もう既に少し前の話になってしまいましたが、下記のニュースについて感じていた事を少し。
・公用車でジム通い 橋下知事が釈明(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080719/lcl0807191105000-n1.htm
・ジム通いで釈明「特別職は時間に拘束されて働く立場でなく、問題ない」 橋下・大阪府知事(同上)
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080716/lcl0807162359003-n1.htm
・橋下大阪府知事は勤務時間中にジム通いしても許されるのか?(アッテンボローの雑記帳)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2008/07/post_ffcc.html
・橋下知事が「暗殺を避けるために公用車を利用」と説明(JANJAN)
http://www.news.janjan.jp/government/0807/0807242764/1.php
・橋下知事公用車でジム通い(天翔龍聖)
http://www.geocities.jp/amagake2006/index.html
橋下徹・大阪府知事が勤務時間中に職場を抜け出して、公用車でフィットネス・ジムに通っていた、というニュースについて。知事曰く、「公用車使用は安全上の配慮から」「知事は24時間365日勤務の特別職なので、一般サラリーマンの様な勤務時間の拘束は無い」という事だそうですが。
前者の「安全上の配慮」云々の言い訳に対しても、「では何故、ジムに着いた途端に公用車を返して、帰りは一人だけでタクシーで帰ったのか?」と思うのですが、それはまあ、ここでは敢えて言わないでおきましょう。私としては、それよりも後者の「知事は特別職」云々の言い訳の方にこそ、少々カチンと来るものがあったのですが。
何か、如何にも「自分は特別な人間だから忙しいのだ」と言いたげな物言いですが。しかし、「24時間365日勤務」なのは別に特別職の知事だけではありません。他にも「24時間365日勤務」で頑張っている人はいくらでも居ます。例えば、学校の教師。確かにデモシカ先生も居ますが、生徒が事件を起こす度に街中を駆けずり回っている金八先生や「夜回り先生」も居られます。そういう先生にとっては、「公私の別」や「勤務時間」の概念はありません。或いは、救命救急医や一部のシステム・エンジニアの方なども、そうでしょう。そういう人たちも、急患が出たり機械トラブルがある度に、叩き起こされ職場に急行しなければならないのです。しかし、そういう人たちは、何処かの知事みたいに、それを殊更ひけらかしたりする様な事も無く、黙々と仕事をこなしているのです。
ただ、私としては、余りこの話題を取り上げるのも、どうかなという気がしないでもありませんでした。橋下ヨイショに余念が無い産経新聞が、この話題についても、「抵抗勢力と闘う遠山の金さん」の格好のネタとして、取り上げようとしているのが、余りにも見え見えなので。
橋下なんて、所詮は「時期遅れで出てきた小泉チルドレン」にしか過ぎないのに。こんな「二番煎じ」政治家の、低次元の話題に、わざわざ時間を割かれるのも癪に障るので。しかし、同じ事を北朝鮮の金正日がやったら、格好のブーイングのネタになるのに、同じ事を橋下がやったら、何故「遠山の金さん」になるのだろう。
この件に関しては、「さとうしゅういち」さんが、ミクシィの中で書いておられた事が、そのまま当てはまるのでは、と思います。曰く「小泉や橋下が言う所の改革とは、官僚主義を打破する振りをして、その実、公共性を破壊するものでしか無かった」と。つまり、「特権官僚打破」とか「自民党をぶっ壊す」と言いながら、実は特権官僚も自民党政治もそっくりそのまま温存・延命させて、福祉や庶民の暮らしをぶっ壊しただけだった。何のことは無い、「規制緩和で逆に特権がのさばってしまっただけではないか」と。
同じ様な事は既に他の人も言っているので、読んだ当初は別に目新しくも感じなかったのですが、考えれば考えるほど、正しくその通りだな、と。「財政非常事態」だ何だと言って、元はと言えば全て己たちが散々今までこしらえて来た借金であるにも関わらず、下っ端や府民にその責任を一方的に擦り付けて、当人は何食わぬ顔でジム通い、とは。まるでグッドウィル会長の折口と同じじゃないか。
あの「居酒屋タクシー」の話題にしても、そうでしょう。タクシー・ドライバーが、大口顧客として囲い込んでおく為に、公務員の乗客に、車内でビールや金券を振舞ってきたのが発覚した、という例のニュースです。乗客の立場からすれば「ネットカフェやホテルの割引券と同じ様なものだろう」という軽い気持ちだったのかも知れませんが、流石に許認可を受ける側(業者)とする側(官庁)との関係もなれば、そこはきっちり一線を引いておかなければなりませんね。
しかし、これもとどのつもりは、タクシー業界の無理な規制緩和が、その背景にあるのでしょう。規制緩和で業界への新規参入が増え、ダンピングが横行する。その中で、収入減に見舞われた経営基盤の弱い個人タクシーが、国交省のお役人を囲い込もうとした。これも「規制緩和で逆に特権がのさばる」好例ですね。
あの大分県教委を舞台にした教員採用汚職も、多分、基本的な構造は前記の例と同じでしょう。金は出さないが口は出す。教育予算や私学助成は出し渋るくせに、教育内容だけはガチガチに国家統制しようとする。上がそうだからこそ下も、教職を単に出世コースのステップとしか考えられない人が、どんどん増えて来て。それで、あんな「猟官行為」がのさばる事になってしまったのでしょう。それもこれも、偏に「規制緩和で逆に特権がのさばる」からでしょう。
・公用車でジム通い 橋下知事が釈明(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080719/lcl0807191105000-n1.htm
・ジム通いで釈明「特別職は時間に拘束されて働く立場でなく、問題ない」 橋下・大阪府知事(同上)
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080716/lcl0807162359003-n1.htm
・橋下大阪府知事は勤務時間中にジム通いしても許されるのか?(アッテンボローの雑記帳)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2008/07/post_ffcc.html
・橋下知事が「暗殺を避けるために公用車を利用」と説明(JANJAN)
http://www.news.janjan.jp/government/0807/0807242764/1.php
・橋下知事公用車でジム通い(天翔龍聖)
http://www.geocities.jp/amagake2006/index.html
橋下徹・大阪府知事が勤務時間中に職場を抜け出して、公用車でフィットネス・ジムに通っていた、というニュースについて。知事曰く、「公用車使用は安全上の配慮から」「知事は24時間365日勤務の特別職なので、一般サラリーマンの様な勤務時間の拘束は無い」という事だそうですが。
前者の「安全上の配慮」云々の言い訳に対しても、「では何故、ジムに着いた途端に公用車を返して、帰りは一人だけでタクシーで帰ったのか?」と思うのですが、それはまあ、ここでは敢えて言わないでおきましょう。私としては、それよりも後者の「知事は特別職」云々の言い訳の方にこそ、少々カチンと来るものがあったのですが。
何か、如何にも「自分は特別な人間だから忙しいのだ」と言いたげな物言いですが。しかし、「24時間365日勤務」なのは別に特別職の知事だけではありません。他にも「24時間365日勤務」で頑張っている人はいくらでも居ます。例えば、学校の教師。確かにデモシカ先生も居ますが、生徒が事件を起こす度に街中を駆けずり回っている金八先生や「夜回り先生」も居られます。そういう先生にとっては、「公私の別」や「勤務時間」の概念はありません。或いは、救命救急医や一部のシステム・エンジニアの方なども、そうでしょう。そういう人たちも、急患が出たり機械トラブルがある度に、叩き起こされ職場に急行しなければならないのです。しかし、そういう人たちは、何処かの知事みたいに、それを殊更ひけらかしたりする様な事も無く、黙々と仕事をこなしているのです。
ただ、私としては、余りこの話題を取り上げるのも、どうかなという気がしないでもありませんでした。橋下ヨイショに余念が無い産経新聞が、この話題についても、「抵抗勢力と闘う遠山の金さん」の格好のネタとして、取り上げようとしているのが、余りにも見え見えなので。
橋下なんて、所詮は「時期遅れで出てきた小泉チルドレン」にしか過ぎないのに。こんな「二番煎じ」政治家の、低次元の話題に、わざわざ時間を割かれるのも癪に障るので。しかし、同じ事を北朝鮮の金正日がやったら、格好のブーイングのネタになるのに、同じ事を橋下がやったら、何故「遠山の金さん」になるのだろう。
この件に関しては、「さとうしゅういち」さんが、ミクシィの中で書いておられた事が、そのまま当てはまるのでは、と思います。曰く「小泉や橋下が言う所の改革とは、官僚主義を打破する振りをして、その実、公共性を破壊するものでしか無かった」と。つまり、「特権官僚打破」とか「自民党をぶっ壊す」と言いながら、実は特権官僚も自民党政治もそっくりそのまま温存・延命させて、福祉や庶民の暮らしをぶっ壊しただけだった。何のことは無い、「規制緩和で逆に特権がのさばってしまっただけではないか」と。
同じ様な事は既に他の人も言っているので、読んだ当初は別に目新しくも感じなかったのですが、考えれば考えるほど、正しくその通りだな、と。「財政非常事態」だ何だと言って、元はと言えば全て己たちが散々今までこしらえて来た借金であるにも関わらず、下っ端や府民にその責任を一方的に擦り付けて、当人は何食わぬ顔でジム通い、とは。まるでグッドウィル会長の折口と同じじゃないか。
あの「居酒屋タクシー」の話題にしても、そうでしょう。タクシー・ドライバーが、大口顧客として囲い込んでおく為に、公務員の乗客に、車内でビールや金券を振舞ってきたのが発覚した、という例のニュースです。乗客の立場からすれば「ネットカフェやホテルの割引券と同じ様なものだろう」という軽い気持ちだったのかも知れませんが、流石に許認可を受ける側(業者)とする側(官庁)との関係もなれば、そこはきっちり一線を引いておかなければなりませんね。
しかし、これもとどのつもりは、タクシー業界の無理な規制緩和が、その背景にあるのでしょう。規制緩和で業界への新規参入が増え、ダンピングが横行する。その中で、収入減に見舞われた経営基盤の弱い個人タクシーが、国交省のお役人を囲い込もうとした。これも「規制緩和で逆に特権がのさばる」好例ですね。
あの大分県教委を舞台にした教員採用汚職も、多分、基本的な構造は前記の例と同じでしょう。金は出さないが口は出す。教育予算や私学助成は出し渋るくせに、教育内容だけはガチガチに国家統制しようとする。上がそうだからこそ下も、教職を単に出世コースのステップとしか考えられない人が、どんどん増えて来て。それで、あんな「猟官行為」がのさばる事になってしまったのでしょう。それもこれも、偏に「規制緩和で逆に特権がのさばる」からでしょう。
私がいつも腰痛治療で通っている鍼灸医Aさんとの雑談の中で、「給料は全然上がらないのに、ガソリンや食料品の値段ばかり上がって」という話から、スタグフレーションの話題に及んだ時です。「××さん(私の本名)、スタグフレーションって言葉の意味を説明できます?」とAさんが聞くので、「賃金は上がらないのに物価だけが上昇する現象でしょう」と私が答え、Aさんが「その通りですね」と言いながら出してきたのが、やたら分厚い中学校社会科の参考書でした。
※追記:今考えると、何故そんなものが鍼灸医の診察室にあったのか?と思うのですが、ひょっとしたら、この先生は、当該参考書を簡易便利事典か、或いは次の予約診療時間までの暇つぶしの読み物として使っていたのかも?
私は、物珍しさと懐かしさも手伝って、その参考書をパラパラとめくってみたのですが、直ぐに読むのに嫌気がさしてきました。その参考書は旺文社発行によるもので、「詳しい解説で日常学習から入試レベルまで対応!」「最強の執筆陣によるハイレベル参考書」と銘打たれていたのですが、何と600ページもあるのです。
早速その内容にも目を通してみましたが、ハイレベルと銘打っているだけあって、確かに詳しいのは詳しいです。地理・歴史・公民の中学校社会科3分野全てを網羅していて、例えば公民的分野の先の「スタグフレーション」の項目の所でも、下記の様な説明が為されていました。
>(6) スタグフレーション―不況なのにインフレ
>stagnation(停滞)、inflation(インフレーション)の合成語。経済活動の停滞(不況)と物価の持続的な上昇(インフレ)が共存する状態を指す。失業が悪化するとともにインフレが進行する。デフレーションと比べると、インフレによって貨幣や預貯金の価値が低下する分だけ生活がさらに苦しくなる。スタグフレーションの主な原因は、いろいろな供給が少なくなることである。原油価格が急に高くなると、それまでの価格で生産していた企業がやっていけなくなり商品の供給が少なくなる。石油危機(石油ショック)の際に起こったスタグフレーションでは省エネなどでエネルギーを節約し、のりきることができた。
・・・とまあ、こんな感じです。確かに大の大人が読めば、それでもまだ書いてある事は「何となく」理解できるでしょうが、この文章を中学生が読んで、果たして何人の生徒が内容を理解できるやら。オイオイ、お小遣い程度の金銭感覚しか無い中学生を相手に、いきなり「貨幣や預貯金の価値が低下」なんて説明だけで、中身を理解させるつもりかよ。これでも一応「自習用参考書」なので、あくまでもそのつもりなのでしょうが。私は、こう見えても昔から社会科大好き人間でしたが、そんな私ですら、この参考書を見た途端に「嗚呼、教師になぞ成らずにいて良かった」と、つくづく思った位です。
その前後のページをめくってみましたが、なかなか手強いというか。「ものが売れる→会社の生産活動が活発になり賃金が上昇→在庫が増える→生産が減り賃金も下がる」という景気循環の説明まではまだ分かるとしても、その横の備考欄にある「三面等価の原則」の説明に至っては・・・。
>三面等価の原則
>経済活動は、生産→流通→消費という循環を繰り返すが、これらは同一の価値の流れを異なった側面から捉えたにすぎないので、概念上の調整を加えると、生産=分配=支出となる。
・・・何か、言葉が宙を舞っているような感じで。多分「金は天下の回りもの」という事を言わんとしているのでしょうが、こんな説明では、大の大人の私ですら、何を言っているのか、さっぱり分からんわい!
