不能になる可能性は90%だ!』と言っていた程危険な原子炉だと70年代から言われ続けていたそうなんです!
こんな危険な代物を長崎広島の経験のある日本に持ち込んで来る日本の原子力業界と自民党には呆れて物が言えません!!!
http://diamond.jp/articles/-/11514
おかしな事だ。4号機の説明でなされるように他の1号機から3号機も建屋は同じ構造であろう。だとするならば1号機から3号機にも同様に使用済みの核燃料がプールにあったはずだ。
それが全て吹き飛んでいる。とてつもない放射能が飛散した確率が高い。だからこの下の副島氏の推論が一番的確なものと言えよう。
http://www.asyura2.com/11/senkyo109/msg/910.html
だから、在日のフランス、アメリカ、ドイツの人々がチャーター機を用意してまで日本を離れようとしている。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-7577.html