アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
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「殺しながら助ける」支援なぞ実際は在り得ない

2008年08月28日 23時38分24秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 8月26日に、アフガニスタン東部で、20年以上に渡り同国の復興援助活動に携わってきたNGO「ペシャワール会」の所属職員・伊藤和也さんが、武装ゲリラ・タリバンに拉致され、遺体で発見されました(一説にはヘクマチアル派による犯行説もあり)。
 http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20080826ddg001040003000c.html

 数年間に渡りアフガン人民の立場で民生復興に携わって来られた伊藤さんのご冥福を祈ると共に、米軍・ISAF主導の「テロ戦争」にも批判的であった「ペシャワール会」の活動をもテロの標的にした武装ゲリラの蛮行を、ここに改めて糾弾します。
 そして同時に、その武装ゲリラを最初は反ソ・ゲリラとして散々育成してきた挙句に、「911テロを引き起こし手に負えなくなった」からと勝手に切り捨て、その後はアフガン人民を「テロ戦争」に巻き込み、無実の民を今も殺傷し続けている米国・ISAF派兵国や、それに加担する日本政府に対しても、同様に糾弾します。
 この事件発生に際して、福田首相が「戦争協力」を「平和協力」と言い換える欺瞞的なコメントを発表しましたが、何をか況やです。この様な「テロ戦争協力」「自衛隊の海外派兵」ではなく、日本国憲法が指し示す「戦争放棄」「人間の安全保障」実現の立場から、民間NGOを支援してこそ、初めて真の国際貢献となるのです。ここに再度、以前も記事の中で紹介した「ペシャワール会」代表・中村哲氏の言葉を、下記に掲げておきます。
 

■■以下転載■■

「テロ特措法」はアフガン農民の視点で考えてほしい~「殺しながら助ける」支援というものがあり得るのか~

 ペシャワール会現地代表・PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長 中村哲

 参議院選挙の直後からテロ特措法の延長問題が社会的関心を集めている。この法案成立(2001年10月)に際しては、特別な思いがある。当時私は国会の証人喚問でアフガニスタンの実情を報告し、「自衛隊の派遣は有害無益である」と述べた。法案は9・11事件による対米同情論が支配的な中で成立、その後3回に亘り延長された。しかし特措法の契機となった「アフガン報復爆撃」そのものについても、それを日本政府やメディアが支持したことの是非についても、現地民衆の視点で論じられることはなかった。

 現地は今、過去最悪の状態にある。治安だけではない。2千万人の国民の半分以上が食を満たせずにいる。そもそもアフガン人の8割以上が農民だが、2000年夏から始まった旱魃により、農地の沙漠化が止まらずにいるからだ。

 私たちペシャワール会は本来医療団体で、20年以上に亘って病院を運営してきたが、「農村の復興こそ、アフガン再建の基礎」と認識し、今年8月までに井戸1500本を掘り、農業用水路は第一期13㎞を竣工、既に千数百町歩を潤しさらに数千町歩の灌漑が目前に迫っている。総工費は9億円、延べ38万人の雇用対策にもなった。そうすると、2万トンの小麦、同量のコメやトウモロコシの生産が保障される。それを耳にした多くの旱魃避難民が村に戻ってきている。

  だが、これは例外的だ。2000年以前94%あった穀物自給率は60%を割っている。世界の93%を占めるケシ生産の復活、300万の難民、治安悪化、タリバーン勢力の復活拡大-------。実は、その背景には戦乱と旱魃で疲弊した農村の現実がある。農地なき農民は、難民になるか軍閥や米軍の傭兵になるしか道がないのである。

 この現実を無視するように、米英軍の軍事行動は拡大の一途をたどり、誤爆によって連日無辜の民が、生命を落としている。被害民衆の反米感情の高まりに呼応するように、タリバン勢力の面の実効支配が進む。東京の復興支援会議で決められた復興資金45億ドルに対し消費された戦費は300億ドル。これが「対テロ戦争」の実相である。

 テロ特措法延長問題を議論する前に、今なお続く米国主導のアフガン空爆そしてアフガン復興の意味を、今一度熟考する必要があるのではないか。日本政府は、アフガンに1000億円以上の復興支援を行っている。と同時にテロ特措法によって「反テロ戦争」という名の戦争支援をも強力に行っているのである。

 「殺しながら助ける」支援というものがあり得るのか。干渉せず、生命を尊ぶ協力こそが、対立を和らげ、武力以上の現実的な「安全保障」になることがある。これまで現地が親日的であった歴史的根拠の一つは、日本が他国の紛争に軍事介入しなかったことにあった。他人事ではない。特措法延長で米国同盟軍と見なされれば反日感情に火がつき、アフガンで活動をする私たちの安全が脅かされるのは必至である。繰り返すが、「国際社会」や「日米同盟」という虚構ではなく、最大の被害者であるアフガン農民の視点にたって、テロ特措法の是非を考えていただきたい。

 (毎日新聞2007年8月31日に一部加筆) (転載終了)
 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/kaiho/nakamuramainiti.html

(関連記事)

・第三世界から見た「テロ特措法」
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/7269ba78509b7a7531c7ccea6ea07a89
・「テロ戦争」という名のマッチポンプ
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/4f3d15f5820789bbcae346b09423c7c9
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ネットカフェ難民・日払い労働体験記の動画貼付

2008年08月27日 20時19分43秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
 遅まきながら、このブログにも動画貼り付け機能がある事を知り、私も試してみました。すると、意外なほど簡単に貼り付ける事が出来ました。そんなに簡単に出来るのなら、もっと早くからやっておれば良かった。

 貼り付けた動画は、昨年「ニュース・ゼロ」で放送された女性タレントの日払い労働体験記です。当該番組の企画で、『タレントの相沢真紀が、番組スタッフからネットカフェ難民の一日平均所持金(3500円)だけを渡されて、お忍びで3日間のネットカフェ生活・職探し・日払い労働を体験する』―という、下記タイトルのものです。マイミクさんの日記でその存在を知りました。前編(1-2)と後編(2-2)の2つに分かれていますので、順にクリックしてご覧下さい。相沢が最終盤で図らずも口にした、「これは、もはや労働に名を借りた”虐め”じゃないか」という意味のボヤキが、視聴者にも真に迫ってきます。

相沢真紀が日雇い労働体験(1-2)↓


相沢真紀が日雇い労働体験(2-2)↓


 というか、はっきり言って、この番組(動画)に映し出されていた、派遣先従業員による派遣ワーカーに対する作業説明の様子ですら、余りにも奇麗事でしか無い。現実には、派遣ワーカーにはこんな丁寧な対応などされません。
 その事は、自分の身に引いて考えてみたら直ぐに分かります。自分も現場で仕事を抱えている中で、毎日入れ替わり立ち替わりやって来て、当日初めて出会い、その日一日だけ仕事して帰る人を、即戦力として使いこなさなければならないのですよ。作業者は素人の寄せ集め、でも当日の仕事は終わらさなければならない。そんな中での作業指示が、「おい、そこの君、この商品をあそこに持って行ってくれ」というだけの、まるで「労働者をモノ扱い」する様な単発的な形を取らざるを得なくなるのは、火を見るより明らかです。作業マニュアルも一応ありますが、それはあくまで業務のアウトラインでしか無い。マニュアルだけで仕事が回るなら、誰もこんな苦労などはしない。

