既にブログにも書いた通り、私の勤め先は9月から新しい体制になります。作業システムも社名も勤務時間も制服も大幅に変わります。
今日その新しい制服や安全靴が支給され、上記の貸与規定にサインさせられました。
しかし、その貸与規定の内容のせこい事。今まで支給されなかった安全靴が支給されるようになったのは一歩前進ですが、制服や制帽を洗濯して返さなかっただけで、いちいち500円とか1000円とか徴収しますか?
確かに返却時には洗濯して返すのが当然ですが、それも時と場合によるでしょう。急な災害の被害に遭って退職を余儀なくされた場合にも、洗濯せずに返したからと言って、お金を取るのですかね。洗濯どころか返却する余裕すらない場合だって少なくないのに。
そんな事まで言うのだったら、こちらも、今まで自腹で購入した軍手や安全靴の代金を会社に請求してやりましょうか。延滞利息や、誰かさんみたいに「慰謝料」も上乗せして。(買った時の領収書を保管しておくべきだった)
クリーニング代徴収なんかより先に、もっと他にやるべき事が一杯あるだろうが!!!
前の記事では「順法闘争の芽生え」なんて事を書いたものの、もうバカらしくてこんな所で仕事する気にならなくなりました。
だってそうでしょう。ここは仮にも物流センターですよ。それが何で納品も出荷(収納)も同じ場所で、身動きも取れないような状態の中で、怪我の危険に怯えながら働かなければならないのですか。作業や収納の為のスペースが充分に確保され、物や人が淀みなく整然と流れてこそ、物流センターと言えるのじゃないですか。それが身動きも取れず怪我の危険に怯えながら仕事しなければならないとは。これではレンタルの資材置場やトンネル工事現場などとも何ら変わりません。
商品を入れる所と出す所(出す為に置いておく所)が同じと言うのは、家に例えれば玄関とトイレが同じ部屋という事です。郵便局や宅急便の兄ちゃんが「判子下さい」と玄関のドアを開けたら、家の人が外にお尻を向けて大便している様を想像してみて下さい。それがどれだけ異常な事か分かるでしょう。
既に何人かのバイトとは「一体今の状態についてどう思う」という話もしました。聞くと確かに皆も「こんな状態おかしい」「仕事がやりにくい」「もうブチ切れる寸前」と口々に言います。中には「こうしたら良いのと違うか」と対案を示す人もいます。でも、誰も何も会社や上司には言いません。いや個人的には言ったりもしている様ですが、それが声となって現れません。
その一方で、私も含めて、皆それぞれ仕事を抱えており、いつまでも他人の事には構っていられません。どうせ会社に言っても仕方ないので、とにかく目の前の自分の仕事を片付けようと、後先の事も考えずに、夕方には後ろで仕分けしていた分まで一斉に前に持ってきます。今ですら身動き取れなくなっているのに。
もうバカらしくてやってられないので、今の仕事を続けながら、また転職活動を再開する事にしました。
幸い、社員の方で勤務シフトを組み間違えて、申請もしていないのに私は今週27~29日を3連休にされてしまいました。前半の2日は定休で最後の1日が有休です。そのしわ寄せで、先週は6日連続ぶっ通しで出勤させられるというオマケまで付いて。社員の裁量で組む定休についてはまだしも、申請もしていない有休を何故勝手に放り込まれたのか。社員に尋ねたら、どうやら先月の有休を今月も勘違いして入れてしまった様です。
私は当初、勝手に入れられた有休なぞ取り消して29日は出勤するつもりでしたが、前述の理由で心変わりし、再び29日の有休も生かして3連休を転職活動に充てる事にしました。
そこで3連休の初日に、ハローワークで見つけてきたのが上記の求人票です。勤務地は大阪市中央区の、市の外郭団体が運営する会館です。結婚式場も併設されています。そこの事務・企画職です。
当初は、この求人については余り応募に乗り気ではありませんでした。会館のHPを見ても、一体どんな用途で使われ、どんな特色があるのか良く分かりませんでした。単なる役人の天下り先ぐらいにしか思っていませんでした。でも良く調べたら、これまでこのブログでも取りあげて来た集会にも使われたりしています。そこには実際に私も足を運んだ事がありました。そう言えば、おしゃれなカフェテラスもあったなあ・・・と、徐々に応募する気が湧いて来ました。
給与は月15~16万円と今より若干低めですが(上記求人票の青色下線部参照)、これは土・日に加え祝日も休みだからでしょう。私の所は土・日・祝日なんてお構いなしに、会社のシフトで休みが割り振られます。一応事前に希望日の打診はありますが。年間休日数が同じなら給与は今と同じ水準でしょう。
何より嬉しいのが、準社員だが契約更新が原則で、正社員登用や定年後の再雇用制度がある事(同上、赤色下線部参照)。この手の自治体関連の求人は、大抵が半年や1年限り、長くても2年で雇止めとなるケースが大半ですから。仕事の有無ではなく予算が付くか付かないかで、契約が更新されたり雇止めにされたりするのです。
しかし、「履歴書だけでなく職務経歴書も送れ」と言われたのには、ハタと困ってしまいました。今まで殆ど物流関係の仕事ばかりしてきたので、畑違いの職種に転職しようにも、自慢出来るキャリアがありません。フォークリフト運転免許や「はい作業主任者」の資格なんて、上記の職場では何の役にも立ちません。
でも、それでも敢えてこの仕事を選んだのには訳があります。それは、一つには「腰痛を抱えたまま、いつまでもガテン系の仕事ばかりしていられない」という消極的な動機からです。これは現実問題そうなのだから仕方ありません。しかし、それとは別に「退職後に折角身に付けたパソコンの技能やブログの文章力を生かしたいし、それが市民運動やNGOの手助けになるなら更に願ったり叶ったり」という積極的な動機もあるのです。
結局、志望動機は「生協で培った食品安全性や環境問題の知見と、物流業務で培った作業効率化や業務改善の手法に加え、退職後に自学で培ったパソコン・インターネット技能も生かして、市民運動やNGO活動を支援したい」という内容で、どうにかソツなくまとめました。
「PC基本操作が必要」との事なので、履歴書も職務経歴書も無料作成ソフトをダウンロードしてパソコンで作成したので、志望動機さえ決まれば後は比較的スムーズに作業が進みました。
ただ、過度に期待は出来ないでしょう。たった1名の採用枠に、この時点で応募者は既に10名に膨れ上がっていましたから。
サイゾー 2013年 05月号 [雑誌] | |
クリエーター情報なし | |
サイゾー |
しかし、その後はバイト求人誌を見て幾つかチェックしたものの、もう応募は全て取りやめて残りを全て休養に充てる事にしました。求人誌に載っている様な仕事は営業かガテン系が大半で、かなりの確率でブラック企業に遭遇する可能性も高いですから。今更、腰痛を抱えて、今と同じ様な仕事や会社に転職した所で何もなりません。
特に、上の「月刊サイゾー」今年5月号(?)の記事「耐えても逃げても終わらない! ブラック企業“負の連鎖”をどう断ち切る?」の、NPO法人「労働相談センター」副理事長・須田光照さんの下記の発言を読んだ後は、一層その感を強くしました。
―みんな、ブラック企業に当たってしまった自分は運が悪くて、転職すればホワイトな会社に行けるんじゃないかという幻想を抱いている。でも、僕らは7000件の事例を見ていますが、大企業から中小零細まで、正直、ブラック企業ばっかりなんですよ。そこを“運が悪い”と捉えるのではなくて、その環境をどう変えていくか。ブラック企業に入らないようにするのではなく、入った後どうするのか。みんな、自分や家族の生活を守るために隣で働いている人を出し抜いたり、足を引っぱったりして自分だけ生き残るという処世術を身につけてしまっていますが、それは破滅への道でもある。企業内で労働者が立ち上がらなければ何も変わりません。一人では弱いけれど、数が多くなればなるほど力も強くなり、労働者と対等な立場に立てるんです。
―労組は2人以上集まれば組織として認められます。細かい手続きなど必要ありません。会社にとっては厄介な存在ですが、労組は憲法で認められた権利ですから、経営者は不正に解雇したりできない。そこから地域の労組と協力することで、さまざまな交渉ができるようになります。労組というと何かイデオロギーや人権意識が強くないとできない、と思っている人も多いかもしれませんが、そんなことはありません。海外ではごく普通なことですよ。労働三権はすごくよくできたものですし、私たちはそれをもっと上手に生かしていくべきだと思います。
前職場での労働条件切り下げや「モノ扱い」に怒って、単身で労組に加入した私ですら、労組と言えばまだまだ、規約作って役員決めて仲間増やしてビラ撒いて・・・とにかくシンドくて大変で、何か大層な物というイメージがありました。実際、国鉄闘争の記録動画などを見ても、「毛沢東」みたいなオッサンが一杯出てきて、腕章まいて旗押し立てて盛んに当局とやりあって・・・みたいな場面が幾つもありました。
それで方や私の職場はと言うと、芸能人とプロ野球の話しかしない奴とか、競馬友達とか、そんな人の顔しか思い浮かばず、そんな中で、俺だけ「毛沢東」みたいな真似なぞ出来るか・・・と言うイメージでいました。
でも、「労働組合はたった2人からでも作れる」と考えたら、途端に気が楽になりました。念のために、手元にある労働法のテキストやネットの解説も見ましたが、そこでも「団体交渉」や「団体行動(スト・デモ)」で言う所の「団体」とは一体何名からなのか調べたら、「2名以上」と言うのが答えでした。
「規約作って役員決めて、団交(団体交渉)でも会社を向こうに回して啖呵切って」とか「毛沢東」とか出てきたら、流石に私も「うわ~邪魔くさ、もうええわ」となりますが、「たった2人からでも作れる」と考えたら、すっと肩の荷が降りました。既に私は地域労組に個人加盟していますので、後一人誰か入れたら、他の会社から寄せ集めの地域労組ではなく、自分の職場でも自分たちで組合を作れるのです。
勿論、現実には「たった2人」では何程の事も出来ず、もっと大勢の人間が必要なのですが、でも法的には2人揃えば、職場の労働組合として認められて、会社に団体交渉を申し入れる事だって出来るのです。
自分の人生は自分だけの物ですから、転職活動も可能な範囲で続けながら、しかし、ただそれだけでなく、今の職場をどう変えていくかという事も一方で追求して行こうと、今は思っています。
前回の記事で、DAS(ダス)という新しい作業システムの導入が職場で進められている事を書きました。コンベヤで一定振り分けられるものの、最後は人力頼みだった商品の仕分け作業を、最後まで完全にデジタル化する事で、作業の精度・スピード向上に繋げようというのが、DAS導入の目的です。しかし、ハード面で幾らこのような新システムが導入されても、それを支える人材育成や作業管理といったソフト面での向上が全然伴っていないのですから、お話になりません。折角のこの新システムも、この会社では所詮「猫に小判」「宝の持ち腐れ」に終わるだろうと予想しています。
その第一の理由は、応援で来ている人たちの戦力アップが全然図られていない事です。新システムの立ち上げに伴い、多くの人が他の部署や派遣会社から応援に来ていますが、もう来てから一ヶ月以上にもなろうというのに、全然レベルがアップしていません。相変わらず来た頃と同じ様な状態で、ガタガタな積み方で、壊れやすい物の上に重量物を平気で積んだりしています。
