![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/70/30f7a401f1235f0cec5b8226772aa66e.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/73/9e1aa6c3e817184b14b9e794611ac460.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/f0/391820b4226fc4ebc9def942629299f9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/b5/1dc5907c6204c1dc2d89b87772b04106.jpg)
2024年1月2日、羽田空港でJAL機と海上保安庁機が衝突し、海上保安庁機の乗務員5名が死亡した事故は国内外に大きな衝撃を与えました。この事故では、JALの乗客・乗員は全員が炎上する機体からの脱出に成功しましたが、その背景として、旅客機のドア数と同じ人数の客室乗務員(CA)が配置されていたことが指摘されています。旅客機のどのドアを脱出に使用できるかを判断する際、1つのドアに1人の乗務員がついていれば、当該乗務員は自分が担当するドアの使用可否のみを判断すれば良いからです。
しかし、日本の現在の法制度では、ドア数以上の乗務員を客室内に配置することは運航上の絶対条件とはされていません。そのため、実際にはドア数に満たない客室乗務員数で運航されている航空便も多く見られるのが現状です。もしそのような状況の旅客機で同じような事故が起きた場合、今回のような“奇跡”はあり得ません。
これに加え、日本では客室乗務員は国家資格とはされておらず、一般の接客業従事者と法制度上は同じ扱いです。諸外国では客室乗務員を航空安全従事者に位置付け、国家資格の取得を就業条件としている国も多く見られます。この意味でも日本の航空行政は大きく立ち後れています。
この請願署名は、こうした現状を抜本的に改め、客室乗務員を航空従事者に位置付けること、全ての脱出扉に乗務員の配置を義務づけることを国に求めています。安全問題研究会でも、請願の趣旨は大いに理解できるとともに、正当なものであるため、協力することとしました。2024年1月2日の再来を避けるため、1人でも多くの方の署名をお願いします。
・署名用紙ダウンロード
・第1次集約 2024年8月31日
・連絡先 ジャパンキャビンクルーユニオン jcuhonbu2018@gmail.com
・送付先 〒144-0043 東京都大田区羽田5丁目11-4 フェニックスビル 航空連気付 ジャパンキャビンクルーユニオン
なお、上記の他、安全問題研究会(注:ブログ仲間のサイト)宛てに連絡いただいてもかまいません。
大阪でもようやく桜が満開に。近くの住之江公園で束の間のお花見に出かけました。グラウンドでは少年たちが野球に興じていました。公園にはキッチンカーも出ていました。
公園の中を北に向かうと太鼓橋のかかる池に出ます。ここも有名なお花見スポットです。さらに公園の北側には住吉川が流れ、両岸には桜並木が続いています。
住吉川の桜並木は川の両岸にありますが、南側(川の左岸)は並木とベンチがあるだけです。しかし北側(右岸)には小高い丘みたいな所もあり、ここで皆さんシートを広げてお弁当を食べていました。ここは他のお花見スポットほど有名ではないので、お花見に来るのも近くのマンション住民に限られます。その分、落ち着いて花見が出来るので、私も桜の季節には必ずここでお花見をします。この日も近くの「りくろーおじさんのチーズケーキ」の店で買ったパンでランチにしました。
川を渡って公園に戻り、今度は公園の西側(幹線道路や競艇場に面した方)を駅に向かって進みます。ここには花壇があり、花壇のステージではコスプレ衣装の少女たちが歌を歌っていました。やがて護国神社の境内に入ります。
