※当該ブログ記事の内容を労組分会機関紙(職場新聞)でも取り上げました。但し、新聞の性格や紙数の限界もあるので、「魯迅」「橋下徹」云々の話は省略して、事件の報告と自分の主張を直接述べる形にしました。また、それをブログに転載するに当たり、人名・業者名などの実名を、それぞれ<団塊オヤジ><私>などの言葉に置き換えました。「奴隷根性」の克服なくして職場の民主化なし、身近な職場の民主化なくして労働者の解放も社会の変革・民主化も在り得ない。
(以下転載)
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地域労組・城北友愛会 ××(勤務先下請け会社名)分会機関紙「ワーキングプア解放新聞」№5
第1面(表面):1月21日の<団塊オヤジ:以下「団塊」>とのトラブル内容(会社提出文書)
● 発生日時:2011年1月21日(金)午前10時半~11時頃
● 発生場所:元請スーパー××センター 3便野菜ドーリー仕分け場
● 当時の作業者:<団塊>、<私>、<他1名>
● 当時の大まかな経過:
(ここで原文をそのまま引用してしまうと、業者名・商品名が一杯出てきて話が煩雑になってしまうので、この項のみ、一般読者向けに書いた当該ブログ記事からの引用に代えておきます)
一つの商品の仕分け中に、別の大量の商品(カット野菜、計500数十ケース)が入ってきました。その時は、私と「団塊オヤジ」と後もう一人の、計3名のバイトで仕分けをしていたのですが、そこから私が、その商品の検品に抜けました。
その検品商品は、とても仮置き場だけでは収まらないほど大量でした。だから、「現在仕分け中の商品が終われば、直ぐにその大量の商品の仕分けにも取り掛かれるように」との算段もあって、検品が終わった商品の一部を仕分け作業場にも流し始めました。
その時に、いきなり「団塊オヤジ」が、「そんな事は納品業者にさせろや!」と偉そうに言ってきたのです。私も売り言葉に買い言葉で、「このままやったら置き場所がなくなるから、一部をそっちにも流していってるんやんけ!」と返しました。そしたらいきなり、自分の偉そうな物言いを棚に上げて、「お前、誰に物を言っているんや!」と来ました。以下は、その後のやり取りの流れです。
団塊:「仕分けする人間がおらへんのやから、検品なんか業者が全部降ろし終わるまで放っておけよ、それより仕分けに回らんかい!」
私:「検品中に仕分けなぞ出来る訳がないだろう!」「バイトが少ないのも、俺らだけの責任と違うだろう!」
団塊:「お前、頭おかしいんと違うか!ワシに喧嘩売っているんか!」
● この件の問題点:
(1)この時に検品と仕分けのどちらを優先するかは、あくまでも人による解釈の違いでしかない。確かに<団塊>の言う事も一理あるが、<私>のほうも、検品を先に進めておいたほうが、<A社>の仕分けが終われば、次は直ぐに量の多い<B社>「カット野菜」の仕分けに取り掛かかれるから、という計算もあって検品を始めたのだ。それを<団塊>は、自分の意見だけを絶対視し、<私>にそれを押し付け、言い返されたので切れたのだ。<団塊>の自己中心的な態度が如実に現れている。
(2)その言い分も矛盾だらけ。最初の言い分(そんな事は業者にさせろ)と後の言い分(検品より仕分けを優先しろ)が全然違う。これでは、その時々の気分次第で、周囲に八つ当たりしているだけではないか。
(3)しかも、自分は偉そうに人に物を言っておいて、その自分の事を棚にあげて、人の物言いにケチをつけている。「自分には甘く人には偉そうに言う」ダブル・スタンダード(二重基準)の典型的な事例だ。
(4)「上には何も言えないくせに下には偉そうに言う」ダブル・スタンダードもある。いくら上に言いにくい事だとしても、「人が少ないのは俺らだけの責任か?」への応答に、いきなり「お前頭おかしい」云々はないだろう。己の保身まず先に在りきで労働者の人権を軽んじているから、こんな言動が口をついて出てくるのだ。
(5)<団塊>の横暴な態度は、別に今始まったものではないだろう。当人は<前部署>勤務時にも、その言動に反発する形での、バイトの大量退職を引き起こしているではないか。何故それを、会社も周囲の人間も、今まで放置してきたのか。(※注:裏面に続く)
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第2面(裏面):1月21日の<団塊>とのトラブル内容(解説)
●これ以上人をモノ扱いするな、もっとフツーの働き方をさせろ
以上が、<団塊>とのトラブルの経緯である。既に同じタイトルで、前述の報告書を会社(所長)にも提出している。<団塊>にも、所長を通して、私の言い分を伝えて貰っている。
もうこれ以上、<団塊>に偉そうにされて堪るか。ちょっと物量が増えたからと言って、そのたびに、何故、あそこまでガーガー急き立てられるような物言いをされなければならないのか。ちょっとした事でいちいち、何故、あそこまで怒鳴りつけられるような物言いをされなければならないのか。我々はモノではない、人間だ。もっと人並みに扱え、フツーの働き方をさせろ。
●<団塊>の言い訳に反論しておく
それに対して<団塊>は、「俺は、休憩もみんなを先に行かせ自分は一番後回しにして、忙しい時は早めに切り上げて作業場に戻って来ているのに、何故こんな事まで書かれなければならないのか」と、嘆いていたらしい。とりあえずそれに反論しておく。
若し、それが本心だったとしても、それは「善意の押し売り」でしかない。何も会社が「休憩を後回しにしろ」「早めに切り上げろ」と指示した訳ではない。あくまでも当人が勝手にやっている事にしか過ぎない。そういう事を続けていると、やがてそれを他にも強要するようになる。現に、確か去年秋の総力祭の時だったか、当人は他のバイトに「4便出し店舗リストのコピーを取ったか?」と聞いていたではないか。何故バイトが、社員の指示もないのに、そこまでしなければならないのか。それは本来社員がすべき事だろう。そうでなければ、今後はバイトが何でも勝手にコピーしても良い事になってしまうが、それで良いのか?
