住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

「お釈迦様は私たちにCHANGEを求める」

2009年09月12日 08時16分58秒 | 仏教に関する様々なお話
そもそも仏教というものがなかなか捉えにくい、何をもって仏教というのか、皆様と私とで、たぶん仏教のとらえ方が違うのではないかと思っております。今日日本の国で仏教と言うと葬儀仏事と結びつけられて、死者のための儀礼としてしかその役割がないかのように感じます。皆様も仏教というと拝むもの、お唱えするもの、信じるものという印象が強いのではないでしょうか。

ですが、もともとのお釈迦様の教えは、本当はとても科学的論理的な教えでした。たとえば、その昔インドで医王と言うとお釈迦様本人を指していました。お釈迦様のところに行くと誰でも心も体も癒されてしまう。その説法も医者の診断処方に則ったものだったと言われています。だから医王と。で、どんなことをお話しになったかというと、私たちが生きるとは何か、なぜ苦しむのか、幸せとは何か、いかに生きるべきかということを諄々とお話しになったのです。今日はそのあたりの話しをしてみようかと思っております。

ですが、まずはとりあえず、身近な話しから入っていきます。先ほど般若心経一巻をお唱えをいたしました。本尊様を前に唱えたわけですけれども、なぜ仏様の前でお経を私たちは唱えるのでしょうか。お経ばかりでなく、真言とか、念仏とか、題目、やはり仏様の前でお唱えしますね。なぜでしょうか。仏様に聞かせてあげるんだと思っている人はありますか。仏様がお経を聞いて勉強されるのでしょうか。仏様の方が私たちよりお経のことはよく知っているはずですよね。

仏様が喜ばれるからと言う人もあるかもしれません。そうですね。私たちがお経を上げると仏様は喜ばれる。なぜでしょうか。自分が説法したことの記録であるお経を後世の人たちが唱えてくれるからでしょうか。私が思うに、私たちがお経を唱えて、教えを学ぶ、また唱えて心が静まり清らかになる、それを仏様は喜ばれるのではないかと思うのです

ですから、仏教とは、ただお唱えしたり拝んだりするものではなく、やはり、それによって教えを学び、行いが正され、少しでも心が静まり落ち着いた心になる、つまり、自分がよい方に少しずつ変わる、今の言葉ではオバマ大統領ではないですが、CHANGEですか。それが大事なことなのです。どんなに四国を歩いたり、いくら写経をしたり、たとえ滝行をしたといっても、その人が変わらなければあまり意味がない。

それで、皆様の中には、私は美しい端麗な観音様ですとか、可愛らしいお地蔵さんが大好きです、信仰していますという人もあるかもしれません。ですが、手を合わせ信仰して、きっと助けてくれる、救ってくれると、礼拝し信じるだけでは、あまりその人自身は変わっていかないかもしれません。かえって、考える力を失うことにもなります。

ですから、信仰崇拝するよりは、観音様とはお地蔵様とはどのようなお方だったのか、その生き方を学び、自分も観音様のように生きようと励まれると、自分も幸せになり、周りの人たちにも御利益がある。ただ救ってくれると信じているよりは自分できちんとどうすべきか考える人になれる。このことが結構大切なことです。新興宗教に入るような人はだいだい上の人たちの意向で動く。全く自分の考えがありません。それではいけないんですね。やはり自分が判断できなくてはいけない。

関連しまして。今、スピリチュアル、ですか、ブームですが。スピリチュアルとは霊的なとか精神的なという意味ですが、オーラが視えたり、人の過去生が視えたり、目には見えない気やエネルギーを察知する能力があったり、予言してみたり、亡くなった人の霊と話ができたりする人がもてはやされています。皆さんもよくご存知ですね。ですが、そのように、オーラが見えても、前世が分かっても、亡くなった人のことを聞けても、それだけでは、本人は幸せにはなれない。つまり、変われない。ますます特異な能力のある人にやはり依存して、言われたことに従うような、心の奴隷になる。

