アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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腰痛がだんだん酷くなってきたような・・・

2011年05月30日 00時57分22秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
  
 今回は久しぶりに近況報告でも。物流センターでのピッキング(商品仕分け)作業と一口に言っても、そのやり方は会社によって千差万別。私がついこの間まで働いていた委託先のスーパーでは、「種まき方式」といって、田畑で種まきするみたいに、作業者が商品を積んだ台車と一緒について回り、商品を各店舗に仕分けていくやり方をとっていました。それで一つの部門の仕分け作業が終われば、次の部門に移動して、商品の仕分けと搬送を行っていた。
 この「種まき方式」では、ピッカー(仕分け作業者)が商品を持って、広い構内をかけずり回らなければなりませんでした(左上写真)。携帯電話の万歩計機能を使って、毎日の作業歩数を計っていたバイトがいましたが、その数値を見せて貰ったら、毎日3万歩から4万歩にもなっていました(右上写真)。どうりで体重が数ヶ月で数キロも減る筈です。これぞ名付けて「搾取ダイエット」w。

  
 今の委託先のスーパーでのやり方はまた違います。「摘み取り方式」といって、コンベヤに流れてくる商品を摘み取るようにして、仕分けていきます。具体的に言うと、5~6店舗で1レーンのソーター・ラインが計20本近くあって、商品はバーコード読み取り機(ソーター)によって各レーンに予め分別されて流れてくる。それを各レーンに配置されたピッカーが、それぞれ自分の持ちレーンに割り当てられた店舗に仕分けしていく方式になっています。この「摘み取り方式」では、以前の「種まき方式」とは違い、作業者が広い構内をかけずり回る事はありません。動き回るのは、せいぜいレーン付近とその近くにある格納場所の狭い範囲だけです(左上写真)。
 しかし、作業者の人力頼みで、一応は作業者のペースで仕分けが出来た以前とは違い、今度は機械の流れてくるスピードに合わせなければならないので、疲れ方がまた違う。以前ほど膝や足腰を痛めなくなった代わりに、今度は腰から上の背中や腕に影響が出て来た。それがこのザマです(右上写真)。

 この鍼灸治療は、別に今に始まった事ではなく、もうずっと以前の、まだ「いずみ生協」に勤めていた頃から、ずっと通っていました。日曜日も営業しているので、平日の診療時間には間に合わない当時から重宝していました。今も隔週ごとに日曜日に通っています。1回に付き1時間半みっちり治療してくれます。但し治療費は保険が利かないので高いです。1回に付き6千円かかります。お陰で、医療費控除の確定申告を毎年欠かさずに続けるようになりました。
 鍼灸治療に馴染みの無い人からすれば、ひょっとしたら、この写真は相当怖いかも。「うわー、今でも血が吹き出てくるんじゃないか!」「まるで針地獄じゃないか!」ってw。
 全然そんな事はありません。これは治療のごく一部のシーンで、この後もベッドに仰向け・うつ伏せになっての治療が続くのですが、確かにこの背中の僧帽筋だけでも、40本以上の鍼(はり)が刺さっています。この場合の1本の鍼の深さは、大体1.5~2センチ。置鍼(ちしん)と言って、このポーズで椅子に座ったまま、赤外線を当てられながら、10分から15分間持続します。
 この刺激によって、体内の白血球の増殖が促され、身体の新陳代謝や血液循環、免疫作用が高まるのです。事実、赤外線を浴びながら、呼吸の息が次第に深くなってくるのが分かります。


 でも、この鍼治療も所詮は対症療法(自嘲)。もう若くはない中で、何とか身体の老化を食い止めているだけ、老化のスピードを抑えているだけにしか過ぎません(我ながら嫌な表現ですが)。
 「餅は餅屋」というか、生協退職後も、バイトで採用されるのはやはり慣れた仕事で、私も別にこの仕事がまんざら嫌いでもなかった(寧ろ性に合っていた)ので、今まで来たのですが、身体にはやはり余り良くなかったようで。
 フォークリフトの運転にしても、検品やピッキングの作業にしても、寒い冷凍・冷蔵庫内で長時間同じ姿勢の作業なので、どうしても身体が硬くなってしまう。血液循環や新陳代謝が悪くなり、乳酸や活性酸素などの疲労物質がどんどん貯まる一方。幸い、酒やタバコは殆ど嗜む事無く、暴飲暴食もしなかったので、今までどうにかやって来れましたが。この調子では、果たしていつまで続くやら。福島第一原発じゃあるまいし、いきなりメルトダウンなんて事になったら、洒落にもならない。
 上の写真が、じっとしている時や起きがけなどに、重だるさや時々鈍い痛みを感じる所なのですが、上半身左右の腰・背中―ツボで言えば下図の腎兪(じんゆ)・大腸兪(だいちょうゆ)に当たる部分―と、利き腕の右を庇おうとして左に出るのか、特に左首筋―同じくツボで言えば天柱(てんちゅう)・風池(ふうち)―に硬いシコリみたいなのが常にあるような感じで、肘裏(上腕三頭筋)も軽いテニス肘みたいになっています。
 

 しかし、確かに自業自得なのかも知れないが、「これって本当に俺の自己責任なのか?」と思います。「そんな仕事に就くのが悪い」と思われる方も、ひょっとしたら居るかも知れませんが、誰でも政治家や学者・事業家になれる訳ではないでしょう。別になれかたら偉いとも思わないし。転職しても「餅は餅屋」で終わる事も、ごく普通にある訳で、その「普通が悪い」という事には絶対にならない。
 普通に働いて普通に生活して、普通にリタイヤしたら、憲法25条にも謳われている「健康で文化的な最低限度の生活」が出来る年金を、誰でも普通に貰えるのが、「ごく当たり前の普通の国」と違うのか。それを、戦前の「おしん」や「女工哀史」「蟹工船」の時代じゃあるまいし、最近では落ち目になりつつあるが、それでも世界第二の経済大国で、何故60歳を過ぎても学生バイト並みの年金しか貰えず、腰痛の不安におびえながら、死ぬまであくせく働かなければならないのでしょうか。

 そう言うと、自民党や右翼・産経新聞などは多分、「それでも中国や北朝鮮よりもずっとマシだ」と言うのでしょうが、こんな調子ではこの日本も、北朝鮮辺りと本質的には何ら変わらないのでは。その中で、「下見て暮らせ傘の下」じゃあるまいし、「目くそ鼻くそ」の罵り合いをしても、はっきり言って自慰行為にしかならない。
 確かに、西欧・北欧の福祉国家も完璧ではないかも知れない。独・仏やスウェーデンの福祉も、かつての植民地からの搾取や、東欧・中東・アフリカ移民による3K労働の上に胡坐をかいている側面はあり、そういう意味では、決して無条件には肯定できない。でも、それでも日本なんかと比べたら、まだよっぽどマトモな姿だと思う。「生かさず殺さず、死ぬまで働け」なんて、勤勉でも美徳でも何でもない。ただの奴隷根性にしか過ぎない。
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5.23参院行政監視委員会での4参考人陳述

2011年05月28日 00時26分16秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 5月23日(月)参院行政監視委員会「原発事故と行政監視システムの在り方」に参考人として呼ばれたのが、下記の4名の方です。全員、反原発・脱原発のコメンテーターとして活躍されている方々であり、いずれも錚々たるメンバーです。

・小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)
・後藤政志(芝浦工業大学非常勤講師)
・石橋克彦(神戸大学名誉教授)
・孫正義(ソフトバンク株式会社代表取締役社長)

 この方々の発言が既にネットで公開されています。長時間に渡る参考人陳述ですが、説明が非常に分かりやすいという事なので、当ブログとしても、いつでも視聴できるように、こちらに貼り付けておきます。私も、休日などに時間を作って、じっくり見させて貰います。

<動画資料>

●参議院USTREAM中継 脱原発への道 1/2


●参議院USTREAM中継 脱原発への道 2/2


<報道資料>

●原発推進政策に批判相次ぐ 参院委で小出京大助教ら(共同通信)