しかも、それは本心でも何でもない。若し、そこまでみんなの事を考えているなら、こんな「上には何も言えずに下にばかり偉そうに当り散らす」真似なぞ出来ない筈だ。PC積み替え作業問題についても、職場での役割を考えれば、当人こそが真っ先に改善要望すべき事ではないか。下に偉そうに言う以上は、上にも同じ様に言わなければ、筋が通らない。それをしないという事は、前記の言い訳も、所詮は自己満足であり、己の保身を隠蔽する為の煙幕にしか過ぎない。
●「椅子取りゲーム」による「労働ダンピング」の先には地獄しかない
以上からも明らかなように、当人の中にあるのは、「いかにして自分だけがリストラに生き残るか」という目先の打算だけだ。「椅子取りゲームの中で何とか生き残ろう」とあがいているにしか過ぎない。そのくせ、会社人間の悲しさ故か、「奴隷根性」に囚われる余り、「人数分の椅子を確保させる」「それは利益のホンの数%の経費で出来る」事には思いも及ばないのだ。
その行き着く先は、際限のない「労働ダンピング」(労働力の安売り競争)、「底辺に向かっての負の競争」でしかない。それは差し詰め、蛸が自分の足を食って生き延びようとした末に、最後には食う足もなくなり自滅していくのと同じだ。
●俺らは奴隷ではない
そんな「労働ダンピング」に甘んじるのは<団塊>の勝手である。それが無駄な努力でしかない事は、当人にも今まで何度もそれとなく知らせてきた。それでも聞かないのだから仕方がない。現にこの前も、「(今のような状態でも)<前部署>よりはマシ」と済(ママ)ました顔で言っていた。
少なくとも俺はゴメンだね、そんな「下見て暮らせ傘の下」に甘んじるような、「奴隷・社畜」のような生き方は。もっと人並みに、フツーに生きたい。それは贅沢でもなければ、我が儘でもない筈だ。
昨今、企業が利益至上主義に走り、無理な人減らしが横行する中で、こんな「フツーでない人物」や「フツーでない働き方」が、其処かしこに跋扈(ばっこ)するようになったが、これは本来オカシイ事、在ってはならない事ではないか。
(以下転載)
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地域労組・城北友愛会 ××(勤務先下請け会社名)分会機関紙「ワーキングプア解放新聞」№5
第1面(表面):1月21日の<団塊オヤジ:以下「団塊」>とのトラブル内容(会社提出文書)
● 発生日時:2011年1月21日(金)午前10時半~11時頃
● 発生場所:元請スーパー××センター 3便野菜ドーリー仕分け場
● 当時の作業者:<団塊>、<私>、<他1名>
● 当時の大まかな経過:
(ここで原文をそのまま引用してしまうと、業者名・商品名が一杯出てきて話が煩雑になってしまうので、この項のみ、一般読者向けに書いた当該ブログ記事からの引用に代えておきます)
一つの商品の仕分け中に、別の大量の商品(カット野菜、計500数十ケース)が入ってきました。その時は、私と「団塊オヤジ」と後もう一人の、計3名のバイトで仕分けをしていたのですが、そこから私が、その商品の検品に抜けました。
その検品商品は、とても仮置き場だけでは収まらないほど大量でした。だから、「現在仕分け中の商品が終われば、直ぐにその大量の商品の仕分けにも取り掛かれるように」との算段もあって、検品が終わった商品の一部を仕分け作業場にも流し始めました。
その時に、いきなり「団塊オヤジ」が、「そんな事は納品業者にさせろや!」と偉そうに言ってきたのです。私も売り言葉に買い言葉で、「このままやったら置き場所がなくなるから、一部をそっちにも流していってるんやんけ!」と返しました。そしたらいきなり、自分の偉そうな物言いを棚に上げて、「お前、誰に物を言っているんや!」と来ました。以下は、その後のやり取りの流れです。
団塊:「仕分けする人間がおらへんのやから、検品なんか業者が全部降ろし終わるまで放っておけよ、それより仕分けに回らんかい!」
私:「検品中に仕分けなぞ出来る訳がないだろう!」「バイトが少ないのも、俺らだけの責任と違うだろう!」
団塊:「お前、頭おかしいんと違うか!ワシに喧嘩売っているんか!」
● この件の問題点:
(1)この時に検品と仕分けのどちらを優先するかは、あくまでも人による解釈の違いでしかない。確かに<団塊>の言う事も一理あるが、<私>のほうも、検品を先に進めておいたほうが、<A社>の仕分けが終われば、次は直ぐに量の多い<B社>「カット野菜」の仕分けに取り掛かかれるから、という計算もあって検品を始めたのだ。それを<団塊>は、自分の意見だけを絶対視し、<私>にそれを押し付け、言い返されたので切れたのだ。<団塊>の自己中心的な態度が如実に現れている。
(2)その言い分も矛盾だらけ。最初の言い分(そんな事は業者にさせろ)と後の言い分(検品より仕分けを優先しろ)が全然違う。これでは、その時々の気分次第で、周囲に八つ当たりしているだけではないか。
(3)しかも、自分は偉そうに人に物を言っておいて、その自分の事を棚にあげて、人の物言いにケチをつけている。「自分には甘く人には偉そうに言う」ダブル・スタンダード(二重基準)の典型的な事例だ。
(4)「上には何も言えないくせに下には偉そうに言う」ダブル・スタンダードもある。いくら上に言いにくい事だとしても、「人が少ないのは俺らだけの責任か?」への応答に、いきなり「お前頭おかしい」云々はないだろう。己の保身まず先に在りきで労働者の人権を軽んじているから、こんな言動が口をついて出てくるのだ。
(5)<団塊>の横暴な態度は、別に今始まったものではないだろう。当人は<前部署>勤務時にも、その言動に反発する形での、バイトの大量退職を引き起こしているではないか。何故それを、会社も周囲の人間も、今まで放置してきたのか。(※注:裏面に続く)
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第2面(裏面):1月21日の<団塊>とのトラブル内容(解説)
●これ以上人をモノ扱いするな、もっとフツーの働き方をさせろ
以上が、<団塊>とのトラブルの経緯である。既に同じタイトルで、前述の報告書を会社(所長)にも提出している。<団塊>にも、所長を通して、私の言い分を伝えて貰っている。
もうこれ以上、<団塊>に偉そうにされて堪るか。ちょっと物量が増えたからと言って、そのたびに、何故、あそこまでガーガー急き立てられるような物言いをされなければならないのか。ちょっとした事でいちいち、何故、あそこまで怒鳴りつけられるような物言いをされなければならないのか。我々はモノではない、人間だ。もっと人並みに扱え、フツーの働き方をさせろ。
●<団塊>の言い訳に反論しておく
それに対して<団塊>は、「俺は、休憩もみんなを先に行かせ自分は一番後回しにして、忙しい時は早めに切り上げて作業場に戻って来ているのに、何故こんな事まで書かれなければならないのか」と、嘆いていたらしい。とりあえずそれに反論しておく。
若し、それが本心だったとしても、それは「善意の押し売り」でしかない。何も会社が「休憩を後回しにしろ」「早めに切り上げろ」と指示した訳ではない。あくまでも当人が勝手にやっている事にしか過ぎない。そういう事を続けていると、やがてそれを他にも強要するようになる。現に、確か去年秋の総力祭の時だったか、当人は他のバイトに「4便出し店舗リストのコピーを取ったか?」と聞いていたではないか。何故バイトが、社員の指示もないのに、そこまでしなければならないのか。それは本来社員がすべき事だろう。そうでなければ、今後はバイトが何でも勝手にコピーしても良い事になってしまうが、それで良いのか?
