礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

鉢は、梵語パトラー(Patra)の音写

2024-11-21 01:08:24 | コラムと名言
◎鉢は、梵語パトラー(Patra)の音写

 松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その五回目。

 第三種の俗字に至つてはなかなか判り難いのであります。今普通に使はれてゐる文字に刹といふ字がありますが、どうしてこれがサツと読めるか頗る不思議なのであります。が本来これは擦の字を用ひてゐた。今でも擦柱などといつて塔の上の柱を表はしてゐる。之にも木扁のも手扁のもある。支那文字の意味は違ふが音だけ現はすにはどちらでも差支ない。何れもサツの音を現はすだけである。梵語はクセトラ(Ksetra)である。此音は支那字で写し出すのが難しいから、初めは之に近い❶といふ字を用ひてゐました。この字はシとかシツといふ音の字で、その意義は「割る」とか「傷つける」といふのである、しかし支那字本来の義は之に何等の関係もないのであつて、音だけを現はすのに他に適当な文字がないからこの❶といふ字を宛てたものゝやうであります。この❶は元からある支那の字であつたが、それが段々変化して、終には今の刹となつたのです。で字書にも略とも訛ともいつてある。古写経を見ると、刹といふ字は❷と書いてある。それから更に❸ともなつてゐる。誤字といへば誤字であります。而して最後に最も簡単になつたのが刹であります。今は総べて刹を用ひてゐるが、これは元来支那に存しない新字であります。又其意義から云つても、刹はもと土田と解釈せられ、場所とか国土とかの意味であります。で仏教者は刹土ともいひ、刹は神聖なる場所、神聖なる区域といふ意味に使つたものだと思はれる。けれども普通はそんな意味に使つてゐない。刹といふのは塔の真中に立つてゐる柱で、之を刹柱〈サッチュウ〉と云つてをり、仏塔中心の柱と解釈してゐる。如何にして土田といふやうな義から、塔中心の柱を意味するに至つたかといふと、塔には舎利―仏舎利を収めるのが常則であり、本来は舎利を収めた印として塔を作つたのです。舎利は仏身の一部で最も神聖なものであるから、其神聖な場所の印として、塔上に柱、実は蓋〈フタ〉を樹てたのである。斯かる意味からして塔上の蓋即ち柱(蓋の支柱)をも刹と称するに至つたのであります。又次に塔上の柱を刹と云つたことから更に意味が広くなつて、仏塔そのものをも刹と称した。古詩に「刹々相望」といふ句があり、註には刹々とは仏塔なりとある。即ち塔があちらにもこちらにも沢山幷び〈ナラビ〉立つことを云つたものであります。又「五山十刹」といふ時の刹の如きは単に塔だけではなく、寧ろ寺院そのもののことを云ふのであります。だから塔の意義も支那では後世次第に広くなり、吾々の思想の結び附きによつて意味が変つて来ました。そして文字の形に於ても、又其意義に於ても、幾多の変遷を来したのであります。
 又鉢の字は普通ハチとかハツとか読んでゐる。斯かる不思議な音は何処から起つたのであらうか。今の字の形に於ては之はホンとでも読まなければならないものである。而して斯かる字も亦支那には元無かつたのである。これがどうしてハチと読まれるのか、又どういふ字から変つて来たかといふと、ハツといふのは梵語はパトラー(Patra)、俗語ではパッタ(Patta)である。だから始め支那で之を音訳した時には、跋陁羅と書いてゐた。これはPatra の音訳である。所が支那では普通一語の首又は尾音を略して用ひる。さういふ事は人間の名ですら屢〻見られるのである。例へば般若留志といふ人が居る。さうすると其初めのハンニャを略して単に留志〈ルシ〉といふ。菩提達摩といふ人が居れば其初めのボダイを略して単に達摩〈ダルマ〉といふが如きである。この跋陁羅も亦之と同様であつて、跋陁羅では長いから其終を略して単に跋としたのである。これが抑〻今のハツの音の生じ来つた所以である。しかし跋の字は足扁であるから、これは事物の性質を表はすに不適当であるので、これを金扁にし鈸とした。これは食事をする時の僧の食器である。それから楽器にも使ひます。食器のハツは焼物であるので皿を下に書いて盋といふ字を以て現はすことにもなつた。而して最後に鈸が鉢と変つて来たのである。鈸の右側は夲に似てゐる所から誤つたものである。所がこの夲は支那では一般に本の俗字であつて、之を正しい字に書き替へたものが今俗間一般に用ひてゐる鉢の字であります。要するに之は誤りの上に誤りを重ねたものではあるが、今日では字書にも之を挙げ正しい文字となつてゐる。かういふやうな俗字、訛字、誤字が新たなる字と認められるやうになつた例は此外にも沢山あります。〈238~241ページ〉【以下、次回】

