出張中、暇を作って奈良国立博物館の正倉院展に行ってきた。
正倉院展は当然ながら奈良時代、天平文化が中心であまり馴染みがないのが本音で、おまけに撮影禁止なのが惜しいところ。
工芸品より長い長い巻物に綺麗な楷書で丹念に書かれていた役所文書がとても印象的だった。
古文書と言えば草書体で読めないとの思い込みがあったが、この時代は綺麗な楷書で書かれていて一文字一文字は読めるし、目録はそれで十分分かる。いずれにしろ、長い間アジアの共通言語は漢文だったということを思い出した。
正倉院展の期間中は正倉院も見学可能なので見に行った。
見学可能と言っても開門しているだけで、敷地内すらほとんど入れない。おまけに逆光で真っ黒い大屋根の建物が撮影できたに過ぎなかった。
正倉院を見に行くなら順光な午前中に限る。
奈良訪問となれば、彼に声を掛けない訳にいかないと言うことで西大寺まで迎えに来て貰った。
少し前に注目を浴びた西大寺だが、昔の古い駅舎とゴミゴミとした暗い面影など全く無い。
暗闇が迫る中、まずは登美ヶ丘小学校から訪問した。耐震補強が入った以外は校舎や校庭はほとんど変わっていないのが不思議である。
生駒山が一望できるのも同じで、周囲は大きく開発されている中、遠景と学校、団地内は変わりない。
目と鼻の先に住んでいた矢野氏と全く接点が無かったのはマンモス校かつ当時熱中していたものが違ったからだが、長じて同じ趣味で再開し長い縁が保てているのも不思議なものだ。
原風景に共通するものが有るのだろう。
彼が手配してくれたおそば屋さん、これが期待を超えるもので先日の高烏谷鉱泉に続き美食を堪能できた。
ボキャ貧なので、へー美味しいねぇと舌鼓を打つのが精一杯なのがちと情けない。
誰かに美味いものを食わせる店の1軒や2軒は確保しておかなければと、改めて思ってしまった。
中でもお気に入りは鴨付けのそばがき。
最近、鴨付け蕎麦にハマっているところにドンピシャの一品で、お代わりと言いたいところをぐっと我慢して次の逸品を待つのであった。
2種類の蕎麦を食べ比べることが出来た。
更科より野趣あふれる方かな。どちらも旨い。
正倉院展は当然ながら奈良時代、天平文化が中心であまり馴染みがないのが本音で、おまけに撮影禁止なのが惜しいところ。
工芸品より長い長い巻物に綺麗な楷書で丹念に書かれていた役所文書がとても印象的だった。
古文書と言えば草書体で読めないとの思い込みがあったが、この時代は綺麗な楷書で書かれていて一文字一文字は読めるし、目録はそれで十分分かる。いずれにしろ、長い間アジアの共通言語は漢文だったということを思い出した。
正倉院展の期間中は正倉院も見学可能なので見に行った。
見学可能と言っても開門しているだけで、敷地内すらほとんど入れない。おまけに逆光で真っ黒い大屋根の建物が撮影できたに過ぎなかった。
正倉院を見に行くなら順光な午前中に限る。
奈良訪問となれば、彼に声を掛けない訳にいかないと言うことで西大寺まで迎えに来て貰った。
少し前に注目を浴びた西大寺だが、昔の古い駅舎とゴミゴミとした暗い面影など全く無い。
暗闇が迫る中、まずは登美ヶ丘小学校から訪問した。耐震補強が入った以外は校舎や校庭はほとんど変わっていないのが不思議である。
生駒山が一望できるのも同じで、周囲は大きく開発されている中、遠景と学校、団地内は変わりない。
目と鼻の先に住んでいた矢野氏と全く接点が無かったのはマンモス校かつ当時熱中していたものが違ったからだが、長じて同じ趣味で再開し長い縁が保てているのも不思議なものだ。
原風景に共通するものが有るのだろう。
彼が手配してくれたおそば屋さん、これが期待を超えるもので先日の高烏谷鉱泉に続き美食を堪能できた。
ボキャ貧なので、へー美味しいねぇと舌鼓を打つのが精一杯なのがちと情けない。
誰かに美味いものを食わせる店の1軒や2軒は確保しておかなければと、改めて思ってしまった。