しかも、それは本心でも何でもない。若し、そこまでみんなの事を考えているなら、こんな「上には何も言えずに下にばかり偉そうに当り散らす」真似なぞ出来ない筈だ。PC積み替え作業問題についても、職場での役割を考えれば、当人こそが真っ先に改善要望すべき事ではないか。下に偉そうに言う以上は、上にも同じ様に言わなければ、筋が通らない。それをしないという事は、前記の言い訳も、所詮は自己満足であり、己の保身を隠蔽する為の煙幕にしか過ぎない。
●「椅子取りゲーム」による「労働ダンピング」の先には地獄しかない
以上からも明らかなように、当人の中にあるのは、「いかにして自分だけがリストラに生き残るか」という目先の打算だけだ。「椅子取りゲームの中で何とか生き残ろう」とあがいているにしか過ぎない。そのくせ、会社人間の悲しさ故か、「奴隷根性」に囚われる余り、「人数分の椅子を確保させる」「それは利益のホンの数%の経費で出来る」事には思いも及ばないのだ。
その行き着く先は、際限のない「労働ダンピング」(労働力の安売り競争)、「底辺に向かっての負の競争」でしかない。それは差し詰め、蛸が自分の足を食って生き延びようとした末に、最後には食う足もなくなり自滅していくのと同じだ。
●俺らは奴隷ではない
そんな「労働ダンピング」に甘んじるのは<団塊>の勝手である。それが無駄な努力でしかない事は、当人にも今まで何度もそれとなく知らせてきた。それでも聞かないのだから仕方がない。現にこの前も、「(今のような状態でも)<前部署>よりはマシ」と済(ママ)ました顔で言っていた。
少なくとも俺はゴメンだね、そんな「下見て暮らせ傘の下」に甘んじるような、「奴隷・社畜」のような生き方は。もっと人並みに、フツーに生きたい。それは贅沢でもなければ、我が儘でもない筈だ。
昨今、企業が利益至上主義に走り、無理な人減らしが横行する中で、こんな「フツーでない人物」や「フツーでない働き方」が、其処かしこに跋扈(ばっこ)するようになったが、これは本来オカシイ事、在ってはならない事ではないか。
書こうかどうか迷ったが、やっぱり書く事にします。
実は数日前に、職場の「団塊オヤジ」と、とうとう衝突してしまいました。
きっかけは些細な事です。野菜の仕分け中に、少ない人数で商品の仕分けをしている中で、また次から次へと商品が入荷してくる中で、検品を先にやるか仕分けを先にやるかで揉めたと。現象面だけで見れば、それだけの内容です。(詳しくは次の参考資料を参照の事)
ただ、それをもっと詳細に見ていくと、また別の面が浮かび上がってきます。
一つの商品の仕分け中に、別の大量の商品(カット野菜、計500数十ケース)が入ってきました。その時は、私と「団塊オヤジ」と後もう一人の、計3名のバイトで仕分けをしていたのですが、そこから私が、その商品の検品に抜けました。
その検品商品は、とても仮置き場だけでは収まらないほど大量でした。だから、「現在仕分け中の商品が終われば、直ぐにその大量の商品の仕分けにも取り掛かれるように」との算段もあって、検品が終わった商品の一部を仕分け作業場にも流し始めました。
その時に、いきなり「団塊オヤジ」が、「そんな事は納品業者にさせろや!」と偉そうに言ってきたのです。私も売り言葉に買い言葉で、「このままやったら置き場所がなくなるから、一部をそっちにも流していってるんやんけ!」と返しました。そしたらいきなり、自分の偉そうな物言いを棚に上げて、「お前、誰に物を言っているんや!」と来ました。以下は、その後のやり取りの流れです。
●団塊:「仕分けする人間がおらへんのやから、検品なんか業者が全部降ろし終わるまで放っておけよ、それより仕分けに回らんかい!」
●私:「検品中に仕分けなぞ出来る訳がないだろう!」「バイトが少ないのも、俺らだけの責任と違うだろう!」
●団塊:「お前、頭おかしいんと違うか!ワシに喧嘩売っているんか!」
まあ、こんな調子ですわ。その時は、直ぐに周囲のバイトや社員の人が仲裁に入ってくれて、事なきを得ましたが。
そのくせ、今やっている商品の仕分けが済んでも、他の商品の検品が終わっていない為に、検品が終わるまで待たなくてはならない破目になってしまって(つまり検品と仕分けのどちらを優先しようと結局は同じ事w)、団塊オヤジにもその責任が大いにあるのに、その事はおくびにも出さずに「検品やれよ」の一言だけで。
しかし、この発言の中にこそ、この「団塊オヤジ」の自己中心的な性格が如実に現れていると、私は思っています。その何処が自己中心的なのか。
第一に、自分の考え(検品より仕分け優先)だけを絶対視し、他の意見(仕分けと検品を併行して進めトータルとして時間短縮を図る)を一切聞かないという唯我独尊。
第二に、自分の偉そうな物言いは棚に上げて、他人の非ばかりを論うダブル・スタンダード(二重基準)。
第三に、自分たちの都合(作業人員の少なさ)だけが先にまずありきで、その為に商品を降ろし終わってからも検品で待たされる業者の迷惑を一切無視しているという我が儘。人が少ない云々なんて、業者からすれば、こちら側の勝手な事情でしかないにも関わらず(実際、業者もその「団塊オヤジ」の言動に対しては、ものすごく怒っていた)。
第四に、最初の言い分(そんな事は納品業者にさせろ)と後の言い分(検品より仕分けを優先しろ)が全く食い違い、道理の通らない点。これでは、ただの「難癖」でしかない。
第五に、「人が少ないのは俺らの責任だけではない」という私の反論に対して、「頭おかしいんと違うか」「俺に喧嘩売っているのか」=「うるさい黙れ」と、資本家と同じ立場に立って、問答無用と言わんばかりに封殺しにかかってきた点。これが何よりも決定的。
そして第六に、結局は仕分けと検品のどちらが後先になるかというだけで、どちらも最後は同じだったにも関わらず、それをごり押しした事の非も認めないという、謙虚の無さ。
私、あんまり腹が立ったので、その時の経過を簡単に文章にして翌日に所長に提出し、「団塊オヤジ」の配置換えを要求しました。明日からは、「団塊オヤジ」は別の仕分け場で作業に就く事になります。別とは言っても直ぐ隣なので、ホンの気休めにしかならないと思いますが。(追記:結局この措置も保留扱いで、偉そうな物言いに対する注意のみとなった)
この私の反応を見て、読者の方の中には、「過剰反応ではないか」と訝しがる向きもあるかも知れません。しかし、今までいちいち書きませんでしたが、これは何も今に始まった話ではないのです。
