礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

主張に少し極端な点がないわけではないが

2025-02-03 00:40:12 | コラムと名言
◎主張に少し極端な点がないわけではないが

 文部省普通学務局から出た『独逸国民に告ぐ』を閲覧してみた。その扉には、次のようにある。

 (時局に関する教育資料特別輯 第三)
   フィヒテ述
   独 逸 国 民 に 告 ぐ
         文 部 省

 奥付を見ると、「大正六年十月十七日印刷/大正六年十月二十日発行/文部省」とある。岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の凡例には、「大正六年九月」に上梓されたとあったが、届け出上は「大正六年十月」の上梓で、実際には「大正六年九月」に上梓されたのだろうか。
 扉をめくったところに、「フイヒテ小伝」がある。この一文は、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の10ページにある「フィヒテ小伝」と同じである。
 そのあとに、フィヒテの「肖像」がある。キャプションはなし。
 続いて、「凡例」がある。以下の通り。

    凡 例
 一、本輯は、一八〇七年の末より八年の初頭に亘りフィヒテが伯林大学に於て学者教育者その他愛国の士を集めて行へる講演「独逸国民に告ぐ」Reden an die deutsche Nation を翻訳せるものなり。この講演は実にフィヒテの熱列なる愛国心とその勇気とを証明せるものにして、当時伯林は仏軍の蹂躙する所となり、フィヒテの講演は幾度か仏軍の太鼓の響に妨げられたりと云ふ。
 一、フィヒテはこの講演に於て独逸国民が道徳の要素に於て欠くる所あるを摘発し、之を根柢より救済せんとせり。即ちフィヒテは全欧洲の国民が挙つて道徳的に堕落の頂点に達せるを痛感し、当時の状態を批評して最も完備せる罪悪の社会なりとし、極端なる利己主義流行の時代なりと云へり。是に於てその国民を道徳的堕落より救済せんが為め国民教育を根柢より改良し、倫理的新時代を作らざるべからずと主張せり。フィヒテによれば、この道徳的革新は世界的問題なると同時に、独逸の民族的問題にして、その目的は人類に鞏固にして善良なる意志を養成するにあり。故に教育は須らく具案的、方法的ならざるべからず。精神の純潔は思考の明晰を予想す。故に認識の明晰により純良なる意思を鍛錬するを得。フィヒテはペスタロツチが児童教化の理想的方法に基礎を与へたることを称揚し、その主義を採り之に自己の理想を加へ以て此の論をなせり。
 一、フィヒテが教育史上に於ける意義は、汎愛主義及び人文主義の曖昧なる理想を棄てて、強健なる人間の陶冶を説き、国民的教育の精神を鼓吹せるにあり。而してその主張に幾分極端なる点無きに非ずと雖も、よく時勢を洞察し、国民の覚醒を、促したる所、今日の我社会に対して参考となるべきもの尠からざるきを思ひ茲に之を訳出し「時局に関する教育資料」特別輯として上梓することゝせり。
 大正六年九月       文部省普通学務局

 凡例は全三項からなる。署名は「文部省普通学務局」となっているが、実際は、訳者の大津康によって執筆されたものであろう。なお、この文部省版では、訳者・大津康の名前は紹介されていない。
 さて、この文部省版の凡例だが、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』にある凡例の最初の三項と、文体・用字などが違っているものの、基本的には同一だと言ってよかろう。ただし、文部省版の第三項中にあった「その主張に幾分極端なる点無きに非ずと雖も」(その主張に少し極端な点がないわけではないが)というコメントは、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の第三項では削ら去られている。なお、岩波文庫初版『独逸国民に告ぐ』の凡例は、残念ながら、まだ参照できていない。【この話、さらに続く】