実際、今の中学生の間の学力格差は、すごいらしいです。公立進学校はおろか、灘や開成やラサールに行くような子なら、ひょっとしたらこの説明でも、実際には何も分からなくても、「何となく」分かった様な気分にもなれるでしょう。しかし、九九や分数の計算も出来ない、小学校で習う漢字もまともに読み書き出来ない生徒が相手では、こんな説明で分かる筈が無い。何を言っているのかチンプンカンプンなまま、45分間なり1時間なりを教室の椅子にずっと座ったまま毎日聞かされ続けたら、そりゃあ暴れたくもなるわな。
昨今、例の「品流し」で有名な東京都品川区の教育長を筆頭にし、「競争教育は、格差や差別の象徴ではなく、寧ろそれ負けずに打ち勝つ力を、身につけさせる為のものだ」という新自由主義教育論が、一部でやたら持てはやされるようになりました。そのお陰で、有料補習塾に力を入れている都内杉並区立和田中学校や、有名大学への進学率を飛躍的に伸ばした京都市立堀川高校の例が、やたら注目されています。
しかし、上記の様な「分かったようで分からない」用語解説を、そのまま丸暗記させるだけの教育を幾ら繰り返した所で、本当に「周囲の環境に打ち勝つ力」や「生きた学力」が身につくのでしょうかね。私は疑問に思います。
寧ろ、教師としての真の力量が試されるのは、和田中学校や堀川高校なんかではなく、低学力校においてなのです。進学校では、こと受験という事だけに限って言えば、仮に教師の力量が劣っていたとしても、生徒は放っておいても勝手に勉強しますから。
社会科という教科においては、特にそうです。何故ならば、社会科というのは、日本や世界における様々な出来事やニュースに対する自分の認識(社会認識)を広げ、物の見方考え方を鍛えていく教科ですから、漢字の書き取りや計算問題の様に、「意味内容は分からなくても良いから、とにかくこの問題をやっておけ」という形でのゴマカシは、一切通用しません。また、進学校の場合では、「実際には何も分からなくても如何にも分かったような気分に」錯覚させる事もまだしも可能ですが、低学力校ではそういうのも一切通用しません。
若し私が定時制高校の社会科教師なら、こんな「スタグフレーション」や「三面等価の法則」みたいな説明ではなく、もっと生徒にとって身近な所から授業を進めますね。例えば、「毎日毎日朝から晩までこき使われているのに、何故納豆ご飯やカップラーメンしか食えないのか?」という所から、経済の仕組みについて説明していきます。
その事によって、例えば、派遣会社がその本質においてあいりん地区の手配師と何ら変わりない事や、エムクルーなどの貧困ビジネスの搾取の仕組み、借金の金利が雪だるま式に増える複利のカラクリ、連帯保証の怖さなどについて、しっかり教え込む事の方が、よっぽど「周囲の環境に打ち勝つ力」になるでしょう。たとえ生徒が将来自営業の道に進んで、銀行に担保を差し出し保証人を立てなければならない様になったとしても、その事を知っているのと全く知らないのとでは、その生徒の将来は天と地ほども違ってきます。
或いは、今日び大多数の中高生が利用している携帯インターネットやメールを教材にして、学校裏サイトの虐めの問題や、2chなどのメディア・リテラシーの問題、携帯電話部品のレアメタル争奪戦からアフリカの内戦や南北問題、またそういったマイナス面だけでなく、ネット情報を通しての情報共有や市民メディア育成の可能性について、教えるという事も出来るでしょう。
参考書の内容はそれこそ玉石混交で、片やイラク戦争や非核地帯条約の事も取り上げられている一方で、例えば地理的分野での中国の改革開放政策についての記述では、「それまでの社会主義一辺倒から、外資を導入しての市場経済導入で豊かになった」という記述だけで、低賃金やスウェット・ショップ(搾取工場)の現状についての言及は何も無かったり。但し環境・エネルギー問題には言及していましたが。
私はこの参考書を見て、改めて確信しました。こんな、「椅子取りゲーム」の中で生き延びる事ばかり教え込んで、椅子に座れない奴は最初から見捨て、「椅子を増やす」事なぞ思いも及ばないような教育ばかりしていたら、最後には誰も教師に成りたいと思う人なぞ居なくなり、日本中の子供は全員、ブッシュかホリエモンか加藤の、3つのキャラのうちのどれかになってしまうだろうな、と。
ブッシュというのは、謂わば「勝ち組」政治家のネオコンです。この旺文社の参考書に書いてある事をそのまま信じて、世界を単純に、自分本位の基準で善と悪に分けて考える事しか出来ない人間です。ホリエモンというのは「勝ち組」財界人で、これも参考書に書いてある事をそのまま信じて、己の私利私欲の為にはどんな悪どい手を使っても構わないと思い込み、或いは法律スレスレの事をやっていても捕まらなければ良しとし、それを恰も個人の才覚であるかのように履き違えている人間です。そして最後の加藤が「負け組」に転落した無差別殺傷事件の容疑者で、次第に参考書に書いてある事がチンプンカンプンになっていって、最後に切れてしまった人間です。
このままの教育で行くと、この日本には、最後にはその3タイプの人間しかいなくなるでしょう。それでブッシュとホリエモンが、加藤からの無差別テロに怯えて、形だけは如何にも民主国家を装いながら、その実、国内を監視カメラだらけにして、ビラ撒きもデモも徹底的に弾圧する、と。かくして日本は、今の北朝鮮・米国・イスラエルや、かつての南アフリカのような国家になる、と。
※追記:今考えると、何故そんなものが鍼灸医の診察室にあったのか?と思うのですが、ひょっとしたら、この先生は、当該参考書を簡易便利事典か、或いは次の予約診療時間までの暇つぶしの読み物として使っていたのかも?
私は、物珍しさと懐かしさも手伝って、その参考書をパラパラとめくってみたのですが、直ぐに読むのに嫌気がさしてきました。その参考書は旺文社発行によるもので、「詳しい解説で日常学習から入試レベルまで対応!」「最強の執筆陣によるハイレベル参考書」と銘打たれていたのですが、何と600ページもあるのです。
早速その内容にも目を通してみましたが、ハイレベルと銘打っているだけあって、確かに詳しいのは詳しいです。地理・歴史・公民の中学校社会科3分野全てを網羅していて、例えば公民的分野の先の「スタグフレーション」の項目の所でも、下記の様な説明が為されていました。
>(6) スタグフレーション―不況なのにインフレ
>stagnation(停滞)、inflation(インフレーション)の合成語。経済活動の停滞(不況)と物価の持続的な上昇(インフレ)が共存する状態を指す。失業が悪化するとともにインフレが進行する。デフレーションと比べると、インフレによって貨幣や預貯金の価値が低下する分だけ生活がさらに苦しくなる。スタグフレーションの主な原因は、いろいろな供給が少なくなることである。原油価格が急に高くなると、それまでの価格で生産していた企業がやっていけなくなり商品の供給が少なくなる。石油危機(石油ショック)の際に起こったスタグフレーションでは省エネなどでエネルギーを節約し、のりきることができた。
・・・とまあ、こんな感じです。確かに大の大人が読めば、それでもまだ書いてある事は「何となく」理解できるでしょうが、この文章を中学生が読んで、果たして何人の生徒が内容を理解できるやら。オイオイ、お小遣い程度の金銭感覚しか無い中学生を相手に、いきなり「貨幣や預貯金の価値が低下」なんて説明だけで、中身を理解させるつもりかよ。これでも一応「自習用参考書」なので、あくまでもそのつもりなのでしょうが。私は、こう見えても昔から社会科大好き人間でしたが、そんな私ですら、この参考書を見た途端に「嗚呼、教師になぞ成らずにいて良かった」と、つくづく思った位です。
その前後のページをめくってみましたが、なかなか手強いというか。「ものが売れる→会社の生産活動が活発になり賃金が上昇→在庫が増える→生産が減り賃金も下がる」という景気循環の説明まではまだ分かるとしても、その横の備考欄にある「三面等価の原則」の説明に至っては・・・。
>三面等価の原則
>経済活動は、生産→流通→消費という循環を繰り返すが、これらは同一の価値の流れを異なった側面から捉えたにすぎないので、概念上の調整を加えると、生産=分配=支出となる。
・・・何か、言葉が宙を舞っているような感じで。多分「金は天下の回りもの」という事を言わんとしているのでしょうが、こんな説明では、大の大人の私ですら、何を言っているのか、さっぱり分からんわい!
実際、今の中学生の間の学力格差は、すごいらしいです。公立進学校はおろか、灘や開成やラサールに行くような子なら、ひょっとしたらこの説明でも、実際には何も分からなくても、「何となく」分かった様な気分にもなれるでしょう。しかし、九九や分数の計算も出来ない、小学校で習う漢字もまともに読み書き出来ない生徒が相手では、こんな説明で分かる筈が無い。何を言っているのかチンプンカンプンなまま、45分間なり1時間なりを教室の椅子にずっと座ったまま毎日聞かされ続けたら、そりゃあ暴れたくもなるわな。
昨今、例の「品流し」で有名な東京都品川区の教育長を筆頭にし、「競争教育は、格差や差別の象徴ではなく、寧ろそれ負けずに打ち勝つ力を、身につけさせる為のものだ」という新自由主義教育論が、一部でやたら持てはやされるようになりました。そのお陰で、有料補習塾に力を入れている都内杉並区立和田中学校や、有名大学への進学率を飛躍的に伸ばした京都市立堀川高校の例が、やたら注目されています。
しかし、上記の様な「分かったようで分からない」用語解説を、そのまま丸暗記させるだけの教育を幾ら繰り返した所で、本当に「周囲の環境に打ち勝つ力」や「生きた学力」が身につくのでしょうかね。私は疑問に思います。
寧ろ、教師としての真の力量が試されるのは、和田中学校や堀川高校なんかではなく、低学力校においてなのです。進学校では、こと受験という事だけに限って言えば、仮に教師の力量が劣っていたとしても、生徒は放っておいても勝手に勉強しますから。
社会科という教科においては、特にそうです。何故ならば、社会科というのは、日本や世界における様々な出来事やニュースに対する自分の認識(社会認識)を広げ、物の見方考え方を鍛えていく教科ですから、漢字の書き取りや計算問題の様に、「意味内容は分からなくても良いから、とにかくこの問題をやっておけ」という形でのゴマカシは、一切通用しません。また、進学校の場合では、「実際には何も分からなくても如何にも分かったような気分に」錯覚させる事もまだしも可能ですが、低学力校ではそういうのも一切通用しません。
若し私が定時制高校の社会科教師なら、こんな「スタグフレーション」や「三面等価の法則」みたいな説明ではなく、もっと生徒にとって身近な所から授業を進めますね。例えば、「毎日毎日朝から晩までこき使われているのに、何故納豆ご飯やカップラーメンしか食えないのか?」という所から、経済の仕組みについて説明していきます。
その事によって、例えば、派遣会社がその本質においてあいりん地区の手配師と何ら変わりない事や、エムクルーなどの貧困ビジネスの搾取の仕組み、借金の金利が雪だるま式に増える複利のカラクリ、連帯保証の怖さなどについて、しっかり教え込む事の方が、よっぽど「周囲の環境に打ち勝つ力」になるでしょう。たとえ生徒が将来自営業の道に進んで、銀行に担保を差し出し保証人を立てなければならない様になったとしても、その事を知っているのと全く知らないのとでは、その生徒の将来は天と地ほども違ってきます。
或いは、今日び大多数の中高生が利用している携帯インターネットやメールを教材にして、学校裏サイトの虐めの問題や、2chなどのメディア・リテラシーの問題、携帯電話部品のレアメタル争奪戦からアフリカの内戦や南北問題、またそういったマイナス面だけでなく、ネット情報を通しての情報共有や市民メディア育成の可能性について、教えるという事も出来るでしょう。
参考書の内容はそれこそ玉石混交で、片やイラク戦争や非核地帯条約の事も取り上げられている一方で、例えば地理的分野での中国の改革開放政策についての記述では、「それまでの社会主義一辺倒から、外資を導入しての市場経済導入で豊かになった」という記述だけで、低賃金やスウェット・ショップ(搾取工場)の現状についての言及は何も無かったり。但し環境・エネルギー問題には言及していましたが。
私はこの参考書を見て、改めて確信しました。こんな、「椅子取りゲーム」の中で生き延びる事ばかり教え込んで、椅子に座れない奴は最初から見捨て、「椅子を増やす」事なぞ思いも及ばないような教育ばかりしていたら、最後には誰も教師に成りたいと思う人なぞ居なくなり、日本中の子供は全員、ブッシュかホリエモンか加藤の、3つのキャラのうちのどれかになってしまうだろうな、と。
ブッシュというのは、謂わば「勝ち組」政治家のネオコンです。この旺文社の参考書に書いてある事をそのまま信じて、世界を単純に、自分本位の基準で善と悪に分けて考える事しか出来ない人間です。ホリエモンというのは「勝ち組」財界人で、これも参考書に書いてある事をそのまま信じて、己の私利私欲の為にはどんな悪どい手を使っても構わないと思い込み、或いは法律スレスレの事をやっていても捕まらなければ良しとし、それを恰も個人の才覚であるかのように履き違えている人間です。そして最後の加藤が「負け組」に転落した無差別殺傷事件の容疑者で、次第に参考書に書いてある事がチンプンカンプンになっていって、最後に切れてしまった人間です。
このままの教育で行くと、この日本には、最後にはその3タイプの人間しかいなくなるでしょう。それでブッシュとホリエモンが、加藤からの無差別テロに怯えて、形だけは如何にも民主国家を装いながら、その実、国内を監視カメラだらけにして、ビラ撒きもデモも徹底的に弾圧する、と。かくして日本は、今の北朝鮮・米国・イスラエルや、かつての南アフリカのような国家になる、と。
久しぶりに、このグルメシリーズをアップします。今日のバイト休みに、数週間ぶりに大阪・難波に出ました。
関西も梅雨明けして猛暑日が続いているので、今日のランチは一丁「鰻のまむし」にでもしようかという事で、わざわざ大阪市内まで出て来たのです。明日24日は「土用の丑」だし、夏バテ予防にはビタミンB群の補給が欠かせないので。幾らプレカリアートと言えども、たまには栄養のある物も食べなければ。ちなみに「鰻のまむし」と言うのは、「うな丼・うな重」の事を指す関西言葉です。
それで、以前食べた事のある難波・千日前の「いづもや」で、「鰻のまむし」を食べようと折角出てきたのに・・・。何と、千日前の「いづもや」は、この3月を最後に、既に閉店していたのでした。
「いづもや」というのは、HPにもあるように、元々は東京の鰻料理の老舗ですが、私の中では、幼い頃に食べた「千日前いづもや」や「喜楽別館」のうな丼が、昔懐かしい関西の味としてイメージされています。
そうして幼い頃の記憶を辿り、折角久方ぶりにやって来た「千日前いづもや」も閉店とは。それにしても、新世界「いづみ食堂のシチュウー」閉店を始めとして、古き良き大阪のかつての味が、次第に失われていくのは、余りにも寂しいと言うか・・・。但し、「くいだおれ」閉店については、既存エントリーにもあるように、余り感慨は無いのですが。