中でもお気に入りは鴨付けのそばがき。
最近、鴨付け蕎麦にハマっているところにドンピシャの一品で、お代わりと言いたいところをぐっと我慢して次の逸品を待つのであった。
2種類の蕎麦を食べ比べることが出来た。
更科より野趣あふれる方かな。どちらも旨い。
次は自動車編。
自動車の歴史を辿るようなにコレクションが整然と並べられていて、戦前の海外車両が多くどれも綺麗にレストアしてあって、とても状態が良い。多くはランニングコンディションなのだろう。
まずは言わずと知れたベンツの初号機、もちろんT型フォードもあった。
古いモノはホーとかへーになってしまうので、さりげなく置かれたバイクの写真なんかを載せておく。
別冊MC誌の愛読者として誌面で知った車両ばかりだ。
最初は陸王
祖父がバイク乗りで亡父がバイクの思い出を語る時によく出てきたという縁がある。
若い頃にいつかはハーレーと思って試乗したことがあるが、30年たってもその気がしない。
次はビンセントブラックシャドウ。
1948年に世界最速の量販車として200km超えを達成したバイク。やはり世界最速という響きが良い。
BMW R51/3
戦後に発売された水平対向2気筒の原点だ。成れの果てのR100RSに試乗したことはあるが、これまた若すぎてピンとこなかった。
トライアンフボンネビル
バーチカルツインでまだ日本車が目標としていた頃の名車だ。画像をあげた中で唯一一緒に走ったことがあるが、弾けるようなとても良い排気音を奏でる。
トライアンフトライデント
CB750Fourに対抗して出した3気筒750モデル。オイルが滲んでいるのは実動車の証だ。
CR110とCR72
第1期F1に先んじて二輪で世界をとった頃の市販レーサーでドリーム50の原型だ。
自動車博物館なのでクルマを・・・
プラモを作ったやつからピックアップしておく
ハコスカGTR
高橋国光のマシンだそうだ。市販車と一線を画すど迫力、GT-Rといえばこれがドリフトしているのだ。
フェラーリ365GT/Bデイトナ
スーパーカーブームの頃、BBと並んで紹介されてたFRにV12を乗っけたフェラーリ。
フェラーリ512BB
南港で開かれたスーパーカーショーを見に行ったな。
カウンタックLP500S
スーパーカーと言ったらコレ。
そして、コレを見るのも目的の一つだったタイレルP34
ティレルではない。
番外編その1
スバルの黒歴史となるF1エンジン 水平対向12気筒で予備予選8回連続落ちで撤退。。。
番外編その2
売り物だが117クーペ。評価はハンドメイドな前期型が高いが、好みは後期型角ヘッドランプの2L DOHCモデル。
後継のピアッツアを見たとき、どうしてこうなったんだと思った人も多かったと思う。
自動車の歴史を辿るようなにコレクションが整然と並べられていて、戦前の海外車両が多くどれも綺麗にレストアしてあって、とても状態が良い。多くはランニングコンディションなのだろう。
まずは言わずと知れたベンツの初号機、もちろんT型フォードもあった。
古いモノはホーとかへーになってしまうので、さりげなく置かれたバイクの写真なんかを載せておく。
別冊MC誌の愛読者として誌面で知った車両ばかりだ。
最初は陸王
祖父がバイク乗りで亡父がバイクの思い出を語る時によく出てきたという縁がある。
若い頃にいつかはハーレーと思って試乗したことがあるが、30年たってもその気がしない。
次はビンセントブラックシャドウ。
1948年に世界最速の量販車として200km超えを達成したバイク。やはり世界最速という響きが良い。
BMW R51/3
戦後に発売された水平対向2気筒の原点だ。成れの果てのR100RSに試乗したことはあるが、これまた若すぎてピンとこなかった。
トライアンフボンネビル