「団塊オヤジ」のこの物言いは、今までも有名だったのです。有名どころか、前の部署では、この偉そうな物言いに反発して、大量のバイトが退職し、急遽求人・紹介募集のチラシを撒く騒動にまで発展しているのです。
それでも仕事は一生懸命やってくれるし、何かと世話も焼いてくれたりもしたので、今までは、たとえ偉そうに言われても、そんなに苦には感じなかったのです。また会社のほうでも、「派遣並みの賃金で主任並みの仕事をこなしてくれる」という事で、大目に見ていた部分があったのです。これは今から考えたら、とんでもない甘やかしでしたが。
ところが、この間、牛乳仕分けやPC積み替え作業などの形で、元請スーパーからの労働強化が強まる中で、この「団塊オヤジ」は、他のバイトが日々怒りを募らせるのに反比例するかのように、逆にますます元請・下請け企業の意に沿う形で動くようになり、私たちに対する態度も、嵩にかかった物言いや、気分次第で怒ったり、人によって対応が変わったりと、そういう面が目立つようになってきました。
それは上記のやり取りからも充分伺えます。それが第三理由に挙げた「自分の都合まず先にありき」や、第五理由の「上には何も言えずに下に当り散らすばかり」です。「自分さえ助かれば他はどうでも良い」という、弱肉強食の、新自由主義・強欲資本主義の価値観にどっぷり染まって、自分の保身しか考えていないのです。
もう歳が歳だから、「長い物に巻かれろ」といった封建的価値観から一歩も抜け出れないのでしょう。それを少しでも変えるべく、「オヤジ」にも新聞を配ってきたのですが、結局は変わらなかった。
今さらそれをとやかくは言わない。でも、俺らまでがその飛ばっちりを受けなければならない謂れはない。そんな「保守・反動」の「会社のイヌ」に、何であんなに偉そうに言われなければならないのか。
それで以上のような結末に至った訳です。これで良かったのかどうか、今の私には何とも言えません。正社員の中にも「よくやった」と声を掛けてくれる人がいるので、まあ良かったのでしょう。ちなみに、その正社員の人も、「団塊オヤジ」とは何度も衝突していたようです。みんながみんな見て見ぬ振りをしていた訳でもなかったようです。
という事で、この件はこれで終了です。とりあえず近況報告という事で。本当はこんな職場の恥みたいな事は私も書きたくなかったのですが、これを書かない事には、何故ブログ更新が滞っていたのか、説明がつかないと思いましたので。更新が滞っていたのは、他にも理由があるのですが、その中でも、この理由が割りと大きなウエートを占めているのは確かなので。
職場新聞(すなわちブログのこのシリーズ)も、年明け以降は編集方針を見直して、今までのような職場の実態告発から、国内外の社会情勢の推移や労働者・人民の闘いの紹介に、その重点を移していっています。それを通してしか、職場の民主化も「奴隷根性」克服もないと思いますので。
これはまた、日本社会の民主化にも繋がる課題だと、密かに自負しています。何故なら、橋下徹や河村たかし、東国原英夫、阿久根のパワハラ元市長や、石原慎太郎や森田健作というような質の悪い政治家が、何故これほどまでに跋扈するようになったのかを考えた場合、そこにも「奴隷根性」の悪影響があるのは否めないからです。
彼らの本質はデマゴギーです。彼らは、時として自民党にも逆らったりしていますが、それは決して、自民党の悪政を本心から変えようとしているのではありません。旧来の自民党に取って代わって、自分が新しい「自民党政治の支配者」、新たな特権階級になろうとしているのに過ぎないからです。つまり、古い奴隷主から利権を奪い取って、自分たち新しい奴隷主の物にしようとしているだけで、奴隷制度そのものを無くそうとは決してしない、という事です。
彼らが、道州制導入の露払い役を買って出て、盛んに「大阪都」や「中京都」の宣伝をしているのも、決して本当の意味での地方分権・地方自治を目指しているからではありません。単に、自分たちの思いどうりになる自治体(橋下王朝や河村王朝)を作りたいだけなのです。自治体行政の私物化以外の何物でもない。
それが証拠に、彼ら橋下や河村などが、普天間問題や消費税増税、派遣法改正問題、後期高齢者医療制度廃止などの問題で、今までの自民党政治やそれと何ら変わらない民主党政治に、異を唱えた事なぞ一つもないではないですか。根本的な所でこれまでの悪政には何ら手をつけずに、自分の気に入らない相手(官公労・教組や言いなりにならない教委など)をひたすら叩く事で、自分たちが恰も改革者・革命家であるかのように、装っているだけではないですか。
それは自民・保守系の橋下や河村だけでなく、民主党の菅や小沢も同じです。ただ後者は、反自民で票を掠め取ってきた経緯もあり、前者よりは庶民の味方を装う事に長けている。それだけの違いでしかない。
そんな政治家が、何故選挙のたびに大量得票してしまうのか。そこには、正論で闘う「バカ正直」な政治家よりも、胡散臭くても力のありそうな政治家に縋ろうとする意識が、国民の間に根付いてしまっているからです。その正体は、保身に走る「団塊オヤジ」と同じ「奴隷根性」です。
革命前の中国に、魯迅(ろじん)という作家がいました(1881~1936年)。彼は、「阿Q正伝」「狂人日記」などの作品の中で、当時の中国人の「奴隷根性」を痛烈に批判し、これが克服されない限り、中国革命も中国の民主化も成し遂げられないと訴えました。この魯迅の警句が、今の日本にも、そのまま当てはまるのではないでしょうか。
阿Q正伝 (角川文庫)魯迅角川書店このアイテムの詳細を見る |
Tunisia: protests continue(アルジャジーラ動画:蜂起が成功したチュニジアの最新映像)
今回は予定を変更して、まずこのニュースから。北アフリカのチュニジアで、23年間も事実上の独裁者として君臨してきたベンアリ大統領が、民衆デモによって、この14日に遂に退陣に追い込まれました。このデモは、失業し野菜の露天商として細々と生計を立てていた若者が、警察の横暴な取り締まりに対して、抗議の焼身自殺を決行した事から始まりました。この事が、20%にも上る若者の失業率や、物価高騰に苦しめられてきた民衆の怒りに火をつけました。デモや暴動が首都をはじめ全国各地に飛び火し、非常事態宣言や夜間外出禁止令などを以ってしても抑えつける事が出来なくなり、とうとう政権崩壊にまで至りました。