そう言えば、かつて道頓堀の戎橋(通称:ひっかけ橋)の袂にあった、あの有名なカツレツの老舗「ぼんち」も、たこ焼きチェーンの「くくる」や、石川県金沢発祥の「ゴーゴー・カレー」に、姿を変えてしまっています。この前その「ゴーゴー・カレー」も食べてみたのですが、ランチをかき込む段には、あれで十分でしょう。味もまあソコソコ美味しかったし、
何と言ってもカレーはそのまま胃袋に流し込めるので、夏バテ気味の時には便利です。しかし、そうは言っても、所詮はかき込みランチ。やっぱり落ち着いて食べたい時は、「シチュウー」や「鰻のまむし」が一番です。結局今日は、「いづもや」近くの、吉本興業関係者がよく行くと噂される昔ながらの大衆食堂で、「鰻のまむし」を食べる事にしました。
(参考資料)
・丼週間6日目 うな丼 「千日前いづもや」(Mのランチ)
今は無き「千日前いづもや」のリポート。東京・神田にある「いづもや本店」は今も盛況なのに・・・。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/48775/1580427#1580427
・勝太郎 ぼんち(成瀬国晴の関西オイシイとこどり)
このお店も、もう道頓堀にはありません。天満橋のOBPにて営業中です。
http://osaka.yomiuri.co.jp/naruse/nr60703a.htm
・映画「ぼんち」について
上記店名の由来ともなった「ぼんち」の意味についても解説されています。
http://www.raizofan.net/~raifclub/link4/movie4/bonchi.htm
・ゴーゴーカレーのHP
創業者がメジャー投手の松井ファンを自称しているだけあって、その店舗運営スタイルはどう見ても体育会系のノリ。しかし私は、そういう「根性論てんこ盛り」はどうも苦手で。
http://www.gogocurry.com/
関西も梅雨明けして猛暑日が続いているので、今日のランチは一丁「鰻のまむし」にでもしようかという事で、わざわざ大阪市内まで出て来たのです。明日24日は「土用の丑」だし、夏バテ予防にはビタミンB群の補給が欠かせないので。幾らプレカリアートと言えども、たまには栄養のある物も食べなければ。ちなみに「鰻のまむし」と言うのは、「うな丼・うな重」の事を指す関西言葉です。
それで、以前食べた事のある難波・千日前の「いづもや」で、「鰻のまむし」を食べようと折角出てきたのに・・・。何と、千日前の「いづもや」は、この3月を最後に、既に閉店していたのでした。
「いづもや」というのは、HPにもあるように、元々は東京の鰻料理の老舗ですが、私の中では、幼い頃に食べた「千日前いづもや」や「喜楽別館」のうな丼が、昔懐かしい関西の味としてイメージされています。
そうして幼い頃の記憶を辿り、折角久方ぶりにやって来た「千日前いづもや」も閉店とは。それにしても、新世界「いづみ食堂のシチュウー」閉店を始めとして、古き良き大阪のかつての味が、次第に失われていくのは、余りにも寂しいと言うか・・・。但し、「くいだおれ」閉店については、既存エントリーにもあるように、余り感慨は無いのですが。
そう言えば、かつて道頓堀の戎橋(通称:ひっかけ橋)の袂にあった、あの有名なカツレツの老舗「ぼんち」も、たこ焼きチェーンの「くくる」や、石川県金沢発祥の「ゴーゴー・カレー」に、姿を変えてしまっています。この前その「ゴーゴー・カレー」も食べてみたのですが、ランチをかき込む段には、あれで十分でしょう。味もまあソコソコ美味しかったし、
何と言ってもカレーはそのまま胃袋に流し込めるので、夏バテ気味の時には便利です。しかし、そうは言っても、所詮はかき込みランチ。やっぱり落ち着いて食べたい時は、「シチュウー」や「鰻のまむし」が一番です。結局今日は、「いづもや」近くの、吉本興業関係者がよく行くと噂される昔ながらの大衆食堂で、「鰻のまむし」を食べる事にしました。
(参考資料)
・丼週間6日目 うな丼 「千日前いづもや」(Mのランチ)
今は無き「千日前いづもや」のリポート。東京・神田にある「いづもや本店」は今も盛況なのに・・・。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/48775/1580427#1580427
・勝太郎 ぼんち(成瀬国晴の関西オイシイとこどり)
このお店も、もう道頓堀にはありません。天満橋のOBPにて営業中です。
http://osaka.yomiuri.co.jp/naruse/nr60703a.htm
・映画「ぼんち」について
上記店名の由来ともなった「ぼんち」の意味についても解説されています。
http://www.raizofan.net/~raifclub/link4/movie4/bonchi.htm
・ゴーゴーカレーのHP
創業者がメジャー投手の松井ファンを自称しているだけあって、その店舗運営スタイルはどう見ても体育会系のノリ。しかし私は、そういう「根性論てんこ盛り」はどうも苦手で。
http://www.gogocurry.com/
・全国一斉休漁にご理解をお願いします(全漁連)
http://www.zengyoren.or.jp/oshirase/pdf/kyuryo.pdf
・一斉休漁 漁師悲鳴…5年で燃料費3倍「出漁すれば赤字」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080715k0000e040040000c.html
・「燃料高もう限界」20万隻休漁へ 東京でデモも(朝日新聞)
http://mfeed.asahi.com/business/update/0714/TKY200807140239.html
・15日に一斉休漁 燃料費高騰の窮状を訴え(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008071302000060.html?ref=related
この7月15日に、全国の漁協が一斉休漁し、東京や各地域で決起集会を開いて、燃費高騰に抗議しました。魚価が全然上がらないのに、投機マネーなどの影響で燃料費が以前の3倍に値上がりし、「これではもう食べていけない」と、全国で20万隻以上の漁船が出漁を取り止めました。
第一次産業従事者は、サラリーマンなどとは違い、一旦収穫期や漁期を逃したら、次の収穫期・漁期まで無収入となるのです。しかも燃費高騰なんて、漁民には何の責任もない事ではないですか。中央の決起集会には閣僚級の与党政治家も多数参加したそうですが、「中国・四川や宮城・岩手の大地震と同様に、激甚災害の指定を」という漁民の声を、それらの政治家はどう受け止めたのでしょうか。
主催者団体の全漁連や大手マスコミは、世間の目もあるので「一斉休漁」などと遠慮がちに書いていますが、もうこれはどう見ても「漁民スト」でしょう。ならば一層の事、はっきりそう書けば良いのに。事態の緊急性・重大性から言っても、決してそれは言い過ぎでも何でもないでしょう。若しそこで下手に「言い過ぎだ」なんて言おうものなら、もうその政治家にとっては、次の選挙は無いも同然でしょう。
このニュースを見てもつくづく思うのは、「食い物の恨みは恐ろしい」という事です。過去の歴史を紐解いてみても、「食い物の恨み」が暴動や革命に至った例が幾多もあります。ロシア革命然り、終戦直後の食糧メーデー然り。
思えば大正時代の米騒動も、発端は富山の漁師婦人たちによる抗議運動から火がついたのでした。第一次大戦・シベリア出兵に伴う米価高騰に怒った婦人たちが米穀商を襲い、その動きが瞬く間に全国に広まり、時の寺内軍閥内閣を打倒するまでに至りました。この事件は、形としては自然発生的な騒動で終わりましたが、その後に続く大正デモクラシー高揚のキッカケともなった事件でした。しかし、民衆運動はその後、治安維持法によって次第に押さえ込まれ、ファシズムの台頭に取って代わられる様になりましたが。
そのファシズム台頭の時期に書かれたのが、プロレタリア作家・片岡鉄平による「綾里村快挙録」という小説です。確かこの小説も、網元の封建的支配と闘う漁師たちの話だった筈。謂わば「蟹工船」の漁師バージョンともいうべき作品ですが、残念ながら詳しい資料が見つかりません(誰か詳しい人がおられたらコメント願います)。
・地元誌「月刊グリ」で紹介された名古屋米騒動の記述
http://www2n.biglobe.ne.jp/~midori/back_numbers/91/imamukashi.html
・再考横山源之助と米騒動(立花雄一・大原社会問題研究所)
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/499/499-3.pdf#search='越中女房一揆'
・食糧メーデーと天皇プラカード事件(大原社会問題研究所)
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/534/534-4.pdf#search='食糧メーデー'
その中で見たのが、先日の16日放送のTBS「緊急報道スペシャル!~食糧危機~あなたは生き残れますか」。ここでもまず前述の全国一斉休漁と漁民決起集会の話題がまず冒頭で取り上げられ、日本の第一次産業全体が存亡の危機に立たされている事が、分かりやすく紹介されていました。
一斉休漁の次に紹介された棚田崩壊の実態も凄まじいものでした。ほんの30年ほど前までは美田で鳴らした山口県の棚田が、次々に耕作を放棄され雑草が生い茂る荒地にまで変貌し、その隣の集落も全員移住で廃村と化した様は、もう見ているだけでも痛々しかったです。
戦後1950年代ぐらいまではほぼ100%近かった日本の食糧自給率が、何故今の39%に至るまで下落してきたのか。この番組はそこにもきちんと焦点を当てていました。それが言わずと知れた米国の小麦戦略です。米国は自国の余剰農産物を世界支配の武器に使ってきました。貧しい第三世界の国々に自由競争を押し付けて、余剰農産物をダンピング輸出し、当該国の胃袋を支配してきたのです。戦後米国に支配された日本は、その格好のモデルケースとなりました。学校給食に積極的にパン食が導入されたのも、まず次世代の子供に狙いを定めて、偏に国民の食生活を米国好みのものに改造する為でした。そして日本農民には減反や機械化が押し付けられ、重化学工業主導の高度経済成長と相まって、日本の食料自給率はどんどん低下していきました。
「日本に農業などいらない、日本はひたすら工業製品を輸出して、食料は米国や豪州から買えば良い」というのが、日米財界の教えでした。そうして米国は軍事力や食糧で、日本は工業力で、世界を支配したのです。「国益」というのは、そういう資本家の私益を誤魔化す為の、レトリックに他なりません。とにかく自分たちの私益を守る事が最優先で、日本国民の食の安全性や安定確保など、本当は二の次、三の次だったのです。
しかし、それが曲がりなりにも機能していたのは、世界の食糧供給にまだ余裕があったからです。やがて地球温暖化の影響で、異常気象や大干ばつ、大洪水が世界各地で頻発するようになります。農産物輸出国は、ますます自国民の食糧確保を優先するようになります。或いは米国の様に、更に食糧を世界支配の道具にする国も出てきます。これらの大きな食糧輸出国は、自国の農業は高関税や補助金で守りながら、貧しい第三世界や日本のような国々には、WTOを通して関税撤廃や補助金削減を迫っているのです。正にダブル・スタンダード(二重基準)、エコヒイキの最たる姿です。
この様な、大規模な環境破壊を伴う米国流の「安かろう悪かろう」農業・食生活ではダメだ。家族経営を母体としたヨーロッパ型の小規模・高付加価値農業の発展で、国土保全や食の安全性、食文化保持を図ろう。大量消費ではなく、フード・マイレージ(地産地消)やスロー・フードな食生活を。――これが、先述のTBS「食糧危機」特番の結論でした。
当該番組は、食糧危機の問題を、単に漁船の燃料費高騰の現象面だけでなく、その背景にある食糧自給率の低下や、農業荒廃、米国の食糧戦略の実態まで踏み込んで分かりやすく解説した、稀に見る良い番組でした。昨今の視聴率稼ぎが見え見えの三流バラエティ番組の氾濫の中で、大手資本がスポンサーの民放が、よくぞここまで踏み込んだ番組を作れたものだと、感心しました。
しかし、その上で敢えて注文を付けるならば、更にもう一捻りが必要なのでは、という感じも同時に持ちました。更に求められる一捻りとは、【この結論では、下手すれば、単なる一国ユートピア的な地産地消・「ロハス」・「国産品愛用」運動のレベルに止まってしまうだけではないか?】という懸念に、どう答えるかという事です。
自然破壊の大量消費でジャンクフード漬けの生活ではなく、地産地消や環境に優しい農業・食生活の方が、そりゃあ良いのに決まっています。しかし世界の現実は、記事添付の「遺伝子組み換え作物の国別栽培状況」図が示す通りであるのも、また冷厳な事実なのです。多分、米国産牛肉の輸入自由化の次には、遺伝子組み換え作物の輸入自由化が俎上に上ってくる可能性が大です。それに対抗するには、狭い一国ユートピア的な「ロハス」・「国産品愛用」運動のレベルでは、不十分ではないでしょうか。
以前でしたか、東京都内のお蕎麦屋さんで拉致問題の取り組みをした団体がありました。当該団体のイベントを紹介する掲示板投稿の中に、「グローバル化なんて糞食らえだ、我々はあくまで日本古来の伝統を守るのだ、だから拉致問題のイベントもお蕎麦屋さんで行うのだ」というものがありました。
しかし私に言わせると、「蕎麦も大半が外国産なのに、今頃何を言っているのかなw」という感じでしかありませんでした。更に言うならば、先の7月15日に行われた燃費高騰抗議の漁民決起集会には、靖国派右翼議員の稲田朋美も参加していましたが、彼女こそ小泉チルドレンの一員として、今まで散々「新自由主義の手先」として振舞ってきたくせに、何を自分の都合の良い時だけ「愛国者気取り」でいるのか、と。
但し、これは別に右翼だけに限った話ではなく、左翼・リベラルにも同じ様な事が言えるのです。日本生協連が、先の中国産冷凍餃子事件に続いて、ハーフ・カシミヤ・セーターの件でもお詫びの広告を出していますが、こういうのを見ると、「生協よ、お前もか」「所詮は生協もモンサント社と似たようなものじゃないか」と思ってしまいます。いくら一国単位で地産地消を追及しても、それだけでは、単なる一国ユートピア主義的な「国産品愛好」運動でしかない。
本当にグローバリゼーションの矛盾を乗り越えようとするならば、こんな「国産品愛好」運動の枠なぞ超えて、「ダーウィンの悪夢」「おいしいコーヒーの真実」などの映画の題材ともなった国際間の搾取・貧困・格差体制そのものの止揚・廃絶を目指すべきです。そういうフェアトレードや反帝国主義の視点を欠いた、単なる「ロハス」・「国産品愛好」レベルの反・新自由主義、反グローバリズム運動では、結局は「ミイラ取りがミイラになってしまう」結果にしかならないのではないでしょうか。
・シリーズ日本の食2008 Vol.4 日本から魚が消える日(朝日放送・素敵な宇宙船地球号)
米国の後を追う飽食中国、しかし同一モデルの日本がそれを笑えるか?
