永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(101)

2008年07月09日 | Weblog
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【明石】の巻  その(13)

 御車では少々仰々しいとお思いになって、惟光だけをお供に、馬でお出かけになります。岡辺の住いは、やや遠く入り込んだところにあります。道々を照らす月影のなまめかしい風情に、ふと都の紫の上をお思いになって、このまま手綱を都へ向けて行きたいとも思われるのでした。

独り言のうたに
「秋の夜のつきげの駒よわがこふる雲井をかけれ時の間も見む」
――秋の夜に乗る月毛の駒よ、私の恋しい都の空を走っておくれ、しばらくはあの人の顔を見よう――

 岡辺の家の造りは、木立深く結構な住居で、物おもいの限りをつくせるような、ものあわれで、虫の音が響き合っています。

「むすめ住ませたるかたは、心ことに磨きて、月入れたる槇の戸口、気色ばかりおしあけたり」
――娘を住まわせている一棟は、ことに磨き清めてあって、月のさし入る槇の戸口がほんの少し開いております――

 源氏は中にお入りになって、お話かけになりますが、明石の御方はこのような間近で自分の姿をお見せすまいと心に決めていますので、いっこうに打ち解けようとはされません。

源氏は
「こよなうも人めきたるかな、さしもあるまじき際の人だに、かばかり言い寄りぬれば、……、と、妬うさまざまに思しなやめり」
――いまさらにいやに柄ぶっていることよ。もっと身分の高い女でも、これほどまでも言い寄ったならば、気強く拒みはしなかったものを、(さては、自分がこうも落ちぶれているのを軽蔑してか、などとひどく癪にさわって口惜しくもあり、思い悩まれる様子です――

「なされなうおし立たむも、事のさまに違へり、心くらべに負けむこそ人わろけれ、など乱れうらみ給ふさま、げに、物思ひ知らむ人にこそ見せまほしけれ」
――心なく一途に行動するのも、この場合よろしくない。かといって根比べに負けてすごすご帰るなど、人聞きの悪いことだ、と思い乱れていらっしゃる源氏のご様子を、まことに物思いを知っている人にこそ、お見せしたいものです――

ではまた。



源氏物語を読んできて(屠蘇散)

2008年07月09日 | Weblog
屠蘇散(とそさん)

 年の初めにお酒を飲んで、うきうきとした正月の気分をあらわす言葉に、「おとそきぶん」という言葉があるように、日本には元旦の朝、家族一同がそろって屠蘇酒を飲む風習があります。1年間の長寿健康を祈願する慣わしです。数種類の生薬を調合した屠蘇散(屠蘇延命散)を、清酒やみりんに一晩漬け込むお祝いのお酒です。

 平安時代にさまざまな年中行事が誕生しました。その多くは、中国の古習に則ったもので、悪疫を防ぎ、病魔の退散を祈り、延命長寿、無病息災を祈る行事でした。屠蘇の風習も、中国で生まれた災難予防や疫病逃れの呪術儀式が、日本でも平安貴族の迷信深い思想によって広まり、やがて経済的なゆとりを持った江戸時代の庶民に育てられ、現代の年中行事として伝わっています。

 屠蘇とは「邪気を屠(ほふ)り、心身を蘇(よみがえ)らせる」ところから名付けられたと言います。「悪鬼・疫病を治し、邪気・毒気を払うとされて、一人でこれを飲めば一家に疫なく、一家でこれを飲めば一里に疫なし、元旦にこれを飲めば一年間病気にかからない」と信じられてきました。

 屠蘇散の処方は、書物によって違いますが、一般的にはオケラの根(白朮)・サンショウの実(蜀椒)・ボウフウの根(防風)・キキョウの根(桔梗)・ニッケイの樹皮(桂皮)・ミカンの皮(陳皮)など、身体を温めたり、胃腸の働きを助けたり、風邪の予防に効果的といわれる生薬を含んでいます。もともと、薬のトリカブトの根(烏頭)や下剤のダイオウ(大黄)なども加えていたようですが、現在の処方には激しい作用の生薬は含まれていません。

 ◆解説と写真 屠蘇 くすりの博物館より


源氏物語を読んできて(源氏と惟光)

2008年07月09日 | Weblog
源氏と惟光(これみつ)の関係 

呼び名と名乗り
 
 惟光は、源氏の乳兄弟という関係で、源氏にとって最も親密な腹心の家来といってよい人物であるが、源氏と惟光はお互いにどのような呼び方や名乗り方をしているだろうか。
 
 語り手が地の文で使う呼び方は除いて、会話文の中での用例を見ると、源氏は惟光を、「惟光朝臣(これみつのあそん)」(夕顔)と呼んでいる。「朝臣」は敬称である。ただし、これは第三者の前で、彼の名前を言っている場面である。直接面と向かっての場合の記述ではない。
 
 惟光は、源氏の前で、「惟光が父の朝臣の乳母にはべりし者の」(夕顔)云々というように、自分のことを「惟光」と言っている。
 
 この物語では、実名で言っているところを「なにがし」と表現することが多いのだが、その場面では、そうではなく、実際どおりに表記している。
 
 身分の下の者は身分の上の者の前では実名を名乗るのだが、逆に身分の上の者は下の者の前で、自分の名前を名乗ることなしない。男性(光る源氏)も女性(紫の上)も「まろ」と自称している。

◆参考: 源氏物語りの世界、コラムより