◎我が海軍の持論を貫徹せしむる好機会(金子堅太郎)
本日も、『続・現代史資料 5』〔海軍 加藤寛治日記〕(みすず書房、一九九四)の「Ⅲ 書翰」から、金子堅太郎が加藤寛治に宛てた書翰を読んでみたい。
本日は、一九二九年(昭和四)一二月一三日付の「極秘」書翰を読んでみる。
7 金子堅太郎書翰 [昭和4年12月13日]
極秘 昨日は態と〈ワザト〉御来訪殊ニ有益なる御高説を拝聴し、倫敦〈ロンドン〉会議ニ対し前途之曙光を発見するの感を懐き、又帰荘後御恵与之秘書を熟読し益々人意を強からしめ、憂国之念大ニ軽減致候。唯此上は内閣之決心如何ニ有之候。御承知之如く華府〔ワシントン〕会議ニ於ける原〔敬〕内閣之腰弱〈コシヨワ〉ニて終ニ帝国之外交を誤まり、米政府をして成功を謳歌せしめ、其余勢に附け込み彼〈カノ〉差別待遇之移民法を通過せしめて帝国之名誉を傷け、次て〈ツイデ〉満洲問題ニ不法之容喙〈ヨウカイ〉をなし候義〈ギ〉実ニ奮慨之至〈イタリ〉ニ候。就而ハ今回の倫敦会議ニは前回ノ覆轍を踏ます、断乎我〈ワガ〉主張を貫徹為致度〈イタサセタク〉候。若し彼米国ニ於て承認せされハ会議を不成功に終らしむるも我罪にあらす、全く米国之我侭〈ワガママ〉ニ有之候。
只今外字新聞を見るに封入之記事有之候。米国政府も我海軍之七割論之案外強剛なるに驚き俄然臨時大使を任命派遣せしむるものと被存〈ゾンゼザレ〉候。是れ米国政府之慣用手段ニ有之候。我権力地内に飛ひ込み来るは宛も〈アタカモ〉夏の虫之愚に似たり。可喜〈ヨロコブベシ〉、呵々。此上は東京に於て我等一致団結して彼の請求を説破し、我海軍之持論を貫徹せしむる好機会到来と存候。只懸念なるは内閣の態度ニ有之候。彼等は常ニ最後に於て腰を抜かして敗を取り、以て帝国之威信を失墜せしめ候間、今回は断々乎として帝国本来之軍略を尻徹する事尤も緊要ニ有之候。之を実現するは全く海軍軍人之一致団結ニ有之候間、何卒為邦家〈ホウカノタメ〉十分御尽力熱望する所ニ御坐候。草々頓首 堅太郎
昭和四年十二月十三日
加藤軍令部長殿閣下
[別紙、新聞切抜] 【略】
(註)封筒表、東京市四谷区三光町十七、海軍大将加藤寛治殿、書留、秘密親展、スタンプ4-12-13、4-12-14。封筒裏、神奈川県三浦郡葉山村、子爵金子堅太郎。
文中に「昨日態と御来訪」とある(「態と」は、「わざわざ」の意)。一九二九年(昭和四)一二月一二日に、加藤が金子の自邸(麹町区一番町)を訪ねたもよう。「帰荘後」とあるのは、葉山の自邸(別荘)に帰ったあと、の意味であろう。
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