一昨日に茨城県で起きた竜巻による被害の映像は衝撃的でした。
昨年の地震で自然の力をまざまざと見せ付けられたばかりなのに、またしても多くの人が家を失うことに…
明日何が起こるかわからない。
わかっていても、なかなか意識を変えるって難しいですよね。
GW(ゴールデンウィーク)中には山での遭難事故も多発しました。
山の天気は変わりやすい…わかっているはずなのに。
中にはベテラン登山家の方もいらっしゃったとか。
GWも人間の立てた計画も、自然には関係ないですからね。
十年かけた計画だろうと、その日の天候が悪ければ中止にする。
その昔、長野県警察本部が山で遭難した人の遺族の手記を集め、「山に祈る」という小冊子を発行して、遭難防止を訴えたことがあったそうです。
その手記の巻頭に載った文章を使い、合唱組曲として男声ボーカルグループ、ダークダックスが清水修氏に作詞作曲を依頼した曲が、「山に祈る」という題名で、今も歌われています。
遭難した大学生が残した登山日記、そして遺族である母親の手記が朗読という形で合唱の合間に挿入されるのですが、間奏に朗読されるその手記と合唱の一部を少しだけ引用してみましょう…
(朗読)
あれから一年経ちました。
あの日、庭の梅の花が咲いて、春を告げていまいた。
あと二日経てば、お前が山から帰ってくるはずなので、母さんは、お前の机の花びんに押しておこうと、梅のひと枝を折りとりました。(中略)
その時です。忘れもしません。ほんとうにその時でした。
一通の電報が、母さんを地獄の底へ突き落としてしまいました。
手にした梅の枝をとり落としたのにも気付かなかったのです。
母さんの心の中のものを、何もかも一どきに変えてしまったのです。
遭難。お前が山で遭難したのです。
(朗読)
早くみなに会いたかった。大天井まで来る。キャンプは近い。
吹雪でトレースわからず。十六時、ビバーク地探す。
山の天候のカンをあやまったようだ。きょうはビパークか。
(朗読)
三月五日。午前七時五分。依然として吹雪おさまらず。
昨日の五時より十四時間と十五分たった。
昨夜は六時間ほど眠ったが、場所がよくないので寝苦しかった。
寒い。
(朗読)
大学の卒業を前にして、就職も決まったというのに、誠は逝ってしまった。
悪夢なら醒めることもありましょう。
「お母さん、只今!」という元気な声が、今にも戸口から聞こえてくるようです。
お嫁さんや結婚式場のことまで想像して、母さんの胸は幸福にふくらんでいました。
だのに、だのに……
(朗読)
十二時二十五分、依然、吹雪はげし。この吹雪は永くは続くまい。
明日はよくなろう。寒い。がまんが大切。(中略)
十五時十五分。吹雪おとろえず。視界きかず。
なぜ一人で無理をしたのか。
下半身が凍って動かない。
お母さんのことを思うとどうしても帰りたい。
(合唱)
お母さん、ごめんなさい。
やさしいお母さん、ごめんなさい。
ゆたか、やすし、順子よ、すまぬ。
お母さんをたのむ。
(朗読)
手の指、凍傷で、思うことの千分の一も書けず。
全身ふるえ。
ねむい。
(合唱)
お母さん、ごめんなさい。
やさしいお母さん、ごめんなさい。
さきに死ぬのを許して下さい。
(朗読)
山でうぬぼれず、つねに自重すること。
(合唱)
お母さん、ごめんなさい。
やさしいお母さん、ごめんなさい。
もう10年以上昔のことですが、私の実家の隣のおじいさんも、慣れた山にキノコ採りに出かけたまま、行方不明になり、未だに見つかっていません。
何十年も山で仕事をしてきた人でした。
うぬぼれず、つねに自重し、万一のために準備する。
難しいですが、意識のどっかに持ち続けていたいと思います。
山登りだけじゃなくて、車の運転とか、火の始末でも。
涙が止まらないでしょう。
うぬぼれず、つねに自重し、万一のために準備する。
そうですね、その通りです。
「自分は大丈夫」と思ってしまう。
「油断大敵」
いくつかあるのですが、やっぱりジーンときてしまいました。
本物の迫力というか、実際に残されていた日記や手記に書かれた言葉なだけに、胸を打つものがありました。
「自分は大丈夫」というその油断が危ないんですよね。
今回の竜巻といい、自然の力はやっぱり恐ろしいです。
謙虚な気持ちで万一に備える大切さを学びました。