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文部省、1917年に『独逸国民に告ぐ』を出版

2025-02-02 05:06:53 | コラムと名言
◎文部省、1917年に『独逸国民に告ぐ』を出版

 昨日の話の続きである。本日は、岩波文庫『改訂 ドイツ国民に告ぐ』(1940年3月改版)の「凡例」を読んでみたい。

    凡  例

 一、本輯は、一八〇七年の末より八年の初頭に亘りフィヒテがルリン学士院に於て、学者、教育者その他愛国の士を集めて行へる講演(ドイツ国民に告ぐ)Reden an die deutsche Nation を翻訳したものである。この講演は実にフィヒテの熱列なる愛国心とその勇気とを証明したもので、当時ベリンが仏軍の蹂躙するところとなり、フィヒテの講演は幾度か仏軍の太鼓の響に妨げられたりといふ。
 一、フィヒテはこの講演に於てドイツ国民が道徳の要素に於て欠くるところあるを摘発し、これ根柢より救済せんとした。即ちフィヒテは全欧洲の国民が挙つて〈コゾッテ〉道徳的に堕落の頂点に達せるを痛感し、当時の状態を批評して、最も完備せる罪悪の社会なりとし、極端なる利己主義流行の時代なりといつたのである。ここに於て、その国民を道徳的堕落より救済するには、国民教育を根柢より改良し、倫理的新時代を作らねばならぬと主張した。フィヒテによれば、この道徳的革新は世界的問題であると同時に、ドイツの民族的問題であつて、その目的とするところは、人類に鞏固〈キョウコ〉にして善良なる意志を養成するにある。故に教育は須く〈スベカラク〉具案的、方法的でなくてはならぬ。精神の純潔は思考の明晰を予想する。故に認識の明晰により純良なる意思を鍛錬することを得る。フィヒテはペスタロッチが児童教化の理想的方法に基礎を与へたことを称揚し、その主義を採り、これに自己の理想を加へ、以てこの論をなした。
 一、フィヒテが教育史上に於ける意義は、汎愛主義及び人文主義の曖昧なる理想を棄てて、強健なる人間の陶冶を説き、国民的教育の精神を鼓吹するにある。しかしてその主張がよく時勢を洞察し、国民の覚醒を促したるところは、今日のわが社会に対して参考となるべきもの多きを思ふ。
 一、本書は大正六年九月、「時局に関する教育資料」として、文部省普通学務局にて上梓したものを、今回文部省の好意ある許諾を得て、岩波文庫の一篇としたものである。謹んで同局に謝意を表する。
 一、訳者は六年前〔1922〕に長逝せられ、本年〔1928〕二月四日は丁度その七周忌にあたる。本書の翻訳は同氏以前に幾人もこれを試みられたが、難解苦渋何人もこれを判途に放擲〈ホウテキ〉した。大津氏を俟つて初めてこれを完成されたことを特記する。

  昭 和 三 年 二 月          〈3~4ページ〉

 岩波文庫『改訂 ドイツ国民に告ぐ』には、「解題」、「解説」と題されたものがなく、この「凡例」が、「解題」の役割を果たしている。
 凡例の第四項によれば、本書は、1917年(大正6)9月、「時局に関する教育資料」として、文部省普通学務局から上梓されているという。これは、耳よりな情報であった。
 そこで、国立国会図書館の検索システムで、「独逸国民に告ぐ 文部省普通学務局」と検索してみた。たしかに1件ヒットする。「時局に関する教育資料特別輯 第三輯」である。こちらの文献は、「インターネットで読める」となっている。
 1917年(大正6)に出た『独逸国民に告ぐ』がインターネットで読めるのに、1928年(昭和3)に出た岩波文庫『独逸国民に告ぐ』がインターネットで読めないのは、どういうわけなのか。ともかく、文部省普通学務局から上梓された『独逸国民に告ぐ』を読んでみよう。【この話、続く】

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岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』をめぐる謎

2025-02-01 00:05:48 | コラムと名言
◎岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』をめぐる謎