 それは派遣ワーカーの側から見ても同じです。それも、上記の派遣先従業員の立場を、派遣ワーカーの側にそのまま置き換えて見れば、直ぐに分かります。当日就く業務の具体的な内容や、酷い場合は勤務先の名称ですら、出発直前まで分からない。職場に着いても、トイレが何処にあるかも分からないまま、制服や安全靴も空きの分を適当に宛がわれただけで(仕事で使う軍手・ボールペン・カッターですら自腹で用意しなければならない)、通り一遍の説明だけでいきなり配置に就かされ、ミスすれば露骨に嫌な顔をされ、酷い場合は人格まで否定されるのですから。

 派遣先従業員が派遣ワーカーの人となりを知る暇も無く、派遣ワーカーが派遣先の業務内容や作業手順をまともに理解する暇も無いままに、一発勝負で現場を回さなければならない。そんな状況下でトラブルや事故が起こらない筈が無い。これが、政府や御用マスコミが今まで散々持ち上げてきた、新自由主義とか構造改革とか言われる社会での労働の実態です。
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政府は何も分かっていない

2008年08月24日 15時24分52秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
・ネットカフェ難民に生活費、職業訓練条件に月15万円融資へ(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080823-OYT1T00426.htm

 厚生労働省は23日、「ネットカフェ難民」の就労を支援するため、公共職業訓練の受講を条件に、訓練中の住居・生活費として月15万円を融資する制度を2009年度に創設する方針を固めた(以上、同紙より)―との事。数ヶ月の職業訓練を受けさせて、難民生活から足を洗わせる為に、その間の生活費として支給するもので、しかも受講修了者で年収150万円以下の人は返済を全額免除されるのだそうです。
 一見すると、さも何やら耳障りの良い事を言っている様ですが、多分こんな事をしても、問題解決には何の役にもたたないでしょう。

 何故ならば、まず第一に、今回の件でもそうですが、そもそも政府の公共職業訓練政策の位置付けそのものが、曖昧模糊で中途半端なものに終始しているからです。
 グローバル資本主義・新自由主義の下では、求められる人材は、あくまでも「安上がりな即戦力」でしかありません。確かに長期的に見れば、そんな「使い捨て」雇用は企業経営にとっても必ずしもプラスにはならないのですが、株主・スポンサーからは短期的な利益追求だけが求められるので、そうならざるを得ないのです。そんな中では、たかだか数ヶ月の職業訓練で「パソコンが出来る様になった」「フォークリフト運転免許が取れた」程度では、屁のツッパリにしかなりません。
 公共職業訓練の本当の役割は、そんな「屁のツッパリ」に甘んじる事ではなくて、パソコン技能取得者やフォークリフト免許取得者が、「それをワンステップにして如何に自分の可能性を広げられる様になったのか」という、社会教育の観点から評価されるべきなのです。たとえ短兵急には就職率のアップには結びつかなくとも、例えばパソコンでインターネットにアクセス出来る様になった事で、その人の世界が広がったならば、「職業訓練の意味は確かにあった」と言えるでしょう。

 しかし、当の国にしてからが、その程度のビジョンすら持ち合わせていないのが現状です。今の公共職業訓練事業は、雇用能力開発機構に天下った役人が、補助金欲しさにアリバイ的にこなしている仕事でしかない。実際のカリキュラム作成や教育訓練も全て委託民間教育機関に丸投げするだけで、「自らも失業者の自活支援や生存権保障の為に何かしよう」という気概なぞ、サラサラないのです。だから、直ぐに目に付く成果が出ないからといって、いとも簡単に訓練期間を短縮したり、職業訓練機関を勝手に縮小・統廃合して、それで訓練生が翻弄されても、全然胸が痛まないのです。今までそんな事しかして来なかった国が、今回いきなりそんな支援策を打ち出しても、世間からは「どうせ行き当たりばったりの思い付きだろう」としか受け取られないのも、当然の成り行きです。

 そして第二に、寧ろこちらが肝心な点ですが、こんなピント外れの施策では、ネットカフェ難民の救済・支援には全くならないという事です。言うまでも無く、ネットカフェ難民はネットカフェを塒(ねぐら)にしています。つまり、最低限のパソコンスキルは有しているのです。彼の人たちが定職に就けない決定的な原因は、パソコンスキルなどの職業能力の不足にあるのではなくて、住所不定だからです。中には生活破綻などで家族との絆も断ち切られて、身包み一つで出てきた為に、入居・就職の際に必要な身元保証人も立てられない人も、少なくないのです。
 こういう人たちに必要なのは、僅か数ヶ月間の職業訓練などの弥縫策ではなく、もっと本腰を入れた生活支援策なのです。例えば、国や市町村が身元保証人になって敷金も援助して、雇用促進住宅や市営住宅を安価な家賃で提供し、今の日払い派遣の様な貧困ビジネスではなく、そこそこ食べて行けて人並みに暮らしていける常勤の仕事を斡旋すれば、状況は大幅に好転するでしょう。

 それも、単なる生活支援ではなく、産業政策とも連動してそれを行う。例えば、医療・介護分野は大幅な人手不足に見舞われており、いくら人を募集しても誰も成り手がいません。いても直ぐに辞められる。それは、労働に見合うだけの適正待遇が保障されないからです。それならば、国が介護保険の体系を見直しするなどして、それを保障してやれば、それで済む問題です。
 そうすれば、介護自体は潜在的な需要もあり社会的にも意義のある仕事なのですから、事業的にも充分成り立つ筈です。また、そうして若者が住む様になれば、空洞化・高齢化が進む当該住宅周辺地域の活性化にも結びつく。そうすれば、正に一石二鳥にも三鳥にもなる。わざわざEPA(経済提携協定)で開発途上国から人を引っ張って来る必要もなくなる。
 その為の財源はどうするかって?そんなモン、今まで散々ワーキングプアを搾取して甘い汁を吸ってきた大企業や官僚から拠出させて、無駄な「ミサイル防衛」「米軍への思いやり予算」「長良川河口堰・諫早干拓などの公共事業」などを廃止すれば、それで済む話でしょう。福祉に金が回らないのは、財源が無いからではなく、あくまでも予算の不適正配分に起因する問題なのですから。

 以上述べた様な「身になる支援」をしてこそ、それを受ける方も、初めて将来への展望が持て、生活・人生設計への意欲も生まれようというものです。そういう「将来展望を持ってもらう」という長期的視野を欠いた、単なる「人気取り、思い付き」給付では、それこそバラマキにしかなりません。
 それもこれも、国が本腰でこの問題の解決を図ろうとはしていないからです。多分、厚労省の役人の根っ子には、「ネットカフェ難民は自己責任」という意識があるのでしょう。だから、本当はこんな面倒な事には関わりたくはないのです。しかし、このままでは福田内閣や自民党の支持率はずっと低迷したままなので、何かアドバルーンを上げる必要がある。だから、こんな愚策を事を思い付いたのでしょう。そんな下心が見え見えの施策なぞ、凡そ成功する筈がありません。

(関連情報)