護国神社も隣の住之江公園と並ぶ桜のお花見スポットです。ここも桜が満開に咲き誇っていました。境内は大勢の花見客でにぎわい、キッチンカーも多数出店していました。でも、神社の絵馬には戦艦が描かれ、境内では自衛隊が隊員募集活動を行っていました。護国神社はいわば「大阪の靖国神社」です。自衛隊の災害被災地救援活動については私も有難いと思いますが、隊内にはびこるハラスメントや、政教分離に反する靖国参拝、右翼文化人を呼んで戦争賛美とも取れる講演が毎年のように繰り返されている現状に対しては、非常に違和感を覚えます。
桜と言えば、競馬ファンにとっては何と言ってもGⅠレースの桜花賞w。毎年このレースは桜が散った後に開催されていましたが、今年は満開になるのが遅かったので、ちょうど桜が見頃を迎えた時期に競馬を楽しむ事が出来ました。当日は日曜日で、朝から阪神競馬場に行く事も出来ましたが、帰りの大混雑に巻き込まれるのが嫌だったので、馬券は近くのウインズで買う事にしました。護国神社を抜け、駅から地下鉄に乗ってウインズに。2番の◎クイーンズウォーク(8着)から三連複フォーメーションと馬連で流した為に、せっかく〇ステレンボッシュと▲アスコリピチェーノが1・2着に来て、3着の人気薄△ライトバックもヒモで買っておきながら、タテ目で外してしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/a4/89136713924cbf87d5d6c523e933f39f.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/88/445b2cec70c854876c82b2044dfb774a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/89/b26d8b8a9ade1ed9d0504855e9b226b7.jpg)
先日、X(旧ツイッター)で、「山猫ぽてと」さんという方から、「れいわ新選組」のフレンズ(サポーター)加入のお誘いを受け、丁重にお断りしました。お断りした理由もXで書きましたが、投稿字数に制限のあるXでは十分な説明が出来ないので、自分のブログで改めてお答えします。
お断りした理由は、一言で言えば「井の中の蛙(かわず)にはなりたくない」からです。私は大学生の時に共産党に入党してから40歳ぐらいまでずっと党員として活動して来ました。大学卒業後も20年近く共産党系の生協で働いてきました。生協の労働条件が厳しい事は入る前から薄々知っていましたが、それでも「組合員の生活を守る消費者運動の立場から、今の世の中をより民主的な社会に変えていく」点に魅力を感じて、生協に就職しました。
生協の中では主に商品管理や物流センターの業務に携わって来ました。そこで15年ほど仕事に携わって来ましたが、最後の5年ほどの間に職場環境はガラッと変わりました。それまでは物流センターの職員もパート・アルバイトも全て生協の直雇用でしたが、徐々に外部の派遣社員に置き換えられて行きました。残った職員は派遣社員向けのマニュアル作成や指導業務に追われるようになりました。(参考記事)
私の場合はそれに加え、問題ある同僚や部下の管理まで押し付けられました。今から思えば、どちらもアスペルガー症候群(適応障害の一種)の気のあった職員や部下だったように思います。しかし、当時はアスペルガー症候群に関する知識もなかったので、私はどうして良いか分かりませんでした。次第に仕事が回らなくなり、上司との間で板挟みにあい、軽い「うつ状態」に追い込まれていきました。
その頃の労働条件は悲惨の一語に尽きます。朝7時に物流センターに出勤し、冷凍庫・冷蔵庫の中で少ないバイトと商品の仕分けに追われ。しかもバイトの1人はアスペルガーで、そいつのせいで他のバイトはなかなか定着せず。商品の仕分け間違いも頻発。夜もウィンドウズ98のしょうちゅう固まる当時の欠陥パソコン相手に、その頃は私もパソコン音痴で、マニュアル作成は一向に捗らず。
おまけに当時の上司も今から思えばアスペルガー。上司と2人でマニュアル作成に追われる中で、遂に上司がブチ切れ、夜中の2時にそのアスペルガーの上司に机を叩かれ、仕事の遅れをなじられた。そんな時間まで仕事に追われていても、残業代は一切支払われず。職員は専従活動家という扱いだったので、残業代はパートやアルバイトにだけ支払われていて、職員にはほとんど支払われず。
