アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

俺も職場のオカシオコルテスになる!

2018年11月14日 07時37分57秒 | 映画・文化批評

 

今度の米国の中間選挙では、アレクサンドラ・オカシオコルテスやイルハン・オマール等、今までなら考えられなかった顔ぶれの候補者が、民主党の下院議員として多数当選した。オカシオコルテスの前職はレストランのウェイトレスで、米国ではタブーとされる社会主義政策による格差是正を主張している。
イルハン・オマールもケニアの難民キャンプで生まれたソマリア系移民で、米国で必死に英語を習得し、イスラム教徒女性として初めて下院議員に当選した。日本のマスコミはトランプの一挙手一投足しか伝えないが、米国社会の底流ではこの様な変化が既に起こっている。

その背景を探る映画「華氏119」を先日観てきた。映画監督はご存知マイケル・ムーア。今までも数多くの映画で米国の暗部を暴露し、それに代わる未来を提示してきた。今回の映画も、かつて「華氏911」でイラク戦争の欺瞞(ぎまん)を追及したのと同様に、米大統領選挙でのトランプ当選のカラクリを指摘したものだ。
移民国家の米国で、なぜ外国人排斥を唱えるトランプが大統領に当選できたのか?失業地帯のラストベルト(五大湖沿岸の斜陽産業ベルト地帯)で外国人に職を奪われる白人労働者の扇動に成功した、そもそも米国の選挙制度自体が大政党や多数派有利に出来ている等、理由は色々あるが、映画が焦点を当てたのは、前大統領オバマの裏切りだ。
ブッシュ共和党政権のイラク戦争や格差拡大への批判をバネに誕生したオバマ民主党政権も、年を経る毎に次第に右傾化し、国を牛耳る大資本や軍需産業に阿(おもね)る政策を取る様になった。そして、それを批判するバーニー・サンダース等の党内左派を排除する為に、予備選挙の票を改竄(かいざん)する事までやってのけたのだ。
このオバマの裏切りに失望した1億もの有権者が次の大統領選挙で棄権に回った為に、票数では民主党クリントン陣営の方が300万票も上回っていたにも関わらず、大きな州の大統領選挙人をより多く獲得できた共和党トランプ陣営の勝利を許してしまったのだ。

その裏切りを象徴する事件がムーア監督の故郷ミシガン州フリントでも起こっていた。トランプが米大統領に当選する数年前に、ミシガン州では既にスナイダーというミニ・トランプみたいな人物が州知事に当選し、トランプさながらの独裁者として、富裕層を優遇し、批判勢力の組合弾圧に奔走していた。
ミシガン州知事スナイダーは水道民営化を推進し、故郷フリントの水道局を民間企業に売却。民間企業は儲け本位の経営に走り、設備のメンテナンスを怠った結果、水道水が有害な鉛で汚染されてしまった。その為、多くの市民が鉛公害で苦しめられる事になったが、知事は環境データを改竄し、この事実を隠蔽(いんぺい)。
怒った市民は州知事を追及し、教師のストライキに合流。追い詰められた州知事は、何と政敵である前大統領オバマに救援を頼んだ。市民や組合にも影響力のあるオバマに宥め役を頼んだのだ。しかし、市民の歓呼に応え登場したオバマは、水道水の水を飲む事もなく、一方的に州の安全宣言に加担するのみだった。

まるで、昔の日本の足尾銅山鉱毒事件やイタイイタイ病事件を彷彿(ほうふつ)させる様な出来事だ。最近では福島の原発事故がこれに相当する。日本では、この様な事が起こっても、僅かばかりの補償金と引き換えに、事態の幕引きが行われて来た。当事者の刑事責任は問われず、逆に水道民営化が推し進められようとしている有様だ。
今の日本も米国と同じだ。安倍・福田・麻生のデタラメ政治、派遣村の惨状に怒った有権者が、せっかく自民党を下野させ民主党への政権交代を成し遂げながら、民主党の裏切りに幻滅し、再び自民党の安倍を政権に呼び戻してしまった。お陰で安倍はやりたい放題。モリカケに公文書改ざん、高プロ導入、消費税増税。
その挙句に、今度は水道まで民営化しようと企んでいる。電気代は別でも水道代だけは家賃に含まれている物件が多いのは何故なのか?電気やガス以上に水が人間の生存に欠かせないからじゃないか。それを企業の金儲けの道具にしてしまったら一体どうなる?
南アフリカでは1千万人が水道水を飲めなくなり汚染された川の水を飲んでコレラに感染。ボリビアでは水道料金の高騰に怒った民衆デモで政権が倒れる事態に。金儲けの為なら国民の命も水メジャーに売り渡そうとする安倍の、一体どこが保守の愛国者なのか?それでも日本ではいまだ安倍は安泰。

ところがフリントの市民や米国民は諦めなかった。如何に選挙制度が大政党や支配層に有利に歪められていようと、自分達に今何が出来るか追求する中で、市民や労働者の代表を政界に送り込む事に成功した。それが今度の選挙でのウェイトレスやソマリア難民、先住民出身の下院議員、同性愛者の州知事当選だ。
トランプみたいなトンデモが大統領に当選した直後は、米国も日本と同じだと思ったが、やはりそれでも民主主義の伝統は生きていた。マスコミはトランプ批判の矛先を緩めなかった。麻生に少し脅されただけでもう何も言えなくなる日本のマスコミとは大違いだ。

日本では未だこの様な動きは国政では見られない。しかし地方レベルでは確実に広がっている。それが相次ぐ反原発知事の誕生や、国の米軍基地押し付けを今も拒否し続ける沖縄県知事選の勝利だ。京都の大山崎町長選では立憲民主党まで抱き込まれる中でも市民派が勝利した。決して諦めてはならない。
今度の米国中間選挙で下院議員に当選したオカシオコルテスも、前職は一介のウェイトレスだった。それなのに、健康保険制度すら「アカ」と忌み嫌い、オバマケアすら拒否する国民相手に、「民主的社会主義」による格差是正を主張して堂々当選を勝ち取った。
銃乱射事件に遭遇し、トランプ政権や全米ライフル協会相手に銃規制を訴えるエマ・ゴンザレスも現役の高校生だ。俺も、国会議員は無理としても、今バイトとして働いている職場の「オカシオコルテス」ぐらいにはなれるかも知れない。どんな人間も、希望を捨ててしまったら、もうそこで終わりだ。 

(参考記事)

28歳女性がベテラン議員破る 米民主党の新星から学ぶ3つの教訓
https://forbesjapan.com/articles/detail/21863/1/1/1
私のような女性は、選挙に出るべきではないとされている。私は裕福な家庭や有力者の家庭ではなく、自宅の郵便番号で運命が決まるような場所に生まれた」、でも、マスコミから泡まつ候補扱いされる中でも、「若者、有色人種、英語が第2言語の人、労働者階級の人、2つの仕事を掛け持ちしているため忙し過ぎて投票できない人」に焦点を当てた選挙戦を展開し、予備選で10倍もの選挙資金を集めた党内ナンバー4の現職候補を押しのけて民主党候補に推薦され、遂に定数1の下院選で当選を勝ち取った。(カッコ内はいずれもオカシオコルテス自身の言葉)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもは親の操り人形ではない

2018年08月22日 17時39分26秒 | 映画・文化批評

 

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(日本国憲法第13条)

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(同25条)

昨夜放送の「ケンカツ(健康で文化的な最低限度の生活)」、観ました?区役所で生活保護を担当する新米ケースワーカーの頑張りを描いた連続テレビドラマですが、昨日の回はいつもの貧困問題に加え、児童虐待の問題も取り上げていて、「毒親」を抱える私にとっても、非常に身につまされる話でした。

島岡光(しまおか・こう)という、うつ病の若者が、区役所に生活保護申請に訪れますが、扶養照会を頑なに拒否します。扶養照会とは、扶養意思や経済力の有無を申請者の家族に問い合わせ、有りと判断されればそちらを優先する手続きの事です。光の父である島岡雷(しまおか・あずま)は総合病院の院長で、光を扶養する意思も示すのですが、光は父親と会う事さえ頑なに拒否し、その理由も言おうとはしません。

しかし、そんな事で生活保護受給を認めていたら、どんどん保護費が膨らみ、不正受給が幅を利かすことになると、業を煮やした生活保護課の係長・京極は、部下の新人ケースワーカー・義経えみるに扶養照会を強行させます。扶養照会で光が保護申請した事を知った雷は、区役所を訪れ、義経達に「今後は自分が息子の面倒を見る。これから息子と会って話をする」と言います。それを受けて、義経が光に、今から父親がそちらに向かう事を知らせますが、光は親父から逃れようと、アパートを逃げ出し駅で投身自殺を図ります。

幸い光は一命を取りとめ、病院に入院して怪我の治療を受ける事になりますが、オムツ交換の際に暴れて手がつけられなくなります。実は光は子供の頃に父親の雷から性的虐待を受けていて、それがトラウマとなってPTSDを発症していたのです。

それを聞いた京極係長は、扶養照会を強行した事を反省し、今後は光の立場に立った自立支援をする事を誓います。しかし、その直後に、父親の雷に息子の入院先を突き止められてしまいます。雷は、自分の名前では面会を許可されないので、区役所訪問で手に入れた京極の名刺を悪用し、京極に成りすまして息子を無理やり連れ帰ろうとします。それを病院の婦長や義経・京極たちが寸での所で食い止め、島岡光を守り、保護受給につなげます。

 

このドラマの中でも、父親の雷が、事ある毎に「私達は親子なのだから」「親が息子に会いたがって何が悪い」と言っているのが目を惹きました。これは典型的な「共依存」の症状です。

「共依存」とは、子どもを親の言う通りにさせる事で、自分自身の不安を紛らわそうとする親と、それを不憫に思う子どもが、互いにもたれ合いの状態に陥り、そこから抜け出せなくなる状態です。こんな状態になれば、親子で共倒れするしかなくなります。

本当の親なら、たとえ子どもが自分と違う道を歩もうが、それで子どもが幸福になるなら、子どもの自立を応援するものです。ところが「共依存」の親は、子どもにも無理やり自分の価値観を押し付け、自分と同じ道を歩ませようとします。この手の親にとっては、子どもは自分の思い通りになる「操り人形」でしかないのです。それをゴマ化すために、「私達は親子なのだから(他人があれこれ口出しするな)」と、しきりに強調するのです。

だから、島岡雷は身分を偽ってまで、無理やり息子の光との面会を迫り、息子という「操り人形」を取り戻そうとしたのです。こんな物は「親子の愛情」なんかじゃない。「愛情を装った支配」だ。

今から思えば、私の父親もそうでした。まだ私が幼い頃は、父親に懐く私を可愛がってくれました。
ところが、反抗期になって私が父親の言いなりにならなくなると、途端に暴力を振るうようになりました。

「勉強を見てやる」と言って、少しでも答えを間違うと物差しで引っ叩かれた。
少しでも権利主張すると、いきなりアカ呼ばわりし、ド突かれた。高校の部活や読んでいる本の内容まで干渉して来て、友達からの電話も取り次ごうとしなかった。
私の生協への就職が決まってからも、自分の口から言わず母親に言わせる形で、執拗に教員採用試験の受験を迫り、勝手に先走って校長との面接を設定し、私にすっぽかされて「よくもワシの面を汚したな」と…。

私は親父の体面を取り繕う為に生きているのではない。私の人生は親父の所有物ではない。私だけの物だ。社会人となり、生協に就職して、ようやく親の干渉も止みました。ところが、兄や妹が結婚を機に実家を出て、私も生協を辞めて非正規雇用となり、数年前に母親も亡くなり、実家には私と親父しか居ないようになってから、再び親父の「干渉癖」がもたげる様になって来ました。

「いつまでも親のスネかじってないで実家を出ろ」と言いながら、いざ一人暮らしを始めようとした途端に「何も今さら実家を出る事はないじゃないか。そんな事する位なら、何故もっと早く実家を出なかったのか」と泣きつく始末。
早かろうが遅かろうが、親父の言う通りしているんだから、それで良いじゃないか。「出ろ」と言ったり「出るな」と言ったり、一体どっちなんだ?