 東京電力福島第1原発事故を受け、参院行政監視委員会は23日、小出裕章・京都大原子炉実験所助教や、石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)ら4人を参考人として招き、原子力行政について討議した。参考人からは「破局的事故の可能性を無視してきた」(小出氏)など、これまでの原発推進政策を批判する意見が相次いだ。
 小出氏は、今回の事故対応で「政府は一貫して事故を過小評価し、楽観的な見通しで行動した」とし、放射性物質の拡散予測など情報公開の遅れも批判。また、国が「核燃料サイクル」の柱と位置付けてきた高速増殖炉の例を挙げ、当初1980年代とされた実用化のめどが立たないのに、関係機関の間で責任の所在が明確でないとした。
 石橋氏は、地球の全地震の約10%が日本に集中しており、「原発建設に適さない場所である」と強調。原子力安全委員会と経済産業省原子力安全・保安院が「原発擁護機関になっている」とし、安全性の審査が骨抜きになっていると指摘した。
 ソフトバンクの孫正義社長は、太陽光など再生可能エネルギーの活用を提言。元原子力プラント設計技術者の後藤政志・芝浦工大非常勤講師も「完璧な事故対策の模索より、新たな分野へのエネルギーシフトの方が容易」と、脱原発を訴えた。
 http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052301000876.html

●エネルギー政策の転換を 参院委で識者が脱原発訴え(中日新聞)

 石橋克彦神戸大名誉教授や孫正義ソフトバンク社長ら「脱原発」を主張する識者4人が23日、参院の行政監視委員会に参考人として出席し、国のエネルギー政策の転換などを訴えた。
 委員から、津波対策後に再開を目指す中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の耐震性を問われた石橋氏は「大丈夫なんて全く言えない。浜岡は、地雷原でカーニバルをやっているようなもの」と再開に強く反対。浜岡1号機が運転を開始した1976年から「東海地震」の可能性を指摘しており「地盤の隆起で敷地がでこぼこになる可能性がある。海水の取水管や防波壁が壊れて役に立たないかも」と強調した。
 100億円の義援・支援金を寄付するほか、全国各地に太陽光発電所の建設を計画する孫社長は「国内の休耕田と耕作放棄地の2割に太陽光発電を設置すれば、原発50基分をまかなえる。今は農地転用の規制で不許可となるが、仮設置を認めたらどうか」と政策転換を促した。
 京都大原子炉実験所の小出裕章助教は「高速増殖炉は68年に計画が持ち上がって以来、10年ごとに目標が先延ばしにされ、いまだ実現していない。永遠にたどり着けないであろう施策に、すでに1兆円を投じた責任を誰も取らない」と原子力行政の行き詰まりを指摘した。
 福井県選出の委員からは「原発銀座」と言われる同県の現状への質問も。石橋氏は「若狭湾は地震の活動帯。海底活断層がたくさん見つかっており、大津波の可能性はある。非常に危険なのは間違いない」と話した。
 (魚拓のみに付き、URLは省略)
 
<小出参考人陳述の要約>

●原子力を進めてきた行政に対して一言申すために来た。
●私はもともと原子力こそ未来のエネルギー源だと考え、夢を抱いて、原子力工学科に入った。ただ、入ってから調べてみて、原子力が貧弱な資源だということに気づいた。
●エネルギー資源の量だが、確認埋蔵量が最も多いのは石炭。世界が使っているエネルギーを60〜70年まかなえる。究極埋蔵量の石炭がすべて使えるとしたら、800年近く分ある。天然ガスも石油もオイルシェール、タールサンドもある。これに対し、原子力の資源であるウランの量は、石油の数分の1、石炭の数十分の1に過ぎない。
●こう言うと、推進派は、それは核分裂性のウランの量だけで、我々が使うのは非核分裂性のウランをプルトニウムに変換したものだから問題ないと反論する。そして、高速増殖炉という特殊な原子炉でプルトニウムを増殖させて再処理をしつつ核燃料サイクルで回しながらエネルギー源にするとしてきた。
●この構想の中心にある日本の高速増殖炉は破綻している。政府の原子力開発利用長期計画を見ると、最初は1968年の計画で高速増殖炉は1980年代前半に実用化としていた。次の計画では1990年前後、その5年後の計画では2000年前後、その次は2010年になった。その後は、実用化ではなく2020年代に技術体系を確立したいとした。次は2030年に確立とした。その次の2000年の改訂では年度を示すことができなかった。次の2005年の改訂(原子力政策大綱)では、2050年に一基目の高速増殖炉を作るという計画になった。
●どんどん目標が逃げているのは明らか。10年経つと目標は20年先に逃げている。永遠に辿りつけない。ところがこれを作った原子力委員会やそれを支える行政は一切責任をとっていない。
●高速増殖炉の原型炉であるもんじゅだけでも1兆円以上を無駄にしてきた。現在の裁判制度では1億円の詐欺で1年の実刑という。1兆円だと何年の実刑になるのか?1万年だ。行政のなかにもんじゅの責任者が仮に100人いるとしたら一人あたり100年の実刑になる。それほどのことなのに、誰も責任をとっていない。原子力は異常な世界だと思う。
●原子力発電は膨大な放射能を取り扱う技術。広島の原爆のウランの量は800グラム。一つの原子力発電所で1年で1トンのウランを燃やす。それだけの核分裂生成物という放射性物質を作っているということ。機械である原発が故障するのは当たり前。原発を動かす人間も、誤りをおかすもの。破局的事故の可能性は常にある。原子力推進側は、想定不適当という烙印を押してそういう可能性を無視してきた。
●たとえば中部電力は、原発には多くの壁があるから大丈夫だとウェブサイトで主張している。特に第四の壁である格納容器が重要だが、これがどんな時でも放射能を閉じ込めるとしている。原子炉立地審査指針に基づいて重大事故を想定しているとはしているが、格納容器は絶対に壊れないという前提になっており、放射能が漏れるような事故を考えるのは想定不適当だとしてきた。
●ところが実際に福島でそういう事故が起きてまだ進行中。この事故に対する行政の対応は大変不適切だ。防災の原則は危険を大きめに評価して予め対策をすること。が、今回日本政府は一貫して過小評価して楽観的な見通しで行動してきた。国際事故評価尺度も、最後の最後になるまでレベル7にしなかった。避難区域も最初は万一を考えてということで半径3キロの住民を対象にした。しばらくすると10キロに拡大したが、それも「万一」と言った。その後20キロになったときも「万一のときのため」とした。
●私はパニックを防ぐ唯一の手段は、正確な情報を常に公開することだと考える。残念ながら日本の行政はそうではなく、常に情報を隠し、危機的な状況ではないと言い続けてきた。時間とお金をかけてきたSPEEDIの結果も隠して住民に知らせなかった。
●更に、誰の責任か明らかにしないまま、労働者や住民に犠牲を強制している。福島の原発労働者の被曝限度量を引き上げたり、住民の避難の基準も法律の基準とは全く違うものになっている。こんなことをしていていいのか。
●事故の本当の被害はどのくらいになるのだろうかと考えると途方にくれる。現在の法律を厳密に適用すると、福島県全域の土地を放棄するほどになる。それを避けようとすると住民の被曝限度を引き上げるしかないが、そうなると被曝が強制されることになる。
●一次産業はものすごい苦難に陥るだろう。住民は故郷を追われ、生活が崩壊する。東電が賠償するといっても、何度倒産しても足りないだろう。日本国が倒産しても贖いきれないほどの被害が出るだろう。
●ガンジーが七つの社会的罪ということを言い、それが墓の碑文として残っている。理念なき政治。労働なき富。良心なき快楽。人格なき知識。道徳なき商業。人間性なき科学。献身なき崇拝。それぞれ噛み締めてほしいと思う。

<出典元>

●2011年5月23日、参院行政監視委員会での小出裕章・京大助教の話(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2549.html
●5月23日 参院行政監視委員会 小出裕章(小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ)
 http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/23/sangiin-may23/
●小出裕章参考人の全身全霊をかけた凄まじい原発批判がわかりやすすぎる!(文字おこし)(ざまあみやがれい!)
 http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65737210.html
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これがこの国のやり方なのか

