礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本書紀に見られる口語起源の二字漢語

2015-06-01 04:52:05 | コラムと名言

◎日本書紀に見られる口語起源の二字漢語

 先日、図書館で、『日本書紀における中国口語起源二字漢語の訓読』(北海道大学出版会、二〇〇九)という本を閲覧した。書いているのは、唐煒〈トウ・イ〉さんという女性研究者である(同書刊行時は、北海道大学大学院文学研究科助教)。
 とりあえず、目次、序章、結論だけ、コピーしてきた。序章によれば、『日本書紀』には、魏晋から唐代にいたる口語・俗語の類が用いられているという。これを最初に指摘したのは、神田喜一郎(一九四九)で、続いて、小島憲之(一九六二)、松尾良樹氏(一九八七)らが、研究を深めてきたという。
 日本の正史として尊重されてきた『日本書紀』に、魏晋から唐代にいたる口語・俗語の類が用いられていることは初耳だった。神田喜一郎が、戦後間もない時期に、そのことを指摘していたことも、もちろん知らなかった(こうした研究は、戦前・戦中であれば、発表が難しかったと思われる)。
 唐さんの前掲書は、日本書紀に含まれる、これら口語起源二字漢語が、日本人によって、どのように訓読されてきたかを悉皆的に調べたものであり、当然ながら、類書はないだろう。
 前掲書「序章」は、「1 本書の目的」、「2 先行研究」、「3 本書の方法」、「4 『日本書紀』訓点資料」からなる。本日は、「1 本書の目的」を紹介してみたい。

 序 章
 1 本書の目的
『日本書紀』は養老4年(720)に撰進され、神代から持統天皇までの歴史を記した編年体の日本で最初の史書である。漢文体の本文三十巻からなっており、日本の正史として長いあいだ尊重されてきた。『日本書紀』本文の述作については、多くの先行研究によって『漢書』『後漢書』『三国志』(蜀志を除く)『梁書』『隋書』『芸文類聚』『文選』『金光明最勝王経』等の漢籍・仏典を典拠としたこと、或いは中国の口語・俗語の類も用いられていることなどが指摘されている。またその訓読については神田喜一郎『日本書紀古訓攷證』(養徳社、1949、改訂1974)を代表とする研究の積み重ねがあり、いわゆる『日本書紀』古訓は中国注釈書の記述を踏まえた精緻なものであることが強調されており、それは口語・俗語表現にも及ぶとされてきた。但し、魏晋以来唐代に至る中国の口語・俗語を含む『日本書紀』のそれらの箇所がどのように訓読されてきたかについては、十分な検討はなされていない。一般に中国の口語・俗語的文章は、古典漢文の訓読法では読み解くことが難しい。本書は、そのような視点から、先学の分析に触れながら、『日本書紀』中の主として中国口語起源の二字漢語を取り上げて、平安中期の岩崎本を始めとして年代も系統も異る『日本書紀』古訓点本でそれらがどのように訓読されていたかを検討する。それらを通して漢文訓読という学習作業の性格も解明されることになる。

 唐さんは、「一般に中国の口語・俗語的文章は、古典漢文の訓読法では読み解くことが難しい」と指摘している。そうした口語・俗語的文章を、日本人が、どのように訓読してきたかを検証することによって、当時の日本人が、はたして、そうした口語・俗語的文章を、正しく理解できていたのかどうかを、確認しようとしたのであろう【この話、続く】。

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