「いつまでもお前の夕食を作れない」と言うから、折角、外で食べて来るようにしたのに、今度は「冷蔵庫の食材が余るから家で食べて欲しい」と。母親が亡くなった後、「今後は各自外で夕食を済ますようにしよう」と私が提案しても、「いやワシが作るから」と頑なに言い張ったくせに。それを問い詰めたら「それが親父と言う物だ」。そんなの只のワガママじゃないか。

その挙句に、「年収200万では嫁の来てが無いから、資産も釣書の収入欄に計上しろ」だの、婚活するのは親父ではなく私で、釣書の書式も縦長の写真を掲載する事になっているのに、「(親父を真ん中に家族が周囲を取り囲んでいる横長の)この写真を載せろ」と、支離滅裂な事を言い出した末に、「そんなにわしの言う事が聞けないのなら、もう勝手にしろ!」と逆切れ…。

しかし、昔から家族は、こんないびつな物だったのだろうか?私が思うに、このゆがみは、明治以降の近代日本の歴史の中で、意図的に作られて来たように思います。

ケンカツの中の島岡雷や私の親父が、二言目には世間体や体面ばかり気にして、子どもの生活保護受給や非正規雇用や未婚を恥じる。この「恥の文化」は、昔の封建社会の中でも、武家社会に特有の価値観です。だから、武士はやたら体面にこだわり、敵討ちや切腹をする人が後を絶ちませんでした。

しかし、武士なんて、当時約3千万だった江戸時代の日本の人口の中で、約1割位しかいませんでした。残り9割の庶民は、士農工商の身分差別に縛られながらも、もっとフランクに生きていました。敵討ちや切腹に走る人なぞいませんでした。「宵越の金は持たねえ」が身上で、今みたいにあくせく働いたりなぞしませんでした。

ところが、明治維新で武家出身の政治家が政治の実権を握り(「西郷どん」も所詮はその片割れ)、日本が「欧米に追いつけ追い越せ」と富国強兵政策をとる中で、家族が国家による国民支配に利用され、隣組(今の町内会や自治会)が支配機構の末端に組み込まれて行きます。回覧板はその名残りです。

これが、今に続く女性差別やLGBT(レズ・ゲイ等の性的少数者)に対する差別の源です。自民党や右翼が、事ある毎に「社会秩序」や「家族の絆」の大切さを説き、家族の扶養義務を社会保障切り捨ての口実にするのも、家族を支配機構の末端に組み込みたいからです。
本当に家族や国民の事を思うなら、その暮らしを破壊する消費税値上げや過労死促進法案(いわゆる「働き方改革」法案)、福祉削減を進めるはずがありません。

とこれが、島岡雷やウチの親父は、自分がなまじっか総合病院の院長や地方公務員上級職に上り詰める事が出来たばっかりに、上から目線でしか物を考える事が出来ないのです。自分が出世できたのも、下積みの人達の苦労や犠牲があり、その上で、たまたま時代の流れに乗れただけなのに。

 

しかし、たとえそんな親父であっても、私はそれを許す事が出来るだろうか?
私はよく真面目で几帳面だと言われます。几帳面過ぎて融通が利かないと言われた事もあります。これも、今から思えば「毒親育ち」のせいかも知れません。
世の中の不正や偽善を許せず、それに過敏に反応してしまうような所があります。一種の完璧主義なのかも知れません。

このドラマでは一方で、家族間のもつれから、離婚や離縁に至った生活保護受給者も登場します。今回の島岡雷と同じ様に自身に問題を抱えた人達が、自分の弱みをまだ克服できない中でも、次第に家族とよりを取り戻しつつある姿も、同時並行で登場します。

それが、元生活保護受給者・阿久沢の娘・真理や、水原悟の母・律子です。水原律子が、担当のケースワーカーに頼んで、悟に子ども時代のホームランボールを届けてもらい、悟から「まだ会いたくないけど」と返事の手紙に書かれながらも、孫の写真が同封されて送られ来た場面には私もホロリと来ました。

映画「万引き家族」が国際的に高く評価されたのも、徒らにハッピーエンドで終わらせなかったからでしょう。万引きで生計を立てている家族が、虐待された子どもを拾い、自分の家族として育てて行く事になった。そこだけを切り取れば、貧乏家族の美談だけで終わってしまいます。

ところが一方では、この「万引き家族」自体が偽装家族で、死んだ肉親の年金に寄生し、亡くなった老婆を地中に埋め、怪我した息子を置いて夜逃げを図るような家族だった。

それがバレて、息子(実はこの息子も幼い頃に父親に誘拐されて育てられて来た)と父親が別れる事になり、息子の乗ったバスを父親が追いかける場面では、たとえ不完全な父親でも、それでも、この子にとっては掛け替えのないお父さんだったのだな、と思いました。

昨年夏に実家を出てから、親父とはほとんど会っていません。今はもう、親父の葬式も出たくはありません。しかし、そんな私でも、「言いなりになるのでも、恨むのでもなく、ごく普通に付き合える日が、親父が亡くなるまでに来るのだろうか?」と、このドラマを観て考えさせられました。

人間を生産性向上や国威発揚の道具としか見ず、「普通である事」や「社会秩序」をやたら強調する、国会議員で極右の杉田水脈(すぎた・みお)と、その対極にある「異常」「無秩序」そのものでありながら、ある意味では普通の家族以上に家族愛に満ちた「万引き家族」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄スパイ戦史の悲劇を再び繰り返すな

2018年08月07日 23時42分58秒 | 映画・文化批評

 

先日、大阪・十三の第七藝術劇場で映画「沖縄スパイ戦史」を観てきた。第二次大戦で沖縄では県民の実に4分の1が亡くなった。その理由は、地上戦の戦場となった上、住民が日本軍の盾として利用された挙句、スパイ容疑で虐殺されたからだが、現実はもっと悲惨なものであった。

戦場の様相は「悪いのは戦争指導者や軍で、住民は犠牲者」という単純なものではなかった。日本軍によって送り込まれたスパイによって、住民がスパイの指揮するゲリラ戦に駆り出され、住民自身も米軍のスパイと見なした人物の処刑に積極的に加担せざるを得なかったのだ

沖縄本島南部のひめゆり部隊や鉄血勤皇隊が表の戦闘組織なら、北部でゲリラ戦を展開した護郷隊は裏の戦闘組織だ。そこでは軍は住民を護郷隊という自衛組織に編成し、山中のジャングルを拠点に少年兵にゲリラ戦の訓練をさせ、海岸部の米軍陣地に奇襲や夜襲をかけさせた

護郷隊を組織したのは陸軍中野学校でスパイ養成訓練を受けた特務兵だ。彼らは、丸刈りの軍人ではなくイケメンの民間人を装い、軍人と悟られない様に秘密裏に、住民を破壊工作のスナイパー(狙撃手)に仕立て上げていった。

しかし、「護郷隊」と言っても決して郷土を守る為に作られた訳ではない。軍隊が守るのはあくまで国家権力だ。住民や郷土は、むしろ戦争の盾として、とことん軍隊に利用され搾り取られた挙句、足手まといになれば使い捨てられる運命にあった。

米軍の侵攻を食い止める為に本島の橋は全て護郷隊によって爆破されたが、米軍の工兵部隊が爆破した尻から仮設の橋を架けた。橋の爆破で逆に日本軍自身の補給路が断たれ、自分で自分の首を絞める事になってしまった

米軍の侵攻により、本島北部の山岳地帯に追いつめられた護郷隊は、食糧難や疫病の流行に悩まされる中で、次第に疑心暗鬼に陥っていった。その中で、軍役に携わる中で軍の機密にたまたま触れた人や、米軍スパイ容疑をかけられた人が、次々と処刑されていった。

戦争の悲劇は、戦場になった沖縄本島や慶良間諸島だけでなく、戦禍を免れた八重山諸島でも起こった。波照間島では山下虎雄という教員を装った軍のスパイによって、マラリア感染地帯の西表島に全島民が強制移住させられた。これが有名な「戦争マラリア」の悲劇だ

熱血教師の山下虎雄として波照間に赴任した男の正体は陸軍中野学校の特務兵、酒井清だった。酒井は戦争が始まるや、いきなり軍刀で島民を脅迫し、家畜の牛や馬を住民の手で処分させ、嫌がる島民を無理やり西表島に移住させ、次々とマラリアに罹患させていった

米軍侵攻に備えて波照間島民を西表島に疎開させるというのが、強制移住の表向きの理由だ。しかし実際は、波照間島民を西表島に駐留する日本軍の監視下に置き、米軍への寝返りを避ける為と、島民の家畜を軍の食糧として没収する為だったと言われる

結果的に波照間島の住民1590人のうち、1587人がマラリアに感染し、477人が死亡。実に島民の3割の命が失われました。島民の方は言います。『私たちは沖縄戦の捨て石にされた』と。こうした過去の体験は、沖縄の方たちの国に対する強い不信につながっているように感じます」波照間島の知られざる「戦争マラリア」の悲劇。沖縄戦で島民絶滅の危機にhttps://www.huffingtonpost.jp/tomoko-nagano/hateruma-malaria_b_5696798.html


八重山平和祈念館のリーフレットに掲載された「戦争マラリア」概要図

また、沖縄本島の今帰仁(なきじん)村では軍の手で「国士隊」という監視組織が作られ、住民同士で互いに監視・密告させる様に仕向けられた。拒否した者は米軍のスパイとして処刑された。単に日本軍に迫害させられただけでなく、住民自身もスパイ冤罪に加担させられたのだ。

悲劇はそれだけに止まらない。護郷隊には第一護郷隊と第二護郷隊の2つがあり、村上治夫が前者、岩波壽(ひさし)が後者の隊長を務めた。特に後者では食糧が公平に分配された。それを恩義に感じる住民も少なくない。しかし、その後者の岩波隊長ですら敗残兵は見捨てざるを得なかった。

同じ事は今帰仁村の国士隊にも言える。国士隊ではスパイリストを基に住民虐殺が行われたが、その下でも「この人には世話になったから」という事で、スパイリストに載った女性が処刑を免れた。代わりに処刑されたのは戦前に住民運動を弾圧した巡査だった

沖縄では、住民自ら住民虐殺に加担しただけでなく、この様に被害者と加害者が交互に入れ替わる「虐殺の連鎖」が繰り返されたのだ。 それに対し、日本本土では空襲で主要都市が焼け野原になったが、沖縄の様な「虐殺の連鎖」は起こらなかった。それでも300万人以上の日本人が亡くなった。その6割は戦死ではなく餓死だった。

もし本土決戦になっていたら犠牲者はもっと膨れ上がっていただろう。長野県の松代では大本営の地下壕が秘密裏に造られ、本土各地にも陸軍中野学校の特務兵が派遣されていたのだから

これは決して過去の話ではない。それが証拠に、戦時中の野戦マニュアルが今も陸上自衛隊の教本に受け継がれ、そこでは住民に軍事協力させる事が謳われている。しかし、自衛隊が守るのはあくまでも国家組織や社会秩序であって住民ではない。住民は足手纏いになると判断されれば簡単に見捨てられる

現在の秘密保護法も戦時中の軍機保護法が原型だ。戦時中は軍機保護の名目で天気予報さえ禁じられた。その為、戦争末期には台風や地震で大きな犠牲が出た。自衛隊が守るのはあくまで国家権力であって住民ではない。災害派遣はそれをカモフラージュしているだけだ。戦争の脅威に騙されてはいけない

安倍政権が中国封じ込め政策を採る中で、沖縄の八重山・先島諸島がその最前線基地として重視されるようになった。今や自衛隊関連施設が続々とこの地に作られようとしている。他方で反基地運動も存在するが沖縄本島ほど強くはない。同じ住民が基地賛成派と反対派に分かれ争う現状は、まるで戦時中の「虐殺の連鎖」を想起させる

今の自衛隊は過去の専守防衛、災害派遣や人命救助だけを主任務とする過去の自衛隊ではない。集団的自衛権行使によって、世界のどこにも米国の先兵として駆け付ける侵略の軍隊に変貌しつつある。このままでは再び護郷隊、国士隊、戦争マラリアの悲劇を繰り返す事になる。果たして本当にそれで良いのか?

