永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(120)

2008年07月28日 | Weblog
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【澪標(みおつくし】の巻  その(13)

源氏は、「お頼みがなくても、思い棄て申すべきではありませんのに、こうしてお話がありました以上、何事にもご後見申そうと存じます」と。

御息所は、
「いと難きこと。まことにうち頼むべき親などにて見ゆづる人だに、女親に離れぬるはいとあはれなることにこそ侍るめれ。まして思ほし人めかさむにつけても、あぢきなきかたやうち交じり、人に心も置かれ給はむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。憂き身をつみ侍るにも、女は思ひの外にて物思ひを添ふるものになむ侍りければ、いかでさるかたをもて離れて見奉らむ、と思う給ふる」など聞え給へば、

――いえ、これは難しいことでしょう。頼りになる父親に後時をお頼みする場合でも、傍にいて何かと気遣う母親がいないのは、哀れなことが多いでしょう。まして他人のあなたが、娘の斎宮を妻の一人にお扱いなさるようならば、娘に嫉妬などの不愉快な事も起こりやすく、人から恨まれることもありましょう。思い過ごしかも知れませんが、決してそんな色めいたことをお考えになりますな。つたない私の身の上を比べてみても、女というものは、思いの外苦労が多く、このようなことでますます苦しみが増すというものです。
娘にはそういう世づいたことから離れさせておきたいのです。とおっしゃると――

源氏は
「あいなくも宣ふかなと思せど、……」
――源氏は、よくもまあ、ずけずけとおっしゃる事よとお聞きになり、「この数年の間に私も万事に分別がついてまいりましたのに、昔の浮気心がまだ残っているようにおっしゃられるのは心外です。まあ、自然にお分かりになると思いますが――

 外は、暗くなっております。内には大殿油(おおとのあぶら・おおとなぶら)の光が、ほのかにものごしに透けて見えますので、源氏は、もしやと御几帳の隙間から覗いてごらんになると、御息所は髪を上品に尼そぎにして脇息に寄りかかっておられ、そのお姿は、絵に描いたように美しいのでした。

◆写真:尼削ぎ=出家して尼になると、髪を腰の辺りまでで切りそろえます。
    風俗博物館

明日はお休みします。ではまた。



源氏物語を読んできて(平安時代という時代 2 )

2008年07月28日 | Weblog
平安時代という時代(2)

 王朝国家体制の下では、国家から土地経営や人民支配の権限を委譲された有力百姓(田堵・名主)層の成長が見られ、彼らの統制の必要からこの権限委譲と並行して、国家から軍事警察権を委譲された軍事貴族層や武芸専門の下級官人層もまた、武士として成長していった。

 国家権限の委譲とこれによる中央集権の過大な負担の軽減により、中央政界では政治が安定し、官職が特定の家業を担う家系に世襲される家職化が進み、貴族の最上位では摂関家が確立し、中流貴族に固定した階層は中央においては家業の専門技能によって公務を担う技能官人として行政実務を、地方においては受領となって地方行政を担った(平安貴族)。

 この時期は摂関家による摂関政治が展開し、特定の権門が独占的に徴税権を得る荘園が、時代の節目ごとに段階的に増加し、受領が徴税権を担う公領と勢力を二分していった。

源氏物語を読んできて(平安時代という時代 3 )

2008年07月28日 | Weblog
平安時代という時代(3)

 11世紀後期からは上皇が治天の君(事実上の君主)となって政務に当たる院政が開始された。院政の開始をもって中世の開始とする見解が有力である。

 院政期には荘園の一円領域的な集積と国衙領(公領)の徴税単位化が進み、荘園公領制と呼ばれる体制へ移行することとなる。12世紀中期頃には貴族社会内部の紛争が武力で解決されるようになり、そのために動員された武士の地位が急速に上昇した。

 こうした中で最初の武家政権である平氏政権が登場するが、この時期の社会矛盾を一手に引き受けたため、程なくして同時多発的に全国に拡大した内乱により崩壊してしまう。

 平氏政権の崩壊とともに、中央政府である朝廷とは別個に、内乱を収拾して東国の支配権を得た鎌倉幕府が登場し、平安時代は幕を下ろした。