バーチカルツインでまだ日本車が目標としていた頃の名車だ。画像をあげた中で唯一一緒に走ったことがあるが、弾けるようなとても良い排気音を奏でる。
トライアンフトライデント
CB750Fourに対抗して出した3気筒750モデル。オイルが滲んでいるのは実動車の証だ。
CR110とCR72
第1期F1に先んじて二輪で世界をとった頃の市販レーサーでドリーム50の原型だ。
自動車博物館なのでクルマを・・・
プラモを作ったやつからピックアップしておく
ハコスカGTR
高橋国光のマシンだそうだ。市販車と一線を画すど迫力、GT-Rといえばこれがドリフトしているのだ。
フェラーリ365GT/Bデイトナ
スーパーカーブームの頃、BBと並んで紹介されてたFRにV12を乗っけたフェラーリ。
フェラーリ512BB
南港で開かれたスーパーカーショーを見に行ったな。
カウンタックLP500S
スーパーカーと言ったらコレ。
そして、コレを見るのも目的の一つだったタイレルP34
ティレルではない。
番外編その1
スバルの黒歴史となるF1エンジン 水平対向12気筒で予備予選8回連続落ちで撤退。。。
番外編その2
売り物だが117クーペ。評価はハンドメイドな前期型が高いが、好みは後期型角ヘッドランプの2L DOHCモデル。
後継のピアッツアを見たとき、どうしてこうなったんだと思った人も多かったと思う。
終戦記念日の日、河口湖自動車博物館・飛行館へ行ってきた。
家族がそろう8/16の予定だったが、台風襲来で前倒したので息子は別行動。
往路は渋滞もなく順調に河口湖畔のほうとう屋へ安着。
初見の観光客向けの店だが、真夏のほうとうも旨いぞと娘を洗脳した甲斐はあった。出汁の旨みがカボチャで消されていないのが良い。
ここから別行動で飛行館を訪れた。
出迎えてくれたたのは、そこかしこに置かれた一線を退いた自衛隊機たち。
普段は復元作業場になっているのでは?という狭いスペースに、これでもかとコレクションが詰め込まれたカオスな空間が広がっていた。
入口正面に隼二型
天井に隼一型
左手に零戦二一型
右手に零戦五二型
正面 壁側にレストア中の彩雲の機体
一式陸攻のレストア済み機体と桜花
いずれも南洋の戦場に放棄されていたモノをレストアしたもので、途方もない作業が行われたことが容易に見て取れる。
外板は大半が新生だろうが、沈頭鋲で滑らかに仕上げられていた。
実働する唯一という栄12型空冷星形複列14気筒の下にはオイル受けが用意されているところが生々しい。
当時の工業力の低さを表す例としても知られる彗星のアツタ液冷V型12気筒もあった。クランクシャフトが上、シリンダーが下向きの倒立配置で幅が狭くバランスが良さそうだ。
他にもこれでもかと言うほどの展示があったが、これが個人のコレクションというのがすごいことだ。
オーナーはCIBIEの広報活動としてハラダレーシングの代表を勤められた方で、中嶋悟を筆頭にビックリするほどなじみのある名前がぞろぞろ出てくる。
我がGPzもCIBIEに換装してあってお世話になっていると言えるのだろう。眼福だった。
家族がそろう8/16の予定だったが、台風襲来で前倒したので息子は別行動。
往路は渋滞もなく順調に河口湖畔のほうとう屋へ安着。
初見の観光客向けの店だが、真夏のほうとうも旨いぞと娘を洗脳した甲斐はあった。出汁の旨みがカボチャで消されていないのが良い。
ここから別行動で飛行館を訪れた。
出迎えてくれたたのは、そこかしこに置かれた一線を退いた自衛隊機たち。
普段は復元作業場になっているのでは?という狭いスペースに、これでもかとコレクションが詰め込まれたカオスな空間が広がっていた。
入口正面に隼二型
天井に隼一型
左手に零戦二一型
右手に零戦五二型
正面 壁側にレストア中の彩雲の機体
一式陸攻のレストア済み機体と桜花
いずれも南洋の戦場に放棄されていたモノをレストアしたもので、途方もない作業が行われたことが容易に見て取れる。