この国は、アラブ諸国の中でも近代化が進み、最近は観光業にも力を入れていました。カルタゴの古代遺跡や、チュニジアンブルーと呼ばれる青色の窓の装飾、古都カイラワーンや、シディ・ブ・サイドやジェルバ島などの地中海岸の保養地、サハラ砂漠のラクダツアーや先住民族ベルベル人の穴居住宅などで、とりわけバックパッカーの間では、ちょっとした有名観光地になっていました。
また、政治的にも、曲がりなりにも議会制民主主義が機能し、野党も活動している、アラブ諸国の中では数少ない国のひとつでした。
でも、それはあくまでも表面上だけの事でした。国内では秘密警察の網の目が光り、野党はあっても形だけで、労働組合も単一の御用組合以外はすべて弾圧されてきました。その下で、独立後30年ほどは初代大統領ブルギバの下で「社会主義」を真似た独裁政治が行われた後、ブルギバを追放して第2代大統領に就任したベンアリによって、今度は逆に、日本で言えば小泉政治に相当するような、経済規制緩和や輸入自由化、国営企業の民営化が、世界銀行やIMF(国際通貨基金)からの融資と引き換えに強行されました(←この事は日本のマスコミは殆んど取り上げない)。
その結果、貧富の格差がどんどん拡大し、80年代以降はイスラム原理主義勢力(アルナハダ)によるテロも頻発するようになりました。政府はそれらの抵抗を悉く力で抑えつけ、「西欧流民主主義のショーウィンドー」を今まで装ってきたのが、ここに来て遂に破綻したのです。
これは何もチュニジアだけに限った話ではありません。エジプトのコプト教徒による反政府デモも、きっかけは先日のコプト教会での自爆テロに対する政府の不手際から起こったものですが、その背景には同国のムバラク独裁政権やその下での格差拡大に対する民衆の不満増大がある事は間違いありません。
経済危機に端を発したギリシャのデモ・暴動や、年金制度改悪に端を発したフランスのデモ・暴動も、本質的にはチュニジアやエジプトのものと全く同じものです。また、かつては「米国の裏庭」とみなされてきた中南米諸国でも、親米独裁政権が次々と一掃され、今や左派政権だらけになってしまった理由も、それと全く同じです。
去年、菅総理が「日本もギリシャのようになってはいけない」と発言しましたが、そんなものは、所詮は財界の言い分にしか過ぎません。労働者の側からすれば全く逆です。ここは寧ろ「日本の民衆も、チュニジア・ギリシャ・フランス・中南米の民衆や、チョン・テイルさんの焼身自殺を機に奴隷根性を乗り越えていった韓国の民衆のように闘わなければならない」と言い換えなければならないと思います。
(関連記事)
・チュニジア、ベンアリ政権崩壊=23年間の独裁体制に幕-大統領はサウジに亡命(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110115-00000015-jij-int
・デモ隊と警察衝突、市民14人死亡…チュニジア(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110110-00000464-yom-int
・チュニジア暴動の発端は「就職できなかった大卒者の焼身自殺」(低気温のエクスタシーbyはなゆー)
http://alcyone.seesaa.net/article/180089094.html
・中東の窓
http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/
・チュニジア研究 on Hatena
http://d.hatena.ne.jp/beautifultunisia/
・チュニジア経済:政府管理の下、安定成長を持続(三菱東京UFJ銀行、PDFファイル)
これはあくまでも財界目線からみた記事である事に注意。
http://www.bk.mufg.jp/report/ecostl2010/ldnreport_20101202.pdf
・テュニジア-織り成す文明の闘争と調和(原清という人のチュニジア滞在記)
たまたま見つけたHPですが、この国の姿が分かりやすく説明されていると思います。
http://www2.pf-x.net/~informant/tunisia/tunisiaessay.htm
●追記1 チュニジアの「普天間問題」
チュニジアは旧仏領植民地から1956年に独立した国だが、独立後もフランス軍は国内第4の都市ビゼルトの海軍基地に居座ったままだった。このフランス軍基地が返還されたのは1963年だが、そこに至るまでは決して平穏な道のりではなかった。駐留フランス軍と政府軍との間の戦闘では、千人からのビゼルト市民が犠牲になった(←この事も日本のマスコミは前者以上に取り上げない)。
それには勿論、当時の情勢の助けもあった。当時はアフリカ諸国の独立が相次いだ民族独立の時代で、チュニジアも独立後は隣国アルジェリアの独立闘争を物心両面で支援した。初代大統領ブルギバが形だけでも「社会主義」を唱えたのも、この当時の世相による所が大きい。しかし、所詮はそれは形だけのものだった。農地改革で誕生した協同組合の幹部には旧地主が居座り、「独立の父」ブルギバも次第に独裁色を強め、やがて腹心のベンアリによって国外追放されてしまう。そのベンアリも、ブルギバと同じ道を歩んだ挙句に、最期には同じ様に追放されてしまったのだから、正に歴史の皮肉という他ない。
しかし、そんな親西欧の独裁国家ですら、日本よりは遥かにマトモな自主独立外交を展開してきたのだ。そして内政面においても、一時は「社会主義」を標榜し、上辺だけとはいえ格差是正に乗り出した事もあったのだ。普天間問題、派遣法改正骨抜き、消費増税・法人減税一つとっても、財界・米国第一で国民生活の事なぞまるで眼中にない、今の民主党政権や自民とその亜流政党に、チュニジアの独裁政権を批判する資格が果たしてあるかどうか。
●追記2 チュニジアと日本共産党
何故、中東のイスラム国家チュニジアの話に日本の共産党が登場するのか。それは、日本の将来を考える上でも、決して避けて通れない問題があると考えるからだ。イラク戦争に反対の共産党は、アラブ諸国との連帯を唱え、サウジアラビアなどの王制諸国の政府とも活発に交流を続けている。この「野党外交」自体は無碍に否定すべき事ではなく、寧ろ当時の自民党や今の民主党政権の対米従属外交と比べたら、遥かにマトモな姿勢だと思う。
しかし、仮にも労働者の国際連帯を謳う以上は、政権党以上に本来の友党(共産党系その他の左翼政党)や労働者との交流を優先すべきではないか。そして今回の事態では、いち早く同国民衆の闘いを支援すべきではないか。それが、幾らイラク戦争反対の為とは言え、同国の独裁与党RCD(立憲民主連合)との交流ばかりに目が行っているようでは、自民・民主の与党外交とも本質的には何ら変わらないではないか。(「しんぶん赤旗」2006.11.6付「チュニジア国際シンポ開幕/緒方副委員長出席/49政党・組織参加」)
