バタバタしてブログを書く暇が無い今日この頃で、1ヶ月近く前の出来事。
ビーナスライン再訪を考えていた出発前夜、どうせならほぼ行ったことが無い福島だろうと思いついた。
遠いのでルートは極力シンプルに茨城の大洗まで高速、そこから浜通りで浪江町まで北上し、中通りで栃木まで戻ったら高速で戻る事にした。福島県内は一般道縛りである。
準備不足のため出発が8:00頃、大洗から東海村へ到着したのは11時前。
今回は否が応でも原発を避けて通れないが、原子力科学館は酷く寂れた感じで周辺図の文字も読み取れなくなっている。
ここから30分くらいで福島県だろうと安易に考えていたら、茨城の長いこと・・・ 筑波山を横目に過ぎて関東平野の雰囲気が無くなってもひたすら茨城県が続く。手強い競合他社の本拠地を拝めたのは一興だったが、淡々と時間が過ぎていく。
取りあえずこれで関東の沿岸部は全て走破し、ツーリング目標が少し進捗したので良しとしよう。
午前中には福島入りの目論見だったが、30分ほど遅れて福島県境を越えたところの勿来町の食堂で天ざる蕎麦を頂いた。
天ぷらが美味しく、多すぎると感じたがあっさり完食した。
小名浜のアクアマリンふくしまに立ち寄りたかったが、先を急ぐのでパス。R6は勿来から急にグレードアップして上下4車線の高規格な国道に整備され太平洋の展望が望めないのが残念だが、遅れを取り戻すには丁度良くペースを上げて北上した。当然の様に白バイ覆面の狩り場で、何台も捕まっているのを目撃したのでスチャラカ走る訳には行かない。
1時間ほど走ったところで無給油300kmに到達。警告灯は点いてないので360km以上は走れる事になる。今回の省燃費は予想していたが、想定以上の結果と喜んでいたら唐突にこんな看板が・・・
直前の楢葉町までは被災地というより復興している景色がメインだったが、ここから北は原子力災害が今も続く地域だ。程なく富岡町に入ると静かに朽ちていく街並みに変貌し、快晴の穏やかな景色にも関わらず気分は陰鬱になってくる。R6から左右に分かれる生活道路はいずれも帰還困難地域で立ち入れなくされていた。
給油しようとGoogleさんに聞いたら、常磐線夜ノ森駅の近くにスタンドがあるとのこと。夜ノ森駅方面は問題無く立ち入れたが、周辺は区画整理された新興の住宅地のようで新しめの建て売りやアパートが建っているが、人気は全く無いゴーストタウンだった。除染作業員か何かの工事関係者くらいしか見当たらず、スタンドも関係者用に設けてあるらしい。復興の証として駅は再建されているが、ここに乗客が行き交う時は何時になるのだろうか・・・
広島で育ったが復興した街並みしか知らない訳で、被爆地を感じさせるものは保存されたものだけだ。河原や工事で掘削すると原爆瓦が出てくるとかの話は有るが、空襲から復興した他の都市でも同じようなことはあるだろう。実験台となった広島やその後の知見がこの地の復興を妨げているとすれば、知らずに復興した広島は恵まれていたのだ。
ガソリン補給を済ませ鉄腕ダッシュでお馴染みの浪江町の道の駅に向かった。今回は福島にお金を落とすべく、食事もお土産も給油も福島県内に限るという縛りを設けたので、ここでお土産ゲットが目論見だ。
道の駅周辺は幾分賑わいがあって前に進んでいる事が分かるが、周りは立ち入り禁止が続いていてダッシュ村の再興は当分無いと思われる。
浪江町からR459で福島に向かう予定だったが、二輪は線量が高く通行止めのためK35で双葉町まで戻ってR288で郡山へ向かうことにした。途中の枝道は監視員かバリケードで封鎖されていてR6とK35で南北の行き来が確保されているだけだ。ただ、K35とR288の田村市までは今回のツーリングで唯一と言って良いワインディングで、被災地から離れ一山越えた頃にツーリングの気分が戻ってきた。
郡山からはR4で白河を目指した。お目当ては白河ラーメンで、出てきたのがコレ。
サッポロ一番醤油とニチレイの本格炒飯の方が・・・
白河ラーメンを食べたことにはしないでおく。
日が暮れてグッと気温が下がったが、革ジャケだったのでむしろ快適で、那須塩原から東北道、首都高を使って戻ってきた。
バイク小屋に仕舞ったのは23:00時頃。
走行距離720kmで下道、高速半々、燃費は24.5km/l、久し振りのロングになった。
