◎昭和天皇と乃木大将
『特集文藝春秋 天皇白書』(一九五六年九月)から、鈴木たかの回想記「天皇・運命の誕生」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。昨日、紹介した部分のあと、次のように続く。
鬼ごつこされる大正天皇【略】
今も生きてる乃木大将
乃木〔希典〕さんの話では、あの時分のことで、相撲をとつたりされて御洋服の膝や靴下に穴があくんですが、それをいちいち取替えていたんです。所が、ある日、お帰りになつて、「院長閣下が着物の穴の開いてるのを着ちやいけないが、つぎの当つたのを着るのはちつとも恥じやない、とおつしやるから、穴の開いてるのにつぎを当てろ」とおつしやられて、私どもは穴のあいてる御洋服や靴下につぎを当てました。メルトン〔melton〕の御洋服ですからすぐ穴があきましてね。つぎを当てますと、「これでいいんだ、院長閣下がおつしやつたんだからこれでいいんだ」とおつしやつていました。何時だつたか乃木さんが御機嫌伺いにお上がりになつた時、「今日乃木大将が拝謁でございます」と申し上げますと、「いや、違う」「どういたしました?」「それは乃木大将じやいけない、院長閣下と申し上げなきやいけない」とおつしやる。それから乃木さんがおいでになると院長閣下と申し上げたものです。そのくらい尊敬を持つておいでになりました。
一度なんか、熱海に御避寒遊ばしていらつしやつた時のことですが、元日雪がたくさん降つた朝、乃木さんがやはり御機嫌伺いにおいでになられました。その時分は汽車がございませんので、沼津から軽井沢という所へ前の晩にお泊りになつて、朝早く熟海に御機嫌伺いにおいでになる訳です。ちようど殿下は火鉢(御所の火鉢は大きな火鉢で、上に金網がかかつたものですが)に当つていらつしやつたのです。「殿下、お寒いんでございますか。お寒いいは火鉢に当るよりあの御運動場に行つて駈けだしていらつしやつたらいかがですか。御運動場を二、三回お周りになつたら暖かくなります」とおつしやられますと、早速、火鉢に当るのをお止めになりました。又、殿下は熱海の山でお学友とよくお遊びになつたんですが、乃木さんが「殿下、山へお登りになる時に駈けてお登りになりますか、それとも下りる時に駈けてお下りになりますか」と伺われました。「登る時には駈けて登れないけれども、下りる時は駈けて下ります」「それはいけません、殿下。お登りになる時にはいくら駈けて登つてもお怪我はないが、下りる時に駈けて下りられると、お怪我を遊ばします。下りる時はゆつくり下りられた方がよろしい。お登りになる時はいくら駈けてお登りになつても結構」と、そういう小さな御注意を、ちよつちよつと遊ばされました。
このような乃木さんのお話で想い出されるのは三、四年前のことでございますが、ふだん陛下のお召遊ばす外套の襟が破れたことを女官長が陛下に申し上げますと、「外へ出る時は別だが、ふだんうちで往き来する時の外套はつぎを当てておけばいいから」と仰せられ、つぎを当てた外套を差し上げて恐縮しました――と女官長が言つておられましたが、私どもはそれを伺つた時に、あゝ、乃木さんが一生懸命御教育遊ばしたことは今でも陛下の中に生きていらつしやるんだな、と思いました。
乃木さんが自決遊ばしたのは〔一九一二年〕九月十三日ですから、たしか十一日だつたと思いますが、「三殿下に拝謁したい」と申されましてお見えになられました。私どもはおいりかわ〔お入側〕の障子の外にいまして、はつきりお言葉を伺わなかつたんですが、「きようはまず迪宮殿下に申し上げます」と言つて、懇々と何か申しておられました。『中朝事実』の白文に朱を入れたのを差し上げて、「今に御成長になつたらこれをよくお読みになつて頂きたい」と。残念ながら少し離れていましたから申し上げたことがはつきり私どもには聞こえませんでしたけれども、あんまり諄々と申し上げになるもんですから迪宮さまが「院長閣下はどつかへ行かれるのか」とお訊きになられますと、「いやあ、私は只今おじじさまの御大葬について外国使臣の接伴〈セッパン〉を言いつかつています。それがために殿下に拝謁ができないと思いますから、きよう伺つて申し上げました」と答えておられるのです。それだけははつきり聞こえたんです。乃木さんは最後のお別れに出られたわけですが聡明な殿下はお気がおつき遊ばされたんでしよう。「院長閣下はどつかへ行かれるのか」つて。お年は十二でいらつしやいました。
それから御大葬の日、乃木さん夫婦が自殺したつていうのが聞こえて来ましたのです。ああ、それであんなにしみじみと申し上げていらしつたんだな、つていうことを私どもなどはあとで感じました次第でございます。乃木さんが差し上げた『中朝事実』を、鈴木〔貫太郎〕が侍従長になつてから、どつかにあるだろうというので方々を探したんでございますが、どうしても見つかりませんでした。
今あれが残つていますと大変いい紀念品におなりになると思いますが、残念なことでございました。
色が黒かつた陛下【略】
鈴木たかの回想記は、ここまでである。
文中、「沼津から軽井沢という所へ前の晩にお泊りになつて」とあるが、この軽井沢というのは、沼津の島郷(とうごう)海岸のことであろう。島郷海岸は風光明媚で、「海の軽井沢」と呼ばれていたという。ちなみに、当時の東海道線は、国府津から御殿場経由で沼津に至っており、熱海には鉄道がなかった。
鈴木たかの回想記に続いて、同じく『特集文藝春秋 天皇白書』から、鈴木貫太郎の回想記を紹介したいと考えているが、明日はいったん、話題を変える。
今日の名言 2023・1・9
◎下りる時はゆつくり下りられた方がよろしい
少年時代の昭和天皇に乃木希典が与えた注意。「下りる時はゆつくり下りられた方がよろしい。お登りになる時はいくら駈けてお登りになつても結構」。上記コラム参照。