住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

弥陀の浄土と薬師如来

2020年10月19日 07時02分14秒 | 仏教に関する様々なお話
先日、地元の退職教職員組合の皆様がご参詣になられた。十年あまり前にもお越しになり、その時にはお寺の歴史について総代さんがお話になり、私は仏教について話させてもらったことを記憶している。今回は総代さんもお越しになっていないので、私が國分寺の歴史と堂内の仏様方について一時間余り話をさせてもらった。

國分寺の話では、なぜ聖武天皇は大仏と國分寺を造ったのかというポイントに重点を置いて話し、堂内諸尊について話し始めるにあたり、丁度その日の朝日新聞朝刊に、宇治の平等院鳳凰堂の開創時の扉絵から弥陀の「九品来迎図」が見つかったとの記事があり、それをコピーして配布し、来迎の印・説法の印・禅定の印をそれぞれ見ていただいて、下品下生から上品上生までの九品浄土について話をした。そして、実は本堂の内陣には阿弥陀浄土から亡くなった信者を迎えに来られた「来迎二十五菩薩像」が祀られているので、関連して、本尊は薬師如来なのになぜ弥陀世界の来迎の菩薩が祀られているのかについて、山城の浄瑠璃寺を参詣した折にヒントを得た、その伽藍配置と当山本堂の構造についての話をさせてもらった。

それから本尊薬師如来とは、実はお釈迦様の別名で、そのお姿は薬壺を左手に乗せているか否かであり、本堂前の扁額「醫王閣」にある医王とは元々お釈迦様の事であったこと。またお釈迦様の教えのすべてが包摂されると言われる四聖諦という教えの説き方が正に当時の医者の診断処方そのものであった。さらに誰がお訪ねしてもお釈迦様に出会うだけで、実際に心の苦しみ悩みわだかまりがスッとなくなってしまった霊験からではないかと思うと申し上げた。

では、その四聖諦とはどのような教えかと言えば、これは四つの聖なる真理との意味で、内容は苦・集・滅・道の四つであり、①苦の聖なる真理とは、苦があるという真理であり、この世の苦しみ多い現実に気づくということ、幸福に感じられてもすぐに色あせ、完璧なことの出来ない私たちは常に不安や不満を感じつつあること。②集の聖なる真理とは、苦には因があるという真理であり、その原因は自分がある、自分がよくありたい、よく思われたいという欲の心にあるということ。③滅の聖なる真理とは、苦が滅した境地があるという真理で、苦しみのない理想の状態、それが悟りということになるが、それをこそ求めるべきだということ。④道の聖なる真理とは、苦の滅に至る実践があるという真理で、悟りに至るにはどうすればよいのか、八つの具体的実践の仕方を教えている。

このように説いたとき、二つ目の苦の原因として、自分がよくありたい、よく思われたいという心があるから苦があると話していると、やや不審な顔をなされる方があった。煩悩と言い換えてもいいわけだが、煩悩があるから苦があるというのは自明のことと思っていたが、そう思えないということであろうか。推量するに、これまで、自分ということを忘れて、みんなのため、子供たちのために生きてきたと思われている方には、それが故に苦労してきた、頑張って努力してこれたと思われているのかもしれないと思えた。しかし、そこに自分という思いはなかったのだろうか。自分という思いがあったればこそ、大変だった、何とか出来た、頑張ってきた、みんなのためになれたという思いもあるのではないだろうか。

これはこのとき皆さんにはお話していないが、昔サラリーマンとして働いていた会社の社長は、学徒出陣で戦地に趣く船中で爆撃に遭い、船は木っ端みじんとなり、百数十人もの兵とともに海に投げ出された経験をもつ方だった。南洋のフカの出没する海域だったため、ふんどしを長く垂らし、流木に捕まり、喉が渇いても余計に乾きをかき立てる海水を飲むことも叶わず、食べる物もなく漂ったという。元気を駆り立てるため軍歌を歌ったり、仲間の名前を呼ぶ人たちもあったというが、かえって体力を奪うので、社長は只静かに体力を温存することだけを考えたという。剛毅を装い歌を歌っていたような人から、チャポン、チャポンと海に沈んでいったという。そうした状況で、他の人を助けよう、自分の命をなげうって他の者を救おうとすること自体が、命取りになる。

そうした生きるか死ぬかの極限の中では、ただ一人一人が己自身によって生き延びることだけが唯一残された道であったに違いない。その時、自分が、自分こそ、よくありたい、助かりたい、称賛されたいなどという心が残っていたなら体力を消耗し海底に沈むしかなかったのではないか。そんな思いも、計らう心も何もなくなって、最後にはそれこそ仏様にすべて運命をお預けするというような心境にいたったのではないか。結局三日目の昼過ぎにやってきた味方の船に救助されたのはたったの三人だけだったという。そういう状況について思い巡らすとき、普通に生きる、日常生活を送る私たちが、自分という思いがまったくなく生きるというのはそう簡単なことではないのではないかと思われる。

誰もが進化の過程で学んできたがゆえに、何かしなくては、忘れていることはないか、すべきことをしていないのではないか、したことも十分なものだったであろうかと、いつも追いかけられるようにして、不安の中に私たちは生きている。そうして、苦を感じつつ生きているのだということをまずは自覚する必要があるだろう。その原因はといえば、自分という思いがあり、少なくとも周り同様にやっている、よくやっていると思われたい、自分もそうありたいと思う心がある。でも本当はそんな追い立てられるような苦を感じることもなく、他と比較することもせずにいつも楽に生きたい、満たされた心で過ごしたい、何があっても困ることなく、すぐにすべきことが解り、迷うことも無いというように。そうした泰然自若とした心を得られるためにはどうしたらよいのか。それを説くのが仏教(八正道など)の教えであろう。

ところで、九品来迎図の解説をする際、なぜ平安中期に浄土教が流行したのかという話もした。それは平等院が創建された年が正にわが国では末法に入る年だとされたからだ。末法とは、正法像法末法の三時説による説き方で、教(教え)・行(修行)・証(悟り)のある正法時、これは釈迦入滅後五百年とも千年ともいわれる。そして教・行のみの像法時、これはその後千年。そして、それ以後の末法には教えのみ残っているが、それによって修行する者もなく、悟りを得る者もないという。今年は、末法に入ったとされる永承七年(1052)から数えて、968年目となる。末法は一万年も続くとされるから、末法も終わり教えを聞くこともなくなるとされる法滅となるのはまだまだ先のことのようではあるが、いつまでも正しい教えを伝えていきたいものだと思う。


(教えの伝達のためクリックをお願いします)
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へにほんブログ村


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「人生は苦なり」を改めて今... | トップ | 聖武天皇はなぜ國分寺を建立... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

仏教に関する様々なお話」カテゴリの最新記事