ビーナスライン再訪を考えていた出発前夜、どうせならほぼ行ったことが無い福島だろうと思いついた。
遠いのでルートは極力シンプルに茨城の大洗まで高速、そこから浜通りで浪江町まで北上し、中通りで栃木まで戻ったら高速で戻る事にした。福島県内は一般道縛りである。
準備不足のため出発が8:00頃、大洗から東海村へ到着したのは11時前。
今回は否が応でも原発を避けて通れないが、原子力科学館は酷く寂れた感じで周辺図の文字も読み取れなくなっている。
ここから30分くらいで福島県だろうと安易に考えていたら、茨城の長いこと・・・ 筑波山を横目に過ぎて関東平野の雰囲気が無くなってもひたすら茨城県が続く。手強い競合他社の本拠地を拝めたのは一興だったが、淡々と時間が過ぎていく。
取りあえずこれで関東の沿岸部は全て走破し、ツーリング目標が少し進捗したので良しとしよう。
午前中には福島入りの目論見だったが、30分ほど遅れて福島県境を越えたところの勿来町の食堂で天ざる蕎麦を頂いた。
天ぷらが美味しく、多すぎると感じたがあっさり完食した。
小名浜のアクアマリンふくしまに立ち寄りたかったが、先を急ぐのでパス。R6は勿来から急にグレードアップして上下4車線の高規格な国道に整備され太平洋の展望が望めないのが残念だが、遅れを取り戻すには丁度良くペースを上げて北上した。当然の様に白バイ覆面の狩り場で、何台も捕まっているのを目撃したのでスチャラカ走る訳には行かない。
1時間ほど走ったところで無給油300kmに到達。警告灯は点いてないので360km以上は走れる事になる。今回の省燃費は予想していたが、想定以上の結果と喜んでいたら唐突にこんな看板が・・・
直前の楢葉町までは被災地というより復興している景色がメインだったが、ここから北は原子力災害が今も続く地域だ。程なく富岡町に入ると静かに朽ちていく街並みに変貌し、快晴の穏やかな景色にも関わらず気分は陰鬱になってくる。R6から左右に分かれる生活道路はいずれも帰還困難地域で立ち入れなくされていた。
給油しようとGoogleさんに聞いたら、常磐線夜ノ森駅の近くにスタンドがあるとのこと。夜ノ森駅方面は問題無く立ち入れたが、周辺は区画整理された新興の住宅地のようで新しめの建て売りやアパートが建っているが、人気は全く無いゴーストタウンだった。除染作業員か何かの工事関係者くらいしか見当たらず、スタンドも関係者用に設けてあるらしい。復興の証として駅は再建されているが、ここに乗客が行き交う時は何時になるのだろうか・・・
広島で育ったが復興した街並みしか知らない訳で、被爆地を感じさせるものは保存されたものだけだ。河原や工事で掘削すると原爆瓦が出てくるとかの話は有るが、空襲から復興した他の都市でも同じようなことはあるだろう。実験台となった広島やその後の知見がこの地の復興を妨げているとすれば、知らずに復興した広島は恵まれていたのだ。
ガソリン補給を済ませ鉄腕ダッシュでお馴染みの浪江町の道の駅に向かった。今回は福島にお金を落とすべく、食事もお土産も給油も福島県内に限るという縛りを設けたので、ここでお土産ゲットが目論見だ。
道の駅周辺は幾分賑わいがあって前に進んでいる事が分かるが、周りは立ち入り禁止が続いていてダッシュ村の再興は当分無いと思われる。
浪江町からR459で福島に向かう予定だったが、二輪は線量が高く通行止めのためK35で双葉町まで戻ってR288で郡山へ向かうことにした。途中の枝道は監視員かバリケードで封鎖されていてR6とK35で南北の行き来が確保されているだけだ。ただ、K35とR288の田村市までは今回のツーリングで唯一と言って良いワインディングで、被災地から離れ一山越えた頃にツーリングの気分が戻ってきた。
郡山からはR4で白河を目指した。お目当ては白河ラーメンで、出てきたのがコレ。
サッポロ一番醤油とニチレイの本格炒飯の方が・・・
白河ラーメンを食べたことにはしないでおく。
日が暮れてグッと気温が下がったが、革ジャケだったのでむしろ快適で、那須塩原から東北道、首都高を使って戻ってきた。
バイク小屋に仕舞ったのは23:00時頃。
走行距離720kmで下道、高速半々、燃費は24.5km/l、久し振りのロングになった。
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