確かに商品の種類は千差万別で積み方も人それぞれです。でも、いつも必ず出る定番商品については、出る量や積み方もある程度決まっています。それらの基本を何故最初にきちんと教えないのか。「天地無用」表示の意味(上下を逆に置いてはいけない)も含め。勿論それはバイトも教えますが、基本的には社員の仕事でしょう。そして、社員にバイト教育の環境を整えてあげるのが会社の役割でしょう。でなければ、何の為の社員や会社なのか分かりません。
その一番肝心な事を放置したまま、「将棋の定石」も教えずにいきなり名人と対局させたり、「算数の九九」も教えずにいきなり方程式を解かせるような真似をしても、「猫に小判」「宝の持ち腐れ」にしかなりません。
どうせ「派遣なんて使い捨て、とりあえず頭数さえ揃えれば良い」としか思っていないから、ろくに教育もしないのでしょう。そういう人権無視・人間蔑視のメンタリティは、戦時中の「特攻」「玉砕」と全然変わりません。
そして第二の理由は管理不在です。誰も現場を仕切る人間がおらず、銘々がただ上から言われた事をやるだけ。
元々、建屋の柱の配置などはそのままに中の設備だけを入れ替え、作業しながら工事を進めて来たので、レイアウトに無理があったのでしょう。物流センターなのに納品の一部は収納庫で行われるようになり、後で運ぶ手間を厭い他の商品も無理やり作業場に突っ込まれるので、狭い場所で身動きが取れなくなってしまいました。でも、検品者もピッカー(仕分け作業者)も目の前の自分の仕事をこなす事しか考えない。その結果、待機場所が一杯になっても商品がどんどん放り込まれ、カゴ車やカートのジャングルの中で作業しなければならなくなっています。それでも誰も何も言わず、互いに相手に八つ当たりするばかり。(記事冒頭の写真参照)
こんな状態でどうやって満足に作業が出来ますか。どうやって新人に教育が出来ますか。管理者はいても名目だけで、下に偉そうに威張り散らす奴はいても、誰も責任もって作業管理や人材育成する人はいません。それで万一事故が起こっても、以前の私とMとの労災トラブルの時の様に、会社は多分言い逃れに汲々とするだけでしょう。
DASか何か知りませんが、幾ら新しいシステムを導入しても、現場がこんな状態では所詮「猫に小判」「宝の持ち腐れ」に終わるだけです。
もうやってられないので、私も含めて数人のバイトは、社員の残業指示なぞ無視して、普段は定時の18時に、忙しい週末でも残業1時間後の19時には、どんなに忙しく、仕事が残っていようとも、タイムカードを押して勝手に帰る事にしました。上記の状態では、幾ら残業しても効率が落ちるばかりで「焼け石に水」にしかならないし、いつ何時どんな事故やトラブルにも巻き込まれるか分かりません。もはや長居は無用、最低限の生活費さえ稼げたら後はとっとと避難した方が無難です。
これは何も私が順法闘争(注)を扇動した訳ではありません。また、所属する地域労組の方針で動いている訳でもありません。私が組合に入っているのは、過去の行きがかり上、「掛け捨ての保険」代わりに組合費を払い、何かあった時だけ相談するのみで、職場での日頃での行動については一切ノータッチです。その様な、言わば自然発生的な成り行きで、誰ともなく定時で帰りだした状態に、私もちゃっかり便乗しているだけです。
(注)順法闘争:1970~80年代に、旧国鉄の労働組合(国労・動労)などが、法令・規則違反の過密ダイヤが組まれる中で、敢えて安全確認や規定順守を徹底する事で、職場の劣悪な労働条件や当局の安全軽視を世に訴えようとした争議戦術。残業拒否もその一環として取り組まれた。
でも、ここで「36(サブロク)協定」に足元をすくわれる可能性がある事に注意しなければなりません。
労働基準法の第32条には「休憩時間を除いて1日8時間、週40時間以上働かせてはならない」とあります。これが雇用の基本ルールです。この基本原則に則る限り、労働者に残業を強制する事は出来ません。
しかし、政府や財界はその規定を骨抜きにしようと、今まで例外規定を一杯作って来ました。出退勤自由な(実際には会社の好き勝手に出勤させられる)フレックスタイム制度や、昔は病院や消防などにしか認められなかった夜勤を普通の職場でも出来るようにする為の変形労働時間制などがそうです。
「36(サブロク)協定」もその例外規定の一つです。「労働組合や職場の代表者と別途協定を結べば、その範囲で会社は労働者に残業される事が出来る」という規定で、同じ労働基準法の第36条に書かれています。この協定は、職場の過半数で組織する労働組合や、労組が無い職場では選挙で選ばれた代表と締結し、労働基準監督署にもその内容を届け出なければならない事になっています。これが所謂「36協定」です。(上記写真はその見本:大阪労働局の監修パンフレットより転載)
この協定は大抵の会社にあります。労働組合の無い職場でも、誰かを代表者に仕立て上げれば締結出来るのですから。多分、私の会社にもある筈です。社員が何も知らないだけで。
元々この「36協定」は、やむを得ず残業させる場合でもそれを一定時間内に制限する為に設けられた規定でした。しかし、日本の大企業はこれを逆手に取って、組合選挙に介入して労働組合を会社派の人間で乗っ取ったり、会社の言いなりになるイエスマンにメクラ判をつかせたりして、労働者に事実上残業を強制してきたのです。「ブラック企業」や「過労死」がここまで広まったのも、企業がこの規定を悪用してきたからです。
2008年に、居酒屋チェーン「和民」の女性従業員が、「1日24時間365日働け」と教え込まれ、月140時間以上も残業させられた上に、夜勤明けや休日にも研修やレポート提出を強制されたのを苦に、自殺に追い込まれました。それでも和民の元会長は「あれは労災ではない」と居直り、今度の参議院選挙では自民党からぬけぬけと当選まで果たしてしまいました。こんな無法がまかり通るのも、「36協定」みたいな抜け穴が一杯あるからです。(上記写真は、その女性が残したメモ書きの遺書と、元会長・渡辺美樹の居直りツイッター投稿)
この「36協定」のせいで、「正当な理由なくして残業を拒否できない」といった会社寄りの判決が出た事もありました(例:日立製作所武蔵工場事件・平成3年11月28日最高裁判決)。しかし、これは逆に言えば、健康保持や安全確保などの「正当な理由」さえあれば、たとえ「36協定」が結ばれていても残業は拒否できるという事です。実際、それで逆に労働者側が勝訴の判決も出たりしています(例:トーコロ事件・平成9年11月17日東京高裁判決) 。
http://www.work2.pref.hiroshima.jp/rouqa1/rouqa514.html
和民みたいな会社が大手を振ってまかり通る、今のようなご時世では、「抜け穴だらけの労働基準法」を嘆くよりも、その抜け穴を少しでも埋めるべく、法律でも憲法でも利用できる物はとことん利用してやる(順法闘争)位の気構えが必要なのではないかと痛感します。
この間、仕事が忙しくてブログがなかなか更新出来ませんでした。申し訳ありません。残業続きで帰宅が遅くなっていたのもありますが、それ以上にずっと出勤だったというのが大きいです。それは今も変わりませんが、ずっと何も書かないのも不親切なので、ようやく明日休めるのを機に職場の近況報告を簡単にしておきます。
以前、労災絡みのトラブルについての記事の中で、その労災事故の背景として、職場の改修工事で作業場が狭くなっていた事をあげました。その改修工事は9月からの作業システムの大幅変更に伴うものでした。今や8月も終わり近くとなり、工事もほぼ完成に近づきつつあります。
左の縦長写真2枚がこれまでの作業場(レーン)の様子です。これまでは、各レーンに配置されたバイトが、上からコンベヤで流されてきた商品をローラー部分で受け止め、商品に貼られた店名ラベルを見て、人間の手で更に数店舗に仕分けていました。
それに対し、一番右の横長写真が工事が終わった後の今の様子です。従来のコンベヤ・ローラー設備は全て撤去され、代わりにデジタル表示器がずらっと並んだラックがあちこちに据え付けられました。今後の作業は、このDAS(ダス)という機械で、商品のバーコードをスキャンし、デジタル表示器に示された数量を見て、商品を行先別に仕分けるやり方に変わります。全面的に切り替わるのは9月からで、今はそれに向けて、DASの導入テストを兼ねた実地研修を受けている所です。(注:DAS=デジタル・アソート・システムの略)
今までは人間が商品の店名ラベルを見て商品を仕分けていたのが、今度からは商品のバーコードを機械で読み込んで、デジタル表示の出荷数を見ながら商品を仕分けるようになります。従来の人間の目と手だけの作業から、機械も導入しての、誤配防止と生産性向上に繋げようというのが、会社がこのシステムに変えた理由です。
しかし、作業者は他にも大勢います。その大勢の人間が、色んな商品を持って、同時に同じ場所で出荷作業に入っても混乱しないように、どの色のデジタル表示を見ながら作業するかを、バーコードをスキャンする時に予め決めます。色は赤・青・緑・黄・白の5色から選べるので、5人まで同時に作業出来ます。
商品のバーコードを機械で読み込むと、作業場通路の頭上にある「通路表示器」に読み込んだ人の色のランプが点灯します。この場合は青と赤が点灯しています(左上写真)。それと同時に、ラックの上の「数量表示器」にも、今仕分けしている作業者が選んだ青色の点滅と、青色で出荷している商品のオーダー数が示されます。仕分け中の別の作業者が選んだ赤色のランプも同時に点きますが、オーダー数はあくまでも青色で現在出荷作業中の商品の数しか表示されません(右上写真)。
そこで、赤色で作業している人は、自分が出荷作業をする時は、「数量表示器」の赤色ボタンを押して(点滅が青から赤に変わる)、数字の表示を青色(で登録した商品)から赤色に変えます(左上写真)。そうして、赤色の作業者の方が早く終われば、「通路表示器」のランプも赤色は先に消え、まだ作業が残っている青色だけになります(右上写真)。
何もトラブルがなければ、「数量表示器」も「通路表示器」も仕分け終了と同時に消灯します。若し、ランプが消えたのにまだ商品が残っていたり、逆に商品が先になくなってしまったら、それはどこかで誤配しているという事なので、作業者は再度データと現物を照合します。そうやって誤配防止と作業のスピードアップを図ろうとしているのです。
ただ、これまでは、担当レーンでコンベヤやローラーを流れてきた商品を数店舗に振り分けるだけで良かったのが、今度からは、自分が商品を持って作業場内を移動しながら振り分けていかなければならなくなります。その分、作業終了まで更に時間がかかるようになるので、9月からは始業時間も9時から早朝7時に2時間繰り上がります。また始発前後の電車で出勤する事になります。そんな中で、どれだけブログに時間を割く事が出来るか分かりませんが、兎に角、頑張って行ける所まで行こうと思っています。
以前、労災絡みのトラブルについての記事の中で、その労災事故の背景として、職場の改修工事で作業場が狭くなっていた事をあげました。その改修工事は9月からの作業システムの大幅変更に伴うものでした。今や8月も終わり近くとなり、工事もほぼ完成に近づきつつあります。
