大学時代からの無二の親友が旅立ちました。
10年以上前の癌が再発して、闘病生活をおくっていました。
意識がなくなったから、と連絡を受けた時、私はいつも彼女と別れるとき、これが最後かも、とお互いに眼を交していたから、そういうふうになったら、そういう状態を受け入れるのはつらいので、彼女とは会わないと決めていたから、とお返事したけどわかってもらえたかしら?
ナンセ彼女はマイペースの一匹狼で、一人でどんどん行動する人でした。
大学のある時、大事な講義に1週間以上でてこない。どうしたの?て聞くと、赤毛のアンの世界にはまっていたとか。
ある3月、キャンパスででくわしたら、伊良湖に春を見つけに行こうといわれた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/car_pink.gif)
延々誰も乗ってないがたがたバスに乗ってついた伊良湖はすばらしく、春爛漫で優しく、太平洋がきらきらまぶしかった。当時、私はいろいろな経済事情で授業料免除の特待生を目指していたので、講義をサボって、という体験は、大学生活の何たるかを教えられた気がした。
なにがすごいかって、彼女はすぐ、寝る。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_z.gif)
講義中はもちろん!学園祭のエレキバンドの生演奏中マイクが足に触りそうな位置で音、ガンガンの中で寝てたのには、たいがいのことで驚かなくなっていた私もたまげた。
それからも、遭いたいね。とかいって、逢ったりするのですが、いつも彼女ペース
万博の前の年の夏、癌センターの帰りとかいって、”癌が再発した。完治の方法はない。”と彼女。”今の医学は日進月歩以上の物があるから、そう悲観的になることはない、やりたいことをやって楽しもう!”と私。
それから、彼女は体が動くうちにと旅行からなにから、楽しんで楽しんで。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
車椅子になっても、伊豆、四国、近くは常滑など、思い出作りとか。
救急車で運び込まれお見舞いに行った時も、来週木曜日退院だから、伊勢の○○ホテルに予約して!と旦那さんに言っているのには驚いた!又、そういう彼女を支えた家族、特に旦那様の看護はすごかった。
彼女の旦那様への愛情は深く、ほかの人の看護を受けつけなかったから。
普段の彼女は利発な理論家だから、長い闘病になって、私は時には旦那様を解放してあげるよう説得するのだけれど、、、
人々にいろいろなことを教えてついに旅立ってしまいました。
友人が彼女のことだから、千の風になって、すき気ままに、放浪してるよ
私、
絶対そう思う!あなたのこと忘れない。たまには様子を見に来てね
10年以上前の癌が再発して、闘病生活をおくっていました。
意識がなくなったから、と連絡を受けた時、私はいつも彼女と別れるとき、これが最後かも、とお互いに眼を交していたから、そういうふうになったら、そういう状態を受け入れるのはつらいので、彼女とは会わないと決めていたから、とお返事したけどわかってもらえたかしら?
ナンセ彼女はマイペースの一匹狼で、一人でどんどん行動する人でした。
大学のある時、大事な講義に1週間以上でてこない。どうしたの?て聞くと、赤毛のアンの世界にはまっていたとか。
ある3月、キャンパスででくわしたら、伊良湖に春を見つけに行こうといわれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/car_pink.gif)
延々誰も乗ってないがたがたバスに乗ってついた伊良湖はすばらしく、春爛漫で優しく、太平洋がきらきらまぶしかった。当時、私はいろいろな経済事情で授業料免除の特待生を目指していたので、講義をサボって、という体験は、大学生活の何たるかを教えられた気がした。
なにがすごいかって、彼女はすぐ、寝る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_z.gif)
講義中はもちろん!学園祭のエレキバンドの生演奏中マイクが足に触りそうな位置で音、ガンガンの中で寝てたのには、たいがいのことで驚かなくなっていた私もたまげた。
それからも、遭いたいね。とかいって、逢ったりするのですが、いつも彼女ペース
万博の前の年の夏、癌センターの帰りとかいって、”癌が再発した。完治の方法はない。”と彼女。”今の医学は日進月歩以上の物があるから、そう悲観的になることはない、やりたいことをやって楽しもう!”と私。
それから、彼女は体が動くうちにと旅行からなにから、楽しんで楽しんで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
車椅子になっても、伊豆、四国、近くは常滑など、思い出作りとか。
救急車で運び込まれお見舞いに行った時も、来週木曜日退院だから、伊勢の○○ホテルに予約して!と旦那さんに言っているのには驚いた!又、そういう彼女を支えた家族、特に旦那様の看護はすごかった。
彼女の旦那様への愛情は深く、ほかの人の看護を受けつけなかったから。
普段の彼女は利発な理論家だから、長い闘病になって、私は時には旦那様を解放してあげるよう説得するのだけれど、、、
人々にいろいろなことを教えてついに旅立ってしまいました。
友人が彼女のことだから、千の風になって、すき気ままに、放浪してるよ
私、
絶対そう思う!あなたのこと忘れない。たまには様子を見に来てね
無二の親友を亡くすのは、つらいですね。
私も岐阜にいる時に一緒に入院していた小川さんと、仲良くなって
退院してからも同じ日に病院に行ってたのですが、彼女はウツで(ウツは死にたくなるのですが)
私は毎朝一緒に元気になろうと電話していたんだけど、ある朝いつものように電話をしたら
娘さん出てきて「母は死にました。お葬式に来て下さい。」と言われた。自殺だったのです。
私は家で友人を無くした辛さでワンワン泣いてしまいました。孤独感がひしひしとわいてきました。
突然だったので余計辛かった。
名古屋の叔父さんのお葬式も終わって帰って来た矢先の話だったので、びっくりした。
micchan元気だしてね。
何か私に出来る事はありませんか?