外板は大半が新生だろうが、沈頭鋲で滑らかに仕上げられていた。
実働する唯一という栄12型空冷星形複列14気筒の下にはオイル受けが用意されているところが生々しい。
当時の工業力の低さを表す例としても知られる彗星のアツタ液冷V型12気筒もあった。クランクシャフトが上、シリンダーが下向きの倒立配置で幅が狭くバランスが良さそうだ。
他にもこれでもかと言うほどの展示があったが、これが個人のコレクションというのがすごいことだ。
オーナーはCIBIEの広報活動としてハラダレーシングの代表を勤められた方で、中嶋悟を筆頭にビックリするほどなじみのある名前がぞろぞろ出てくる。
我がGPzもCIBIEに換装してあってお世話になっていると言えるのだろう。眼福だった。
伯母の一周忌法要に合わせ父実家の墓参りに行ってきた。
父の手続きを済ませたので報告のために立ち寄ることにしたのだ。
父実家の菩提寺に今川義元の首塚があるのは最近知ったばかりだ。
20年か30年振りではあるが場所は覚えているもので迷うことなくたどり着いたが、肝心のお墓は見つけるのに手間取った。
祖父母や伯父が眠る新しい墓はわかったが、その周囲に幾つかあるそれ以前の古い墓はすっかり古びて墓碑銘も消えているのでどれが先祖の墓かは分からなかった。
さらに須ヶ口駅の改札近辺は寂しいもので、お供えの花も買えずなんとも中途半端になったので、いずれ再訪しなくてはならない。
もう一つ寄りたかったのは清洲城公園で、帰省した際にいつも連れて行かれ、夏は虫取り、冬は凧揚げか何かをやっていた思い出がある。
当時の雰囲気は色濃く残っていて懐かしかったが、こんなに小さくて近かったのか?と思う公園だった。
清洲城は帰省していた頃には無く、初めて訪れたが清洲公園から五条川と新幹線などJRを挟んだ対岸に建てられていた。
新幹線からよく見え、父実家近所なのでいつでも行けると感じていたが、再建後からもう30年以上経つ。
濃尾平野の真ん中らしく4階の展望階から周囲が一望できた。
信長時代にこんな立派な天守はなく後の織田信雄によって近代城郭として整備され、家康が名古屋城へ移転させたので廃城となったもの。
城下町も移転し清洲は美濃街道の宿場町として残ってきた。清洲町あるいは清須市として名古屋市に吸収されないのは、そのような流れから名古屋に合流することを良しとしないからと聞いたことがある。
名古屋市中心部の高層ビル群に混じって名古屋城がはっきり見え、清洲越しと呼ばれる名古屋移転の距離感はよく分かる。
父は清洲から名古屋城がよく見えたと話していたが、どこから見ていたのだろうか。
父の手続きを済ませたので報告のために立ち寄ることにしたのだ。
父実家の菩提寺に今川義元の首塚があるのは最近知ったばかりだ。
20年か30年振りではあるが場所は覚えているもので迷うことなくたどり着いたが、肝心のお墓は見つけるのに手間取った。
祖父母や伯父が眠る新しい墓はわかったが、その周囲に幾つかあるそれ以前の古い墓はすっかり古びて墓碑銘も消えているのでどれが先祖の墓かは分からなかった。
さらに須ヶ口駅の改札近辺は寂しいもので、お供えの花も買えずなんとも中途半端になったので、いずれ再訪しなくてはならない。
もう一つ寄りたかったのは清洲城公園で、帰省した際にいつも連れて行かれ、夏は虫取り、冬は凧揚げか何かをやっていた思い出がある。
当時の雰囲気は色濃く残っていて懐かしかったが、こんなに小さくて近かったのか?と思う公園だった。
清洲城は帰省していた頃には無く、初めて訪れたが清洲公園から五条川と新幹線などJRを挟んだ対岸に建てられていた。
新幹線からよく見え、父実家近所なのでいつでも行けると感じていたが、再建後からもう30年以上経つ。
濃尾平野の真ん中らしく4階の展望階から周囲が一望できた。