 文中、❶は、「黍」が左側にあり、それにリットウ(刂)が付いた字である。❷は、「久の下に氺がある字」が左側にあり、それにリットウが付いた字である。❸は、「爻の下に木がある字」が左側にあり、それにリットウが付いた字である。いずれも、ワードでは出せなかった。
「鉢」は、梵語パトラー(Patra)の音写とある。出家修行者が用いる食器の意味である。「鉢」は、転じて、「頭」の意味で使われることがある(鉢巻など)。これは、頭の形が鉢に似ているからだという。

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佛、魔、塔などは、新たに作った文字

2024-11-20 00:01:11 | コラムと名言
◎佛、魔、塔などは、新たに作った文字

 松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その四回目。

 それから第二の所謂諧声〔形声〕で、音字にそのものの性質を現はす扁を附した文字は殆んど無数に存するのであつて、人のよく知るところで特にお話しする必要もない位である。佛とか魔とか塔とかいふ字は皆それであります。これらは皆新たに作つた文字である。佛に於てはブツといふ音を現はせばよい、而してこれは人間であるから人扁〈ニンベン〉を附けたのである。ブッドの音を現はすだけならば弗だけでもよいのでるが、これだけでは曖眛で、音か義か判らない。それで特殊の文字として佛となしたのである。支那に始めて仏教が伝はつた時には、これも二字を以て表はしてゐた。今三国志の魏書の註に引用せられてゐる魏略の西戎伝に出てゐる復土といふのが、佛字に当てられた最も古い字形でせう。今の本には立とあるが、立は土の誤写であります。土は、支那古代には𡈽と書く所から立に誤写されたのであります。これは前漢の末支那の景盧〈ケイロ〉といふ人が西域に行き、大月支〈ダイゲッシ〉国に居る中に伊存〈イソン〉といふ人から仏教を口授されたのである。其時に此復土【ブツド】の音字を用ひたものらしい。又同じ処に浮屠経の字もあります。浮屠もブツドの音を写したものであるが、恐らく復土の後に出来たものではなからうかと思ひます。漢代支那に仏経の翻訳された最初のものといはれる四十二章経〈シジュウニショウギョウ〉の今本にも、常に浮屠といふ字が書かれてゐる、又西暦百年代の中葉、漢の桓帝霊帝の頃に襄楷〈ジョウカイ〉といふ人が居たが、其上表の文にも浮屠といふ字が書いてあります。浮屠は本来斯くブツドの音を写したものであるが、六朝時代から浮屠と同音の浮図は塔を意味することゝなつた。兎に角〈トモカク〉復土が浮屠となり、更にそれが一字に約め〈ツヅメ〉られ佛となつたのであります。
 魔といふ字も、音以外何等の意義はない。マといふ音だけを現はしたもので、梵語のマーラの下を略したものであります。それで元は磨と書いてゐたものである。だがこれでは意味が判らない、それで梁の武帝がこの磨の下部の石の代りに鬼といふ字を書いたといふことであります。鬼は悪魔の性質を現はしたものである。
 又塔も荅だけでよいのであるが、しかし塔の性質を現はすために土扁を附し、塔といふ新しい字を造つたのである。印度のスツーパは俗語ではツーバであり、それから今英語ではトープといつてゐる。この塔は、支那の古墳の墳といふ字と同じで土石を積累したものである。墓には土を盛り上げ饅頭形のものとなす、これが累土であり、塔の本義である。それで塔といふ字にも土扁をつけたのである。現存する支那の塔は煉瓦で建てたものであるから、これには瓦扁でも附けるべきものであり、日本の塔は木造であるから木扁を附けるべきでありませう。近頃は又鉄筋コンクリートのものも出来たから金扁の塔も成り立ち得る訳であります。これらは最も判り易いものであり、何人も皆能く知るところであります。何れも支那の形声即ち字の一方は音を現はし、他の方は其物の性質を現はすといふ原理から成り立つた文字であります。〈236~238ページ〉【以下、次回】

 文中、「𡈽」という字がある。この引用では、やむなく、「𡈽」の字を用いたが、原文では、「玉」という字の第一画がない字が使われている(「𡈽」とは、テンの位置が違う)。

※今朝は、かなり冷えこんだが、わが家に自生しているアサガオ二種は、今朝もなお、花をつけていた。葉がハート形で青い花が咲くほうは、二輪が咲き、葉先が三つに分かれていて白い花が咲くほうは、三輪が咲いていた。いったい、いつまで咲いているのだろうか。

