活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

鈴木真砂女のふるさと

2012-02-22 10:15:47 | 活版印刷のふるさと紀行
 前回、書きました鴨川で思わぬ出会いがありました。
平成15年に96歳で亡くなった女流俳人鈴木真砂女(まさじょ)さんです。
鴨川グランドホテルのフロントにここに掲げたようなリーフレットがあって、
そうか、彼女はご当地出身、しかも房総でも名の通った旅館だったという生家
がこのホテルの前身だったとは。その証拠にちゃんとホテル地下一階に記念館
がありました。

 真砂女は「恋の句をたくさん詠んだ女流俳人」だとか「燃える情熱の女俳人」
とかいわれておりますが、生涯の多くを「昭和」に過ごしたために言われるだけ
で、いまだったら、ごくふつう、むしろ自分の人生にひたむだった人、純愛の人
だったといえるのではないでしょうか。

 恋愛をして、嫁いで、一女をなしたものの、夫の博奕が原因で出戻り、生家の
旅館をきりもりしている姉を手伝う。姉の急死で心ならずも義兄と再婚したが、
客として泊まった海軍士官に恋をして転属先の長崎大村まで追いかける。
 たしかに姦通罪のある時代でした。、妻帯者との恋、奔放といえば奔放、不倫
といえば不倫ですが、《羅(うすもの)や 人悲します恋をして》この句ひとつ
で彼女の悔やみつつ、のめりこんでゆく心情が理解できます。
 
 いったんは夫に許されるものの、50歳で離婚、銀座に小料理屋「卯波」を出
します。《あるときは 舟より高き卯波かな》 店名はこの句からですが真砂女
が真摯に向き合っている人生がここにもあります。

 私が好きな句は《鴨引くや 人生うしろふりむくな》であり、《来てみれば 
花野の果ては海なりし》のふたつです。ふりむくな、ふりむくなといいきかせても
つい、あれこれと来し方を顧みてしまう人としての心情、そして華やいだ時もある
けれど広漠とした海にやがては罪業もろとも呑みこまれてしまう人生。彼女はおそ
らく人生の節目節目に向かいあった鴨川の海をそこに重ねて見ていたはずです。

 卯波時代、わずかな月日真砂女さんは一筋に愛した人と共に送る幸せの日々が
ありました。しかし、その人の奥さんの許しを得て黄泉送りをせねばならなかっ
たのです。彼女モデルの瀬戸内寂聴『いよいよ華やぐ』・丹羽文雄『天衣無縫』
私だったら表題をもう少し考えたい気がします。
コメント
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