◎塩谷温、天津で宣統廃帝に面会(1928)
塩谷温(しおのや・おん)という漢学者がいた(一八七八~一九六二)。ひとむかし前は、よく目にし、耳にする名前であった。塩谷は、一九二八年(昭和三)に、天津で宣統廃帝、すなわち愛新覚羅溥儀に面会して感激し、その感激を漢詩によって表現したことがある。ブログで、愛新覚羅溥儀について紹介しているうちに、塩谷のその漢詩のことを思い出した。
それが載っているのは、塩谷温『微結――喜寿詩選』(株式会社間組)という漢詩集である。初版が出たのは一九五五年(昭和三〇)だが、私が架蔵しているのは一九五七年(昭和三二)発行の再版である。
同書の三四ページに「天津謁宣統帝」という七言絶句があり、次ページには、「満洲国皇帝」の写真、および、その漢詩についての自註がある。本日は、これらを紹介してみよう。
一七 天津謁宣統帝
元 知 天 命 有 窮 通
龍 種 何 能 凡 馬 同
三 百 年 来 深 徳 沢
二 陵 佳 気 鬱 葱 々
天津【てんしん】にて宣統帝【せんとうてい】に謁【えつ】す(後の満洲国皇帝)
元【もと】より知る天命【てんめい】、窮通【きゆうつう】有るを
龍種【りようしゆ】何【なん】ぞ能【よ】く凡馬【ぼんば】と同【おな】じからんや
三百年来【びやくねんらい】、徳沢【とくたく】深【ふか】し
二陵【りやう】の佳気【かき】、鬱【うつ】葱々【そうそう】
昭和三年二月、私が高専教授の団長となり支那旅行に徃【い】つた際、天津で宣統【せんとう】廃帝を拝訪し、感激のあまり、本詩を賦【ふ】して陳宝琛【ちん】太傅【たいふ】を経て献上した。龍種は帝王の身の上、二陵とは奉天に在る清の太祖大宗の東陵と北陵。清朝【しんてう】三百同年の徳沢は深き故にやがて再び世に出で給ふ日もあらうと申し上げたのである。然るに十年後には満洲国皇帝として復活なされ、更に十年にして満洲国は滅び、今モスクワに配所【はいしよ】の月を眺められようとは。溥儀【ふぎ】閣下ほど数奇【すうき】の運命に見舞はれた御方はあるまい。
なお、『微結――喜寿詩選』の発行所である株式会社間組(はざまぐみ)は、ダム工事で知られた建築会社で、当時の社長は、神部満之助(かんべ・まんのすけ)であった。
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