・「公共職業訓練切捨てに反対する全国共同緊急アピール」のHP
 職業能力開発総合大学校の廃止に反対する卒業生有志が立ち上げたサイト。私のマイミクの一人でもある伊達さんも、ここで頑張っておられます。
 http://www.geocities.jp/appeal_polytech/index.html

・派遣労働者:労災が3年で9倍 危険な業務裏付け…厚労省(毎日新聞)
 2004年の製造業への派遣解禁以降、労働災害が急増。職場に初めて来た、右も左も分からない人間を、毎日入れ替わり立ち替わり現場に放り込んで、安全教育・基礎教育も抜きに、無理やり即戦力として働かせたら、そりゃあ必然的にそうなるわな。職業訓練なんかよりも、こっちの問題を何とかする方が先決だろう。
 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080821k0000m040120000c.html

・今こそ介護労働者の待遇改善を(JANJAN)
 本欄でもネットカフェ支援策の一例として引き合いに出した介護労働に関する記事。こちらの記事も、マイミクの一人である「さとうしゅういち」さんの手によるものです。
 http://www.news.janjan.jp/government/0808/0808225273/1.php 
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冷凍庫・冷蔵庫ダイエット

2008年08月21日 22時43分57秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 今年に入ってから、複数の知人から「最近、少し痩せたのでは?」と聞かれる事が何度かありました。当の私としては、その間、別にダイエットを意識した事も、逆に大病を患った事も無かったので、半信半疑でその言葉を受け流していました。しかしその一方で、「そう言えば最近、胴回りが以前よりは心持すっきりしてきた様な・・・」という感触もありました。それで今日の仕事休みに、久しぶりにサウナに入浴がてら、ヘルスメーターで自分の体重を測定してみました。すると、やっぱり体重が減っていました。去年と比べたら約3キロ、生協退職後の一番太っていた時期と比べたら何と10キロ近くも。

 それで、ウン十年前の若かりし頃の体重にほぼ戻り、肥満の目安となるBMI指数(体重キロを身長メートルの二乗で割って25未満なら健康体)も完全クリアする様になって、自分では何もしないのに、自然にダイエットに成功した形となりました。「超ラッキー」という気分と同時に、「原因不明で少し気味が悪い」という気持ちもあります。しかも、私は男性としては小柄な方なので、そんなに体重が変動する事も、今までは余り無かった筈です。それで、原因と考えられるものを、次に思いつくままに列挙してみました。

(1) 煙草・酒:前者は全く吸わず、後者も殆ど飲まない。代わりに以前はコーヒーをよく飲んだが、最近はそれもセーブしている。
(2) 食事:偏食はほぼ皆無。間食も殆どしない。量も普通。どちらかというと薄味嗜好で、こってり系はあまり好きではない。
(3) 生活サイクル:今の仕事は朝が早く夕方に終わるので、三度の食事時間もそれに対応。夜遅くに食事を取る事はまず無くなった。掛け持ちバイトで帰宅が遅くなる日についても、夕食は大抵外食で早めに済ます。但し睡眠時間については、一日最低6時間は確保する様にはしているが、ブログ作成時にはそれを割り込む事も多々ある。
(4) バナナ:朝食のパンと牛乳に加えて、毎日必ず1/2本は食べる。
(5) 仕事環境:生協時代も含めて、主に冷凍・冷蔵倉庫での商品管理や仕分けの仕事でメシを食ってきた。寒い所での作業なので、その分カロリー消費で新陳代謝が促進され、脂肪が燃焼される事が多かったのでは。商品の検収・仕分け・荷出しを主とする仕事なので、毎日歩く距離も半端じゃないし。

 今思うに、上記の中でも、特に(3)と(5)が決め手になっているのではないかと。但し、(5)については、良い事ばかりではありません。例えば、私の持病の慢性腰痛・頸肩腕症についても、長年に渡る寒冷環境の中で、捻り・中腰での作業姿勢を強いられる事も多かったので、次第に身体の血液循環が阻害され、それに生協時代の過労・ストレスや加齢の影響も加わって、現状に至っていると自分では認識しています。

 しかし、これって、ダイエットに応用出来るのでは。題して「冷凍庫・冷蔵庫ダイエット」w。別に食事制限や運動をしなくても、毎日終日、冷凍庫・冷蔵庫の中で仕事をしていたら、みんな痩せるかも。「最近7キロも太ったから」と言って、勤務先を抜け出して公用車でジム通いをしている労務屋タレント弁護士出身の大阪府知事さんなども、わざわざそんな所に行かなくても、民情視察を兼ねて、冷凍庫・冷蔵庫内での派遣労働と新自由主義の実態を、一年ぐらい身を以って経験してみては如何かと。
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2つの終戦特集記事と脱北者の想い

2008年08月19日 21時11分19秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 遅くなりましたが、8月15日付の終戦特集記事の中で、特に好対照を成すものが2つあったので、こちらにも紹介しておきます。その一つは産経新聞の主張(社説)記事で、もう一つが東京新聞の社説記事です。

■8月15日 日米の絆を確かめたい(産経新聞・主張、抄)

>「帝国」復活を思わすような中国の台頭は、日米安保条約による米国との同盟を軸に、安全と繁栄を保ってきた日本の国家戦略を根本的に揺さぶる要素にもなってきた。それだけに、北京五輪の最中に終戦の日を迎えたことは、日本の戦後と将来を考える上で大きな意味を持っているといえる。

>今、日本国内にも「国連中心主義」を唱える民主党の小沢一郎代表をはじめ、日米同盟より多国間の協調を重視する声が急速に強まっている。こうした状況は、かつて日英同盟が廃棄されたときと似ていると言わざるをえない。
 明治35年(1902年)に結ばれた日英同盟は、日露戦争での日本の勝利に貢献し、国際社会での日本の安定した地位を確保させた。しかし大正10年(1921年)のワシントン会議で、新たに日米英仏4カ国条約を結び、同盟は廃棄された。
 中国への進出をうかがう日本への反発から、日英間に亀裂を入れようとする米国や中国の外交戦略に乗せられたためだった。日本国内にも「新外交」として同盟より多国間の協調を求める空気が強まっていた背景もあった。
 4カ国条約は太平洋地域における国際協調をうたっていたが、同盟とは異なり、何ら日本の安全を保障するものではなかった。唯一の同盟をなくした日本は国際的孤立を深め、先の大戦での破滅の道をたどることになる。

>今、日米同盟に代わり、価値観の異なる中国や、領土問題などで日本に敵対姿勢を強める韓国などと、多国間の枠組みを選ぶとなれば、日本はまた、孤立の道を歩むことになるだろう。
 むろん外交は、相手国があってのものだ。米国の「変心」に備えて「自立性」を強めることも大切である。
 だが、その前にやるべきは、補給の継続などにより「同盟の成果」を示し、日米の絆(きずな)を確かめることだ。中国や北朝鮮などによる同盟への揺さぶりや、これを弱体化させる動きは封じていかなければならない。(以上、引用終了)

 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080815/plc0808150313002-n1.htm

■終戦記念日に考える 人間中心主義に帰れ(東京新聞・社説、抄)