戦後、護郷隊の元隊長が隊員慰霊の為に植えようと試みた本土のソメイヨシノは、沖縄の亜熱帯の気候に適応できず、遂に花を咲かす事は無かった。他方で、第二護郷隊の生き残りが同じ目的で植えたカンヒザクラは、沖縄の風土にもなじみ、やがて花を咲かせ実を結ぶようになった。元隊長の送った「同期の桜」が実を結ばず、元隊員が植えた地元種の桜だけが芽吹いたのも、「何があっても絶対に死ぬな。そうなる前に戦争になるのを食い止めろ」というメッセージの現れではないか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萎縮するマスコミを尻目に異色漫才コンビが独走中

2017年12月21日 21時33分43秒 | 映画・文化批評

ウーマンラッシュアワー/”日本人の意識が低い”をテーマにウーマン村本のマシンガントーク炸裂!ついでに炎上w「ザ・漫才」

ウーマンラッシュアワーの時事ネタ漫才がネットで話題になっているので、私も初めて視聴しました。ここに、YouTubeにアップされた彼らの漫才動画を、そのまま貼り付けておきます。職場の皆んなも、まずは視聴してみて。とにかく面白いから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スノーデンと共謀罪法案

2017年02月05日 21時48分07秒 | 映画・文化批評

映画『スノーデン』 予告編

 先日の「チリの闘い」に続き、2月1日の公休日も「スノーデン」の映画を観て来ました。この日も映画ファースト・デーという事で、格安料金で映画を観る事が出来ました。来月3月1日の公休日もファースト・デーなので、当分は立て続けに映画を観る事になるでしょう。

 この映画は、米国諜報活動の闇を暴いた元諜報部員エドワード・スノーデンの実話に基づくものです。映画は、軍隊に志願したスノーデン青年が、訓練中の負傷により除隊になった所から始まります。軍医から「別の形で国に貢献しろ」と言われたスノーデンは、得意分野のITスキルが活かせるCIA(中央情報局)に就職します。そして、同じ頃、後に恋人となるリンゼイ・ミルズと交流サイトで知り合い、付き合い始めます。保守派で「愛国者」を自認するスノーデンに対し、リベラル派で政府の戦争政策にもノーと声を上げるミルズ。全く正反対な二人でしたが、やがて互いに魅かれ合うようになります。

 しかし、CIAの通称「ザ・ヒル」と呼ばれる訓練センターでのサイバー戦の実態は、当初スノーデンが思い描いていた「愛国活動」とは、似ても似つかないものでした。今まで「テロの脅威から米国市民を守る為の活動だ」と信じていたものが、実際は、他国の名も知らない市民や子供たちを、テロリストだという明白な証拠もないまま、無人機で一方的に爆撃するものだったのです。しかも、攻撃目標は他国だけではありません。自分が守るはずの当の米国市民をも、監視と諜報活動のターゲットにするものでした。

 精神を病んだスノーデンは、ミルズとも仲たがいし、失意のうちにCIAを退職します。やがて民間企業の契約社員となり、ミルズともよりを取り戻したスノーデンに、CIA訓練センター時代の教官から、NSA(国家安全保障局)の仕事を紹介されます。ちょうどブッシュからオバマに大統領が変わった時期で、米国もこれを機に新しい国になると期待したスノーデンは、その仕事を引き受ける事にしました。しかし、そのNSAの通称「トンネル」と呼ばれる秘密基地での業務も、CIAと同様、無実の市民をテロリスト予備軍として監視するものでした。例えば、「ブッシュ」「アタック」とキーワードをパソコンに入力するだけで、その言葉が含まれた世界中のメールやブログの文章を覗き見る事も出来てしまいます。

 NSAの業務は市民監視だけにとどまりません。本来は米国の同盟国であるはずの欧州各国や日本の要人のメールや発言をも、同様に監視していたのです。しかも、話はそれだけにとどまりません。もし、日本政府がこれまでの卑屈な対米追従外交を改め、日米安保条約からも脱退を表明するような事態になれば、その時は、NSAが日本のインフラ施設に密かに仕掛けたマルウェア(不正プログラム)を稼働させ、病院や送電線、ダムなどのコンピューターに誤作動を起こさせるような計画まで立てていたのです。ここまで来れば、もうNSA自身が立派なテロリストです。

 スノーデンにNSAの仕事を紹介した教官に、ミルズとの私生活の様子も、遠隔操作によってパソコンのウェブカメラで覗き見られていた事を知ったスノーデンは、このNSAによる「秘密警察」のような市民監視の実態を、マスコミに暴露する事を決断します。NSAから盗み出した通信監視プログラムのコピーを、自分の持っているルービックキューブの中に隠し入れ、秘密基地の出入り口にある金属探知機を潜り抜け、遂に外部に持ち出す事に成功します。そして、2013年、英国紙ガーディアンに、スノーデンの告発がスクープとして、世界で初めて公開される事になりました。

 CIAによる市民監視の実態をマスコミにリークしたスノーデンは、やがて米国政府からスパイの罪で告訴されます。スノーデンは、外国を転々とした末に、最終的にロシアに亡命する事になります。現在はミルズと共にモスクワで暮らしています。スノーデンは言います。「私は監視国家の闇を告発した英雄か?はたまた国家の裏切者か?それはあなた方一人一人が判断して欲しい」と。

 以上が、この映画のあらすじです。私は、この映画を観て、真っ先に「共謀罪」法案の事が頭に思い浮かびました。政府は、次の日本での五輪開催を機に、テロ取り締まりの口実で、「テロ等準備罪」新設法案として、この法案の国会提出を目論んでいます。この法案は、一見すればテロや組織犯罪の取り締まりに限定されるかのような体裁をとっていますが、何がテロで何が組織犯罪なのか、政府は一向に明らかにしようとはしません。これでは、犯罪の定義も明らかにしないまま、犯罪が行われる前から、市民を一方的に容疑者扱いして、「互いに目くばせしただけでも共謀行為として罰する」と、令状も無しに予断に基づく捜査が横行するようになります。そんな事になれば、そこらじゅう冤罪(えんざい)事件だらけになってしまいます。

 それに対して、「警察の取り調べを可視化し、録音や録画を公開すれば、法案の濫用(らんよう)を防げるのではないか?」という事を、「維新の会」が主張しています(NHKニュース:「テロ等準備罪」新設法案 維新が対案提出へ)。一見もっともらしい主張ですが、取り調べ段階以前の盗聴・尾行も含め、違法捜査の全体そのものを問題にしなければ何もなりません。別にその時は逮捕まで至らなくても、違法な情報収集によって市民のプライバシーがいつも丸裸にされた状態では、いつ何時、でっち上げ逮捕や別件逮捕が行われるか、分かったものではありません。そういう意味でも、大変勉強になった映画でした。
 ただ、心配なのはスノーデンの亡命先です。「亡命先がプーチン独裁下のロシアでは、トランプ独裁下の米国とも五十歩百歩ではないか?もう少し、まともな亡命先は無かったのか?」と、それだけが気がかりです。
 共謀罪法案の危険性については、下記の法学者の声明も是非参考にして下さい。政府の言い分がことごとく破たんしている事が、これを読んでもよく分かります。いくら「テロ等準備罪」と名前を変えたところで、その本質が「共謀罪」であり「平成の治安維持法」である事は明らかです。五輪開催は単なる口実に過ぎず、本当の狙いはテロ対策に名を借りた治安強化、憲法改悪や自衛隊の海外派兵を強行する為の監視体制作りにある事は、もう疑う余地がありません。

共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明 2017年2月1日

 政府は、これまでに何度も廃案となっている共謀罪を、「テロ等準備罪」の呼び名のもとに新設する法案を国会に提出する予定であると報道されています。しかし、この立法は以下に述べるように、犯罪対策にとって不要であるばかりでなく、市民生活の重大な制約をもたらします。

1. テロ対策立法はすでに完結しています。

 テロ対策の国際的枠組みとして、「爆弾テロ防止条約」や「テロ資金供与防止条約」を始めとする5つの国連条約、および、その他8つの国際条約が採択されています。日本は2001年9月11日の同時多発テロ後に採択された条約への対応も含め、早期に国内立法を行って、これらをすべて締結しています。

2. 国連国際組織犯罪防止条約の締結に、このような立法は不要です。

 2000年に採択された国連国際組織犯罪防止条約は、国際的な組織犯罪への対策を目的とし、組織的な犯罪集団に参加する「参加罪」か、4年以上の自由刑を法定刑に含む犯罪の「共謀罪」のいずれかの処罰を締約国に義務づけているとされます。しかし、条約は、形式的にこの法定刑に該当するすべての罪の共謀罪の処罰を求めるものではありません。本条約についての国連の「立法ガイド」第51項は、もともと共謀罪や参加罪の概念を持っていなかった国が、それらを導入せずに、組織犯罪集団に対して有効な措置を講ずることも条約上認められるとしています。
 政府は、同条約の締約国の中で、形式的な基準をそのまま適用する共謀罪立法を行った国として、ノルウェーとブルガリアを挙げています。しかし、これらの国は従来、予備行為の処罰を大幅に制限していたり、捜査・訴追権限の濫用を防止する各種の制度を充実させたりするなど、その立法の背景は日本とは相当に異なっています。ほとんどすべての締約国はこのような立法を行わず、条約の目的に沿った形で、自国の法制度に適合する法改正をしています。国内法で共謀罪を処罰してきた米国でさえ、共謀罪の処罰範囲を制限する留保を付した上で条約に参加しているのです。このような留保は、国会で留保なしに条約を承認した後でも可能です。
 日本の法制度は、もともと「予備罪」や「準備罪」を極めて広く処罰してきた点に、他国とは異なる特徴があります。上記のテロ対策で一連の立法が実現したほか、従来から、刑法上の殺人予備罪・放火予備罪・内乱予備陰謀罪・凶器準備集合罪などのほか、爆発物取締罰則や破壊活動防止法などの特別法による予備罪・陰謀罪・教唆罪・せん動罪の処罰が広く法定されており、それらの数は70以上にも及びます。
 一方、今般検討されている法案で「共謀罪」が新設される予定の犯罪の中には、大麻栽培罪など、テロとは関係のない内容のものが多数あります。そもそも、本条約はテロ対策のために採択されたものではなく、「共謀罪」の基準もテロとは全く関連づけられていません。本条約は、国境を越える経済犯罪への対処を主眼とし、「組織的な犯罪集団」の定義においても「直接又は間接に金銭的利益その他の物質的利益を得る」目的を要件としています。

3. 極めて広い範囲にわたって捜査権限が濫用されるおそれがあります。

 政府は、現在検討している法案で、(1)適用対象の「組織的犯罪集団」を4年以上の自由刑にあたる罪の実行を目的とする団体とするとともに、共謀罪の処罰に(2)具体的・現実的な「合意」と(3)「準備行為」の実行を要件とすることで、範囲を限定すると主張しています。しかし、(1)「目的」を客観的に認定しようとすれば、結局、集団で対象犯罪を行おうとしているか、また、これまで行ってきたかというところから導かざるをえなくなり、さしたる限定の意味がなく、(2)概括的・黙示的・順次的な「合意」が排除されておらず、(3)「準備行為」の範囲も無限定です。
 また、「共謀罪」の新設は、共謀の疑いを理由とする早期からの捜査を可能にします。およそ犯罪とは考えられない行為までが捜査の対象とされ、人が集まって話しているだけで容疑者とされてしまうかもしれません。大分県警別府署違法盗撮事件のような、警察による捜査権限の行使の現状を見ると、共謀罪の新設による捜査権限の前倒しは、捜査の公正性に対するさらに強い懸念を生みます。これまで基本的に許されないと解されてきた、犯罪の実行に着手する前の逮捕・勾留、捜索・差押えなどの強制捜査が可能になるためです。とりわけ、通信傍受(盗聴)の対象犯罪が大幅に拡大された現在、共謀罪が新設されれば、両者が相まって、電子メールも含めた市民の日常的な通信がたやすく傍受されかねません。将来的に、共謀罪の摘発の必要性を名目とする会話盗聴や身分秘匿捜査官の投入といった、歯止めのない捜査権限の拡大につながるおそれもあります。実行前の準備行為を犯罪化することには、捜査法の観点からも極めて慎重でなければなりません。

4. 日本は組織犯罪も含めた犯罪情勢を改善してきており、治安の悪い国のまねをする必要はありません。

 公式統計によれば、組織犯罪を含む日本の過去15年間の犯罪情勢は大きく改善されています。日本は依然として世界で最も治安の良い国の1つであり、膨大な数の共謀罪を創設しなければならないような状況にはありません。今後犯罪情勢が変化するかもしれませんが、具体的な事実をふまえなければ、どのような対応が有効かつ適切なのかも吟味できないはずです。具体的な必要性もないのに、条約締結を口実として非常に多くの犯罪類型を一気に増やすべきではありません。
 そればかりでなく、広範囲にわたる「共謀罪」の新設は、内心や思想ではなく行為を処罰するとする行為主義、現実的結果を発生させた既遂の処罰が原則であって既遂に至らない未遂・予備の処罰は例外であること、処罰が真に必要な場合に市民の自由を過度に脅かさない範囲でのみ処罰が許されることなどの、日本の刑事司法と刑法理論の伝統を破壊してしまうものです。