左の縦長写真2枚がこれまでの作業場(レーン)の様子です。これまでは、各レーンに配置されたバイトが、上からコンベヤで流されてきた商品をローラー部分で受け止め、商品に貼られた店名ラベルを見て、人間の手で更に数店舗に仕分けていました。
それに対し、一番右の横長写真が工事が終わった後の今の様子です。従来のコンベヤ・ローラー設備は全て撤去され、代わりにデジタル表示器がずらっと並んだラックがあちこちに据え付けられました。今後の作業は、このDAS(ダス)という機械で、商品のバーコードをスキャンし、デジタル表示器に示された数量を見て、商品を行先別に仕分けるやり方に変わります。全面的に切り替わるのは9月からで、今はそれに向けて、DASの導入テストを兼ねた実地研修を受けている所です。(注:DAS=デジタル・アソート・システムの略)
今までは人間が商品の店名ラベルを見て商品を仕分けていたのが、今度からは商品のバーコードを機械で読み込んで、デジタル表示の出荷数を見ながら商品を仕分けるようになります。従来の人間の目と手だけの作業から、機械も導入しての、誤配防止と生産性向上に繋げようというのが、会社がこのシステムに変えた理由です。
しかし、作業者は他にも大勢います。その大勢の人間が、色んな商品を持って、同時に同じ場所で出荷作業に入っても混乱しないように、どの色のデジタル表示を見ながら作業するかを、バーコードをスキャンする時に予め決めます。色は赤・青・緑・黄・白の5色から選べるので、5人まで同時に作業出来ます。
商品のバーコードを機械で読み込むと、作業場通路の頭上にある「通路表示器」に読み込んだ人の色のランプが点灯します。この場合は青と赤が点灯しています(左上写真)。それと同時に、ラックの上の「数量表示器」にも、今仕分けしている作業者が選んだ青色の点滅と、青色で出荷している商品のオーダー数が示されます。仕分け中の別の作業者が選んだ赤色のランプも同時に点きますが、オーダー数はあくまでも青色で現在出荷作業中の商品の数しか表示されません(右上写真)。
そこで、赤色で作業している人は、自分が出荷作業をする時は、「数量表示器」の赤色ボタンを押して(点滅が青から赤に変わる)、数字の表示を青色(で登録した商品)から赤色に変えます(左上写真)。そうして、赤色の作業者の方が早く終われば、「通路表示器」のランプも赤色は先に消え、まだ作業が残っている青色だけになります(右上写真)。
何もトラブルがなければ、「数量表示器」も「通路表示器」も仕分け終了と同時に消灯します。若し、ランプが消えたのにまだ商品が残っていたり、逆に商品が先になくなってしまったら、それはどこかで誤配しているという事なので、作業者は再度データと現物を照合します。そうやって誤配防止と作業のスピードアップを図ろうとしているのです。
ただ、これまでは、担当レーンでコンベヤやローラーを流れてきた商品を数店舗に振り分けるだけで良かったのが、今度からは、自分が商品を持って作業場内を移動しながら振り分けていかなければならなくなります。その分、作業終了まで更に時間がかかるようになるので、9月からは始業時間も9時から早朝7時に2時間繰り上がります。また始発前後の電車で出勤する事になります。そんな中で、どれだけブログに時間を割く事が出来るか分かりませんが、兎に角、頑張って行ける所まで行こうと思っています。
〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻 | |
クリエーター情報なし | |
汐文社 |
島根県松江市で、漫画「はだしのゲン」が学校図書館で自由に読めなくなっています。図書館の本棚に並べていつでも読める「開架」扱いから、書庫に仕舞い込んで申し込まなければ閲覧できない「閉架」扱いに変えさせられました。「描写が残酷だ」というのが閲覧制限の表向きの理由ですが、あの名作の一体どこが「残酷」なのでしょうか。
今回の事態も、またしても「在特会」が仕掛け人のようですが、街頭で「朝鮮人を殺せ」と喚き散らし、一般市民や子供にまで罵声を浴びせかけるネオナチ集団「在特会」の方が、よっぽど「非教育的」で「残酷」ではないでしょうか。普段「中国や北朝鮮には自由がない」と言っている連中が、やっている事はまるで中国や北朝鮮と同じ。「ナチスの手口」みたいに陰に隠れてこそこそと。
その閲覧制限(言論弾圧)に反対するウェブ署名が取り組まれていますので、こちらでも紹介しておきます。
(以下転載)
宛先:松江市教育委員会
松江市教育委員会: 「はだしのゲン」を松江市内の小中学校図書館で子どもたちが自由に読めるように戻してほしい。
発信者:「はだしのゲン」は世界に誇る名作マンガだと思う人の集まり
私は堺市で長年、学童保育指導員をしています。毎年、学童の子ども達にゲンの絵本版を読み聞かせたり、アニメや実写版のビデオ・DVDを上映してきました。学童にはずっと10巻セットを常備しており、多くの子ども達が自ら進んで手にとって読んでいます。1年生や2年生の子ども達が、ゲンたちが戦争や原爆で辛い目にあう場面で涙を流し、しかしそれでも苦難に負けず家族や仲間達と共に力を合わせて平和な世界を築くために明るく、たくましく生きていく姿に励まされています。何よりも「戦争はぜったいに起こしてはいけない!」と子ども達の心の中に平和の芽が育っています。
朝日新聞の報道(http://digital.asahi.com/articles/OSK201308160095.html)によると、「12月の市議会教育民生委員会で審査した結果、「議会が判断することには疑問がある」と全会一致で不採択になった。複数の委員から「大変過激な文章や絵があり、教育委員会の判断で適切な処置をするべきだ」との意見が出たため、市教委があらためて協議し、閉架を決めたという。」とありますが、子ども達はしっかりと作者・中沢啓治さんのメッセージをまっすぐに受け止めています。
また「はだしのゲンをめぐっては昨年8月、「ありもしない日本軍の蛮行が描かれており、子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける」として、小中学校からの作品の撤去を求める陳情が市民から市議会にあった。」(朝日新聞http://digital.asahi.com/articles/OSK201308160095.html)とも報道されており、この「決定」が「慰安婦はいなかった」「強制連行はなかった」など日本の戦争責任を「なかったことにしよう」とするリビジョニスト達の圧力に松江市教委が屈したものといわざるを得ません。これを放置・容認すれば、全国の小中学校にこのような「措置」が拡がるのではないかと危惧します。
もうひとつ、昨年12月中沢さんが亡くなられた後(同時期?)にこの「措置」がとられていることにも大きな疑念を抱きます。なぜ作者が存命中に正々堂々と作者と話し合わないのか?「中沢さんの妻ミサヨさん(70)によると、中沢さんは生前、「戦争や原爆を食い止めるためには、子どもにも残酷でもその悲惨さを伝えるしかない。ゲンは子ども向けに描写をやわらげたが、実際の残酷さはあんなもんじゃない」と語っていたという。松江市教委の対応について、ミサヨさんは「信じられないし、悲しい。戦争や原爆の悲惨さや痛みがわかっていないのではないでしょうか」と話した。(朝日新聞 同記事)
To: 「はだしのゲン」を松江市内の小中学校図書館で子どもたちが自由に読めるように戻してほしい。
[あなたの名前]
https://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3/%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%B3-%E3%82%92%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E5%86%85%E3%81%AE%E5%B0%8F%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%81%A7%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%8C%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AB%E8%AA%AD%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E6%88%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84#share
既に終戦記念日当日の掲載になってしまいましたが、下記の声明が出ていますので、こちらでもそれを転載・拡散させて貰います。
ちょうどその終戦記念日に、母親大会連絡会のお母さん方が大阪・難波高島屋前で、「平和憲法を守って原発や核兵器を廃絶しましょう」と、この炎天下をものともせずに、上記のチラシをまいて署名を集めておられました。
政府や右翼・御用マスコミは、とかく終戦記念日を靖国参拝一色で塗り潰そうとしますが、今の福島原発事故やブラック企業も、常に権力者が庶民に犠牲を強いるという意味では、昔の靖国神社と全く同じだという事を絶対に忘れてはなりません。
「会社の為に死ね」と言われたらまだ拒否できるのに、何故「お国の為に死ね」と言われたら拒否できないのか。逆に拒否する人間への暴力を容認できるのか。そうやって「長い物には巻かれろ」で来た結果が、かつての戦争や今のブラック企業横行の体たらくではないか。
★☆★☆★☆★☆(転送・転載大歓迎)★☆★☆★☆★☆
「8.15反『靖国』行動」への右翼妨害や弾圧を許さず、参加を呼びかける声明
安倍政権が参院選に圧勝した事で、憲法改悪、戦争、ナショナリズムの一層の推進が危惧されています。また街頭では「在特会」などの右翼が在日朝鮮人・外国人にヘイトスピーチを浴びせかけています。そしてこれらが最も暴力的に展開されるのが、毎年8月15日の靖国神社反対デモであり、それは最早限度を超えています。私たち参加者有志は妨害の暴力の停止を求めるとともに、より多くの方が実態を知り、今年の『ゴメンだ! 安倍政権 歴史認識を問う 8・15反「靖国」行動』にもともに参加する事を呼びかけます。
★デモに対する凄まじい右翼暴力に反対を
靖国神社は戦前の侵略戦争で戦死した人々を「英霊」として祭り上げ、アジアへの侵略戦争と植民地支配を賛美し、天皇を始めとした戦争指導者の責任を免罪しています。そして敗戦日当日の8月15日は閣僚や首相が参拝・黙とうし、靖国神社と侵略戦争を肯定し続けてきました。そこで当日は朝から様々な抗議行動・デモが行われ、午後は「8.15反『靖国』行動」の集会とデモが行われ続けてきました。それに対して機動隊が過剰警備で阻止したり、靖国を参拝する街宣右翼がデモの沿道から暴行目的の突入を試みる妨害が繰り返されてきました。
