Il film del sogno

現実逃避の夢日記

そして父になる

2013-09-27 02:28:44 | 映画
9/26(木)曇り時々晴れ
引継ぎ継続。本日は京橋のベンチャー企業。原価がダダの商品を扱う。午後は身辺整理。定刻に退社して新宿で途中下車。ピカデリーで話題の邦画の先行上映を鑑賞。3割程度の入り。贔屓監督の新作は海外(映画賞)でも高評価でさもありなん。年度ベストの一本。何気ないシーンで涙腺決壊。特に母親の心情が痛いほど伝わり心が痛む。人間心理を丁寧に描いた繊細なシナリオと演出、子役の自然な演技、絶妙なキャスティング。終演後、暫く席を立てなかったほど感銘を受けた。帰宅して書棚を整理していたら古い感想文が出てきた。鑑賞記念に再録する。
『誰も知らない』・・・ずぅーん、と腹にこたえる重い傑作なり。夏になると新聞の三面に必ずパチンコ屋の駐車場で車中に置き去りにされた幼児の死亡記事が出る。あれは本当に胸が痛む。母親はほんの息抜きのつもりなのだろうが、悲劇的な結末が想像つかないのか。YOUが演じた映画の母親同様それは如何なる言い訳も通らぬ鬼畜の所業だろう。本作のモデルとなった88年に西巣鴨で実際起きた事件についてはよく憶えている。当時、長男は14歳。妹3人はまだ7歳、3歳、2歳。映画は年齢と男女比率を少し変えている。驚くべきことに母親は病死した乳呑児(次男)の死体を消臭剤と一緒にビニールでくるみ、押入れに隠していた。末娘は長男の友人A(悪ガキ)に虐待の上殺されて、長男はその死体を友人Bと一緒に秩父の山奥へ棄てに行っていた。事実はもっと陰惨だったのだ。監督の演出は母親の無責任さにたいして声高に批判などしていない。彼女は享楽的で場当たりな性格だけど、充分子供に愛情を持っている。子供たちもお母さんが大好きだ。そう感じさせる脚色は精巧にして深遠である。こまっしゃくれた演技などしない子役たち。カメラは遠く近く子供たちの日常(細部)を捉えていた。荒んでゆく2DKのアパートは徐々に世間と浮遊していくかのようだ。約束のクリスマスに母親は帰ってこない。末娘の誕生日にも戻る気配がない。冬を超え春が来て夏を迎えても子供たちだけのサバイバル生活は終らない。長男は母親の居所を知っていた。電話もできる。別れた父親たちに金の無心をしに行けるくらい利発な彼が何故窮状を訴えないんだろう?もはや大人になった我々にその複雑な心境は解り難い。映画はフィクションという利点を活かして、登校拒否の女学生との交流を加えたり、あくまでも子供たちの視線を通じて描かれる。その眼差しは、儚いがゆえに透明で、力強いがゆえに純粋だった。あざといお芝居を排した演出には安易な感情移入を拒む力がある。劇中子供たちは一粒の涙も流さない。反対に、わが頬を伝った涙は、幼少時の暗く感傷的な体験からだろう。健気な少年が妹の手を引き、駅まで母親を迎えに行ったシーンに幼少時の自分とが重なったのだ。貧乏人の子沢山であった我が家も母親は働きに出て常にいなかった。湿った暗い部屋で、空腹や寒さに震え、母親が永遠に帰ってこないんじゃないかという不安。姉の毛玉だらけのセーターや弟の水っ洟を今でも鮮明に憶えている。人間、負の記憶や体験のほうが人格形成に大きな影響を与える。そして貧困と孤独のなかにも、活力や希望は必ずある。映画のテーマもそこにある。柔らかく優しいゴンチチの音楽も、胸を打つ挿入歌も、光に溢れるラストショットもその一点に収斂していた。俗に親はなくとも子は育つ、という。これは、親が気づかないうちに子はいろいろなことを学んでいる、という意味であろう。決して、親が何もしなくても勝手に育っていくということではない。子供は大人が考える以上に親を見ている。『親であるということは一つの重要な職業である。しかし今だかつて、子供のために、この職業の適性検査が行われたことはない』イギリスの戯曲家バーナード・ショウの言葉をいま突然思い出した。
コメント (1)
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