2011年05月26日 22時53分13秒 | 監視カメラよりも自由な社会に
 5月20日に東京高裁でムチャクチャな弾圧が行われたようです。成田空港の滑走路延長コースの先にある団結小屋(天神峰現闘本部)の行政代執行を巡る控訴審で、反対派原告の控訴申し立てを裁判所が門前払い、それに抗議し、原告弁護団による執行停止手続きが終わるまで裁判所内で待機していた原告・支援者を、不退去罪の名目で公安警察が一斉逮捕。そのうちの一部は処分保留で既に釈放されたものの、残りは依然として拘留されたままだとか。
 この成田・三里塚闘争について、ここで取り上げるのは、これが初めてです。国による空港建設ごり押しには私も反対であるものの、他方で反対派の戦術や仲間割れについても、納得できない点がありましたから。でも、こと今回の件に限って見れば、不当弾圧である事は誰が見ても明らかです。
 二言目には「ルールだから守れ」「知事の言う事が聞けないのか」と、「日の丸・君が代」を強制してくるこの国で、一方では三権分立ルールの建前もかなぐり捨てて、裁判所と警察が一緒になって原告を門前払い。
 これがこの国のやり方なのか。「あれは過激派の運動だ」という事で、こんな恣意的なやり方を許してしまったら、次には反原発や、普天間基地の県内たらい回し反対、「日の丸・君が代」強制反対の声も、同じ様に弾圧されてしまいます。そうさせない為にも、この「不当弾圧」の事実を少しでも広め、ともに反対していく事が大切だと考えます。
 ただ如何せん、公式サイト(空港反対同盟のブログ)の説明だけでは、事実経過がまだよく分からないので、それが分かりそうなブログの記述を、まずは下記に抜粋しておきます。

(以下、孫引きの形になりますが、yukikoさんの日記より抜粋)
●「関実・三里塚」のブログより一部、抜粋。

今、東京地検前にいます。不当に逮捕された50人の皆さんはすでに地検に入り検察庁の取り調べに入っていると思われます。大半の人に勾留がつけられるかもしれないという報告が入りました。
20日の弾圧の様子を報告します。仮執行の停止を求める弁護団にたいして裁判長が2時間以上会おうとしないため、弁護士会館で待機していた私達は裁判所16階にある井上裁判長の属する高裁民事15部のまえに行きましが、そこにはすでに裁判所の職員やガードマン20人余りがスクラムを組み阻止線を作っていました。仕方なくその前の通路で三々五々に井上裁判長はでてこい、弁護士と話し合えなどと抗議を行っていたり、座り込んで休んでいたりしていました。そのうちに機動隊の部隊か、離れて配置につき、裁判所の職員が退去命令を何度か行い、どういう根拠からかなどとこちらも応酬。途中省略しますが、機動隊が突然、全員逮捕と叫んで襲いかかってきたのです。あとで弁護団にきくと弁護団の停止申し立てを却下する前に逮捕しないと大変な騒動になると全員逮捕という方針が出された模様で、逮捕騒ぎの最中に却下が強行された。その廊下では一人を3、4人が宙吊りにしてつぎつぎに逮捕し、さらに控え室におられた北原さんと山本先生を連行しさりました。最後に萩原さんと座り込んでいた人や車椅子の人、高齢者など13人も逮捕するとつれていかれようとしたのですが、ちょうど弁護士さんたちが裁判官との話し合いを終わってでてこられて合流しました。すると権力はしばらくして逮捕を退去に方針変更してきたのです。ここにも今回の大弾圧のいい加減さがあらわれています。おかげでこうやって報告できるのですが。

●「農家便り」鈴木加代子さんのブログより一部、抜粋。

本当に逮捕される理由がない、弁護士連が裁判長からの返事待ちしていたのを待っていただけ。
90歳以上の高齢者が3人他も平均年齢高いぞという集団でぶつかる為にいた訳じゃない。
それを3倍以上の人数で押したのは、機動隊、公安、ガードマンの方

車椅子の障害者なども数名含む集団で、大半が日比谷公園で夕方からの裁判員制度反対の集会などに参加の為立ち去っていたし。
本当に異常な弾圧で、許す訳に行かない原発廃止などを含む国の政策に逆らう事も一言いう事もけして許されない戦時下のような状態になってきたようで、恐い。
だから、本気で戦うしかない。

●「三里塚芝山連合空港反対同盟ブログ」より一部、抜粋。

5月20日、警視庁は、北原鉱治事務局長をはじめ反対同盟8人を含む数十名の仲間を逮捕するというとんでもない暴挙をおこないました。
 本日の現闘本部裁判で、井上繁規裁判長は最高裁での確定を待たずに建物の破壊撤去を認める「仮執行宣言」つきの反動判決(控訴棄却)をおこないました。とんでもない判決に対して煮えたぎる怒りの声がわき上がる中、弁護団は仮執行に対する執行停止の申立を粘り強く闘いぬいていました。
 この成り行きを見守っていた人々に対して、裁判所と警視庁が結託し、不当な逮捕、弾圧をおこなってきたのです。
 「現闘本部の破壊撤去は許さない!」という反対同盟の不退転の決意と全国からの怒りの声の前に焦りにかられた権力の弾圧にほかなりません。
 「公共」の名の下に、安全を無視して必要のない工事をおこなう成田空港建設の真の姿がここにあります。フクシマの怒りは成田の怒りです。

●「銀座のマチ弁(弁護士遠藤きみのブログ)」から一部、抜粋。

 荻原事務局次長からの説明のうち「仮執行の取り消しを申し入れるため、弁護士と一緒に裁判官へ面会を求めた」との部分は、正確には、判決言渡しの後、弁護士会館内での打合せが行われて、高裁の事件係の窓口で、上告状の提出と強制執行停止の申立書の提出をした後、高裁第15民事部に行って、代理人の弁護士さんたちが裁判長との面会を求め、その交渉が行われている間、反対同盟と支援者の皆さんは、廊下や控え室で待っていたということのようです。

 上訴に伴う強制執行停止の申立てをした時点で、代理人が裁判官との面接を求めるというのは、ごく普通のことです(執行停止の決定を認める場合には、急ぎ供託の必要のある保証金の額も決めなければならないので、どの程度の額とするのが適当かの判断との関係で、裁判所としても、申立代理人との面会をしておく必要があります。)。

 代理人が書記官室の窓口で、交渉していた間、その成行きがどうなるのか心配しながら、依頼者である反対同盟の皆さんや、支援の方々が、廊下や控え室で待っていたというのも、ごく普通のことで、裁判所が警視庁に連絡して大勢の警察官が来て、いきなり「不退去」の現行犯として50名全員を逮捕して、一人ずつ別の警察署に連行というのは、余りにもおかしな話です。

 恐らく、こういう筋書きは、事前に計画されていたことで、反対同盟の皆さんと代理人の弁護士さん及び支援の皆さんは、空港会社、裁判所、警視庁が準備していた「罠」にアッサリ嵌ってしまったということなのでしょう。

●「千恵子@詠む...」より一部、抜粋。

当日参加したひとの話では、傍聴希望者は140人いたとのこと。いまどきの中核派が平日の裁判所に、そんな大人数を集められるわけないじゃないの。

ツイッター情報では、「逮捕された50人の中には裁判所内の待合室で抗議行動が終わるのを待っていただけの人も。帰ろうとするのをエレベーターのところで邪魔して1時間半も拘束したあげくの逮捕。「不退去罪」というが、真逆」という発言もある。

少なくとも逮捕された50人全部が中核派じゃないだろうに。勝手に決めつけ=分断しないでよ。

わたしは中核派を支持するものではないが、嘘=デマゴギーは許せない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ではマスコミのかたよった報道の一部を。

●テレビ朝日5月21日

成田空港の用地に空港反対派が設けた小屋の撤去をめぐる裁判で、判決に抗議するために裁判所内に居座ったとして反対派の代表ら50人が現行犯逮捕されました。

 警視庁によると、三里塚・芝山連合空港反対同盟の代表・北原鉱治容疑者(89)や中核派活動家ら50人は20日午後6時ごろ、東京高等裁判所の職員に建物から出るように警告されたにもかかわらず、居座った疑いが持たれています。東京高裁ではこの日、反対同盟が成田空港内に設けた小屋の撤去などを認める判決が出ていて、北原容疑者らは職員に対し、「裁判長に合わせろ」「不当判決だ」などと叫んでいたということです。
(抜粋終了)
 http://bund.jp/modules/minidiary/index.php?page=detail&bid=189&req_uid=107
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ただ「ルールだから守れ」では独裁と同じ

2011年05月26日 20時26分20秒 | 監視カメラよりも自由な社会に
・国歌斉唱「不起立の教員やめさせる」 維新の条例案、橋下知事 政令市も検討対象(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110517/lcl11051700070001-n1.htm

 先日、大阪府知事の橋下徹が府議会で言及した、公立学校での「日の丸・君が代」不起立教員への処分方針について。実は、もっと早くにブログで取り上げるつもりでしたが、他の雑用にかまけているうちに、とうとう今日になってしまいました。遅くなってしましたが、簡単に書いておきます。
 いつもは貶す一方だった大阪府知事の橋下徹が、付け焼刃とは言え、曲がりなりにも「脱原発」表明した事で、「タマには好い事も言うじゃないか」と、ホンの少しだけ評価した矢先に、早速それを打ち消すような事を言ってのけました。この件について、今さら改めて言うのも何ですが、私はこの処分には大反対です。