そしていわゆる「在特会」などの新たな草の根右翼グループが街頭デモを始めた2009年頃から、ネット上の呼びかけなどでデモ中の妨害者が激増し妨害内容もエスカレートしました。靖国神社に最も近い九段坂下の交差点の四方に数百人もの妨害者が陣取り、凄まじい罵声とともに缶やペットボトルを投げつけてくる。デモグッズを奪い取る。街宣右翼もそれと張り合うかのように突入してきて、09年はデモ終了後に参加者が殴られて鼻の骨を折る大ケガを負いました。2011年は右翼の突入後の現場に何とナイフが落ちていた事が確認されました。私たちは「8.15デモ」がいま最も暴力を受けるデモになってしまったと思っています。
毎年の写真はこちら:http://www.mkimpo.com/diary/2012/yasukunix2012.html
いま「ヘイトスピーチ」が問題になっていますが、「8.15デモ」に対してもネットでの妨害予告や殺人教唆が行われ、今年もすでにネット上に溢れています。毎年同時期に行われる「靖国キャンドルデモ」に対しても、今年は右翼が車で突入を試みたと言います。今年の「8.15デモ」も集会の段階から深刻な妨害が予想され、それは開催前から参加者と主催者に多大な心労と被害を与えています。民主社会の根幹であるデモを文字通りの暴力で圧殺することは絶対に許されません。
また右翼暴力の多くが警察に放任されていることも見過ごせません。すでに今年6月の新大久保でも「在特会」らのデモが許容される一方でデモに抗議した側が4名も不当逮捕され、右翼が「被害届」を提出して警察が運動側の立件を狙う事も東西で起こっています。2011年の「8.15」の右翼所持品と思われるナイフは公安警察が拾ってバッグに隠して不問にしてしまいました。また2012年の<「危機」の時代の天皇制を問う!2.11反「紀元節」行動>では、未公表のデモ出発時間が右翼のブログに掲載され、デモコースも未公表なのにコース上で妨害右翼が待ち受けていました。デモ申請後に公安警察が情報をリークしたとしか考えられません。右翼暴力に乗じての弾圧も常に懸念されるのです。
★靖国神社は問題の根源。ぜひ多くの参加を!
首相や閣僚がどれだけ国内外から批判されても靖国参拝を続けるのは、権力者が支配体制を維持するための核心的行為だからです。靖国反対デモが右翼から凄まじい暴力を受けるのも、靖国への反対は権力者にとって「あってはならない事」になっているからです。「靖国神社への反対は死者への冒涜だ」「遺族や人々が個々の死者を追悼したい気持ちを踏みにじることになる」という批判がよく聞かれます。しかしこれは大きな事実誤認です。靖国神社は個別の死者を祀る場所ではなく、天皇のために死んだ者だけが選ばれ「英霊」と一まとめに祀られています。つまり死者を選別して個別性を奪い、国家のための死を優先し、私たちにそう思わせるのが靖国神社の機能なのです。それを通して戦前の戦争を正当化し、新たな侵略戦争で自衛隊員が死んだ際も活用されうるのです。
天皇制から安倍晋三まで、日本の権力者が戦前から継続していることは知られており、靖国神社はその核です。国家主義を極めている今の安倍政権下では、反対デモへの暴力と弾圧の危険性もより高まります。いわば現在の「8.15」と反対デモへの妨害は、原発事故の責任を取らず憲法改悪や貧者の切り捨てに突き進む安倍政権と日本国家の暴力的な本質と起源が、最も露呈する場だと言えるでしょう。だからこそ「8.15デモ」は今年もこれからも無事に大きく行われなければなりません。私たちは参加者としても「8.15デモ」への右翼暴力の停止を求めるとともに、多くの方々が暴力に反対することを呼びかけます。そして多くの方にご参加いただき、暴力や弾圧を止めながら問題の根源へ迫ることを、願わくば「3.11」原発事故後の酷い状況を変えたいと新しく社会運動に参加し始めた方々や、「在特会」らのヘイトスピーチに心を痛めてカウンター行動に参加し始めた方々にもぜひともに参加して頂くことを呼びかけます。
2013年8月13日 「8.15反『靖国』行動」参加者有志
ゴメンだ!安倍政権 歴史認識を問う8・15反「靖国」行動
日時:2013年8月15日 13:15開場 集会後デモ!
会場:全水道会館(4階)(http://www.mizujoho.com/front/bin/ptlist.phtml?Category=9177)(JR水道橋徒歩3分、都営地下鉄水道橋駅上)
お話:吉澤文寿さん
主催:ゴメンだ!安倍政権 歴史認識を問う 8・15反「靖国」行動http://13815a.blogspot.jp/
呼びかけ:アジア連帯講座/キリスト教事業所連帯合同労働組合/国連・憲法問題研究会/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/ 「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会
麻生太郎ナチス発言全文 2013年
護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし
改憲出来ても世の中全て円満にと全然違う
改憲はたんなる手段だ
目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り
狂騒、狂乱の中で決めて欲しくない
落ち着いて我々を取り巻く環境はなんなのか
この状況を良く見て下さい
という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ
そうしないと間違ったものになりかねない
ヒトラーは民主主義によって議会で多数を握って出てきた
いかにも軍事力で政権を取ったように思われる
全然違う
ヒトラーは選挙で選ばれた
ドイツ国民はヒトラーを選んだ
ワイマール憲法という当時、欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた
常に憲法は良くてもそういうことはありうる
今回の憲法の話も狂騒の中でやって欲しくない
靖国神社も静かに参拝すべきだ
御国の為に命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい
いつからか騒ぎになった
騒がれたら中国も騒がざるを得ない、韓国も騒ぎますよ
だから静かにやろうやと
憲法はある日、気づいたらワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ
誰も気づかないで変わった あの手口に学んだらどうかね
ワーワー騒がない、本当にみんないい憲法とみんな納得してあの憲法が、
あの憲法変わっているからね
僕は民主主義を否定するつもりは全くありませんが
私どもは重ねて言いますが喧噪の中で決めて欲しくない(以上、文字起こし)
http://www.youtube.com/watch?v=gPrg3UArtKA
私もそうですが、この麻生発言を最初聞いた時は、「よりによってナチスを肯定するとは、何て事を言うのだ!」と思いました。
確かに彼の発言を聞く限りでは、前半ではいかにも「ヒトラーは選挙で選ばれた、ドイツ国民はヒトラーを選んだ、ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下でヒトラーが出てきた、常に憲法は良くてもそういうことはありうる」と、ナチスを批判するような事を言っています。
しかし、後半では一転して「憲法はある日気づいたらワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ、誰も気づかないで変わった、あの手口に学んだらどうかね」と、ナチスのワイマール憲法蹂躙を肯定するような論調に変わっています。
そして、「ワーワー騒がない、本当にみんないい憲法とみんな納得してあの憲法が変わっているからね、僕は民主主義を否定するつもりはありませんが、私どもは重ねて言いますが喧噪の中で決めて欲しくない」と、まるで「ナチスに見習ってこっそり改憲しろ」と言わんばかりの台詞で締めくくっています。
発言の前後でナチスの評価が完全に入れ替わり、最後には寧ろ肯定的な評価で終わっています。
これを聞いて、「この人、首相の時もそうだったが、発言が支離滅裂で、しかもナチスに見習えなどと言う、民主主義の政治家なら絶対口にしてはならない事も平気で言う」、「前半のナチス批判は、後に自分の発言が問題になった時に言い逃れする為の予防線(アリバイ工作)にしか過ぎず、寧ろ後半のナチス肯定発言こそが彼の本音だ」と思っていました。若し本気で「よい憲法を踏みにじったナチスを許せない」と思っていたら、今の日本国憲法の精神を踏みにじって改悪しようなぞと誰がするものですか。
しかし、それでも言っている事が無茶苦茶です。ナチスは決して「ワイマール憲法をこっそり改憲」した訳ではありません。寧ろ、第一次大戦後ドイツの政治的混乱や世界恐慌への不安・不満に乗じる中で、突撃隊や親衛隊を組織し、ユダヤ人や左翼勢力を暴力的に威嚇しながら、如何にも「労働者の味方」の様な顔をして票を掠め取り、政権を取った途端に国会放火事件をでっち上げ、その罪を共産党に擦り付け他の野党も全部弾圧して、全権委任法でワイマール憲法そのものを有名無実化してしまったのです。
ナチスの政権掌握以後もワイマール憲法そのものは残りました。決して「ナチス憲法」という別物に変わった訳ではありません。あくまでも「全権委任法」という一片の法律で、憲法自体を無効にしてしまったのです。そういう意味では、「みんないい憲法とみんな納得してあの憲法が変わっ」た訳では決してありませんでした。
(参考資料)
・ヴァイマル共和政 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E6%94%BF
・ナチ党ヒトラー独裁政権の成立過程:ワイマール共和国のナチス(鳥飼行博研究室)
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1943/race.html
だから、「何だ、麻生は当時のワイマール共和国やナチスの事についても、何も知らずに言っていたのか」と、最初は思っていました。
でも、「それなら別にナチスを引き合いに出さなくても良いのじゃないか」「労働者の味方のふりをして選挙で多数を制し、政権についた途端に独裁者としての本性を現し、国民から自由を奪いたいのが本音なら、別にスターリン・ポルポトや、226事件の時の青年将校でも良かったんじゃないか」という事にやがて気付きました。この麻生発言の本音は、「ナチス」云々ではなく、寧ろ「こっそり改憲」の「手口に学べ」にこそあるのではないかと。
実際、その後の安倍政権の動きを見ると、麻生発言の本音は別の所にあったのではないかという気がしてなりません。
●安倍も野党党首時代は改憲については余り大っぴらに言わなかったのに、政権に復帰した途端に改憲を公言し始めた。
●最初は「憲法9条改正して自衛隊を国防軍に」「従わなければ軍法会議で処罰」、
その為に「96条も改正して改憲手続きも自分たちにとって都合の良いように」と画策。
●それが「お手盛りの八百長ルールでズルして改憲」と批判を浴びると、立憲主義や基本的人権を否定して一挙に外堀まで埋める作戦に。
国民に憲法擁護義務を課す。→「憲法は権力の横暴から国民の自由と権利を守る為にある」という立憲主義の考え方を否定。
権利主張は義務を果たしてから、公の秩序に反しない限りで。
(では勤労・納税の義務を果たそうにも果たせない障碍者・失業者には人権はないのか?)