今の私だったら、こんな扱いされたら絶対に黙っていません。尻尾を巻いて辞めるのではなく、徹底的に闘う道を選びます。毎日、退勤時刻を記入し、守衛の警備日報(最終退出者の氏名や退勤時刻が記載される)も秘密裏にコピーさせてもらい、それを証拠に労働基準監督署に告発します。御用組合の生協労組なぞには一切頼らず、自前で弁護士立てて闘います。
でも、当時は生協の中の世界しか知らない「井の中の蛙」だったので、そんな知恵は全然働かなかった。「自民党政府に生協運動弾圧の口実を与えてはならない」という意識にとらわれていたので、告発なぞ思いもよらなかった。「労働者の味方」であるはずの「労働組合や共産党が、最後には助けに来てくれる」と、他力本願でひたすら相手の善意だけを期待していた。そんな状態だったので、最後にはもう自主退職で「緊急避難」するほかなかった。
ここで問題にすべきなのは生協であり、共産党ではない。そんな事は分かっています。生協はあくまで大衆団体であって、政党である共産党とは違います。でも、私が在籍していた生協は、創立者が共産党員だった事もあり、生協の中でも特に共産党色が濃厚でした。私の目から見たら同じ体質の団体に他なりません。
その共産党系生協も、最初は温かみもあり、仕事にやりがいも感じられました。上司も、ダメな部下を切り捨てるのではなく、長所を引き延ばそうとする度量のある人が多かったように思います。専務と言えども、半ば友達のような存在でした。その当時は「民主集中制」がそれなりに機能していたように思います。
でも、やがて生協も大きくなり、経営の実権も、生え抜きの創立者からヘッドハンティングされた外部人材に移っていきます。職員も、学生運動上りの活動家だけでなく、一般の大学生・高校生や中途採用者からも募集するようになります。生協全体が、次第に「資本主義」の色に染まっていくようになります。でも「民主集中制」だけは、職員支配には好都合なので、そのまま維持され続けます。
すると、どうなるか?自浄作用が働かなくなり、資本主義のブラック企業が、形だけ「消費者運動」や「労働者の味方」を名乗り続けるようになるのです。かつてのソ連・東欧や、今の中国や日本の共産党の中で起こっている事こそが、まさにそうではありませんか?
昔は共産党は権力から弾圧されていた為に、権力のスパイが党内に潜入してかく乱するのを防ぐ為に、分派禁止の「民主集中制」が組織原則として採用されました。「めいめいが個人主義で好き勝手にやっていたのでは、革命なぞ絶対に達成できない。党内では民主的に議論するが、一旦決まった方針については全員がそれに従う。その結果、都合が悪ければ、またその時に議論して、新たな方針を採用すれば良い」。共産党の言い分によれば、これこそが「民主」と「集中」の長所を兼ね備えた「民主集中制」と呼ばれる組織原則だそうです。
でも、この原則には落とし穴があります。いくら仮に党内で民主的に議論出来たとしても、党内の事しか知らない、党の体質に染まった人たちだけで議論している限り、「井の中の蛙」で終わってしまいます。過去の私がその良い例です。
生協の中の世界しか知らなかった為に、残業代未払いが労基法違反の明白な「犯罪行為」である事を見抜けなかった。夜中の2時にアスペルガーの上司に机をたたかれ脅されても、それが不当なパワハラ・人権侵害であり、「仕事の速い・遅い」は何ら正当化の口実にはならない事にも気が付かなかった。自分の身を守る事だけで精一杯で、「後輩にも同じ嫌な思いを味わせてはならない」点にも思い至らなかった。
元共産党幹部の松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)さんという方が、昨年、党外の出版物で「党首公選制」と「安保条約廃棄の見直し」を主張し、党を除名されました。それに対し、共産党は「党内では民主主義が保障されているのに、党内では何も言わずに、いきなり党外の出版物で党の方針を批判し始めた。これは民主集中制に反するので除名した」と反論しています。
私もこの松竹さんの本「シン・日本共産党宣言」(文春新書)を買って読みました。確かに、この本に書いてある内容については、少なからず異論はあります。例えば「安保廃棄の公約が野党共闘の障害になっている」と主張している点などです。じゃあ、日米安保条約容認に転ずるべきなのか?今でも米軍基地の治外法権や米兵犯罪に苦しみ続ける沖縄を無視するのか?それで本当に「弱者の味方」と言えるのか?