それで、仏教ではそのあたりのことをどう考えるかと申しますと、お釈迦様はどうだったのかということになりますが、お釈迦様の奇跡、あまり聞いたことないかもしれませんが、本当は、ものすごい神通力、いわゆる超能力があったわけです。当然のことですが。空も飛べたし、天界に行ってみたり、神様と話しをしてみたり、会った人の前世も、来世もみんな見えてしまった。遠くのものを見たり聞いたり、人の心も分かったし、ナーガという蛇の鬼神を簡単に退治したり、同じ修行者を従わせるために教団の草創期にはかなりなさったようです。

ある超能力の競い合いがあったときには、足が水になり、体が火になって空を飛んだとも言われています。しかし、膨大な経典の中にはあまりその手の話は出てこないのです。お釈迦様のことを超能力者と見なす人もいないわけですが、みんなから尊敬されていた。それは、お釈迦様はそうした超能力はよいことではない、そんなもので人は幸せにならないと考えられて、教誡の奇跡こそ最上のものだと言われたからなのです。教誡とは、教え戒める、つまり正に人の生き方を変えてしまうことです。

この世の真実を教え、智慧を生じさせ、その人の生き方が変わることです。どう変わるかというと、新興の仏教に対抗心を燃やすバラモンたちも訪ねて行ってはいろいろと問答をするのですが、結局はみんなお釈迦様のお話しに引き込まれ改心して弟子になったり、すぐにそこで初歩の覚りを得られて弟子となり出家をしたりしています。

実は、この私も変わった口なんです。私の場合は、一冊の仏教書と出会い、人生が変わりました。東京の普通の家に生まれて、お寺との縁も何もなかったのですが、大学一年の時ある大学の門前で友人と会い、その時の会話がきっかけとなり仏教と巡りあいました。その後、縁あって高野山にのぼり専門道場で修行をしました。

帰ってきて東京のお寺に入り、様々なお手伝いをしておりました。そしてある日の夕方、一生懸命本堂の床をぞうきん掛けしていましたら、その寺は私がそもそも仏教に興味を持つきっかけとなったあの時友人と会った大学の真ん前にあるのだと気づきました。その瞬間、走馬燈のように過去の出来事が頭にひらめいて特殊な体験を致しました。

様々な人生の瞬間瞬間のつまらないようなことの積み重ねのすべてにとても意味があり、それらの人生の岐路に立って一つも間違わずに今ここにある。仏教の言葉では因縁、縁起と言いますが。すべてのことに原因があり結果する。偶然などというものはなく、すべての物事があるべくしてある、ここに今あるためにすべてのことがあったと思えました。今の行いが次の自分を作っていく。今のためにすべてがあった。

ですから、皆様も今日こうしてここに来て、この話を聞くために皆さんのこれまでがあったということも出来ます。大げさな言い方かもしれませんが、もちろん、それがどれだけ明日からの人生に影響を与えるかはまた別の話ですが。私はと言えば、私の人生は皆様に今の瞬間としては、こうしてお話しをするためにあったと言うことも出来ます。つまり、今という瞬間がとても尊く大切だということであります。

また、別の見方をすると、それは私たちは変われるということでもあります。今の自分がどんなに辛くても、自殺したいほどに苦しくても、また劣っているように思えても、次からの一つ一つの行いによって変わっていけるということです。占い、などというものがあります。運命的なことをいわれることもあります。しかし、それさえも変えられるものです。

それから、そのとき、今の自分、それを支えてくれている人たちやものすべてがとても尊く感じて、ありがたいと思えました。目に見えるもの耳に聞こえるもの、すべてがとても意味のある、今こうして私が目にするためにそこに存在してくれている、それぞれがとても得難い因縁の元にそこにあると思えました。

信じれば救われるというようなことを言う人もあるかもしれません。ですが、信じるだけでは依存するだけで、奴隷になるだけなのではないでしょうか。自分とは何か、生きるとは何かということをお釈迦様はお話しになった。自分が生きるということをきちんと自ら考えられる。元気はつらつと、今という瞬間に意味を感じしっかり生きる。教えによって、そういう自分に変わる。それが教誡の奇跡です。