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/2008/20080413/index.html
・〈格差の現場:1〉農業 高齢化、山間地耕作阻む(朝日新聞)
番組でも取り上げられた山口県中山間地に広がる耕作放棄の惨状。
http://www2.asahi.com/senkyo2007/localnews/yamaguchi/SEB200706200013.html
・「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活(鈴木猛夫)
「食糧自給出来ない国は他国の言いなりになる」とブッシュ自ら白状しているのに・・・。
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/book423.htm
・ソバの収穫高と輸入量・及びソバの自給率(大阪・上方の蕎麦)
蕎麦ですら自給率21%の現状抜きに、「国産品愛好」を唱えても無駄。
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/soba-jikyuu.html
・モンサント社7つの大罪(グリーンピース・ジャパン)
http://greenpeace.or.jp/docs/gm/monsanto.pdf
・遺伝子組み換え作物の国別栽培状況(日本モンサント)
上記7つの大罪を他所に、栽培地は世界に広がる。
http://www.monsanto.co.jp/data/countries/index.shtml
・巨大魚めぐる負のグローバル化~映画「ダーウィンの悪夢」(JANJAN)
我々が大量消費する冷凍魚がアフリカの生態系を破壊し貧困を拡大する。
http://www.news.janjan.jp/culture/0609/0609240680/1.php
・映画「おいしいコーヒーの真実」公式HP
300円コーヒーのうちで原産国農民の取り分は僅か数円。
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/
・「ハーフカシミヤセーター・シリーズ」についてのお詫び(日生協)
生協も、所詮はモンサント社と五十歩百歩だったのか・・・?
http://jccu.coop/info/announcement/2008/07/post_318.html
http://www.zengyoren.or.jp/oshirase/pdf/kyuryo.pdf
・一斉休漁 漁師悲鳴…5年で燃料費3倍「出漁すれば赤字」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080715k0000e040040000c.html
・「燃料高もう限界」20万隻休漁へ 東京でデモも(朝日新聞)
http://mfeed.asahi.com/business/update/0714/TKY200807140239.html
・15日に一斉休漁 燃料費高騰の窮状を訴え(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008071302000060.html?ref=related
この7月15日に、全国の漁協が一斉休漁し、東京や各地域で決起集会を開いて、燃費高騰に抗議しました。魚価が全然上がらないのに、投機マネーなどの影響で燃料費が以前の3倍に値上がりし、「これではもう食べていけない」と、全国で20万隻以上の漁船が出漁を取り止めました。
第一次産業従事者は、サラリーマンなどとは違い、一旦収穫期や漁期を逃したら、次の収穫期・漁期まで無収入となるのです。しかも燃費高騰なんて、漁民には何の責任もない事ではないですか。中央の決起集会には閣僚級の与党政治家も多数参加したそうですが、「中国・四川や宮城・岩手の大地震と同様に、激甚災害の指定を」という漁民の声を、それらの政治家はどう受け止めたのでしょうか。
主催者団体の全漁連や大手マスコミは、世間の目もあるので「一斉休漁」などと遠慮がちに書いていますが、もうこれはどう見ても「漁民スト」でしょう。ならば一層の事、はっきりそう書けば良いのに。事態の緊急性・重大性から言っても、決してそれは言い過ぎでも何でもないでしょう。若しそこで下手に「言い過ぎだ」なんて言おうものなら、もうその政治家にとっては、次の選挙は無いも同然でしょう。
このニュースを見てもつくづく思うのは、「食い物の恨みは恐ろしい」という事です。過去の歴史を紐解いてみても、「食い物の恨み」が暴動や革命に至った例が幾多もあります。ロシア革命然り、終戦直後の食糧メーデー然り。
思えば大正時代の米騒動も、発端は富山の漁師婦人たちによる抗議運動から火がついたのでした。第一次大戦・シベリア出兵に伴う米価高騰に怒った婦人たちが米穀商を襲い、その動きが瞬く間に全国に広まり、時の寺内軍閥内閣を打倒するまでに至りました。この事件は、形としては自然発生的な騒動で終わりましたが、その後に続く大正デモクラシー高揚のキッカケともなった事件でした。しかし、民衆運動はその後、治安維持法によって次第に押さえ込まれ、ファシズムの台頭に取って代わられる様になりましたが。
そのファシズム台頭の時期に書かれたのが、プロレタリア作家・片岡鉄平による「綾里村快挙録」という小説です。確かこの小説も、網元の封建的支配と闘う漁師たちの話だった筈。謂わば「蟹工船」の漁師バージョンともいうべき作品ですが、残念ながら詳しい資料が見つかりません(誰か詳しい人がおられたらコメント願います)。
・地元誌「月刊グリ」で紹介された名古屋米騒動の記述
http://www2n.biglobe.ne.jp/~midori/back_numbers/91/imamukashi.html
・再考横山源之助と米騒動(立花雄一・大原社会問題研究所)
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/499/499-3.pdf#search='越中女房一揆'
・食糧メーデーと天皇プラカード事件(大原社会問題研究所)
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/534/534-4.pdf#search='食糧メーデー'
その中で見たのが、先日の16日放送のTBS「緊急報道スペシャル!~食糧危機~あなたは生き残れますか」。ここでもまず前述の全国一斉休漁と漁民決起集会の話題がまず冒頭で取り上げられ、日本の第一次産業全体が存亡の危機に立たされている事が、分かりやすく紹介されていました。
一斉休漁の次に紹介された棚田崩壊の実態も凄まじいものでした。ほんの30年ほど前までは美田で鳴らした山口県の棚田が、次々に耕作を放棄され雑草が生い茂る荒地にまで変貌し、その隣の集落も全員移住で廃村と化した様は、もう見ているだけでも痛々しかったです。
戦後1950年代ぐらいまではほぼ100%近かった日本の食糧自給率が、何故今の39%に至るまで下落してきたのか。この番組はそこにもきちんと焦点を当てていました。それが言わずと知れた米国の小麦戦略です。米国は自国の余剰農産物を世界支配の武器に使ってきました。貧しい第三世界の国々に自由競争を押し付けて、余剰農産物をダンピング輸出し、当該国の胃袋を支配してきたのです。戦後米国に支配された日本は、その格好のモデルケースとなりました。学校給食に積極的にパン食が導入されたのも、まず次世代の子供に狙いを定めて、偏に国民の食生活を米国好みのものに改造する為でした。そして日本農民には減反や機械化が押し付けられ、重化学工業主導の高度経済成長と相まって、日本の食料自給率はどんどん低下していきました。
「日本に農業などいらない、日本はひたすら工業製品を輸出して、食料は米国や豪州から買えば良い」というのが、日米財界の教えでした。そうして米国は軍事力や食糧で、日本は工業力で、世界を支配したのです。「国益」というのは、そういう資本家の私益を誤魔化す為の、レトリックに他なりません。とにかく自分たちの私益を守る事が最優先で、日本国民の食の安全性や安定確保など、本当は二の次、三の次だったのです。
しかし、それが曲がりなりにも機能していたのは、世界の食糧供給にまだ余裕があったからです。やがて地球温暖化の影響で、異常気象や大干ばつ、大洪水が世界各地で頻発するようになります。農産物輸出国は、ますます自国民の食糧確保を優先するようになります。或いは米国の様に、更に食糧を世界支配の道具にする国も出てきます。これらの大きな食糧輸出国は、自国の農業は高関税や補助金で守りながら、貧しい第三世界や日本のような国々には、WTOを通して関税撤廃や補助金削減を迫っているのです。正にダブル・スタンダード(二重基準)、エコヒイキの最たる姿です。
この様な、大規模な環境破壊を伴う米国流の「安かろう悪かろう」農業・食生活ではダメだ。家族経営を母体としたヨーロッパ型の小規模・高付加価値農業の発展で、国土保全や食の安全性、食文化保持を図ろう。大量消費ではなく、フード・マイレージ(地産地消)やスロー・フードな食生活を。――これが、先述のTBS「食糧危機」特番の結論でした。
当該番組は、食糧危機の問題を、単に漁船の燃料費高騰の現象面だけでなく、その背景にある食糧自給率の低下や、農業荒廃、米国の食糧戦略の実態まで踏み込んで分かりやすく解説した、稀に見る良い番組でした。昨今の視聴率稼ぎが見え見えの三流バラエティ番組の氾濫の中で、大手資本がスポンサーの民放が、よくぞここまで踏み込んだ番組を作れたものだと、感心しました。
しかし、その上で敢えて注文を付けるならば、更にもう一捻りが必要なのでは、という感じも同時に持ちました。更に求められる一捻りとは、【この結論では、下手すれば、単なる一国ユートピア的な地産地消・「ロハス」・「国産品愛用」運動のレベルに止まってしまうだけではないか?】という懸念に、どう答えるかという事です。
自然破壊の大量消費でジャンクフード漬けの生活ではなく、地産地消や環境に優しい農業・食生活の方が、そりゃあ良いのに決まっています。しかし世界の現実は、記事添付の「遺伝子組み換え作物の国別栽培状況」図が示す通りであるのも、また冷厳な事実なのです。多分、米国産牛肉の輸入自由化の次には、遺伝子組み換え作物の輸入自由化が俎上に上ってくる可能性が大です。それに対抗するには、狭い一国ユートピア的な「ロハス」・「国産品愛用」運動のレベルでは、不十分ではないでしょうか。
以前でしたか、東京都内のお蕎麦屋さんで拉致問題の取り組みをした団体がありました。当該団体のイベントを紹介する掲示板投稿の中に、「グローバル化なんて糞食らえだ、我々はあくまで日本古来の伝統を守るのだ、だから拉致問題のイベントもお蕎麦屋さんで行うのだ」というものがありました。
しかし私に言わせると、「蕎麦も大半が外国産なのに、今頃何を言っているのかなw」という感じでしかありませんでした。更に言うならば、先の7月15日に行われた燃費高騰抗議の漁民決起集会には、靖国派右翼議員の稲田朋美も参加していましたが、彼女こそ小泉チルドレンの一員として、今まで散々「新自由主義の手先」として振舞ってきたくせに、何を自分の都合の良い時だけ「愛国者気取り」でいるのか、と。
但し、これは別に右翼だけに限った話ではなく、左翼・リベラルにも同じ様な事が言えるのです。日本生協連が、先の中国産冷凍餃子事件に続いて、ハーフ・カシミヤ・セーターの件でもお詫びの広告を出していますが、こういうのを見ると、「生協よ、お前もか」「所詮は生協もモンサント社と似たようなものじゃないか」と思ってしまいます。いくら一国単位で地産地消を追及しても、それだけでは、単なる一国ユートピア主義的な「国産品愛好」運動でしかない。
本当にグローバリゼーションの矛盾を乗り越えようとするならば、こんな「国産品愛好」運動の枠なぞ超えて、「ダーウィンの悪夢」「おいしいコーヒーの真実」などの映画の題材ともなった国際間の搾取・貧困・格差体制そのものの止揚・廃絶を目指すべきです。そういうフェアトレードや反帝国主義の視点を欠いた、単なる「ロハス」・「国産品愛好」レベルの反・新自由主義、反グローバリズム運動では、結局は「ミイラ取りがミイラになってしまう」結果にしかならないのではないでしょうか。
・シリーズ日本の食2008 Vol.4 日本から魚が消える日(朝日放送・素敵な宇宙船地球号)
米国の後を追う飽食中国、しかし同一モデルの日本がそれを笑えるか?