5. 武力行使をせずに、交渉によって平和的に物事を解決していく姿勢を示すことが、有効なテロ対策です。

 イスラム国などの過激派組織は、米国と共に武力を行使する国を敵とみなします。すでに、バングラデシュでは日本人農業家暗殺事件と、日本人をも被害者とする飲食店のテロ事件がありました。シリアではジャーナリストの拘束がありました。安保法制を廃止し、武力行使をしない国であると内外に示すことこそが、安全につながる方策です。

 こうした多くの問題にかんがみ、私たちは、「テロ等準備罪」処罰を名目とする今般の法案の提出に反対します。(呼びかけ人、賛同者氏名―略、以上)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

業務改善が革命にまで発展する時

2017年01月15日 20時18分21秒 | 映画・文化批評

  

 さる1月11日(水)に、大阪・西区九条のシネ・ヌーヴォという映画館で、「チリの闘い」という映画を観てきました。

 この映画は三部作で、全編通して観るには半日は優にかかります。しかも、各部入れ替え制で、一部観る毎に通常なら1800円もチケット代を払わなければなりません。私はこの手のマイナーなドキュメンタリー映画が好きで、気が向いたら不定期に観に行ったりするのですが、普段なら観てもせいぜい一部止まりです。しかし、この映画館では私の公休日の水曜日がサービスデーに当たっており、通常なら全編観ると5400円もする所を3300円と、2千円以上も安く観れる事が分かりました。上映時間も通しで観れば夕方には観終える事が出来ます。「こんなチャンスは滅多にない!これは絶対観るしかない!」という事で、三部とも一気に観てきました。

 この映画は、南米チリのアジェンデ社会主義政権が、右翼のテロで行き詰まり、軍部の反革命クーデターで崩壊するまでの、数か月間のチリ国内の様子を捉えたドキュメンタリー映画です。映画監督のパトリシオ・グスマンも一度は軍事政権に捕らえられますが、やがて貴重な映像フィルムと一緒に国外脱出に成功します。そのお陰で、私も当時の映像を観る事が出来るのです。但し、その陰では、映画撮影者のホルヘ・ミューラー・シルバが、撮影中に兵士の放った凶弾に撃たれて亡くなっています。

 南米のチリは、アンデス山脈の西側にある細長い国で、日本では地震の多い国として知られています。最近ではチリ・ワインでも有名ですね。銅・硝石などの鉱物資源が豊富な事でも知られています。しかし、その世界的な鉱山を含め、経済の実権は米国系の外国資本や国内の財閥・大地主に握られ、多くの国民は貧しい暮らしを強いられていました。

 そのチリで、1970年に大統領選挙で初めて、社会主義を掲げる左派のサルバドール・アジェンデが大統領に当選し、鉱山国有化や農地改革などの政策を推し進めます。それまでは、社会主義政権といえば、ロシア・中国・キューバを始め、武力による革命で政権を取った国がほとんどでした。その中で、チリでは武力によらず選挙によって初めて革命政権を樹立できたという事で、世界から注目されました。

 しかし、それを快く思わない米国は、政権成立直後から、CIAなどの諜報組織を使って、破壊工作に乗り出します。

 米国がまず始めたのが野党の懐柔です。左派・人民連合のアジェンデが大統領に当選できたのも、右派の野党が強硬派の国民党と穏健派のキリスト教民主党に分裂し、穏健派の後者が前者の強硬姿勢を嫌って、決戦投票でアジェンデ支持に回ったからです。政権基盤は必ずしも盤石ではありませんでした。そのキリスト教民主党を政権から引きはがす事にまず成功します。

 そして、左派が政権を取ったと言っても、経済は依然として米国系企業や国内の財閥・大地主が支配しています。マスコミも企業寄りです。経営者も財閥の端くれなのだから当然です。それらが、CIAから資金援助を得て、一斉に政府批判を始めました。批判といえば聞こえは良いですが、要はただの揚げ足取りです。今まで散々、労働者のストを弾圧してきたトラック業者やバス業者が、政権が左派に変わった途端に、一転して労働者にストをけしかけ始めたのですから、もう笑止千万です。そうやって、自分たちの方から経済混乱を引き起こしておきながら、その責任を全てアジェンデ政権に擦り付けたのです。チリ経済を支える銅鉱山では、労働者の中では比較的高給の鉱夫に、鉱山主が更なる賃上げをけしかける事までしました。主力鉱山の一つエル・テニエンテでは、それに煽られ組合集会でスト突入決議に至ります。しかし、もう一つの主力鉱山であるチュキカマタでは、スト突入提案が否決されています。労働者も、必ずしも資本家の扇動に乗せられる一方ではなかったのです。それが「チリの闘い」第一部「ブルジョワジーの叛乱」のあらすじです。

 そのような米国や国内反動勢力が引き起こした経済混乱にも関わらず、1973年3月の総選挙では、左派の人民連合は、得票は減らしこそすれ、引き続き第一党を維持します。右派は、大統領弾劾に必要な3分の2の議席獲得に失敗します。右派は、その後、選挙闘争から、ストやデモ、テロ扇動などの過激な街頭闘争に、戦術を次第にエスカレートさせていきます。軍部の中でも、右派と気脈を通じる勢力が次第に勢いを増し、中立派の軍将校を罷免や暗殺で追い出し、6月にはクーデター未遂事件まで起こします。

 この最初のクーデターは未遂に終わりましたが、右派にとってはホンの予行演習に過ぎませんでした。末端の兵士や下士官がクーデターに同調せず、労働者や市民の反対が急速に広まった事で、右派は、クーデターはまだ時期尚早と判断したに過ぎなかったのです。本番のクーデターが起こるのは、もはや時間の問題と思われていました。このように、右派が着実に勢力を強める一方で、人民連合に参加する左派は、穏健派の共産党と急進派の社会党や革命左翼運動(MIR)に分かれ、互いに相手をののしり合っていました。何か、安保法制反対で足並み揃える前の日本の左翼と、よく似ていますね。

 その中で、一時は左派支持に回ったキリスト教民主党などの穏健保守派や中産階級が、ついに右派の側につきます。穏健保守派や中産階級が自分たちの支持に回った事で、右派はいよいよ本番のクーデターを決行します。それが1973年9月11日です。一般に「911」と言えば、2001年9月11日にニューヨークで起こった同時多発テロの事を指します。イスラム過激派に乗っ取られた航空機がWTCビルに突っ込む映像が全世界に流されたので、覚えている人も多いのではないでしょうか。ところが、中南米では、「911」と言えば、1973年のアジェンデ政権打倒のクーデターを指します。港湾都市バルパライソで始まったクーデターが首都のサンチャゴにも波及し、大統領は亡命か辞任を迫られます。この時、大統領に辞任を迫ったのが、最初のクーデターの時には猫をかぶっていたアウグスト・ピノチェト将軍です。大統領は辞任を拒否し、少数の民兵と共に、大統領宮殿に立てこもります。サンチャゴ市内やその他の主な都市は、既にクーデター派が全権を掌握しています。空軍機が大統領宮殿を爆撃する中で、大統領は最後まで戦った末に、拳銃で自殺したと言われています。アジェンデ大統領による当日朝の最後の国民向けメッセージが、ユーチューブに字幕付きで公開されているので、興味のある方はそちらをご覧下さい。ここまでが、第二部「クーデター」のあらすじです。

 しかし、労働者も、ただ黙って右派の蛮行に手をこまねいていた訳ではありませんでした。運輸業者がトラックやバスをストップさせると、労働者は自分でトラックやバス、自家用車まで仕立てて、何とか生活物資や通勤客の輸送を確保しようとします。数少ないバスに群がる通勤客の姿が、映画の中でも度々登場します。経営者による買い占めに対しても、配給・統制委員会を自発的に組織し、買い占め物資の摘発や自分たちで商店を経営する「人民の店」を立ち上げ、暴利をむさぼる闇市場に対抗します。「人民の店」というのは、いわば生協のようなものでしょうか。鉱山ストに際しても、6割の労働者がストには加わらず、残業で何とか操業を維持しようとします。地域労働者連絡会を立ち上げて、人手不足に陥った職場には、会社の枠を超えて労働者が応援に駆け付けます。何故、労働者がそこまで頑張れるのか?その答えは、「今までは人間扱いされて来なかった。アジェンデが大統領になって、我々も初めて人間扱いされるようになった」という、貧しい労働者の声に現れています。これが第三部「民衆の力」のあらすじです。映画監督が最も強調したかったのも、ひょっとしたら、この第三部ではないでしょうか。

 ピノチェトのクーデターで何千、何万という野党や労働組合の活動家、音楽家、ノーベル賞作家などが、クーデターの中で暗殺され、あるいは軍隊に拉致されたまま行方不明になりました。数年も経ってから、暗殺されたり行方不明になった人の遺体が、墓地の中から大量に出てきたりしました。軍事政権が進める規制緩和で、路頭に迷う人が続出し、失業率も物価もうなぎ上りになります。それでも、どんなに深い夜でも明けない夜はありません。ピノチェト政権末期には、アジェンデ政権末期にも勝るとも劣らない経済混乱が、全国に広がります。それを見て、今まで軍事政権を支えて来た米国も、ついに見切りをつけます。米国にも見放されたピノチェト大統領は、1988年に国民投票で不信任を突きつけられ、とうとう辞任に追い込まれます。そうして、2006年に誰にも看取られずに寂しく死んでいきます。虐殺の実行犯として裁かれなかった事が、彼にとっては唯一の救いであり、弾圧犠牲者にとっては歴史に残る汚点として、その後も長く記録される事になりました。

 私がこの映画で注目したのも、第三部での労働者の頑張りです。だって、資本家がストをけしかけ、労働者が「それではいけない、仕事しよう」と応じるなんて、普段の私の感覚からすれば、全く逆じゃないですか。でも、「自分は一体何の為に仕事をしているのか?単に、自分や家族の為だけでなく、人間らしい社会を作って、もっとより良い国にしていかなければならない。その為に頑張るのだ」と、労働者が本当に自覚する事が出来れば、こんな「奇跡」も起こり得る事が、チリの歴史で証明されたのです。

 翻って、今の日本ではどうか。別に軍事政権に弾圧された訳でもないのに、アベノミクスなるバブル景気に酔いしれて、大企業正社員の自分の給料さえ上がれば良い、東京などの大都市さえ潤えばそれで良い、地方の農民や非正規労働者、原発事故に苦しむ福島や基地被害に泣く沖縄住民の事なんかどうでも良いとばかりに、選挙にも行かず、行っても、ただムードだけで自民党や維新の党に投票する輩の、何と多い事か。御用マスコミの垂れ流す宣伝だけを鵜呑みにし、安倍政権も何か胡散臭いけど、北朝鮮のミサイルも怖いからと、よく分からずに自民党を支持するグータラ社畜の何と多い事か。上司や上役には何も言えず、バイトに当たり散らすしか能がなかった誰かさんを筆頭に。

 私が、日頃職場で進めている業務改善も、単なる小手先の「改良」で終わるのではなく、そんな社員の怠慢や奴隷根性まで一掃する契機にする事が出来れば、どんなに素晴らしい事かと思います。

映画 『チリの闘い』 予告編
 

アジェンデ 最後の演説 チリ・クーデター (日本語字幕付) Salvador Allende ultimo discurso

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツイッターでの保守的な人との対話

2014年03月21日 14時59分49秒 | 映画・文化批評


 上記の私のツイートに関して、実はツイッター上で谷岡篤という人と少し論争になっていて、その為に少しブログ更新が滞っていました。そのやり取りの経過を、先方様の了解も得てトゥギャッターというツイッターまとめサイトに既に投稿しましたが、まだどうしても収録しきれないツイートもあるので、一足先に当ブログの方に完全収録版を載せる事にしました。そのまま転載しただけでは分かり辛いので、古い順から並べて小見出しも適宜入れました。
 何故、両者の意見がすれ違ってしまったのか?そもそも両者の立場はどう違うのか?そこから再び修復できたのは何故なのか?そういう点で少しでも参考になれば幸いです。もっとも、それ以前にツイッター自体が議論に向いているかという問題もありますが。たった140字では細かい議論なんて無理です。得てして「売り言葉に買い言葉」となりがち。それなら字数制限のない掲示板の方がまだマシかと。そういう意味では、今回無事に議論を収束できたのは寧ろレアケースだったのかも。

●報道自由度ランキングは「左巻き」メディアの戦後支配によるもの?

