住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

ラタナ・スッタを紐解く-新型コロナウイルス感染終息のために

2020年04月17日 17時47分31秒 | 仏教に関する様々なお話
ラタナ・スッタを紐解く-新型コロナウイルス感染終息のために



世界中で今ラタナ・スッタが読誦されています。YouTubeで、RATANA SUTTAもしくは、Rathana Suthrayaと検索しますと、スリランカなどの僧侶による、いくつもの読誦を聞くことができます。それを聞きながら、世界の多くの仏教徒たちが手を合わせ、まさにお釈迦様方の声を聞く如くに、そのお経の声に感染終息を願っています。私も、久しぶりに、かつてインド僧として過ごさせてもらった、コルカタのベンガル仏教会に連絡した所、やはり比丘方で毎日ラタナスッタを唱えているようで、私も毎日唱えていることを伝えました。

ところで、かつての私の師、故ダルマパル大長老(Dharmapal mahathera)は特に経典読誦に関する古い唱え方を伝承されている方でした。そのいくつかを私も習う幸運に巡り合うことができたのですが、それはパリッタと呼ばれる日常読誦経典の、各経典毎に独特の節回しでお唱えになられるものでした。実は、そのお唱えになる声を、まだインド僧になる前のことですが、まだ暗い朝方に窓辺に聞き、何度も酔いしれたものでした。私が滞在していた頃、それらすべてとはいきませんが、テープに記録するように言われ、粗末なカセットレコーダーで録音しました。たしか、1995年1996年頃のことでしたが、すべてで4時間ほどになります。

この度、その懐かしいテープのことを思い出し、ラタナ・スッタの読誦の部分を何度も聞き、同じように唱えられるよう練習しました。そのラタナスッタを4月5日の土砂加持法会でも唱え、また、現在も日に二度朝晩唱えています。そして、毎日唱えておりましたら、その意味するところをより深く知りたくなり、20年ぶりに、パーリ語辞典と文法書をたよりにラタナ・スッタをデーヴァナーガリー文字でノートに書き出し、一語一語辞書を引き、文法書を片手に訳してみました。誠に拙いものではありますが、以下に試訳を掲載してみます。ご笑覧下さい。より深く意味するところを理解し唱え、そして、聞いてもらうことで、より強く新型コロナウイルス感染終息に繋がりますことを念じたいと思います。

宝経

ここに集まりきたる霊たちよ、地のものも、空のものも、すべてのものたちに、幸いあれ。ときに、語ることを恭しく聞きたまえ。

故に、実に、霊たちよ、すべてに注意深くあれ、人々に慈しみを生ぜよ、日中にも、夜にも、供物を運ぶ人々を、それ故に、実に、彼ら人間を怠りなく守れ。

この世の、あの世の、天界の勝れた宝でも、如来に等しき確かな財産はない、これも仏陀における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

入定せる釈迦牟尼は、煩悩を滅尽し、貪りを離れ、勝れた不死・涅槃に到達した、それ故に、何ものか、法に等しきものはない、これも法における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

殊勝の仏陀は、浄く、賞賛される三昧について、すぐに完全智に至るという、それ故に、この定に等しきものは知られない、これも法における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

この四つの対の、八人の賞賛されるべき人々(四双八輩の聖者)は、供養されるべき善逝の仏弟子たちであり、この供養により大きな果を与えられる、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

彼らは欲なきゴータマの教えを実に堅固な心をもって、努力し、不死の境地に入り、その利得を得て寂滅せる喜びを得た、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

地にとどまってある柱のように、四方からの風にも動揺しない、その如くに聖なる真理を確かに見たと善人が言う、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

仏陀によって、甚深なる智慧により説かれた聖なる真理を明らかに理解する(預流果に悟る)なら、たとえひどく放逸になったとしても八回目の生存はない、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

共に住して、目覚め(預流果)を成し遂げた人は、実に、有身見、疑、戒禁取の三つを捨て、また、他の煩悩も捨てて、四つの悪趣から自由となり、六重罪をなそうとしてもできない、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

たとえ、彼が、身口意の行為に悪をなしても、それを隠しておくことはできない、真理を見たる人は悪事を隠しておくことはできないと説かれた、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

夏の最初の月に、森の茂みで花が咲く頂点となる如くに、最上の有益な涅槃に逝く勝れた法を示した、これも仏陀における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

勝れた人は、最上なるものを知り、与え、取り出す、その最上の勝れた法を示された、これも仏陀における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

古き業は尽き、新しい業は生起しない、未来に生存したいという心から離れた彼は、種は尽き、欲は成長しない、灯火が消える如くに賢者は消えゆき再生しない、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

集まり来たれる、地にあるも、空にあるも、霊たちは、神々や人々に尊敬される如来、仏陀を礼拝するのです、幸せであれ。

集まり来たれる、地にあるも、空にあるも、霊たちは、神々や人々に尊敬される如来による、法を礼拝するのです、幸せであれ。

集まり来たれる、地にあるも、空にあるも、霊たちは、神々や人々に尊敬される如来の弟子たち、僧を礼拝するのです、幸せであれ。


参考文献 パーリ語辞典・水野弘元著 パーリ語文法・水野弘元著 
     南方仏教基本聖典・ウ・ウェープラ著 
     宝経法話・アルボムッレ・スマナサーラ著 
     ブッダのことば・中村元著 スッタニパータ現代語訳・荒牧典敏他  

(教えの伝達のためクリックをお願いします)
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へにほんブログ村


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ラタナスッタを唱えて-新型コ... | トップ | ラタナ・スッタについて考え... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

仏教に関する様々なお話」カテゴリの最新記事