今という尊い瞬間を大切に生きる、自分を変えられるのは今しかない、今に専念する、過去のいざこざ、失敗したようなことに思い煩うことなく、未来のことにうつつを抜かすことなく、今に生きる。それがまた心静まり、清らかな心を作ることにもなります。皆様も、是非、仏教に学び、すべての過去の行いの集積としてのかけがえのない今という瞬間に意味を感じて生きて欲しいと思います。今の瞬間の積み重ねが将来の自分を作っていきます。自分こそが自分の主なのですから。

時代が変革を求め、私たちの生活も少しずつ変わっていくことでしょう。様々なものの認識も変わる。何もかも与えられるものに満足させられ、引かれた線路を歩んできた時代が変わりつつあります。宗教や仏教に対する認識も変わることでしょう。自らが選択し自らが求めて確認しより深く意味あるものとなったとき、既にあなたも変わっていることでしょう。自らが変われば周りの世界も変わる。CHANGEこそ、お釈迦様の私たちに向けたメッセージだと言えましょう。

(↓よろしければ、クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村
コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「仏の声なき説法を聞く」 | トップ | ネパール巡礼・五 »
最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めてコメントさせて頂きます。 (和久希世)
2009-09-14 08:08:04
春夏秋冬にコメント頂き有難うございました。
wjnewsさんの処で、こちらのブログの存在は知っていたのですが、田舎のお寺のお坊さんのお話では・・・・・と少々偏見を持って、素通りしてしまっていました。(失礼お許し下さい)

今日の記事を読ませていただいて、本当の仏教者でいらっしゃるのだと言う事を知りました。
これからも読ませていただきたいと思いますので、此れまでの失礼をお許し下さい。
それからこれからは、どうかよろしくお願い申し上げます。

尚私の両親は、旧松永市今の福山市の出身です。(超田舎です)
我が家は浄土真宗ですが、お寺さんに毎月お参りいただいています。
でも弘法大師が立木に観音様を彫られたと言う観音様をお祭りした「立木観音」の近所に住んでいて、月に3~4回7百段余りの階段を上って、夫婦でお参りしています。
(元高野と言って、高野山を開かれる前に、此処にしばらくおられたと言う因縁を書いたものが有りました。)

10年ほど前に高野山で泊まらせて頂いた宿坊から、毎年お札を頂いています。

他宗他派の教えも、聞くべきところがあるなら、聞かせていただくと言うのは、仏教徒として、「間違った事ではない」と思っていますが、それで宜しいでしょうか?
返信する
早速のお便りに (全雄)
2009-09-14 08:37:17
早速のお便りにうれしく思います。

田舎のお寺の坊さんです。笑 その通りです。ご両親がこのあたりのご出身とは。ご縁というのはおもしろい。

浄土真宗のお寺はこのあたりにも多く、私は親鸞聖人のことも好きでいろいろ読ませてもらっています。

私は全く宗派意識がありません。信じているのはお釈迦様の教えであって、それを実践するお寺が真言宗ということになっているだけです。

江戸時代まではあまりお寺も宗派に別れていなかったということでもあり、特に國分寺は元々宗派のない時代に出来たお寺ですから、それでいいのかと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

リンクさせていただきます。

それから、原発にも興味があり、今でも原子力資料情報室から通信が送られてきています。昔仏教雑誌に書いたことがあります。ナマステブッダという私のホームページにその記事を掲載しています。お暇があればご覧下さい。
返信する
チェルノブイリの事故 (和久希世)
2009-09-14 15:37:42
チェルノブイリの事故のことを書かれた記事
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zen9you/pada/genjitu.htmを読ませていただきました。
あそこまで悲惨な事になっていたとは、実は知らないでいたのですが、
日本政府はそう言う事を承知の上で、この地震国日本に五十数基の原発を造らせたのですね。
その無責任さを、改めて実感させられました。
上関原発は何としても建設中止にしたいものですね。
返信する
和久さんへ (全雄)
2009-09-14 16:54:35
そうですね、原発は、とっても受注金額が大きいんです。何千億の品物ですから。笑

