9月24日 日曜日 その2
次は京急の新馬場(しんばんば)駅下車。
Ⅴ.品川神社
手軽に富士山に登った事になる富士塚がある神社。高度2,800m以上で高山病になる私にぴったりの場所だ。
第一京浜沿い。左側上部に見える岩山みたいのが、富士塚。境内が結構広かった。
①門柱に龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」
②本殿
令和2(2020)年に修復したそうなので、赤くて可愛い。
③神楽殿
とっても立派。品川神社の太太神楽は東京都指定無形民俗文化財だそうだ。
④境内社
⑤富士塚
明治2年(1869)から5年(1872)にかけての築造されたそうだ。
↑ 参道の階段脇の登山口
↑ 境内社の浅間神社側からの登山口。私はこっちから登山。
↑ 富士山頂上からの眺め
⑥板垣退助墓所
本殿を一回りしていたら、寂しい空き地みたのがあって、そしたらこんな案内板が。
えっ? こんな所に「板垣退助の墓」? なんか放置状態なんですけど。
Wikipediaによると「社殿の裏に所在するが、品川東海寺の塔頭・高源院境内で、関東大震災後に同寺が世田谷区烏山に移転し墓だけが残された。その後の周辺土地の変遷により、接道の関係から品川神社を通らねば墓所へ入れない為、品川神社にあると誤解されているが、実際には異なるため神社に板垣墓所の事を尋ねると機嫌を損なうので注意が必要。」だそーだ。
「退助を含め明治以降に亡くなった一族の墓石があり、退助の墓は4番目の妻・福岡氏と並んで建てられている。明治以降の墓のため「土佐桐」の紋がついている。墓石のとなりには、明治維新100年・板垣伯薨去50回忌を記念して、板垣退助先生顕彰会によって建てられた佐藤栄作の揮毫による「板垣死すとも自由は死せず」の石碑がある。」
確かに「板垣」の文字が刻まれている墓石や線香台が並んでいるんだが、誰かがお参りに来てる形跡が全くない。板垣退助と言えば、私の年代には500円札でとっても馴染み深い有名人なのに。なんか寂しい・・・。
Ⅵ.願行寺
第一京浜を南に5分位。ここにしばり地蔵というのがあるらしい。
ここまで来る間にも第一京浜沿いにはお寺がいっぱいあった。
↓ しばり地蔵
「しばり(しばられ)地蔵は江戸初期の1652年に造立。地蔵の身体を縄で縛ると苦しみを身代わりに受けてもらえるとされ、以前は首だけ残し縄でびっしり縛っていたが、現在は縄を地蔵の胴に少しだけ巻いている。10月14日の十夜法会の夜に縄を解いて翌日また縛り直す。願かけ人は首を一つ持ち帰って祈願し、願成就すれば首を2つ奉納する。」
しばり地蔵が安置されているお堂の脇には京急の高架。1970年代には地面に京急の線路があったそうだ。この高架をくぐると願行寺の墓地になる。
線路を敷くって、住民も鉄道会社側もいろいろ大変なんだなあ。
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