でも、それ以外の論点については、私も松竹さんの言うとおりだと思います。この本を読めばわかりますが、松竹さんも党の歴史や綱領の先見性は認めた上で、「民主集中制の見直し」と「党首公選制」を主張しているに過ぎません。これが何故「党を攻撃」した事になるのか?私にはさっぱり分かりません。
そんな事言い出せば、前述の生協における不払い残業告発の事例も、生協経営者の側からすれば「生協内部の問題を勝手に外部に持ち出した」として解雇の対象になるでしょう。冗談じゃありません。罰せられるべきは法律違反の人権侵害を行った生協の方です。自浄作用が働かなくなった組織については、問題を外に持ち出して、世論にその是非を訴えるしかないじゃないですか。
第一、これだけネットが発達し、ラインでいくらでも個人同士で自由に意見交換出来る時代に、党中央との縦の意見交換しか認めず、党員間の横の意見交換は全て分派とみなして認めないのは、もう時代錯誤という他ありません。そんな事言っていたら、最後には、もう誰からも相手にされなくなってしまいます。
じゃあ、何故「れいわ新選組」のサポーター加入も断ったのか?それは「れいわ新選組」も、党内民主主義の実現という点では、はなはだ疑問に思う点が少なからずあるからです。
一例がそのサポーター制度です。サポーター制度は「れいわ新選組」以外の政党にもあります(ないのは共産党と公明党だけ)。「党友」「協力党員」など、サポーターの名称は様々ですが、どこも党首選挙に参加できません。参加できるのはヒラ党員からで、実際は一人でヒラ党員の何倍もの票を持つ国会議員票の数で党首が決まる。これではサポーターなんてただの将棋の駒に過ぎません。これの一体どこが民主的なのか?これでは共産党とさほど変わらないのでは?
その最たるものが自民党です。自民党の裏金問題も、党内に自浄作用が働けば一切起こらなかったはずです。自浄作用が働かなかったからこそ、政党助成金(国民の税金の一部)を裏金にして私腹を肥やすような事が何十年もおとがめなしでまかり通って来たのです。そんな党が、果たして共産党の事を「非民主的」と批判出来るでしょうか?
だから、私はもうどの党にも所属せず、自由な立場で、政治に関して意見を言いたいのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6d/35035b4a60debe11142190d722dd2e7c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f9/dfe22dbcdb8bddba6c0ab19ac8d9577f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/14/a4ea5cd2b0abb19f274e6be373dd67ff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/31/572a6f6d945b4d13d7ce43439d879ac2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/e5/2630340788e70cafb1844709b3c7596e.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/20/40c4c99f8ca5e285e394cc6a3809e8bd.png)
パワハラ副所長の件。遭遇した時はあくまで一職場の特殊な事例だと思っていたが、今はもう特殊でも何でもない普遍的な事例だと思っている。パワハラに遭遇したのと時を同じくして相次いで発覚した世間のニュースが私の認識を変えた。