 1月22日のコラム「角川文庫版『ドイツ国民に告ぐ』の解説を読む」で私は、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』(大津康訳)は、国立国会図書館によってインターネット公開がされていないと書いた。
 同図書館に岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』がないわけではない。同図書館の検索システムで検索してみると、同書の第8刷(1934)がヒットする。
 ところで、一昨日(1月30日)、書棚を整理していたところ、岩波文庫版『ドイツ国民に告ぐ』が出てきた。『独逸国民に告ぐ』ではない、『ドイツ国民に告ぐ』が出てきたのである。
 その奥付には次のようにあった。

 昭和 三 年二月十五日   印      刷
 昭和 三 年三月 三 日   発      行
 昭和十五年三月 十 日   第十六刷改版発行
 昭和十六年三月三十日   第 十 七 刷 発行

 ドイツ国民に告ぐ ★★★  定 価 六 十 銭

 これを見て、岩波文庫版『独逸国民に告ぐ』は、1928年(昭和3)年3月に、初版が出ていたことを知った。そして、この初版は、1940年(昭和15)3月に改版され、その改版に際し、タイトルを『ドイツ国民に告ぐ』と改めたのであろうと推測した。
 いま手にしている本の表紙を見ると、右書きで「改訂/ドイツ国民に告ぐ」とある。背表紙には、「改訂 ドイツ国民に告ぐ」とある。扉には、なぜか「ドイツ国民に告ぐ/(改訂版)」とあった(扉も右書き)。
「改訂版」の存在が明らかになったので、改めて、国立国会図書館の検索システムで「ドイツ国民に告ぐ 岩波文庫」を検索してみた。ヒットしない。国立国会図書館には、岩波文庫の改訂版『ドイツ国民に告ぐ』は架蔵されていないようだ。意外なことだった。
 岩波文庫の初版『独逸国民に告ぐ』は、インターネット上に公開されていない。その訳者は、大津康(おおつ・やすし、1876~1922)だが、この人は、今から百年以上も前に亡くなっている。その訳本が、インターネット公開はされていない。これも、不思議と言えば不思議である。【この話、続く】

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1891年開業の下田駅(奈良県)は、2004年に香芝駅と改称

2025-01-31 00:50:17 | コラムと名言
◎1891年開業の下田駅(奈良県)は、2004年に香芝駅と改称

『明治廿八年 御重寳』から、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」を紹介している。
 その六ページの上には、ヨコ右書きで「神戸馬場間 難波堺間 湊町奈良及王寺桜井間」とあって、馬場駅・神戸駅間、難波駅・堺駅間、湊町駅・奈良駅間、天王寺駅・桜井駅間の、それぞれの路線について、各駅の発着時刻が示されている。
 このページの内容を、箇条でまとめてみた。

○馬場駅・神戸駅間は、いわゆる東海道線のうち、関西の部分である。駅名は、二~三ページにあるものと同じ。下り・上りとも、一日十六便。
○馬場駅始発、上りの最初の電車は、午前3:55発。神戸駅始発、下りの最初の電車は、午前3:25発。
○難波駅・堺駅間の鉄道は、民営の阪堺(はんかい)鉄道。駅は、難波(なんば)・天下茶屋(てんがちゃや)・住吉・堺の四駅。下り・上りとも、一日二十四便。
○湊町駅・奈良駅間の鉄道は、大阪鉄道(民営)の路線。駅は、湊町(みなとまち)・天王寺・平野・八尾(やお)・柏原(かしわら)・王寺(おうじ)・法隆寺・郡山(こおりやま)・奈良。下り・上りとも、一日十一便。
○王寺駅・桜井駅間の鉄道は、大阪鉄道(民営)の路線。駅は、王寺・下田・高田・畝傍(うねび)・桜井の五駅。下り・上りとも、一日十一便。