この問題が如実に現れているのが、同党と中国・北朝鮮との関係だ。それらの国々における人権侵害や少数民族抑圧と、どう向き合うかが問われている。その点をクリア出来ない限り、今後日本での支持拡大は難しいだろう。
勿論、その共産党を批判し、普天間問題や格差問題でも米国の提灯持ちをするしか能のない、今の政府・財界、自民党その他の右翼保守勢力や、チュニジアの事態についても他人事の報道にばかり終始している日本の御用マスコミに、共産党の野党外交を批判する資格はない。しかし、当の共産党自身も、そこに安住している限り、万年野党から抜け出す事は出来ないだろう。
今回は予定を変更して、まずこのニュースから。北アフリカのチュニジアで、23年間も事実上の独裁者として君臨してきたベンアリ大統領が、民衆デモによって、この14日に遂に退陣に追い込まれました。このデモは、失業し野菜の露天商として細々と生計を立てていた若者が、警察の横暴な取り締まりに対して、抗議の焼身自殺を決行した事から始まりました。この事が、20%にも上る若者の失業率や、物価高騰に苦しめられてきた民衆の怒りに火をつけました。デモや暴動が首都をはじめ全国各地に飛び火し、非常事態宣言や夜間外出禁止令などを以ってしても抑えつける事が出来なくなり、とうとう政権崩壊にまで至りました。
この国は、アラブ諸国の中でも近代化が進み、最近は観光業にも力を入れていました。カルタゴの古代遺跡や、チュニジアンブルーと呼ばれる青色の窓の装飾、古都カイラワーンや、シディ・ブ・サイドやジェルバ島などの地中海岸の保養地、サハラ砂漠のラクダツアーや先住民族ベルベル人の穴居住宅などで、とりわけバックパッカーの間では、ちょっとした有名観光地になっていました。
また、政治的にも、曲がりなりにも議会制民主主義が機能し、野党も活動している、アラブ諸国の中では数少ない国のひとつでした。
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でも、それはあくまでも表面上だけの事でした。国内では秘密警察の網の目が光り、野党はあっても形だけで、労働組合も単一の御用組合以外はすべて弾圧されてきました。その下で、独立後30年ほどは初代大統領ブルギバの下で「社会主義」を真似た独裁政治が行われた後、ブルギバを追放して第2代大統領に就任したベンアリによって、今度は逆に、日本で言えば小泉政治に相当するような、経済規制緩和や輸入自由化、国営企業の民営化が、世界銀行やIMF(国際通貨基金)からの融資と引き換えに強行されました(←この事は日本のマスコミは殆んど取り上げない)。
その結果、貧富の格差がどんどん拡大し、80年代以降はイスラム原理主義勢力(アルナハダ)によるテロも頻発するようになりました。政府はそれらの抵抗を悉く力で抑えつけ、「西欧流民主主義のショーウィンドー」を今まで装ってきたのが、ここに来て遂に破綻したのです。
これは何もチュニジアだけに限った話ではありません。エジプトのコプト教徒による反政府デモも、きっかけは先日のコプト教会での自爆テロに対する政府の不手際から起こったものですが、その背景には同国のムバラク独裁政権やその下での格差拡大に対する民衆の不満増大がある事は間違いありません。
経済危機に端を発したギリシャのデモ・暴動や、年金制度改悪に端を発したフランスのデモ・暴動も、本質的にはチュニジアやエジプトのものと全く同じものです。また、かつては「米国の裏庭」とみなされてきた中南米諸国でも、親米独裁政権が次々と一掃され、今や左派政権だらけになってしまった理由も、それと全く同じです。
去年、菅総理が「日本もギリシャのようになってはいけない」と発言しましたが、そんなものは、所詮は財界の言い分にしか過ぎません。労働者の側からすれば全く逆です。ここは寧ろ「日本の民衆も、チュニジア・ギリシャ・フランス・中南米の民衆や、チョン・テイルさんの焼身自殺を機に奴隷根性を乗り越えていった韓国の民衆のように闘わなければならない」と言い換えなければならないと思います。
(関連記事)
・チュニジア、ベンアリ政権崩壊=23年間の独裁体制に幕-大統領はサウジに亡命(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110115-00000015-jij-int
・デモ隊と警察衝突、市民14人死亡…チュニジア(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110110-00000464-yom-int
・チュニジア暴動の発端は「就職できなかった大卒者の焼身自殺」(低気温のエクスタシーbyはなゆー)
http://alcyone.seesaa.net/article/180089094.html
・中東の窓
http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/
・チュニジア研究 on Hatena
http://d.hatena.ne.jp/beautifultunisia/
・チュニジア経済:政府管理の下、安定成長を持続(三菱東京UFJ銀行、PDFファイル)
これはあくまでも財界目線からみた記事である事に注意。
http://www.bk.mufg.jp/report/ecostl2010/ldnreport_20101202.pdf
・テュニジア-織り成す文明の闘争と調和(原清という人のチュニジア滞在記)
たまたま見つけたHPですが、この国の姿が分かりやすく説明されていると思います。
http://www2.pf-x.net/~informant/tunisia/tunisiaessay.htm
●追記1 チュニジアの「普天間問題」
チュニジアは旧仏領植民地から1956年に独立した国だが、独立後もフランス軍は国内第4の都市ビゼルトの海軍基地に居座ったままだった。このフランス軍基地が返還されたのは1963年だが、そこに至るまでは決して平穏な道のりではなかった。駐留フランス軍と政府軍との間の戦闘では、千人からのビゼルト市民が犠牲になった(←この事も日本のマスコミは前者以上に取り上げない)。
