信州に住んで4年を過ぎたが、山ひとつ越えた伊那は訪れたことがない縁のない場所であった。
桜の名所の有名な高遠もこの2年桜見物に行ったがまあ、人が多くて桜は綺麗だが一度行けば
良いかと思っただけであった。
ところがどこでご縁は生まれるかわからないもので、この5月からもう何度行ったか…
高遠は伊那市だが隣町の駒ヶ根まで出掛けるようになった。
駒ヶ根は40年前の若き日に千畳敷カールから空木岳へ縦走した思い出の地だが
まさか60歳を過ぎて再びやってくることになるとは運命とはわからないことだらけである。
昨日も2日間庭に出て野菜や草花に向き合い果てしなき農作業をして足腰がいててて…と
老婆の姿になり気分を変えてムスメを送っていく口実で高遠の新居までドライブをした。
夕方になってから出掛けたのでゆっくりも出来ず、原村から茅野へ向かい
杖突峠を越えて高遠に到着する。
このところ何度も足繁く出掛けるので全く地理感がなかった伊那地域も
僅かずつだがわかってきた。
まず惹かれたのは天竜川。
深い水色のゾッとするほどの水量に育った郷里の福島の阿武隈川を思い出した。
そして中央アルプスと南アルプスが目の前にそびえ、何度見てもワクワクする。
伊那谷と言われるように広い田園地帯が広がり明るい光景である。
原村のように山の麓とは異なり標高も違うのでゆったりとした感があるのかもしれない。
桜の咲く季節は道路際に咲く桜の木々に見とれるが今の季節はどれが桜の木なのかも分からない。
延々緑が滴る山間を抜け文字通り杖突峠という急カーブの連続をハンドルを握り締めて、
ほーっとため息をつく頃に高遠市街地に入るのである。
古い酒屋や味噌屋もあり和菓子も有名で見どころも色々ある。
さくらの湯という上質の温泉も気に入っている。
いずれムスメの住む場所の近くに私も原村を離れこの地に終の棲家を求めようと決心した。
あと1年9カ月で勤務はカウントダウンに入ってきた。
神奈川から山梨の北杜市に移住しようと土地を求め、家を建てる前に仕事をすることになり
原村に縁があり仮住まいをして4年経った。
まだまださまようとしている自分がいるとは思えないが、18歳で福島から横浜へ進学し以来、
丁度原村が10ヵ所目めの住まいである。中学時代からは13回引越しをしている。
引越しについているがこれも運命かと思え、最後はもういい加減にここでおしまいにしたい。
桜の季節になると思い出してもらえる高遠にあと2年後には住んでいるように漕ぎ着けたいと思う。
桜の名所の有名な高遠もこの2年桜見物に行ったがまあ、人が多くて桜は綺麗だが一度行けば
良いかと思っただけであった。
ところがどこでご縁は生まれるかわからないもので、この5月からもう何度行ったか…
高遠は伊那市だが隣町の駒ヶ根まで出掛けるようになった。
駒ヶ根は40年前の若き日に千畳敷カールから空木岳へ縦走した思い出の地だが
まさか60歳を過ぎて再びやってくることになるとは運命とはわからないことだらけである。
昨日も2日間庭に出て野菜や草花に向き合い果てしなき農作業をして足腰がいててて…と
老婆の姿になり気分を変えてムスメを送っていく口実で高遠の新居までドライブをした。
夕方になってから出掛けたのでゆっくりも出来ず、原村から茅野へ向かい
杖突峠を越えて高遠に到着する。
このところ何度も足繁く出掛けるので全く地理感がなかった伊那地域も
僅かずつだがわかってきた。
まず惹かれたのは天竜川。
深い水色のゾッとするほどの水量に育った郷里の福島の阿武隈川を思い出した。
そして中央アルプスと南アルプスが目の前にそびえ、何度見てもワクワクする。
伊那谷と言われるように広い田園地帯が広がり明るい光景である。
原村のように山の麓とは異なり標高も違うのでゆったりとした感があるのかもしれない。
桜の咲く季節は道路際に咲く桜の木々に見とれるが今の季節はどれが桜の木なのかも分からない。
延々緑が滴る山間を抜け文字通り杖突峠という急カーブの連続をハンドルを握り締めて、
ほーっとため息をつく頃に高遠市街地に入るのである。
古い酒屋や味噌屋もあり和菓子も有名で見どころも色々ある。
さくらの湯という上質の温泉も気に入っている。
いずれムスメの住む場所の近くに私も原村を離れこの地に終の棲家を求めようと決心した。
あと1年9カ月で勤務はカウントダウンに入ってきた。
神奈川から山梨の北杜市に移住しようと土地を求め、家を建てる前に仕事をすることになり
原村に縁があり仮住まいをして4年経った。
まだまださまようとしている自分がいるとは思えないが、18歳で福島から横浜へ進学し以来、
丁度原村が10ヵ所目めの住まいである。中学時代からは13回引越しをしている。
引越しについているがこれも運命かと思え、最後はもういい加減にここでおしまいにしたい。
桜の季節になると思い出してもらえる高遠にあと2年後には住んでいるように漕ぎ着けたいと思う。