この件はブログに書こうかどうか迷いましたが、やっぱり書く事にします。昨年12月26日に、職場でちょっとした事件が起こりました。私の勤務先は某スーパーの物流センターですが、そこでは私の勤務先企業以外にも、多くの会社が商品の製造や仕分け・配送業務に携わっています。
その中で私は他の数人のバイトと共に、主に農産物の仕分けに携わっています。1日の作業は先ず玉葱・じゃが芋の仕分けから始まります。前日に隣の農産加工センターで袋詰めされ、プラスチックケースに入れられた玉葱やじゃが芋に、出荷先の店のラベルを張り、仕分け場に持って行って各店別に仕分けを行います。
ところが、12月26日は前日のうちに玉葱・じゃが芋の加工が終わらず、一部が当日に持ち越されてしまいました。商品が全部出来上がっていないので、その分のラベル張りも当然後回しになります。そのラベルをプラスチックの空ケースに入れ、出来上がった分だけ仕分け場に持って行ってました。そして帰って来たら、残りの玉葱のラベルを入れた空ケースが丸ごと無くなっていました。
わずか約5~10分間の出来事です。直ぐに周辺を捜索しましたが出て来ません。あちこち探しましたが出て来ないので、社員とリーダーに報告し、農産加工センターの人にも声を掛けて、センターから玉葱の店別注文リストを発行してもらい、そのリストを基に行方不明になったラベルの店舗を割り出し、何とか再発行して事なきを得ました。
すぐ横に置いてあったラベルが、わずか5~10分の間に無くなるなんて、普通ならあり得ない事です。しかし、私には犯人の目星は付いていました。きっと奴の仕業に違いないと。奴と言うのは、隣の農産加工センターで働いている、他社の自閉症社員Tの事です。ちょうどその時間帯に、私が玉葱のラベルを張っている、そのすぐ横で、Tは空ケースの片付けをしていました。現場には私とTの2人しかいませんでした。多分Tは、ラベルの入った空ケースも、他の空ケースと一緒に取り込んでしまったに違いありません。
普通ならそんな事はあり得ません。ラベルの入った空ケースなぞ、すぐに見分けが付くからです。でも、自閉スペクトラム症の疑いが濃いTなら、空ケースの入ったラベルも、他のラベルと見分けが付かずに、そのまま取り込んでしまう事は十分あり得ます。多分、ラベルもゴミか何かだと思い、そのまま取り込んで、ラベルの中身も見ずに、捨ててしまったのでしょう。
「自閉スペクトラム症(ASD)」は別名「アスペルガー症候群」とも言います。知的な発達の遅れを伴わない自閉症の事です。知的な発達がないどころか、逆に学業優秀で有名大学を卒業した人も多いです。しかし、普通の人とは少し違うので、社会人になってから、周囲とトラブルになる事が多いのです。
Tもその疑いが濃く、農産加工センター運営会社のH社も正直彼を持て余しているのですが、他に配置転換しようにも受け入れ先がないので、そのまま「飼い殺し」にしているのです。そして、私の勤務先企業も、他社のH社の社員である事を理由に、Tに対して「見て見ぬふり」しているのです。
では、自閉スペクトラム症の人は、普通の人と一体どこが違うのか?イギリスの児童精神科医ローラ・ウイングが、その特徴を次の3つにまとめています。①社会性の障害、②コミュニケーション上の障害、③変な「こだわり」がある、の3つです。
しかし、これだけでは余りにも説明が抽象的過ぎて、一体何の事か分からない人も多いと思います。特に①と②の違いがよく分からない人が多いのではないでしょうか(実は私もその1人ですw)。そこで私なりに解釈してみたので、もし間違っていたら指摘して下さい。
①はいわゆる「空気が読めない」状態を指します。上司にため口で喋ったり、太った女性に平気で「デブ」と言ったり等、非常識な言動を繰り返す。だから、そういう人は、子供の頃も集団遊びにはなじめず、積み木やゲーム等の一人遊びを好みます。
②はいわゆる「パニック障害」です。相手と視線を合わすことが出来ない。顔が引きつる(チック反応)、すぐ逆ギレする等。ちょっとした物音や蛍光灯の光にも異様に拒絶反応を示す等も、厳密には「パニック障害」ではないが自閉スペクトラム症の特徴の一つです。