まず最新のニュースから紹介したい。今、マイナ保険証の件で岸田政権の支持率が落ちている。導入当初は災害救助、徴税、社会保障の3分野でしか使用せず、使用も任意だと言っていたマイナンバーカードが、今や運転免許証や保険証の交付・更新にも必要とされ、事実上、義務化されようとしている。その一方で、マイナンバーの個人情報が誤って他人の物に紐づけされ、他人の個人情報がのぞき見される事例が相次いでいる。マイナカードの氏名が漢字のみ登録で、ひらがな登録が基本の口座情報と一致しない事に加え、口座を持たない赤ん坊にまで登録が義務付けられた為に、赤ん坊の給付金振込先を仕方なく親の口座で登録したら犯罪呼ばわりされたり、普及を急がした為に登録事務を民間の派遣会社やコールセンターに丸投げした為に、こんな大混乱に陥ってしまったのだ。そうであるにも関わらず、マイナポータル利用規約には、マイナカード使用は自己責任で、損害被っても政府は責任取らないと書かれている。今のままではメリットよりもデメリットの方が大きい。
こんな状態では、マイナ保険証義務化は一旦白紙に戻して、使用は任意に留めるのが筋なのに、政府は今も強行突破の一点張りだ。デジタル大臣の河野太郎があくまで義務化に拘っているからだ。河野太郎は「人の意見を聞かない」事で有名な人物だ。部下にはパワハラし放題で、自分と考えが違う人との議論を避け、ひたすら排除する事しか考えない。SNSでの発信も自分の意見を一方的に他人に押し付けるばかりで、他人の意見は聞こうともしない。その為「ブロック太郎」と陰口叩かれる有様だ。こんな人物に政治が牛耳られているから、私の勤務先でも「ミニ河野太郎」みたいな副所長が幅を利かすようになるのだ。これからは副所長の事を「ブロック××」と呼ぶ事にする。(××には副所長の実名が入る)
その前には岐阜の射撃場で射撃訓練中の自衛官候補生が教官や同僚を撃ち殺す事件が発生した。ちょうど副所長のパワハラが起こった時だ。この事を私の同僚に話したら、同僚は自衛隊の事件を引き合いに出していた。教官だけでなく止めに入った自衛官や、たまたま近くにいた自衛官まで銃撃の被害に遭っている。よっぽど教官が憎かったに違いない。以前から自衛隊はパワハラ、セクハラの温床だと言われて来た。その前には、セクハラ被害に遭った女性自衛官が加害者の上司を裁判で訴える事件も起こっている。自衛隊そのものが、災害救助や国土防衛は表の顔に過ぎず、反戦運動弾圧や治安出動が主たる任務だと言われて来た。だから、隊内教育においても、旧帝国軍人譲りのシゴキやイジメが今も横行している。今回の銃撃事件も氷山の一角に過ぎない。
その前には維新の会大阪府議団幹事長が同じ党内の女性大阪市議にパワハラ、セクハラを加えたとして除名されている。最初は「大した事ない」として「トカゲの尻尾切り」で済ますつもりだった維新の執行部も、実際のハラスメントメールが表に出るにつれ、かばいきれなくなり一転、除名処分に至ったものだ。ところが、これで一安心と思ったのも束の間、今度は府下交野市の支部幹事長が周囲の市議や府議にパワハラ、セクハラし放題だった事が明るみに出てきた。この幹事長は「大入道」の異名を持つスキンヘッドの巨漢だそうだ。こんな巨漢から日常的にパワハラ、セクハラ振るわれて来た市議や府議の恐怖たるや想像に難くない。
大阪維新、笹川大阪府議を除名処分 ハラスメント問題で(6月4日付日経新聞)
吉村洋文知事のSP務める維新・高石康氏からのハラスメント被害を女性府議が申告(6月19日付文春オンライン)
パワハラという点では共産党も負けてはいない。党首公選制を主張して除名されたジャーナリストの事は全国ニュースになったが、事はそれだけでは収まらない。府下の富田林でも、女性市議が先輩の男性市議からパワハラ被害に遭った事が発覚している。この件では、周囲の尽力もあり、男性市議は既に党を離党し、謝罪文も公表されている。ところが、今回の統一地方選挙では、離党して無所属になったはずの男性議員が、こっそり党から支援を受けていた事が明らかになった。代わりに当選した新人女性議員だけでは議員活動に支障を来すので、ベテラン元党員議員の力を借りようとしたのだ。その一方で、被害者の女性議員は党公認を取り消され、議員引退に追い込まれた。順序が完全に逆ではないか。
富田林の共産党でパワハラ事件(4月15日付ブログ「辺境の雑記帳」記事)
維新の会と共産党では、政治的主張はまるで正反対だが、党の体質は意外とよく似ている。維新の会の主張を一言で言えば「規制緩和」に「民営化」。「改革」の名による福祉切り捨て。たとえ「官製ワーキングプア」と揶揄されようと、市役所の公務員は出来るだけ非正規雇用で低賃金の派遣社員に置き換える。その行きつく先が大阪市廃止の都構想だった。儲かれば幾らギャンブル依存症患者が出ようが、夢洲の埋立に何百億もの公金をつぎ込もうが、お構いなしでカジノ誘致を強行。こんな拝金資本主義・新自由主義の「弱肉強食」を地で行く党だから、党内にパワハラやセクハラが蔓延していても一向に不思議ではない。
