わが知識不足を告白するようで恥ずかしいのですが、こんなことがありました。
普通、本の最終ページにある発行月日や著者名や発行所名や所在地、、印刷所名や第〇版などを記載するあの「奥付け」のことです。
いまは定価は表紙カバーなどに印刷されるので、奥付けで定価を確かめることはありませんが、出版社や印刷会社にいたときの癖で、つい、私は印刷はどこの会社だろうか、製本所はどこだろうかと、本を手にすると必ず奥付けを見てしまいます。
その話は置いておいて、先日、早稲田大学の雪嶋宏一さんにインキュナビラ(欧米で1500年以前に活版印刷で刷られた印刷本)の話をうかがったときにグーテンベルクの42行聖書はもちろんのこと、15世紀、いわゆるインキュナビラの時代には印刷者の名前を記載する慣例はなかったと聞きました。そういえば、グーテンベルクの印刷ではないという論文を読んだことがありますのに、奥付けまで思いを至らせなかったとは、われながら不注意でした。
インキュナビラまで遡らなくとも、私は印刷初期から体裁はとにかく、本に奥付けはつきものだと思ってしまっていました。たとえば、日本ではじめて金属活字で印刷したキリシタン版などには表紙や扉に奥付けふうの記載があります。
とくにコンスタンチノ・ドラードが帰国途中、インドのゴアではじめて『マルチノの演説』を印刷したとき、「ゴアのイエズス会の館にて日本人コンスタンチノ・ドラード、これを整版,ご降誕以来千五百八十九年」と表題の下に入れたのはまさに、奥付けだったのです。こんなことからも書物には奥付けがつきものと思いこんでおりました。 (この項つづく)
12月の声を聞いてしまうと皇帝ダリアもやや元気がないみたいです。