③はいわゆる「融通が利かない」。電話を聞きながらメモを取る等、2つの動作を同時にする事が出来ない。マニュアル的な反復動作を好み、突発的な変化に上手く対応出来ない、臨機応変に物事に対処出来ない等。
実際Tにもその傾向が強く現れています。だから、前述の空ケースの片付けの時も、「早く空ケースを片付けて商品の置き場所を確保しなければならない」という事ばかりで頭が一杯になり、普通ならすぐに気付くはずのラベルの入った空ケースも、ゴミと勘違いして一緒に取り込んでしまったのです。これは、一点にだけ注意が集中し、他の部分が見えなくなる「シングル・フォーカス」という症状で、「パニック障害」の一種です。
Tの「パニック障害」は他にもあります。以前にも書いた「何度注意しても、午前中の商品仕分け中に平気で昼からの商品を突っ込んで来る」もその一つです。昼からの商品(1便)の方が量が多いので、午前中の商品(2便)仕分けエリアにも、昼からの商品を突っ込んで来るのです。でも、先に出荷するのは午前中の商品なので、それ以外の商品を持って来られても邪魔になるだけです。
しかし、Tの頭の中は、「1便の商品の置き場所を確保する」事しか念頭にない、つまり「自分の都合しか考えない」ので、2便の作業時間も常に1便優先なのです。幾ら1便の荷物が多くても、先に積み込むのは2便の商品なので、昼までは2便優先で出荷しなければならないのに。ところが、Tにはそんな変な「こだわり」があるので、「融通が利かない」のです。
そこで私たちも一計を案じました。アスペルガー関連本を買って来てバイト仲間で回し読みし、そこから一定の対策をひねり出しました。自閉スペクトラム症の特徴の一つである「融通が利かない」「マニュアル的な反復動作を好む」点に着目し、こちらで新たにマニュアルを作る事にしたのです。作業場の境界にテープで区切り線を引き、「2便の場所に1便を置くな」と床に明記しました。そうしたら、Tはその区切り線よりも内側には、1便の商品を突っ込んで来る事はなくなりました。マニュアル人間には、こちらもマニュアルで対抗するしかないのです。
しかし、これはあくまで対症療法です。本当に必要なのは、自閉スペクトラム症の人も、それ以外の人も、共に安心して協同で作業が出来る職場環境づくりです。いたずらに「空気が読めない」と言って排除するのではなく、マニュアル的・オタク的な知識(列車の時刻表や型番など)には抜群の記憶力を発揮するという、自閉スペクトラム症の特性を生かした職場環境を、会社の責任で用意する事です。
発明王のエジソンや相対性原理を発見したアインシュタインも、一説によれば自閉スペクトラム症だったのではないかと言われています。2人とも子どもの頃は、学校の勉強が出来ずに、殻に閉じこもっていました。しかし、やがてその独創的な発想が、数々の発明や発見を導き出しました。
それをせずに、安易にバイトに丸投げするばかりでは、私たちも対症療法以上の事は出来ません。会社が何もしないのに、何故バイトだけが、他社の自閉スペクトラム症社員の面倒まで見なければならないのか?しかも、その現実に目の前にある問題を放置して、このくそ忙しい年末繁忙期に、わざわざ会社は安全標語のアンケート提出を私たちバイトに求めて来ました。余りにも人をバカにした対応なので、私は「アスペルガーに気を付けろ」と、アンケート用紙に書いて出してやりましたw。
これがラベル紛失などの凡ミスだけで済んでいたらまだ良いですが。やがて凡ミスだけでは済まなくなり、社員同士のトラブルや衝突にまで発展して、最悪、関東大震災後に起こった福田村の虐殺(香川県の行商人一行が千葉県の同村で方言が通じず、在日朝鮮人と間違われて虐殺された)みたいな事になったとしても、それは100%会社の責任です。
元旦の公休日にブログ仲間が私に会いに来ました。タブレットさんいう方です。
