日曜日の朝は家事をしながら、FM長野を聞いている。
毎回同じ時間に流れる声に、流される場合もあれば手を休めて真剣に聞くときもある。
今日は10時から作家の小川洋子さんの文学の解説を聞き手が止まった。
いつもその時々紹介される本は、読んだのもあり新刊もあり、しかし小川さんの解説にかかると、大部分のあらすじがわかり、しかも読んでみたい気分に駆られる。
今回は、吉田兼好の徒然草である。
徒然なるままに日暮し硯に向かい・・・の文章は高校時代暗記させられた。
全く興味も湧かず、暗記するのは初めの方の文章だけ。
中に書かれている言葉の内容など、あの頃考えたことがあったか、
いや、高校生の何も経験していない脳天気に奥深い意味など判る筈がない。
今になって鎌倉時代の500年も前に書かれた文章の意味がやっと理解できてきたもので、高校生にわかるはずもない。
神社に生まれ、30歳で出家して48歳で徒然草を書き上げた。
高校時代に暗記した時には全く興味もなく、機械的に暗記し、吉田兼好をおじいさんの僧侶と思っていた。
つつしみ深さの美徳、知ったかぶりをしてべらべらしゃべるな。、
自分が良く知っていると思う方面でも口数少なく振舞え。
日本人のよさは遠慮深さであり、他人にあわせると気遣いをするから、べらべらしゃべるな。
齷齪働くことの虚しさも説いている。
一人になったときにゆっくりとつれづれなるままに時間をすごそう。
人生は短いからこそ、ぼやぼやしていると時間はあっという間に過ぎていく。
有限の時間を無駄に送るな。だからつれづれ
が必要なのだという。
500年も前の人々が忙しく時間を送ったとは思えないが、それでも人それぞれ自分の時間としてゆっくりとした時間の過ごし方が必要と現代の人間にもぴったりのことを言っている。
又花は満開、月は満月が美しいとは思うものでない。
美しいものはそれぞれに異なる。
今になって耳が痛い、反省させられる文章ばかりではないか。
齢を取ると知ったかぶりになりがちである。
人の一歩先を歩きたがる。
知ろうともしなかった、古典から今日は反省させられ、いつかゆっくり読む時間を取りたいと思わざるをえなかった。
電車通勤の時は文庫本を相当読んだが、車通勤になったら
本とは縁遠くなってしまった。
買っても読みきるまでの時間が長くなってしまい、代わりに過ごす時間が増えてしまった。
秋の夜長は少しでも本を読む時間に変えていこうと思う。