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/2008/20080413/index.html
・〈格差の現場:1〉農業 高齢化、山間地耕作阻む(朝日新聞)
番組でも取り上げられた山口県中山間地に広がる耕作放棄の惨状。
http://www2.asahi.com/senkyo2007/localnews/yamaguchi/SEB200706200013.html
・「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活(鈴木猛夫)
「食糧自給出来ない国は他国の言いなりになる」とブッシュ自ら白状しているのに・・・。
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/book423.htm
・ソバの収穫高と輸入量・及びソバの自給率(大阪・上方の蕎麦)
蕎麦ですら自給率21%の現状抜きに、「国産品愛好」を唱えても無駄。
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/soba-jikyuu.html
・モンサント社7つの大罪(グリーンピース・ジャパン)
http://greenpeace.or.jp/docs/gm/monsanto.pdf
・遺伝子組み換え作物の国別栽培状況(日本モンサント)
上記7つの大罪を他所に、栽培地は世界に広がる。
http://www.monsanto.co.jp/data/countries/index.shtml
・巨大魚めぐる負のグローバル化~映画「ダーウィンの悪夢」(JANJAN)
我々が大量消費する冷凍魚がアフリカの生態系を破壊し貧困を拡大する。
http://www.news.janjan.jp/culture/0609/0609240680/1.php
・映画「おいしいコーヒーの真実」公式HP
300円コーヒーのうちで原産国農民の取り分は僅か数円。
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/
・「ハーフカシミヤセーター・シリーズ」についてのお詫び(日生協)
生協も、所詮はモンサント社と五十歩百歩だったのか・・・?
http://jccu.coop/info/announcement/2008/07/post_318.html
先日閉幕した洞爺湖サミットでは、鳴り物入りの「環境サミット」の宣伝とは裏腹に、何も成果が出ませんでした。最も焦眉の課題である地球温暖化防止についても、独・英2国が確実にCO2削減で成果を挙げているのとは対照的に、日本や米国は常にその足を引っ張ってきました。食糧・エネルギー価格高騰の一因ともなっている投機マネーの規制や、南北問題・途上国の累積債務問題についても、何ら解決の道筋を示す事が出来ませんでした。それどころか、あろうことか、地球温暖化防止の名目で、何と原発推進を謳うという醜態まで曝け出してしまいました。今回の洞爺湖サミットには何ら得る所が無かった事が、各種世論調査の結果にも如実に現れている事も、既に私がコメント等で明らかにした通りです。
しかしそれでも、「政府はよくやった」とか「地球温暖化よりも経済成長や国益が大事」という人も、まだまだ少なくありません。実際に私の周囲にも、「温暖化の主因は中国・インドであるのに日本は悪く言われすぎている」とか、「原発こそ温暖化防止の切り札だ」という人が少なからず居ます。それに電力会社も悪乗りして、下記の関電HPに見られるが如く、盛んに原発推進を煽っています。
確かに、その次のJCCCA資料(上記画像)で、現時点での各国別CO2排出量を見る限りでは、米国22%に次いで中国19%や、インド一国で既に4%を占めるなど、EU16%、ロシア6%、日本5%と肩を並べる水準にまで至っているのは事実です。しかし、それを国民一人当たりの排出量で引き直すと、主要排出国はやはり日・米・欧州などのG8諸国という事になってしまいます。
G8諸国は、産業革命以来の数百年に渡ってCO2を排出してきたという意味で、中国・インドその他の途上国とはまた別の、特別に重い責任があるのです。歴代の排出に責任を負う意味から率先して範を示さなけばならないと同時に、途上国の排出削減をも技術的に支援しなければならないという、2つの意味において。
その中で、EU諸国はまだしも、曲がりなりにも一定の責任を果たしつつあると言えます。それに対して日米サイドがよく言い訳に持ち出してくるのが、「90年という基準年そのものが、最初からEUに有利なものであった」という理屈です。つまり、90年代EUのCO2削減は、「ベルリンの壁」崩壊に伴う経済後退に因るものでしかなく、必ずしもEUの自助努力によるものではない、と。
しかし、それは事実に反しています。EUがCO2削減で成果を出しつつあるのは、別に「ベルリンの壁」崩壊に伴う経済活動の停滞だけが、その要因ではありません。ドイツや英国などは、一国単位で見ても確実にCO2を削減しているのです。何故それが出来たのか。それは、これらの国々には市民社会が根付き、「環境は人権」との合意が産業界をも含めて、広範囲に存在しているからに他なりません。そこが、公的保険制度もロクスッポ存在しない米国や、戦後になってやっと建前だけでも主権在民や生存権を謳う憲法を持つ事が出来た日本などの、社会的人権の観念が希薄な「新自由主義」諸国との決定的な違いです。
この様に、EUがまだ曲がりなりにも、国や産業界も含めて「環境権」保障の立場に立っているのに引き換え、もう一方の「新自由主義」諸国はというと、京都議定書や気候変動枠組条約の取り組みから勝手に離脱するわ、バイオ燃料買占めで食糧需給の逼迫をもたらすわ、原発推進を公言するわと、もう足を引っ張りまくっているのです。そして、「環境人権」諸国からその事を指摘されると、自分たちのそれまでの行状は棚に上げて、やれ「EUは最初から下駄を履かせて貰っている」だの「途上国に甘く自分たちに厳しいルール」だのと、他者に罪を擦り付ける事ばかりに汲々として。
その挙句に、「温暖化防止」の対案が「原発推進」とは・・・マジで呆れました。斯く言う私も、環境問題に特に造詣が深いという訳ではないのですが、それでも昔少しは取った杵柄、現行の原発がエコの代替とはとても成らない事ぐらいは、少し考えただけでも分かります。
そもそも、核燃料の再処理技術が未確立のままで、平然と操業し続けている原発が、地球環境に優しい筈など在る訳ないじゃないですか。自分の出した放射能糞の始末も出来ないで、分解も中和もせずにそのまま野壷に溜め込むしか能が無い、そんな状態のままで。一時期は再処理の切り札として盛んに喧伝されたプルサーマルや高速増殖炉にしても、それが何の役にも立たない代物である事は、「もんじゅ」の事故を見れば一目瞭然です。
それに加えて、安全性に疑問符が付きます。何も知らないくせに、ただ何となく「日本の原発はロシアや中国とは違って安全だ」と思い込んでいる人をよく見かけますが、それが何の根拠も無いマヤカシである事は、少しでも原発の実態を知れば直ぐに分かります。
ご存知の通り原発は、核反応の熱で高温・高圧の一次・二次「冷却水」を循環させ、その力でタービンを回して発電しています。特に一次冷却水の段階では、何と300℃程もある熱湯が、高圧を掛けられて液体のまま原子炉配管内を循環しているのです。施設の経年劣化たるや凄まじいもので、常時点検や補修が必要です。しかし、その度に原発を停止していたら膨大なコストが掛かります。勢い原発を稼動したままで、5分や10分、放射能濃度の高い場所では僅か数十秒の間に、所定の点検・補修作業を終えなければなりません。配管のネジ一つ締め直すのにも数人から十数人掛りの作業なのです。そんな状況下では、ネジを締め間違えたり工具を置き忘れたりという事は日常茶飯事で、表沙汰にならない事故も決して少なくはない筈です。
原発が喧伝する安全教育も、結構いい加減な代物です。そうまでしてコストを切り詰める電力会社が、どこの馬の骨とも分からない原発ジプシーの為に、宇宙服や酸素マスクなど用意する筈がありませんし、そもそも、そんな物を着ていては作業になりません。作業員の着用する防護服は、実は放射能謀議機能も何も無い只の作業服なのです。それを作業終了後は使い回しせずに廃棄する事で、放射能を管理区域外に持ち出さない様にしているだけなのです。会社の安全教育は、その実態を隠す為の、単なる洗脳教育にしか過ぎません。
そもそも、そんなに安全に留意しているのなら、何故、あいりん地区からコソコソと原発ジプシーを連れて来るのか。何故、堂々とハローワークで募集を掛けないのか。また何故、電力消費地の京阪神から遠く、送電コストも掛かる福井県や和歌山県に(計画中のものも含めて)、渋る市町村には無理やり飴玉しゃぶらせる様な真似をして、原発を立地させるのか。何故、大阪の南港に原発を作らないのか。本当は、原発が安全だとはとても言えない事を、自分たちも実はとっくに知っていて、それを如何にも安全であるかの様に、言い繕っているだけではないのか。
原発にはその他に、核兵器や劣化ウラン弾の開発・製造にも結びつく軍事転用の問題があります。だから米国も、自国やイスラエルにおけるこれらの問題には目を瞑りながら、シリアやイランの原子力開発には一々難癖を付けるのです。原発は、たとえ米国のものであれイランのものであれ、環境破壊の元凶である事には変わりないので、どちらも廃棄するのが望ましいですが、自分の所はお咎めなしで他人の所にばかり言い掛かりを付ける姿勢では、誰も耳を貸しません。
以上、殆ど素人の私が少し調べてもこれだけの矛盾があるのに、それをいとも簡単に「原発は火力発電よりもCO2排出量が少ないからエコだ」「かくして洞爺湖サミットは成功裏に終わった」なんて言ってのける心理が、私には理解出来ません。
それもこれも、「地球温暖化を食い止める為に如何に行動すべきか」という本質を見ないで、只ひたすらCO2削減の「数合わせ」だけに汲々としているから、そうなるのです。そうして私利私欲に汲々としているのを、「国益」という曖昧な言葉で誤魔化しているだけなのです。もう、国民をバカにしている、舐め切っているとしか思えません。しかし、国民もそこまでバカではありません。それが証拠に、先のネット世論調査でも、「幾ら笛吹けど殆ど誰も耳を貸さず」という結果となって現れているではありませんか。こんな「裸の王様」政府など、もはや一刻も早く退陣在るのみ。
(参考資料)
・エネルギー安全保障と気候変動に関する主要経済国首脳会合宣言(仮訳)(北海道洞爺湖サミット公式HP)
http://www.g8summit.go.jp/doc/doc080709_10_ka.html
・CO2の少ない電気(関電HP)
http://www.kepco.co.jp/kankyou/co2/reduction.html
・世界の二酸化炭素排出量に占める主要国の排出割合と各国の一人当たりの排出量の比較(2005年)(JCCCA)
http://www.jccca.org/content/view/1041/781/
・地球温暖化対策に関する基本方針に「原発推進」を明記することについて(WWF)
http://www.wwf.or.jp/news/press/1999/p99031501.htm
・原発がどんなものか知ってほしい(平井憲夫)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
・世界が直面する地球温暖化問題(平田仁子)
http://www.dear.or.jp/world/warming/index_com01.html
・WWF・EU ETSに関する評価報告書の概要(WWFジャパン)
これを見ると、ドイツや英国が一国単位でも確実に90年比でCO2を削減しているのが分かります。その両国とて必ずしも手放しで賞賛出来るものではありませんが、少なくともその取り組み姿勢においては、凡そ日米とは比較になりません。
http://www.wwf.or.jp/activity/climate/japan/torihiki/2006euets.pdf
(関連記事)
・新自由主義G8談合粉砕! 人民の対抗サミット万歳!
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/7ada42dc277a9bb09ef965394c444ca9
しかしそれでも、「政府はよくやった」とか「地球温暖化よりも経済成長や国益が大事」という人も、まだまだ少なくありません。実際に私の周囲にも、「温暖化の主因は中国・インドであるのに日本は悪く言われすぎている」とか、「原発こそ温暖化防止の切り札だ」という人が少なからず居ます。それに電力会社も悪乗りして、下記の関電HPに見られるが如く、盛んに原発推進を煽っています。
確かに、その次のJCCCA資料(上記画像)で、現時点での各国別CO2排出量を見る限りでは、米国22%に次いで中国19%や、インド一国で既に4%を占めるなど、EU16%、ロシア6%、日本5%と肩を並べる水準にまで至っているのは事実です。しかし、それを国民一人当たりの排出量で引き直すと、主要排出国はやはり日・米・欧州などのG8諸国という事になってしまいます。
G8諸国は、産業革命以来の数百年に渡ってCO2を排出してきたという意味で、中国・インドその他の途上国とはまた別の、特別に重い責任があるのです。歴代の排出に責任を負う意味から率先して範を示さなけばならないと同時に、途上国の排出削減をも技術的に支援しなければならないという、2つの意味において。
その中で、EU諸国はまだしも、曲がりなりにも一定の責任を果たしつつあると言えます。それに対して日米サイドがよく言い訳に持ち出してくるのが、「90年という基準年そのものが、最初からEUに有利なものであった」という理屈です。つまり、90年代EUのCO2削減は、「ベルリンの壁」崩壊に伴う経済後退に因るものでしかなく、必ずしもEUの自助努力によるものではない、と。
しかし、それは事実に反しています。EUがCO2削減で成果を出しつつあるのは、別に「ベルリンの壁」崩壊に伴う経済活動の停滞だけが、その要因ではありません。ドイツや英国などは、一国単位で見ても確実にCO2を削減しているのです。何故それが出来たのか。それは、これらの国々には市民社会が根付き、「環境は人権」との合意が産業界をも含めて、広範囲に存在しているからに他なりません。そこが、公的保険制度もロクスッポ存在しない米国や、戦後になってやっと建前だけでも主権在民や生存権を謳う憲法を持つ事が出来た日本などの、社会的人権の観念が希薄な「新自由主義」諸国との決定的な違いです。
この様に、EUがまだ曲がりなりにも、国や産業界も含めて「環境権」保障の立場に立っているのに引き換え、もう一方の「新自由主義」諸国はというと、京都議定書や気候変動枠組条約の取り組みから勝手に離脱するわ、バイオ燃料買占めで食糧需給の逼迫をもたらすわ、原発推進を公言するわと、もう足を引っ張りまくっているのです。そして、「環境人権」諸国からその事を指摘されると、自分たちのそれまでの行状は棚に上げて、やれ「EUは最初から下駄を履かせて貰っている」だの「途上国に甘く自分たちに厳しいルール」だのと、他者に罪を擦り付ける事ばかりに汲々として。
その挙句に、「温暖化防止」の対案が「原発推進」とは・・・マジで呆れました。斯く言う私も、環境問題に特に造詣が深いという訳ではないのですが、それでも昔少しは取った杵柄、現行の原発がエコの代替とはとても成らない事ぐらいは、少し考えただけでも分かります。
そもそも、核燃料の再処理技術が未確立のままで、平然と操業し続けている原発が、地球環境に優しい筈など在る訳ないじゃないですか。自分の出した放射能糞の始末も出来ないで、分解も中和もせずにそのまま野壷に溜め込むしか能が無い、そんな状態のままで。一時期は再処理の切り札として盛んに喧伝されたプルサーマルや高速増殖炉にしても、それが何の役にも立たない代物である事は、「もんじゅ」の事故を見れば一目瞭然です。
それに加えて、安全性に疑問符が付きます。何も知らないくせに、ただ何となく「日本の原発はロシアや中国とは違って安全だ」と思い込んでいる人をよく見かけますが、それが何の根拠も無いマヤカシである事は、少しでも原発の実態を知れば直ぐに分かります。
ご存知の通り原発は、核反応の熱で高温・高圧の一次・二次「冷却水」を循環させ、その力でタービンを回して発電しています。特に一次冷却水の段階では、何と300℃程もある熱湯が、高圧を掛けられて液体のまま原子炉配管内を循環しているのです。施設の経年劣化たるや凄まじいもので、常時点検や補修が必要です。しかし、その度に原発を停止していたら膨大なコストが掛かります。勢い原発を稼動したままで、5分や10分、放射能濃度の高い場所では僅か数十秒の間に、所定の点検・補修作業を終えなければなりません。配管のネジ一つ締め直すのにも数人から十数人掛りの作業なのです。そんな状況下では、ネジを締め間違えたり工具を置き忘れたりという事は日常茶飯事で、表沙汰にならない事故も決して少なくはない筈です。
原発が喧伝する安全教育も、結構いい加減な代物です。そうまでしてコストを切り詰める電力会社が、どこの馬の骨とも分からない原発ジプシーの為に、宇宙服や酸素マスクなど用意する筈がありませんし、そもそも、そんな物を着ていては作業になりません。作業員の着用する防護服は、実は放射能謀議機能も何も無い只の作業服なのです。それを作業終了後は使い回しせずに廃棄する事で、放射能を管理区域外に持ち出さない様にしているだけなのです。会社の安全教育は、その実態を隠す為の、単なる洗脳教育にしか過ぎません。
そもそも、そんなに安全に留意しているのなら、何故、あいりん地区からコソコソと原発ジプシーを連れて来るのか。何故、堂々とハローワークで募集を掛けないのか。また何故、電力消費地の京阪神から遠く、送電コストも掛かる福井県や和歌山県に(計画中のものも含めて)、渋る市町村には無理やり飴玉しゃぶらせる様な真似をして、原発を立地させるのか。何故、大阪の南港に原発を作らないのか。本当は、原発が安全だとはとても言えない事を、自分たちも実はとっくに知っていて、それを如何にも安全であるかの様に、言い繕っているだけではないのか。
原発にはその他に、核兵器や劣化ウラン弾の開発・製造にも結びつく軍事転用の問題があります。だから米国も、自国やイスラエルにおけるこれらの問題には目を瞑りながら、シリアやイランの原子力開発には一々難癖を付けるのです。原発は、たとえ米国のものであれイランのものであれ、環境破壊の元凶である事には変わりないので、どちらも廃棄するのが望ましいですが、自分の所はお咎めなしで他人の所にばかり言い掛かりを付ける姿勢では、誰も耳を貸しません。
以上、殆ど素人の私が少し調べてもこれだけの矛盾があるのに、それをいとも簡単に「原発は火力発電よりもCO2排出量が少ないからエコだ」「かくして洞爺湖サミットは成功裏に終わった」なんて言ってのける心理が、私には理解出来ません。
それもこれも、「地球温暖化を食い止める為に如何に行動すべきか」という本質を見ないで、只ひたすらCO2削減の「数合わせ」だけに汲々としているから、そうなるのです。そうして私利私欲に汲々としているのを、「国益」という曖昧な言葉で誤魔化しているだけなのです。もう、国民をバカにしている、舐め切っているとしか思えません。しかし、国民もそこまでバカではありません。それが証拠に、先のネット世論調査でも、「幾ら笛吹けど殆ど誰も耳を貸さず」という結果となって現れているではありませんか。こんな「裸の王様」政府など、もはや一刻も早く退陣在るのみ。
(参考資料)
・エネルギー安全保障と気候変動に関する主要経済国首脳会合宣言(仮訳)(北海道洞爺湖サミット公式HP)
http://www.g8summit.go.jp/doc/doc080709_10_ka.html
・CO2の少ない電気(関電HP)
http://www.kepco.co.jp/kankyou/co2/reduction.html
・世界の二酸化炭素排出量に占める主要国の排出割合と各国の一人当たりの排出量の比較(2005年)(JCCCA)
http://www.jccca.org/content/view/1041/781/
・地球温暖化対策に関する基本方針に「原発推進」を明記することについて(WWF)
http://www.wwf.or.jp/news/press/1999/p99031501.htm
・原発がどんなものか知ってほしい(平井憲夫)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
・世界が直面する地球温暖化問題(平田仁子)
http://www.dear.or.jp/world/warming/index_com01.html
・WWF・EU ETSに関する評価報告書の概要(WWFジャパン)
これを見ると、ドイツや英国が一国単位でも確実に90年比でCO2を削減しているのが分かります。その両国とて必ずしも手放しで賞賛出来るものではありませんが、少なくともその取り組み姿勢においては、凡そ日米とは比較になりません。
http://www.wwf.or.jp/activity/climate/japan/torihiki/2006euets.pdf
(関連記事)
・新自由主義G8談合粉砕! 人民の対抗サミット万歳!