鉄道趣味の仲間で、JR全線完乗達成を目指されています。北海道の方で、地元で「安全問題研究会」という団体を立ち上げ、JR北海道の廃線問題について地元で講演会の司会をされたり、労働問題の雑誌に寄稿されたりされて来ました。
タブレットさんが「安全問題研究会」代表としてまとめ上げられた根室本線(富良野~新得間)廃止反対の提言
https://blog.goo.ne.jp/hitorasiku/e/ca6f4a0104e4a792d7e8183c4a892e9f
元々、福島県出身の方で、福島原発事故を機に北海道に移住されました。その関係で、鉄道だけでなく原発問題についても、自身のブログで取り上げて来られました。
その方が、嫁さんの実家のある大阪に、このお正月に来る事になり、そのついでに私にも会う事になりました。
私がタブレットさんと知り合ったのは、確か「安全問題研究会」のブログでJR福知山線事故の記事を読み、コメントを寄せたのがきっかけだったと思います。ブログ仲間としては長い付き合いになりますが、リアルでお会いするのは初めてです。
でも、元旦早々から開いている店なぞあるだろうか?それに、タブレットさんは、胃がんの手術で胃を摘出された方です。食物は大腸で消化されますので食事は普通に食べれますが、飲酒は自制されています。そういう方と、酒も飲まずにどれだけ打ち解ける事が出来るのか?
そこで、彼を折から開催中の「釜ヶ崎越冬祭り」に招待する事にしました。元旦の16時にJR天王寺駅で落ち合い、徒歩で西成のあいりん地区(旧名・釜ヶ崎)まで移動し、地区内の各所を案内した後、越冬祭りを堪能。炊き出しのカレーを食べた後、18時過ぎにJR新今宮駅で、次の再会と今後の互いの健闘を祝して別れました。
タブレットさんの住む札幌近辺には、釜ヶ崎のような場所はないので、非常に興味を示されました。帰りに数冊の寄稿雑誌とお土産をいただきました。
その後、タブレットさんがライフワークにされているJR北海道の廃線問題について、私も改めて検討してみました。この問題については、既にJR北海道が2016年(平成28年)に提言を公表しています。そこでは、JR北海道全線区の半分以上を占める13線区について、「会社単独で維持するのは困難」として、「廃止(バス転換)を前提に地元の市町村と話し合いをさせてもらう」と書かれています。
13線区の内訳は以下の通りです。いずれも輸送密度(1日1キロ当たりの輸送人数)200人未満の線区です。
既に廃止が決定した線区:①石勝線(新夕張~夕張)、②日高線(鵡川~様似)、③札沼線(北海道医療大学~新十津川)、④根室線(富良野~新得)、⑤留萌線(深川~留萌)。うち石勝・日高・札沼線については廃止が確定。残りの根室線についても災害の為に長期に渡って運休が続いている。被災しても復旧せず、逆に廃止の口実にしている非道さには、さすがに私も開いた口がふさがりません。
廃止を前提に地元協議を進める線区:⑥宗谷線(名寄~稚内)、⑦根室線(釧路~根室)、⑧根室線(滝川~富良野)、⑨室蘭線(沼ノ端~岩見沢)、⑩釧網線(東釧路~網走)、⑪日高線(苫小牧~鵡川)、⑫石北線(新旭川~網走)、⑬富良野線(富良野~旭川)。
もし、こんな提言が認められてしまったら、北海道の北部や東部から鉄道が全てなくなってしまいます。稚内や根室、網走に行くにも、バスか乗用車でしか行けなくなってしまいます。釧路湿原や知床半島、富良野のラベンダーの里など、沿線に豊富な観光資源を抱え、北見の玉葱を東京など大消費地に運ぶ重要な役割を果たしている路線も、全てなくなってしまいます。
「赤字だからバス転換すれば良い」と言いますが、バス会社も民間企業です。儲からなくなれば撤退します。鉄道を廃止した事で更に地域が寂れ、やがてバスも走らなくなります。残るのは乗用車やトラックだけとなります。お年寄りや通学の高校生など、乗用車に乗れない人は一体どうすれば良いのでしょう?非正規労働者にとっても今やマイカーは高嶺の花です。これらの人たちは「一歩も家から出るな」と言うのでしょうか?
