活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

東京の水路と日本橋川、神田川

2012-02-16 10:01:43 | 活版印刷のふるさと紀行
 日本橋のギャラリーを出て銀座まで歩くことにしました。日本橋のたもとで
大勢の人が川面をのぞきこんでいます。何事ならんやとつられて見たら、平底
の小さな船に青いカッパを来た集団が橋を見上げて手を振っています。

 日本橋がクリーニングされたことは報道で知っていますが、頭を高速道路に
押さえ込まれて橋の存在そのものが空に抜けていないので、せっかくの格調高
い獅子や麒麟の橋柱や道路元標のシンボルも冴えないし、お江戸日本橋を誇示
できないとはお気の毒であります。

 だから、下、日本橋川にご注目というわけではなくって、この青カッパの船
は恐らく最近の「東京の水路を見直すキャンペーン」の一つでありましょう。
 私自身も3年前、豊洲のららぽーとから300mほど上流の晴海運河沿いに
住んでみてはじめて東京の水路に目を向けるようになりました。

 ららぽーとのアーバンドッグから浅草行きの水上バスに乗れば、隅田川にか
かる橋名のアナウンスを聞きながらあっという間に浅草ですし、同じマンショ
ンの住人でモーターボート趣味の人が隅田川から日本橋川、神田川と水路探索
を楽しんでいる話を聞くとついつい、「そうか、東京も水路で通じる都なのだ」
とうれしくなってしまいます。

 たしか日本橋は家康が征夷大将軍になったお披露目で1603(慶長8)に
大枚千両で改築したと聞いていますが、江戸の中心として「橋上貴賤の来往昼
夜絶えず」の歴史をたどり、いまや重要文化財、そして最近はまた、周辺の再
開発で盛り場に戻りつつあります。
ここで、ひとこといいたくなりました。日本橋川もさることながら、明治以来、
東京の学術・文化・芸術・政治の中心になったのは神田川流域です。
私が取り組んでいる印刷文化も神田川流域に育ち、発展してきました。だから、
神田川大曲塾。これはオチです。サゲかな。 




 

コメント (1)
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