→「人間は生まれながらにして自由・平等で幸福になる権利がある」とする天賦人権説(基本的人権の考え方)も否定。
●それも批判されると、今度は集団自衛権の行使を容認するような人物を内閣法制局長官に抜擢する事で、再び9条否定の正面突破に。
石破の「軍法会議」発言や麻生の「ナチスの手口に学べ」発言に世間の目が引き寄せられているうちに、こっそりと。(前回記事の丸山論文参照)
そうして、今までなら専守防衛(日本一国の防衛)だけでしか認められてこなかった(個別)自衛権の行使を、次からは米国が発動する世界規模での紛争・戦争にも参戦しなければならなくなる集団的自衛権にまで広げようとしています。この「改憲クーデター」とも言うべき手法こそが、ナチスが全権委任法でワイマール憲法を有名無実化した手口と、全く同じじゃないですか。
このように、改憲勢力は手を変え品を変え、日本国憲法の改憲や有名無実化に躍起となっているのです。その執念たるや、敵ながら天晴と言うべきではないでしょうか。
私もそうですが、あれこれの選挙やデモで勝利する度に有頂天になり、逆に負けて敗北する度に意気消沈し、というのを、今まで何度も繰り返して来たじゃないですか。
それに引き替え、この改憲勢力の執念深い事と言ったら!我々もこの敵の手口に、もっと積極的に学ばなければならないのではないでしょうか。但し、あくまでも「反面教師として、改憲を阻止する為に」ですが。
護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし
改憲出来ても世の中全て円満にと全然違う
改憲はたんなる手段だ
目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り
狂騒、狂乱の中で決めて欲しくない
落ち着いて我々を取り巻く環境はなんなのか
この状況を良く見て下さい
という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ
そうしないと間違ったものになりかねない
ヒトラーは民主主義によって議会で多数を握って出てきた
いかにも軍事力で政権を取ったように思われる
全然違う
ヒトラーは選挙で選ばれた
ドイツ国民はヒトラーを選んだ
ワイマール憲法という当時、欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた
常に憲法は良くてもそういうことはありうる
今回の憲法の話も狂騒の中でやって欲しくない
靖国神社も静かに参拝すべきだ
御国の為に命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい
いつからか騒ぎになった
騒がれたら中国も騒がざるを得ない、韓国も騒ぎますよ
だから静かにやろうやと
憲法はある日、気づいたらワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ
誰も気づかないで変わった あの手口に学んだらどうかね
ワーワー騒がない、本当にみんないい憲法とみんな納得してあの憲法が、
あの憲法変わっているからね
僕は民主主義を否定するつもりは全くありませんが
私どもは重ねて言いますが喧噪の中で決めて欲しくない(以上、文字起こし)
http://www.youtube.com/watch?v=gPrg3UArtKA
私もそうですが、この麻生発言を最初聞いた時は、「よりによってナチスを肯定するとは、何て事を言うのだ!」と思いました。
確かに彼の発言を聞く限りでは、前半ではいかにも「ヒトラーは選挙で選ばれた、ドイツ国民はヒトラーを選んだ、ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下でヒトラーが出てきた、常に憲法は良くてもそういうことはありうる」と、ナチスを批判するような事を言っています。
しかし、後半では一転して「憲法はある日気づいたらワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ、誰も気づかないで変わった、あの手口に学んだらどうかね」と、ナチスのワイマール憲法蹂躙を肯定するような論調に変わっています。
そして、「ワーワー騒がない、本当にみんないい憲法とみんな納得してあの憲法が変わっているからね、僕は民主主義を否定するつもりはありませんが、私どもは重ねて言いますが喧噪の中で決めて欲しくない」と、まるで「ナチスに見習ってこっそり改憲しろ」と言わんばかりの台詞で締めくくっています。
発言の前後でナチスの評価が完全に入れ替わり、最後には寧ろ肯定的な評価で終わっています。
これを聞いて、「この人、首相の時もそうだったが、発言が支離滅裂で、しかもナチスに見習えなどと言う、民主主義の政治家なら絶対口にしてはならない事も平気で言う」、「前半のナチス批判は、後に自分の発言が問題になった時に言い逃れする為の予防線(アリバイ工作)にしか過ぎず、寧ろ後半のナチス肯定発言こそが彼の本音だ」と思っていました。若し本気で「よい憲法を踏みにじったナチスを許せない」と思っていたら、今の日本国憲法の精神を踏みにじって改悪しようなぞと誰がするものですか。
しかし、それでも言っている事が無茶苦茶です。ナチスは決して「ワイマール憲法をこっそり改憲」した訳ではありません。寧ろ、第一次大戦後ドイツの政治的混乱や世界恐慌への不安・不満に乗じる中で、突撃隊や親衛隊を組織し、ユダヤ人や左翼勢力を暴力的に威嚇しながら、如何にも「労働者の味方」の様な顔をして票を掠め取り、政権を取った途端に国会放火事件をでっち上げ、その罪を共産党に擦り付け他の野党も全部弾圧して、全権委任法でワイマール憲法そのものを有名無実化してしまったのです。
ナチスの政権掌握以後もワイマール憲法そのものは残りました。決して「ナチス憲法」という別物に変わった訳ではありません。あくまでも「全権委任法」という一片の法律で、憲法自体を無効にしてしまったのです。そういう意味では、「みんないい憲法とみんな納得してあの憲法が変わっ」た訳では決してありませんでした。
(参考資料)
・ヴァイマル共和政 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E6%94%BF
・ナチ党ヒトラー独裁政権の成立過程:ワイマール共和国のナチス(鳥飼行博研究室)
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1943/race.html
だから、「何だ、麻生は当時のワイマール共和国やナチスの事についても、何も知らずに言っていたのか」と、最初は思っていました。
でも、「それなら別にナチスを引き合いに出さなくても良いのじゃないか」「労働者の味方のふりをして選挙で多数を制し、政権についた途端に独裁者としての本性を現し、国民から自由を奪いたいのが本音なら、別にスターリン・ポルポトや、226事件の時の青年将校でも良かったんじゃないか」という事にやがて気付きました。この麻生発言の本音は、「ナチス」云々ではなく、寧ろ「こっそり改憲」の「手口に学べ」にこそあるのではないかと。
実際、その後の安倍政権の動きを見ると、麻生発言の本音は別の所にあったのではないかという気がしてなりません。
●安倍も野党党首時代は改憲については余り大っぴらに言わなかったのに、政権に復帰した途端に改憲を公言し始めた。
●最初は「憲法9条改正して自衛隊を国防軍に」「従わなければ軍法会議で処罰」、
その為に「96条も改正して改憲手続きも自分たちにとって都合の良いように」と画策。
●それが「お手盛りの八百長ルールでズルして改憲」と批判を浴びると、立憲主義や基本的人権を否定して一挙に外堀まで埋める作戦に。
国民に憲法擁護義務を課す。→「憲法は権力の横暴から国民の自由と権利を守る為にある」という立憲主義の考え方を否定。
権利主張は義務を果たしてから、公の秩序に反しない限りで。
(では勤労・納税の義務を果たそうにも果たせない障碍者・失業者には人権はないのか?)