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月12日
@afghan_iraq_nk1 戦後一貫して続いている「左傾化」と、左巻きによる言論封殺、言論弾圧、言論統制の傾向が足を引っ張っているのは明らか。左巻きには高学歴者が多い。高学歴だから正しい、正義だ、善人だという先入観が最大の罪だ。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月13日
@walaiotoko 原発推進も消費増税もTPPも全然まともに批判せず、部長や論説委員が安倍との会食に嬉々として応じる御用メディアのどこが「左傾」しているのかw。妄想も大概にせえよ。尤もネトウヨのお前からすれば今のレベルですらまだまだ「右傾」不足なのだろうがw。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月13日
@afghan_iraq_nk1 私のツイートをもう一度読んで下さい。報道自由度ランキング云々に対するツイートですよ。メディアが権力批判をする場合は権威を用いる。その権威は高学歴の左巻きの面々が多いのが実情。これは戦後一貫して続いている手法です。結果視野が狭く思考範囲も狭いと。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月13日
@afghan_iraq_nk1 TPP反対は親米保守ではない保守も主張しています。戦後一貫して権力批判をする際に左巻き権威を重宝してきた日本のマスメディア。マスメディアが権力批判しようと左巻き権威にお願いをしても、保守と一緒に権力批判することを避けたい左巻き権威が動かないだけ。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月13日
@afghan_iraq_nk1 ということで、マスメディアが権力批判をする際の手法は戦後一貫して左巻き権威を用いて生きている。右巻きを使おうとしない。そうしたマスメディアの慣習というか体質が報道自由度ランキングに出ているんですよ。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月13日
@walaiotoko まあメディアは基本的には売れれば何でも良い訳ですから。だから左が比較的強かった80年代までは「左寄り」の記事を書き、右傾化した今は「右寄り」の記事を書く。朝日が左寄りで産経が右寄りというのも、その許容範囲内でという事。どちらも肝心な時には権力にすり寄る。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月13日
@afghan_iraq_nk1 権力にすり寄る。。。同意です。戦前から変わらずの本質。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月13日
@walaiotoko まず最初にネトウヨ・お前呼ばわりした事について謝ります。こちらも少々感情的になっていました。

●戦後日本を支配してきたのは自民党では?

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月13日
@walaiotoko その上で率直な疑問を。戦後日本を支配してきたのは基本的に自民党です。安倍の言う「戦後レジーム」が正に日米安保体制。憲法9条もその隠れ蓑に利用されてきた面も。それに絡め取られた戦後左翼に限界があったのは事実だが、そればかり叩くのは形を変えた自民党免罪論では?

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月13日
@walaiotoko 戦後左翼の限界と言っても色々ある。例えば社会党や解同が自民党から飴玉をしゃぶらされ骨抜きにされた事や、共産党の自主独立路線も結局は国内次元に止まり、北朝鮮の拉致問題や人権抑圧への批判も抑制に転じた等。中国の労働者ストにも共産主義者として連帯表明すべきでは。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月13日
@walaiotoko しかし戦後体制の中で飴玉しゃぶらされた左翼は批判するにしても精々従犯でしか。飴玉しゃぶらせた主犯の自民や米国こそ思い切り批判すべき。どうも貴方のTweetを見る限り真の敵を見誤っている様に思う。赤木智弘の「希望は戦争」言説や生活保護叩きにも通じる倒錯が。

●「左巻き」は左翼ですらないただのアンチ、昔の自民党こそが左翼?

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月14日
@afghan_iraq_nk1 日本の左巻きは反体制でしかない。左翼ではない。だからプランがあるようで無い。国造りなど到底無理。理屈と浅い概念しか持ち合わせていない。戦勝国である米国の強い影響を受けた日本国憲法を美化しつつ、対米追従隷属である古い自民党に反抗する矛盾。支離滅裂。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月14日
@afghan_iraq_nk1 戦後の日本を振り返ると、経済政策においては社会主義的資本主義経済であったというのが事実かと。名前は忘れたが、東西冷戦時のソビエトの学者いはく、日本は理想的な社会主義国家だと言わしめたのが日本。言っていることと、やっていることが国家レベルで乖離。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月14日
@afghan_iraq_nk1 古い自民党こそが左翼だったのかと。一般的に左翼といわれている連中は単なる反体制派てしかない。私が言う左巻きがそう。政府がやることに常に反体をすることで存在意義を見い出す。彼らこそが主体を自民党政府に預けている元凶。国益を議論することもない。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月15日
@walaiotoko それを言い出したら自民党や体制右翼などの「右巻き」もそうでしょうが。靖国参拝しながらそれを批判した米国には陰で愚痴しか言えず。「米国にもNO!と言う」と言いながらイラク侵略やTPPも言いなり。忠君愛国・滅私奉公と言いながら自身は労働者を搾取し汚職まみれ。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 確かに、その通り。私も当初そうだった。理念、思想、イデオロギーを避けて、視点を「政策面」に向けてみましょう。どのような経済政策を講じてきたか?どう考えても社会主義的経済政策だったと思いませんか?だからこそ日米経済摩擦が勃発したのだと思います。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 そしてソ連を盟主とした東側が経済政策においては完全に西側諸国に白旗を揚げざるを得なかった。日本も同様、日米経済摩擦で日本は再び米国に屈したのです。当初、ドル換算ベースで日米のGNP(当時の指標)では、僅か2兆ドルの僅差まで縮まっていた。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 経済と軍事が世界NO1の米国に、人口で二倍超、国土面積で25倍の米国との経済格差が、当時の指標である国民総生産で2兆ドルの僅差であったことは驚くべき事象です。現在の中国の経済政策は当時の日本をモデルにしている。社会主義的資本主義経済です。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 中国と日本との大きな違いは、軍事のみです。他にも国民性の違いからくるものが存在していますが。。。中国は経済が元気なときにしっかりと国防力を整備するという賢明な政策を講じている。日本とは違うのです。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 あまり細かいことを言うつもりはありませんが、情報を制するものが全てを制するんです。結果、ルールを制することに繋がるからです。イラク攻撃はフセイン大統領を吊るし首にした恐ろしい国家的リンチです。日本は米国情報に依存しているからこそなんだと思います。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月15日
@walaiotoko 高学歴な左もいれば高学歴の右もいる。それは今までの選挙での石原・橋下の得票分析からも窺える。下町の低所得層と都心の高所得層に二極分化し後者主導で前者を煽る構図が浮き彫りに。山本太郎等だけを例に引き、低所得層の公明・共産支持層を無視する印象操作は如何な物か。

●今や時代は古い自民党から「真の保守」に向かっている?

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 現在の日本の中心にいる保守は親米保守であることは明らか。右翼とか右巻きwではないことは確かだと思いますよ。全て賛成はしませんが、私は安倍自民党に期待していることがあります。親米保守ではなく真の保守政権を日本に誕生させる礎石になって欲しいのです。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 だからこそ日本のマスメディア・・・増すごみは「報道の自由度」が低ランキングなんだと思います。ですよね!?

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 安倍総理が真の保守として当然と思しき主張をすると、米国国内からも激しい個人攻撃に晒されます。米国は親米保守に期待しているのであって、真の保守は米国の国益を毀損すると警戒していることは明らかです。ならば、そうではないことを知らしめる必要がある。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 その真の保守が米国の国益を毀損する存在ではないことを知らしめる作業を安倍政権にはお願いしたいと思いますね。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 これは能天気な私の持論なのですが。日本がサンフランシスコ講和条約以降、速やかに日本国憲法を日本人のものとして改正しておいたとしたら、日米経済摩擦でこのような敗北を喫することは無かったと思いますね。そして国連改革も今よりずっと進んでいたかと。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 戦勝国クラブのままの国連に世界で最も多くの資金を湯水の如く垂れ流してきた日本こそ国連改革の最大の障害であることを日本人自身が自覚していない滑稽さ。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月15日
@afghan_iraq_nk1 高所得者と低所得者とで対比させ左傾化を述べてはいません。あくまで権力に対抗する言論人としてマスメディアが用いるのが高学歴の権威であるということ。権力には権威をぶつける手法を言うとともに、そのん中で左傾化している権威を多用していると申したまで。

●庶民がどうなろうと国や大企業さえ栄えればそれで良いのか? 国益と「公共の福祉」の違いについても

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 貴方もそうですが右派の人は直ぐに「国益」云々と。所詮は「人よりも国」、庶民がどうなろうと国や大企業さえ栄えればそれで良いのかと。そういう弱肉強食の上から目線な所が私は大嫌いなの。まさか小泉流の新自由主義を今でも信奉しているのではないでしょうね。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 「戦後左翼は何でも反対のアンチでしかない」と言う。じゃあ今の右翼はどうなのか。右翼の「在特会」も在日外国人の「特権」反対が元々の趣旨なのに、何故、外国人問題とは何の関係もない脱原発デモにまで難癖をつけて来るのか。単にアンチ左翼の天邪鬼なだけでは。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 戦後左翼には様々な弱点があるのは事実。「何でも反対」という貴方の指摘も全く的外れではない。しかし、水俣病や福島原発事故の国賠訴訟も、元は不正や理不尽への抗議から始まったもの。それを一律に「何でも反対」と切って捨てるだけの冷酷な議論には私はついていけない。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 端的に聞きますが、「助けて」と遺書に残してブラック企業の和民に過労死させられた26歳女性社員の遺族に対して、右翼ならどう助言しますか。私は「国や大企業の足を引っ張った役立たず」「そんな奴の事より天下国家を論じる方が大事」との返答しか予想できないのですが。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 国益とは何なのか?公共の福祉に通じるものでよいのだと思います。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko ネトウヨなんか直ぐに左に喧嘩売ってくるけど、もっと他に幾らでもやる事ある筈。今は左派も右派も大衆から相手にされないのが実情。それは選挙の低投票率からも歴然。今の右傾化も実態は「無関心」化に他ならず。真に日本を変えようと思うならまずはここから変えるべきでは。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 私達がここで呟いている事も、あいりん地区や非正規雇用の労働者に届いてこそ初めて価値がある。でもそれは言うや易く行うは難し。単に文章を平易にすれば解決する問題じゃない。たとえ相手に意味が通じても「私は今それどころじゃない」と言われたらそれまで。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 在日団体が反原発活動をしているからでは?

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 ちょっと待ってくださいよ。水俣病問題は左翼運動なのですか?違うのでは?

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 私は右翼ではありませんので何とも。。。企業の問題なのか?職場の問題なのか?詳細はわかりませんのでなんとも。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 極論ですが源泉徴収制度を止めて申告納税制度に統一すれば投票率に変化が出てくるかと。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 貴殿が今述べたことこそが支配層が望む理想なのかも!?

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 脱原発デモは全て在日ですか?また仮に一部が在日だったとしても彼らがデモに参加して何が悪いのですか?原発の是非はもはや国家や民族の枠を超えた地球的な環境問題ですが。単に日本だけ原発OKで韓国はダメと言う利己的な立場では国際社会には通用しないと思いますが。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 極論も何も、税金を自己申告にすれば投票率も上がるとする論理自体が理解不能。仮に自己申告で幾許かの当事者意識を納税者に持たす事が出来たとしても。まさか全国民に税理士なみの事務負担を要求するのか。そんな事しても脱税と強権的徴税のイタチごっこになるだけでは。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 国益=公共の福祉?後者は、例えば国民の知る権利とプライバシー権、高層マンション住民の財産権と周辺住民の日照権の対立の様に、権利同士の衝突が起こった時に、人権擁護の立場でどう折り合いをつけるかという概念。人権より国家優先の国益論とは全然別物。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 天下国家を論じながら今問題になっているブラック企業の問題には何も答えられないと。たとえサラリーマンや非正規雇用でなくとも何か言えるでしょう。生活者である限りは。それが一切ノーコメントとは。左巻きなる言葉遊びで上から目線でしか物を考えられないからでは。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 貴殿は卑怯だ。右翼ならどう答えるか?と質問をしてきたのは貴殿だ。私は右翼ではないから右翼として答えることは出来ない旨を回答した。論点をすり替えるな。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 国内に向けて国益を主張するは主権者国民の自由民主主義社会において前時代的主張である場合が多い。貴殿が言うように正す必要がある。しかし、日本人が海外で活動する際に携行するパスポートに記載があるように、国際社会において日本の主権を主張するは国益。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 また曲解して、パスポートに日本の主権を主張する記載があるのか?などと言わないように。要は、国益は公共の福祉の積み上げというか集合体という概念でよろしいのではないかと申したまで。国際社会の中の日本国という国家単位で権利の主張をする際に必要な概念かと

●では、例えばブラック企業の問題についてはどう思うのか?

