(大法輪誌6月号特集「知っておきたい仏教の常識」掲載)
お釈迦様の時代の仏教に近いとされるスリランカ、タイなどの南方上座仏教における出家の儀礼から袈裟と剃髪の意味を考えてみたい。
今日上座仏教では、仏教僧になるためには、まず十戒を授かり沙弥(しやみ)という見習い僧になる儀礼を受け、その後、具足戒(二百二十七戒)を受けて正式な僧侶(比丘(びく)と言われる)となる。
まず、沙弥になるためには、三衣という三種類の袈裟と鉢を用意して剃髪しなければならない。そして、それまでの世俗の世界から僧院という神聖な修行環境に身を投じるのであるから、在家時代の僧院生活には不要な所持物を放棄する必要がある。
世俗の衣服類も勿論僧院に持ち込むことは出来ない。そのため沙弥出家の儀礼において、出家が許された段階で俗服を脱ぎ袈裟を着するのである。
その地方の気候環境によって保温のために内衣を着ることも許されるが、本来は袈裟だけが正式な僧侶の着物ということになる。
袈裟は、もともと拾い集めたボロ布を縫い合わせて作り、それは糞掃衣(ふんぞうえ)とも言われる。施しによって新しい布で作る場合も、壊色(えじき)と言われる、くすんだ黄色から茶系の色に染め、つまり世間の人が好まぬ色に染めて、身なりを飾るという執着を絶つのである。
沙弥出家の儀礼においては、予め剃髪した頭に戒師はカミソリを当てる。これも仏道修行に精進するために、俗世間から抜け出し、それまでの垢を剃り落とすという意味がある。
剃髪し袈裟を着す姿は、我は出家者であるという意思表示をすることになり、それによって戒律を犯すような邪な行為や誘惑から身心を守るのである。
袈裟だけで生活するということは、どこへ出かけるにも着替える必要もなく、くすんだ黄色や茶色の袈裟は汚れが目立つこともない。
また、長髪であれば洗髪にも時間が掛かり、整髪も必要になる。しかし剃髪すれば、ただ定期的に伸びてきた髪を剃り上げるだけで済む。
ともに修行に専心するための簡便な生活スタイルであると言えよう。
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お釈迦様の時代の仏教に近いとされるスリランカ、タイなどの南方上座仏教における出家の儀礼から袈裟と剃髪の意味を考えてみたい。
今日上座仏教では、仏教僧になるためには、まず十戒を授かり沙弥(しやみ)という見習い僧になる儀礼を受け、その後、具足戒(二百二十七戒)を受けて正式な僧侶(比丘(びく)と言われる)となる。
まず、沙弥になるためには、三衣という三種類の袈裟と鉢を用意して剃髪しなければならない。そして、それまでの世俗の世界から僧院という神聖な修行環境に身を投じるのであるから、在家時代の僧院生活には不要な所持物を放棄する必要がある。
世俗の衣服類も勿論僧院に持ち込むことは出来ない。そのため沙弥出家の儀礼において、出家が許された段階で俗服を脱ぎ袈裟を着するのである。
その地方の気候環境によって保温のために内衣を着ることも許されるが、本来は袈裟だけが正式な僧侶の着物ということになる。
袈裟は、もともと拾い集めたボロ布を縫い合わせて作り、それは糞掃衣(ふんぞうえ)とも言われる。施しによって新しい布で作る場合も、壊色(えじき)と言われる、くすんだ黄色から茶系の色に染め、つまり世間の人が好まぬ色に染めて、身なりを飾るという執着を絶つのである。
沙弥出家の儀礼においては、予め剃髪した頭に戒師はカミソリを当てる。これも仏道修行に精進するために、俗世間から抜け出し、それまでの垢を剃り落とすという意味がある。
剃髪し袈裟を着す姿は、我は出家者であるという意思表示をすることになり、それによって戒律を犯すような邪な行為や誘惑から身心を守るのである。
袈裟だけで生活するということは、どこへ出かけるにも着替える必要もなく、くすんだ黄色や茶色の袈裟は汚れが目立つこともない。
また、長髪であれば洗髪にも時間が掛かり、整髪も必要になる。しかし剃髪すれば、ただ定期的に伸びてきた髪を剃り上げるだけで済む。
ともに修行に専心するための簡便な生活スタイルであると言えよう。
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