→「人間は生まれながらにして自由・平等で幸福になる権利がある」とする天賦人権説(基本的人権の考え方)も否定。
●それも批判されると、今度は集団自衛権の行使を容認するような人物を内閣法制局長官に抜擢する事で、再び9条否定の正面突破に。
石破の「軍法会議」発言や麻生の「ナチスの手口に学べ」発言に世間の目が引き寄せられているうちに、こっそりと。(前回記事の丸山論文参照)
そうして、今までなら専守防衛(日本一国の防衛)だけでしか認められてこなかった(個別)自衛権の行使を、次からは米国が発動する世界規模での紛争・戦争にも参戦しなければならなくなる集団的自衛権にまで広げようとしています。この「改憲クーデター」とも言うべき手法こそが、ナチスが全権委任法でワイマール憲法を有名無実化した手口と、全く同じじゃないですか。
このように、改憲勢力は手を変え品を変え、日本国憲法の改憲や有名無実化に躍起となっているのです。その執念たるや、敵ながら天晴と言うべきではないでしょうか。
私もそうですが、あれこれの選挙やデモで勝利する度に有頂天になり、逆に負けて敗北する度に意気消沈し、というのを、今まで何度も繰り返して来たじゃないですか。
それに引き替え、この改憲勢力の執念深い事と言ったら!我々もこの敵の手口に、もっと積極的に学ばなければならないのではないでしょうか。但し、あくまでも「反面教師として、改憲を阻止する為に」ですが。
麻生太郎副総理の「ナチス発言」が問題になっている。「ナチスを例に挙げたことが誤解を招いた。撤回する」と弁明しながら「謝罪」も「辞任」もしない。菅義偉官房長官も「撤回したので一件落着」という。しかし私は、実はこの発言が「本音」であり、安倍内閣の改憲戦略と密接に関わっていることを問題にしなければならないと思う。
記憶を忘れない独の取り組み
今年はナチスが政権を獲得して80年。私はこの春、ドイツとポーランドを訪問したが、ドイツでは、当時の記憶を忘れないようにしよう、とさまざまな記念行事が行われている。実はそこで問題になっているのはまさに麻生副総理が言う通り「ヒトラーは、民主主義憲法の下で生まれてきた」ことだったと思うからだ。
メルケル首相は1月30日、「ナチスの台頭は、彼らと共に歩んだ当時のドイツのエリートや彼らを黙認した社会があったため可能になった」「数百万人に行われた犯罪や与えられた苦痛は決してなくならない。どれだけ補償をしてもその事実は変えられない」「民主主義を守るため、警戒を怠ってはならない」と、国民の責任を強調した。
つまりヒトラーは、最も民主的な憲法だとされたワイマール憲法の下で、合法的に政権を獲得した。しかしその後、国会放火事件をでっちあげて共産党を弾圧し、大統領緊急令を使って議員を予防拘禁し、突撃隊や親衛隊が取り囲む中で、「全権委任法」というおよそ民主主義憲法下では考えられない法律を制定した。この間、世の中は決して平穏ではなかったが「暴走」は止められなかった。
麻生副総理は、ここで憲法が改正されなかったことをあげ「いつのまにか憲法が変わっていた」「これを見習わなければならない」と述べている。撤回したと言うが、この発言は安倍政権の改憲戦略から見ると、これこそ立法改憲の具体論であることに気づく。
安倍政権は、当初改憲要件を緩和する「憲法96条先行改憲」に取り組み、参院選で争点にしようとしたが、世論の反対でいったん引っ込めた。そして参院選後の取り組みでは、もう一方の解釈・立法改憲路線を進めようとしているからだ。
集団的自衛権の行使を可能にするため、まず安保法制懇の答申を得て、「集団的自衛権は認められない」とするこれまでの政府解釈を改め、その上で「国家安全保障基本法案」を成立させようというものだ。
この法案は、憲法9条の精神も議論も「骨抜き」にしてしまう憲法違反の「下克上立法」だが、国会の多数で法律が成立すれば、まさにナチス政権下の全権委任法のように、違憲の集団的自衛権の行使も、「合法的」にできることになる。
ナチス「手口」に学んだシナリオ
安倍内閣は既に防衛大綱見直しの中間報告で「専守防衛の転換」や「敵基地攻撃の検討」を打ち出している。「専守防衛」や「集団的自衛権の否認」を基礎に憲法9条と自衛隊の存在を両立させてきた政府の憲法解釈を変えるため、内閣法制局長官も交代させた。
まさにワイマール憲法下でナチス独裁が可能になった「手口」に学んで、日本国憲法下で、違憲の法律で「日本を戦争ができる国」にするシナリオだ。
麻生発言は安倍改憲戦略と見事に符合する「本音」だ。だから、麻生副総理は謝罪しない。ナチスの暴走を止められなかったのは、当時のドイツ国民だった。
私たちは、私たち自身の誇りと歴史に懸けて、「麻生ナチス発言」を許すわけにはいかない。
(まるやま・しげたけ 元関東学院大学教授・ ジャーナリスト)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-09/2013080904_04_1.html
記憶を忘れない独の取り組み
今年はナチスが政権を獲得して80年。私はこの春、ドイツとポーランドを訪問したが、ドイツでは、当時の記憶を忘れないようにしよう、とさまざまな記念行事が行われている。実はそこで問題になっているのはまさに麻生副総理が言う通り「ヒトラーは、民主主義憲法の下で生まれてきた」ことだったと思うからだ。
メルケル首相は1月30日、「ナチスの台頭は、彼らと共に歩んだ当時のドイツのエリートや彼らを黙認した社会があったため可能になった」「数百万人に行われた犯罪や与えられた苦痛は決してなくならない。どれだけ補償をしてもその事実は変えられない」「民主主義を守るため、警戒を怠ってはならない」と、国民の責任を強調した。
つまりヒトラーは、最も民主的な憲法だとされたワイマール憲法の下で、合法的に政権を獲得した。しかしその後、国会放火事件をでっちあげて共産党を弾圧し、大統領緊急令を使って議員を予防拘禁し、突撃隊や親衛隊が取り囲む中で、「全権委任法」というおよそ民主主義憲法下では考えられない法律を制定した。この間、世の中は決して平穏ではなかったが「暴走」は止められなかった。
麻生副総理は、ここで憲法が改正されなかったことをあげ「いつのまにか憲法が変わっていた」「これを見習わなければならない」と述べている。撤回したと言うが、この発言は安倍政権の改憲戦略から見ると、これこそ立法改憲の具体論であることに気づく。
安倍政権は、当初改憲要件を緩和する「憲法96条先行改憲」に取り組み、参院選で争点にしようとしたが、世論の反対でいったん引っ込めた。そして参院選後の取り組みでは、もう一方の解釈・立法改憲路線を進めようとしているからだ。
集団的自衛権の行使を可能にするため、まず安保法制懇の答申を得て、「集団的自衛権は認められない」とするこれまでの政府解釈を改め、その上で「国家安全保障基本法案」を成立させようというものだ。
この法案は、憲法9条の精神も議論も「骨抜き」にしてしまう憲法違反の「下克上立法」だが、国会の多数で法律が成立すれば、まさにナチス政権下の全権委任法のように、違憲の集団的自衛権の行使も、「合法的」にできることになる。
ナチス「手口」に学んだシナリオ
安倍内閣は既に防衛大綱見直しの中間報告で「専守防衛の転換」や「敵基地攻撃の検討」を打ち出している。「専守防衛」や「集団的自衛権の否認」を基礎に憲法9条と自衛隊の存在を両立させてきた政府の憲法解釈を変えるため、内閣法制局長官も交代させた。
まさにワイマール憲法下でナチス独裁が可能になった「手口」に学んで、日本国憲法下で、違憲の法律で「日本を戦争ができる国」にするシナリオだ。
麻生発言は安倍改憲戦略と見事に符合する「本音」だ。だから、麻生副総理は謝罪しない。ナチスの暴走を止められなかったのは、当時のドイツ国民だった。
私たちは、私たち自身の誇りと歴史に懸けて、「麻生ナチス発言」を許すわけにはいかない。
(まるやま・しげたけ 元関東学院大学教授・ ジャーナリスト)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-09/2013080904_04_1.html
昨年の原爆忌、広島と長崎で開かれた平和式典に、原爆投下を命じたトルーマン元米大統領の孫に当たるクリフトン・トルーマン・ダニエルさんが出席して、話題になった。今年の外国人参列者の「主役」は、米映画監督のオリバー・ストーンさんだろう。
▼社会派監督として知られるストーンさんは昨年、第二次世界大戦前夜からオバマ大統領の登場までを、独自の視点で追いかけたドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作した。そのなかで、日本への原爆投下の主たる目的はソ連への牽制(けんせい)であり、軍事的な必要性はなかったと主張している。
▼全米で論争を引き起こした番組の脚本は、アメリカン大学歴史学科のピーター・カズニック教授と共作した。カズニックさんは毎年夏、学生を連れて広島、長崎を訪れており、今回ストーン監督も同行したというわけだ。
▼1995年、ワシントンのスミソニアン博物館が「原爆展」を企画したところ、退役軍人会などの反対で、事実上、中止に追い込まれたことがあった。そのとき近くにあるアメリカン大学で、広島、長崎の被爆資料の公開にこぎつけたのが、カズニックさんだった。
▼「原爆のおかげで戦争が終わり、アメリカ兵だけでなく、多数の日本人の命も救われた」。大多数のアメリカ人が今もこう信じている。誤った歴史観を正すために、お二人には今後も奮闘していただきたい。ただ、気になることがある。
▼カズニックさんは、最近の朝日新聞紙上で、核廃絶だけでなく、脱原発、憲法9条堅持、そして米国の軍事政策への反対を呼びかけていた。余計なお世話だ。きょうと9日は、何より原爆の犠牲者を哀悼する日でなければならない。政治を持ち込まないでほしい。(以上引用)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130806/trd13080603040000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130806/trd13080603040000-n2.htm
前回記事でも少し触れたが、産経新聞のコラム「産経抄」8月6日付の上記内容が余りにもトンデモなので、ここで改めて批判しておく。
>社会派監督として知られるストーンさんは昨年、第二次世界大戦前夜からオバマ大統領の登場までを、独自の視点で追いかけたドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作した。そのなかで、日本への原爆投下の主たる目的はソ連への牽制(けんせい)であり、軍事的な必要性はなかったと主張している。
>「原爆のおかげで戦争が終わり、アメリカ兵だけでなく、多数の日本人の命も救われた」。大多数のアメリカ人が今もこう信じている。誤った歴史観を正すために、お二人には今後も奮闘していただきたい。
ここまでは良い。しかし、
>カズニックさんは、最近の朝日新聞紙上で、核廃絶だけでなく、脱原発、憲法9条堅持、そして米国の軍事政策への反対を呼びかけていた。余計なお世話だ。きょうと9日は、何より原爆の犠牲者を哀悼する日でなければならない。政治を持ち込まないでほしい。