それには勿論、当時の情勢の助けもあった。当時はアフリカ諸国の独立が相次いだ民族独立の時代で、チュニジアも独立後は隣国アルジェリアの独立闘争を物心両面で支援した。初代大統領ブルギバが形だけでも「社会主義」を唱えたのも、この当時の世相による所が大きい。しかし、所詮はそれは形だけのものだった。農地改革で誕生した協同組合の幹部には旧地主が居座り、「独立の父」ブルギバも次第に独裁色を強め、やがて腹心のベンアリによって国外追放されてしまう。そのベンアリも、ブルギバと同じ道を歩んだ挙句に、最期には同じ様に追放されてしまったのだから、正に歴史の皮肉という他ない。
しかし、そんな親西欧の独裁国家ですら、日本よりは遥かにマトモな自主独立外交を展開してきたのだ。そして内政面においても、一時は「社会主義」を標榜し、上辺だけとはいえ格差是正に乗り出した事もあったのだ。普天間問題、派遣法改正骨抜き、消費増税・法人減税一つとっても、財界・米国第一で国民生活の事なぞまるで眼中にない、今の民主党政権や自民とその亜流政党に、チュニジアの独裁政権を批判する資格が果たしてあるかどうか。
●追記2 チュニジアと日本共産党
何故、中東のイスラム国家チュニジアの話に日本の共産党が登場するのか。それは、日本の将来を考える上でも、決して避けて通れない問題があると考えるからだ。イラク戦争に反対の共産党は、アラブ諸国との連帯を唱え、サウジアラビアなどの王制諸国の政府とも活発に交流を続けている。この「野党外交」自体は無碍に否定すべき事ではなく、寧ろ当時の自民党や今の民主党政権の対米従属外交と比べたら、遥かにマトモな姿勢だと思う。
しかし、仮にも労働者の国際連帯を謳う以上は、政権党以上に本来の友党(共産党系その他の左翼政党)や労働者との交流を優先すべきではないか。そして今回の事態では、いち早く同国民衆の闘いを支援すべきではないか。それが、幾らイラク戦争反対の為とは言え、同国の独裁与党RCD(立憲民主連合)との交流ばかりに目が行っているようでは、自民・民主の与党外交とも本質的には何ら変わらないではないか。(「しんぶん赤旗」2006.11.6付「チュニジア国際シンポ開幕/緒方副委員長出席/49政党・組織参加」)
この問題が如実に現れているのが、同党と中国・北朝鮮との関係だ。それらの国々における人権侵害や少数民族抑圧と、どう向き合うかが問われている。その点をクリア出来ない限り、今後日本での支持拡大は難しいだろう。
勿論、その共産党を批判し、普天間問題や格差問題でも米国の提灯持ちをするしか能のない、今の政府・財界、自民党その他の右翼保守勢力や、チュニジアの事態についても他人事の報道にばかり終始している日本の御用マスコミに、共産党の野党外交を批判する資格はない。しかし、当の共産党自身も、そこに安住している限り、万年野党から抜け出す事は出来ないだろう。
村野瀬玲奈さんが「日本政財界用語辞典」というものを作ってくれました。不定期連載という事で、今後も新たな用語を追加されるそうです。余りに面白かったので、私もその第一編と第二編をこちらに転載させてもらいました。
●多数派: 与えられた問題について自分自身で考え抜くことができないままに賛成または反対を明言する人々のこと。
●選挙: 少数派を多数派に見せかける、あるいは変えるための手続き。
●労働組合: 本来は、そして、日本以外の国では、弱い立場にある労働者の権利を守るために労働者が加入または参加する団体のこと。一方、日本では、労働者の権利を守ろうとしているために、国家主義者や財界や新自由主義者や多数派の人から滅ぼすべき社会悪とみなされている団体のこと。古くからあって規模も大きい代表的なものとして、日教組、自治労など。
●リーダーシップ: 本来は、そして、日本以外の国では、その豊かな見識や公正で立派な態度のゆえに国境や立場を越えた大勢の人々が自然に敬愛し、信頼する人の性格。一方、日本では、相手が嫌がることを相手の合意もなく大した議論すらなく力ずくで相手に強制することを自分に与えられた使命だと頑強に信じ込んでいる、日本の国境を越えた敬愛を得られない人の性格のこと。
●自由競争: 会員制のクラブのメンバーである限られた数の選手が自分に有利なようにルールを決めたうえで自分が審判も兼ねることのできる競争。スポーツ界でではなく、経済界で行われている。
●既得権: 自分以外の他人が持っている権利の総称。同じ内容であっても、自分の権利は既得権と呼ばず、他人の権利だけを既得権と呼ぶ。
●経済活動: 貧しい人のお金をあらゆる手段で探し出して、それを金持ちの人に移し替える方法の総称。
●資本主義: 「あなたのものはわたしのもの。わたしのものはわたしのもの。」という思想。
●財界: 投票権を持たない日本の主権者。
●有権者: 投票権を持つ日本の奴隷。
●改革: 自分だけに都合のよいシステムを作りつつ、そのシステムが自分にだけ利益をもたらして他者には不利益をもたらすという事実を巧妙に隠す行為の総称。
そして私自身も作ってみました。
●コンプライアンス(法令遵守): 法の不備につけ込み、規制や罰則がないのを良い事に、労働搾取や偽装表示や貧困ビジネスや賄賂政治にどんどん突っ走る時の、隠れ蓑として使われる言葉。「ホワイトカラーエグゼンプションで残業が只働きになっても、合法だから許される」「労働基準法には、荷物の重量制限に関する規定はないから、どんな重いものでも労働者に持たせたり運ばせたりする事が出来る」という具合に。
●右傾化(保守化): どんなに酷い政治や搾取が行われても、「お上や偉い人、お金持ちには絶対に逆らえない」「逆らえば会社や政治家に睨まれて、弱虫だの贅沢だのアカだの反日・非国民だのと罵られる」と、「まだ北朝鮮や中国よりはマシじゃないか」と無理やり自分に言い聞かせて、当の北朝鮮人民の様にひたすら黙って耐え忍び、金正日のような石原・橋下・河村やワンマン阿久根市長のご威光にひたすらおすがりする事。「奴隷根性」の別名。
●ハインリッヒの法則: 労働現場でよく言われる事故の発生確率。一般的に、大事故1件の裏には29件の小さな事故と300件の危険事例(ヒヤリ・ハット)があると言われる。しかし同じ関係は、消費税率5%や完全失業率(名目上は5%台だが実際はもっと大きい)と、相対的貧困率15.7%、非正規雇用者比率33.6%、年間自殺者数32845人の間にも少なからず言えると思うのだが、こちらはムキになって否定する政治家や評論家が後を絶たない。(数字はいずれも2010年の速報値・概数など)