 その第一は、今の「国旗・国歌」法案が自民党・小渕内閣時代に成立した時に、当時の自民党政権は何と言ったか。「この法案は、単に日の丸・君が代を国旗・国歌と定めただけの内容であって、それを掲揚しなかったり歌わなかったからといって、決して処分したりはしない」と明言していた筈です。これは、当時の国会審議における政府側答弁からも明らかです。つまり、これがこの法律の解釈であり、ルールなのです。だから、橋下が「ルールを守らせる」と言ってやろうとしている事が、実は「法律の拡大解釈」であり「ルール違反」なのです。

 第二に、「ルール」の内容の是非を問わずに、「ルールだから兎に角守れ」と言うのでは、横暴以外の何物でもありません。そんな事を言い出せば、ナチスの政権掌握や、戦前日本の治安維持法や、今の北朝鮮の金正日個人崇拝だって、彼の時代や彼の国の「多数決」で合法的に決まった事だからという事で、従わなければならなくなります。いずれの事例も、形式上はあくまでも、当時の(ドイツ)ワイマール憲法や、日本の帝国議会や、朝鮮労働党総会や最高人民会議(北朝鮮の国会)の議決を経て、決められたのですから。
 しかし、実際はそうじゃありません。幾ら「合法的」に決められた事でも、その内容が非民主的でトンデモなものであり、ろくに議論もされずに決められたものであるなら、反対するのは当然です。何故なら、「多数決」というのは、単なる議事手続きの一つにしか過ぎず、それを以って民主的に議論が行われたとは、とても言えないのだから。「ジャンケン」で決めるか、「多数決」で決めるか、「全員一致」で決めるか、という違いでしかないのだから。
 つまり、「民主的に議論を尽くしたか否か」が、最も大事なのです。「日の丸・君が代」も然りです。「日の丸」や「君が代」が、本当に今の日本の国旗・国歌として相応しいものなのか。若し相応しくないなら、他にどんな「国旗・国歌」があるのか。そういう議論を、国会などで、一度たりともやった事があったか?
 自民党や右翼からは事あるごとに「米国から押し付けられた」と言われる、今の日本国憲法も、制定されるまでには、国会で何度も審議されました。そういう議論が、「日の丸・君が代」についても為されたのか?
 確かに民間レベルではありました。戦後間もない一時期に、それまでの「日の丸・君が代」に代わる、戦後の民主日本に相応しい「国旗・国歌」を作ろうという動きがあり、実際に「我ら愛す」という公募曲が取り上げられたりもしました。そういう草の根の議論を逆に封じ込めてきたのが、今の自民党であり右翼だったのではなかったか。そういう、「民主主義」を圧殺するような事をしておいて、ひたすら既成事実を積み上げてきた後で、ただ単に「ルールだから守れ」「知事のいう事だから聞け」だけでは、「ヒトラー・金正日」の独裁と、全く同じではないか。

 そう言うと必ず出てくるのが、「国旗・国歌を敬うのは、民主主義云々以前の問題だ」という議論です。その例としてよく持ち出されるのが、かつての韓国民主化運動の集会などで韓国の国旗が掲げられたり、この前のジャスミン革命でチュニジアやエジプトの国旗が掲げられたりした事例です。それで「国旗・国歌への崇敬の念は、たとえ野党や反体制派であっても、持っていなくてはいけない」という事がよく言われる。
 しかし、この場合で引き合いに出される韓国・チュニジア・エジプトなど、アジア・第三世界諸国の国旗・国歌への当該国民の崇敬の念というのは、単に「今の国家体制への忠誠心」から出たものではなく、圧制や植民地支配への抵抗のシンボルとして、その国の民衆に広く共有されている所から来るのです。翻って、今の「日の丸・君が代」や「ユニオンジャック」「ハーケンクロイツ」に、それだけの求心力がありますか。ありませんよね。但し、フランス革命に由来する「三色旗」や「ラ・マルセイエーズ」なんかは、ある程度、韓国・エジプトの国旗・国歌に近いものがあるかも知れません。中国や北朝鮮の国旗・国歌も、かつては「独立・解放・革命」の象徴だったのが、今や「抑圧」の象徴になりつつあるのかも。
 つまり、同じ「国旗・国歌」でも、それがその国の中で、圧制への抵抗や独立戦争・革命・民主化のシンボルとして捉えられているか、逆に「支配・抑圧」や単なる「伝統回帰」の意味に捉えられているかによって、重みが全然違ってくる。果たして、今の日本の「日の丸・君が代」に、それだけの重みがあるか。民主的な議論を一切尽くさず、一方的に「ルールだから」という理由だけで押し付けられたものに、そんな重みなぞある筈が無い。それが第三点。

 第四は、その上での、特に「日の丸・君が代」の歴史的経過について。両方とも、戦前のファシズムや、帝国主義・植民地支配、天皇制の下での言論弾圧を陰で支えてきた。そうして、国民が「奴隷根性」に囚われ、主権者意識や民主主義・人権意識を育てる上で、常に足かせとして作用してきた歴史がある。第三の理由ともかぶりますが、「抵抗・解放」ではなく逆に「支配・抑圧・恫喝」のシンボルとして機能してきた。そうして、時の政府の意のままにならない人間を、「非国民」として排斥してきた。同様の例が戦前のナチス・ドイツやイタリア・ムッソリーニ時代の国旗・国歌だが、少なくともドイツ・イタリアについては、戦後に国旗・国歌の見直しを図っている。戦前からの国旗・国歌をそのまま踏襲しているのは、旧日・独・伊三国の中で、唯一日本だけです。

 第五に、特に「君が代」の歌詞に見られる「万世一系の皇統」なるものの胡散臭さ。右翼や天皇主義者は、よく古事記・日本書紀や源氏物語の記述を引き合いに出して、それを主張しますが、それはあくまでも当時の貴族社会に限った話でしょう。当時の庶民は、山上憶良の「貧窮問答歌」の例でも分かるように、食うや食わずで、天皇どころではなかった筈です。それに加えて、中世南北朝の争乱では天皇家自身が南朝と北朝に分裂して、互いに皇位の正統性を争うまでになった。江戸時代に至っては、当時の百姓・町人にとっては徳川将軍家こそが権威の象徴であり、天皇の存在なんて殆どの人間が知らなかった。だから、明治新政府は、わざわざお触れまで出して、天皇の存在を庶民に知らさなければならなかった。そんな、明治以降になって、時の政府によってでっち上げられたような「伝統」を、さも有難いものであるかのように、今の我々に強制される筋合いが、果たしてあるのか否か。

 第六に、「日の丸・君が代」であれ、それに代わる他の国旗・国歌であれ、そもそも、そんな「国家のシンボル」が、そんなに大事なものなのか、という問題もある。フーリガンの出現などによって、各国のナショナリズムが衝突すると言われるワールドカップですら、現実にはプロ選手は高い報酬を求めてチーム移籍を繰り返し、国籍変更すら今や日常茶飯事となっている訳で。実際は、みんなその時の雰囲気で、「国旗・国歌」に酔ったり酔わなかったりしているだけじゃないか。だったら、もうそれで好いじゃないか。それを、何故そこまで必要以上に「国旗・国歌」に拘るのか。

 そして第七に、そもそも今の日本国家ひいては現政権に、偉そうに「国旗・国歌を敬え」なぞと国民に説教する資格はあるのかどうか。ある筈が無い。この福島原発事故で、国土も国民生活もムチャクチャにして、故郷を捨てなければならなくなった「難民」を大量に生み出した原発推進勢力(これは今の民主党政権だけでなく前・自民党政権も同罪です)に、「国旗・国歌を敬え」なぞという資格があるのか否か。
 国民に偉そうに「国を敬え」なぞと説教する前に、「自然に国を愛したくなるような政治をする」のが先決です。実際の政府を離れて、抽象的な「国」を想定しても仕方がありません。今の故郷をどう取り戻すのか。破壊された国土をどう再建するのか。その中で、「どんな国を再建するのか」「その国のシンボルとして、果たしてどんな国旗・国歌が相応しいのか」、そういう具体的な議論から離れた所で、画餅の様な「国家」を想定しても仕方がない。そして、少なくとも今の原発推進勢力に、それを言う資格は一切ない。
 それが何ですか。政府や電力業界は、都合の悪い情報やデータは悉く隠蔽し、極力小さく見せかけようとする。「今直ちに健康被害が出る事は無い」というばかりで、「将来についてはどうなる?」という国民の懸念・不安に、まともに応えようとはしない。果ては、何ら科学的根拠も示さず、年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトへと、放射線規制値を緩めようとする。そんな「実際の国の姿」を等閑にしたまま、徒に「国旗・国歌」ばかりに拘る事は、結局は原発ヨイショ・現体制ヨイショにしかならない。