この提言を書いた人は、バスやトラックの業界が深刻な人手不足に陥っているのを知らないのでしょうか?慢性的な低賃金・長時間労働の為に、幾ら人を募集しても集まらない。運転手の高齢化もどんどん進む中で、最後には北海道の玉葱を東京に運ぶ人もいなくなる。ただでさえ玉葱の値段が高騰する中で、北海道の玉葱が食べれなくなったら、一体どうなるのでしょうか?
そもそも鉄道と他の交通機関では、輸送力が桁違いです。鉄道なら1編成の列車で一度に数百人は運べます。しかしバスだと、せいぜい50人が限界です。乗用車では数人しか運べません。そのくせ燃料は一杯食います。これだけ地球温暖化の危機が叫ばれている時代に、何故、敢えて資源浪費の道を選ぶのか?私には全然理解できません。
そもそも、何故、鉄道が赤字になったのでしょうか?国が新幹線や高速道路の拡充にばかりお金を使い、在来線に十分な予算を振り向けて来なかったからではないですか。新幹線や高速道路の開通で、確かに終着地には早く着く事が出来るようになりました。でも、それで潤うのは終着地に住む人たちだけです。途中の市町村は、逆にダイヤ削減で不便になりました。その為に、今やどこも寂れる一方です。
私も乗り鉄の端くれなので、各地を旅行します。そこで見たのは、地方都市でありながら、駅前に人っ子一人いない商店街でした。今や、そんな町があちこちに広がっているのです。このままでは日本は、北朝鮮のミサイルや原発事故で滅ぶ前に、地方衰退で滅ぶ事になるでしょう。
JRの鉄道赤字について語る際には、それに加えて旧国鉄分割・民営化の弊害にも触れておかなければなりません。JR各社のうちで、赤字なのは北海道・九州・四国のいわゆる「三島会社」だけです。本州のJR東日本・東海・西日本の各社は、今でも黒字で莫大な内部留保を抱えています。コロナの影響でここ数年は赤字が続いていますが、既に業績回復で黒字基調に戻りつつあります。JRグループ全体では黒字なのに、不採算部門だけ取り上げ「赤字宣伝」で住民を恫喝する。そんな卑怯な真似は止めてもらいたいと思います。
この提言の「ずるい所」は、鉄道赤字が国の失策による「人災」である事をひた隠しにしながら、赤字の責任を沿線住民に押し付けている点です。「鉄道を廃止してほしくなければ、ダイヤ削減も運賃値上げも容認しろ。自治体からの補助ももっと寄こせ。(自分でダイヤ削減しておきながら、不便になった鉄道に)頑張って乗れ」。
やれ「老朽化した橋やトンネルの改修にお金がいる」「雪かきにお金がいる」と御託ばかり並べていますが、「だったら予算をもっと寄こせ」と国に要求するのが筋です。JRは確かに民間企業ですが元は国鉄。それを分割・民営化しても経営を維持できると判断したからこそ、国もそうしたのでしょう。
それが今頃になって投げ出すとは。それで乗客にばかり責任転嫁するのは筋違いです。鉄道があるからこそ、大雪の日でも通勤や通学が出来るのです。道路はそういう訳にはいきません。幹線道路は何とか除雪できても、生活道路にまでは手が回りません。雪で何日間も集落が「陸の孤島」になったニュースが、冬になると必ず流れて来ます。その時にようやく鉄道の有難味が分かっても、もう廃止されたら手遅れです。
こんな提言を出すようでは、「JR北海道は国民に喧嘩打っているのか?」と思われても仕方ありません。「儲かる路線だけ自社で営業し、儲からない路線は廃止か第三セクターで負担を住民にしわ寄せ」。そんな無責任な鉄道会社なら不要です。もはやJR北海道は、経営権を一刻も早く国に返上して、再国有化してもらった方が良いと思います。
2023年の幕が開きました。新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