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko すみません。質問の仕方が拙かったですね。では質問の内容を変えます。右翼とか左翼とかでなく一人の人間として、和民やブラック企業の問題についてどう認識しているのか?

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 税理士並みの自己負担???納税は国民の義務でしょう。左巻き特有の我侭ですな。義務を果たさず権利の主張w

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 まずそのブラック企業という概念がしっかりと定義されていないと思いますね。要は法に抵触しない範囲で不条理や不道徳な事象が存在していて、それが人を苦しめている結果かと。左巻き日教組が学校教育において道徳教育に反対をしてきた顛末だと思いますね。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 他人を思いやるとか、他人の痛みに思いを馳せるという道徳教育の欠如。そうした戦後のくそ食らえ教育を施されたワタミ社長が法に抵触しない範囲で他人を酷使し、結果的に弱い人間から自殺に追い込まれるような社会だったとすれば、戦後教育の欠陥によるものかと。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 左巻きに多い「権利の主張」。皆がみな己の権利最優先の社会は、結局のところ弱肉強食の社会に繋がるんだと思いますね。不道徳もまかり通る社会が到来する。権利が最も大切な社会ですから。その権利は個々人が抱いているものであり、人間は欲望を持つ動物ですから。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 それと、従業員が自殺する会社はワタミだけではありません。ワタミが槍玉に挙げられるだけの理由が私には見当たりません。重要なのは弱い人から自殺に追い込まれていくということ。基本的には他人を思いやる心が欠如している社会が生み出す事象かと。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 ということで左巻きが権利権利と権利の主張を神格化するが如くの社会は、結局のところ声が大きい人が勝つ弱肉強食の社会に繋がる。皆がみな、雄弁に己の権利を主張できれば米国のような訴訟社会になる。その訴訟社会が人々を幸せにするのだろうか?甚だ疑問である。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 日本人の道徳観念が今、再び必要とされているのだと思いますが、戦後約70年間それを蔑ろにしてきたのが左巻き日教組の屑共です。人をつくり、国をつくる。まずは教育から見直さなければならないかと。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 ワタミとブラック企業に関する貴殿の質問の最後として・・・ワタミ社長が雄弁に語る姿を見て私が感じたこと。自信に満ち溢れた姿の向こうに、子供の教育を忘れ、放置し、政治運動に邁進する日教組教員とそっくり!瓜二つだと思いますな。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 もっと分かりやすく追伸です。子供の教育を忘れ、放置し、政治運動に邁進する日教組教員=社員の教育を忘れ、放置し、企業活動に邁進するワタミ社長。分かりやすいでしょうwww

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko ブラック企業という言葉自体が造語なので正確な定義はないが、まずは労働基準法等の労働法令を守らない、人を人と思わない企業という捉え方で良いかと。その具体的容態については、サービス残業等の明白な違法行為と名ばかり管理職の様な法律スレスレの脱法行為の二つが存在。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko 一例としてワタミを上げたまで。貴方も言う様に他にもそんな企業は一杯ありますよ。ユニクロ、すき家、マクド等々。中小企業から大企業まで。どちらかと言えばベンチャーや飲食業に多いが、古くからの企業についても例外ではない。原発ジプシーを使い捨てにする電力企業等。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月16日
@walaiotoko ブラック企業による搾取・酷使自体が人権侵害の最たる物。それを主導してきたのが自民党政治で、裏から支えてきたのが社畜の奴隷根性。それを逆に人権に罪を擦り付け、権威盲従の「社畜の道徳」を説く自民党を擁護するとは。脳内にまずサヨク叩き在りきの観念論の典型思考。

●より具体的な自身の体験談も交えた話に

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 よく分からない。私の両親が現役で仕事をしていた時代は、週休二日制などなかった。星を見て出勤して星を見て帰宅していた父。休みと言えば日曜日と旗日だけ。今時の若者が同じ勤務体系で働いたら労働基準法違反になるだろう。法律は生き物。絶対的なものではない。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 そして両親は小学低学年時代に大東亜戦争を体験している。飢えていた時代、物不足の時代、生きるだけで精一杯の時代、度々戦争の話を聴かされたものだ。週休二日制もなく星を見て出勤し、星を見て帰宅していた父。現在の労基法違反の勤務体系でも全然元気だったが。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 要は感じ方の問題。朝昼晩と365日間働いても元気な人もいる。やりがいを感じていれば感じ方も違う。病気になる人もいればならない人もいる。それを自民党政治の陰謀が如くへ繋げる考え方は理解できない。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 例えば最低時給制度。零細企業では最低時給制度によりパートタイマーさんの給与が上昇する。すると奥様従業員などは節税対策として労働時間の短縮を申し出る人もいる。勤務時間を1~2時間短縮することで他の従業員にしわ寄せが行く。それを酷使と言われるは心外。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 乱暴な解雇は勿論あってはならないことだが、辞めさせられない制度は大問題。いざとなれば辞めさせることができない法の縛り。中小零細企業などは、ならば新規採用を見送ろうとなる。経験豊かで気心が知れた少数精鋭で頑張ろうとなる。新規採用は減少する。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 貴殿が言うブラック企業は、大抵はカリスマ社長が存在している企業が多くを占めていると思う。カリスマと言われるだけ秀でた才能を持っているTOP。それについて行けない人が出てきても不思議ではない。どこにでもある普通の事を特別の事のように言うは誤りかと。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月16日
@afghan_iraq_nk1 搾取と酷使・・・具体的にどのような搾取と酷使があるのか?仮に搾取と思しき待遇や酷使されている労働者がいたとする。辞めたくても辞めさせてもらえない強制労働的環境下にでもあるというのか?具体例を出してもらいたい。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 同じ様な事をNHKの籾井会長も言っていますね。国内放送では国民にも言論の自由があるから政府批判もOK、しかし海外放送では国益優先で政府批判なぞまかりならぬと。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko この例が正にそうですが、貴方と議論してなかなか議論がかみ合わないのも、どうやらここに原因があるかと。つまり、人権と言う言葉一つとっても、同じ言葉を使っていても貴方と私とでは微妙に捉え方が違うのです。だから議論していてもズレが生じ、それが次第に広がっていく。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko そこで端的に聞きますが、「国民在っての国」「国在っての国民」この二つの命題のどちらが正しいと思いますか?私は前者だと思う。何故なら、幾ら国が滅んでも国民が健在ならまたいつか国を再興できるが、国民が滅んでしまったら、もはや国もクソもない。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 現実にそういう事があるのは知ってますよ。私も現場の管理者としてパートを使ってきたから。私の時は年収103〜130万円が扶養控除から外れ、しかし社会保険は付かないと、パートさんは年収103万以下になる様に調整していた。でもこれは税法改正すれば済む問題では。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko ありすぎてとてもTwitterだけでは答えられない。私自身がブラック企業の経験者なのだから。それも表向きは民主的な事を言っている生協の。そして生協退職後の非正規雇用となった今も実体験の日々を送っている。詳細はプロフィール欄>拙ブログ>職場人権レポート他へ。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko ブラック企業については今野晴貴「ブラック企業 日本を食いつす妖怪」(文春新書)雨宮処凛「生きさせろ!難民化する若者たち」(太田出版)を。黒井勇人「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かも〜」石田衣良「非正規レジスタンス」もエンタメ小説だがそれなりに。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko タコ部屋的な搾取も少なくないが、それ以上に昔と今では労働の質が違う。タコ部屋も酷使だが労働の質は余り問われなかった。今は量だけなく質も問われる。チャップリンのモダンタイムスの様な労働が延々持続。amazonの物流センターででもバイトしてみたら良く分かる。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 辞めたくても辞めれないのは、企業側のマインドコントロール。逃げる事すら思い浮かばなくなる(尼崎の角田美代子事件被害者の様に)。実際に辞めさせてもくれない(損害賠償まで請求されて)。辞めてもまともな職がない。その中で当人も転職を諦めてしまう。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 余談だが、国益やGDPがどうたら言う話よりも、こんな話題の方が私の性に合う様だ。たとえ貴方と意見が合わなくても。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 例えばマクドの60秒キャンペーン。客の注文後60秒以内に商品を渡さなければ代金タダに。店からすれば丸損なのでバイトは何とか間に合そうと必死に。確かに古典的な重労働ではないが肉体的・精神的負担はそれ以上。腰痛・頸肩腕症も今は昔とは比べ物にならない程増えた。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 要するに「昔はもっと酷かった、だから我慢しろ」と?それって典型的な精神論・根性論では。若しくは年寄り(団塊世代)の不幸自慢。そんな事言っていたらいつまで経っても社会は進歩しない。そんな事言っているからいつまでたってもブラック企業がのさばる。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 実は生協時代の私がそう。自身の恥なので余り言いたくはなかったが。契約上9~17時労働でも実際は7~19時労働で時間外は全てサービス残業、でもそれなりにやりがいがあったのでそんなに苦痛では。それが最終的に7~24時から泊まり込みにまで至るともう自暴自棄に。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko (承前)酷い時には2週間連続出勤、日曜も7~23時過ぎまで。時間外は全てサービス残業。生協には労組もあったのに何故そこまでと訝しく思うだろうが、それがマインドコントロールの怖さ。生協は民主団体だから、自身も管理職だから(実際は名ばかり)と我を抑えてきたから

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 「ブラック企業がはびこるのは、国民が労働者も経営者も含め、権利主張ばかりで義務を全うしなかったから。道徳心がなかったから」と貴方は言うが実際は逆だろう。労働者が企業側(私の場合は生協だが)のマインドコントロールにかかり、必要な権利主張も自粛してきたからだ。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月17日
@afghan_iraq_nk1 私の両親は団塊の世代の一つ上の世代ですよ。彼らの論理の中に精神論的側面は確かにありますね。但し、両親が現役時代の労働環境が酷かったなどとは言わないですね。現代に無い身内意識が企業にあったと口癖のように言いますよ!父は。そこなんだと私は思うだけ。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月17日
@afghan_iraq_nk1 私もサラリーマン時代には、サービス残業バリバリなこともありましたよ。月末月初は泊り込みは当たり前の世界。でも、希望や夢を抱けたし、楽しかった。やはり、そこなんだと思いますね。

●最初変だと思った相手も実はごく普通の人だった。「左右共闘」の可能性にも言及

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月17日
@afghan_iraq_nk1 義務と権利のバランスが必要なんだろうと思う。ブラック企業と称される企業は組織が最優先で人が後回しの組織なんだと思います。組織のために人が存在している。人を信用できない組織。人は部品であり消耗品。そういう企業は必ず倒れると思いますよ。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 最後のレスには激しく同意。感激しました。貴方と私は価値観が違うし何度も喧嘩になりかけたので、一時はブロックしようと思いました。でも諦めずに続けて良かったと思います。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 実は、左右の共闘が果たしてどこまで可能かという事をずっと考えていました。例えば大阪では反維新で自民党と共産党が事実上共闘。反原発も今や左翼だけでなく右翼も一部参加してくれるように。その一方で日の丸はOKだが労働組合の旗はダメという事で内部対立も。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko 拉致問題も本当はこうあるべきだと思います。右は国家主義や排外主義を振りまわすのではなく、左も北朝鮮に遠慮し右翼を疎んじるのではなく、あくまで人権、それも日本人拉致被害者の事だけでなく北朝鮮民衆の解放も含め。その中で朝鮮人への差別意識も払拭していけたら。

プレカリアート ‏@afghan_iraq_nk1 ·3月17日
@walaiotoko という事で一旦お開きにしません?ふっちゃけた話、他の事(ブログ等)が何も出来ないので。それは貴方も同じではないかと。それと後学の為にも、この間のやり取りを拙ブログにも転載させて貰いたいのですが如何でしょうか?全文転載かまとめ形式にするかは別途考えるとして。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月17日
@afghan_iraq_nk1 後半の部分は私も強く感じますね。北朝鮮という前時代的も甚だしい人権の一欠けらもないような国。そこを母国としている在日朝鮮人が独裁者を崇拝し朝鮮学校には肖像画まで掲げられている。北朝鮮の解放闘争でもするなら応援するのだが、北を支持する在日は屑。