 最後に、最も肝心な事が抜けていましたので、補足しておきます。それが第八の、「公務員だから国の決めたルールには従わなければならない」という橋下の詭弁に対する反論です。―「間違ったルールには従う必要は無い。寧ろ、そんなルールは、一刻も早く改めなければならない。それは公務員であろうと民間人であろうと変わりない。」
 橋下のいう「ルール」なるものが、どれだけ恣意的でデタラメな物であるかは、今まで述べてきた通りです。公務員は国家権力の奴隷(私兵)ではありません。国民全体への奉仕者(公僕)です。公僕としての仕事をするに当たって、まず第一にルールとすべきなのは日本国憲法です。憲法に違反さえしなければ良いのです。若し国家公務員法や地方公務員法に、憲法に反する条文があるなら、それは違憲立法として、寧ろ変えていかなければならない。それが真っ当なルールです。
 それが、若し橋下の言うように、「どんな思想を持とうと勝手だが、公務員である限りは、国の方針には従わなければならない」なら、民間人も「どんな思想を持とうと勝手だが、社員である限りは、会社の方針には従わなければならな」くなってしまいます。恣意的な就業規則や内規によって、どんな不当労働行為や犯罪その他の違法行為であっても、「社内のルールだから」という事で、従わなければならなくなる。

 つまり、学校現場での「日の丸・君が代」強制は、
(1)そもそも「国旗・国歌法」からの逸脱・越権行為である。
(2)その是非が一切問われないまま、勝手に決めた「ルール」で一方的にごり押しするのは、反民主的である。
(3)「抵抗・民主化」ではなく「盲従・侵略」のシンボルとして用いられてきたものを、今さら強制される筋合いはない。
(4)かつて帝国主義や侵略戦争を礼賛する道具として用いられてきたものを、今さら強制される筋合いはない。
(5)「日の丸・君が代」の基になる歴史的根拠そのものが薄弱である。
(6)グローバル化の現実に背を向け、ひたすら「国家」ばかりに拘る、後ろ向きで時代遅れの議論でしかない。
(7)ことさら「国旗・国歌」を強調する事で、現実の悪政から目をそらさせようとする卑劣な態度であり、為政者による環境破壊や棄民政策などの「非愛国的政治」を、「愛国心」の名で逆に免罪する行為である。
(8)間違った事に従う必要は無い。それは公務員であろうと民間人であろうと変わりない。
―という事です。そんなものを、教師だから公務員だからという理由だけで、ごり押しされて良い筈はありません。
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告知:5.22戦争と貧困をなくすサナ・フィルムフェスタ in とよなか

2011年05月21日 23時19分21秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※先日の記事には、「5月22日には、御堂筋での生物多様性の日のパレードに参加する」と書きましたが、その後、下記の催しもある事を知りました。こちらの方が俄然面白そうなので、当日は前述のパレードではなく、こちらに参加する事にします。お目当ては勿論、小山潔さんの福島現地リポートです。しかし、この告知文の文面では、メーンはあくまでイラク報告で(それはそれで大事ですが)、原発の方は「客寄せパンダ」で急遽付け足しただけのような気がしないでもない。でもまあ、とりあえず、市民社会フォーラムのHPから、こちらの情報も転載・メモ。


イラク平和テレビ局 in Japan・とよなか の山田と申します。

あす5/22(日)14:00より
豊中国際交流センター・会議室2Aにて、以下の上映会・学習会を開催します。

~戦争と貧困をなくすサナ・フィルムフェスタ in とよなか~

「国民全員が被曝者」の時代認識を持たねばならない情勢です。今回は、急きょ、
原発問題に詳しい民間企業研究技師・小山潔さんをお招きして、「福島原発で何
が起きているのか」についてもお話していただきます。

①「君はなぜ戦争に行った?―イラク帰還兵の沖縄ー(48分)」(制作:イラ
ク平和テレビ局 in  Japan)
   詳細はhttp://peacetv.jp/をご覧ください。

②「イラク市民は全占領軍の撤退を要求する」(13分)
(制作:イラク平和テレビ局 in Japan)

③「イラク戦争と放射能被害」(13分)
(イラク平和テレビ局 in Japan 特別編集版)
  イラク、アフガン攻撃に使われた劣化ウラン弾(ウラニウム兵器)は、何十
万人もの市民、占領軍兵士を被曝させ、数年後には小児がん、先天性遺伝子障が
いの子どもが急増した。その原料の「劣化ウラン」は原子力発電所が作り出す。
そして今、福島原発の事故による放射能が私たちに襲いかかっている。

④原発問題に詳しい小山さんのおはなしと質疑

参加費:当日:1,000円/前売り(○○の紹介と言ってください):800円/学生
・障がい者・65歳以上:500円

以上。

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告知:5.22生物多様性の日パレードon御堂筋

2011年05月20日 00時12分52秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※最近は、休日になると毎週の様に、全国各地で反(脱)原発の催しがあります。それは集会や講演会であったり、デモやパレードであったりします。しかし、地元の大阪では、大抵が土曜日や祝日だったので、当日は仕事で休めない事の多い私にとっては、なかなか参加する機会がありませんでした。その中でたまたま見つけたのが、下記の催しです。「生物多様性の日」の事は、正直言って殆ど何も知りませんが、原発も普天間基地の辺野古移設も絶対反対なので、一応参加するつもりです。とりあえず転載・メモ。

こんにちは♪
各地で脱原発、新しい世界へ向けて
様々なアクションが起こっていますネ。
嬉しくて元気百倍です。
この流れをますます大きく確かなものにしていきたい!

今年も生物多様性の日に御堂筋を歩きます。
今、なぜ、生物多様性の日パレードなのか?
みんなでじっくり考えました。
今だからこそ、すべてのいのちを祝して
生物多様性の大切さを味わいたい
つながりをとりもどしたい
そんな思いで
パレードしたいって思っています。

原発なくってもいいんじゃない?
基地ってないほうがいいんじゃない?
いろんな生き物がいる方が楽しいんじゃない?
みんな仲良くするほうが嬉しいよ♪
素晴らしい世界を創ろうよ!

様々なメッセージを発信しながら
一緒に歩きましょ

どうぞご参加ください
みんな集まれ~
♪~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♪
      5/22(日) 生物多様性の日
 いきものスキスキごった煮パレードonみどうすじ
      みんな一緒に歩きましょ~
♪~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♪
   チラシは http://sdcc.jp/pdffiles/sukisuki11522.pdf

      日時:5月22日(日) 15:00集合
      場所:新町北公園(旧厚生年金会館前)

      15:00集合~16:00出発 
       御堂筋を南へ向けて歩きます。
      17:00ゴール 元町中公園 交流会あり

   いろんな生き物、いのちが支え合って
   この世界は成り立っているよ

   いろんな人がいて みんなそれぞれの個性で
   お互い支え合って 生きている 

   みんなで歩こうよ
   パレード参加者大募集
   みんな来てね――!!

   みんなで思いをめぐらせてみよう
   そして自分の足で歩いてみよう
   この世界をながめてみよう
   何が見えますか?

   あなたにつながる大切な人
   大切な人につながるすべての命
   それらを支えているこの世界すべてを感じてみよう

   うたってもいーね
   楽器もいーね
   みんなそれぞれのいのちの表現で
   自由に歩いて つながろう
   いのちを愛する人みんなで
   生まれてきてよかった!って思える世界を創ろうよ!