>三百万人を超える戦死者と焦土を残して終わった昭和日本の破局は一九三一(昭和六)年の満州事変に始まったとされます。
 それまで軍縮と国際協調路線に賛同し、軍部の横暴を批判する良識を持っていた新聞を中心とした言論界も中国・柳条湖での南満州鉄道爆破で一変しました。
 爆破が日本軍部の謀略であることは、現地に特派された記者がすぐに気づくほど軍の関与と宣伝が歴然としていましたが、「日本の正当防衛」「権益擁護は厳粛」で走りだした新聞は論調を変えることはありませんでした。
 言論も世論も事実に目をつぶり上海事変、日中戦争、太平洋戦争と進むにつれて神がかり。破滅に至る十五年戦争の熱狂はどこから来たのでしょうか。

>略奪や侵略が当たり前だった帝国主義の時代だったこともあるでしょう。欧米列強への恐怖と不安と長年の鬱積(うっせき)が一気に噴出したとの分析もあります。軍のマスコミ工作もあったでしょうが、この時代に垂れこめていたのは世界大恐慌の暗雲でした。
 一九二九年十月のウォール街の株暴落に端を発した大恐慌は、ドイツでナチス、イタリアでファシズムの政権を生み、日本では満州国建国の夢となりました。国家改造をめざした二・二六事件の青年将校決起には農山村の疲弊と貧困があったとされ、満州を経済圏にした日本は欧米に先駆けて国内総生産を恐慌前水準に戻します。第二次大戦のもう一つの側面が資本主義の暴走と破局でした。

>資本主義の暴走という点で、グローバル経済の行方が気がかりです。最も効率の良いものが勝ち残る地球規模の経済システムは、ひと握りの勝者と多くの敗者を生み、効率追求のあまり低賃金、過激労働、雇用不安を世界に広げ、多くの国で社会保障の削減となりました。石油などの資源争奪と食料まで投機対象とする貪欲(どんよく)と無節操は帝国主義時代さながらです。(中略)
 イラク戦争に参加した日本人青年が語っています。「人間らしく生きのびるための生存権を失った時、九条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは人間として当たり前」。貧困と生活の脅(おび)えに平和の理念も吹き飛ぶ。日本のフリーター論客の「希望は戦争」がすでに現実の世界でした。

>資本主義暴走期の大正から昭和初期にかけ東洋経済新報の石橋湛山は「一切を棄(す)つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」「鮮人暴動に対する理解」の社説で、人間の健全さを示しました。領土と植民地の解放、民族の独立自治、自由貿易体制こそ世界の進むべき道だと説いた時代を超えた論説です。
 湛山のこの自由主義とヒューマニズムこそ戦後日本の立脚点だったはずです。人間のための社会経済システムや社会保障体制が一刻も早く再構築されなければなりません。人間を雇用調整の部品や在庫調整の商品並みに扱ったのでは資本主義の敗北で、未来があるとも思えないのです。(以上、引用終了)

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008081502000117.html

 それで、上記2つの社説記事を読んだ感想ですが、私としては勿論、後者の東京新聞社説の内容の方に、軍配を上げたいと思います。
 前者の産経新聞の方は、戦前の日英同盟の例まで牽強付会に持ち出して来ての、単なる「日米同盟絶対視」にしか過ぎません。『今の日本の「平和と繁栄」を享受したければ、たとえその内実がどうあれ、ひたすら米国追従を続けるしかないのだ』―この社説の内容を一言で言えば、そういう事でしょう。
 その「平和と繁栄」なるものが、果たして誰の犠牲によって、誰が享受しているのか。イラク・アフガン戦争の犠牲者や、先進国に搾取される第三世界の民衆や、日本国内のワーキングプアの犠牲と引き換えに、一部の「勝ち組」だけが享受している、只の「砂上の楼閣」にしか過ぎないではありませんか。そして今や、お膝元の米本国においてすら、それが「砂上の楼閣」にしか過ぎない事が、今や誰の目にも明らかになり、ブッシュ・ネオコン自体が既に「過去の人」となろうという時に。日本だけがいつまでもそれにしがみ付いている様は、もう哀れとしか言い様がありません。
 其処には、「お追従の勧め」や「諦めの哲学」、「国益」を煽る言葉はあっても、生身の「民衆」は一切出てきません。何の事は無い、戦前の「満蒙は日本の生命線」の発想から一歩も抜け出ていない。今や世界は遥かその先を行っているというのに。産経の発想こそが、「奴隷の平和」「一国平和主義」に他なりません。

 それに引き換え、後者の東京新聞社説の内容は、「人間の安全保障」という事を前面に押し出しています。資本主義の暴走から貧困・格差が生まれ、ファシズムが台頭し、やがて戦争にまで至った。軍事力や核抑止力だけでどうにか維持している「国家安全保障」という名の「砂上の楼閣」「支配者の為の、見せ掛けの、奴隷の平和」ではなく、全世界の全ての人が、戦争・飢餓・人権抑圧・経済的搾取から解放されて、真の自由・平和・民主主義・社会的生存権を享受出来るようになってこそ、はじめて本当に「平和である」と言えるのだ。―そういう事を、この社説は言っているのです。
 この「全世界」の中には、勿論、日本も米国もイラクもアフガンもパレスチナも北朝鮮もチェチェンも、全て含まれます。

 ここで最後に、北朝鮮難民の救援・定着を支援しているNGO「北朝鮮帰国者の生命(いのち)と人権を守る会」(略称・守る会)の機関紙「かるめぎ」(朝鮮語でカモメという意味です)8月10日号に掲載されていた、「守る会」会員の自作の詩を紹介しておきます。この詩が求めているものこそ、東京新聞の社説が求めているものに他なりません。少なくとも、産経の求める「奴隷の平和」なんかでは、断じてない。
 この作詞者の方も、ひょっとしたら北朝鮮の強制収容所に入れられていたのでしょうか。若しそうだとしたら、あの環境からよくぞ生還を果たし、よくぞここまで社会的視野を広げる事が出来たものだと、感慨を新たにしました。特に最後の環境問題に言及したくだりなどは、G8の首脳に是非読んでもらいたい。とかく「平和」と言えばイラクやアフガンばかりが話題に上り、ともすれば北朝鮮一帯は「平和の不毛地帯」と思われがちの感が今までありましたが、そこにも「人間の安全保障」を求める底流が、着実に脈打っていました。

 わたしは地球   作:李 美代子

 やめて、やめて、争いをやめて
 武器を捨てて、戦争をやめなさい

 わたしは地球
 いつ、どこの 誰がそうしたの
 この 地球上に線を引いて
 ここは 我々の国だと、互いに争い
 宗教のために争い イデオロギーのために争い
 夥しい数の爆弾を爆破させ
 わたしが 息もできないようにするなんて

 もともと、おまえたちは皆 兄弟ではないか
 互いに助け合い 分かち合って食べ
 住みたい所に住む自由は
 誰の上にもあるのに

 島が沈んで、北極と南極
 そしてエベレスト山まで氷が溶け
 明日にでも堰を切って流れそうなのに・・・
 それでもおまえたちは 戦争をやめられないのか

 おお、宇宙を統べておられる全能の神よ
 不明のこの者たちをどうすればよいのやら・・・

 愚かな人間たちよ
 全世界に猛毒を振り撒いておいて
 環境問題を議論する前に
 武器を引き上げよ、核をなくせ!

 この詩を書いたのが、先進国の反グローバリズム活動家やリベラル市民ではなく、脱北者乃至はその関係者であるという事実にこそ、日本の左派はもっと着目すべきではないでしょうか。そして、左派の立場から、イラク・アフガンや「過去の清算」だけでなく、北朝鮮や中国の人権状況改善に向けてどうするのかを、もっと明らかにすべきです。以前と比べれば遥かに言及するようになったとは言え、現状では、左派はまだまだこれらの問題に対して、及び腰の感が拭えません。
 そして大多数の右派については、ともすれば「嫌韓流」や「糞青」の目でしかアジア・世界を見る事が出来ないレベルから、いい加減卒業すべきです。そうしないと、最後には北朝鮮の人々にも追い越され、全世界の人々から笑い者にされてしまうでしょう。

※ちなみに、前記「産経」「東京新聞」も含め、終戦・原爆投下に関する新聞の社説は、NPJのHPで閲覧出来ます。但し、一部にはリンク切れで閲覧出来なくなっているものもありますので、ご注意下さい。
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太田発言でも露呈した政府の本音

2008年08月12日 23時25分49秒 | 北朝鮮・中国人権問題
・<太田農相>消費者軽視?…「やかましいから」安全徹底(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080811k0000m010085000c.html
・太田農相問題?発言「日本の消費者やかましい」(スポーツ報知)
 http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080811-OHT1T00106.htm
・「消費者やかましい」発言で太田農相が釈明(産経新聞)
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/168600/

 太田誠一農相が10日、NHKの討論番組で食の安全に関連し、「消費者としての国民が、やかましくいろいろ言うと応えざるを得ない」などと発言した(上記「スポーツ報知」記事)―という、例のニュースについて。その前の麻生幹事長による「自公政権・翼賛大連立反対の世論をナチス呼ばわり」と言い、今回の発言と言い、「福田政権のマルコスぶりも、安倍政権に負けず劣らず」「これで臆面も無く国民目線なぞと、よくも言えたものだ」―というのが、まずは第一印象。
 ただ、上記の文章だけでは、この太田発言が、どういう文脈の中で出たものなのか、イマイチよく分かりませんでした。それで、前後の会話のやり取りまで含めて、もう少し調べてみよう―という事で、出てきたのが下記の文章。

・農水相「国民やかましい」/NHK番組/「食の安全」問われ(しんぶん赤旗)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-11/2008081102_02_0.html

>太田氏は、「国民がやかましくいろいろいうと、それにこたえざるをえない日本のような国の場合は、社会主義の国である中国のように消費者のことを考えないでもいいという国とは違って常にプレッシャーにさらされている」「とくに日本の場合は潔癖だから基本的には私は食の安全というのは日本国内では心配しなくてもいいと思っている」などと述べました。(同上記事より)

 これでやっと、その場の大体の雰囲気が掴めてきました。誰とのどんな対談のやり取りの中で出た発言なのか、もう少し詳しく調べないと確かな事は言えないのですが、おそらく太田農相は、食の安全についても、「中国なんかのやり方と比べたら、日本の方が遥かに民主的」という事を、言いたかったのでしょう。しかし私からすれば、こんな発言は、典型的な「下見て暮らせ傘の下」の発想にしか他ならないのですが。

 まず以って問題なのが、「国民のやかましい声にもいちいち誠実に応えてきた」と言わんばかりの、太田発言のこのスタンス。では、これまでの、雪印や日ハムやミートホープや船場吉兆やその他の、食品の日付・産地偽装や、マンションの耐震偽装は、一体何なのか。それを告発した西宮冷蔵を逆に容疑者扱いして、一旦は廃業にまで追いやったのは、一体どこの国のメーカーや役所なのか。
 太田農相は、トレーサビリティー(生産履歴)制度や、HACCP(重要管理点モニタリング)などの衛生管理手法まで引き合いに出して、日本の役所やメーカーが「国民のやかましい声にもいちいち誠実に応えてきた」と言いたい様ですが、何をか況やです。たとえどんな制度を導入しようと、それを運用する人間がデータの改竄をやっていたら、同じ事です。それを、西宮冷蔵関係者が「世論も捨てたものではない」と言うのならまだしも、それを抑えつけてきた側が言うとは、言語道断です。

 そして、今回の発言でもそうですが、中国や北朝鮮を引き合いに出しさえすれば、政府のやる事は全て免罪されると言わんばかりの、「下見て暮らせ傘の下」的発想。今の中国や北朝鮮が、お世辞にも褒められたものではないのは、その通りですが、それを陰で支えているのは、他ならぬ自分たちでもあるのにも関わらず。
 例えば中国産冷凍餃子毒物混入事件一つとっても、中国側メーカーの天洋食品だけが悪者にされている感がありますが、それを日本側輸入元のJTフーズや生協も、見て見ぬふりをしていたのではないですか。国際競争に勝ち抜く為に、現場にダンピングを強いておきながら、それをいざ問題が発覚した途端に、全ての責任を製造現場だけに押し付けて、自分たちは何食わぬ顔で被害者づらして。

 太田発言一つとっても、単に「食の安全を蔑ろにした」という側面だけでなく(勿論それ自体も重大な問題なのだが)、そういう「下見て暮らせ傘の下」的発想が、透けて見えるのです。
 拉致問題や反日暴動からダンボール肉まんやディズニーランド模造遊園地の話題まで、昨今は「特定アジア」叩きには事欠かない有様ですが。しかし、その「特定アジア」の遅れた側面、例えば中国の環境問題一つとっても、中国の政府や共産党が人民の抗議行動を押さえつけているのは周知の事実ですが、それを陰で支えているのは一体誰なのか。G8諸国の政府・財界であり、グローバル資本やその手先のIMF・世銀・WTOではないのか。
 それらが、自分たちの金儲けの為に、中国政府と結託して、彼の国の農民を農薬漬けにし、同じく労働者をスウェットショップ(搾取工場)に縛りつけ、「安かろう悪かろう」のダンピング輸出を強行して、日本の国内農業を破壊し、日本国民をジャンクフード漬けにしてきたのでしょうが。何の事は無い、G8やWTOが、今まで他の第三世界の国々に対して散々してきた事を、中国に対しても行っている。それだけの事なのです。しかも昨今は、その様な「ODAに名を借りた経済的搾取」を、「国益追求」と居直る議論まで出てくる始末で。

 この様に、中国・北朝鮮の今の体制を支えているのが、実はG8やグローバル資本主義なのです。これは「親中・媚中」とか「ハト派」と言われる人たちだけに限った事ではなく、「タカ派」と呼ばれる人たちにも当てはまる事です。それが証拠に、普段は中国をシナだ何だのと散々貶める発言を繰り返している石原慎太郎が、経済的利害が絡むと途端に「親中・媚中」に豹変する、下記の事例一つとっても、自ずと明らかです。

・北京市との連携よびかけ 石原知事帰国(産経新聞)
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/other/168393/

 何故、タカ派・極右で鳴らす前首相の安倍晋三が、就任早々に中国との手打ちに踏み切ったのか。何故、北京オリンピック前はチベット問題や東シナ海ガス田開発問題などで「中国叩き」一色だったマスコミが、オリンピックが始まった途端に「五輪報道」一色に豹変するのか。
 G8諸国の政府・財界やグローバル資本主義にとっては、今の中国との経済的関係は切っても切り離せないからです。日本の貿易相手国第一位の国が米国だったのも、数年前まで。今や、中国が日本の第一のお得意様なのですから。そんな国と断交や、況してや戦争なんて、今や在り得ない。それは右・左、タカ・ハト関係無し。

 ただ、「目糞鼻糞」の輩が「下見て暮らせ傘の下」の風潮を煽りたい時だけ、ご都合主義的に中国や北朝鮮を持ち出してくるのです。よく「困った時の北朝鮮頼み」という事が言われますが、その通り、時として、自民党が選挙で危なくなると、途端にうまいタイミングで北朝鮮からミサイルが飛んでくる。
 日本の右傾化としての改憲や海外派兵にしても、あれはあくまでイラクやアフガニスタンなどにおける米軍との戦争協力体制構築を想定したものであって、中国や北朝鮮を直接視野に入れたものではありません。本気で中国と事を構えるような事は、日本も米国も決してしない。そんな事をすれば、資本主義にとっても自殺行為となります。
 しかし、「人権侵害が横行しダンボール肉まんが店頭で売られる気持ち悪い国」としての中国の存在は、政府・自民党にとっては真に都合が良い。B層やネットウヨク相手に「下見て暮らせ傘の下」を煽る格好のネタになるから。しかし、中国・北朝鮮人権問題の真の解決には、おそらく結びつかないでしょう。寧ろ「百害あって一利無し」という方が近いのではないか。
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参考資料:2008ヒロシマ平和宣言

2008年08月08日 07時37分01秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
平 和 宣 言

平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」―――被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための決意を新たにする日です。

しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。

2008年(平成20年)8月6日  広島市長 秋葉忠利

http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html

※関連記事:何故、最近のマスコミは8月6日に原爆を取り上げなくなったのか?

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何故、最近のマスコミは8月6日に原爆を取り上げなくなったのか?

2008年08月08日 07時36分33秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
●朝日新聞:21時40分更新
 グーグル地図新機能、削除要請次々 職質中の男性写真も(21:26)
 中国外務省、ギョーザ中毒認める 天洋食品かは回答せず(19:40)
 赤塚不二夫さん通夜に1200人 タモリさんも参列(21:08)
 全日空、国内6路線を減便へ 国際2路線も廃止(19:17)
 広島の被爆電車、2ちゃんに破壊予告 運行を中止(19:30)
 「倉敷チボリ」大みそかで閉園 三セク解散を可決(20:06)
 http://www.asahi.com/news/list.html

●毎日新聞:21時19分更新
 ギョーザ中毒:政府、早期決着目指す 首脳会談でも議題に(20時45分)
 民主:代表選にジレンマ 「論争」の声も有力者沈黙 (21時14分)
 赤塚不二夫さん:東京で通夜 ファン1200人別れ (20時48分)
 高速バス乗っ取り:14歳家裁送致 「保護処分相当」意見 (20時08分)
 五輪競泳:二百平で五輪逃したハンセン会見「楽しみたい」 (20時19分)
 中越沖地震:震源断層、2キロ長い可能性…原子力保院 (20時18分)
 http://mainichi.jp/

●読売新聞:21時53分更新
 開会式での政治的アピールは「五輪憲章違反」…組織委(21:09)
 五輪競技スタート…なでしこ、初戦はNZと引き分け(19:52)
 ガソリン価格高騰で帰省費用上昇、昨年比3430円↑(21:13)
 富山県、職員に車通勤の自粛を要請…10月から(21:16)
 JR資材置き場の廃レール83本盗まれる…埼玉・川口(21:43)
 赤塚不二夫さんの通夜、1200人が別れを惜しむ(21:25)
 http://www.yomiuri.co.jp/index.htm

●産経新聞:
 五輪成功目標の中国に配慮 ギョーザ問題解決、先送りに同意の日本(21:58)
 児童に「うそつき」張り紙 北海道教委、小学教諭を処分(21:27)
 偶発的犯行との見方強まる 京都・舞鶴少女殺害事件から3カ月(20:27)
 日朝実務者協議、11、12両日に中国・瀋陽で(20:01)
 動画投稿サイト運営業者を提訴 JASRAC(19:12)
 バカボンのパパに見送られ 赤塚不二夫さん通夜(19:16)
 亀田興が今月30日に試合 メキシコでノンタイトル戦(18:46)
 http://sankei.jp.msn.com/points/points.htm

●中国新聞:
 「2008ヒロシマ」特集記事(8月6日当日付分のみ、更新時刻不詳)
 祈りのヒロシマ・原爆の日 式典に最多55ヵ国
 被爆刻んだ亡母の手紙 広島の大場さん、資料館寄贈へ
 被爆証言をDVDに 長崎の高校生国内外15人収録
 ヒバクシャの苦難、本や写真で知ろう 広島で企画展
 8・5のパリジェンヌ 原爆供養塔清掃13年
 犠牲者へ哀悼の調べ 広響、「平和の夕べ」コンサート
 同胞悼み平和誓う 韓国人慰霊祭に250人
 日韓学生が惨状に衝撃 原爆資料館見学
 被爆の惨劇に目を留めて 東広島市役所で原爆展
 ヒバクシャ連携誓う アルジェリア研究者、仏核実験を報告
 http://www.chugoku-np.co.jp/abom/2008/News/index.html

 上記は、4大全国紙(朝日・毎日・読売・産経)と地方紙(中国新聞)の、8月6日ヒロシマ原爆忌当日夜の時点での、それぞれの新聞社のHPにアップされていた最新記事の主なものです。アップされた順にそのままの形で転載しました。地元紙がこの問題を精力的に取り上げているのに引き換え、4大全国紙の方はと言うと、8月6日の当日であるにも関わらず、広島・原爆慰霊祭や原水禁世界大会に関する記事が全く見当たりません。原爆に関するものは、僅かに「2ちゃんねる」への被爆電車爆破の脅迫投稿事件を取り上げたものがあるのみです。

 確かに、普段は核廃絶や被爆者援護の問題を殆ど取り上げないくせに、8月6日や8月9日にだけ、広島・長崎の原爆慰霊祭の様子を朝のニュースやワイドショーなどでアリバイ的に報道し、それで以って「我が社はこの問題もきちんと取り上げてますよ」とお茶を濁してきた従来のマスコミの姿勢も、それはそれで問題はありました。しかし、それでも、たとえアリバイ的にでも、取り上げるだけまだマシでした。それと比べても、今年のマスコミは、「もうそれすらもしない」というのでは、どう考えても異常です。テレビ番組の中には、今年もこの問題を取り上げた良心的なものも、確かに少なくはないですが、それらはあくまで、マスコミの中では傍流にしか過ぎません。この様な有様では、被爆国・日本のマスコミの状況として、まことにお寒い限りです。

 斯く言う私も、今年に入って核廃絶や被爆者援護の問題をブログで取り上げたのは、おそらくこのエントリー記事が初めてです。ついつい忙しさにかまけて、他の話題を取り上げるのに精一杯で、この問題については余り言及してきませんでした。しかし、それでは幾ら何でもアンマリだと思ったので、せめて原爆忌で読み上げられた広島市の平和宣言の紹介(転載)だけでもしようかと思って、6日当日に仕事が終わって帰宅してから、パソコンを開いて目の当たりにしたのが、上記の状況でした。

 実は、私は、これは自分だけが抱いていた感想だと思い、単に「俺はこう思った」と言うだけに留めた最初の記事を、6日当日に書きました。そして翌7日に、日中のバイトを終えて夜の短時間掛け持ちバイトに行く途中に、いつも夕飯を食べに立ち寄るなじみの喫茶店があるのですが、そこのママに、上記の「最近のマスコミは何故、夏になっても原爆の事を取り上げないのだろう?」という事を雑談の中で言ってみたら、何と其処のママからも、「ウチの旦那も同じ事を言っていたわ」という返事が返ってきたのです。

 そういう事を感じている人は、私の他にも意外と居るのではないでしょうか。北京オリンピックや高校野球や赤塚不二夫氏逝去や中国産ギョーザ中毒のニュースも、確かに大事なニュースですが、こと8月6日の朝刊に関しては、「記事に取り上げる順序が逆なのではないか?」と。少なくとも、前者の雑多なニュース群の方が、原爆忌や原水禁大会や核廃絶や被爆者援護のニュースよりも重要で、それを後景に退けてでもイノ一番に報道しなければならない程のニュースだとは、私には到底思えないのですが。

 原爆忌や原水禁大会や核廃絶や被爆者援護の問題は、果たしてどうでも良いニュースなのでしょうか。そうではない事は、これまでもこの問題を系統的に取り上げてきた地元紙・中国新聞の当日の記事群を見れば、自ずと明らかです。
 「平和」と言えば一時、「奴隷の平和」だとか「負け組が虐げられ続ける平和よりも下克上のチャンスが与えられる戦争を望む」とか言う様に、とかく底の浅い変なマイナスイメージで以って語られる事もありましたが、本当の「平和」とは、決してそんな柔なモノではありません。それは人権や民主主義と切り離せないものです。

 イラク・アフガニスタン・パレスチナでは今も戦争が続いています。一見すれば平和に見える日本や中国でも、秋葉原通り魔連続殺人事件や、ネットカフェ難民の悲劇、後期高齢者への医療差別や、農民工・少数民族による暴動が起こっています。同じく一見平和で民主主義大国と呼ばれる米国においても、貧困が国内に蔓延し、社会的弱者がどこにも就職出来ずに軍隊に「就職」するしかない「貧困徴兵制」とも言うべき惨状が広がっています。これらはすべからく基本的人権、なかんずく社会的生存権の侵害であって、「広義の戦争状態」とも言えるものです。
 
 「ヒロシマ・ナガサキの心」は、それらの現状の対極にあるものです。「平和」とは、単に「戦争でない平穏状態」を指すのではなく、全ての人に人権や民主主義や社会的公正が保障された状態を言います。だから日本の原水禁運動も、当初の頃に内部で見られた「自分たちだけが救済されれば良い」という傾向はとっくの昔に払拭されて、在日外国人被爆者の救済や、第三世界の貧困問題や、ネバダ・マーシャル諸島・ロシアの核被爆者との連帯を毎年表明するに至っているのです。そして原水禁大会も、今や反核団体NGOだけではなく、各国政府や国連機関の代表も続々と参加するに至っているのです。

 そして、そこでは日本政府までもが、総理自らが手代として参加し、改憲・核武装の本音はおくびにも出さずに、「非核三原則を堅持」とか「平和協力国家として国際社会において責任ある役割(実はイラク・アフガン戦争への協力)を果たす」とかいう恥知らずな表明を平気で行い、世界に恥を晒し続けているのです。こういう重大なニュースを、普段はこれ見よがしに「売らんかな」のセンセーショナリズムや商業主義に走る「民主国家」日本のマスコミは、何故取り上げずに、取り上げてもせいぜい片隅の三面記事だけに留めるのでしょうか?
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麻生なんかで逃げ果せると思ったら大間違い

2008年08月04日 22時55分58秒 | 福田第2次投げ出し政権
 福田マルコスが、やっとこさ内閣改造に踏み切ったそうで。発表前から、やれ「総理の決断」がどうだの、誰それがこう言ったのと、マスコミを総動員して、何とかご祝儀人気を醸し出そうとする、政府の涙ぐましい努力が目に付いたこの数日でしたが、蓋を開ければ何の事は無い、官房(町村)・総務(増田)・外務(高村)などの主要閣僚は全て留任で、与謝野(経財)・伊吹(財務)・谷垣(国交)と名うての消費税増税論者を、野田(消費者行政)・中山(少子化・拉致問題)起用については、「田舎芝居の客寄せパンダ」を適当に配置して煙に巻く為という、まあ、これまでと同じ、変わり映えのしない悪政推進内閣が誕生しただけでした。

 マスコミによっては、内閣改造と同時に行われた自民党執行部人事の方に、より注目したものもありました。それが、言わずと知れた麻生太郎の幹事長起用です。「親中派」の福田が何故「タカ派」の麻生を起用したのか。それは、「このままの調子では、遅かれ早かれ自民党が野党に転落するのは確実だ」「それを少しでも遅らせる為に、国民の一部の間に根強い人気がある麻生を、弾除けに起用したのだ」、という事だそうですが。
 しかし私に言わせると、麻生(ネオコン)も福田(ネオリベ=新自由主義)も、所詮は「同じ穴の狢」で、共に「改憲・海外派兵」と「格差・貧困拡大」の二大悪政を推進する「車の両輪」でしかない、つまり国民にとっては、どちらも敵でしかない。それは、福田系列の小泉による靖国参拝や、麻生系列の安倍による競争教育肯定論からも明らかなのですが。まあ、それはここでは置いといて。

 ただ、そのマスコミの中には、自民党をそこまで追い込んだのは、共産党の選挙戦術の変更も絡んでいる、という捉え方をしているものもあります。例えば、8月2日放送の毎日・TBS系列ニュース番組「報道特集NEXT」での取り上げ方などがそうです。この特集番組(台湾の北京五輪参加の方ではなく、もう片方の)は、私も当日夕方からの掛け持ちバイトの合間に偶々見ていたのですが、福田内閣改造・麻生幹事長起用と共産党という、一見すると何の関係もなさそうな両者の関係を取り上げていたのが、私の目に留まりました。当初はハナから無視するつもりだった内閣改造の話題を、今回取り上げる気になったのも、偏にその為です。

 ご存知の通り、共産党は昨年9月の5中総(第5回中央委員会総会)で、それまでの小選挙区全区擁立方針を見直して、得票率8%以下の小選挙区での候補擁立は見送る事にしました。その理由は、供託金の負担を減じるという、あくまで財政上からのものだそうですが、民主党サイドではこれを政権交代への奇貨と受け止め、自民党サイドでは逆に脅威と受け止めている様です。
 民・共両党間で実際にどんなやり取りがあったかは、私には分かりません。最近の共産党の民主党批判ぶりからすると、それが果たしてどこまで本当なのかな、という気もします。しかし客観的に見ると、そういう事も確かにあるのは事実です。

 例えば、今年4月の衆院山口2区補選で民主党の平岡氏が自民党の福田氏に大差で勝ったのは、候補者を擁立せず自主投票となった共産党票の大半が、護憲リベラル・民主左派の平岡候補に流れた為と言われています。斯く言う私も、昨年あたりから、(小)選挙区に限っては、それまで投票してきた共産党候補にではなく、民主党候補に投票する様になりましたから(その他の衆参比例区などは従来どおり共産党に投票)。
 長年それなりに慣れ親しんできた支持政党の候補にではなく、それ以外の党の候補に最初に投票しようと決めた時は、流石に投票所で少し考えました。しかし、客観的に考えれば、それが自民党を確実に政権から叩き落す為の、一番手っ取り早い方法だという結論に、最終的に行き当たりました。

 勿論、民主党が、その本質においては自民党と「同じ穴の狢」である事も、元より百も承知の上です。自民党と民主党の立場が本質的に同じであるのは、互いの安保政策・改憲・消費税増税方針が、ほぼ瓜二つである事や、財界・大資本がこぞって両党を資金援助している事からも、自ずと明らかです。今の民主党が俄かに野党色を強めているのは、あくまで現党首の小沢が総理就任の野望に燃えているからにしか過ぎません。
 しかしその一方で、今の民主党が90年代の細川非自民連立政権の時とは同列には論じられない事も、また事実です。それは、細川政権誕生時の最後の切り札が「自民党と同じなので安心して政権をお任せを」だったのに引き換え、今の小沢民主党が当時よりも遥かに「国民生活を守る、その為に自民党政治を変える」という方向にシフトしつつある(或いは、不本意ながらもそうせざるを得なくなっている)事からも、明らかです。その結果は、先の参院選での改憲派議席の退潮という形で実際に現れました。

 それは取りも直さず、中産階級の解体・格差拡大によって、国民生活の困窮度が当時とは比べ物にならないほど深刻化しているからに、他なりません。民主党の本質が依然として「第二自民・第二保守」である事は変わらないものの、国民が民主党に求めるものが確実に変わってきているのです。国民は何も民主党の個々の政策を支持しているのではありません。小選挙区制下で「反自民」の意思表示をするには、民主党に投票するのが一番手っ取り早いから、「仕方なく」同党を支持しているのに過ぎないのです。民主党が野党第一党として政権獲得を意識する限り、その国民の声を無視する事は出来ません。
 但し、これは、民主党(或いは反自民)でさえあれば、誰かれ構わず「仕方なく」支持するという事ではありません。若し民主党の小選挙区候補が、前原誠司・長島昭久・(後に離党したが)西村真悟といった改憲右派の場合は、私は迷う事無く共産党の小選挙区候補に投票します。

 そして勿論、こんな「第二保守」の日和見・寄せ集め政党に全幅の信頼を置く訳には行きません。だから私も、比例区・参院・その他の選挙では、依然として共産党を支持し、選挙のビラ撒きも手伝ったりしているのです。
 それは自民党とて同様で、出来るだけ政権を渡さない様に、また仮に政権を明け渡す事があったとしても、「改憲・海外派兵」と「格差・貧困拡大」の二大悪政推進の立場は絶対に揺るぎない様に、更に民主党に揺さぶりをかけて来るでしょう。先の大連立騒動がその好い例ですが、それ以外にも、例えば民主右派の前原グループを自民党に取り込もうと画策してくるのは確実です。

 しかし私に言わすと、それならそれで一向に構わないのですが。政界再編で、「改憲・海外派兵」のネオコン・靖国右翼と、「格差・貧困拡大」のネオリベ・新自由主義とが合体して、吐き溜めの様な「悪の枢軸」与党が出来れば、国民にとって誰が敵がはっきりして、こちらも闘いやすくなる。かつての小泉がそうであったように、今は似非改革者ポーズで一部の国民から人気を掠め取っている橋下や東国原といった人士も、自分たちが一体どちら側につくのか、早晩態度表明を迫られる事になります。但し、この敵は下手すると、今までの戦後民主主義の擬態をかなぐり捨てて、一気に共謀罪法案上程の暴挙に出てくるかもしれないので、気は抜けませんが。

 ちなみに、福田改造内閣・自民党新執行部人事の一覧も、ついでに下記に控えておきます。どうせスキャンダル噴出で、また面子がコロコロ入れ替わるでしょうが。元がガタガタの欠陥住宅(福田内閣・自民党政権)を、欠陥(二大悪政)を放置したままで、いくらリフォーム(内閣改造)で取り繕ってもムダです。欠陥住宅は解体するしかありません。それを自民党は、たかが麻生の自民党幹事長起用なんかで逃げ果(おお)せると、本気で思っているのでしょうか。若しそうであるならば、それは大間違いという他ありません。

<福田改造内閣・閣僚名簿>
・総理 福田康夫(無派閥)
・総務 増田寛也(非議員、留任)地方分権改革、地方再生、道州制担当
・法務 保岡興治(山崎派)
・外務 高村正彦(高村派、留任)
・財務 伊吹文明(伊吹派)
・文部科学 鈴木恒夫(麻生派、初入閣)
・厚生労働 舛添要一(無派閥、留任)
・農林水産 太田誠一(古賀派、初入閣)
・経済産業 二階俊博(二階派)
・国土交通 谷垣禎一(古賀派)観光立国、海洋政策担当
・環境 斉藤鉄夫(公明党、初入閣)
・防衛 林 芳正(古賀派、初入閣)
・官房 町村信孝(町村派、留任)
・国家公安 林 幹雄(山崎派、初入閣)沖縄・北方対策、防災担当
・金融行革 茂木敏充(津島派)公務員制度改革担当 
・経済財政 与謝野 馨(無派閥)規制改革担当
・消費者行政 野田聖子(無派閥)科学技術政策、食品安全、宇宙開発担当
・少子化・拉致問題 中山恭子(町村派、初入閣)男女共同参画、公文書管理担当

<自民党新執行部役員名簿>
・幹事長 麻生太郎(麻生派)
・政調会長 保利耕輔(無派閥)
・総務会長 笹川 尭(津島派)
・選対委員長 古賀 誠(古賀派、留任)
 http://www.nikkei.co.jp/topic/sokaku/
 http://www.nikkei.co.jp/topic/sanyaku/

 ところで、前から思っていた事なのだが、「経済産業」「金融行革」「経済財政」は、それぞれどう違うのか?「総務」「官房」「国家公安」も、区別がイマイチよく分からない。国民生活に直結する「厚生」「労働」をわざわざ合体させる位なら、そちらの方こそリストラされて然るべきだろうに。
 それに、何で大臣の下に副大臣なんてわざわざ置くのか。それこそ税金の無駄遣いではないのか。
 また、「少子化・拉致問題」が、何故「厚生」「労働」よりも格上の、単独の特命相なのか。これらも確かに重要な問題には違いないが、バランス的に少しオカシクないか?これでは、余りにも治安部門偏重の、人気取り人事と思われても、仕方ないのでは?
コメント
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