谷岡 篤 ‏@walaiotoko ·3月17日
@afghan_iraq_nk1 お付き合いありがとうございました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SHINGO★西成たちのライブに行ってきた。

2014年02月17日 21時09分22秒 | 映画・文化批評
  
 昨日2月16日に「SHINGO★西成」など地元を拠点に活動している音楽家たちのライブに行って来ました。場所は西成区民ホール。西成区役所が人権啓発活動の一環として毎年行っている企画「元気です!西成!!」の3回目として、「SHINGO★西成」を初め、「DJ FUKU」「まちゅこけ」「KAKU。(かく)」「ベリーグッドマン」や、「西成沖縄県人会でいごの会」、「もくよう会」(西成区保健福祉センターの音楽サークル)などが集まって行われたものです。
 私は、通勤の行き帰りに駅で目にしたポスターで、たまたまこの企画を知りました。区役所の主催という事もあり、最初はそんなに期待していませんでした。でも、当日が公休日で参加費も無料。タダで「SHINGO★西成」のライブが聴けるという事で、参加してみようと思った次第です。(上記写真:左の2枚は会場のポスター、右は当日会場でもらった案内チラシ入りのバッグ)

 
 参加できるのは先着順で400名までという事で、私も最初はそんなに期待していませんでしたが、いざ会場の区民ホールに入ってびっくり。もう人だらけ。「これ本当に先着400名だけだろうか?実際には1000人くらいいるのと違うか?」という感じで。実際、西成区民の方だけでなく他区や他市町村、大阪府以外の都道府県から参加された方も大勢いたようです。
 区役所主催という事で、区長が挨拶に来られましたが、ほとんど誰も聞いていないような感じで。その後、「もくよう会」の人たちによるハンドベルの演奏で、ライブの幕が開きました。

 
 続いて沖縄県人会のエイサー踊りと「KAKU。」さんの歌。この「KAKU。」さんも西成在住で、この会場から歩いて直ぐの所にお住まいのミュージシャンだそうです。(失礼ながら初めてそのお名前を知りました)

 
 その次は「まちゅこけ」さん。この辺から次第に盛り上がって来ました。
 「まちゅこけ」とは変な名前ですが、聞けば釜ヶ崎(あいりん地区)の三角公園を拠点に「釜ヶ崎SONIC(ソニック)」というライブをやって来られた女性だとか。それで、最初は公園で演奏しても誰もまともに聞いてくれなくて、ヤジをいっぱい飛ばされて、ブチ切れて聴衆と喧嘩になったそうな。そんな人なので、歌声も非常にパワフルで圧倒されました。ただ、時々発する「チャーム」とかの専門用語(隠語)の意味が最後まで分かりませんでしたが。
 その後は「ベリーグッドマン」の歌。このトリオも最近結成されたものだそうです。

 
 その後はスタンディングもOKという事で、聴衆はステージの前に殺到。いよいよ「SHINGO★西成」と「DJ FUKU」の真打が登場。ところが、余りにもステージに接近し過ぎた為か、肝心の「SHINGO★西成」の写真が幾ら撮影しても逆光で上手く撮れず。
 ここでちょっとしたアクシデントが起きました。司会者が、多分区役所の方から言われたのでしょう、「人権のつどい」という事で、「人権とは何か」を解説し始めました。ところが「誰にも生きる権利がある」とか「自由」がどうとか、ご本人は多分一生懸命「生活保護が受けられなくてマンションで餓死した女性の話」とかされているのですが、その余りに「教科書的」な説明に興ざめし、聴衆がざわつき始めました。
 ところが、その後、「SHINGO★西成」が「俺らも人間やぞ!ボロ雑巾(ぞうきん)やないぞ!」と叫んだとたん、ヤンヤヤンヤの大歓声。さすがは「SHINGO★西成」。西成・釜ヶ崎の三角公園近くの長屋で生まれ、ずっと虐げられてきて、自分も下手すれば先のマンションの女性のように餓死していたかも知れない。だからこそ「人権の何たるか」「それがどれほど掛け替えのない物か」が、教科書に書いてあるような建前や説教ではなく皮膚感覚で分かっているのでしょう。
 実際、彼や「まちゅこけ」の凄い所は、自分たちもコンサートやライブの合間をぬって、野宿者支援の炊き出しや見廻りなどの活動にも何らかの形で参加されている事です。勿論、本職はあくまで音楽家なので、出来る事は限られていますが。それに引き換え、口では「人権尊重」と言いながら、真冬に放水車でホームレスを公園から追い出しにかかる役人や、労働者を物扱いし安い賃金で長時間こき使う経営者、自分たちは思いっきり私腹を肥やしながら、やれ「病院の数が多すぎる」だの「保育所を民営化しろ」だのと喚き散らす政治家の何と多い事か。


 同じ様な事は最後にもありました。もうお開きという事で、みんな帰り始めた矢先に、「SHINGO★西成」の「もう一、二曲歌おうぜ!」の一声で、帰りかけていた聴衆がまたワッと前に殺到。「最後は誰でも知っている歌で締めよう」という事で、「オーシャンゼリゼ」他一曲を歌って終了。この最後の時だけ、プロジェクターでステージのスクリーンにも歌詞が大書きで映し出されました。他のスタンディング曲の時も同じ様に映し出してくれたら良かったのに。
 聞けば、西成には他にも地域に根ざして地道に活動しているミュージシャンやアーティストが大勢いるのだとか。あいりん地区の存在や、高齢者や生活保護世帯が多い事もあって、とかく世間的には余り良いイメージを持たれない西成区ですが、決してそれだけの街ではない。むしろ他の街よりもずっと人に優しいし、本音で語れる所がある。そういう意味では、他の街よりもかえって住みやすいのではないかと思いました。

SHINGO★西成 頑張ってれば... 釜ヶ崎越冬闘争LIVE 2011


まちゅこけ 「釜ヶ崎人情」
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の悲劇2013

2013年09月21日 23時01分26秒 | 映画・文化批評
  

 この前の休みに「日本の悲劇」という映画を見てきました。
 どんな映画かというと、長年連れ添った妻を亡くし年老いた父親と、失業を機に失踪し嫁にも逃げられた息子の物語です。息子はやがて思い直し実家に戻って来ますが、今度はその日に母親が倒れ、看病の甲斐もなく他界してしまいます。不幸はそれだけに止まりません。それと入れ替わるように今度は父親が肝臓ガンで入院し、しかも「もうこれ以上辛い治療は御免だ」と母親の命日に無理やり退院して、息子に付き添われて自宅に戻ってきた所からこの映画は始まります。

 自宅に戻ってきて台所の椅子に座らせても「儂の指定席はここじゃない。そこだ」とガンと譲らない父親・不二男のボケ老人ぶりを、俳優の仲代達矢が真柏の演技で演じます。それに「じゃあ勝手にしろ」と応じる息子・義男の凋落ぶりも見事で、新進俳優の北村一輝が演じるプカプカ煙草を吸うヘビースモーカーぶりが堂に入っています。もっとも、それを咎める父親もアルコール中毒でガン患いなのですから、他人の事を言えた義理ではありませんが。
 そんな息子を憐みの目で見る父親に対して、息子が「確かに俺はアンタの年金だけを頼りに生きてきたスネカジリだ。でも俺も俺なりにやり直そうと精一杯努力して来たんだ。一個380円のスーパーの弁当を二つ買ってそれで三食食いつなぐような、爪に灯をともすような生活をして来て、母の命日ぐらい寿司食って何が悪いんだ」と叫ぶ息子の頭の上に、父親が優しく手を置きます。

 その翌日から父親が思い切った行動に出ます。一年以上経ってもまだ墓入れも済まさない母の遺骨と位牌のある部屋に、中から釘を打ちつけて立てこもり、「そっと死なせてくれ。毎朝の安否確認の挨拶以外には一切声をかけるな。俺がくたばって返事をしなくなっても少なくとも1年間は扉を開けるな。お前の就職が決まった時に初めて開ければ良い。無理やりこじ開けて部屋に入ってきたらノミで首掻き切って死ぬぞ」と息子に宣言してしまいます。息子は途方に暮れ、何とか親父を外におびき出そうと、好物のかつおのタタキで晩酌に誘ったりしますが、親父は頑として受け付けません。とうとう息子は「もう止めてくれ。俺は親父を見殺しには出来ない」と外で泣き叫びます。
 親父は親父で、室内で母の遺骨を前に昔の事を思い出します。最初は「義男さんと連絡がつかなくなった。離婚届にも判をついたので義男さんに渡してほしい」と届を持ってきた義男の妻・とも子を何とか思いとどまらせようと、不二男の妻・良子がおろおろする場面を眼に浮かべ、やがて初孫を紹介しに実家に遊びに来た義男・とも子夫婦を不二男・良子夫婦が暖かく迎え入れる昔のシーンに及びます。そこでは映画もそれまでの陰鬱なモノクロの長回しから一転してカラーの華やいだ場面に変わります。

 結局、部屋に立てこもった不二男は衰弱して死んでしまうのですが、その不二男の遺影を前に、義男が今日も就職面接があると出掛けていく場面で映画は終わっています。単なる悲劇ではなく、幾許かの希望を持たせた終わり方になっている所がミソです。また、しょっちゅう家の中で電話が鳴り響きますが、義男は外で洗濯物を干したりしていて電話に出る事が出来ません。立てこもり中の不二男が外の義男に向かって小さく「電話」と呟きますが義男には聞こえません。この電話も「ひょっとしたら、義男とよりを取り戻そうとする嫁からのものではないか」と、映画の視聴者に淡い期待を抱かせます。
 勿論、細かい点まで言いだせば色々粗も見えてきます。例えば、立てこもり親父は大小便の処理はどうしたのかとか。しかし、そういう細かい粗も帳消しになるほど、自分の将来について色々考えさせられました。

 まあ、簡単に言えばそういう映画です。話のあらすじは地味だし、マスコミで大々的に宣伝もしていないので、私もつい最近までこんな映画があるとは全然知りませんでした。たまたまネットで話題になっていたのを知って、この前の休みに観に行って来たのですが、とても他人事だとは思えませんでした。
 私も母が亡くなり今や親父と二人で実家に住んでいます。映画との違いは、私が一応バイトで生計を立てていて今はとりあえず無職ではない事と、兄貴や妹もそれぞれ嫁さんや旦那がいて離婚はしていない事ぐらいです。若し私が失業してしまったら、この映画に出てくる義男と同じ立場になってしまいます。そういう意味では、とても身につまされた映画でした。

 この映画の背景には、数年前にあちこちで問題になった年金不正受給事件があります。日本の家庭が、昔の漫画「サザエさん」のような大家族から、核家族の段階を経て、やがてリストラや格差社会で家族がバラバラにされる中で、最後には独りぼっちになった老人が、誰にも看取られず生活保護も受けられずに死んでいく。残された世代も自分たちが食う事だけで精一杯で、とても親の面倒を見るような余裕はなく、悪いとは分かっていても親の年金を死後も貰い続けようとする。
 それを逆手に取った不二男の室内立てこもり事件も、自分が悪者になる事で、失業中の息子が自分の年金で死後も食いつないでいけるように画策した、息子の義男に対する精一杯の愛情表現だったのです。
 この親や息子を犯罪者呼ばわりするのは簡単です。また、幾ら親が息子に口止めしたとしても、お互い子供ではないのですから、事件が発覚すれば罪に問われる事には変わらず、せいぜい情状酌量の余地しかない事ぐらい誰でも分かります。でも、それを本当に犯罪と言えるのか。本当に悪いのは、親でも息子でもなく、そこまで二人を追いつめた日本の格差社会であり、その格差社会を作った今の政府・財界じゃないのか!
 こんな現状を放置して、震災復興もオリンピックもないでしょう。現に今も故郷の福島に帰れない人が大勢いて、原発の放射能や汚染水も垂れ流したままで、年金や生活保護の「不正受給」叩きも横行する中で、上辺だけ「絆」や「頑張ろう日本」を連呼しても無意味です。「みせかけの絆」や「偽りの団結」なぞ要らない。

