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【澪標(みおつくし】の巻 その(3)
故葵の上のお産みになった若君の夕霧は、だれよりもお美しく、宮中にて童殿上(わらわてんじょう)をなさっています。
源氏の左大臣邸に対するお気持ちは昔と同じで、
「折節ごとに渡り給ひなどしつつ、若宮の御乳母たち、さらぬ人々も、……幸い人多くなりぬべし。」
――折りある毎にお出でになっては、夕霧の乳母たちや、それほどではない人までも、何か機会のある毎に便宜をお与えになろうと心がけられておられますので、幸いを得る人が多ございました。――
「二條の院にも、同じごと待ちきこえける人をあはれなるものに思して、年頃の胸あくばかりと思せば、中将、中務やうの人々には、ほどほどにつけつつ情けを見え給ふに、御暇なくて、外ありきもし給はず」
――本邸の二條の院にも、同じように源氏のご帰京を心待ちにしていた女房たちをけなげなものとお思いになって、この数年の憂さ晴らしになるほどにはと思われて、中将や中務の人にはそれぞれの程度に情愛をお見せになりますので、お暇もなくて外歩きもお出来になれないのでした――
「まことや、かの明石に心苦しげなりしことはいかに、と思し忘るる時なければ、……三月朔日のほど、……御使ありけり」
――ああそうそう、あの明石でいたわしげに見えた懐妊のことは、とお忘れになることはなく、三月一日のころに、使者を送ります――
使者が急ぎ帰って
「十六日になむ、女にてたひらかにものし給ふ、と告げ聞ゆ」
――三月十六日でした。女で、ご安産でいらっしゃいます、と報告申し上げます――
◆童殿上=男子は、幼児期、元服前は童(わらわ)といって、髪も服も大人と違い、姉妹のところにも入って行けた。公卿の子は元服前、十歳頃から童殿上といって、清涼殿の殿上の間に伺候を許され、見習いをする。
ではまた。
【澪標(みおつくし】の巻 その(3)
故葵の上のお産みになった若君の夕霧は、だれよりもお美しく、宮中にて童殿上(わらわてんじょう)をなさっています。
源氏の左大臣邸に対するお気持ちは昔と同じで、
「折節ごとに渡り給ひなどしつつ、若宮の御乳母たち、さらぬ人々も、……幸い人多くなりぬべし。」
――折りある毎にお出でになっては、夕霧の乳母たちや、それほどではない人までも、何か機会のある毎に便宜をお与えになろうと心がけられておられますので、幸いを得る人が多ございました。――
「二條の院にも、同じごと待ちきこえける人をあはれなるものに思して、年頃の胸あくばかりと思せば、中将、中務やうの人々には、ほどほどにつけつつ情けを見え給ふに、御暇なくて、外ありきもし給はず」
――本邸の二條の院にも、同じように源氏のご帰京を心待ちにしていた女房たちをけなげなものとお思いになって、この数年の憂さ晴らしになるほどにはと思われて、中将や中務の人にはそれぞれの程度に情愛をお見せになりますので、お暇もなくて外歩きもお出来になれないのでした――
「まことや、かの明石に心苦しげなりしことはいかに、と思し忘るる時なければ、……三月朔日のほど、……御使ありけり」
――ああそうそう、あの明石でいたわしげに見えた懐妊のことは、とお忘れになることはなく、三月一日のころに、使者を送ります――
使者が急ぎ帰って
「十六日になむ、女にてたひらかにものし給ふ、と告げ聞ゆ」
――三月十六日でした。女で、ご安産でいらっしゃいます、と報告申し上げます――
◆童殿上=男子は、幼児期、元服前は童(わらわ)といって、髪も服も大人と違い、姉妹のところにも入って行けた。公卿の子は元服前、十歳頃から童殿上といって、清涼殿の殿上の間に伺候を許され、見習いをする。
ではまた。