住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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ラタナスッタを唱えて-新型コロナウイルス感染終息のために

2020年04月08日 12時09分27秒 | 仏教に関する様々なお話




4月5日國分寺の恒例行事土砂加持法会が執り行われました。世界が震撼する新型コロナウイルス感染拡大に伴い、受付時間を遅らせ飲食を控えるなどの対策のもとで執行いたしました。土砂加持法会は、檀信徒各家先祖各霊の得脱のために修される法会ではありますが、この度は新型感冒感染終息平癒祈願を併せ行いました。

お釈迦様在世時にヴェーサーリで飢饉から疫病が蔓延し人々が苦しむさまを見て、阿難尊者とともにラトナ経(宝経)を七日間唱え続けて平癒せしめたとの故事にのっとり、職衆が土砂加持法則により法要が進む中、導師は光明真言法を修し、前供養終わって、観法の間にパーリ・ラタナ・スッタを読誦し、祈念を凝らしました。

法句経290偈の因縁物語に次のような話が残されています。かつてベナレスの書店で手に入れたヒンディー語訳『ダンマパダ』(『Dhammapada』Bhikshu Dharmarakshit訳注・sanskrit pustakalay)より翻訳してみますと、「あるとき、ヴァイシャーリーに飢餓が起こり、疫病が蔓延し、鬼神が災厄をもたらしていた。そのとき、リッチャヴィ王はラージャグリハに行き、お釈迦様をヴァイシャーリーにお連れした。お釈迦様がヴァイシャーリーに来られラタナ・スッタを読誦させるとすべての病が沈静し、水が降り注ぎ、鬼神たちの恐怖も去っていった。お釈迦様がラージャグリハからヴァイシャーリーに行かれたとき、様々なやり方で道が飾り付けられ、沢山の供養の品々とともに旅をなされていた。ビンビサーラ王とリチャッヴィ王はガンジス河の両岸で各々の国で前代未聞の盛大な祭りを催したのであった。

お釈迦様は比丘たちからこの祭りの因縁を聞かれると、『比丘たちよ、私は過去世でシャンカという名のバラモンであったときスシーマという名の独覚の霊廟で供養を捧げていた。これらのお祭りや歓待尊敬はその時の業果によるものである。過去世にはわずかな施ししかしていないが、このように大きな果報があったのである。』と言われて説法をなされ、この偈文をお唱えになられた。「もし微少の安楽を捨てて広大な安楽を得べしとおもわば、賢者は広大な安楽をのぞみて、微少の安楽を捨つべし」」とあります。

実は、このヒンディ語本の解説は、元の因縁話からかなり話を要約しているようなのです。『パーリ語仏典ダンマパダ』(北島泰観訳注・中山書房仏書林刊)には、「ヴェーサーリーに到着したお釈迦様は、阿難尊者に命じてリッチャヴィの王子と共に三つの城門でラトナ経を一晩中唱えさせると、病人が癒えはじめ、その後お釈迦様自ら七日間に亘ってラトナ経を唱えられ、ヴェーサーリーの町は再び平和を取り戻した」とあります。

また、敬愛する某薬師寺院家様からは、ダンマパダ・アッタカターという注釈書の邦訳『仏の真理のことば(三)』(及川真介訳・春秋社刊)に、「阿難尊者はお釈迦様の水晶の鉢に水を入れて城門にいたり、ラトナ経を唱えつつ投げ上げると、鬼神や病人に銀の耳飾りのような水滴が落ち、するとただちに病気が鎮まった」という記述があることを教えていただきました。ヒンディ語文には、阿難尊者が投げ上げたという水については、「水(pani水または雨)が降り注いだ」という簡略された表現になってしまっているようです。

いずれにせよ、このラトナ経は、bhutaブータという、生類、鬼神、鬼類、または神とも訳される霊的なものに対して、信仰ある人々を、汝らに御供えしてくれる人間たちを慈しみ、守り給えと諭していきます。ブータというのは、日本で言えば幽霊、死霊、見えない何か恐ろしいものというような使われ方をします。神はdevaデーワとなります。つまりブータは化生の物質的な身体を持たないものたちのことで、彼らに向けて、悪さをするな、人々の為に慈しみをもって守るべきである、仏法僧の勝れたものたちを敬い礼拝せよ、精進せよ、幸せであれと諭していく経典となります。

あの世の財宝も、天上界の宝石も、如来の持つ宝に等しいものはない、仏陀におけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
深い禅定によって渇愛の滅尽を説く、この法に等しき宝はない、法におけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
最上の仏陀は清浄なる定を説かれた、この定に等しき宝はない、法におけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
善人から称賛された聖者の段階(四双八輩)にある僧たちにおけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
確固たる心で努力して煩悩から脱し涅槃の幸福を得たる僧におけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
煩悩に揺らぐことのない聖なる真理を観る教えを守る、それら僧におけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
聖者に達したならば八回生まれ変わることはない、そのような僧たちにおけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
有身見、疑、戒禁取などの煩悩が無くなり、父母や阿羅漢を殺したりなど六重罪を犯すことがない、そのような僧たちにおけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
身口意に悪業をなしても預流果の聖者は隠すことがない、そのような僧たちにおけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
涅槃に導く法は無上の幸福をもたらすため仏陀により説かれた、仏陀におけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
無比の智者、涅槃を観て勝れた道を教示し最高の真理を説く、仏陀におけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
過去の業は滅し新しい業は無く、未来の生存に執着なく、煩悩の根も根絶した、そのような僧たちにおけるこの宝こそ勝れている、この真理の言葉によって幸せであれ。
ここに集まれしブータよ、地にあるものも、天にあるものも。神々人間に尊敬される仏法僧に礼拝せよ、幸福であれ。

このように教え諭し、仏法僧の勝れた点を強調して価値観を転換させて、すべてのものたちによくあれ幸せであれと諭していくのです。お釈迦様自ら七日七晩唱え続けられたともあるこのラトナ経を私も新型コロナウイルス感染が終息するまで、毎朝毎晩お唱えしたいと思います。世界の仏教徒たち、特に南方のパーリ経典を読誦する人たちには、ともにこのラトナ経を毎日唱え、世界の新型コロナウイルス感染が終息するよう祈念して欲しいと思います。

(youtube)スリランカの比丘方によるラタナ・スッタの読誦です。すでに世界中で唱えられ、そしてまた多くの人たちがお経を聞きながら祈念しているようです

ヒンディー語本『ダンマパダ』の表紙・290偈解説とデーヴァナーガリー文字による『ラタナ・スッタ』


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