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この旅行で私たちが泊まることになったのは、
松本市郊外の有明山近くの別荘地の山荘です、
夜到着したのでよくわからなかったのですが。
朝、散歩に出たら、こんな松林・・
アカマツ林ですからマツタケは???
(こんなとこにあるわけないよね~)少し山を登ると「茸山にて入山禁止」の掲示と柵がありましたよ。あるのかな?山荘の横にこんな茸が・・しめじ???
こんなところでも傘を持ち、カラカラとカウベルを鳴らして、お散歩をしておられる人とすれ違いました。え?クマが出るのかしら~
と思ってましたら
しばらくしてサルに注意を促す看板があり、
少し歩くとサルが走るのを見かけましたよ~
そしてこんな建物を見かけました。
つい先日テレビで「鐘の鳴る丘」の話を見たばかり!
小耳にはさんだ程度でしたので、あの歌のところ?、
戦後22ねんから、ラジオで5年ほど放送された国民ドラマで、甲子園の入場曲になったものを私はきいたのです。実際はそのドラマに感動された方がこの戦災孤児の施設を作られたということです。
「鐘の鳴る丘」とは、その共同生活の施設が丘の上にあり、とがった屋根の時計台に鐘を備えているというドラマの設定による。
主題歌「とんがり帽子」(作詞:菊田一夫、作曲:
空襲により家も親も失った戦災孤児たちが街にあふれていた時代、復員してきた主人公が孤児たちと知り合い、やがて信州の山里で共同生活を始め、明るく強く生きていくさまを描く。日本全体が苦しかった時代、大人子供を問わず多くの人の共感を呼び、大ヒットとなった。古関裕而、歌:川田正子)も広く歌われ、昭和23年(1948年)の選抜高校野球の入場行進曲にもなった。歌の題名は「とんがり帽子」だが、ドラマの名前から「鐘の鳴る丘」と呼ばれることも多い。
有明高原寮 (長野県安曇野市穂高)このドラマは孤児たちの話なので言葉づかいも悪く、作者の菊田一夫さんに文句が殺到したそうですが、孤児であった菊田さんは頑として応じなかったとか鐘の鳴る丘を作った方が資金難になり、その話をきいた菊田さんが経済援助も行ったそうです。その建物の後ろは有明山です。⑤~6年前に、この山のスケッチが買ってありました。帰ってきてびっくり!鐘の鳴る丘の話と言い有明山のことと言いここら辺はなにか運命の赤い糸でも、あったような気分でしたよ~あしたはいよいよ最終の、斎藤記念の演奏会やとんぼ玉博物館でのお話です。THANK YOU!!