それだけうまみが大きいということらしいです。だから造りたい。

日本でなかなか造れなくなって、台湾とかに日本企業が輸出して、それによって、地元の人々からものすごい反対運動が起きてもいます。

インドや中国にも米国企業とタイアップで造る入札に参加してもいますが、どうなったでしょうか。

環境問題とは、実は、温暖化はCO2の増加がもたらした。化石燃料による発電にはCO2が発生する、だから原発の方がいいのだという理屈作りのためにあると見る科学者が世界中に沢山います。

実際にCO2が増えたから温暖化したのではなく、温暖化したからCO2が増えたということらしいのですが。しかし、本当は今地球は寒冷化しているという科学者もいますね。

しかしそれが正論にならず、政治問題となって、世界の主流はCO2削減のために環境税なるものまでとって産業から国民の生活面にまで注文を付ける方向にあります。

大衆自身がそれらに騙されない、本質を見極めることで彼ら為政者たちに私たちは騙されないということを分からせていかないといけないのでしょう。
返信する
Unknown (miyatake)
2009-09-14 17:20:17
私が読んでも分からないかもしれませんが、その仏教書というのを見ることはできるんでしょうか。
できれば、一度、目にしてみたい気持ちです。
返信する
心を変革する“Change” (ejnews)
2009-09-14 23:04:41
おはようございます。
和久希世さんもコメントされていますね。“田舎のお寺の御坊さんの話では-------”には笑ってしまいました。普段大真面目な和久希世さんも面白い事を言う事も有るんですね!唯、私は何時もニュースや興味深い話を探して世界中のサイトを読む様にしていますので、本当に何処かのアフリカとか南米等の田舎の住人のサイトを読んだりしているのでその意味では和久希世さんの直感は大当たりなのですが----。

“心を変革する。Change”については インド独立の父ガンディーも民主主義について『民主主義の精神とは形式を廃止する様な機械的な行為ではなく、其れは心の変革を必要とする。(差別や特権や憎しみを捨て御互いに尊敬し合い平等な関係を持てる心の有り方への変革と言う意味なのでしょう)』と言う様な事を言ったそうで、お釈迦様の影響なのか、其れともガンディー程の人間の精神的レベルにまでなると皆同じ様な考えをするのでしょうか?当然するでしょうね。
兎に角、仏教に興味のある方でも自分の所属している宗派以外の宗派を余り良く思わない方がいられるのは一寸悲しい事で仏教徒的ではない様に思われるのですが--------。
返信する
この本です (全雄)
2009-09-15 06:40:32
miyatakeさま、はじめまして。

私を買えた本は、角川書店の増谷文雄著「仏教の思想1ブッダ・智慧と慈悲」という本です。

ソフィア文庫で再販されていますから、ご覧下さい。そんなに難しい本ではありません。
返信する
お久しぶりです。 (全雄)
2009-09-15 06:48:15
ejnewsさま、お元気そうで何よりです。

Change、この度の日本の総選挙でもやはり大衆の心の変化がものをいったのでしょう。どこまでの自覚をもって変革を求めたのかは別として、マスコミ新聞の言うことを聞くだけではダメなんだということが分かった。

そういう雰囲気にみんなが流れていったということでしょう。自覚が足りないとまた流れていく可能性があります。細川政権の時の轍を踏まないということはみんな理解しているでしょうから、大きな日本の改革に進んでくれると良いと思っています。一筋縄ではいかないとは思いますが。


仏教については、もう宗派で物を言う時代ではありません。今日本にはスリランカから来られて大ブームを起こしている長老がおられます。日本仏教もChangeすることでしょう。日本人の認識が変わる様々なことについて、そう思います。
返信する
ありがとうございます (miyatake)
2009-09-15 13:17:15
ノータイトルですみません。
今週中、近くの本屋さんで購入してみたいと思います。
また、来ます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

仏教に関する様々なお話」カテゴリの最新記事