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/7ada42dc277a9bb09ef965394c444ca9
業突く張り(G)が集い、ハッタリ(8)の言い合いで終わるサミット。強盗資本主義(G)擁護の本質はひた隠し、恥さらし(8)な嘘で塗り固めただけのサミット。世界の軍事支出の70%、武器輸出の90%、これまでの数百年間に渡るCO2排出量の62%を占める8つの軍事大国=G8の集まり。
来日するのは、イラク戦争の張本人・ブッシュ(米)に、そのポチ・ブラウン(英)、札付きのファシスト・ベルルスコーニ(伊)、人種差別主義者・サルコジ(仏)、ロシアの金正日・プーチンの傀儡(露)、等々といった面々。190余の国連加盟国のうちの、ホンの一握りの「勝ち組」だけ。こんな奴等の為に国民の税金が使われ、至るところ交通検問だらけで、駅のロッカーも全面禁止。
食料・燃料価格高騰、飢餓拡大・食糧暴動を尻目に、投機資本主義の跳梁跋扈を指をくわえて放置。それどころかバイオ燃料買占めで、貧しい第三世界諸国を更に窮地に追い込む。
その一方で、「財界にとって旨味が少ないから」という理由だけで、幾らでも米が作れるにも関わらず、無理やり減反して外国から米を輸入。そうして、国内農業を潰し、途上国から農産物を安く買い叩き。その結果、幾ら途上国の農業が輸出依存の農薬漬けになり、そこの農民が借金漬けになろうが、日本の食生活が食品添加物まみれのジャンクフードだらけになろうが、そんな事は知ったこっちゃない。あとは野となれ山となれ、てか。
地球温暖化の問題でも、四の五の言うばかり、手をこまねくばかりで。京都議定書のホスト国として、90年比でCO2排出量6%削減を約束した日本が、逆に6%も増やして。それを欧州から批判されると、やにわに逆切れし、「欧州の日本叩き」とまで言い出す始末で。その挙句に、「地球温暖化防止より石油メジャー権益擁護」の米国と一緒になって、中国やインドに責任転嫁。
最近になって言い始めた「2050年までにCO2半減」というのも、「第二約束期間での中期目標達成」のやる気がないのを、先延ばしで誤魔化しているだけ。日米がそんな体たらくだから、中国・インドも付いて来ないのに、その事には全然気付かず。
その挙句に、地球温暖化防止を単に「低炭素社会の実現」と言い換えて、あろうことか、「核のゴミ」プルトニウムや放射能を垂れ流す原発推進の口実にするとは。そのくせ、太陽光・地熱・風力発電などの自然エネルギーの開発・利用促進はまったく企業任せにして、自らは全然リーダーシップを取ろうとせず。
こんなの、誰が考えてもオカシイじゃないか。「欧州の日本叩き」?そんな事を言っている間にも、ヒマラヤの氷河や北極海の氷がどんどん溶け出し、南太平洋の島々が海面に沈んでいくというのに。地球滅亡を前にして、国益もヘッタクレも無いだろう(呆)。何のことは無い、G8サミットって、ただの「裸の王様」たちの集まりじゃないか。
もう沢山だ。こんな、ホリエモンやグッドウィル折口の守護神たちによる、新自由主義「勝ち組」サミットなどナンセンス! 全世界の先住民・被抑圧人民・プレカリアートたちによる対抗サミットで、真に自由・公正で民主的な「もう一つの世界」をつくろう!
-------------------------------
(以下転載)
「貧困」と「不安定雇用」と「社会的排除」はもうたくさんだ!!反G8札幌行動
G8サミットは、「先進8カ国首脳」の勝手な談合であるにもかかわらず、弱肉強食の新自由主義=市場原理絶対主義を各国に押し付け、世界の政治・経済を牛耳ってきました。労働・福祉問題では、特に94年の労働大臣会合の開催以降、「労働市場の改革」=雇用の流動化・不安定化と「社会保障の適正化」=失業保険や生活保護などのセーフティーネット・所得再配分策の削減を、毎年繰り返し主張してきました。その結果、雇用は一層不安定化し、格差と貧困が深刻化し、福祉施策は切り捨てられ、社会的弱者は排除され、基本的人権が脅かされています。働いても生活保護以下の収入しか得られず社会の底辺で苦しむ私たち・仲間たちも、新自由主義政策の犠牲者です。一部の特権的な者たちのためにこの政策を推進してきたのが、G8サミットです。様々な生活現場から、そして国内外の各地から、サミットが開催される北海道の地へ抗議の意思表明に仲間たちが訪れます。これらの人々と情報を交換し、連帯して、ともにG8サミットに反対の声を上げましょう。
(参考資料)
・反G8札幌行動のチラシ
http://www.jca.apc.org/alt-g8/files/saporo_bira_0627_02.pdf
・G8サミットを問う連絡会
http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/poverty-labor
・G8サミットQ&A
http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/node/33
・集会決議:日本政府による海外の友人、仲間の入国妨害と不当逮捕に抗議します
http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/node/429
・WATCH (サミット人権監視弁護士ネットワーク
http://blog.goo.ne.jp/watch-summit/
・反G8サミット北海道(アイヌモシリ)連絡会
http://renrakukai.blogspot.com/
・G8市民メディアセンター札幌実行委員会
http://imc-sapporo.blogspot.com/
・北海道洞爺湖サミット(日本政府の公式HP)
http://www.g8summit.go.jp/index.html
(関連記事)
・「原発でエコ」のウソがまかり通る異常
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/c76b7dc13523c2f1e92306f6c3913d13
来日するのは、イラク戦争の張本人・ブッシュ(米)に、そのポチ・ブラウン(英)、札付きのファシスト・ベルルスコーニ(伊)、人種差別主義者・サルコジ(仏)、ロシアの金正日・プーチンの傀儡(露)、等々といった面々。190余の国連加盟国のうちの、ホンの一握りの「勝ち組」だけ。こんな奴等の為に国民の税金が使われ、至るところ交通検問だらけで、駅のロッカーも全面禁止。
食料・燃料価格高騰、飢餓拡大・食糧暴動を尻目に、投機資本主義の跳梁跋扈を指をくわえて放置。それどころかバイオ燃料買占めで、貧しい第三世界諸国を更に窮地に追い込む。
その一方で、「財界にとって旨味が少ないから」という理由だけで、幾らでも米が作れるにも関わらず、無理やり減反して外国から米を輸入。そうして、国内農業を潰し、途上国から農産物を安く買い叩き。その結果、幾ら途上国の農業が輸出依存の農薬漬けになり、そこの農民が借金漬けになろうが、日本の食生活が食品添加物まみれのジャンクフードだらけになろうが、そんな事は知ったこっちゃない。あとは野となれ山となれ、てか。
地球温暖化の問題でも、四の五の言うばかり、手をこまねくばかりで。京都議定書のホスト国として、90年比でCO2排出量6%削減を約束した日本が、逆に6%も増やして。それを欧州から批判されると、やにわに逆切れし、「欧州の日本叩き」とまで言い出す始末で。その挙句に、「地球温暖化防止より石油メジャー権益擁護」の米国と一緒になって、中国やインドに責任転嫁。
最近になって言い始めた「2050年までにCO2半減」というのも、「第二約束期間での中期目標達成」のやる気がないのを、先延ばしで誤魔化しているだけ。日米がそんな体たらくだから、中国・インドも付いて来ないのに、その事には全然気付かず。
その挙句に、地球温暖化防止を単に「低炭素社会の実現」と言い換えて、あろうことか、「核のゴミ」プルトニウムや放射能を垂れ流す原発推進の口実にするとは。そのくせ、太陽光・地熱・風力発電などの自然エネルギーの開発・利用促進はまったく企業任せにして、自らは全然リーダーシップを取ろうとせず。
こんなの、誰が考えてもオカシイじゃないか。「欧州の日本叩き」?そんな事を言っている間にも、ヒマラヤの氷河や北極海の氷がどんどん溶け出し、南太平洋の島々が海面に沈んでいくというのに。地球滅亡を前にして、国益もヘッタクレも無いだろう(呆)。何のことは無い、G8サミットって、ただの「裸の王様」たちの集まりじゃないか。
もう沢山だ。こんな、ホリエモンやグッドウィル折口の守護神たちによる、新自由主義「勝ち組」サミットなどナンセンス! 全世界の先住民・被抑圧人民・プレカリアートたちによる対抗サミットで、真に自由・公正で民主的な「もう一つの世界」をつくろう!
