信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

感動を受けるドラマ

2017年02月15日 12時55分55秒 | Weblog
先日NHKのプロフエッショナルという番組で倉本聰の1年間の生活が紹介された。
82歳になるがこの1年間の作品作りに密着して舞台とドラマの脚本づくり、
さらに舞台稽古とドラマの稽古にまさに魂を打ち込んでいる姿を見て苦しくなった。

自分はまだプロではないといい、体力的にもう限界で昨年の最後の舞台と
今春から始まるテレビドラマが最後であろうと言っている。
今のテレビドラマはつまらない。面白いものを求め感動するものがない。
まして年単位では記憶に残るのは皆無に近い。
確かに長いこと生きているとテレビドラマばかりでなく映画も同じようなものだ。

昔は良かったなぁ
と思いだせばあれもこれもと数え上げたドラマは名作が多い。


昨夜はドラマを見たが、何を見たか?
翌日になると昨夜食べた晩御飯が思い出せないのと同じで全く記憶にない。
自分ながらひどいと思うばかりだがあながち年齢のためとも言えない。

北の国からは30年以上たっても今でも繰り返し放送されている。
ドラマに感動する作りが倉本聰らしい。
半年から一年かけて
ドラマの根っこづくりを行い登場人物の背景というか履歴というか各人が年表化され
それから脚本づくりがなされるという。

インタビューには言葉を選び下手なことは質問できないという厳しさを感じ視ている側も
姿勢を崩せず緊張しながら番組が終了した時にはほっと溜息が出た。

感動をもらい自分も成長できた時代は遠くなったが、最近はドキュメントや映画もなかなかだ。
先日、樹木希林のあんを視た。

テレビで放送されたので一度では細かい部分まで見逃していたので2度視た。
ハンセン氏病に侵された女性が日の目を浴びることのない隔離された場所で自由を失い生きて来た
が時間が経って週に一回の散歩の時間に街へ出てどら焼きの店が目に留まりドラマが始まる。
そこで思い出した。

自分の子供時代、東北の田舎で育ったが何も知らない子供が、あのうちは結核の家系だ、あのうちは娘が気違いだ、
また別な家はライ病の家系だ 肉屋は民だとか。
病気が移るから家の前を通るな、通るときは口をふさいで走って通れと大人に吹き込まれた。
病気になると座敷牢に入れられると聞いた。

何のことか、病気の中身もわからず何か怖いことなのだと思った。
しかも夕方は早く家に帰らないと朝鮮人に連れていかれると言われて夕方は
怖かった。
今考えるとすべて差別だった。
何の権限もなく差別する側は色々な理由で差別をして世間から排除した。
ひどい残酷な時代が日本は確かにあったのだ。
ましてや職業なども勿論のこと、小学校の同級生にチンドン屋とからかわれていた子がいた。
いつもいじめられからかわれ、遠足の時その母親が子供の数だけゆで卵を持ってきて
頭を下げながら子供たちに配った。
ゆで卵はその子の思い出に繋がる。


戦後の間もない時期は生活も苦しかったが、精神も貧しかったのだと今になって分かった。
人が人を差別して何も知識もない子供に教え込み、振り返ってみたら高校時代までそれが続いた。
今やTwitterやfacebookで人を傷つける、ささくれた心の持ち主が増えた。
あんを視なかったら、子供時代の差別社会を思い出さなかったと思う。

感動を生み、気持ちを揺さぶり果ては深く自分の人間性の浅さを反省させられるドラマに
これからも沢山でなくていいから出会いたいものだ。