【問合せ先】生物多様性パレードon御堂筋実行委員会
       メール 522parade@gmail.com
TEL  080-1522-9817(まつむら)
       ブログ http://tsunagaruinochi.blog109.fc2.com/
【集合場所へのアクセス】
      地下鉄御堂筋線「本町駅」23番出口より徒歩7分
      地下鉄四つ橋線「四ツ橋駅」2番出口より徒歩5分

【パレード準備のお茶会やってます!】
     5月の毎週土曜日(5/7、14、21)
     午後1時~2時 中之島バラ園で集まってます。
     どうぞ気軽に来てくださいね
     (080-1522-9817まつむら)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♪

★生物多様性とは・・・
様々な生き物が互いに支え合い、つながりあいながら存在すること
現在、毎日100種類以上の生物が絶滅しています。これは人間が
開発その他で自然環境のバランスを壊すことで、異常なスピードで
種が絶滅していっているのです。ある地点を超えてしまうと、もう元
には戻れなくなり、すべての生物が絶滅することになります。
その地点を超える前に、今、種の多様性を保護し、すべての生き物、
大切ないのちが生きてゆける地球環境を保つため、人間は自分たち
のしたことに責任を持ち、舵を切り直す必要があります
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~♪
昨年の5/22パレードの様子はこちら
祝☆生物多様性の日パレードon御堂筋
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浜岡停止だけでお茶を濁そうとしてもムダだ

2011年05月19日 12時26分55秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
・仙谷氏:「浜岡停止」を進言
 仙谷由人官房副長官は13日、TBSの番組収録で、菅直人首相による中部電力浜岡原発の停止要請について、「ほかの原発を安全に操業するためにも浜岡は無理しない方がいいと(菅首相に)言った」と進言していたことを明かした。
 仙谷氏は、東海地震の想定震源域に建つ浜岡原発を止めることで、原発への不安を和らげたいとの狙いがあったことを認め「日本経済全体を考えても、原発を20年、30年ぐらいは(ほかのエネルギーと組み合わせる)ベストミックスを修正しながら続けるしかない」との見解を示した。(以上、毎日新聞より)
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110514k0000m010111000c.html
・原発:首相、浜岡以外は止めず 仙谷副長官「原発は堅持」
 菅直人首相は8日、中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)以外の原発の運転停止を求める可能性について「それはありません。浜岡原発は大きな地震が起きる可能性が特別に高い。特別なケースという位置付けだ」と否定した。中部電が浜岡原発の運転停止を求める政府要請への結論を持ち越したことに関しては「しっかり話をして、理解してもらいたい」と述べた。東京都内で記者団の質問に答えた。(同上)
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110509ddm002040092000c.html

 やはり菅首相の浜岡原発停止発言は、上記新聞記事にもあるように、他の原発に累が及ばないようにする為の、一種の「陽動作戦、目くらまし」でした。先日の記事では、その本質を踏まえずに、必要以上に好意的に評価してしまったきらいがありました。少し先走り過ぎた評価だったと、今思えば反省しきりです。

 思えば、このような「囮(おとり)作戦」は、情報操作の常套手段、古典的手口とも言えるものでした。
 たとえば今の政治がそうでしょう。自民党と民主党、朝日・毎日と産経・読売。そのどちらもが、消費税増税や、TPP(環太平洋経済提携協定)による全面輸入自由化路線には賛成であり、日米安保体制維持が党是(社是)です。でも、あらかさまにそれを主張すると、流石に「大政翼賛会」としての本質が露になってしまう。それを避けるために、今の資本主義体制(企業の利潤追求)の根幹を揺るがしはしないが、何かと世間がエキサイトし易い、従軍慰安婦・靖国参拝・教科書問題などの歴史認識の問題や領土問題などで、ことさら対立を演じる事で、自陣営を引き立たせようとする。そのようにして、世論には「自民と民主」「朝日・毎日と産経・読売」しか選択肢がないように思わせる。
 しかし実際は、財界にとっては、別にどちらを選ぼうと構わないのです。このご時勢、金儲けの為には中国・韓国ともお付き合いしていかなければならない。そういう意味では、余り右翼に出しゃばられては実は困る。でも、労働者の力を抑える為には、今の国家体制や企業への一方的忠誠を説く右翼は、何かと使い勝手が良いのも事実だ。その中でも一番使い勝手が良いのは、消費税でも領土問題でも体制べったりの「超資本主義・超国家主義」の勢力だが、それだけと余りにも露骨なので、「反米右翼」や、「天皇制なぞ金儲けには無用だ」というホリエモンみたいな存在も、適当に居てくれなくては困る。資本主義支配の根幹さえ揺るがなければ。あくまでも、その範囲内での「自民vs民主」「朝日vs産経」であり、「浜岡停止vs停止反対」なのです。

 でも、陽動作戦というのは、場合によっては「諸刃の剣」にもなりかねない、そういう代物です。あくまでも「ガス抜き」のつもりだったのに、それが引き金となって「ガス爆発」にもなりかねない場合だってあるのです。脱原発志向で、今の阿漕な資本主義も、何とかもっと人間的な別なものに置き換えたいと思っている我々としては、正にそうあって欲しいのですが。

・福島第1原発:山口県、上関原発埋め立て延長認めぬ方向に(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110519k0000m040157000c.html
・日本も脱原発へ・・・世論調査結果から(原発危機を考える)
 http://tomtittot.asablo.jp/blog/2011/04/04/5773438
・「脱原発・反原発」派の国民は6~7割の多数派になった(きまぐれな日々)
 http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1182.html
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何故、原発の作業環境が劣悪なまま放置されているのか

2011年05月17日 07時08分42秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 缶コーヒーとクラッカーの食事だけで、交替や休憩も満足に取れずに、夜は防護服を着たまま免震棟の中で雑魚寝。既に一部新聞記事でも報じられた、このような原発作業員のお話にならない劣悪な作業環境が、何故今まで放置されてきたのか。幾ら非常事態とはいえ、天下の大企業たる東電ともあろうものが、幾ら何でもこれでは異常ではないかと、今までずっと思ってきました。
 しかし、よくよく考えてみると、こうなるのも当たり前ではないかと、思うようになりました。以下はあくまでも私の推測ですが、当たらずとも遠からじではないでしょうか。

 事故で補修に大量の人が要る。でも被曝のおそれがあるので、長時間は働かせられない。勢い人海戦術に頼るしかない。しかし、一日数時間しか働かせられない労働者ばかり、それもズブの素人ばかりを何百人、何千人と投入されて、僅かな現場管理者だけで使いこなせと言われても、そりゃあ無理ですわ・・・。自分の身に引いて考えればよく分かります。勢い管理不在とならざるを得ません。
 そうなるのも、原発労働自体に元々無理があるからです。そんな危険作業を行わせる事自体に。もっと言えば、原発の存在自体に無理がある。

 元々原発って、経済合理性から生まれたものじゃあないでしょう。戦後間もない頃の米国による核兵器独占が、やがて中ソやフランスの核実験で破られる事になってしまった。焦った米国は、保有する核技術を発電システムに転用して世界に売りに出す事で、引き続き核の独占体制を維持しようとした。そこから生まれたのが原子力発電なのです。だから、原潜で使用されていただけの技術が、核廃棄物の処理も未完成なまま、原発として日本にも持ち込まれる事になった。正に「トイレの無いマンション」の例え通りです。その時に、日本への原発導入に積極的に動いたのが、当時の読売新聞社主・正力松太郎と、後に自民党原子力ロビーのドンとなる中曽根康弘でした。

 そのように、政治的思惑が先行した未完成な技術でしたから、経済的に引き合う訳が無い。二酸化炭素を出さない、エコだ何だと言われていますが、そんなの嘘っぱち。放射能や核廃棄物の処理が大変なだけでなく、ウランの採掘・精製にも莫大な化石燃料を消費する。そのくせ、原発の熱効率は3割程度しかなく、残りの7割は温排水となって海に捨てられるだけ。
 つまり原発そのものが、コスト的にも引き合わない、無理を抱えたシステムだという事です。だから、原発の維持管理や補修にも、莫大なムリやムダが付きまとう事になる。おまけに放射能被曝の危険があるので、人が寄り付かない。そこで見かけの高給をエサに、半ば騙すように、何も知らない人間を連れてきて働かせるようになる。つい先日も、大阪・西成の「あいりん地区」で、宮城県でのダンプ運転手募集だと聞いて行ったら、実は福島原発での瓦礫除去作業だったという事件がありましたよね。