-------------------------------
(以下転載)
「貧困」と「不安定雇用」と「社会的排除」はもうたくさんだ!!反G8札幌行動
G8サミットは、「先進8カ国首脳」の勝手な談合であるにもかかわらず、弱肉強食の新自由主義=市場原理絶対主義を各国に押し付け、世界の政治・経済を牛耳ってきました。労働・福祉問題では、特に94年の労働大臣会合の開催以降、「労働市場の改革」=雇用の流動化・不安定化と「社会保障の適正化」=失業保険や生活保護などのセーフティーネット・所得再配分策の削減を、毎年繰り返し主張してきました。その結果、雇用は一層不安定化し、格差と貧困が深刻化し、福祉施策は切り捨てられ、社会的弱者は排除され、基本的人権が脅かされています。働いても生活保護以下の収入しか得られず社会の底辺で苦しむ私たち・仲間たちも、新自由主義政策の犠牲者です。一部の特権的な者たちのためにこの政策を推進してきたのが、G8サミットです。様々な生活現場から、そして国内外の各地から、サミットが開催される北海道の地へ抗議の意思表明に仲間たちが訪れます。これらの人々と情報を交換し、連帯して、ともにG8サミットに反対の声を上げましょう。
(参考資料)
・反G8札幌行動のチラシ
http://www.jca.apc.org/alt-g8/files/saporo_bira_0627_02.pdf
・G8サミットを問う連絡会
http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/poverty-labor
・G8サミットQ&A
http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/node/33
・集会決議:日本政府による海外の友人、仲間の入国妨害と不当逮捕に抗議します
http://www.jca.apc.org/alt-g8/ja/node/429
・WATCH (サミット人権監視弁護士ネットワーク
http://blog.goo.ne.jp/watch-summit/
・反G8サミット北海道(アイヌモシリ)連絡会
http://renrakukai.blogspot.com/
・G8市民メディアセンター札幌実行委員会
http://imc-sapporo.blogspot.com/
・北海道洞爺湖サミット(日本政府の公式HP)
http://www.g8summit.go.jp/index.html
(関連記事)
・「原発でエコ」のウソがまかり通る異常
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/c76b7dc13523c2f1e92306f6c3913d13
私が森事件に遭遇し、秋葉原通り魔事件を契機に、派遣・請負労働の現状に思いを巡らしている間に、北朝鮮関連で大きなニュースがありました。今回はその件で、遅まきながら、少し思う所について書きたいと思います。この間の北朝鮮関連の大きなニュースというのは、勿論次の2つです。
・脱北女性が、「帰国事業の虚偽宣伝に騙された」と、朝鮮総連を提訴。
・北朝鮮が核計画の申告を行い、米国がその見返りにテロ支援国の指定解除に踏み出す。
まず最初に、脱北女性による朝鮮総連提訴のニュースから。以下、産経新聞の記事から引用します。
>「地上の楽園」などと虚偽の宣伝がなされた帰還事業で北朝鮮に渡り、強制収容所などで肉体的、精神的苦痛を受けたとして、脱北した大阪府在住で韓国籍の千葉優美子さん(47)=韓国名・高政美=が13日、帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を相手取り、慰謝料など約1100万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
>千葉さんは「朝鮮総連は北朝鮮を『地上の楽園』と称し、実情を秘して在日朝鮮人を誤信させた」と主張。帰還事業は在日朝鮮人を労働者や人質として利用するためのもので、「囚人や奴隷と変わらない生活を強いられた。脱北失敗後は殴るけるなどの激しい拷問を受けた」としている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080613/trl0806131145006-n1.htm
私は、産経新聞なんてゴミ以下の存在だと思っているのですが、その中で唯一評価しているのが、こういうニュースをきちんと伝えている点です。他にこのニュースを伝えたのは、ウェブ版で見る限りだと、後は共同通信ぐらいでした。勿論、その裏には、北朝鮮問題を「左翼叩き、自民党政府ヨイショ」の「格好のネタ」として重宝している、フジ・産経グループの思惑がある事も、百も承知の上ですが。それでも事実は事実として、詳しく伝えてくれるのは、有難い点です。
帰国事業の問題については、旧サイト時代から何度となく言及してきたので、余りくどくは書きませんが、戦前から今に至るまで、日帝の旧植民地として差別され(近年の韓流ブームで緩和されつつあるとは言え)、戦後は北朝鮮政府によっても、帰国した親族を人質に取られ、日朝両国支配層の思惑に翻弄されてきたのが、これらの人たちです。原告が大阪在住で、裁判も大阪地裁で進められる事件なので、私としても、ささやかではあっても、何らかの形で原告の方を支援していきたいと思います。このニュースについては、既に訴状の全文が、沢村さんのサイトや「薔薇、または陽だまりの猫」さんのブログにアップされていますので、詳細についてはそちらも参照して下さい。
http://www11.ocn.ne.jp/~rachi/sojou.htm
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/9c6b29b5f45d173af4dcc907e6178130
その他の、マルコス・ボカサと同レベルのどこぞの国の大統領が北朝鮮をテロ支援国リストから外したとか、そのお礼に北朝鮮がどこか中古の原子炉冷却塔を爆破したとか、あと何人か拉致被害者が帰ってくるかも知れないとか、そういうニュースも色々流れていますが、私は、そんなニュースにはあんまり興味がないです。「どうでも良い」とまでは言いませんが、そんな日・米・朝・その他の国の為政者・支配層の一挙手一投足に、いちいち一喜一憂して振り回されるというのも、何だか癪に障るので。こちらの方も、一応ニュース・ソースを下記に添付しておきますので、詳しくはそちらを参照して下さい。
・7/7緊急国民集会を開催-家族会・救う会・拉致議連(救う会ニュース)
http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1563
・テロ支援国指定の解除について(調査会ニュース)
http://www.chosa-kai.jp/news/comjannews0806.html
・拉致再調査「近く具体化」=町村官房長官が表明-対北朝鮮(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2008062900164
・核問題解決進展を演出? 北朝鮮が冷却塔爆破(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080627/kor0806272022012-n1.htm
・かすむ「拉致」福田政権打つ手なし 北朝鮮のテロ指定国家解除へ(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080626/plc0806262010014-n1.htm
・今後の活動(荒木和博BLOG)
http://araki.way-nifty.com/araki/2008/06/post_c44a.html
・『テロ指定解除』(青木直人BLOG)
http://aoki.trycomp.com/2008/06/post-47.html
それらの「あんまり興味が湧かない」ニュースの中でも、とりわけ「興味が湧かない」のが、最初の「どこぞの国の大統領による、北朝鮮のテロ支援国リスト外し」のニュースです。
確かに、南北朝鮮が休戦ラインを挟んで互いににらみ合っている状況から脱却し、将来の東北アジア非核・平和地帯構築に至る、一つの可能性を示すという点では、歓迎すべきニュースなのかも知れませんが。しかし、一番肝心なのは、「それらの国の人民の生活・権利状況がどう変化するか」という点です。それを抜きにして、支配者同士の手打ちの宴に一喜一憂するだけでは、旧ソ連の、1960年頃のフルシチョフ外交や、80年代のゴルバチョフ外交とも、そう変わらないのでは。
当時も、「米ソ雪解け」「平和共存」「デタント」「新思考」だの散々言われましたが、その実、アメリカ帝国主義の侵略的性格が全然変わらなかったのは、今のイラク戦争が見事に証明していますし、旧ソ連の「収容所列島」としての本質も、その後のソ連崩壊で初めてその全貌が明るみになった訳で。
しかも、60年代のベトナム人民や、当時から今に至るまでのキューバ人民は、その「米ソの雪解け」時代(70年代以降はそれに中国も加わる)に、米国の侵略や経済封鎖と対峙し続けた末に、ベトナムは最終的に勝利を勝ち取り、キューバも今や勝利しつつあるのです。
現在、米国が「テロ支援国」=「悪の枢軸」と名指ししているのは、北朝鮮・イラン・シリア・キューバ・スーダンの5ヶ国で、それらの国々には、武器関連の輸出・販売禁止、経済援助禁止、世界銀行による融資の規制措置が執られています。しかし、そもそもこれら5ヶ国の選定基準そのものが、米国の勝手都合による恣意的なものですが、その事はここでは問いません。ただ、キューバ一つ例にとっても、そんな米国による恣意的な「テロ支援国」=「悪の枢軸」規定など、キューバにとっては、決定的な打撃には全然なっていないではありませんか。
確かに、米国の経済封鎖によって、キューバ経済は大きな重荷を背負わされています。しかし、ラテンアメリカの大多数の人民にとっては、軍事政権の人権弾圧に手を貸し、内政干渉を行い、経済的に搾取する米国こそが「悪の枢軸、テロ国家」であり、反対にキューバこそが、医療援助や識字活動支援を行う「救世主」となっているではありませんか。今や中南米諸国で続々と、新自由主義に反旗を翻す左派・中道左派政権が誕生しているのは、一体何故なのか。米国とキューバを比較して、どちらの言い分が真実かを、当該地域の人民が、理屈ではなく身体で理解しているからに、他ならないからではないですか。
要は、ここで言いたいかというと、ブッシュが勝手にこしらえた「テロとの戦い」という枠組みに、いつまでも囚われる事自体が、私に言わせれば、「ナンセンス」だという事です。十年一日の如く、そんな枠組みに囚われて、それに「下駄の雪」宜しくどこまでも阿諛追従してみせたり、逆に米国のその時々の「変節」にことさら反発して、日本が米国にとって代わって「テロとの戦い」を主導するんだ、みたいな事を云々する事自体が、それほど意味のある事だとは、到底思えないのですが。
ここで少し面白い話をします。カストロと並ぶキューバ革命の英雄チェ・ゲバラが、少なくないチベット人活動家にとっても、中国への抵抗運動の象徴として捉えられている事実があるのです。
チベットの抵抗運動というと、日本では兎角、社会主義中国に対する右派民族主義運動として捉えている向きが多いようです。しかし、世界に目を転じると、また違った事実にも気付かされます。たとえば、若き日のペマ・ギャルポさんが一時期チェ・ゲバラに心酔していた事とか、ブラジルのチベット問題NGOがゲバラの旗を掲げていたりとか、そういう事例も少なからず見受けられるのです。また、ゲバラそのものも、昨今の「蟹工船」ブームほどハッキリした形ではありませんが、世界的にはちょっとしたブームで、ゲバラTシャツが人気を呼んだりしているのです。
それは何故か。詳しい事は私にもよく分かりませんが、多分、キューバ革命直後の頃から既にソ連の官僚制や人権抑圧には批判的で、カストロとも袂を分かち最後まで革命家としての人生を全うしたゲバラに対して、レーニンや毛沢東にはない「人間的」側面を、彼の中に見出しているのではないかと思われます。
・アレイダ・ゲバラ氏来日講演会のお知らせ(アテナ・ジャパン)
http://www.atenajapan.com/news/pdf/aleida03.pdf
http://www.atenajapan.com/
・ゲバラの娘、連帯を語る(高世仁の「諸悪莫作」日記)
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080517
・月刊プレイボーイ特集「チェ・ゲバラ、ぶれない男」(記事写真参照)
http://m-playboy.shueisha.co.jp/playboy_special/index.html
翻って、北朝鮮人権問題。かつて「救う会」は、ブッシュの向こうを張って、「拉致はテロだ」というスローガンを掲げました。当時は、小泉訪朝を契機に、拉致問題が表面化し、北朝鮮・金正日体制下の様々な人権抑圧が明らかになった時期でした。それはまた同時に、米国で911テロが勃発し、アフガン・イラク戦争にのめり込み、日本でも小泉政権が靖国参拝を強行し、ネットウヨク的言説がインターネットを占拠した時期でもありました。そんな時代だったからこそ、そんなスローガンが自然と大衆の中に入り込んで行ったのでしょう。
しかし今はどうか。その小泉政治の所為で日本は急速に格差社会化し、「勝ち組」に対する怨嗟の念が、秋葉原通り魔殺人事件加害者ですら一部からは「負け組」の救世主にまで押し上げられる時代となりました。そんな中で、往時の「拉致はテロだ」スローガンを叫んでも、果たして何人の方が振り向くでしょうか。振り向く人も確かにまだまだ少なくはないでしょうが、往時の勢いほどには顧みられないのは確かでしょう。
それどころか、下手をすれば「俺らワーキングプアが日々職場で経験しているピンハネ・パワハラ・セクハラこそ、政府・財界・派遣会社によるテロじゃないか!」「ひたすら勝ち組が負け組を支配する平和よりも、下克上でのし上がれる可能性もある戦争を望む」「何が「拉致はテロだ」じゃ、テロをそういう風に、異国から来た工作員の仕業としてしか捉えられないのも、所詮は政府御用の、守るべき家庭も資産もある人間による、ヌクヌク保守の運動だからじゃないか」とも、受け取られかねないのではないでしょうか。
そんな時代に、北朝鮮問題に世間の目を再び振り向かせようとするには、もうこれしかないのでは―「あくまで、人権抑圧国家への抵抗運動、北朝鮮の被抑圧人民の解放運動としての原点を、握って離さない事」。そう考えてこそ、「テロとの戦い」とか「拉致はテロだ」とかいうスローガンを掲げる事自体が、抵抗運動・解放運動にとっては「自縄自縛」「自殺行為」以外の何物でもないという事も、初めて自ずと明らかになります。実際、中国政府が東トルキスタンやチベットで少数民族を弾圧するのに、正にこのブッシュの「テロとの戦い」の論理を援用しているのですから。
そうではなく、あくまでも前記の原点に立脚してこそ、一旦は離れた「負け組」の目を、再び北朝鮮・拉致問題に振り向けさせる事が出来るのではないでしょうか。その為には、今の「救う会」の様な、兎角「反共」「保守再生」イデオロギーにのみ固執した、右派だけの視野の狭い運動ではなく、チベットNGOの様に、右の「法輪講」支持者からリベラルの「アムネスティ」や左の「ゲバラ」支持者まで、前記の原点で一致出来る全ての人士を網羅した、幅広い裾野を持つ運動を展開していかなければならないのではないでしょうか。
それと、上記の提起とも関連するのですが、今のマスコミの北朝鮮問題の取り上げ方も、私は「大いに問題あり」という気がして仕方がありません。これはあくまでも私が見た感じなので、今すぐに具体的な番組名なり記事名を挙げて論証する所までは行かないのですが。
これはどういう事かと言うと、特に今の北朝鮮関連のテレビ・ニュースなり特集番組を見て感じるのは、余りにも興味本位の「見てくれ」や「お涙頂戴」に偏し、視聴率稼ぎのセンセーショナリズムに走っているのが、露骨に目に付きだしたという事です。新聞では、以前から産経新聞にその傾向が顕著でしたが、テレビではもう大なり小なり、どの放送局でもそれが目に付く。確かに中には、以前見たチョン・ウォルソンさんの半生記や、石丸次郎さんの北朝鮮国内ルポ・ジャーナリスト誕生秘話の様な、本当に見ごたえのある優れた番組もあるのですが、それ以外の大半が、やれ「テポドン」だどうの「喜び組」がこうの、「金のどら息子がお忍びでTDLにやって来た」だとか、そういう番組が一時期からやたら鼻に付くようになりました。