新年早々から朗報です。コロナ禍で休止を余儀なくされていた釜ヶ崎の越冬祭りが今年から再び始まりました。大阪・西成あいりん地区(旧称・釜ヶ崎)の萩之茶屋南公園(通称・三角公園)を中心に、野宿者支援の炊き出しや、野宿者を無法者の襲撃から守る為の集団野営、公園ステージのイベント、難波・梅田など繁華街で暮らしている野宿者に対する夜回り・弁当配布・医療支援活動が、50年ほど前から毎年暮れの時期に行われてきました。これらの支援活動を総称して「越冬闘争」と呼ばれます。何故、単なる支援活動ではなく「闘争」なのか?野宿者にとっては仕事のなくなる年末年始を生き抜く事自体が一つの「闘争」だからです。しかし、幾ら「闘争」でも野宿者自身が楽しく参加できなければ意味がありません。そこで三角公園で毎年盆と暮れの時期にコンサートが開催されてきました。それが釜ヶ崎の夏祭りと越冬祭りです。
その越冬祭りが、2019年の年末を最後に、コロナ禍の為に2年間休止を余儀なくされてきました。炊き出しも人の密集を避ける為に弁当配布に縮小され、夜回りだけが行われてきました。今もコロナ禍は依然として猛威を振るっていますが、コロナウィルスの「弱毒化」に伴い、今年から越冬祭りが再開される事になりました。私もつい最近まで、このあいりん地区に住んでいて、釜ヶ崎の夏祭り、越冬祭りには毎年参加して来ました。今年から再び越冬祭りが行われるようになると聞き、昨日の大晦日に久しぶりに顔をのぞかせて来ました。
越冬祭り会場の三角公園への行き方は上の地図を参照して下さい。グレーの線と囲みがJR・南海・阪堺各線の線路と駅、ピンクの囲みが旧あいりんセンター、ピンクの直線が南海電鉄萩ノ茶屋駅から阪堺線今池駅の方に抜ける萩之茶屋商店街、オレンジの囲みが祭り会場の三角公園です。下の表は祭りイベントのコンサートプログラム(12/30~1/3日開催)で、私はその中の12月31日の部、17時から始まった中川五郎さんのコンサートに顔をのぞかせて来ました。
中川五郎さんの熱唱は圧巻でした。この方は60年代末からギターでフォークソングの弾き語りをされています。その頃の世代の方にとっては、高石ともや、ザ・ナターシャセブン、六文銭などとともに、割と名の知られた方だったそうで。その方が、70歳を超えた今でも、現役のフォークシンガーとして活躍されていました。会場で聴いたのは「図書館でデモをする」「一台のリヤカーが立ち向かう」の2曲です。どちらもスマホでビデオ撮影しましたが、残念ながら容量オーバーと著作権法との関連でブログに載せる事が出来ません。どちらの曲もYouTubeで公開されていますので、興味のある方はそちらのリンクを開いて聴いてください。
私はむしろ、それら2曲よりも、「1923年福田村の虐殺」という曲に圧倒されました。この曲も越冬祭りの会場で演奏されたそうですが、私は残念ながら聴く事が出来ませんでした。1923年の関東大震災で、多くの朝鮮人や社会主義者が虐殺されました。震災の混乱の中で、「朝鮮人や社会主義者が、混乱に乗じて日本を乗っ取ろうと、井戸に毒を投げ込んだ」と言うデマが、警察も含めて半ば意図的に流された中で、起こった出来事でした。殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありません。香川県から行商にやって来た被差別部落の人も、千葉県野田市の利根川の渡しの所で、大勢殺されました。被差別部落の人が「我々は日本人だ」と幾ら説明しても、千葉の人は讃岐弁が分からず、「喋り方がおかしい、こいつら朝鮮人じゃないか?」と疑われ、行商人15人のうちの9人もの方が虐殺されたのです。