その後のこれは一体何だ。
別に原爆なぞ投下せずとも日本の敗戦は確定していた。原爆投下の目的は日本に勝つ為でなく、ソ連への牽制にあった。その軍事的には不必要で国際法にも違反する原爆投下で、多くの市民が犠牲になった。
その悲劇は戦後にも及び、米軍占領やその後の東西冷戦下において、原爆被害の実態は軍事機密として隠蔽され、被爆者はABCC(原爆障害調査委員会)で人体実験のモルモットとして扱われ、まともに治療もされずに放置された。それを打ち破ってきたのが戦後の原水禁運動や憲法擁護の運動なのだ。その運動の広がりの中で、原爆症に苦しみ世を恨むだけだった被爆者も、「ピカが移る」と被爆者を差別していた国民も、共に核廃絶や戦争・抑圧からの解放を希求する、より高い次元に到達する事が出来たのだ。「核廃絶」や「憲法9条堅持」などの運動課題も、そこから導き出されたものだ。つまり両者は不可分一体なのだ。
それを、前者を後者から敢えて切り離し、前者だけを「誤った歴史観を正すために今後も奮闘していただきたい」と持ち上げる一方で、後者は一転して「余計なお世話」「政治を持ち込まないでほしい」と切って捨てる。その特異な価値観は一体どこから来るのか。
恐らく、原爆投下を現代の核廃絶の課題から切り離し、単に「米国への敵討ち」のレベルでしか捉えていないからだろう。「かつては鬼畜米英と憎んだ相手だが、今は中国や北朝鮮に対抗する為に、心ならずも米国の言いなりになるしかない」というのが、産経の本音ではないか。
産経の頭の中にあるのは、「どうやって国益を守るか、戦争利権を守るか」という支配者目線だけで、被爆者の救援や核廃絶などハナから眼中にはないのだ。だから、原爆忌においても、最も重要な核廃絶や戦争防止、被爆者援護という喫緊の課題を他所に、「鬼畜米英」「大日本帝国万歳」の立場からしか物が言えないのだ。どのような価値観を持とうと産経の勝手だが、その特異な偏狭イデオロギーで原水禁運動を一方的に決めつけ、原爆忌まで政治的に利用するとは、もう言語道断という他ない。
確かに原水禁運動にも、過去には産経同様の偏狭さに囚われた時期があった。「米国の核には反対するが、ソ連や中国の核には反対しない」という論理がまかり通ったり、被爆者の中にも在日朝鮮人や未解放民への差別や排除があったのは事実だ。原発にも反対しなかった。しかし、その誤った傾向は、長年に渡る運動の歴史の中で、徐々に克服されてきた。
今や原水禁運動は、米国だけでなく、仏・露・中国・インド・北朝鮮など他の全ての核保有国に対し、核廃絶を訴えるようになっている。そして、単に「平和でありさえすれば良い」というのではなく、自由や人権こそが平和を保障するという観点で、脱原発や民族差別廃絶や格差是正も訴える中で、核廃絶を主張するようになっている。3.11以降は脱原発の立場を鮮明にするようになった。
それに対して、未だに前述の特異な価値観に止まったままで、そこから今の原水禁運動に対して、やれ偏向しているだの反日だのと、十年一日の如くステレオタイプの批判しかできず、「鬼畜米英」「大東亜戦争は正しかった」とは言えても、沖縄でのヘリ墜落事故で露わになった米軍の治外法権や、日米一体で進めてきた原発推進の下で起こった福島原発事故や、日本の農業や医療を米国に売り渡すTPPには何も言えない産経こそ、逆ダブルスタンダードの偏向丸出しではないか。
産経抄は翌7日のコラムでも、大正米騒動を例に引いて「中国の格差社会の方がもっと酷い」と書きたてている。確かに、中国の農民工(出稼ぎ労働者)の悲惨な現状や搾取の実態は告発されて然るべきだ。しかし、だったら尚更の事、何故もっと今の日本のブラック企業による搾取も告発・糾弾しないのか。中国の農民工も、日本のワーキングプアも、同じ一人の人間として、人権の重さに違いはない筈だ。ワタミに連日1日10数時間も働かされて過労死させられた女の子や、都心に無数にあるといわれる脱法ハウス(タコ部屋)は、言わば日本における「農民工」の縮図ではないのか。
そういう逆ダブルスタンダードが鼻につくから、産経がいくら訴えても、北朝鮮やウイグル・チベットの人権問題が思う程には広がらないのだ。
これは沖縄県民や我々本土のワーキングプアにとっても、中国や北朝鮮の民衆にとっても、どちらにとっても不幸な事態だ。どちらも、一人の人間として、その人権が尊重されなければならないからだ。その為にも、このような産経の逆ダブルスタンダードについては、それが幾らトンデモな言説であろうとも放置せずに、必要な批判を加えなければならない。
その際、見かけのトンデモにばかり徒に目を奪われるのではなく、その本質こそ徹底的に批判するよう注意しなければならない。
先日の麻生太郎による「ナチスの手口に学べ」発言も、その一つ一つの言葉尻に囚われる事なく、その文脈において批判しなければならない。たとえ、発言の前段でどれだけワイマール憲法を持ち上げていようとも、後段で「ナチスの手口に学び、人目に付かず改憲しろ」と言っている限り、それがナチス肯定以外の何物でもない事は明らかだろう。
ナチスが政権を獲得した際も、得票率自体は過半数には及ばなかった。当時のドイツにおいても、ナチスのトンデモを批判する声は決して少なくはなかった。にも関わらず、ナチスが権力を握り、ワイマール共和国を骨抜きにし、ユダヤ人虐殺に突き進んで行ったのは何故か。その一つの原因は、本来なら反ファシズム統一戦線を組んでナチスに対抗すべき社会民主党と共産党が、互いに足を引っ張り合い、その他の諸党も小党分立でナチスに対抗できなかった事だ。そしてもう一つは、そんな政治に絶望した国民が、「たとえトンデモでも今の混乱から抜け出し不況を打破してくれるなら」とナチスに淡い期待を寄せ、ナチスの暴力にも見て見ぬふりをしたからだ。トンデモを必要以上に恐れる必要はないが、さりとて決して軽視もしてはならない。
▼社会派監督として知られるストーンさんは昨年、第二次世界大戦前夜からオバマ大統領の登場までを、独自の視点で追いかけたドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作した。そのなかで、日本への原爆投下の主たる目的はソ連への牽制(けんせい)であり、軍事的な必要性はなかったと主張している。
▼全米で論争を引き起こした番組の脚本は、アメリカン大学歴史学科のピーター・カズニック教授と共作した。カズニックさんは毎年夏、学生を連れて広島、長崎を訪れており、今回ストーン監督も同行したというわけだ。
▼1995年、ワシントンのスミソニアン博物館が「原爆展」を企画したところ、退役軍人会などの反対で、事実上、中止に追い込まれたことがあった。そのとき近くにあるアメリカン大学で、広島、長崎の被爆資料の公開にこぎつけたのが、カズニックさんだった。
▼「原爆のおかげで戦争が終わり、アメリカ兵だけでなく、多数の日本人の命も救われた」。大多数のアメリカ人が今もこう信じている。誤った歴史観を正すために、お二人には今後も奮闘していただきたい。ただ、気になることがある。
▼カズニックさんは、最近の朝日新聞紙上で、核廃絶だけでなく、脱原発、憲法9条堅持、そして米国の軍事政策への反対を呼びかけていた。余計なお世話だ。きょうと9日は、何より原爆の犠牲者を哀悼する日でなければならない。政治を持ち込まないでほしい。(以上引用)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130806/trd13080603040000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130806/trd13080603040000-n2.htm
前回記事でも少し触れたが、産経新聞のコラム「産経抄」8月6日付の上記内容が余りにもトンデモなので、ここで改めて批判しておく。
>社会派監督として知られるストーンさんは昨年、第二次世界大戦前夜からオバマ大統領の登場までを、独自の視点で追いかけたドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作した。そのなかで、日本への原爆投下の主たる目的はソ連への牽制(けんせい)であり、軍事的な必要性はなかったと主張している。
>「原爆のおかげで戦争が終わり、アメリカ兵だけでなく、多数の日本人の命も救われた」。大多数のアメリカ人が今もこう信じている。誤った歴史観を正すために、お二人には今後も奮闘していただきたい。
ここまでは良い。しかし、
>カズニックさんは、最近の朝日新聞紙上で、核廃絶だけでなく、脱原発、憲法9条堅持、そして米国の軍事政策への反対を呼びかけていた。余計なお世話だ。きょうと9日は、何より原爆の犠牲者を哀悼する日でなければならない。政治を持ち込まないでほしい。
その後のこれは一体何だ。
別に原爆なぞ投下せずとも日本の敗戦は確定していた。原爆投下の目的は日本に勝つ為でなく、ソ連への牽制にあった。その軍事的には不必要で国際法にも違反する原爆投下で、多くの市民が犠牲になった。
その悲劇は戦後にも及び、米軍占領やその後の東西冷戦下において、原爆被害の実態は軍事機密として隠蔽され、被爆者はABCC(原爆障害調査委員会)で人体実験のモルモットとして扱われ、まともに治療もされずに放置された。それを打ち破ってきたのが戦後の原水禁運動や憲法擁護の運動なのだ。その運動の広がりの中で、原爆症に苦しみ世を恨むだけだった被爆者も、「ピカが移る」と被爆者を差別していた国民も、共に核廃絶や戦争・抑圧からの解放を希求する、より高い次元に到達する事が出来たのだ。「核廃絶」や「憲法9条堅持」などの運動課題も、そこから導き出されたものだ。つまり両者は不可分一体なのだ。
それを、前者を後者から敢えて切り離し、前者だけを「誤った歴史観を正すために今後も奮闘していただきたい」と持ち上げる一方で、後者は一転して「余計なお世話」「政治を持ち込まないでほしい」と切って捨てる。その特異な価値観は一体どこから来るのか。
恐らく、原爆投下を現代の核廃絶の課題から切り離し、単に「米国への敵討ち」のレベルでしか捉えていないからだろう。「かつては鬼畜米英と憎んだ相手だが、今は中国や北朝鮮に対抗する為に、心ならずも米国の言いなりになるしかない」というのが、産経の本音ではないか。
産経の頭の中にあるのは、「どうやって国益を守るか、戦争利権を守るか」という支配者目線だけで、被爆者の救援や核廃絶などハナから眼中にはないのだ。だから、原爆忌においても、最も重要な核廃絶や戦争防止、被爆者援護という喫緊の課題を他所に、「鬼畜米英」「大日本帝国万歳」の立場からしか物が言えないのだ。どのような価値観を持とうと産経の勝手だが、その特異な偏狭イデオロギーで原水禁運動を一方的に決めつけ、原爆忌まで政治的に利用するとは、もう言語道断という他ない。
確かに原水禁運動にも、過去には産経同様の偏狭さに囚われた時期があった。「米国の核には反対するが、ソ連や中国の核には反対しない」という論理がまかり通ったり、被爆者の中にも在日朝鮮人や未解放民への差別や排除があったのは事実だ。原発にも反対しなかった。しかし、その誤った傾向は、長年に渡る運動の歴史の中で、徐々に克服されてきた。
