タイトルは先日記事に書いたつばたしゅういちさん御夫婦の目指して生きて来た言葉である。
年齢を感じさせない、エイジレスビューテイというそうだ。
昨年、生き方の先輩として尊敬して来た津端さんご夫婦に一大事が起きた。
残された妻の英子さんの一人暮らしを心配していた。
有り難いことにそれに関して先日テレビで放映された。
第12回日本放送文化大賞グランプリ受賞作品としてである。
(ある建築家と雑木林の物語)
全国につばたさんのファンが沢山おられるようで、ご主人の訃報は衝撃となったのであろう。
皆さん、奥様のその後の生活を心配されていることだろうと思っていた。
その為ではないかもしれないが、つばたさんご夫婦の映画が出来上がった。
視聴した後は少なからず心配した気持ちは取れてほっとした。
「人生フルーツ」というタイトルでご夫婦の40年前からの生活を紹介し、伊勢湾台風で壊滅した後の春日井市の高台に
計画された高蔵寺ニュータウン計画に参画した経過も記録にあった。
名古屋から30分、当時の高蔵寺は山林を切り開き、広大な敷地で建築が始まったが今や巨大なベッドタウンだ。
雑木林の中に建物を作る計画は青写真と異なってしまい
その土地に自ら家を建て家は生活の宝石箱でなければいけないと
実践して来た。
雨が降れば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
コツコツゆっくり
風が吹けば枯葉が落ちる
枯葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
人生フルーツだ
90歳と87歳のご夫婦は健康で広島大学を退職された後はそれぞれの時間を趣味や野菜、果実づくりに使い
雑木林に囲まれた住まいはうっそうとし枯葉を落とし土を肥やして自給自足の生活を支えて来た。
野菜は年間70種、果実は50種栽培するというので、土地は広いがやっと10種に及ぶ野菜を夏の暑さに負けながらも
この伊那に引っ越して始めた野菜作りを恥じる。
だだっ広い田んぼの跡地を宅地にして野菜作りを始めたが、土づくりが基本と誰もがいう実際偏が
作業を急ぐあまりに身につかなかった。
3年目にしてやっと開眼。
つばたさんの土づくりから始まった畑と庭作り、友人や地域との交流のドキュメントは何度見ても
その都度発見があり参考にしたい。
自分も東関東大震災の3月11日にはあと一か月半で70歳に突入だ。
自分でも考え付かなかった70歳からの先、訃報も多くなり80歳以降なんてありえないと常に悲観的になっていた
この冬
体力的には無理は出来ないが小さなことからコツコツとときをためてゆっくりという英子さんの生き方
を真似てみよう。
英子さんは残されたが頑張って生きて、亡くなった後は二人の灰を南太平洋の海にまいてもらうのだそう。
夫は生涯愛したヨットのノウハウは生活に取り込み、海を自分たちの最期の落ち着き場所とした。
妻は若い時の貧乏暮らしを苦にせず、きちんとしたものを食べさせてきちっとしたものを着せるのを
妻の仕事とした。
何も大きな木がない日当たりだけが取り柄の我が家は始まったばかりだが、木を育て腐葉土を土にすき込み、ふかふかの土を作るのが70歳からの目標になった。
ときをためる暮らし
あしたもこはるびより
つばた英子 つばたしゅういち著より
年齢を感じさせない、エイジレスビューテイというそうだ。
昨年、生き方の先輩として尊敬して来た津端さんご夫婦に一大事が起きた。
残された妻の英子さんの一人暮らしを心配していた。
有り難いことにそれに関して先日テレビで放映された。
第12回日本放送文化大賞グランプリ受賞作品としてである。
(ある建築家と雑木林の物語)
全国につばたさんのファンが沢山おられるようで、ご主人の訃報は衝撃となったのであろう。
皆さん、奥様のその後の生活を心配されていることだろうと思っていた。
その為ではないかもしれないが、つばたさんご夫婦の映画が出来上がった。
視聴した後は少なからず心配した気持ちは取れてほっとした。
「人生フルーツ」というタイトルでご夫婦の40年前からの生活を紹介し、伊勢湾台風で壊滅した後の春日井市の高台に
計画された高蔵寺ニュータウン計画に参画した経過も記録にあった。
名古屋から30分、当時の高蔵寺は山林を切り開き、広大な敷地で建築が始まったが今や巨大なベッドタウンだ。
雑木林の中に建物を作る計画は青写真と異なってしまい
その土地に自ら家を建て家は生活の宝石箱でなければいけないと
実践して来た。
雨が降れば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
コツコツゆっくり
風が吹けば枯葉が落ちる
枯葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
人生フルーツだ
90歳と87歳のご夫婦は健康で広島大学を退職された後はそれぞれの時間を趣味や野菜、果実づくりに使い
雑木林に囲まれた住まいはうっそうとし枯葉を落とし土を肥やして自給自足の生活を支えて来た。
野菜は年間70種、果実は50種栽培するというので、土地は広いがやっと10種に及ぶ野菜を夏の暑さに負けながらも
この伊那に引っ越して始めた野菜作りを恥じる。
だだっ広い田んぼの跡地を宅地にして野菜作りを始めたが、土づくりが基本と誰もがいう実際偏が
作業を急ぐあまりに身につかなかった。
3年目にしてやっと開眼。
つばたさんの土づくりから始まった畑と庭作り、友人や地域との交流のドキュメントは何度見ても
その都度発見があり参考にしたい。
自分も東関東大震災の3月11日にはあと一か月半で70歳に突入だ。
自分でも考え付かなかった70歳からの先、訃報も多くなり80歳以降なんてありえないと常に悲観的になっていた
この冬
体力的には無理は出来ないが小さなことからコツコツとときをためてゆっくりという英子さんの生き方
を真似てみよう。
英子さんは残されたが頑張って生きて、亡くなった後は二人の灰を南太平洋の海にまいてもらうのだそう。
夫は生涯愛したヨットのノウハウは生活に取り込み、海を自分たちの最期の落ち着き場所とした。
妻は若い時の貧乏暮らしを苦にせず、きちんとしたものを食べさせてきちっとしたものを着せるのを
妻の仕事とした。
何も大きな木がない日当たりだけが取り柄の我が家は始まったばかりだが、木を育て腐葉土を土にすき込み、ふかふかの土を作るのが70歳からの目標になった。
ときをためる暮らし
あしたもこはるびより
つばた英子 つばたしゅういち著より