 大阪鉄道の下田駅(奈良県)は、1891年(明治24)3月に開業した。同年12月に開業した日本鉄道の下田駅(青森県、現在は、青い森鉄道線の駅)とは別。1961年(昭和36)12月に開業した伊豆急下田駅(静岡県)とも、もちろん別である。なお、奈良県の下田駅(現在、JR西日本・和歌山線の駅)は、開業から113年後の2004年(平成12)3月、香芝(かしば)駅と改称された。
「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」の紹介は、まだ終わっていないが、明日は、いったん話題を変える。

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神戸から広島までの所要時間は8時間56分

2025-01-30 00:06:30 | コラムと名言
◎神戸から広島までの所要時間は8時間56分

『明治廿八年 御重寳』から、「全国鉄道汽車発着時刻及賃金表」を紹介している。
 その五ページの上には、ヨコ右書きで「神戸広島間」とあって、神戸駅・広島駅間の各駅について、その発着時刻が示されている。
 このページの内容を、箇条でまとめてみた。

○神戸駅・広島駅間は、山陽鉄道(民営)の路線で、1894年(明治27)6月10日に、広島駅まで延伸したばかりだった。
○神戸駅・広島駅間にある駅名は、次の通り。神戸・兵庫・須磨・舞子・明石・大久保・土山・加古川・阿弥陀・姫路・網干・龍野・那波・有年・三石・吉永・和気・瀬戸・長岡・岡山・庭瀬・倉敷・玉島・鴨方・笠岡・福山・松永・尾道・糸崎・三原・本郷・河内・西条・八本松・瀬野・海田市・広島。
○神戸駅始発の列車は、一日に九本あるが、その内訳は、広島行きが三本、岡山行きが三本、姫路行きが二本、糸崎行きが一本である。
○このほかに、岡山駅始発の広島行きの列車が二本ある。
○神戸駅始発午前9:00の広島行き列車の、主要駅における発着時刻を示す。姫路着午前10:33、姫路発午前10:39、岡山着午前12:57、岡山発午後1:04、糸崎着午後3:27、糸崎発午後3:32、広島着午後5:56。この列車の場合、神戸から広島までの所要時間は、8時間56分である。
○神戸駅始発午前10:00の広島行き列車の、主要駅における発着時刻を示す。姫路着午前12:15、姫路発午前12:30、岡山着午後4:00、岡山発午後4:19、糸崎着午後7:22、糸崎発午後7:37、広島着午後10:35。この列車の場合、神戸から広島までの所要時間は、12時間35分である。
○神戸駅始発午後8:00の広島行き列車の、主要駅における発着時刻を示す。姫路着午後10:15、姫路発午後10:30、岡山着翌日午前1:50、岡山発午前2:15、糸崎着午前4:59、糸崎発午前5:17、広島着午前8:43。この列車の場合、神戸から広島までの所要時間は、12時間43分である。
○神戸駅から主要駅までの賃金(乗車賃)は、次の通り。兵庫2銭・姫路34銭・岡山70銭・倉敷80銭・福山1円・糸崎1円・広島1円30銭。

 ウィキペディア「八本松駅」の項によれば、八本松(はちほんまつ)駅の開業は、1895年(明治28)4月4日である。一方、冊子『明治廿八年 御重寳』の発行は、1894年(明治27)11月20日であった。すなわち、この冊子の編集者は、翌年4月の八本松駅開業に合わせた時刻表を入手し、この冊子に載せていたことがわかる。
 神戸駅始発午前9時の列車と、同駅始発午前10時、午後8時の列車とを比べると、広島駅までの所要時間に、3時間以上の差があるが、時刻表では、そのようになっている。

*このブログの人気記事 2025・1・30(9位になぜか老スナイパー、10位になぜか野村秋介)
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  • フィヒテに匹敵する思想家は、戦後の日本に現れて...
  • 新橋から神戸までの所要時間は19時間10分
  • 備前国布都美村の袖キリ石につまづくと……
  • 突然、 大粒の涙を流して嗚咽が始まった
  • 誰のためでもない、すべては自分のために(野村秋介)



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