永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(110)

2008年07月18日 | Weblog
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【澪標(みおつくし】の巻  その(3)

 故葵の上のお産みになった若君の夕霧は、だれよりもお美しく、宮中にて童殿上(わらわてんじょう)をなさっています。
 源氏の左大臣邸に対するお気持ちは昔と同じで、

「折節ごとに渡り給ひなどしつつ、若宮の御乳母たち、さらぬ人々も、……幸い人多くなりぬべし。」
――折りある毎にお出でになっては、夕霧の乳母たちや、それほどではない人までも、何か機会のある毎に便宜をお与えになろうと心がけられておられますので、幸いを得る人が多ございました。――

「二條の院にも、同じごと待ちきこえける人をあはれなるものに思して、年頃の胸あくばかりと思せば、中将、中務やうの人々には、ほどほどにつけつつ情けを見え給ふに、御暇なくて、外ありきもし給はず」
――本邸の二條の院にも、同じように源氏のご帰京を心待ちにしていた女房たちをけなげなものとお思いになって、この数年の憂さ晴らしになるほどにはと思われて、中将や中務の人にはそれぞれの程度に情愛をお見せになりますので、お暇もなくて外歩きもお出来になれないのでした――

「まことや、かの明石に心苦しげなりしことはいかに、と思し忘るる時なければ、……三月朔日のほど、……御使ありけり」
――ああそうそう、あの明石でいたわしげに見えた懐妊のことは、とお忘れになることはなく、三月一日のころに、使者を送ります――

使者が急ぎ帰って
「十六日になむ、女にてたひらかにものし給ふ、と告げ聞ゆ」
――三月十六日でした。女で、ご安産でいらっしゃいます、と報告申し上げます――

◆童殿上=男子は、幼児期、元服前は童(わらわ)といって、髪も服も大人と違い、姉妹のところにも入って行けた。公卿の子は元服前、十歳頃から童殿上といって、清涼殿の殿上の間に伺候を許され、見習いをする。

ではまた。

源氏物語を読んできて(男性の装束・冠)

2008年07月18日 | Weblog
冠(かんむり)

 奈良時代の令制度の頭巾(ずきん)が変化したもので、髪の髻(もとどり)を巾子(こじ)で包み、また頭巾の結び余りを垂らしたのが冠の形となった。

 被(かぶり)物としての前頭部の額と髷(まげ)を入れる後頭部の巾子、そして後ろに垂れた纓(えい)で構成され、紋羅(もんら)などの薄織物に漆(うるし)を塗って作った。

 初期の纓の形は裾開きで柔らかく燕尾(えんび)形だったが、強装束となるに従って長方形の堅いものとなった。身分や官職、年齢によって形や文様が異なる。

◆写真:冠 風俗博物館

源氏物語を読んできて(男性の装束・笏)

2008年07月18日 | Weblog
笏(しゃく)
 
 笏は、中国において、役人が君命の内容を、忘れないようにメモを書いておくための板「手板」であったと言われています。日本においては、笏に必要事項を書き記した紙「笏紙」を裏面に貼って用いていました。のちには威儀を正すために右手に持つ小道具となり、束帯の時および神事に際して用いられました。
 
 律令の定めでは五位以上は象牙製の牙笏(げしゃく)ですが、日本では入手が困難なため、今はすべて木製です。櫟(いちい)が一般的で、そのほか椎、樫などでつくられています。

◆写真:笏(しゃく)