共産党の主張はそれとは全く正反対。福祉切り捨て反対、格差社会反対、非正規労働者の権利を守れ。そんな党なのに、何故、党内にパワハラやセクハラが蔓延していたのか。私は「革命政党」ゆえの「鉄の規律」がマイナスに作用したと考えている。共産党は今も「民主集中制」を党の組織原則にしている。「党内の問題は党内で民主的に話し合って解決し、党外に問題を持ち出さない」。それが「民主集中制」の建前だ。この為に、党内の役員選挙も、党首公選制ではなく、執行部が選んだ役員名簿を党の大会やそれに準ずる会議で信任する形を取っている。形は信任投票だが、実際はほとんど独裁と同じだ。だから党内でパワハラ、セクハラがあっても、なかなか表に出て来ないのだ。
「会社の役員選挙も同じやり方ではないか」と共産党は言うが、私企業と公党を同じ基準で比較はできない。公党には私企業とは比べ物にならない透明性が求められる。昔は共産党は弾圧されたので、弾圧に対抗するために、こんな仕組みにしたのだろうが、今はもう党員でも自由にネットで情報収集できる時代だ。そうであるにも関わらず、今でもこんな殻に閉じこもっているような状態では、いつまで経っても政権を取れる器にはなれない。
こうして見ると、パワハラやセクハラには、もはや右も左もない事が分かる。資本主義のブラック企業や、保守政党の自民党、弱肉強食・新自由主義の維新の会だけでなく、労働者や弱者の味方であるはずの共産党まで、一様にパワハラ、セクハラに侵されている事が見て取れる。日本は、幕末まで長い間、封建制度の下で、厳しい身分差別が続いてきた。そして明治維新の後も、国の支配者が幕府から天皇の政府に変わっただけで、国民は相変わらず無権利状態に置かれて来た。他の先進国ではとっくに実現していた女性参政権や労働組合の公認化も、日本では戦後になってようやく実現した。そんな国だから、今でもパワハラやセクハラが蔓延し、年間三万人もの人間が自殺する、世界有数の自殺大国であり続けるのだ。
そんなパワハラ天国、自殺大国で生き抜くには、一体どうしたら良いか?まずは、決して下手(したて)に出ない事だ。虐められるのが嫌だと、虐めっ子に怯えて生きていたら、決して虐めから逃れる事は出来ない。虐めっ子が虐めの対象にするのは、常にそういう臆病者だからだ。虐めっ子の機嫌を取る事で、虐めから逃れようとしても無駄だ。そんな事して、たとえ虐めっ子の天敵からは身を守る事が出来ても、虐めっ子の魔手からは逃れる事は出来ない。
だからと言って、虐めっ子とむやみやたらと喧嘩しても、いたずらに体力を消耗するだけだ。それどころか、下手すれば「売り言葉に買い言葉」となって、こちらまで悪者にされてしまう。同じ喧嘩するにしても、もっと上手に、体力を温存する形で喧嘩しなければならない。
そこで冷静な分析が必要になる。その時々の状況に応じて、利用できる物は何でも利用する。たとえ相手がブラック企業であろうとも。私が、副所長のパワハラに対抗する為に、会社のホームページを利用して、本社の役員にパワハラの窮状を訴えたように。いかにブラック企業と言えども、よっぽどの会社でない限り、そうそう無茶は出来ない。具体例を上げて、正論で訴えて来られたら、いかにブラック企業と言えども完全無視は出来ない。それでも無視するようなら、今度はネットで世論に訴えるまでだ。要は絶対に孤立しない事だ。
単に相手を貶めるのが目的の私憤が動機なら、こんな事をしても世論の賛同を得る事は出来ない。無差別殺人やうっぷん晴らしの迷惑行為では、世論の賛同は集まらない。でも、私憤ではなく公益目的で、誰が考えてもクレームを付けれないド正論を掲げて、捨て身の反撃に出て来た相手に対しては、相手もそれ相応に対応せざるを得なくなる。現に維新の会や共産党の党内パワハラ被害者も、それで相手に一矢報いる事が出来た。これが、毒親育ちの中で私が身に着けた処世訓だ。もとより、これはあくまでも私の個人的な感想であって、これを他人に押し付ける気は毛頭ない。でも、その一方で、私のこの助言によって、世のパワハラ被害者が少しでも救われるなら、私としてもこれほど嬉しい事はない。