 放射線量の管理はしても、元々が使い捨てを前提とした労働だから、アリバイ的なものにならざるを得ない。何も知らない人間を、時給1万円だと言って働かせる。その人間は何も知らないから、「たった3時間で3万円も貰えるのか」と、何の疑問も持たずに働く事になる。「放射能も計測しているので大丈夫だろう」と。
 しかし、所詮は防護のためではなくアリバイ作りのための放射能計測なので、長年働けば被曝の影響がやがて出てくる。防護服にも放射線防護機能なんて全然無い。あれはただ単に、放射線管理区域内の塵や埃を外に持ち出さない為のものだ。ところが、白血病やガンは別に被曝しなくても発症するので、原発との因果関係の立証には困難がつきまとう。よって被曝の事実は、闇から闇に葬られる事になる。
 要するに、「原発労働まず先に在りき」で、その為には、ちょっと作業環境の劣悪さがマスコミに叩かれても一向に構わない。そのうちにホトボリが冷めるであろうし、余り煩いようだと、スポンサーの権力を利用して、マスコミを黙らせれば良い。恐らくそんな所ではないでしょうか。

 そういうと必ず出てくるのが、「原発なしにどうやって電力を賄っていくのか?」という反論です。しかしこれも、鳴り物入りで実施された「計画停電」とは裏腹に、実際に原発がなければ電力不足に陥ったのは、今までの中で90年代の夏場の僅かな一時期だけだった事や、フランス以外の西欧諸国が今や続々と脱原発に転換しつつある事からも、「原発利権に固執する者の言い訳」にしか過ぎないのは明らかです。
 しかし、仮に百歩譲って「原発なしに賄えなかった」としても、だからと言って、地方や下請けの作業員が、その犠牲にされなければならない謂れはない。下請け搾取や被曝労働によって成り立つ、このような原発システムは、一刻も早く転換されなければならない。でないと、私も職種こそ違えど同じ下請け労働者、いつ何時、先の「あいりん地区」の労働者と同じ目に遭うとも限らない。
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これは我々自身の問題でもある

2011年05月15日 15時55分01秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
   

 前号記事の内容について、もう少し補足しておきます。私はこの記事を、別に共産党を叩くだけの為にアップしたのではありません。

 今も原発・安保ヨイショに終始している自民党や産経・右翼メディアについては、もはや論外です。かと言って、彼らから批判されている民主党とて、自民党と五十歩百歩で、とても支持する気にはなれません。元々彼らは、自民党から枝分かれした政党にしか過ぎません。この前の福島現地視察の時も、岡田幹事長や枝野官房長官ときたら、防護服にガスマスクの出で立ちで、ホンの5~20分程度の視察でお茶を濁しただけだったらしいじゃないですか。まるで汚いものに触れるかのような態度で。共産党の志位委員長や小池晃氏が、平服姿で地元の自治体首長や住民たちと、長時間膝突き合わせて懇談したのと、まるで対照的です(参考記事)。この一事を以ってしても、本当に被災住民の事を思っているのは誰なのか、如実に分かろうというものです。

 それは、共産党と同じように脱原発を掲げている社民党にも、少なからず言える事です。確かに社民党は脱原発を掲げてはいますが、ではもう一方の安保についてはどうだったか。かつて自民党と連立を組んだ時に、それまでの安保廃棄・自衛隊解消から、安保も自衛隊も容認する姿勢に、180度転換してしまったではないですか。この党は、共産党との統一行動や統一戦線形成に背を向け続け、公明党や自民党・民主党に擦り寄る事ばかりに汲々としてきた為に、かつての支持の大半を失う事になってしまったのです。この事についての総括がないまま、もし仮に与党に復帰する事があったとしても、また同じ轍を踏むに決まっています。

 では、それに対して共産党はどうか。民主党や社民党よりも信頼が置けるのは確かですが、でもこの党とて、原発の見直しは言っても、脱原発を明確には言わない「もどかしさ」があるのは否めません。それに、直近の東京・世田谷区長選挙で、社民党推薦ではあっても脱原発を明確に掲げ、同じ都内の狛江市長選で共産党員市長の応援にも駆けつけてくれた保坂展人(のぶと)候補を支持せず、徒に自党の候補に拘り続けた姿勢についても、セクト主義という点では社民党とも似たり寄ったりではないですか。

 勿論、だからと言って、「どの党もみな同じ」「誰が政治家になっても同じ」であるとは、私は思いません。「誰がなっても同じ」という事で何もしないのでは、自民党や右翼・財界を喜ばす事にしかなりません。また、各党それぞれに問題があり、原発政策に不十分さがあったとしても、その程度は様々です。積極的に原発を推進してきた与党内の確信犯と、それに十分抗する事が出来なかった野党とは、明確に区別すべきでしょう。前者があくまでも打倒対象でしかないのに引き換え、後者は少なくとも打倒対象ではない。しかし、護憲・革新や左翼・リベラルだからというだけで盲目的に支持するのではなく、あくまでも是々非々の立場で「批判的に支持」すべきというのが、現段階での私の立場です。

 その中で、今回の福島原発事故を機に、世論の中に出てきた新しい動きに、私は注目しています。今まで原発に無関心だった若者や主婦が、反(脱)原発のデモや集会に、自主的に続々と参加し始めています。4月10日の東京・高円寺でのデモに続き、この前の5月7日の東京・渋谷のデモも、警察の不当弾圧にも関わらず、1万5千人もの参加で、成功を勝ち取る事が出来ました。そういう流れが、今や東京だけでなく、全国各地に広がっています。
 従来は政党や労組とは無縁だった人たちが、それらのデモにどんどん加わって来ているのです。チュニジア・エジプトで始まったジャスミン革命も、原動力になったのは、既成野党やイスラム教指導者ではなく、それらの無名の人たちでした。その無名の人たちが、それまで磐石だと思われていた独裁体制を崩壊に導いたのです。

 翻って我々はどうか。ともすれば、民主党を「第二自民党」、社民党を「民主党の下駄の雪」呼ばわりし、共産党の「不甲斐なさ」を詰る我々にしても、今まで安保や原発を受け入れ、原発の下請け労働者や、地方の原発銀座や、沖縄・岩国の米軍基地周辺住民の犠牲の上に胡坐をかいてきた事については、これら諸党とも五十歩百歩ではなかったか。
 例えば、東電の企業体質が今盛んに叩かれていますが、この東電における「情報隠し」や「臭い物に蓋」の事なかれ主義、ワンマン経営やイエスマン人事、労使協調の御用組合、その下で横行する「下請け虐め」や「派遣切り」、現場の「被曝・奴隷労働」に見られる利益至上主義、それを支えるヒラメ社員の「社畜・奴隷根性」といったものは、何も東電だけに限りません。チッソ・雪印や、最近では食中毒事件を引き起こした安売り焼肉チェーンなど、他の企業にも共通して見られるものです。だから政府・財界などは、ひたすら東電だけを悪者にする事で、他企業の悪行や搾取には累が及ばないように、右翼・商業メディアを通して、巧妙に世論操作を行っているのです。

 その我々の中にある「ヒラメ社員の弱さ」や「社畜・奴隷根性」が、長年に渡って自民党や大企業による支配を支え、安保や原発にも暗黙の了解を与え続けてきた事で、民主党や社民党を骨抜きにし、共産党を頑(かたく)なにさせてきたとも、言えるのではないか。「放射能がうつる」と言われて広まった、かつての原爆被曝者や今の福島県民への醜い差別も、その我々の弱さの為せる業ではないか。今回の事故で、その醜さが白日の下にさらけ出されてしまったのです。変わるべきは、これら諸党であると同時に、我々自身の「不甲斐なさ」や「奴隷根性」でもある。今回の草の根の反原発デモに参加した人たちは、その事に徐々に気付き始めてきたからこそ、デモに加わるようになったのではないでしょうか。 
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唯一の原爆被爆国で何故原発乱立を許してきたのか

2011年05月15日 09時24分03秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
 またまたブログ更新に間が空いてしまいました。少し気を緩めるとこの有様です。
 今回は、ミクシイでお知り合いになった方のブログ「矢野匠の、日々是大波」から、ある記事の紹介をしたいと思います。この矢野匠さん(ミクシイ名はジャッカル)は、ご自身も電力企業の元社員だった人で、それがこの原発事故で会社に見切りをつけられ、「脱原発のネット番組制作」に携わるライターとして再出発なさった方です。このブログも、この5月に立ち上げたばかりで、まだ数本の記事しかアップされていませんが、どの記事も示唆に富む内容になっています。
 ここで以下に紹介するのが、その「唯一の「被爆国」であるという自負のみでは、何も変わらない。」というタイトル記事です。原発をアメとムチで地方に押し付けながら、それを必要悪と嘯いてきたこの国の政治は、そのまんま、米軍基地を沖縄に押し付けてきた構造と同じであり、それを「仕方ない」と認めてきた多くの国民の問題でもある、という事です。