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薩は、もとは薛土と書いた

2024-11-19 05:26:31 | コラムと名言
◎薩は、もとは薛土と書いた

 松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その三回目。

 先づ第一に二字を一字に合したもの、これは支那にも余り沢山はありません。その最も著しいのは菩薩の薩の字であります。今の字では薩と書いてをりますが、これは本来支那には仏教渡来以前になかつた文字であり、新たに出来たものであります。だから音だけあつて義のない字である。これをどうしてサツと読んだか、サツといふ音は字の形からは出て来ないのである。ところが本願寺の大谷光瑞〈オオタニ・コウズイ〉さんの西域から持ち帰られた漢末か三国時代前後の古写経の断片と思はれるものを見ますと、この薩といふ字が薛土となつてゐる。薛は今日我邦ではセツと読んでゐますが、皆はサツといふ音に近かつたのではないかと思はれます。でこれはサッドとなるのであります。梵語(Sattva)は俗語のSattaであり、普通の発音はサットである。薛土は洵に能くその音を現はしてゐるのである。けれどもこれが三国時代以後になると、この字が一つに合して❶となつて来る。此形は六朝から唐宋に至るまで一般に用ひられてゐるのであります。しかし艸冠〈クサカンムリ〉や阜扁〈コザトヘン〉(☆が阝となる)は可なりとしても、其右側の文字は頗る奇怪な形をなしてゐるから、宋末乃至元以後では❷になつて来た。明まではこの❷の字を使つてゐます。而して清朝になつては更に一変し、薩となつたのである。これは全然誤字といへば誤字であるが、今では一般に此字を用ひてゐるのであります。而して薩をサツと読むのは、薜土から来たもので、薩は本来サッタの音写字であつたが、これが一字となりサッと読まれてからは、サッタといふ時には又薩埵と書くやうにもなりました。
 次にこれは二字を合したといふよりも略字といふ方が適当であらうと思ふが、唐代の写経には屡〻★と書いて之をボダイ(菩提)と読んでをります。これも二字を合して稍〻単簡化したのである。斯くの如きも一般に用ひられると、長い間には又一つの新字となる訳であります。唐代既にさうであるが、日本でもササと書いて菩薩と読んでゐる。これは略字の甚だしいもので、文字といふ程でもないかも知れぬが、矢張り同じ原理から来たものであります。
 尚ほ不思議なのは❸で、これはネハン(涅槃)と読むのであるが、これは単に符牒といふ外はない。菩薩のなら二字共に艸【そうこう】が附いてゐるから此二つの❹を合せ、他の部分を略したものと解すべきであるが、涅槃の場合は何処にも❸の形はない。それを便宜に二つ合せて❸とし、涅槃と読むに至つては、単に符牒といはざるを得ぬ。がこれは恐らく❺を以てボサツとなした所から、❸を便宜ネハンとしたものと思はれるのであります。これも二字を一字に合した例となり得るかと思はれます。〈234~236ページ〉【以下、次回】


 ☆は、阜の下半分(十)がない字、★は、クサカンムリに堤という字である。
 ❶と❷は、薩の異体字。「文」の下の部分が、それぞれ微妙に異なっている。
 ❸は、卌がタテにふたつ並んだ字、❹は、クサカンムリである(三画でなく四画のクサカンムリ)。❺は、三画のクサカンムリがタテにふたつ並んだ字。

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支那の文字で外国語の音をあらわすのは難しい

2024-11-18 00:01:09 | コラムと名言
◎支那の文字で外国語の音をあらわすのは難しい

 松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その二回目。

 そこでこれから、外国の言葉を支那ではどういふ風に写してゐたかといふことを少し申上げたいと思ひます。外国語をそのまゝ伝へるには、それに似寄つた音字を当てるといふのが極めて自然であります。ところが支那には音韻の文字はない、象形の文字であります。だからそこに色々の不便が生ずる。今のローマ字のやうに外国語の音を正確に現はすことが難しい。又仮令〈タトイ〉それが出来るとしても、一音毎〈ゴト〉に一字を当てなければならないから非常に長くなる嫌がある。短い言葉は一音で現はすことも出来るが、少し長い綴の言葉になると、一語音を写すに、支那の五字も六字も、甚だしきに至つては九字も十字も使はねばならないことがある。支那の文章は総べて簡潔を尊ぶのでありますが、長たらしい文句を使つてゐては洵に〈マコトニ〉不便であります。又短い言葉で一字を以て写し出されるものにあつては、それが一体音を現はした字であるのか、義を現はした字であるのか甚だ曖昧なことが生じて来ます。支那の文字を以て外国語を音訳するには、かういふ諸種の不便がある。けれども新訳家、即ち唐時代玄奘〈ゲンジョウ〉以後の飜訳家は、不便であるに拘らず成るべく正しい音を支那に伝へようと考へたのであります。で長くなつても、字音を出来るだけ精密に現はさうと努めました。ところが旧訳家、即ち玄奘以前の飜訳家は此点に於て大いに相違します。旧訳家は余り長たらしく、解らない意味の文字ばかりが続くことを好まず、又其曖眛を避けるため余程軽便主義を採つてゐます。で先づ第一には新しい文字を作るのである。支那にこれまでに無い文字を作つて之を現はすといふことをやつた。然らば其文字を作るのはどういふ風にしたかといふと、之にも色々あります。が一つの方法は先づ音を写す、例へば二字を以て音を写すとすれば、此二字を一字に合してしまふのである。これは随分無理な作り方のやうですが、実際には頗る便利な方法であります。近頃日本でもキログラムといふ字を瓦扁に千の字を書き、千瓦の二字を一字にし瓩として使つてゐますが、支那に於てもこれと同様でありました。しかし最も多いのは、音の近い字を借り原語の音を写して、それに支那の六書〈リクショ〉の内の諧声とか形声といふやうな字の構造法に依つてそのものの性質を現はすところの扁をつけるのである。かうして一つの新しい支那文字が造られるのである。これが最も普通に行はれた方法であつたやうであります。それから第三に、これは新字を作るのではないが、原語の音を写した字が段々時代の経過に伴つて其形を変化して来る。云はゞ俗字が出来るのであります。而もこの俗字が後世では寧ろそのものを現はす正しい文字のやうになつてしまふのであります。この俗字は新たに作つた文字ではないが、新字であることは前と同様であり、後世の辞書には何れも之を挙げてをります。更に新訳家の採る処は主として音写であるから、文字の形は支那旧来のと少しも変化はないが、其意味に於ては,従来それによつて表はされた所とは全然異なつたものとなり、新しい意義が新たに加はることゝなる。さういふやうに色々新しい字形又は字義が出来て来る場合があるのであります。今次にこれらの二三の例をお話してみようと思ふのであります。〈232~234ページ〉【以下、次回】

 六書(りくしょ)とは、漢字の構成法に関する六種の原則をいう。象形・指事・会意・形声・転注・仮借(かしゃ)の六つ。形声は、諧声とも言う。

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松本文三郎の「支那に於ける印度音訳字」を読む

2024-11-17 01:35:07 | コラムと名言
◎松本文三郎の「支那に於ける印度音訳字」を読む

 先月、神保町の某古書の均一棚にあった、松本文三郎著『仏教史雑考』(創元社、1944年4月)を買い求めた。定価(税込)5円82銭、古書価100円。
 松本文三郎(まつもと・ぶんざぶろう、1869~1944)は、仏教学者、京都帝国大学名誉教授。1944年(昭和19)12月に亡くなっているので、『仏教史雑考』は、生前最後の著書ということになる。
 同書には、かなり専門的な論文十二本が収録されている。うち、「支那に於ける印度音訳字」は、1933年(昭和8)10月7日に懐徳堂でおこなわれた講演の記録を起したもので、わかりやすく、かつ興味深い内容になっている。初出は、『懐徳』第12号(懐徳堂堂友会、1934年10月)で、初出時のタイトルは、「支那に於ける印度音訳字の二三に就て」であった。
 本日以降、何回かに分けて、この講演の記録を紹介してみたい。

  支那に於ける印度音訳字

 いかなる処にあつても、国と国との間に交際が始まり或は一民族と他の民族とが往来をするやうになると、その一地方の言葉が自然他の地方に輸入されるものであります。殊に物品の如く一国には存在するが他の国には全く無いといふやうなものがあれば、必ず其有る処から無い処へ転じ来り、而して其時には物品と同時にその名称までも伝はつて来るものである。本来輸入国には其物品がなかつたのであるから、之を言ひ表はす言葉もない、で外国の名称そのまゝを伝へるより外〈ホカ〉途はないのであります。
 日本に於ても、始めて支那と交際した時には支那の言葉が沢山日本語の中に入つて来ました。而して数千年来民間に用ひられると、終ひ〈ツイ〉にはそれが日本語であるのか、外国の言葉であつたのか殆んど民間では知らない位普及し、通俗化して来ます。例へば馬であるとか、茶であるとか、梅であるとかいふ言葉は皆外国から入つて来たものであります。此頃は余り用ひないやうですが、私共の子供の時分には街道を往還と云つてをりました。又今日でも一般に行李〈コウリ〉といふ語が用ひられてをります。此等は随分難しい語ですが我国でも普通民間で使つてゐるのであります。それからヨーロッパ諸国と交際するやうになつてからは、又色々の言葉が沢山入つて来ました。今日に於ては外国語を使ふ方が却つてハイカラのやうに感じられてゐるので、同じ日本語で言ひ表はし得る言葉でも、諸種の外国語を使つてゐるやうな時代でありますが、これも久しい中〈ウチ〉には終ひには日本化し、日本語か外国語か判らないやうにもなりませう。
 支那に於ても矢張りその通りであります。殊に支那は古来色々の国と交際してゐたし、又其歴史も長いものでありますから、諸方の国土から諸種の言葉が沢山入つて来てをります。今より十数年前(一九一九年)ラウファー(Laufer)といふ人がシノ・イラニカ(Sino-Iranica)といふ書物を書いてをりますが、これは支那語の中に混入してゐる主としてペルシア系統の言葉を選び出し、其語源や歴史を説いたものであつて、此書の中には植物、果物、さういふ名称が約六十種以上も出てゐて、吾々には非常に興味ある書物であります。このイラン系統のものばかりで而もそれは普通民間に使はれてゐる草木とか、果実とかいふ類〈タグイ〉のものだけで六十以上もあるのでありますから、其他にもまだ幾らあるか殆んど判らないのであります。之によつても、如何に多数の外国語が支那に輸入せられ支那化してゐるかといふことが判るのであります。又仏教が支那に伝はつてからは、仏菩薩を始め仏教特殊の言葉、涅槃とか菩提とかの熟語乃至印度・西域地方の植物や動物其他種々の物品の名称が沢山支那に入つて来たのであります。
 殊に仏教には五種不翻〈ゴシュフホン〉の言葉といふものがあります。これは必ずしも皆翻訳出来ないものでもありませんが、翻訳し難いもの、又は翻訳すれば却つて誤解を招き易いもものであるから、此等は翻訳せずに原語のまゝ唯音字で之を写してゐた言葉であります。所謂五種不翻の語とは、一つが秘密の言葉であつて、例へば仏経には陀羅尼〈ダラニ〉とか咒〈ジュ〉とかいふものであります。これは、飜訳すれば出来ないこともないが、強ひて訳した所で其意味がはつきりしないものである。それで原語のまゝで伝へておく方が寧ろ安全であり又何となく有難味があるので、敢へて翻訳しなかつたものであります。第二には多義の語であります。何処の国でもさうですが、一つの字で色々の意味をもつてゐる言葉がある、これを支那語に訳すると一つの意味しか現はされない、それでは本当の原語の意味を尽くさぬ事になる。例へば摩訶般若の摩訶といふ字の如きは「大」といふ義と,其外「勝れたる」とか「多い」とかいふ意味がある。それを支那の言葉で単に大と訳するだけでは、他の意味が隠れて現はれて来ない。さういふ意味の多い字は特に原語をそのまゝ使つてゐる。第三は支那に無いところのもの、これは物品の名称のやうなもかであつて、例へば瑠璃とか玻璃とかいふものは支那には無かつたものである。それで其名称も本国のまゝ伝はつてゐる。動植物でも同様である。それから第四には古例に従ふといふものである。昔の翻訳者が翻訳しないで原語のまゝ残した言葉、例へば菩提とか菩薩とかいふ類である。「菩提」は「覚」、菩薩は「覚したるもの」といふ意味である。今之を覚者と訳すれば、普通先覚者などといふ時の覚者と同様に解せられる惧れ〈オソレ〉がある。しかしこれは本来仏教特殊の意義を有するのであるから、此誤解を避けるため原語そのまゝの音を写しておくのである。それから第五は善を生ずるためといふのである。例へば般若〈ハンニャ〉といふ言葉は仏教で屢〻用ひます。般若は智慧である。智慧と訳せばよいが、俗間の智慧と混同し易い、而して仏教の真正な智慧をも之と同様に見る嫌〈キライ〉がないでもない、で原語のまゝ遺して特別に解釈しておく方がよい。かういふ風で翻訳の出来る言葉でも、翻訳しないといふものがある。斯くして外国語が仏教の輸入と共に沢山入つて来たのであります。仏教経典の中には、印度語の言葉の音で写されてゐるものが、どれだけあるか殆んど判らない位沢山あるのであります、而して仏教思想が民間に流布するに随つて、此等外国語が俗間にも亦屢〻用ひられるやうになつたのであります。〈229~232ページ〉【以下、次回】

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