2023年の幕が開きました。新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
新年早々から朗報です。コロナ禍で休止を余儀なくされていた釜ヶ崎の越冬祭りが今年から再び始まりました。大阪・西成あいりん地区(旧称・釜ヶ崎)の萩之茶屋南公園(通称・三角公園)を中心に、野宿者支援の炊き出しや、野宿者を無法者の襲撃から守る為の集団野営、公園ステージのイベント、難波・梅田など繁華街で暮らしている野宿者に対する夜回り・弁当配布・医療支援活動が、50年ほど前から毎年暮れの時期に行われてきました。これらの支援活動を総称して「越冬闘争」と呼ばれます。何故、単なる支援活動ではなく「闘争」なのか?野宿者にとっては仕事のなくなる年末年始を生き抜く事自体が一つの「闘争」だからです。しかし、幾ら「闘争」でも野宿者自身が楽しく参加できなければ意味がありません。そこで三角公園で毎年盆と暮れの時期にコンサートが開催されてきました。それが釜ヶ崎の夏祭りと越冬祭りです。
その越冬祭りが、2019年の年末を最後に、コロナ禍の為に2年間休止を余儀なくされてきました。炊き出しも人の密集を避ける為に弁当配布に縮小され、夜回りだけが行われてきました。今もコロナ禍は依然として猛威を振るっていますが、コロナウィルスの「弱毒化」に伴い、今年から越冬祭りが再開される事になりました。私もつい最近まで、このあいりん地区に住んでいて、釜ヶ崎の夏祭り、越冬祭りには毎年参加して来ました。今年から再び越冬祭りが行われるようになると聞き、昨日の大晦日に久しぶりに顔をのぞかせて来ました。
越冬祭り会場の三角公園への行き方は上の地図を参照して下さい。グレーの線と囲みがJR・南海・阪堺各線の線路と駅、ピンクの囲みが旧あいりんセンター、ピンクの直線が南海電鉄萩ノ茶屋駅から阪堺線今池駅の方に抜ける萩之茶屋商店街、オレンジの囲みが祭り会場の三角公園です。下の表は祭りイベントのコンサートプログラム(12/30~1/3日開催)で、私はその中の12月31日の部、17時から始まった中川五郎さんのコンサートに顔をのぞかせて来ました。
中川五郎さんの熱唱は圧巻でした。この方は60年代末からギターでフォークソングの弾き語りをされています。その頃の世代の方にとっては、高石ともや、ザ・ナターシャセブン、六文銭などとともに、割と名の知られた方だったそうで。その方が、70歳を超えた今でも、現役のフォークシンガーとして活躍されていました。会場で聴いたのは「図書館でデモをする」「一台のリヤカーが立ち向かう」の2曲です。どちらもスマホでビデオ撮影しましたが、残念ながら容量オーバーと著作権法との関連でブログに載せる事が出来ません。どちらの曲もYouTubeで公開されていますので、興味のある方はそちらのリンクを開いて聴いてください。
私はむしろ、それら2曲よりも、「1923年福田村の虐殺」という曲に圧倒されました。この曲も越冬祭りの会場で演奏されたそうですが、私は残念ながら聴く事が出来ませんでした。1923年の関東大震災で、多くの朝鮮人や社会主義者が虐殺されました。震災の混乱の中で、「朝鮮人や社会主義者が、混乱に乗じて日本を乗っ取ろうと、井戸に毒を投げ込んだ」と言うデマが、警察も含めて半ば意図的に流された中で、起こった出来事でした。殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありません。香川県から行商にやって来た被差別部落の人も、千葉県野田市の利根川の渡しの所で、大勢殺されました。被差別部落の人が「我々は日本人だ」と幾ら説明しても、千葉の人は讃岐弁が分からず、「喋り方がおかしい、こいつら朝鮮人じゃないか?」と疑われ、行商人15人のうちの9人もの方が虐殺されたのです。
虐殺に加わったのは地元の自警団に組織された200人もの村人です。その中で逮捕されたのはわずか8名のみ。その8名も後の昭和天皇即位の恩赦で釈放されています。逮捕者の家族には村から見舞金まで支給されています。その反面、被害者の被差別部落の人には謝罪も補償もありませんでした。千葉だけでなく地元の香川県でも、真相は闇から闇に葬られ、最近まで明るみに出る事はありませんでした。ようやく数年前に、虐殺現場となった利根川の渡しのたもとに慰霊碑が建てられたそうです。(Wikipediaの解説記事参照)