(転載開始)
 今日の記事は、過去に反核兵器・反原子力に長く携わってきた先人たちを批判する内容になりますが、そこはぐっと我慢して、最後までお読みいただければ幸いです。

 日本は先の大戦終盤に、アメリカにより2発の原子爆弾を投下され、その後の放射線障害による死者を含めれば、広島・長崎で35万人に及ぶ犠牲者を出している国です。
 アメリカでは、原爆投下は戦勝の決定打であり、これが無ければ本土決戦でより多くのアメリカ兵が死んだだろうから、これは正義だと言う、独りよがりの論が未だに支配的であり、日本人が企画しようとする反核写真展や上映会も、会場の許可がおりないなど、未だに迫害を受けています。

 戦争における被爆&被曝を経験したのは、日本が世界で唯一の国である事は確かです。

 しかし、その事実に間違いは無い物の、「にもかかわらず」、原発推進の自民党政権の長期支配を許し、また、国連での核兵器廃絶決議に、アメリカの後追いで賛成しない、腰砕けの政権を長く支配者に頂いていた国でもあります。

 また、これは日本人の責任では無いですが、戦後直後に、アメリカ軍は広島・長崎に科学者や医師を送りこみましたが、それは被爆者救援が目的ではなく、放射線・放射能が人体に与える影響を調査する為の人体実験の場としての物でした。
 直後に広島に設置され、今も存在する「放射線医学研究所」も、今でこそ日本の物ですが、最初に設置したのは米軍であり、米軍が撤退するときには、調査データ等を根こそぎ持ち帰りました。

 ですから、放射線や放射能の挙動に関する知見が最もあるのは、日本では無くアメリカなのです。
 アメリカは、その後も自国内の実験場での原爆実験や、威力が大きい水爆になってからは、南太平洋のビキニ環礁などで、頻繁に水爆実験を繰り返しました。同じ事は、旧ソ連、中国、フランスについても言える事です。
 これらの、原爆実験、水爆実験においても、アメリカは、自国の陸軍の兵士たちに放射能の影響や脅威を教えることなく、実験で爆発した直後の爆心地に、防護服無しで突撃訓練させるなど、広島・長崎の実態を知っていたはずなのに、そのような無謀な行為をしたのは、自国民を人体実験材料にしたのだと言えると思います。また、同様に水爆実験では、実験関係者は防護服を着用していたのに、現地の住民たちには何も対処をさせなかった上で、今に至るまで、それら現地の島民らの健康調査を継続しているのは、やはり人体実験の意味合いがあったのではと言われています。

 付言すればこれらの水爆実験では、日本の漁船「第五福竜丸」の船員たちが死の灰を浴び、被曝しました。日本は三回目の被曝の犠牲者でもあります。

 しかし、敗戦後、アメリカ軍が放射線医学の基礎資料を持ち帰ったり、GHQの指示で、原爆の後の広島・長崎の様子に関する情報は制限され、被爆国でありながら、日本国民は正確な被曝に関する情報を得る事が出来ないまま、長い期間にわたって被爆直後に流れた「デマ」が流布する結果となりました。

 当初のデマでひどいのは、「白い服を着ていれば、新型爆弾の影響力から逃れられる」と言う物でしたが、より深刻で、今でも広く流布している誤った情報の一つは、「放射線障害は遺伝する」と言う物です。科学的な詳細はここでは触れませんが、胎児のときに被爆した被爆2世が原爆症(放射線障害)による病気を起こす事はありますが、生殖細胞に害をうけなかった被爆者の、戦後に受胎し産まれた子供に原爆症が遺伝する事はありませんし、親が生殖細胞に傷を負った場合、通常は受胎能力を失う為、やはり原爆症が遺伝する事はありません。
 確かに、生物のこれまでの進化の過程では、宇宙線の被曝による、突然変異が原因と言う説もありますが、現実に、原爆症が遺伝したと言う事実は報告されていないはずです。
 なのに、このデマが広まり定着した為、広島・長崎の被爆者やその2世たちは、いわれなき差別に苦しむ事になりました。

 さて、被爆国でありながら放射線障害に関する情報が制限された日本では、「原爆は怖い」「放射能は怖い」という、概念だけが刷り込まれた状態で、その後の反核運動が進みます。
 その後の反核運動は、そのバックにいる旧・社会党と日本共産党の路線対立から分裂し、相互にいがみ合う時機が長く続きます。
 当時の旧・社会党の主張については、あいにく私は知らないのですが、日本共産党については、1970年代になっても、「中国共産党の核兵器は、アメリカ帝国主義に対する防衛のための核兵器だから容認できる」という、トンでもな意見を言っていました。これは、私自身がNHKの番組を見て、同党の幹部がその通りの発言をしているのを記憶しているので間違いありません。

 今は、日本共産党もそんな意見は持っていませんが、過去にそういう発言をしていた事は、反核運動や反原発運動で大きなしこりとなって残る事になります。

 しかし、時代の変遷とともに、これらの対立も徐々に収まり、今は、原爆投下の日の式典や集会も、合同で開かれる事も多くなりました。

 ですが、日本人が、被爆国であるにも関わらず、戦前の軍国主義・階級性社会への回帰を目的として存在する自民党に長く政権を預けていた結果、日本には、世界第3位の数の原発が作られると言う状態になり、さらに今の原発災害の情勢下にも関わらず、経産省は今後2050年までに、34基の原発を新設すると言う計画を降ろそうとしません。
 民主党の政治がなかなか進まないのは、民主党自身にも不慣れや、党内の意見がバラバラなどと言った問題があるのも大きな要因ですが、高級官僚の多くが、長年培った自民党との癒着関係を維持するべく、自民党の政権復帰を望んで、民主党の足をひっぱっていると言う事実もあると思います。

 さて、日本でこのような事をしている間にチェルノブイリ原発事故が起き、遠く西ヨーロッパにまで死の灰が降ると言う大事件が起きました。
 この結果、フランスを除くほとんどの欧州諸国では、原発推進の流れは止まり、その分自然エネルギーの開発・普及に尽力するように政策が転換されて行きました。
 今では、スペインでは、立地環境に恵まれているとはいえ、風力発電で、国内の電力の20%以上を賄うまでになり、またドイツは世界一の太陽光発電導入国にもなりました。他にもデンマークの風力や、原発の全面廃止を打ち出した国もあります。

 今、日本では、未だに「原発の代替エネルギーはどうするのか?」と言う、時代遅れの主張をする原発推進賛成派がいますが、それは無知かうそつきの発言であり、先進国に数えられる大国で、既に自然エネルギーや、バイオエタノールの様な再生可能エネルギーが、幅広く導入されています。特にバイオエタノールは、国土が広いなどの利点もありますが、ブラジルのような新興国でも、早期に導入が始まっているのは有名です。

 さて、こうなると、世界で唯一の被爆犠牲国でありながら、反核・反原子力の勢力は、左派にありがちな(ちなみに私も無党派中道左派・社民主義者を標榜してますので、「左翼」の仲間です)、「路線対立のいがみ合い」の挙句、主敵たる、財界べったりの復古主義者の集まり自民党に、長く政権の座を支配され続けてきました。
 その結果、脱原子力についても、チェルノブイリによる恐怖に目覚めた欧州に、大きく遅れをとってしまうと言う、被爆国を標榜する割に、かなりみっともない現状にあるのは確かです。
 そして、自民党と癒着した財界の一部である電力を仲間とする原発推進派が伸長した揚句に、今回の福島の原発災害を招いていしまいました。
 未だに原発推進を主張する、自民党とその下僕の経産省官僚たちには、その下劣ぶりに、へどが出そうな思いがします。

 ある意味、日本人は、広島・長崎の(当事者は当然のごとく判っていても国民の多数は)被爆体験を現在に生かすことなく、今回の原発災害に直面して初めて、自らの生命への脅威と目に見えないが、確実に体をむしばむ放射線の恐怖に目覚めつつあるのだと言う事ができると思います。

 今回の原発災害を奇貨として、今度こそ原子力からの解放。そして、反核兵器への歩みを確実な物にしなければならないでしょう。
 国連安全保障理事会入りを望みながら、「アメリカの票が1つ増えるだけ」と陰口叩かれるような事をしてきた自民党政権の愚を、今後二度と繰り返してはいけないと、私は強く主張します。
(転載終了)※次号記事に続きます。
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