信長時代にこんな立派な天守はなく後の織田信雄によって近代城郭として整備され、家康が名古屋城へ移転させたので廃城となったもの。
城下町も移転し清洲は美濃街道の宿場町として残ってきた。清洲町あるいは清須市として名古屋市に吸収されないのは、そのような流れから名古屋に合流することを良しとしないからと聞いたことがある。
名古屋市中心部の高層ビル群に混じって名古屋城がはっきり見え、清洲越しと呼ばれる名古屋移転の距離感はよく分かる。
父は清洲から名古屋城がよく見えたと話していたが、どこから見ていたのだろうか。
父を見送った。
大動脈乖離を乗り越え、それで見つかったステージ4のガンも寛解に持ち込んだが、COPDとの闘いが始まりゴルフ三昧に復帰することは叶わなかった。元気だった頃、父とラウンドして何度もけちょんけちょんにされたが、私がゴルフを止めずに続けていれば闘病の励みになったのでは?と心残りに思っている。
生前、子供の世話にはならないと語っていたとおり、自ら愛車を運転して診察や買い物に行っていたし救急搬送された日すら自ら運転していくつもりが叶わなかったらしい。
自立にこだわった父だが今回の入院後は起き上がる事もままならず、不意に立とうとして転倒しひどく落ち込んだりもした。小康状態を挟みつつ次第に悪くなったが、息を引き取る2日前に立ち上がって看護士を驚かせたりもした。その日、見舞いに行ったら立ったぞと告げられたが、最後の矜持だったのだろう。
摺り傷一つ無いほど丁寧な運転だったが、最近帰るたびに摺り傷が増えていた。高齢者の事故報道が相次ぐ中、免許返納を言いだす事を何度となく考えたが、老々介護生活が成り立つ重要な要素でもあり、最後までそれを言い出すことは出来なかった。遺品となった父の愛車は母の介護専用として使い続ける様に手続きを済ませている。
高級車が高速道路で全自動運転するより、高齢者の衝突防止に重きを置いたクルマの普及を進めて欲しいものだ。電池問題が未解決なEVに補助金出すなら、安価な足車に衝突防止装置を後付けすることを助成する方が重要だと思う。多くの人がいずれたどる道だ。
残された母も自立した生活はもう望めなくなった。
介護サービスは何度も話をしたこともあって、父の入院を機に手続きを始めようやく見守り環境が整いつつある。いずれは横浜へ来てもらうだろうが、亡父の片付けを済ませ、本人を含めその機が熟してからである。
今はやたら時間が掛かるお役所仕事をとっとと済ましてしまいたい。
大動脈乖離を乗り越え、それで見つかったステージ4のガンも寛解に持ち込んだが、COPDとの闘いが始まりゴルフ三昧に復帰することは叶わなかった。元気だった頃、父とラウンドして何度もけちょんけちょんにされたが、私がゴルフを止めずに続けていれば闘病の励みになったのでは?と心残りに思っている。
生前、子供の世話にはならないと語っていたとおり、自ら愛車を運転して診察や買い物に行っていたし救急搬送された日すら自ら運転していくつもりが叶わなかったらしい。
自立にこだわった父だが今回の入院後は起き上がる事もままならず、不意に立とうとして転倒しひどく落ち込んだりもした。小康状態を挟みつつ次第に悪くなったが、息を引き取る2日前に立ち上がって看護士を驚かせたりもした。その日、見舞いに行ったら立ったぞと告げられたが、最後の矜持だったのだろう。
摺り傷一つ無いほど丁寧な運転だったが、最近帰るたびに摺り傷が増えていた。高齢者の事故報道が相次ぐ中、免許返納を言いだす事を何度となく考えたが、老々介護生活が成り立つ重要な要素でもあり、最後までそれを言い出すことは出来なかった。遺品となった父の愛車は母の介護専用として使い続ける様に手続きを済ませている。
高級車が高速道路で全自動運転するより、高齢者の衝突防止に重きを置いたクルマの普及を進めて欲しいものだ。電池問題が未解決なEVに補助金出すなら、安価な足車に衝突防止装置を後付けすることを助成する方が重要だと思う。多くの人がいずれたどる道だ。
残された母も自立した生活はもう望めなくなった。
介護サービスは何度も話をしたこともあって、父の入院を機に手続きを始めようやく見守り環境が整いつつある。いずれは横浜へ来てもらうだろうが、亡父の片付けを済ませ、本人を含めその機が熟してからである。
今はやたら時間が掛かるお役所仕事をとっとと済ましてしまいたい。
22年振りに浜田省吾のライブに行ってきた。
「SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2023 Welcome back to The Rock Show youth in the “JUKEBOX”」という長いツアータイトルで運良く第一希望の横浜アリーナ初日が当たった。
ちょいと早めに出てグッズを物色し、ツアートラックの撮影をしてヒマを潰した。
会場前は中高年一色でまぁ当然ではある。
初めて行ったときと同じオープニングに始まってJ.boyまでのアルバムから選ばれたセットリストで全曲10代の頃から聞き込んだ曲ばかり。
70になった浜田省吾は昔のままの声で全く衰えてない様に感じた。キーを下げたりテンポも落ちてない。シルバーグレイの髪色や大人しくなったステージアクションは年齢相応だが、まだまだライブを見に行けるのかも知れない。
シートは3Fスタンド席で豆粒が動いているようなものだったが、センターステージの数曲はモニターが正面に降りてきて、同じ大きさで生の浜田省吾が歌うという良席だった。
「SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2023 Welcome back to The Rock Show youth in the “JUKEBOX”」という長いツアータイトルで運良く第一希望の横浜アリーナ初日が当たった。
ちょいと早めに出てグッズを物色し、ツアートラックの撮影をしてヒマを潰した。
会場前は中高年一色でまぁ当然ではある。
初めて行ったときと同じオープニングに始まってJ.boyまでのアルバムから選ばれたセットリストで全曲10代の頃から聞き込んだ曲ばかり。
70になった浜田省吾は昔のままの声で全く衰えてない様に感じた。キーを下げたりテンポも落ちてない。シルバーグレイの髪色や大人しくなったステージアクションは年齢相応だが、まだまだライブを見に行けるのかも知れない。
シートは3Fスタンド席で豆粒が動いているようなものだったが、センターステージの数曲はモニターが正面に降りてきて、同じ大きさで生の浜田省吾が歌うという良席だった。
戸籍抄本をコンビニで手に入れようと思ったら、イライラの連続だった。
仕事に切りを付けた19:00頃に行き、本籍地の市名を選択したら、”現在お取り扱いできません”!!!
まさか政令指定都市が電子対応してない訳が無かろうと、別会社のコンビニでトライしても同じ結果だ。
そこでググったら、なんと役所定時の9~17時しか取り扱わないとのこと。
DB検索して印字するだけのプロセスに定時もへったくれも無い。昭和のATMかよ。
まさか、コンビニ端末からFAXで申請が送られて、それを職員が入力し直して印刷指令を出している訳じゃなかろうか?
大体、時間外なら申請プロセスに入る段階でエラーだから、タッチ選択した段階でエラーとその原因を出すべきだ。
アホなソフトのお陰で別コンビニでトライするという無駄な時間を使わされイラッとしてしまった。
こういう糞ソフトを作る奴の言い訳は仕事柄聞き飽きている。糞みたいな手抜きをして
改めて家に帰って調べたら県外居住者は戸籍の証明を入手するために申請手続きが必要で、それに5開庁日も掛かるのだそうだ。
アホかと。 5開庁日も一体何にそんな時間が掛かるのか?
そもそもマイナンバーカードに住所や戸籍は紐付いているのに申請手続き自体が意味不明だ。
マイナンバーカードを取得する段階で全国どこからでも取得可能にするだけなのに、わざわざ個別申請にして無意味な手続きを残す意味が分からない。
多分、申請書を印刷してハンコを押して回る係の雇用に役立たせるためなんだろう。
翌日、申請から出直した。
その手続きには本籍地を正確に入力しなければ受け付けないという罠があるが、誰が一々本籍地まで正確に覚えてるんかと。
日本語には表記ブレがあって三丁目十番十五号、3丁目10番15号、3丁目10番15号、3-10-15、3-10-15 これら人様には同じでも計算機的には全く違う。
何を持って正確というのか・・・
そもそもマイナンバーカードは本人認証のために有るんじゃ無いのか?
挙げ句のはてに審査すると申請結果に出てきた。
イライラはMAXに達し、なんでそんなことをいちいち審査されなあかんのやと思った。
デジタル大臣さん、どうにかならんかね?
そもそも、申請だけなら何故PCやスマホで出来ないの?
仕事に切りを付けた19:00頃に行き、本籍地の市名を選択したら、”現在お取り扱いできません”!!!
まさか政令指定都市が電子対応してない訳が無かろうと、別会社のコンビニでトライしても同じ結果だ。
そこでググったら、なんと役所定時の9~17時しか取り扱わないとのこと。
DB検索して印字するだけのプロセスに定時もへったくれも無い。昭和のATMかよ。
まさか、コンビニ端末からFAXで申請が送られて、それを職員が入力し直して印刷指令を出している訳じゃなかろうか?
大体、時間外なら申請プロセスに入る段階でエラーだから、タッチ選択した段階でエラーとその原因を出すべきだ。
アホなソフトのお陰で別コンビニでトライするという無駄な時間を使わされイラッとしてしまった。
こういう糞ソフトを作る奴の言い訳は仕事柄聞き飽きている。糞みたいな手抜きをして
改めて家に帰って調べたら県外居住者は戸籍の証明を入手するために申請手続きが必要で、それに5開庁日も掛かるのだそうだ。
アホかと。 5開庁日も一体何にそんな時間が掛かるのか?
そもそもマイナンバーカードに住所や戸籍は紐付いているのに申請手続き自体が意味不明だ。
マイナンバーカードを取得する段階で全国どこからでも取得可能にするだけなのに、わざわざ個別申請にして無意味な手続きを残す意味が分からない。
多分、申請書を印刷してハンコを押して回る係の雇用に役立たせるためなんだろう。
翌日、申請から出直した。
その手続きには本籍地を正確に入力しなければ受け付けないという罠があるが、誰が一々本籍地まで正確に覚えてるんかと。
日本語には表記ブレがあって三丁目十番十五号、3丁目10番15号、3丁目10番15号、3-10-15、3-10-15 これら人様には同じでも計算機的には全く違う。
何を持って正確というのか・・・
そもそもマイナンバーカードは本人認証のために有るんじゃ無いのか?
挙げ句のはてに審査すると申請結果に出てきた。
イライラはMAXに達し、なんでそんなことをいちいち審査されなあかんのやと思った。
デジタル大臣さん、どうにかならんかね?
そもそも、申請だけなら何故PCやスマホで出来ないの?
2017年春から使い続けたIQOSからPloomXへ鞍替えすることにした。
この2年はIQOS 3multi/3duoの2台体制だったが、電池劣化が顕著で煙草スティックの販売縮小も始まって買い替えを迫られていた。
後継のIQOS ILUMAは煙草スティックが共用できず、お得なキャンペーンが少ないのが悩みのタネだ。
寒くなって調子が悪いことが増えたところにPloomXの乗り替え割780円というキャンペーンが目に付いて申し込んでみた。デバイス登録やLINE連携でクーポン1000円分とLINE 500ポイントが貰えるので、なかなかお得感はある。
煙草スティックはキャメルブランドならIQOS HEETSより1箱辺り50円安く、2台目も乗り替え割が適用出来るのでデバイス代が計1,560円とお財布にも優しい。
届いたデバイスは質感が高く、持っても軽すぎず中々良い仕上げと感じた。紙巻きと違って握り込んで吸うが、そこはIQOSでも同じだ。
メビウスのスムースとキャメルのリッチをIQOS HEETS SHILVERと吸い比べたが、リッチは最初の2~3パフのキック感がかなり強くIQOSより正直きつい。朝一など喉に引っかかって咳込むほどだが、きついのは中盤までで後半にかけマイルドになっていく。スムースは最初こそIQOS並だが中盤以降は少し物足らなくなる。
匂いはIQOSと同質で強さも大きくは変わらない。匂いが付かないとか残り香がほぼ無いという美点は同じだ。
IQOSとの相違はニコチン量でPloomXの公表値は0.1mg/6パフで1本当たり0.2mg、IQOSの1.32mg/本=12パフを大きく下回る。
吸ったことの有る加熱式煙草では高温加熱式GLOが0.46mg、低温加熱式のPloomTECHは0.1mgだ。
加熱温度にカギがある様で、300℃以上のICOSと295℃のPloomXが合格ラインで、240℃のGLOは物足らず、30℃のPloomTECH は吸った感がない様に感じる。
紙巻きではニコチン量と吸いごたえは相関すると感じてきたが、加熱式ではニコチン量は関係ないらしい。
同じIQOSでも吸いごたえは3duo > 3multiで、3multiは吸った後の焦げ跡が明らかに少なく加熱温度が少し低いのだろう。
まぁ、お財布に優しく、ニコチン量が大幅に減って本数も増えていないので、良い乗り替え先があったということだ。
と言うことで、思うように単車に乗れず弄ることも出来なかった2022年の更新は終わり。
来年はツーリングに出掛ける機会も1100を弄る機会も増やせるはずだ。
この2年はIQOS 3multi/3duoの2台体制だったが、電池劣化が顕著で煙草スティックの販売縮小も始まって買い替えを迫られていた。
後継のIQOS ILUMAは煙草スティックが共用できず、お得なキャンペーンが少ないのが悩みのタネだ。
寒くなって調子が悪いことが増えたところにPloomXの乗り替え割780円というキャンペーンが目に付いて申し込んでみた。デバイス登録やLINE連携でクーポン1000円分とLINE 500ポイントが貰えるので、なかなかお得感はある。
煙草スティックはキャメルブランドならIQOS HEETSより1箱辺り50円安く、2台目も乗り替え割が適用出来るのでデバイス代が計1,560円とお財布にも優しい。
届いたデバイスは質感が高く、持っても軽すぎず中々良い仕上げと感じた。紙巻きと違って握り込んで吸うが、そこはIQOSでも同じだ。
メビウスのスムースとキャメルのリッチをIQOS HEETS SHILVERと吸い比べたが、リッチは最初の2~3パフのキック感がかなり強くIQOSより正直きつい。朝一など喉に引っかかって咳込むほどだが、きついのは中盤までで後半にかけマイルドになっていく。スムースは最初こそIQOS並だが中盤以降は少し物足らなくなる。
匂いはIQOSと同質で強さも大きくは変わらない。匂いが付かないとか残り香がほぼ無いという美点は同じだ。
IQOSとの相違はニコチン量でPloomXの公表値は0.1mg/6パフで1本当たり0.2mg、IQOSの1.32mg/本=12パフを大きく下回る。
吸ったことの有る加熱式煙草では高温加熱式GLOが0.46mg、低温加熱式のPloomTECHは0.1mgだ。
加熱温度にカギがある様で、300℃以上のICOSと295℃のPloomXが合格ラインで、240℃のGLOは物足らず、30℃のPloomTECH は吸った感がない様に感じる。
紙巻きではニコチン量と吸いごたえは相関すると感じてきたが、加熱式ではニコチン量は関係ないらしい。
同じIQOSでも吸いごたえは3duo > 3multiで、3multiは吸った後の焦げ跡が明らかに少なく加熱温度が少し低いのだろう。
まぁ、お財布に優しく、ニコチン量が大幅に減って本数も増えていないので、良い乗り替え先があったということだ。
と言うことで、思うように単車に乗れず弄ることも出来なかった2022年の更新は終わり。
来年はツーリングに出掛ける機会も1100を弄る機会も増やせるはずだ。