 2010年に東京の足立区で、廃屋から一人暮らしの老人のミイラが見つかりました。この老人も、1978年に息子に映画と同じ様な事を言って、自ら室内に立てこもったのです。「日本の悲劇」というこの映画も、この東京の実話をもとに作られました。
 1978年と言えば、戦後の高度経済成長は既に終わりを告げていましたが、まだまだ日本が中流社会と呼ばれていた頃です。この頃から既にそんな問題が起こっていたのです。今はそれよりも遥かに酷くなっています。
 また、「日本の悲劇」という映画のタイトルも(監督は小林政広)、1953年に上映された同名の映画から来ています(監督は木下恵介)。だから、このブログ記事のタイトルも、昔の同名の映画と区別する為に「日本の悲劇2013」としました。1953年の映画は、戦争未亡人が売春しながら女手一つで子供を育てたものの、最後には子供にも捨てられ鉄道自殺してしまうという悲しい結末で終わっています。その映画に使われたモノクロ描写の技法が今回の映画にも引き継がれました。戦争と無縁・格差社会、それぞれ悲劇の背景は違っても、常に弱い者だけが犠牲になるという日本社会の特質は、戦後60年経っても全然変わっていないのではないでしょうか。

※「日本の悲劇」(現代の方)、大阪ではシネ・ヌーヴォ(地下鉄中央線・阪神なんば線九条駅下車 Tel06-6582-1416)と第七藝術劇場(阪急十三駅下車 Tel06-6302-2073)で10月初旬ぐらいまで上映中。映画の公式サイト:http://www.u-picc.com/nippon-no-higeki/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嘘つきは泥棒の始まり

2013年09月18日 08時53分08秒 | 映画・文化批評
永遠の0 (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


 前回記事で小説「永遠の0」の書評を書いたが、今思えばあの書評も過大評価に過ぎたようだ。小説の中であれほど特攻作戦の無謀さ・悲惨さや軍部の横暴・腐敗を暴いた作者の百田尚樹自身が、自分のツイッターでは「笑顔で死んでいった」と特攻を美化し、他のツイッター投稿者から叩かれているのだから。以下、百田尚樹のツイッターより引用する。

百田尚樹‏@hyakutanaoki
特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。戦争否定のためには、彼らをバカとののしれと言うのか。そんなことできるか!

森田広記 ‏@morita0 8月15日
笑顔で死んでいったんではない。親戚に特攻隊員はいなかったのか。 RT @hyakutanaoki 特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、ドヤ顔で述べる人がいるのに呆れる。逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを

きむら ゆい ‏@yuiyuiyui11 8月16日
特攻隊の生残りを父親に持つ私にとって百田尚樹は狂気以外の何物でもない。“@morita0: 笑顔で死んでいったんではない。親戚に特攻隊員はいなかったのか。 RT @hyakutanaoki 特攻隊員たちを賛美することは戦争を肯定することだと、……笑顔で死んでいった男たちを”

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
「笑顔で」とかバカ言ってんじゃねーよ。どんだけ死者冒涜すりゃ気が済むんだ?RT @hyakutanaoki @guriko_ 逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
@yuiyuiyui11 @guriko_ @morita0 発案者自身が終戦時に自決未遂で「我、外道の戦法を考案せり」と後悔したとか、こいつ→ @hyakutanaoki 知らないんですかね?「こんなことやるんだから日本は負けるんだ」が特攻隊員の本音ですよ。

yasubow202 ‏@yasubow202 8月16日
百田さん、笑顔(恐らく、ひきつった)で死ぬなんてことが、美化できるわけ無いですぜ。 RT @toshi_fujiwara 「笑顔で」とかバカ言ってんじゃねーよ。どんだけ死者冒涜すりゃ気が済むんだ?RT @hyakutanaoki 笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
こういう倒錯を、普通の精神医学および心理学用語を当てはめれば「自虐史観」というわけですよ。RT @hyakutanaoki 逃れられぬ死を前にして、家族と祖国そして見送る者たちを思いながら、笑顔で死んでいった男たちを賛美することが悪なのか。

toshi fujiwara/藤原敏史 ‏@toshi_fujiwara 8月16日
…っていうか、諦めの境地ですよ。この人、作家のクセに特攻隊の生存者とか話を聞こうとか思わないんだろうか?RT @yasubow202 @hyakutanaoki 百田さん、笑顔(恐らく、ひきつった)で死ぬなんてことが、美化できるわけ無いで

森田広記 ‏@morita0 8月16日
私の父もです。 RT @yuiyuiyui11: 特攻隊の生残りを父親に持つ私にとって百田尚樹は狂気以外の何物でもない。“morita0: 笑顔で死んでいったんではない。親戚に特攻隊員はいなかったのか。 RT @hyakutanaoki 特攻隊員たちを賛美することは戦争を...”

ひでやん ‏@hide_twitt 8月16日
@toshi_fujiwara @hyakutanaoki 「笑顔で」とか、あんた見て来た様なウソをよくも平気でつけますね。だれも死にたくなんて無かった筈、特攻隊員は軍国主義によって殺された犠牲者ですよ。

Yuji ‏@pocopenpokopen 8月16日
@toshi_fujiwara @yasubow202 @hyakutanaoki 笑顔で、なんて……講釈師見てきたような嘘を言いです、百田さん。

きむら ゆい ‏@yuiyuiyui11 8月16日
そうですか。私の父は8月15日出撃予定でした。“@morita0: 私の父もです。 RT @yuiyuiyui11: 特攻隊の生残りを父親に持つ私にとって百田尚樹は狂気以外の何物でもない。“morita0: 笑顔で死んでいったんではない。@hyakutanaoki

https://twitter.com/hyakutanaoki/status/368212660493361152

 百田が「笑顔で死んでいった」とほざく特攻隊員の心の内がどのようなものであったかは、当の小説「永遠の0」自身が雄弁に物語っている。
 例えば、前回記事でも少し触れた、特攻隊員の生き残りの井崎が、病身を押して健太郎たちのインタビューに応え、亡き宮部小隊長との会話を回想する場面がそうだ。宮部が、彰義隊員の生き残りだった祖父から幕末・明治維新の戦いを何度も聞かされた事を回想し、「今度は孫の俺がアメリカと戦っていると知ったら祖父は驚くだろうな」「俺もいつか自分の孫に、縁側で日向ぼっこでもしながら、おじいちゃんは昔ゼロ戦に乗ってアメリカと戦っていたんだぞって」と語る場面だ。
 そこで井崎が、「その時は日本はどんな国になっているのでしょうか」「平和な国になっていたらいいですね」と思わず漏らしてしまったのに対し、上官の宮部も、それを「非国民」と咎めるどころか、寧ろ一緒になって頷く。そして翌朝、別の空母に配属となりラバウルから飛び立った井崎を、滑走路で見送る宮部が「絶対に死ぬな、どんな事があっても生き抜け」と身振り手振りで語る。その宮部も特攻で亡くなった事を後に知った井崎が、「こんな素晴らしい人まで特攻で殺してしまうような国なぞ滅んでしまえ」と、インタビューで語った。

 それまで井崎の回想をしぶしぶ横で聞いていた、暴走族くずれの井崎の孫が、感極まって突然泣き出した場面だ(講談社文庫版「永遠の0」第5章「ガダルカナル」、248~251ページ)。この場面では、思わず私ももらい泣きする所だった。
 これこそが、大多数の特攻隊員のウソ偽らざる本音だろうが。そして、そう思うなら尚更、今も戦争・軍拡や憲法改正には反対・留保するのが筋だろうが。別に井崎のように「こんな国なぞ滅んでしまえ」とまで思う必要はないが、少なくとも最初の百田のツイッターのような、「笑顔で死んでいった男たちを賛美する」という事には決してならない筈だ。

 私が、前回記事の最後で、「同じように反戦・厭戦の描写を散りばめてはいても、この小説は漫画の「はだしのゲン」とは全然違う」と書いたのも、そういう意味だ。原爆では一瞬にして何十万もの市民が、木の葉の様に焼かれて亡くなった。そして辛うじて生き残った者も、今も原爆の後遺症や恐怖に苛(さいな)まされ続けている。だから、原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい、過ちはもう二度と繰り返しませぬから」と書かれているのだ。
 勿論、最も責められるべきは原爆を投下した米国だ。何も原爆を投下せずとも、日本が早晩降伏するのは分かっていたのに、戦後に対抗する事になるソ連に自国の威力を見せ付ける為に、わざわざ意味もない原爆を投下して、戦闘員でもない多くの市民を殺傷したのだから。しかし、そもそもその原因を作ったのは、「欧米からアジアを解放する」と偽りながら、欧米と同じ様に台湾・朝鮮・中国や東南アジアを侵略していった日本だ。
 だから、戦後、多くの国民が原水禁運動の中で、核廃絶を訴え、過去の戦争にも現代の戦争にも反対しているのではないか。その中で、当初は「アメリカの核は悪い核だが、ソ連や中国の核は良い核だ」とする誤った傾向も一部にはあり、その為に原水禁運動が分裂してしまった時期もあったが、今はもうそんな事を言う人間なぞ誰もいない。米国やフランスだけでなく中国・北朝鮮・インドの核軍拡や、核兵器を生み出し地球を放射能で汚染する原発にも反対し、単に「戦争さえなければ良い」「自分たちの国さえ平和であれば良い」とする狭い了見ではなく、地球上から一切の戦争や差別・抑圧をなくしていこうとしているのではないか。

はだしのゲン 2
クリエーター情報なし
中央公論新社


 上記の特攻隊員の無念を思えばこそ、普通ならこの原爆慰霊碑のように「過ちはもう二度と繰り返しませぬから」となる筈だ。少なくとも百田の様な、「特攻隊員をバカにするな、笑顔で死んでいった特攻隊員の事をもっと敬え」なんて論理なぞ出てくる筈がない。これが戦争反対なぞ言えなかった戦前・戦中ならまだしも、まだそれ位の自由は残されている現代においても、こんな貧相な論理しか出てこないようでは、「では一体何の為にこの小説を書いたのか」と思いたくなる。
 誰も特攻隊員をバカだと罵ったりなぞしていない。寧ろ百田の方こそが、「原水禁運動をやったり憲法改正に反対する人たちは特攻隊員を罵っている」と勝手に思い込んで、宮部や井崎のような特攻隊員を初め、太平洋戦争の犠牲者や、核実験のモルモットにされた兵士(アトミックソルジャー)や、今も放射能に苦しめられる核実験場やウラン鉱山付近の先住民、故郷を奪われた数十万人もの福島原発事故の被災者、原発で被曝データを改ざんされ使い捨てにされている下請け作業員や、第二次大戦で日本軍の皆殺し戦術(三光作戦)やナチスのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の犠牲になった人々や、今も大国による戦争の犠牲になっているイラクやシリアの人々に対して、「従軍慰安婦なぞいなかった」「日本は良い事もした」とか言って唾を吐きかけているのだろうが。まるで「世界の国々や日本の国民なぞどうなろうとも、日本の国家や軍隊の面子さえ保てればそれで良い」とか、或いは「今は昔とは違い寧ろ右翼の方が持て囃される、小説もそっちの受けを狙って書いた方が売れる」とでも思っているかのように。

 くだんの小説「永遠の0」には、前述の反戦・厭戦描写とは別に、また別の仕掛けがある。それが、健太郎たちに特攻取材の話を持ちかけてきた新聞記者・高山の描き方だ。「特攻隊員なんて軍国主義に洗脳されたテロリストだ」とする高山に、「お前らマスコミは、戦争中はあれだけ戦争熱を国民に煽っておきながら、戦後になった途端に手のひらを返したように民主主義や平和を称賛して、自分だけ良い子になるな」と怒る元特攻隊員が一杯登場する。
 なら、今の百田は一体どうなのか。幾ら小説の中で戦争の悲惨や軍部の横暴について書いても、作者の百田自身がテレビやインターネットで「自衛隊員は国の守り、国の誇りだ、中国や北朝鮮に舐められるな」と、小説とは全く正反対の事を言っているのだからお話にならない。「(昔)言っている(た)事と(今)やっている事が全然違う」という高山に対する非難は、そのまま今の百田にも跳ね返って来るのに、その事にも気付かないとは、もはや裸の王様だろう。ひょっとしたら、この高山に対する憎しみを煽る事で、特攻隊員を美化したい事こそが百田の本音で、小説の中の反戦描写はそれを隠す煙幕にしか過ぎないのだろうか。 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする