アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
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日本人もこのしたたかさはもっと見習うべき

2024年05月10日 20時59分06秒 | 当ブログと私の生い立ち
インドネシア - パダン - ミナンカバウ - ジャカルタ - 他にはない列車 - ドキュメンタリー - SBS
 
面白い動画を見つけました。フランス人の旅行者が世界各地を旅する動画ですが、面白いのはその訪問先です。その大半が欧米ではなく南米やアフリカなどの途上国です。そして現地の鉄道に数多く乗っています。今や航空機や高速道路で旅するのが主流となっている時代に。私はこの動画を見て、撮影者が鉄オタ(鉄道オタク、鉄道趣味者)である事を確信しました。そして非常に親しみが湧きました。
 
私も鉄オタの端くれで、途上国の鉄道にも興味があります。途上国にも面白い鉄道が一杯あるのに、情報量が少ないので、なかなかお目にかかる機会がありません。その中で、この動画は貴重な情報を提供してくれるので非常に助かります。フランス語の動画ですが、一応、日本語の字幕も付いているので(不正確な機械翻訳ですが)、大まかな話のあらずしはある程度追えるようになっています。非常にお勧めの動画です。
 
その旅行動画のインドネシア編の中に、ジャカルタ首都圏の国電のラッシュアワー風景などが出て来る場面があります。インドネシアの鉄道も首都近郊区間は電化されていて、中古の日本製電車が走り回っています。
 
そのインドネシアの鉄道動画の最初から21分ほど過ぎたあたりで、地元の人々が線路に寝そべる場面が出て来ます。何故そんな事をしているのかと言うと、電車線なので線路にも微弱な電流(静電気?)が流れているのでしょう。何と、それを電気風呂代わりにして肩や首の凝りをほぐしているのだそうです。
 
一応、横には見張り役が何人か立っていて、電車が接近したら退避するよう指示を出しているようです。私はそれを観て、その余りに危険な行為に呆れると同時に、それをものともしない「したたかさ」にも舌を巻きました。
 
日本人は明治以降、「欧米に追いつけ追い越せ」で来たので、よく言えば勤勉で生真面目(きまじめ)、悪く言えば世間体をやたら気にする、そういう気風が身についてしまっています。だから、このような「したたかさ」は日本人には余り見られません。
 
でも、それ以外のアジアの国々では、民衆は封建王朝や植民地支配の欧米人に搾取される一方だったので、日本人のような勤勉性や生真面目さは余り身に付きませんでした。幾ら生真面目に働いても搾取されるだけなので、隙あらば仕事をサボろうとします。だから、町中ゴミだらけ、交通違反も日常茶飯事で、電車の窓にも投石防止の網が張られるようになります。
 
それどころか、タイのメークロン市場のように、現役の鉄道線路内に市場が出来、列車が通過する時だけ大慌てで逃げ、列車が通り過ぎるとまた営業再開。その珍風景が有名になり観光地になった場所まであります。途上国はそんな鉄道だらけなので、電車の線路をマッサージ機代わりにする行為も、彼らにとっては日常のストレス発散でしかないのかも知れません。
 
こんな危険な迷惑行為は到底容認出来ませんが、その一方で、この「したたかさ」には流石に舌を巻きました。私の勤め先のトイレのベトナム語の落書きも、彼らにとっては、この「度胸試しの電気風呂」と同じかも知れません。だからと言って、こんな危険な迷惑行為が許される物でない事は言うまでもないですが。
 
しかし、その一方で、インドネシア人のこの「したたかさ」は日本人も見習わなければならないと思います。例えば先日私が旅行した中国地方のJR芸備線も、赤字を口実に1日3便までダイヤを削減されました。こんな不便なダイヤでは誰も鉄道に乗ろうとは思いません。それどころか、JR木次線の末端区間に至っては、冬になれば春までずっと全面運休です。JR西日本は最初から除雪する気がないのです。
 
こんな無責任な話がありますか。鉄道は公共インフラです。幾ら赤字経営の民間会社と言えども、ろくに経営努力もせずに、簡単に地域住民の足を奪う権利なぞありません。そんな事も分からない人間に、鉄道経営なぞやる資格はありません。
 
それでも「勤勉」で「生真面目」な(裏返せば「権威盲従」で「奴隷根性の染み付いた」)保守的な日本人は、国やJRから赤字だと言われたら、もう仕方ないと諦めてしまう。いくら地域住民が鉄道廃止に反対しても、「地域エゴ」だと見殺しにしてしまう。本当にエゴなのは、鉄道を単なる金ヅルとしか見ないJRのような会社なのに。
 
JR木次線の絶景ポイント、奥出雲おろちループ
 
でも途上国の人達は違う。そんな電車の走らない線路なら、自分達でトロッコ作って勝手に走らせてしまう。実際、東南アジアや南米、アフリカあたりに行けば、そんな鉄道が一杯あります。
 
勝手にトロッコ走らせるか否かはともかくとして、「国の出方によっては我々も考えがあるぞ」と、そこまで匂わせるぐらいの強面の交渉をしても良いのではないかと思います。日本人は一体からして大人し過ぎるのです。だから自民党の裏金議員みたいな連中が、いつまで経ってものさばり返っていられるのです。
 
要は、国民は政治家に「舐められている」のです。国民が余りにも大人し過ぎるから。ネトウヨ(ネット右翼)なぞは二言目には「中国に舐められるな」と言いますが、自分たちの国の政治家にここまで舐められたままで、他国の事を幾らボロカスに言っても、「矛先逸らし」にしかならないと思いますね、私は。
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空の安全を守る署名に是非ご協力を!

2024年05月08日 13時36分34秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
昨年の正月に私を訪ねて来られたブログ仲間のブログに下記の署名要請記事が掲載されていました。航空機のドア数と同数以上の客室乗務員を機内に配置する事を要求する署名です。(参考:上記は昨年オフ会の時の写真当時のオフ会の記事今回の署名要請記事
 
この署名は今年1月2日に羽田空港で起こった衝突事故を契機に始まりました。当日、能登半島地震被災地の救援に向かおうとする海上保安機が羽田空港でJAL機と正面衝突しました。この事故の背景には航空機の便数増に見合う空港管制官の増員がなされていなかった事があります。その一方で、JAL機には航空機のドア数と同数の客室乗務員がドア付近に配置されていた為に、機体が炎上する前に乗客全員を機外に退避させる事が出来ました。
 
その教訓を生かす為にも、客室乗務員の増員や待遇改善は急務です。その為、急きょ拙ブログでも署名の拡散に応じる事にしました。以下はその署名要請文です。↓
 

2024年1月2日、羽田空港でJAL機と海上保安庁機が衝突し、海上保安庁機の乗務員5名が死亡した事故は国内外に大きな衝撃を与えました。この事故では、JALの乗客・乗員は全員が炎上する機体からの脱出に成功しましたが、その背景として、旅客機のドア数と同じ人数の客室乗務員(CA)が配置されていたことが指摘されています。旅客機のどのドアを脱出に使用できるかを判断する際、1つのドアに1人の乗務員がついていれば、当該乗務員は自分が担当するドアの使用可否のみを判断すれば良いからです。

しかし、日本の現在の法制度では、ドア数以上の乗務員を客室内に配置することは運航上の絶対条件とはされていません。そのため、実際にはドア数に満たない客室乗務員数で運航されている航空便も多く見られるのが現状です。もしそのような状況の旅客機で同じような事故が起きた場合、今回のような“奇跡”はあり得ません。

これに加え、日本では客室乗務員は国家資格とはされておらず、一般の接客業従事者と法制度上は同じ扱いです。諸外国では客室乗務員を航空安全従事者に位置付け、国家資格の取得を就業条件としている国も多く見られます。この意味でも日本の航空行政は大きく立ち後れています。

この請願署名は、こうした現状を抜本的に改め、客室乗務員を航空従事者に位置付けること、全ての脱出扉に乗務員の配置を義務づけることを国に求めています。安全問題研究会でも、請願の趣旨は大いに理解できるとともに、正当なものであるため、協力することとしました。2024年1月2日の再来を避けるため、1人でも多くの方の署名をお願いします。

署名用紙ダウンロード
・第1次集約 2024年8月31日
・連絡先 ジャパンキャビンクルーユニオン jcuhonbu2018@gmail.com
・送付先 〒144-0043 東京都大田区羽田5丁目11-4 フェニックスビル 航空連気付 ジャパンキャビンクルーユニオン

 なお、上記の他、安全問題研究会(注:ブログ仲間のサイト)宛てに連絡いただいてもかまいません。

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今年も桜の季節がやって来た

2024年04月08日 20時55分46秒 | 当ブログと私の生い立ち

大阪でもようやく桜が満開に。近くの住之江公園で束の間のお花見に出かけました。グラウンドでは少年たちが野球に興じていました。公園にはキッチンカーも出ていました。

公園の中を北に向かうと太鼓橋のかかる池に出ます。ここも有名なお花見スポットです。さらに公園の北側には住吉川が流れ、両岸には桜並木が続いています。

住吉川の桜並木は川の両岸にありますが、南側(川の左岸)は並木とベンチがあるだけです。しかし北側(右岸)には小高い丘みたいな所もあり、ここで皆さんシートを広げてお弁当を食べていました。ここは他のお花見スポットほど有名ではないので、お花見に来るのも近くのマンション住民に限られます。その分、落ち着いて花見が出来るので、私も桜の季節には必ずここでお花見をします。この日も近くの「りくろーおじさんのチーズケーキ」の店で買ったパンでランチにしました。

川を渡って公園に戻り、今度は公園の西側(幹線道路や競艇場に面した方)を駅に向かって進みます。ここには花壇があり、花壇のステージではコスプレ衣装の少女たちが歌を歌っていました。やがて護国神社の境内に入ります。

護国神社も隣の住之江公園と並ぶ桜のお花見スポットです。ここも桜が満開に咲き誇っていました。境内は大勢の花見客でにぎわい、キッチンカーも多数出店していました。でも、神社の絵馬には戦艦が描かれ、境内では自衛隊が隊員募集活動を行っていました。護国神社はいわば「大阪の靖国神社」です。自衛隊の災害被災地救援活動については私も有難いと思いますが、隊内にはびこるハラスメントや、政教分離に反する靖国参拝、右翼文化人を呼んで戦争賛美とも取れる講演が毎年のように繰り返されている現状に対しては、非常に違和感を覚えます。

桜と言えば、競馬ファンにとっては何と言ってもGⅠレースの桜花賞w。毎年このレースは桜が散った後に開催されていましたが、今年は満開になるのが遅かったので、ちょうど桜が見頃を迎えた時期に競馬を楽しむ事が出来ました。当日は日曜日で、朝から阪神競馬場に行く事も出来ましたが、帰りの大混雑に巻き込まれるのが嫌だったので、馬券は近くのウインズで買う事にしました。護国神社を抜け、駅から地下鉄に乗ってウインズに。2番の◎クイーンズウォーク(8着)から三連複フォーメーションと馬連で流した為に、せっかく〇ステレンボッシュと▲アスコリピチェーノが1・2着に来て、3着の人気薄△ライトバックもヒモで買っておきながら、タテ目で外してしまいました。

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リアルあまろっくな婚活体験

2024年04月07日 08時02分06秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
今使っているレンタルブログ運営会社と提携しているMatch(マッチ)というネット婚活サイトで、ずっと無料会員でいましたが、何を血迷ったかw、37歳の女性がいきなり私のプロフィールを見て、ダイレクトメッセージを送って来ました。
 
無料会員のままでは返信出来ないので、1万7千円もの大金払って、6ヶ月間の有料会員になり、そのT美という女性とやり取りするようになりました。
 
私のプロフィールには、年齢や身長だけでなく、前任地で必要備品のドーリー(荷物を載せる台車)も購入してくれず腰痛持ちの私に重たい商品積み替え作業させようとする会社に対して、個人加盟のユニオン(労働組合)に入ってドーリーを買ってもらえる様に団体交渉した事や、毒親の親父と喧嘩して家出して来て西成のあいりん地区で一人暮らしを始めた事も書いてあります。
 
そんな癖のあるwプロフィールを観て、わざわざダイレクトメッセージを送って来るのは、一体どんな人なのか?期待もあったので、一応、有料会員に登録はしたものの、それでも半信半疑だった私は、相手からの質問にだけ答える様にしていました。
 
その後のやり取りは、さながら就職面接みたいな様相を呈するようになりました。
 
照:お好きな映画とかありますか?
私:映画もたまに見ますが、大きな映画館で上映される商業ベースの映画よりも、町の小さな映画館で上映される映画の方が好きです。例えば○○なぞ…。
 
照:婚活そっちのけで投資を勧められて嫌な思いをしました。あなたは投資や融資に興味はありますか?
私:余りありません。
 
そんなやり取りを暫く続けていましたが、やはり数日前から連絡がつかなくなりましそのT美という女性と連絡が付くなら、私が何故NISAやFXなどの投資話に興味がないかについても話そうと思っていました。
 
 
私は地方のローカル私鉄に乗るのが好きで、あちこち旅行しています。それらのローカル私鉄は大抵が赤字路線です。到底、投資の対象にはなりません。でも、そんなローカル私鉄でも、過疎地域の高校生や老人にとっては、無くてはならない貴重な足なのです。鉄道会社もそれを分かっているから、赤字を減らそうと精一杯努力しています。銚子電鉄のように濡れ煎餅を売ったり、岳南電車のように夜景電車を走らせたり、大井川鐵道のようにSLを走らせたりして。
 
でも、資本主義の利益第一主義の価値観では、そんな赤字ローカル線はお荷物でしかない。投資の対象になるのは、ドル箱路線の東海道新幹線やリニア新幹線を抱えるJR東海や、大都市の通勤路線を抱えるJR東日本、JR西日本だけです。
 
そこには生身の人間はいません。売上高や経常利益、株式や資本金の数字しかありません。私はそういう、人を人とも思わない、新自由主義、拝金資本主義の価値観そのものが嫌いなのです。
 
 
じゃあ競馬はどうなのか?競馬も馬を金儲けの道具と見る限りでは、NISAやFXと同じではないか?そう思う方もおられるかも知れません。でも私はそれは違うと思います。
 
競馬ファンは馬の能力だけでなく、生い立ちや性格、騎手との相性も見ます。レースで勝つ為に、騎手や厩舎がどれだけ苦労しているか?馬がどれだけ頑張っているか?そこもちゃんと観ています。そこまで観てこそ、初めてどの馬が勝つか予想出来るのです。
 
その中でも、特に穴党と呼ばれる人達ほど、敢えて人気薄の馬の馬券を好んで買います。弱い馬も、たまたま馬場や距離、展開が合わないだけで、本当は強い馬も大勢いる事を知っているからです。私が2016年のエリザベス女王杯で人気薄のプロレタリアトを応援したのも同馬の馬名(労働者階級に由来)にほれ込んだからです。そのあたりは、地方ローカル線に敢えて魅力を感じる私の気持ちと重なる部分があります。
 
NISAやFXにはそんなドラマはありません。投資家が相手にするのは金だけです。労働者が幾らブラック企業に搾取され過労死しようと、金さえ儲かばそれで良いのです。でも、T美さんと連絡が付かなくなったので、そういう話も出来なくなりました。
 
もうすぐ「あまろっく」という映画が公開されます。兵庫県の尼崎で町工場を経営し、妻に先立たれた65歳の老人が、20歳の小娘と再婚します。良く言えば天真爛漫、悪く言えば天然のその小娘が、下町家族の団欒に憧れて、鶴瓶扮するその老人と結婚するのですが、老人と同居する39歳独身の娘とはソリが合いません。
 
江口のりこ扮するその娘は、町工場の親父の自堕落な生き方に反発して、東京でキャリアウーマンとして生きて来たものの、リストラに遭い、実家に舞い戻ってニートみたいな生活を送っていました。
 
天然の小娘は、そのニートの娘を不憫に思い、婚活の世話を焼き、かえって娘とトラブルになる…そんなストーリーの映画です。
 
その映画に登場する小娘が、何となく今回のT美という女性とよく似ているように感じます。実際はどうなのか?とりあえず「あまろっく」の映画を観て考えようと思います。
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井の中の蛙にはなりたくない

2024年03月09日 13時22分38秒 | 当ブログと私の生い立ち

 

先日、X(旧ツイッター)で、「山猫ぽてと」さんという方から、「れいわ新選組」のフレンズ(サポーター)加入のお誘いを受け、丁重にお断りしました。お断りした理由もXで書きましたが、投稿字数に制限のあるXでは十分な説明が出来ないので、自分のブログで改めてお答えします。

お断りした理由は、一言で言えば「井の中の蛙(かわず)にはなりたくない」からです。私は大学生の時に共産党に入党してから40歳ぐらいまでずっと党員として活動して来ました。大学卒業後も20年近く共産党系の生協で働いてきました。生協の労働条件が厳しい事は入る前から薄々知っていましたが、それでも「組合員の生活を守る消費者運動の立場から、今の世の中をより民主的な社会に変えていく」点に魅力を感じて、生協に就職しました。

生協の中では主に商品管理や物流センターの業務に携わって来ました。そこで15年ほど仕事に携わって来ましたが、最後の5年ほどの間に職場環境はガラッと変わりました。それまでは物流センターの職員もパート・アルバイトも全て生協の直雇用でしたが、徐々に外部の派遣社員に置き換えられて行きました。残った職員は派遣社員向けのマニュアル作成や指導業務に追われるようになりました。(参考記事

私の場合はそれに加え、問題ある同僚や部下の管理まで押し付けられました。今から思えば、どちらもアスペルガー症候群(適応障害の一種)の気のあった職員や部下だったように思います。しかし、当時はアスペルガー症候群に関する知識もなかったので、私はどうして良いか分かりませんでした。次第に仕事が回らなくなり、上司との間で板挟みにあい、軽い「うつ状態」に追い込まれていきました。

その頃の労働条件は悲惨の一語に尽きます。朝7時に物流センターに出勤し、冷凍庫・冷蔵庫の中で少ないバイトと商品の仕分けに追われ。しかもバイトの1人はアスペルガーで、そいつのせいで他のバイトはなかなか定着せず。商品の仕分け間違いも頻発。夜もウィンドウズ98のしょうちゅう固まる当時の欠陥パソコン相手に、その頃は私もパソコン音痴で、マニュアル作成は一向に捗らず。

おまけに当時の上司も今から思えばアスペルガー。上司と2人でマニュアル作成に追われる中で、遂に上司がブチ切れ、夜中の2時にそのアスペルガーの上司に机を叩かれ、仕事の遅れをなじられた。そんな時間まで仕事に追われていても、残業代は一切支払われず。職員は専従活動家という扱いだったので、残業代はパートやアルバイトにだけ支払われていて、職員にはほとんど支払われず。

今の私だったら、こんな扱いされたら絶対に黙っていません。尻尾を巻いて辞めるのではなく、徹底的に闘う道を選びます。毎日、退勤時刻を記入し、守衛の警備日報(最終退出者の氏名や退勤時刻が記載される)も秘密裏にコピーさせてもらい、それを証拠に労働基準監督署に告発します。御用組合の生協労組なぞには一切頼らず、自前で弁護士立てて闘います。

でも、当時は生協の中の世界しか知らない「井の中の蛙」だったので、そんな知恵は全然働かなかった。「自民党政府に生協運動弾圧の口実を与えてはならない」という意識にとらわれていたので、告発なぞ思いもよらなかった。「労働者の味方」であるはずの「労働組合や共産党が、最後には助けに来てくれる」と、他力本願でひたすら相手の善意だけを期待していた。そんな状態だったので、最後にはもう自主退職で「緊急避難」するほかなかった。

ここで問題にすべきなのは生協であり、共産党ではない。そんな事は分かっています。生協はあくまで大衆団体であって、政党である共産党とは違います。でも、私が在籍していた生協は、創立者が共産党員だった事もあり、生協の中でも特に共産党色が濃厚でした。私の目から見たら同じ体質の団体に他なりません。

その共産党系生協も、最初は温かみもあり、仕事にやりがいも感じられました。上司も、ダメな部下を切り捨てるのではなく、長所を引き延ばそうとする度量のある人が多かったように思います。専務と言えども、半ば友達のような存在でした。その当時は「民主集中制」がそれなりに機能していたように思います。

でも、やがて生協も大きくなり、経営の実権も、生え抜きの創立者からヘッドハンティングされた外部人材に移っていきます。職員も、学生運動上りの活動家だけでなく、一般の大学生・高校生や中途採用者からも募集するようになります。生協全体が、次第に「資本主義」の色に染まっていくようになります。でも「民主集中制」だけは、職員支配には好都合なので、そのまま維持され続けます。

すると、どうなるか?自浄作用が働かなくなり、資本主義のブラック企業が、形だけ「消費者運動」や「労働者の味方」を名乗り続けるようになるのです。かつてのソ連・東欧や、今の中国や日本の共産党の中で起こっている事こそが、まさにそうではありませんか?

昔は共産党は権力から弾圧されていた為に、権力のスパイが党内に潜入してかく乱するのを防ぐ為に、分派禁止の「民主集中制」が組織原則として採用されました。「めいめいが個人主義で好き勝手にやっていたのでは、革命なぞ絶対に達成できない。党内では民主的に議論するが、一旦決まった方針については全員がそれに従う。その結果、都合が悪ければ、またその時に議論して、新たな方針を採用すれば良い」。共産党の言い分によれば、これこそが「民主」と「集中」の長所を兼ね備えた「民主集中制」と呼ばれる組織原則だそうです。

でも、この原則には落とし穴があります。いくら仮に党内で民主的に議論出来たとしても、党内の事しか知らない、党の体質に染まった人たちだけで議論している限り、「井の中の蛙」で終わってしまいます。過去の私がその良い例です。

生協の中の世界しか知らなかった為に、残業代未払いが労基法違反の明白な「犯罪行為」である事を見抜けなかった。夜中の2時にアスペルガーの上司に机をたたかれ脅されても、それが不当なパワハラ・人権侵害であり、「仕事の速い・遅い」は何ら正当化の口実にはならない事にも気が付かなかった。自分の身を守る事だけで精一杯で、「後輩にも同じ嫌な思いを味わせてはならない」点にも思い至らなかった。

元共産党幹部の松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)さんという方が、昨年、党外の出版物で「党首公選制」と「安保条約廃棄の見直し」を主張し、党を除名されました。それに対し、共産党は「党内では民主主義が保障されているのに、党内では何も言わずに、いきなり党外の出版物で党の方針を批判し始めた。これは民主集中制に反するので除名した」と反論しています。

私もこの松竹さんの本「シン・日本共産党宣言」(文春新書)を買って読みました。確かに、この本に書いてある内容については、少なからず異論はあります。例えば「安保廃棄の公約が野党共闘の障害になっている」と主張している点などです。じゃあ、日米安保条約容認に転ずるべきなのか?今でも米軍基地の治外法権や米兵犯罪に苦しみ続ける沖縄を無視するのか?それで本当に「弱者の味方」と言えるのか?

でも、それ以外の論点については、私も松竹さんの言うとおりだと思います。この本を読めばわかりますが、松竹さんも党の歴史や綱領の先見性は認めた上で、「民主集中制の見直し」と「党首公選制」を主張しているに過ぎません。これが何故「党を攻撃」した事になるのか?私にはさっぱり分かりません。

そんな事言い出せば、前述の生協における不払い残業告発の事例も、生協経営者の側からすれば「生協内部の問題を勝手に外部に持ち出した」として解雇の対象になるでしょう。冗談じゃありません。罰せられるべきは法律違反の人権侵害を行った生協の方です。自浄作用が働かなくなった組織については、問題を外に持ち出して、世論にその是非を訴えるしかないじゃないですか。

第一、これだけネットが発達し、ラインでいくらでも個人同士で自由に意見交換出来る時代に、党中央との縦の意見交換しか認めず、党員間の横の意見交換は全て分派とみなして認めないのは、もう時代錯誤という他ありません。そんな事言っていたら、最後には、もう誰からも相手にされなくなってしまいます。

 

じゃあ、何故「れいわ新選組」のサポーター加入も断ったのか?それは「れいわ新選組」も、党内民主主義の実現という点では、はなはだ疑問に思う点が少なからずあるからです。

一例がそのサポーター制度です。サポーター制度は「れいわ新選組」以外の政党にもあります(ないのは共産党と公明党だけ)。「党友」「協力党員」など、サポーターの名称は様々ですが、どこも党首選挙に参加できません。参加できるのはヒラ党員からで、実際は一人でヒラ党員の何倍もの票を持つ国会議員票の数で党首が決まる。これではサポーターなんてただの将棋の駒に過ぎません。これの一体どこが民主的なのか?これでは共産党とさほど変わらないのでは?

その最たるものが自民党です。自民党の裏金問題も、党内に自浄作用が働けば一切起こらなかったはずです。自浄作用が働かなかったからこそ、政党助成金(国民の税金の一部)を裏金にして私腹を肥やすような事が何十年もおとがめなしでまかり通って来たのです。そんな党が、果たして共産党の事を「非民主的」と批判出来るでしょうか?

だから、私はもうどの党にも所属せず、自由な立場で、政治に関して意見を言いたいのです。

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年金も支給せず介護保険料も勝手に滞納扱い

2023年09月20日 20時13分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
今年8月分に支給されるはずの厚生年金が支給されていなかった事が分かりました。通常なら今年も偶数月に支給されていなければならない年金が、6月を最後に支給がされず、8月分が銀行口座に振り込まれていませんでした。
 
これが給与の未払いなら、たちまち生活に支障を来たすので、給与支給日に給与が振り込まれていなければ、速攻で会社にクレームを入れるのですが、年金が支給されなくても当座は給与だけで食べていけるし、年金の事なぞ普段余り意識する事がないので、支給されていない事に今まで気付きませんでした。
 
8月に支給されていなくても、「あれ、給与はちゃんと振り込まれているのに年金はまだ振り込まれていない?ひょっとしたら来月の振り込みかな?」てな具合で、別に深く気には留めませんでした。でも、2ヶ月たっても振り込まれなければ、さすがにおかしいと気付きます。そこで、昨日の仕事帰りに、管轄の年金事務所に立ち寄って、未支給の原因について調べてもらいました。その結果、次の事実が判明しました。
 
私は数年前に親父と喧嘩して実家を飛び出し、一人暮らしを始めました。その為に、親父に今の住所が知られるのが嫌で、今も住民票は実家に置いたままにしています。そして、実家を出た後も、西成区のホテル住まいから近くの賃貸へ、そこからまた住之江区の今の賃貸というように、何度か転居を繰り返しています。
 
その中で、私も満65歳になり、基礎年金に加え老齢年金も支給されるようになりました。しかし、実際に年金を受け取れるようになるには、自宅に届いた年金請求書に、年金繰り下げの有無を記入して、年金機構に返送しなければなりません。「年金繰り下げ」とは、年金の支給開始年齢を後にずらす事です。満75歳までずらす事が出来ます。その反対に、年金支給年齢を満60歳まで前倒しするのが「年金繰り上げ」です。(上の画像がその年金請求書のサンプルです)
 
ところが私は、住民票を実家に置いたままにしているので、転居するたびに、住所変更届を年金事務所に出さなければなりません。私も最初はそうしていたみたいです。ところが、転居を繰り返すうちに、住所変更届の事はすっかり忘れてしまっていました。会社に出す住所変更届の方は、通勤手当支給の関係もあるので、こまめに出していましたが、年金なんて普段は余り意識しない為に、住所変更届の提出を忘れてしまっていたのです。
 
今の住所に移り住む前に住んでいたのは西成のあいりん地区です。あそこは人の出入りも激しい地域で、宛先不明の郵便物が届いても、きちんと郵便局に届け出る人ばかりではありません。西成に届いた年金請求書も、新しい住民によって、そのままゴミ箱に捨てられてしまったのでしょう。年金請求書の「繰下げを希望しない」欄にチェックを入れてを選んで返送しなければ、「繰り下げ待ち」扱いにされ、以後の年金支給がストップしてしまう仕組みになっていたのです。
 
確かに、これは私のミスです。しかし私にも言い分があります。年金を受け取るのは「お恵み」でも何でもありません。正当な権利です。その為に、今まで厚生年金保険料も払ってきたのです。だったら、受け取る権利がある人全員に、何もしなくても自動的に受け取れるようにするのが筋でしょう。そうであるにも関わらず、何故、自分の方から改めて請求しなければ受け取れないような仕組みに、わざわざしたのか?そんな面倒な事したら、私のように、請求手続きするのを忘れてしまう人たちが他にも大勢出てしまいます。
 
しかも、大多数の人が希望するはずの「自動継続」ではなく、例外措置に過ぎない「繰上げ」や「繰下げ」を基準にして、それも国にとって都合の良い「繰下げ」を基準にして、「繰下げを希望しない」を選んで返送しなければ支給を停止してしまうなんて。それでなくても、年金事務は煩雑で、「消えた年金」問題で過去あれだけ大騒ぎしたのに、わざわざ、それに輪をかけるような事してどうするのか?そこまでしてまで年金を支給したくないのか。国民の生活を保障するのが国の仕事なのに。
 
 
それでも、年金支給が停止されていた事が早めに分かったので、まだ良かったです。私は年金事務所で住所変更届を提出したので、未支給の年金も後日に支給される様になりました。但し、次の10月支給にはもう間に合わないので、2回後の12月に、8月・10月・12月の3回分をまとめて受け取る事になります。(上の画像が、その時に年金事務所からもらった受付控え)
 
私の場合はそれに加えて、昔1年間だけ私立高校で社会科の講師をやっていた事があるので、厚生年金以外に、私学共済の年金も受給しています。しかし、こちらも8月から支給されなくなっていました。たった1年間の講師生活の共済年金なので、わずか数千円の支給額ですが、それでも年間に換算すると数万円になります。
 
こちらは、私の方から今朝、私学振興事業団の共済業務課に電話して、転居届と年金請求書を現住所に送ってもらう事になりました。これらの書類が届き次第、今の住所への変更届と、「繰下げを希望しない」を選択した請求書を先方に返送して、手続きが済み次第、未支給の年金が振り込まれる事になります。
 
 
年金制度がややこしいのは、これだけではありません。実は介護保険料の支払い方法も、満65歳を境に変わります。それまでは健康保険料などの他の社会保険料と同様に、給与から自動的に引き落としされていたのが、以後は住民票の住所地の役場(私の場合で言えば実家のある市町村の役場)に、わざわざ自分の方から払いに行かなければならないのです。数年後には年金から自動的に引き落とされるようになるそうですが、今はまだその準備が整っていないので、市町村から数ヶ月おきに送られて来る「介護保険料支払い督促状」を添えて、コンビニの窓口で支払う事になります。(上の画像が、その時に市役所から届いた介護保険料支払い督促状)
 
それでもまだ、年金支給の遅れについては、住所変更届を出し忘れた自分のミスもあるので、まだ一定「仕方ないな」と思う面はあります。でも、介護保険料まで督促状で支払わなければならない事については、絶対に納得できません。国や役所の都合で、勝手に支払い方法を変更しておきながら、何故、一方的に「滞納者」扱いされなければならないのか?しかも、通常なら介護保険料の支払いだけで済むのに、督促状だとその分の「督促」手数料や「延滞」利息まで払わなければならない。それに反発して支払いをボイコットしようものなら、介護保険サービスも受けられなくなり、最悪、財産まで差し押さえられてしまう。これではまるで「犯罪者」扱いではないか。
 
この年金支給や介護保険料支払いのトラブルから透けて見える事があります。それは、国民の権利が一応は法律で保障されているような体裁を取りながら、いざ権利を行使しようとしたら、自分からわざわざ申請しなければいけなかったり、その申請手続きがことのほか煩雑で、申請方法も勝手にコロコロ変えたり、申請できる人たちの範囲を狭めたりして、権利保障を単なる「お飾り」や「絵に描いた餅」に留めようとする国や行政の姿勢です。
 
それは何も年金や介護だけに限った話ではありません。生活保護がその「お飾り」の最たる例です。憲法や法律には「誰でも健康で文化的な最低限度の生活を送る権利がある」と謳いながら、いざ生活保護を受けようと役所の窓口に行くと、「まだ働けるだろう」とか「親に養ってもらえ」と言って追い返される。いわゆる「水際(みずぎわ)作戦」で、生活保護の申請をさせないようにしている。それを潜り抜けて、ようやく保護費を受給できたとしても、役所と裏で結託した貧困ビジネスの家主によって、生活保護費の大半を巻き上げられ、そこから抜け出せないようになっている。こんな事例が横行しています。
 
「働き方改革」の問題でもそうです。「流通業界で働く労働者の長時間労働を是正する」と言いながら、大スーパー正社員の休日だけ増やして、その分の負担は全て下請けの社員やバイトにしわ寄せ。労働組合に加入する大スーパー正社員の声だけ聞くふり。大多数の下請け労働者は、たとえ同じ物流センターで働いていても、所属会社も勤務場所も、勤務時間も仕事内容も、時給も身分も千差万別。こんな状態では労働者の団結なんて到底無理です。それを分かった上で、「組合も作らず、声を上げない奴らが悪い」と知らんふり。
 
私も、今の年金制度のままで良いとは思っていません。どうあがいても、今後日本は、少子高齢化で人口が減少していくのだから、現役世代の保険料で高齢者の年金生活を支える今の仕組みのままでは、早晩行き詰ってしまうのは目に見えています。しかし、だからと言って、こんな人の無知や錯誤(勘違い)に付け込んだり、自分達で勝手に制度をいじくりながら、それに対応できない人を一方的に「滞納者」「犯罪者」扱いするようなやり方が、通用して良いはずはありません。
 
本当は、こんなプライベートな事なぞブログに書きたくありませんでした。自分の年齢が分かってしまうのでw。でも、黙っていたら、いつまでもこんな道理のない事がまかり通るようになってしまいます。いずれも、実際にその場で当事者にならないと分からなかった事ばかりです。そこで、恥を忍んで、敢えてブログに公開する事にしました。
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何故兄はネトウヨになってしまったのか?

2023年08月12日 09時31分00秒 | 当ブログと私の生い立ち
 
「コロナ禍が収束し、離れて暮らす父母と久しぶりに再会したら、かつての姿からは想像できないほど思想が変化していた。しかも、それを子供に押しつける。なかでも多いのが親のネトウヨ化や、陰謀論に染まるケース。なぜそうなったのか?」(以上、週刊SPA!「親がネット右翼・陰謀論者に…家族の悲劇」特集記事より)
 
※ネトウヨ=ネット右翼の賤称。従来は、ネトウヨの大半は、低学歴で非正規雇用の貧しい若者で、ネットで外国人排斥や弱者排除の書き込みをする事で、日頃の鬱憤を晴らしていると言われて来た。しかし、実際は、むしろ資産家の老人や、高学歴で裕福な自営業者(青年商工会議所に属する経営者など)にネトウヨが多いと言われている。
 
 
うちの兄貴がまさにそれ。若い頃はリベラルっぽい事言ってたのに、自営業始めて維新を支持するようになった途端に、「日本は朝鮮で良い事もした」「今の中国は反日」云々と。
 
曰く「植民地統治下で朝鮮の人口は増えた、日本は朝鮮に鉄道を敷き大学も建てた」「それに引き換え中国が今ウイグルやチベットでやっている事は」云々。今、中国がそれらの地域でやっている事こそ、かつて日本が朝鮮や台湾で散々やって来た事なんですが。人口なんて医療技術が進めばどんな国でも増える。
 
朝鮮半島の人口は1910年から1940年に約1.8倍増加。同時期に日本は約1.4倍増加。だからと言って戦前の日本人が裕福だったという証にはならない。そんな事は女工哀史や蟹工船などの小説を読めばすぐに分かる。今のアフリカやインドもそうだろう。幾ら人口が増えても貧富の差が縮まなければ裕福にはならない。
 
宗主国が植民地に鉄道を敷き学校を建てたのも、現地人の一部を手なずけ植民地支配の手先として利用する為。韓国やミャンマーの軍事政権を育成したのも旧日本軍人。中国が今チベットやウイグルでやっている事もそれと同じ。それを批判しながら日本の過去の植民地支配を正当化するのは完全なダブスタ。
 
そんな事は歴史の教科書を紐解けばすぐに分かる。でも日本は受験偏重の詰め込み教育なので国民はすぐに陰謀論やフェイクニュースに騙されてしまう。ネットも情報網を握っているのはGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)等の巨大資本なのに、「ネットに書いてある事は真実」とフェイクニュースも鵜呑みに。
 
私は鉄道や競馬が趣味なので、ネットでもそれらの情報をよく見る。するとパソコンやスマホも、私の検索履歴を基に、それらの情報を優先的に表示するようになる。AI(人口知能)が好みの情報を優先的に配信しているだけなのに、それがまるでネットの真実であるかのように誤解してしまう。その成れの果てがシニア右翼。
 
麻生が台湾有事で日本国民に戦う覚悟を説教。その醜い姿は、インパールやビルマの戦場を兵士の白骨で埋めながら、芸者遊びにうつつを抜かす旧帝国軍人そっくり。「下々の皆さん」と庶民を見下し、「いつまで生きているんだ」と高齢者バッシングを煽る輩が、自分の都合の良い時だけ愛国者ぶるんじゃない。
 
朝鮮は反日だが台湾は親日?その親日国の台湾で日本は一体何をした?霧社(むしゃ)で蜂起した先住民を毒ガスで虐殺(霧社事件)。先住民を無理やり日本軍人に仕立て上げ(高砂義勇隊)、勝手に靖国神社に奉りながら、遺族からの遺骨返還要求にも応じず。それでも戦後の国民党統治よりは多少マシだった。その程度の「親日」に過ぎない。
 
台湾を親日と誉めそやすなら、脱原発の方向に舵を切り、模範的なコロナ対策を実施し、中国との貿易協定を新自由主義的と否決した学生運動こそ見習うべき。ところが、そんな先進性は全て無視して、福島の汚染水を垂れ流し、新自由主義のブラック企業も野放しの日本が、都合の良い時だけ台湾の味方ヅラ。
 
同じ事はベトナムについても言える。ベトナム戦争では米軍の前線基地として侵略に加担。中越紛争でもポルポト派の民主カンボジアのみ承認してベトナムに敵対。その反省もなしに、今また「ベトナムは反中・親日だから」と、自国の都合だけでベトナム人労働者を安くこき使い。資本家の勝手な都合で選別。
 
御用新聞の産経が維新の主張だけを垂れ流し。「第一自民党と第二自民党が改革競争してこそ日本の為になる。立憲や共産なんて日本には要らない」と。そんなに改革言うなら台湾の脱原発や新自由主義見直しこそ是非取り入れてほしいものだ。しかし、それには触れず、ただひたすら有事と改憲を煽るのみ。
 
中国の軍拡を非難するなら、米国が中南米や中東でやって来た事も批判しなければ辻褄が合わない。改憲を言うなら、選択的夫婦別姓や同性婚も合法化しなければ真の改憲にはならない。ところが、そういう前向きの改憲にはひたすら背を背け、時代錯誤な天皇元首化や家父長制のみ温存しようとする。
 
維新が本当に改革保守なら、履歴書の西暦併記こそ今すぐ実行すべし。昭和だけならまだしも平成・令和となるともう訳が分からなくなる。公文書や履歴書も西暦で書けるようにしてほしい。勿論、元号の使用も認める。今の選択的夫婦別姓と同じだ。これぐらい改憲しなくても今すぐにでも実施できるだろう。
 
天皇制についても、小室騒動の顛末を見ると、もはや無くても構わないというのが国民の本音では。真子と小室が駆け落ちした時に、秋篠宮は心配する国民を誹謗中傷と断じた。これには普段、天皇陛下万歳と言っている連中ですら、秋篠宮を悪様(あしざま)に罵った。別に誰が誰と駆け落ちしようが個人の自由なのに。
 
本当に天皇崇拝しているなら、真子や秋篠宮を悪様に罵る事なぞ出来ない筈だ。だが、自分が気に入らなければ、たとえ皇族と言えども悪様に罵る。まるで自粛警察や生活保護バッシングの様に。そんな個人を不幸にする天皇制なら、一層の事、無くしてしまう方が、天皇の為にも民主主義の為にも良いと思う。
 
しかし、そんな事を言うと、シニア右翼はすぐ反日だの非国民だと騒ぐだろう。奴らにとっては天皇の人権なぞどうでも良いのだ。ただ天皇制という制度さえ守られればそれで良いのだ。競走馬の種付けじゃあるまいし。昔の国体護持と全く同じだ。そんな個人の人権を蹂躙する制度なら、むしろ無い方がマシだ。
 
ところが、そういう前向きの改革は一切実行せず、台湾有事とか天皇元首化とか「家族の尊重」とか、労働法制の緩和(ブラック企業野放し)とか、原発再稼働とか万博・カジノとか、環境破壊や格差を助長する事ばかり。これの一体どこが「改革保守」なのか?自民党以上に弱肉強食で右翼的じゃないか。
 
公金ネコババに経歴詐称。文書交通費の公開止まりで政党助成金はつかみ取り。党本部と支部の間で金を融通し合うセルフ領収書の公開でお茶濁し。パワハラ事例も後を絶たず。これの一体どこが「改革保守」なのか?維新なんて、自民党以上に汚く、弱肉強食で、右翼的な「現代のナチス」そのものじゃないか。
 
維新が共産党に対して「無くても構わない」と言ったのは、共産党が破防法の対象で、公安調査庁の監視対象だからだそうだ。破防法なんて昔の治安維持法が衣替えしただけだ。公安調査庁も昔の特高警察の後身に過ぎない。その癖、自分達は少しナチスに例えられただけで激昂。だからナチスと呼ばれるのだ。
 
「現代のナチス」維新が「アベ」直系自民と「改革競争」しても悪政の競い合いにしかならない。その二党が野合して立憲・共産を「不要だから叩き潰す」と。確かに立憲や共産も問題大有りだが、だからと言って、こんな戦前の「非国民」みたいな言説を容認していたら、そのうちナチス批判も出来なくなる。
 
兄貴の事に話を戻す。
 
そもそも何故、兄貴がネトウヨ(ネット右翼)になってしまったのか?兄は20数年前に、銀行を退職してビデオ屋を始めた。当時は辻元清美を応援していて、ビデオ屋の壁にピースボートのポスターを張り出したりも。しかし、小泉純一郎の総理就任を機に、彼を応援するように。「自民党をぶっ壊す」という小泉の捨て身の改革姿勢に感銘したのかも。
 
当然、郵政民営化にも大賛成。しかも私にもそれを強要する様に。辻元を応援していた時はそこまで酷くはなかったのに。そして小泉訪朝、拉致問題顕在化を機に、世論の北朝鮮バッシングに迎合。でも、その頃はまだ右翼とは一線を画していて「俺の応援先はあくまでRENK(救え!北朝鮮民衆緊急ネットワーク:反北朝鮮の在日市民団体)だ」と。
 
兄が橋下徹を応援する様になったのも、小泉同様に「自民党を中から変える」姿勢に共鳴したのかも。橋下も元は自公推薦で府知事に就任、後に自公と袂を分かつ。2008年の政権交代選挙では兄も民主党を支持も、やがて幻滅。その後は熱烈な維新信者に。更にトランプも支持する様になり今や完全なネトウヨに。
 
私は当初、拉致問題を機に兄がネトウヨに転向したと認識。しかし、兄の遍歴を辿ると、それだけでは説明が付かず(新自由主義に親和的な点など)。それよりも、銀行勤務や自営業開業を機に、社民的価値観から新自由主義の自己責任論者に転換したのでは。その中で、権力に逆らうよりは便乗し、そのお零れにあやかる方が得と。それで一緒に弱者叩きに加わる中でネトウヨに。
 
大体、「今の政府は信用出来ない」と、銃規制反対唱える外国の政治家(トランプ)まで支持しながら、国家による情報統制そのもののマイナカードに賛同する事自体、矛盾しまくり。兄貴のネトウヨ化も、結局は「自民党とは違うと言いながら、中身は自民党と同じか更に酷い」勢力に、迎合便乗しているだけ。「自民党を中から変える」つもりが、今やすっかり自民党(保守勢力、体制側)に取り込まれ。
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パワハラ社会で生き抜く知恵

2023年06月21日 16時19分02秒 | 当ブログと私の生い立ち

パワハラ副所長の件。遭遇した時はあくまで一職場の特殊な事例だと思っていたが、今はもう特殊でも何でもない普遍的な事例だと思っている。パワハラに遭遇したのと時を同じくして相次いで発覚した世間のニュースが私の認識を変えた。

まず最新のニュースから紹介したい。今、マイナ保険証の件で岸田政権の支持率が落ちている。導入当初は災害救助、徴税、社会保障の3分野でしか使用せず、使用も任意だと言っていたマイナンバーカードが、今や運転免許証や保険証の交付・更新にも必要とされ、事実上、義務化されようとしている。その一方で、マイナンバーの個人情報が誤って他人の物に紐づけされ、他人の個人情報がのぞき見される事例が相次いでいる。マイナカードの氏名が漢字のみ登録で、ひらがな登録が基本の口座情報と一致しない事に加え、口座を持たない赤ん坊にまで登録が義務付けられた為に、赤ん坊の給付金振込先を仕方なく親の口座で登録したら犯罪呼ばわりされたり、普及を急がした為に登録事務を民間の派遣会社やコールセンターに丸投げした為に、こんな大混乱に陥ってしまったのだ。そうであるにも関わらず、マイナポータル利用規約には、マイナカード使用は自己責任で、損害被っても政府は責任取らないと書かれている。今のままではメリットよりもデメリットの方が大きい。

こんな状態では、マイナ保険証義務化は一旦白紙に戻して、使用は任意に留めるのが筋なのに、政府は今も強行突破の一点張りだ。デジタル大臣の河野太郎があくまで義務化に拘っているからだ。河野太郎は「人の意見を聞かない」事で有名な人物だ。部下にはパワハラし放題で、自分と考えが違う人との議論を避け、ひたすら排除する事しか考えない。SNSでの発信も自分の意見を一方的に他人に押し付けるばかりで、他人の意見は聞こうともしない。その為「ブロック太郎」と陰口叩かれる有様だ。こんな人物に政治が牛耳られているから、私の勤務先でも「ミニ河野太郎」みたいな副所長が幅を利かすようになるのだ。これからは副所長の事を「ブロック××」と呼ぶ事にする。(××には副所長の実名が入る)

その前には岐阜の射撃場で射撃訓練中の自衛官候補生が教官や同僚を撃ち殺す事件が発生した。ちょうど副所長のパワハラが起こった時だ。この事を私の同僚に話したら、同僚は自衛隊の事件を引き合いに出していた。教官だけでなく止めに入った自衛官や、たまたま近くにいた自衛官まで銃撃の被害に遭っている。よっぽど教官が憎かったに違いない。以前から自衛隊はパワハラ、セクハラの温床だと言われて来た。その前には、セクハラ被害に遭った女性自衛官が加害者の上司を裁判で訴える事件も起こっている。自衛隊そのものが、災害救助や国土防衛は表の顔に過ぎず、反戦運動弾圧や治安出動が主たる任務だと言われて来た。だから、隊内教育においても、旧帝国軍人譲りのシゴキやイジメが今も横行している。今回の銃撃事件も氷山の一角に過ぎない。

その前には維新の会大阪府議団幹事長が同じ党内の女性大阪市議にパワハラ、セクハラを加えたとして除名されている。最初は「大した事ない」として「トカゲの尻尾切り」で済ますつもりだった維新の執行部も、実際のハラスメントメールが表に出るにつれ、かばいきれなくなり一転、除名処分に至ったものだ。ところが、これで一安心と思ったのも束の間、今度は府下交野市の支部幹事長が周囲の市議や府議にパワハラ、セクハラし放題だった事が明るみに出てきた。この幹事長は「大入道」の異名を持つスキンヘッドの巨漢だそうだ。こんな巨漢から日常的にパワハラ、セクハラ振るわれて来た市議や府議の恐怖たるや想像に難くない。

大阪維新、笹川大阪府議を除名処分 ハラスメント問題で(6月4日付日経新聞)
吉村洋文知事のSP務める維新・高石康氏からのハラスメント被害を女性府議が申告(6月19日付文春オンライン)

パワハラという点では共産党も負けてはいない。党首公選制を主張して除名されたジャーナリストの事は全国ニュースになったが、事はそれだけでは収まらない。府下の富田林でも、女性市議が先輩の男性市議からパワハラ被害に遭った事が発覚している。この件では、周囲の尽力もあり、男性市議は既に党を離党し、謝罪文も公表されている。ところが、今回の統一地方選挙では、離党して無所属になったはずの男性議員が、こっそり党から支援を受けていた事が明らかになった。代わりに当選した新人女性議員だけでは議員活動に支障を来すので、ベテラン元党員議員の力を借りようとしたのだ。その一方で、被害者の女性議員は党公認を取り消され、議員引退に追い込まれた。順序が完全に逆ではないか。

富田林の共産党でパワハラ事件(4月15日付ブログ「辺境の雑記帳」記事)

維新の会と共産党では、政治的主張はまるで正反対だが、党の体質は意外とよく似ている。維新の会の主張を一言で言えば「規制緩和」に「民営化」。「改革」の名による福祉切り捨て。たとえ「官製ワーキングプア」と揶揄されようと、市役所の公務員は出来るだけ非正規雇用で低賃金の派遣社員に置き換える。その行きつく先が大阪市廃止の都構想だった。儲かれば幾らギャンブル依存症患者が出ようが、夢洲の埋立に何百億もの公金をつぎ込もうが、お構いなしでカジノ誘致を強行。こんな拝金資本主義・新自由主義の「弱肉強食」を地で行く党だから、党内にパワハラやセクハラが蔓延していても一向に不思議ではない。

共産党の主張はそれとは全く正反対。福祉切り捨て反対、格差社会反対、非正規労働者の権利を守れ。そんな党なのに、何故、党内にパワハラやセクハラが蔓延していたのか。私は「革命政党」ゆえの「鉄の規律」がマイナスに作用したと考えている。共産党は今も「民主集中制」を党の組織原則にしている。「党内の問題は党内で民主的に話し合って解決し、党外に問題を持ち出さない」。それが「民主集中制」の建前だ。この為に、党内の役員選挙も、党首公選制ではなく、執行部が選んだ役員名簿を党の大会やそれに準ずる会議で信任する形を取っている。形は信任投票だが、実際はほとんど独裁と同じだ。だから党内でパワハラ、セクハラがあっても、なかなか表に出て来ないのだ。

「会社の役員選挙も同じやり方ではないか」と共産党は言うが、私企業と公党を同じ基準で比較はできない。公党には私企業とは比べ物にならない透明性が求められる。昔は共産党は弾圧されたので、弾圧に対抗するために、こんな仕組みにしたのだろうが、今はもう党員でも自由にネットで情報収集できる時代だ。そうであるにも関わらず、今でもこんな殻に閉じこもっているような状態では、いつまで経っても政権を取れる器にはなれない。

こうして見ると、パワハラやセクハラには、もはや右も左もない事が分かる。資本主義のブラック企業や、保守政党の自民党、弱肉強食・新自由主義の維新の会だけでなく、労働者や弱者の味方であるはずの共産党まで、一様にパワハラ、セクハラに侵されている事が見て取れる。日本は、幕末まで長い間、封建制度の下で、厳しい身分差別が続いてきた。そして明治維新の後も、国の支配者が幕府から天皇の政府に変わっただけで、国民は相変わらず無権利状態に置かれて来た。他の先進国ではとっくに実現していた女性参政権や労働組合の公認化も、日本では戦後になってようやく実現した。そんな国だから、今でもパワハラやセクハラが蔓延し、年間三万人もの人間が自殺する、世界有数の自殺大国であり続けるのだ。

そんなパワハラ天国、自殺大国で生き抜くには、一体どうしたら良いか?まずは、決して下手(したて)に出ない事だ。虐められるのが嫌だと、虐めっ子に怯えて生きていたら、決して虐めから逃れる事は出来ない。虐めっ子が虐めの対象にするのは、常にそういう臆病者だからだ。虐めっ子の機嫌を取る事で、虐めから逃れようとしても無駄だ。そんな事して、たとえ虐めっ子の天敵からは身を守る事が出来ても、虐めっ子の魔手からは逃れる事は出来ない。

だからと言って、虐めっ子とむやみやたらと喧嘩しても、いたずらに体力を消耗するだけだ。それどころか、下手すれば「売り言葉に買い言葉」となって、こちらまで悪者にされてしまう。同じ喧嘩するにしても、もっと上手に、体力を温存する形で喧嘩しなければならない。

そこで冷静な分析が必要になる。その時々の状況に応じて、利用できる物は何でも利用する。たとえ相手がブラック企業であろうとも。私が、副所長のパワハラに対抗する為に、会社のホームページを利用して、本社の役員にパワハラの窮状を訴えたように。いかにブラック企業と言えども、よっぽどの会社でない限り、そうそう無茶は出来ない。具体例を上げて、正論で訴えて来られたら、いかにブラック企業と言えども完全無視は出来ない。それでも無視するようなら、今度はネットで世論に訴えるまでだ。要は絶対に孤立しない事だ。

単に相手を貶めるのが目的の私憤が動機なら、こんな事をしても世論の賛同を得る事は出来ない。無差別殺人やうっぷん晴らしの迷惑行為では、世論の賛同は集まらない。でも、私憤ではなく公益目的で、誰が考えてもクレームを付けれないド正論を掲げて、捨て身の反撃に出て来た相手に対しては、相手もそれ相応に対応せざるを得なくなる。現に維新の会や共産党の党内パワハラ被害者も、それで相手に一矢報いる事が出来た。これが、毒親育ちの中で私が身に着けた処世訓だ。もとより、これはあくまでも私の個人的な感想であって、これを他人に押し付ける気は毛頭ない。でも、その一方で、私のこの助言によって、世のパワハラ被害者が少しでも救われるなら、私としてもこれほど嬉しい事はない。

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新年最初の朗報

2023年01月01日 11時35分34秒 | 当ブログと私の生い立ち

 

2023年の幕が開きました。新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

新年早々から朗報です。コロナ禍で休止を余儀なくされていた釜ヶ崎の越冬祭りが今年から再び始まりました。大阪・西成あいりん地区(旧称・釜ヶ崎)の萩之茶屋南公園(通称・三角公園)を中心に、野宿者支援の炊き出しや、野宿者を無法者の襲撃から守る為の集団野営、公園ステージのイベント、難波・梅田など繁華街で暮らしている野宿者に対する夜回り・弁当配布・医療支援活動が、50年ほど前から毎年暮れの時期に行われてきました。これらの支援活動を総称して「越冬闘争」と呼ばれます。何故、単なる支援活動ではなく「闘争」なのか?野宿者にとっては仕事のなくなる年末年始を生き抜く事自体が一つの「闘争」だからです。しかし、幾ら「闘争」でも野宿者自身が楽しく参加できなければ意味がありません。そこで三角公園で毎年盆と暮れの時期にコンサートが開催されてきました。それが釜ヶ崎の夏祭りと越冬祭りです。

その越冬祭りが、2019年の年末を最後に、コロナ禍の為に2年間休止を余儀なくされてきました。炊き出しも人の密集を避ける為に弁当配布に縮小され、夜回りだけが行われてきました。今もコロナ禍は依然として猛威を振るっていますが、コロナウィルスの「弱毒化」に伴い、今年から越冬祭りが再開される事になりました。私もつい最近まで、このあいりん地区に住んでいて、釜ヶ崎の夏祭り、越冬祭りには毎年参加して来ました。今年から再び越冬祭りが行われるようになると聞き、昨日の大晦日に久しぶりに顔をのぞかせて来ました。

越冬祭り会場の三角公園への行き方は上の地図を参照して下さい。グレーの線と囲みがJR・南海・阪堺各線の線路と駅、ピンクの囲みが旧あいりんセンター、ピンクの直線が南海電鉄萩ノ茶屋駅から阪堺線今池駅の方に抜ける萩之茶屋商店街、オレンジの囲みが祭り会場の三角公園です。下の表は祭りイベントのコンサートプログラム(12/30~1/3日開催)で、私はその中の12月31日の部、17時から始まった中川五郎さんのコンサートに顔をのぞかせて来ました。

中川五郎さんの熱唱は圧巻でした。この方は60年代末からギターでフォークソングの弾き語りをされています。その頃の世代の方にとっては、高石ともや、ザ・ナターシャセブン、六文銭などとともに、割と名の知られた方だったそうで。その方が、70歳を超えた今でも、現役のフォークシンガーとして活躍されていました。会場で聴いたのは「図書館でデモをする」「一台のリヤカーが立ち向かう」の2曲です。どちらもスマホでビデオ撮影しましたが、残念ながら容量オーバーと著作権法との関連でブログに載せる事が出来ません。どちらの曲もYouTubeで公開されていますので、興味のある方はそちらのリンクを開いて聴いてください。

私はむしろ、それら2曲よりも、「1923年福田村の虐殺」という曲に圧倒されました。この曲も越冬祭りの会場で演奏されたそうですが、私は残念ながら聴く事が出来ませんでした。1923年の関東大震災で、多くの朝鮮人や社会主義者が虐殺されました。震災の混乱の中で、「朝鮮人や社会主義者が、混乱に乗じて日本を乗っ取ろうと、井戸に毒を投げ込んだ」と言うデマが、警察も含めて半ば意図的に流された中で、起こった出来事でした。殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありません。香川県から行商にやって来た被差別部落の人も、千葉県野田市の利根川の渡しの所で、大勢殺されました。被差別部落の人が「我々は日本人だ」と幾ら説明しても、千葉の人は讃岐弁が分からず、「喋り方がおかしい、こいつら朝鮮人じゃないか?」と疑われ、行商人15人のうちの9人もの方が虐殺されたのです。

虐殺に加わったのは地元の自警団に組織された200人もの村人です。その中で逮捕されたのはわずか8名のみ。その8名も後の昭和天皇即位の恩赦で釈放されています。逮捕者の家族には村から見舞金まで支給されています。その反面、被害者の被差別部落の人には謝罪も補償もありませんでした。千葉だけでなく地元の香川県でも、真相は闇から闇に葬られ、最近まで明るみに出る事はありませんでした。ようやく数年前に、虐殺現場となった利根川の渡しのたもとに慰霊碑が建てられたそうです。(Wikipediaの解説記事参照)

福田村事件について書かれた本と、同事件を題材に今年公開される映画の写真。

私、そんな事全然知りませんでした。それどころか、中川五郎さんの名前も知りませんでした。近年、北朝鮮の拉致問題やミサイル発射報道の影響で、在日朝鮮人へのバッシングや、「従軍慰安婦なぞ居なかった、あれはただの売春婦だ」というデマが広まっています。戦前は今と違い公娼制度(国が限定付きで売春を認めた)がありましたが、その公娼制度の下でも、娼妓(しょうぎ)取締規則で「強制売春」は禁止されていました。建前上は、あくまでも本人の自発性に基づく許可営業だったのです。実際は借金返済の為に遊郭に売られた人がほとんどでしたが。それに対し、慰安婦は「いい仕事がある」と騙されて連れて来られた人が大半です。公娼制度下の建前上の「許可」や健康診断受診などの「保護」措置もありませんでした。従軍慰安婦は当時でも違法な「強制労働」の「犯罪行為」です。

私のブログでも過去に北朝鮮の拉致問題を取り上げた事がありました。拉致問題をきっかけに、北朝鮮国内の政治犯収容所の存在や、餓死寸前の北朝鮮難民が中国や韓国、日本に逃げてきた脱北者の存在が明るみに出て来ました。私のブログでも、北朝鮮の人権侵害に対して抗議のキャンペーンを張りました。しかし、その一方で、北朝鮮拉致問題を口実に、国内の在日朝鮮人に対するバッシングが広まり始めました。拉致被害者支援に名を借りて、朝鮮人差別を煽る投稿が目に付きだしました。それに対して、私は次第に距離を置くようになりました。幾ら北朝鮮の人権侵害が酷くても、それとは何の関係もない在日朝鮮人を叩いたり、過去の戦争犯罪に目をつむるのは筋違いじゃないかと。

その中で知ったのが、中川五郎さんのこの歌でした。朝鮮人虐殺の犠牲になったのは朝鮮人だけではない。同じ日本人も犠牲になった。日本人の中でも被差別部落の人が、「怪しい行商人」として震災の混乱の中で殺された。被差別部落の人は、貧しさゆえに田畑を持てず、高い小作料も払えず、やむなく行商で生計を立てる他なかっただけなのに。差別や排除の対象にされるのは朝鮮人や慰安婦だけではない。被差別部落民や野宿者、非正規労働者も差別の対象にされる。不景気になれば真っ先に首を切られるのは派遣の労働者だ。現に私も、世間が休みの正月も、通常の休み以外は働かなければならない。これが差別でなくて一体何なのか?

中川五郎さんの「福田村の虐殺」の歌詞は余りにも長いので、ブログの字数制限の関係で全文を転載する事は出来ません。ここでは後半の一部だけを転載する事にします。歌詞の最後の「デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠 信じることから始めよう、人はみんな同じ」のくだりは、私も含めて今も全ての日本人の胸に突き刺さる言葉です。たとえ正月であっても。むしろ年頭の正月だからこそ。

見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの

昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ

※追記:コメント欄に「福田村の虐殺」歌詞全文を投稿する事が出来ました。gooブログでは、本文の方は字数オーバーで投稿出来なくても、コメント欄なら出来るようですw。

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「貯蓄から投資」ではない 「自己責任から相互扶助」だ

2022年11月09日 17時31分08秒 | 当ブログと私の生い立ち

株の入門書を勧められて読んだ。漫画で読みやすかったが、株を買う金のない人には縁のない話である。それでも、円安の恩恵に浴するのは自動車などの輸出産業だけで、原材料を輸入・加工・販売する小売業には物価高などの悪影響しかなく、それを推進したアベノミクスが如何に酷い物だったか良く分かった。

この入門書は円高の場合を例に説明がされているので、逆に今の円安の場合に引き直して考えてみる。円安で円の価値が下がった。今まで1ドル100円で買えた輸入品が110円出さなければ買えなくなった。輸入品の大半はスーパーで売っている油や食料品の原材料だ。逆に自動車などの輸出品は、海外で今まで1ドルで100円分しか買えなかった物が110円分も買える様になるので売れ行き好調となる。輸出大企業だけが潤い庶民には物価高。
 
これも全て円安を煽ったアベノミクスのせいだ。アベノミクスが持ち上げられた頃は「アルバイトの時給が上がったのもアベノミクスのお陰」と言われたが、実際は少子化による労働力不足のせいだった。その労働力不足も結婚も出来ない低賃金によるもので、「善政の成果」とは真逆の代物だった。
 
「アベノミクスで最低賃金が上がった、時給が千円を超えた」と言っても、時給千円×1日8時間労働×週5日、月22日出勤で月収17万6千円。年収わずか211万円余りにしかならない。そんな年収で「憲法で保障された健康で文化的な最低限度の生活」なぞ送れる訳がない。他の先進国が既に時給1500円を超えようとしている時に、いまだに時給千円しかもらえず。それも東京や大阪の大都市部だけで、地方ではいまだに時給800円台や900円台の低い時給に据え置かれたまま。
 
だから岸田政権も最初は「新しい資本主義でアベノミクスの弊害を是正する」と言わなければならなかったのだ。しかし実際は「是正どころかアベノクスの後追い」に終わってしまった。当時あれだけアベノミクスを持ち上げたネトウヨが、今になってダンマリを決め込んでしまっているのが滑稽で哀れだ。
 
 
かく言う私も、かつて生協に正規雇用で勤めていた時は、毎月の給与やボーナスから数万~数十万円、実家に入れていました。それをお袋が信託銀行に預けていたので、私名義の預金がそこそこあります。その定期預金が満期になったので、「もう無利息同然の預金は一旦解約して、株式投資に回さないか」と兄貴が提案しているのです。漫画の入門書も、その時に兄貴から借りたものです。
 
その後、私は生協をリストラされて非正規雇用になり、親父とも喧嘩分かれして実家を出ました。でも、そのお袋が預けた金は元々私の金ですから、もらう権利は私にあります。
 
でも、私は株式投資には余り関心はありません。金に振り回されるのが嫌なのです。そりゃあ私も金儲けはしたいです。でも、今でも普通に働いたらそこそこ食って行けて、たとえリタイアしても最悪、生活保護に頼れば最低限の生活は出来るのに、何故そこまで金儲けにあくせくしなければならないのか?そんな事で自分の自由が束縛されるのが嫌なのです。
 
また、そういう「金儲けだけが全て」「勝ち組以外は生きている価値なし」という新自由主義的な発想自体が嫌いです。地位や権力、財産の有無に関わらず、どんな人間にも基本的人権があります。なのに入った生協は、「国民生活と平和・民主主義を守る」と言いながら、職場運営はトップダウンの軍隊式管理。今の非正規の職場の方がはるかに「人間的」です。
 
今は私はしがない非正規労働者で、経営者には頭が上がりませんが、これが株主になれば、たとえ一株株主でも株主総会に出て意見を言う事が出来ます。これを機にブラック企業をホワイト企業に変える事が出来るかも知れません。また、JRや大手私鉄の株だけでなく、ローカル私鉄の株を買う事で、赤字でも頑張っている鉄道会社を応援する事も出来るはずです。
 
でも、今の弱肉強食の資本主義の仕組みの中では、中小企業や、ましてや配当も出せないような会社には誰も投資なぞしません。損得勘定だけで相手を値踏みし、平気で切り捨てる、そういう考え方自体が嫌なのです。
 
私は別に怠けている訳ではありません。普通に働いていたら、別に投資なぞしなくても、普通に生きていける。そんな世の中にする事こそが、私の生きがいです。その「生きがい」と比べたら、投資なぞ、残りの人生を賭けるに値するものだとは、とても思えません。
 
今、投資を煽っているのはどういう人たちか?麻生太郎や日銀総裁の黒田などです。それらの人たちは、いくらチャートの見方を知っていても、スーパーに並んでいるカップラーメンや白菜の値段を知りません。「別にそんなもの知らなくても経済は回せる?」と思う人もいるでしょうが、私はそうは思いません。カップラーメンや白菜の小売り価格を知らない人に、物価高に苦しむ庶民の気持ちが分かるはずがありません。私は、そんな「人でなし」にはなりたくありません。
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