活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

「マカオ熱?」再燃

2012-02-09 09:49:02 | 活版印刷のふるさと紀行
 松藤正利さんという名前は私にとって忘れようがありません。
いまから10年以上前、日本最初の活版印刷の誕生の地を訪ねて島原半島の
加津佐町を訪ねたとき、教育委員会の主事をしておられ、みずからハンドル
を握って、コンスタンチノ・ドラードたちが1591年(天正19)に印刷
所をつくった場所とされている「天辺の丘」へ案内いしてくださったその人で
す。いわば私の活版印刷紀行のサポーター第1号にあたる方ともいえます。

 昨日は今冬はじめての雨があがって気分爽快、散らかし放題の机の周辺の片
づけにとりかかりましたら、見覚えはありますが中身不明のCDを発見しまし
た。さっそく再生してみましたら、ずっと以前長崎テレビが制作した『それか
らの少年使節』でした。思い出しました。松藤正利さんが送ってくださったも
のと記憶しています。

 「少年使節」とありますように伊東マンショ以下4人の天正少年使節が主人
公で、残念ながら彼らの従者としてローマへの旅に同行し日本に活版印刷術を
もたらしたコンスタンチノ・ドラードの名前はいっさい出て来ていません。
 しかし、うれしいことに故若桑みどりさんが登場して、アレッサンドロ・ヴ
ァリニャーノが日本を西洋と出会わせ、日本に西洋の知識・学問・文化をもた
らし、印刷術を招来させたことを使節派遣の成果と強調しておられるではあり
ませんか。

 また、番組中で天正少年使節がローマへの航海で往復で3年近く滞在した
マカオが丁寧に紹介されていました。「千々石(ちじわ)ミゲル」のものらしい
お墓を発見された石造物研究家大石一久さんがマカオの町を探索される場面も
ありました。

 このCDをみているうちに、俄然、私の「マカオ熱?」が再燃いたしました。
実はいつもご紹介する神田川大曲塾でもこの4月からの次年度企画に「印刷文化
のふるさと訪問」候補地にマカオがあがっています。
 私個人としてはすでに訪ねたこともありますので、日本の活版印刷誕生にゆか
りの深いマカオについて次回から1,2度ご紹介することにしましょう。
写真はマカオのシンボル聖ポール天主堂です。



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