信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

1年を振り返る

2009年12月26日 20時09分22秒 | Weblog
今日は土曜日。
仕事は昨日で終了した。
といっても近くの富士見高原病院の見学会を午前中に予定し、半日は仕事タイム。
帰宅してからやっと開放感が出てきた。
昨夜降った雪も融けて気温が上がり、暖かい午後の陽ざしに誘われ犬の散歩に出かける。
八ヶ岳は雪が積もり、麓は落葉松の葉が落ち、茶褐色の色で覆われ年末の景色としては大変のどかな様子となっている。


  

昨年はホワイトクリスマスであったが、雪が降らない方が生活は楽である。


昨年の今日はシカゴへの飛行機に乗っていた。
アルジェリアでの仕事を辞めたムスメは先に出かけ、オヘア空港へムスコ夫婦と出迎えてくれた。
極寒のミシガン湖で震え上がり、新年を迎え巨大な 
シカゴの市内へ行き、シカゴ美術館とクルミ割り人形のバレエを一日をかけて見る。
市内はマイナス20度にもなり、雪も積もる土地であるにもかかわらず、日本のように冬タイヤは使用しないためところどころで事故が続く。
海外で新年を迎えたのも生涯初めての経験であった。

アメリカから帰って早々に実家での母の1周忌を行なった。
1月に雪が降った後の凍った道路で2度も転んで頭を打って流石にCT写真を撮ったほど恐い思いをした。
同じ時期に心不全の検査を受け、まさかの心不全の傾向があるので要注意と診断を受けた。
頭と心臓がおかしくなったか~と親の法事の後だけに、自分の命の保障が不安定なことを感じる。
寒い時期は健康に余計に不安を感じるかもしれない。

ムスメは1月から上田の醸造元で蔵人になり全く違った仕事についた。
酒造りは寒い季節仕事で、全く経験のない世界に飛び込んで行った。

2月にこれまで乗っていたフイールダーが4輪駆動でないので雪国では冬になると
恐怖感と同居するので、思い切って買い替えに踏み切った。
長い間お世話になったトヨタからホンダに替わった。
一つずつ都会生活でのもの達から別れを告げている。

新車が手に入る頃自分が今度は飼い犬に手をかまれ、ひどい怪我をして、形成外科に受診した。
怪我は治っても代わりに重症の眼瞼下垂症との診断を受け4月末に1泊入院して手術をした。

手術後はひどい顔で回復に時間がかかり、手術したことを後悔しつつ、それでも
前向きで行かねばならなかった。
腫れが引くのに2ヶ月を要した。
職場には新人の同僚が配属になり、過去に自分が悩みつつ職場に慣れていく姿を後輩の姿に見ていた。

8月、ムスメは奥飛騨温泉で仕事を見つけ、元気に出て行った。
期限付きの仕事で、嫁入り修行と考えれば良い。
1時帰国してきた息子とその温泉を訪ね、50年ぶりに蛍を見たと感激したものである。

日曜園芸の畑は盛んに野菜が収穫でき、移住して3年目の畑作りは少しずつノウハウを会得してきた。

9月になりシカゴにいる息子夫婦と来年からアフリカで仕事をすることに決まった娘と共にラスベガス、グランドキャニオン、モニュメントバレー、ザイオンへの旅行に出かけた。
自分の仕事を持ちながら、海外旅行はなかなか気持ちの切り替えが付かず、不安交じりで搭乗していた。
もしかしたらこのメンバーでの海外旅行は最後かと思いつつ、子供たちが予定を
組んでくれた旅行先の思い出はすばらしいものであった。

しかし友人兼恩人が東京での重い病気の治療のため大学病院へ入院となった。
ここで又心が塞がり始めた。
何とか回復して欲しい一念となる。

10月中旬、車で追突を受け新車は大破し、修理に出し暫く代車で過ごすことになった。

11月には実家で母の3周忌を行い、母親のなくなった後の自分の居場所は過去の遠い思い出の中に重なり、人間60歳も過ぎると自分の住んでいる場所が一番心地良いと思うようになったのである。

そして12月になり間もなく、同僚がいきなり自死して亡くなった。
毎日それからは複雑な気持ちで仕事をこなし、悲しみをどこにもって行ってよいやら、インフルエンザの予防接種の大量の接種に追われ、時間は過ぎ去っていった。

こうして1年を振り返ってみたらまるでジェットコースターのような時間を過ごしてきたように思える。
くるくる忙しくくぐり抜けてきた。
年齢より若いとおだてられ、自分もその気になり忙しく働いてきたが、どうやらそれではいけないらしい。
認知症予備軍を気に掛けていたが、忙しいお陰でまだそのお世話にならなくても
良いようだ。
身のほどをわきまえ、過去は振り返ることなく、来年はすこし楽に生きてみたいものである。



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