虐殺に加わったのは地元の自警団に組織された200人もの村人です。その中で逮捕されたのはわずか8名のみ。その8名も後の昭和天皇即位の恩赦で釈放されています。逮捕者の家族には村から見舞金まで支給されています。その反面、被害者の被差別部落の人には謝罪も補償もありませんでした。千葉だけでなく地元の香川県でも、真相は闇から闇に葬られ、最近まで明るみに出る事はありませんでした。ようやく数年前に、虐殺現場となった利根川の渡しのたもとに慰霊碑が建てられたそうです。(Wikipediaの解説記事参照)
福田村事件について書かれた本と、同事件を題材に今年公開される映画の写真。
私、そんな事全然知りませんでした。それどころか、中川五郎さんの名前も知りませんでした。近年、北朝鮮の拉致問題やミサイル発射報道の影響で、在日朝鮮人へのバッシングや、「従軍慰安婦なぞ居なかった、あれはただの売春婦だ」というデマが広まっています。戦前は今と違い公娼制度(国が限定付きで売春を認めた)がありましたが、その公娼制度の下でも、娼妓(しょうぎ)取締規則で「強制売春」は禁止されていました。建前上は、あくまでも本人の自発性に基づく許可営業だったのです。実際は借金返済の為に遊郭に売られた人がほとんどでしたが。それに対し、慰安婦は「いい仕事がある」と騙されて連れて来られた人が大半です。公娼制度下の建前上の「許可」や健康診断受診などの「保護」措置もありませんでした。従軍慰安婦は当時でも違法な「強制労働」の「犯罪行為」です。
私のブログでも過去に北朝鮮の拉致問題を取り上げた事がありました。拉致問題をきっかけに、北朝鮮国内の政治犯収容所の存在や、餓死寸前の北朝鮮難民が中国や韓国、日本に逃げてきた脱北者の存在が明るみに出て来ました。私のブログでも、北朝鮮の人権侵害に対して抗議のキャンペーンを張りました。しかし、その一方で、北朝鮮拉致問題を口実に、国内の在日朝鮮人に対するバッシングが広まり始めました。拉致被害者支援に名を借りて、朝鮮人差別を煽る投稿が目に付きだしました。それに対して、私は次第に距離を置くようになりました。幾ら北朝鮮の人権侵害が酷くても、それとは何の関係もない在日朝鮮人を叩いたり、過去の戦争犯罪に目をつむるのは筋違いじゃないかと。
その中で知ったのが、中川五郎さんのこの歌でした。朝鮮人虐殺の犠牲になったのは朝鮮人だけではない。同じ日本人も犠牲になった。日本人の中でも被差別部落の人が、「怪しい行商人」として震災の混乱の中で殺された。被差別部落の人は、貧しさゆえに田畑を持てず、高い小作料も払えず、やむなく行商で生計を立てる他なかっただけなのに。差別や排除の対象にされるのは朝鮮人や慰安婦だけではない。被差別部落民や野宿者、非正規労働者も差別の対象にされる。不景気になれば真っ先に首を切られるのは派遣の労働者だ。現に私も、世間が休みの正月も、通常の休み以外は働かなければならない。これが差別でなくて一体何なのか?
中川五郎さんの「福田村の虐殺」の歌詞は余りにも長いので、ブログの字数制限の関係で全文を転載する事は出来ません。ここでは後半の一部だけを転載する事にします。歌詞の最後の「デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠 信じることから始めよう、人はみんな同じ」のくだりは、私も含めて今も全ての日本人の胸に突き刺さる言葉です。たとえ正月であっても。むしろ年頭の正月だからこそ。
見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの
昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ
※追記:コメント欄に「福田村の虐殺」歌詞全文を投稿する事が出来ました。gooブログでは、本文の方は字数オーバーで投稿出来なくても、コメント欄なら出来るようですw。