永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(108)

2008年07月16日 | Weblog
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【澪標(みおつくし】の巻  その(1)

源氏        28歳10月~29歳冬まで
藤壺        33歳~34歳
紫の上       20歳~21歳
六條御息所    35歳~36歳で死亡
斎宮(六條御息所の姫君)19歳~20歳
明石の方     19歳~20歳
明石の姫君誕生

 源氏は、須磨で故桐壺帝がはっきりと夢に現れなされて以降は、是非ともその苦しんで居られるという罪をお救い申す仏事を営みたいと、10月に御八講を厳かになさいます。
人々が源氏に靡くこと、昔のようでございます。
大后は、とうとう源氏を追放しきれずに、病はなお重くなられておりますが、朱雀院は故院の遺言へのお悩みも、幾分軽くなられておいでです。

 しかし、帝はこの先長命できそうにもなく、心細く思われて、度々源氏を召し出されては、ご相談され、ついに御譲位のお心を固められます。

朱雀院は御譲位が近づく頃、尚侍(朧月夜の君)に

「大臣亡せ給ひ、大宮もたのもしげなくのみなり給へるに、わが世の残り少なき心地するなむ、いといとほしう、名残なきさまにてとまり給はむとすらむ。……とてうち泣き給ひぬ」
――あなたの父君の右大臣は亡くなられ、大宮(姉の弘徴殿大后)もお具合が悪くてこれからお頼みになれません。私の余命もいくらもない気がしますので、あなたにお気の毒で、昔の面影もなくお残りになるのでしょうか。(昔からあなたは、私を源氏より軽んじておられましたが、私は一途にあなたのことを深く思いこんでいたのですよ。これからのことを思うさへ辛くて、と泣かれるのでした――

「女君、顔はいとあざやかににほいて、こぼるばかりの愛敬にて、涙もこぼれぬるを、よろずの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる」
――女君(尚侍)のご様子は、お顔を赤らめて、愛敬はこぼれるばかりに匂いたち、涙をこぼされています。帝は女君の過ちを忘れてあわれにいとしくご覧になるのでした――

「などか御子をだに持給へるまじき。口惜しうもあるかな。契り深き人の為には、今見出で給ひてむと思ふも口惜しや。」
――なぜ、ぜめても皇子が授からなかったのでしょう。残念でなりません。縁の深い源氏との間にはすぐにもお出来になるだろうと思うと、本当にくやしい――



◆元服の儀=元服(げんぶく、げんぷく)とは、平安時代以降、公家・武家の間で行われた男子の成人式という通過儀礼である。加冠(初冠)ともいわれる。江戸時代以降は行われなくなった。数え年13歳~15歳で、髪形、衣裳とも大人の仲間入りとなる。元服後は姉妹でも直接には逢うことができず、隔てられる。
婚儀に続くことが多い。

ではまた。


源氏物語を読んできて(男性の装束・文官束帯)

2008年07月16日 | Weblog
束帯(そくたい)《文官》

 行政事務に携たずさわる文官の束帯は、裾部分に襴(らん)という布地をつけた縫腋袍(ほうえきのほう)に、表袴(うえのはかま)を穿(は)き、半臂(はんぴ)、下襲(したがさね)、衵(あこめ)、単(ひとえ)を着て、また大口袴(おおぐちばかま)に襪(しとうず)、靴(かのくつ)(浅あさ沓ぐつ)を履く。
 さらに垂纓(すいえい)の冠(かんむり)をかぶり、石帯(せきたい)、平緒(ひらお)をつけて太刀を佩(は)き、手に笏を持つ姿をいう。

◆写真:文官の束帯

源氏物語を読んできて(男性の装束・武官束帯)

2008年07月16日 | Weblog
束帯(武官)

 六衛府(ろくえふ)に勤め、禁裏(きんり)の守護(しゅご)や行幸(ぎょうこう)の警護を受け持った武官は、腋(わき)を縫い合わさない闕腋袍(けってきのほう)を着て、下に半臂(はんぴ)、下襲(したがさね)、衵(あこめ)、単(ひとえ)に表袴(うえのはかま)と大口袴(おおぐちばかま)を着けて靴を履く。さらに石帯(せきたい)と平緒(ひらお)を帯びて太刀を佩(は)いた。

 武官の着ける闕腋袍には襴(らん)がなく、袍の後身頃の裾を長く伸ばして下襲の裾に重ねた。また冠の左右に黒馬の尻毛で作った半円放射状のおいかけをつけ、冠の纓(えい)は巻いて活動に便利な巻纓(けんえい)とする。

 太刀と右の後ろ腰に矢を収めた平胡img(ひらやなぐい)を掛け、左手に弓を持つ。ただし、武官であっても大臣や参議(さんぎ)、中納言など三位以上の公卿(くぎょう)の大将や中将は縫腋袍を着た。

◆写真:束帯(武官)風俗博物館