今や原水禁運動は、米国だけでなく、仏・露・中国・インド・北朝鮮など他の全ての核保有国に対し、核廃絶を訴えるようになっている。そして、単に「平和でありさえすれば良い」というのではなく、自由や人権こそが平和を保障するという観点で、脱原発や民族差別廃絶や格差是正も訴える中で、核廃絶を主張するようになっている。3.11以降は脱原発の立場を鮮明にするようになった。
それに対して、未だに前述の特異な価値観に止まったままで、そこから今の原水禁運動に対して、やれ偏向しているだの反日だのと、十年一日の如くステレオタイプの批判しかできず、「鬼畜米英」「大東亜戦争は正しかった」とは言えても、沖縄でのヘリ墜落事故で露わになった米軍の治外法権や、日米一体で進めてきた原発推進の下で起こった福島原発事故や、日本の農業や医療を米国に売り渡すTPPには何も言えない産経こそ、逆ダブルスタンダードの偏向丸出しではないか。
産経抄は翌7日のコラムでも、大正米騒動を例に引いて「中国の格差社会の方がもっと酷い」と書きたてている。確かに、中国の農民工(出稼ぎ労働者)の悲惨な現状や搾取の実態は告発されて然るべきだ。しかし、だったら尚更の事、何故もっと今の日本のブラック企業による搾取も告発・糾弾しないのか。中国の農民工も、日本のワーキングプアも、同じ一人の人間として、人権の重さに違いはない筈だ。ワタミに連日1日10数時間も働かされて過労死させられた女の子や、都心に無数にあるといわれる脱法ハウス(タコ部屋)は、言わば日本における「農民工」の縮図ではないのか。
そういう逆ダブルスタンダードが鼻につくから、産経がいくら訴えても、北朝鮮やウイグル・チベットの人権問題が思う程には広がらないのだ。
これは沖縄県民や我々本土のワーキングプアにとっても、中国や北朝鮮の民衆にとっても、どちらにとっても不幸な事態だ。どちらも、一人の人間として、その人権が尊重されなければならないからだ。その為にも、このような産経の逆ダブルスタンダードについては、それが幾らトンデモな言説であろうとも放置せずに、必要な批判を加えなければならない。
その際、見かけのトンデモにばかり徒に目を奪われるのではなく、その本質こそ徹底的に批判するよう注意しなければならない。
先日の麻生太郎による「ナチスの手口に学べ」発言も、その一つ一つの言葉尻に囚われる事なく、その文脈において批判しなければならない。たとえ、発言の前段でどれだけワイマール憲法を持ち上げていようとも、後段で「ナチスの手口に学び、人目に付かず改憲しろ」と言っている限り、それがナチス肯定以外の何物でもない事は明らかだろう。
ナチスが政権を獲得した際も、得票率自体は過半数には及ばなかった。当時のドイツにおいても、ナチスのトンデモを批判する声は決して少なくはなかった。にも関わらず、ナチスが権力を握り、ワイマール共和国を骨抜きにし、ユダヤ人虐殺に突き進んで行ったのは何故か。その一つの原因は、本来なら反ファシズム統一戦線を組んでナチスに対抗すべき社会民主党と共産党が、互いに足を引っ張り合い、その他の諸党も小党分立でナチスに対抗できなかった事だ。そしてもう一つは、そんな政治に絶望した国民が、「たとえトンデモでも今の混乱から抜け出し不況を打破してくれるなら」とナチスに淡い期待を寄せ、ナチスの暴力にも見て見ぬふりをしたからだ。トンデモを必要以上に恐れる必要はないが、さりとて決して軽視もしてはならない。
平成25年度「平和への誓い」
今でも、逃げていくときに見た光景をはっきり覚えている。
当時3歳だった祖母の言葉に驚き、怖くなりました。
「行ってきます」と出かけた家族、「ただいま」と当たり前に帰ってくることを信じていた。でも帰ってこなかった。
それを聞いたとき、涙が出て、震えが止まりませんでした。
68年前の今日、わたしたちのまち広島は、原子爆弾によって破壊されました。
体に傷を負うだけでなく、心までも深く傷つけ、
消えることなく、多くの人々を苦しめています。
今、わたしたちはその広島に生きています。
原爆を生き抜き、命のバトンをつないで。
命とともに、つなぎたいものがあります。
だから、あの日から目をそむけません。
もっと、知りたいのです。
被爆の事実を、被爆者の思いを。
もっと、伝えたいのです。
世界の人々に、未来に。
平和とは、安心して生活できること。
平和とは、一人一人が輝いていること。
平和とは、みんなが幸せを感じること。
平和は、わたしたち自らがつくりだすものです。
そのために、
友達や家族など、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えます。
多くの人と話し合う中で、いろいろな考えがあることを学びます。
スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して世界の人々と交流します。
方法は違っていてもいいのです。
大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。
さあ、一緒に平和をつくりましょう。
大切なバトンをつなぐために。
平成25年(2013年)8月6日
こども代表 広島市立吉島東小学校 6年 竹内 駿治
広島市立口田小学校 6年 中森 柚子
https://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1374108253266/index.html
>平和とは、安心して生活できること。
>平和とは、一人一人が輝いていること。
>平和とは、みんなが幸せを感じること。
小学6年生にして、既に「平和」の本質をつかんでいる事に驚嘆します。
「安心して生活できない」「一人一人が輝いていない」「みんなが幸せを感じていない」なら、それは決して「平和」であるとは言えないのです。
いつまた事故を起こすとも限らない原発やオスプレイといつも隣り合わせで、軍法会議設置や「ナチスの手口に学べ」という発言が大手を振ってまかり通る「先行き不安な」社会。
弱肉強食・競争至上主義の下で、ブラック企業にこき使われ、パワハラ・セクハラ・過労死・うつ病の危険に苛まされる「一人一人が全然輝いていない」社会。
俺らが苦しいのは公務員や生活保護受給者がごね得だからだと、苦しみ自体を取り除こうとはせず「みんな平等に苦しくなければ」不公平だとする、そんな倒錯した価値観が大手を振ってまかり通る「みんな不幸せな」社会。
そんな社会を変えない限り、平和なんて実現できっこありません。
日本をそんな国にしてきた自民党政治を変えない限り、憲法の理想実現なんて永遠に無理です。
また、そんな自民党が、日本を「不幸せ」にしてきた自らの責任を棚に上げ、憲法の理想を「奴隷の平和」と貶め、憲法改悪で国民の自由や人権を制限しようとするとは、正に天に唾する行為という他ありません。
上記の小学6年生の気持ちをそのまま歌にした「世界に一つだけの花」の歌詞を軟弱だと謗り、あろうことか原爆忌まで米国への単なる敵討ちと大日本帝国美化に貶めようとする(8月6日付産経抄)自民党や改憲勢力に、そもそも自由や人権を云々する資格はありません。
>平和とは、安心して生活できること。
>平和とは、一人一人が輝いていること。
>平和とは、みんなが幸せを感じること。
これこそが民主主義の精神です。日本の政治に今一番欠けているのが、この言葉、この精神ではないでしょうか。
いつもは、この季節には広島平和宣言を紹介するのですが、今年は上記の理由で、この「平和への誓い」を紹介する事にしました。
今でも、逃げていくときに見た光景をはっきり覚えている。
当時3歳だった祖母の言葉に驚き、怖くなりました。
「行ってきます」と出かけた家族、「ただいま」と当たり前に帰ってくることを信じていた。でも帰ってこなかった。
それを聞いたとき、涙が出て、震えが止まりませんでした。
68年前の今日、わたしたちのまち広島は、原子爆弾によって破壊されました。
体に傷を負うだけでなく、心までも深く傷つけ、
消えることなく、多くの人々を苦しめています。
今、わたしたちはその広島に生きています。
原爆を生き抜き、命のバトンをつないで。
命とともに、つなぎたいものがあります。
だから、あの日から目をそむけません。
もっと、知りたいのです。
被爆の事実を、被爆者の思いを。
もっと、伝えたいのです。
世界の人々に、未来に。
平和とは、安心して生活できること。
平和とは、一人一人が輝いていること。
平和とは、みんなが幸せを感じること。
平和は、わたしたち自らがつくりだすものです。
そのために、
友達や家族など、身近にいる人に感謝の気持ちを伝えます。
多くの人と話し合う中で、いろいろな考えがあることを学びます。
スポーツや音楽など、自分の得意なことを通して世界の人々と交流します。
方法は違っていてもいいのです。
大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。
さあ、一緒に平和をつくりましょう。
大切なバトンをつなぐために。
平成25年(2013年)8月6日
こども代表 広島市立吉島東小学校 6年 竹内 駿治
広島市立口田小学校 6年 中森 柚子
https://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1374108253266/index.html
>平和とは、安心して生活できること。
>平和とは、一人一人が輝いていること。
>平和とは、みんなが幸せを感じること。
小学6年生にして、既に「平和」の本質をつかんでいる事に驚嘆します。
「安心して生活できない」「一人一人が輝いていない」「みんなが幸せを感じていない」なら、それは決して「平和」であるとは言えないのです。
いつまた事故を起こすとも限らない原発やオスプレイといつも隣り合わせで、軍法会議設置や「ナチスの手口に学べ」という発言が大手を振ってまかり通る「先行き不安な」社会。
弱肉強食・競争至上主義の下で、ブラック企業にこき使われ、パワハラ・セクハラ・過労死・うつ病の危険に苛まされる「一人一人が全然輝いていない」社会。
俺らが苦しいのは公務員や生活保護受給者がごね得だからだと、苦しみ自体を取り除こうとはせず「みんな平等に苦しくなければ」不公平だとする、そんな倒錯した価値観が大手を振ってまかり通る「みんな不幸せな」社会。
そんな社会を変えない限り、平和なんて実現できっこありません。
日本をそんな国にしてきた自民党政治を変えない限り、憲法の理想実現なんて永遠に無理です。
また、そんな自民党が、日本を「不幸せ」にしてきた自らの責任を棚に上げ、憲法の理想を「奴隷の平和」と貶め、憲法改悪で国民の自由や人権を制限しようとするとは、正に天に唾する行為という他ありません。
上記の小学6年生の気持ちをそのまま歌にした「世界に一つだけの花」の歌詞を軟弱だと謗り、あろうことか原爆忌まで米国への単なる敵討ちと大日本帝国美化に貶めようとする(8月6日付産経抄)自民党や改憲勢力に、そもそも自由や人権を云々する資格はありません。
>平和とは、安心して生活できること。
>平和とは、一人一人が輝いていること。
>平和とは、みんなが幸せを感じること。
これこそが民主主義の精神です。日本の政治に今一番欠けているのが、この言葉、この精神ではないでしょうか。
いつもは、この季節には広島平和宣言を紹介するのですが、今年は上記の理由で、この「平和への誓い」を紹介する事にしました。