福田村事件について書かれた本と、同事件を題材に今年公開される映画の写真。
私、そんな事全然知りませんでした。それどころか、中川五郎さんの名前も知りませんでした。近年、北朝鮮の拉致問題やミサイル発射報道の影響で、在日朝鮮人へのバッシングや、「従軍慰安婦なぞ居なかった、あれはただの売春婦だ」というデマが広まっています。戦前は今と違い公娼制度(国が限定付きで売春を認めた)がありましたが、その公娼制度の下でも、娼妓(しょうぎ)取締規則で「強制売春」は禁止されていました。建前上は、あくまでも本人の自発性に基づく許可営業だったのです。実際は借金返済の為に遊郭に売られた人がほとんどでしたが。それに対し、慰安婦は「いい仕事がある」と騙されて連れて来られた人が大半です。公娼制度下の建前上の「許可」や健康診断受診などの「保護」措置もありませんでした。従軍慰安婦は当時でも違法な「強制労働」の「犯罪行為」です。
私のブログでも過去に北朝鮮の拉致問題を取り上げた事がありました。拉致問題をきっかけに、北朝鮮国内の政治犯収容所の存在や、餓死寸前の北朝鮮難民が中国や韓国、日本に逃げてきた脱北者の存在が明るみに出て来ました。私のブログでも、北朝鮮の人権侵害に対して抗議のキャンペーンを張りました。しかし、その一方で、北朝鮮拉致問題を口実に、国内の在日朝鮮人に対するバッシングが広まり始めました。拉致被害者支援に名を借りて、朝鮮人差別を煽る投稿が目に付きだしました。それに対して、私は次第に距離を置くようになりました。幾ら北朝鮮の人権侵害が酷くても、それとは何の関係もない在日朝鮮人を叩いたり、過去の戦争犯罪に目をつむるのは筋違いじゃないかと。
その中で知ったのが、中川五郎さんのこの歌でした。朝鮮人虐殺の犠牲になったのは朝鮮人だけではない。同じ日本人も犠牲になった。日本人の中でも被差別部落の人が、「怪しい行商人」として震災の混乱の中で殺された。被差別部落の人は、貧しさゆえに田畑を持てず、高い小作料も払えず、やむなく行商で生計を立てる他なかっただけなのに。差別や排除の対象にされるのは朝鮮人や慰安婦だけではない。被差別部落民や野宿者、非正規労働者も差別の対象にされる。不景気になれば真っ先に首を切られるのは派遣の労働者だ。現に私も、世間が休みの正月も、通常の休み以外は働かなければならない。これが差別でなくて一体何なのか?
中川五郎さんの「福田村の虐殺」の歌詞は余りにも長いので、ブログの字数制限の関係で全文を転載する事は出来ません。ここでは後半の一部だけを転載する事にします。歌詞の最後の「デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠 信じることから始めよう、人はみんな同じ」のくだりは、私も含めて今も全ての日本人の胸に突き刺さる言葉です。たとえ正月であっても。むしろ年頭の正月だからこそ。
見知らぬ人には親切に、苦境の人には助けの手を
それがよその土地の人であれ、よその国の人であれ
たとえ自分たちと違っていても、言葉が違っていても
信じることから始めよう、それが人の心というもの
昔も今も日本人はよそ者を嫌い、
身内だけで固まる狭い心の持ち主なのか
デマや流言飛語に弱いのは臆病者の証拠
信じることから始めよう、人はみんな同じ
※追記:コメント欄に「福田村の虐殺」歌詞全文を投稿する事が出来ました。gooブログでは、本文の方は字数オーバーで投稿出来なくても、コメント欄なら出来るようですw。
株の入門書を勧められて読んだ。漫画で読みやすかったが、株を買う金のない人には縁のない話である。それでも、円安の恩恵に浴するのは自動車などの輸出産業だけで、原材料を輸入・加工・販売する小売業には物価高などの悪影響しかなく、それを推進したアベノミクスが如何に酷い物だったか良く分かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/9c/39fd4263fd035f0f96f98b2ba2eb5991.jpg)