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【澪標(みおつくし】の巻 その(6)
源氏はさらに、明石の御方の、あの夜のはっきりではありませんが容貌の美しさや、琴の音の趣深かったことなどお忘れになりがたい様にお話を続けられます。紫の上は、あの頃はまたとない悲しさに嘆いていましたのに、あなたは気まぐれにせよ、他に愛情を分けておられたとは、と穏やかではいられないお気持ちになって、
「『われはわれ』とうちそむきながめて『あはれなりし世の有様かな』とひとりごとのやうにうちなげきて、うた
『思ふどちなびく方にはあらずともわれぞけぶりにさきだちなまし』」
――「所詮、私はわたし」と、あちらをお向きになって眺めいりながら、「なんと悲しい間柄でしたこと」と独り言のようにおっしゃって、「私の方が先にこの世から消えてしまうでしょう」――
「何とか。心憂や。……」
――何をおっしゃる、嫌なことだなあ。(一体誰のために辛い憂き世を流離ってきたことか。ただあなたを思えばこそなのに)――
源氏は箏の琴を引き寄せて、掻き合わせを紫の上にお薦めになりますが、明石の御方がお上手とお聞きになっていたことを妬ましく思われたようで、手にもお触れになりません。
おっとりと鷹揚だった紫の上が、嫉妬心がおつきになって腹を立てているご様子も又なかなか見どころがあると、源氏はお思いです。
五月五日は、明石の姫君の五十日(いか)に当たると、源氏は密かに数えられて、それにしても、所もあろうに、あのような辺鄙な田舎に可愛そうな有様で生まれ来たことよ。姫君を先々妃にと思えば、愛おしく、流敵という運命もこのことの為であったことよ。
世にもまれなる立派なものばかりをお持たせになって、お祝いの使者を五日に違わず到着させました。
ではまた。
◆写真:貴族の従者の狩衣
【澪標(みおつくし】の巻 その(6)
源氏はさらに、明石の御方の、あの夜のはっきりではありませんが容貌の美しさや、琴の音の趣深かったことなどお忘れになりがたい様にお話を続けられます。紫の上は、あの頃はまたとない悲しさに嘆いていましたのに、あなたは気まぐれにせよ、他に愛情を分けておられたとは、と穏やかではいられないお気持ちになって、
「『われはわれ』とうちそむきながめて『あはれなりし世の有様かな』とひとりごとのやうにうちなげきて、うた
『思ふどちなびく方にはあらずともわれぞけぶりにさきだちなまし』」
――「所詮、私はわたし」と、あちらをお向きになって眺めいりながら、「なんと悲しい間柄でしたこと」と独り言のようにおっしゃって、「私の方が先にこの世から消えてしまうでしょう」――
「何とか。心憂や。……」
――何をおっしゃる、嫌なことだなあ。(一体誰のために辛い憂き世を流離ってきたことか。ただあなたを思えばこそなのに)――
源氏は箏の琴を引き寄せて、掻き合わせを紫の上にお薦めになりますが、明石の御方がお上手とお聞きになっていたことを妬ましく思われたようで、手にもお触れになりません。
おっとりと鷹揚だった紫の上が、嫉妬心がおつきになって腹を立てているご様子も又なかなか見どころがあると、源氏はお思いです。
五月五日は、明石の姫君の五十日(いか)に当たると、源氏は密かに数えられて、それにしても、所もあろうに、あのような辺鄙な田舎に可愛そうな有様で生まれ来たことよ。姫君を先々妃にと思えば、愛おしく、流敵という運命もこのことの為であったことよ。
世にもまれなる立派なものばかりをお持たせになって、お祝いの使者を五日に違わず到着させました。
ではまた。
◆写真:貴族の従者の狩衣