そしてNHKの「拉致命令放送」、あれも何だかねえ。凡そどんな番組でも、編集者が誰からも干渉されずに、ひたすら自己の良心に基づいて製作された番組こそが、初めて真に人の心を打つのです。たとえば、政府・財界の圧力に屈せず第三弾に渡って放送されたNHKのワーキングプア特集番組などは、その好例です。あの番組も、誰かの命令で作らされていたら、あれほどの良い番組にはならなかったでしょう。たとえそれが「ワーキングプアの悲惨さをことさら強調しろ」という命令であったとしても。
ところが「命令放送」以降は特に、NHKのニュース番組で北朝鮮・拉致問題が取り上げられる回数こそ確かに増えたものの、その中身はといえば、安倍内閣なり福田内閣のサイドからの、単なる政府広報番組としか思えないものが、やたら増えたような気がして、仕方がない。私はもう、この手の番組はNHKであろうが民放であろうが、一切見ないようにしています。わざわざ自分の時間を割いてまで、見ようとは思わない。それもこれも、「救う会」などの運動団体が偏に、「人権抑圧国家への抵抗運動、北朝鮮の被抑圧人民の解放運動としての原点」をどこかに置き忘れ、「国家(具体的には日米両国)頼みの、時の政権におんぶにだっこの、解放同盟の右翼版みたいな運動」になってしまったからではないでしょうか。
私が、朝鮮総連を訴えた高政美(千葉優美子)さんの境遇には自分も思いを馳せる事が出来るのに引き換え、「拉致はテロだ」というスローガンにはことさら違和感しか感じ取れない原因も、多分今まで述べた点にあるからではないでしょうか。
・脱北女性が、「帰国事業の虚偽宣伝に騙された」と、朝鮮総連を提訴。
・北朝鮮が核計画の申告を行い、米国がその見返りにテロ支援国の指定解除に踏み出す。
まず最初に、脱北女性による朝鮮総連提訴のニュースから。以下、産経新聞の記事から引用します。
>「地上の楽園」などと虚偽の宣伝がなされた帰還事業で北朝鮮に渡り、強制収容所などで肉体的、精神的苦痛を受けたとして、脱北した大阪府在住で韓国籍の千葉優美子さん(47)=韓国名・高政美=が13日、帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を相手取り、慰謝料など約1100万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
>千葉さんは「朝鮮総連は北朝鮮を『地上の楽園』と称し、実情を秘して在日朝鮮人を誤信させた」と主張。帰還事業は在日朝鮮人を労働者や人質として利用するためのもので、「囚人や奴隷と変わらない生活を強いられた。脱北失敗後は殴るけるなどの激しい拷問を受けた」としている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080613/trl0806131145006-n1.htm
私は、産経新聞なんてゴミ以下の存在だと思っているのですが、その中で唯一評価しているのが、こういうニュースをきちんと伝えている点です。他にこのニュースを伝えたのは、ウェブ版で見る限りだと、後は共同通信ぐらいでした。勿論、その裏には、北朝鮮問題を「左翼叩き、自民党政府ヨイショ」の「格好のネタ」として重宝している、フジ・産経グループの思惑がある事も、百も承知の上ですが。それでも事実は事実として、詳しく伝えてくれるのは、有難い点です。
帰国事業の問題については、旧サイト時代から何度となく言及してきたので、余りくどくは書きませんが、戦前から今に至るまで、日帝の旧植民地として差別され(近年の韓流ブームで緩和されつつあるとは言え)、戦後は北朝鮮政府によっても、帰国した親族を人質に取られ、日朝両国支配層の思惑に翻弄されてきたのが、これらの人たちです。原告が大阪在住で、裁判も大阪地裁で進められる事件なので、私としても、ささやかではあっても、何らかの形で原告の方を支援していきたいと思います。このニュースについては、既に訴状の全文が、沢村さんのサイトや「薔薇、または陽だまりの猫」さんのブログにアップされていますので、詳細についてはそちらも参照して下さい。
http://www11.ocn.ne.jp/~rachi/sojou.htm
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/9c6b29b5f45d173af4dcc907e6178130
その他の、マルコス・ボカサと同レベルのどこぞの国の大統領が北朝鮮をテロ支援国リストから外したとか、そのお礼に北朝鮮がどこか中古の原子炉冷却塔を爆破したとか、あと何人か拉致被害者が帰ってくるかも知れないとか、そういうニュースも色々流れていますが、私は、そんなニュースにはあんまり興味がないです。「どうでも良い」とまでは言いませんが、そんな日・米・朝・その他の国の為政者・支配層の一挙手一投足に、いちいち一喜一憂して振り回されるというのも、何だか癪に障るので。こちらの方も、一応ニュース・ソースを下記に添付しておきますので、詳しくはそちらを参照して下さい。
・7/7緊急国民集会を開催-家族会・救う会・拉致議連(救う会ニュース)
http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1563
・テロ支援国指定の解除について(調査会ニュース)
http://www.chosa-kai.jp/news/comjannews0806.html
・拉致再調査「近く具体化」=町村官房長官が表明-対北朝鮮(時事通信)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2008062900164
・核問題解決進展を演出? 北朝鮮が冷却塔爆破(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080627/kor0806272022012-n1.htm
・かすむ「拉致」福田政権打つ手なし 北朝鮮のテロ指定国家解除へ(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080626/plc0806262010014-n1.htm
・今後の活動(荒木和博BLOG)
http://araki.way-nifty.com/araki/2008/06/post_c44a.html
・『テロ指定解除』(青木直人BLOG)
http://aoki.trycomp.com/2008/06/post-47.html
それらの「あんまり興味が湧かない」ニュースの中でも、とりわけ「興味が湧かない」のが、最初の「どこぞの国の大統領による、北朝鮮のテロ支援国リスト外し」のニュースです。
確かに、南北朝鮮が休戦ラインを挟んで互いににらみ合っている状況から脱却し、将来の東北アジア非核・平和地帯構築に至る、一つの可能性を示すという点では、歓迎すべきニュースなのかも知れませんが。しかし、一番肝心なのは、「それらの国の人民の生活・権利状況がどう変化するか」という点です。それを抜きにして、支配者同士の手打ちの宴に一喜一憂するだけでは、旧ソ連の、1960年頃のフルシチョフ外交や、80年代のゴルバチョフ外交とも、そう変わらないのでは。
当時も、「米ソ雪解け」「平和共存」「デタント」「新思考」だの散々言われましたが、その実、アメリカ帝国主義の侵略的性格が全然変わらなかったのは、今のイラク戦争が見事に証明していますし、旧ソ連の「収容所列島」としての本質も、その後のソ連崩壊で初めてその全貌が明るみになった訳で。
しかも、60年代のベトナム人民や、当時から今に至るまでのキューバ人民は、その「米ソの雪解け」時代(70年代以降はそれに中国も加わる)に、米国の侵略や経済封鎖と対峙し続けた末に、ベトナムは最終的に勝利を勝ち取り、キューバも今や勝利しつつあるのです。
現在、米国が「テロ支援国」=「悪の枢軸」と名指ししているのは、北朝鮮・イラン・シリア・キューバ・スーダンの5ヶ国で、それらの国々には、武器関連の輸出・販売禁止、経済援助禁止、世界銀行による融資の規制措置が執られています。しかし、そもそもこれら5ヶ国の選定基準そのものが、米国の勝手都合による恣意的なものですが、その事はここでは問いません。ただ、キューバ一つ例にとっても、そんな米国による恣意的な「テロ支援国」=「悪の枢軸」規定など、キューバにとっては、決定的な打撃には全然なっていないではありませんか。
確かに、米国の経済封鎖によって、キューバ経済は大きな重荷を背負わされています。しかし、ラテンアメリカの大多数の人民にとっては、軍事政権の人権弾圧に手を貸し、内政干渉を行い、経済的に搾取する米国こそが「悪の枢軸、テロ国家」であり、反対にキューバこそが、医療援助や識字活動支援を行う「救世主」となっているではありませんか。今や中南米諸国で続々と、新自由主義に反旗を翻す左派・中道左派政権が誕生しているのは、一体何故なのか。米国とキューバを比較して、どちらの言い分が真実かを、当該地域の人民が、理屈ではなく身体で理解しているからに、他ならないからではないですか。
要は、ここで言いたいかというと、ブッシュが勝手にこしらえた「テロとの戦い」という枠組みに、いつまでも囚われる事自体が、私に言わせれば、「ナンセンス」だという事です。十年一日の如く、そんな枠組みに囚われて、それに「下駄の雪」宜しくどこまでも阿諛追従してみせたり、逆に米国のその時々の「変節」にことさら反発して、日本が米国にとって代わって「テロとの戦い」を主導するんだ、みたいな事を云々する事自体が、それほど意味のある事だとは、到底思えないのですが。
ここで少し面白い話をします。カストロと並ぶキューバ革命の英雄チェ・ゲバラが、少なくないチベット人活動家にとっても、中国への抵抗運動の象徴として捉えられている事実があるのです。
チベットの抵抗運動というと、日本では兎角、社会主義中国に対する右派民族主義運動として捉えている向きが多いようです。しかし、世界に目を転じると、また違った事実にも気付かされます。たとえば、若き日のペマ・ギャルポさんが一時期チェ・ゲバラに心酔していた事とか、ブラジルのチベット問題NGOがゲバラの旗を掲げていたりとか、そういう事例も少なからず見受けられるのです。また、ゲバラそのものも、昨今の「蟹工船」ブームほどハッキリした形ではありませんが、世界的にはちょっとしたブームで、ゲバラTシャツが人気を呼んだりしているのです。
それは何故か。詳しい事は私にもよく分かりませんが、多分、キューバ革命直後の頃から既にソ連の官僚制や人権抑圧には批判的で、カストロとも袂を分かち最後まで革命家としての人生を全うしたゲバラに対して、レーニンや毛沢東にはない「人間的」側面を、彼の中に見出しているのではないかと思われます。
・アレイダ・ゲバラ氏来日講演会のお知らせ(アテナ・ジャパン)
http://www.atenajapan.com/news/pdf/aleida03.pdf
http://www.atenajapan.com/
・ゲバラの娘、連帯を語る(高世仁の「諸悪莫作」日記)
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080517
・月刊プレイボーイ特集「チェ・ゲバラ、ぶれない男」(記事写真参照)
http://m-playboy.shueisha.co.jp/playboy_special/index.html
翻って、北朝鮮人権問題。かつて「救う会」は、ブッシュの向こうを張って、「拉致はテロだ」というスローガンを掲げました。当時は、小泉訪朝を契機に、拉致問題が表面化し、北朝鮮・金正日体制下の様々な人権抑圧が明らかになった時期でした。それはまた同時に、米国で911テロが勃発し、アフガン・イラク戦争にのめり込み、日本でも小泉政権が靖国参拝を強行し、ネットウヨク的言説がインターネットを占拠した時期でもありました。そんな時代だったからこそ、そんなスローガンが自然と大衆の中に入り込んで行ったのでしょう。
しかし今はどうか。その小泉政治の所為で日本は急速に格差社会化し、「勝ち組」に対する怨嗟の念が、秋葉原通り魔殺人事件加害者ですら一部からは「負け組」の救世主にまで押し上げられる時代となりました。そんな中で、往時の「拉致はテロだ」スローガンを叫んでも、果たして何人の方が振り向くでしょうか。振り向く人も確かにまだまだ少なくはないでしょうが、往時の勢いほどには顧みられないのは確かでしょう。
それどころか、下手をすれば「俺らワーキングプアが日々職場で経験しているピンハネ・パワハラ・セクハラこそ、政府・財界・派遣会社によるテロじゃないか!」「ひたすら勝ち組が負け組を支配する平和よりも、下克上でのし上がれる可能性もある戦争を望む」「何が「拉致はテロだ」じゃ、テロをそういう風に、異国から来た工作員の仕業としてしか捉えられないのも、所詮は政府御用の、守るべき家庭も資産もある人間による、ヌクヌク保守の運動だからじゃないか」とも、受け取られかねないのではないでしょうか。
そんな時代に、北朝鮮問題に世間の目を再び振り向かせようとするには、もうこれしかないのでは―「あくまで、人権抑圧国家への抵抗運動、北朝鮮の被抑圧人民の解放運動としての原点を、握って離さない事」。そう考えてこそ、「テロとの戦い」とか「拉致はテロだ」とかいうスローガンを掲げる事自体が、抵抗運動・解放運動にとっては「自縄自縛」「自殺行為」以外の何物でもないという事も、初めて自ずと明らかになります。実際、中国政府が東トルキスタンやチベットで少数民族を弾圧するのに、正にこのブッシュの「テロとの戦い」の論理を援用しているのですから。
そうではなく、あくまでも前記の原点に立脚してこそ、一旦は離れた「負け組」の目を、再び北朝鮮・拉致問題に振り向けさせる事が出来るのではないでしょうか。その為には、今の「救う会」の様な、兎角「反共」「保守再生」イデオロギーにのみ固執した、右派だけの視野の狭い運動ではなく、チベットNGOの様に、右の「法輪講」支持者からリベラルの「アムネスティ」や左の「ゲバラ」支持者まで、前記の原点で一致出来る全ての人士を網羅した、幅広い裾野を持つ運動を展開していかなければならないのではないでしょうか。
それと、上記の提起とも関連するのですが、今のマスコミの北朝鮮問題の取り上げ方も、私は「大いに問題あり」という気がして仕方がありません。これはあくまでも私が見た感じなので、今すぐに具体的な番組名なり記事名を挙げて論証する所までは行かないのですが。
これはどういう事かと言うと、特に今の北朝鮮関連のテレビ・ニュースなり特集番組を見て感じるのは、余りにも興味本位の「見てくれ」や「お涙頂戴」に偏し、視聴率稼ぎのセンセーショナリズムに走っているのが、露骨に目に付きだしたという事です。新聞では、以前から産経新聞にその傾向が顕著でしたが、テレビではもう大なり小なり、どの放送局でもそれが目に付く。確かに中には、以前見たチョン・ウォルソンさんの半生記や、石丸次郎さんの北朝鮮国内ルポ・ジャーナリスト誕生秘話の様な、本当に見ごたえのある優れた番組もあるのですが、それ以外の大半が、やれ「テポドン」だどうの「喜び組」がこうの、「金のどら息子がお忍びでTDLにやって来た」だとか、そういう番組が一時期からやたら鼻に付くようになりました。
そしてNHKの「拉致命令放送」、あれも何だかねえ。凡そどんな番組でも、編集者が誰からも干渉されずに、ひたすら自己の良心に基づいて製作された番組こそが、初めて真に人の心を打つのです。たとえば、政府・財界の圧力に屈せず第三弾に渡って放送されたNHKのワーキングプア特集番組などは、その好例です。あの番組も、誰かの命令で作らされていたら、あれほどの良い番組にはならなかったでしょう。たとえそれが「ワーキングプアの悲惨さをことさら強調しろ」という命令であったとしても。
ところが「命令放送」以降は特に、NHKのニュース番組で北朝鮮・拉致問題が取り上げられる回数こそ確かに増えたものの、その中身はといえば、安倍内閣なり福田内閣のサイドからの、単なる政府広報番組としか思えないものが、やたら増えたような気がして、仕方がない。私はもう、この手の番組はNHKであろうが民放であろうが、一切見ないようにしています。わざわざ自分の時間を割いてまで、見ようとは思わない。それもこれも、「救う会」などの運動団体が偏に、「人権抑圧国家への抵抗運動、北朝鮮の被抑圧人民の解放運動としての原点」をどこかに置き忘れ、「国家(具体的には日米両国)頼みの、時の政権におんぶにだっこの、解放同盟の右翼版みたいな運動」になってしまったからではないでしょうか。
私が、朝鮮総連を訴えた高政美(千葉優美子)さんの境遇には自分も思いを馳せる事が出来るのに引き換え、「拉致はテロだ」というスローガンにはことさら違和感しか感じ取れない原因も、多分今まで述べた点にあるからではないでしょうか。