●5S: これも労働現場でよく言われる言葉で、「整理」「整頓」「清潔」「清掃」「躾」などの頭文字を取ったものである。しかし実際には、整備コスト圧縮のために点検を手抜きしたり、必要備品すらケチったりしている事を隠蔽する為に、トイレのスリッパに番号をふったり、カラー刷りの標語ポスターをやたら貼りまくったりして、とにかく上辺だけ取り繕おうとする事。
●自己責任: 業務上のミスは労働者の責任、経営上の失敗も労働者の責任。
また、どろさんも、村野瀬さんのブログにコメントで下記の用語解説を補充して下さいました。(下線強調部に特に注意)
●派遣社員: 資材課の管理下におかれている消耗品。
●正社員: 会社の管理下におかれている奴隷。
●管理職: 会社の管理下におかれている奴隷のうち、団結権を持たないものをいう。
●団結権: 日本国憲法で保障されているので、経営に不都合でない限りに於いて容認すべき労働者の権利である。
●環境保全: 自然環境の保全と経営環境の保全が対立する場合は、もちろん経営環境の保全が優先されなければならない。
●全国労働衛生週間: 労働者の健康の確保・増進を図り、快適に働くことができる職場づくりに取り組んでいる体面を整える、期間限定の運動。
●労働災害: 業務上災害というべきであろうが、なぜかこのようにいう。
●安全管理: もちろん、第一責任は下請け労働者が負うのである。
●労災予防運動: 労働災害を表沙汰にしない運動。怪我をしても治療費を会社が全額負担することを条件に社会保険を使用させない、仕事を免除する代わりに労災休業を申請させないなどの方法を用いて、「労災事故ゼロ 何千日達成」などの実績が可能になる。
●KY: 現場の朝礼で行われる「危険予防運動」の略称。現場作業に於いて、何が危険であるかを現場労働者に自己申告させることで、事故が起きても「分かっていたくせに」と事故責任を労働者の自己責任にできる。申告の内容はなるべく総括的・一般的なものにすべきであり、実態に即した具体的な指摘をする労働者(注:つまり私の様な人w)はKY(空気読めない)なので要注意である。
そうしたら、ますます辞典が充実してきました。こちらでも不定期連載という事で、気が向いたら補充していきたいと思います。
帝国主義 (岩波文庫)幸徳 秋水,山泉 進岩波書店このアイテムの詳細を見る |
正月明けに書いた「2011年 新年の鼓動」という記事の中で、幸徳秋水の下記の文章を紹介しました。
>武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の旧年は去れり、而して武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の新年は来れり、新年の新は猶旧年の旧の如し、吾人は少しも其の芽出度きを見ざる也。
然れども、旧観依然、徒らに斯くの如き者は国家組織の表面也、少しく深く社会の裏面に入れば、別に暗潮の熱を帯びて大いに動くあり、・・・利を掠め色を漁するの外に一能事なき富豪の下に、其の衣食欠乏の無道に泣ける労働者あるを見ずや・・・、斯くの如きの暗潮が新年と共に更に新潮を加え来るべきは当然也。
此意味よりすれば、吾人も亦新年の芽出度きを見ざるに非ず、吾人は此意味に於て新年の前途を祝しつつ、更に読者諸君に向って左の語を為す。
曰くお芽出度う、曰くお芽出度う!
原文が文語調でなかなか読みづらいですが、その意味する所は、「今年も去年と同様、軍拡や資本家の搾取や勝ち組の横暴や賄賂政治はますます酷くなる一方だ。年が明けたからといって何もめでたい事はないじゃないか。でも、それはあくまで社会の表面だけを見ているからであって、その底流では衣食にも事欠く労働者の怒りが益々強まっている。年を経ることに、その怒りは更に強まり、社会変革を求める潮流となって力を増してくるだろう。だから、やはり新年はめでたいのだ。」というものでしょうか。
とても今から百年以上も前に書かれた文章だとは思えません。今でも充分に通用する内容です。明治維新からまだ40年位しか経っていない当時において、「武装平和、資本家制度」等々を擁護する、今で言う所の御用マスコミや石原・橋下・ネットウヨクらを敵に回して、戦争反対・財閥政治打破・民主主義・男女平等などの主張を堂々と展開した先人たちの勇気と先進性に、現代に生きる我々も大いに励まされます。
しかし、その「暗潮の熱」は一体どこにあるのだろうか?それは案外身近な所にあったりして。私の勤め先は、年末年始はむしろ繁忙期で、お正月気分とは無縁の職場でしたが、そこでもこんな事がありました。
正月明けの余韻も覚めやらぬある日の午後、冷蔵庫で商品の仕分け中に、あるアルバイトと二言三言、雑談を交わしていた時のこと。その中で、話題がPC積み替え作業の件に及び、私が「みんなも私と同じように順法闘争に立ち上がってくれたら、職場の環境改善も一挙に進むのになあ。それが、みんな黙っているもんだから、この調子では、今後もますます会社に好いようにあしらわれるだけやで」と言ったのに対して、「いや、あんたの言いたい事も、それが正論だという事も、とうにみんな分かっている。でも、みんな会社に睨まれるのが嫌だから、あんたと同じにはなれないだけなんだ。それじゃあ、会社にますます好いようにあしらわれるだけなのも分かっている。分かっているけど、どうして良いのか分からない」という話になりました。
その時は作業中でもあり、それ以上の話にはなりませんでした。しかし、そのアルバイトは、どちらかというと組合とか運動とかには無縁のタイプで、私もその人には職場新聞を配るのを遠慮していました。一度配った事もあったのですが、その時もやんわりつき返されたりしたので。
それどころか、私だけが順法闘争をする事で、「あいつだけ早く帰りやがって」という声すら上がりかねないと、実は内心危惧していたのですが、どうやら今の所は、その心配はなさそうです。読者以外のバイトにも、私のやっている事はどうやら人伝に伝わってようです。
でも、そこから先が、なかなか見えて来ないのです。私自身も、順法闘争する事で、それまでも多くない給料が更に目減りしてしまい、Wワークのバイトを探さなければならなくなってしまいました。本業の減収補填になり、尚且つ健康や生活に破綻を来たさないような、そんな好条件のバイトなんて滅多にありません。
派遣会社にも一応登録しましたが、派遣会社に支払われる千円を優に超える時給のうちで、実際にバイトが手にするのはせいぜい800円台で、残りは全てピンハネされる事や、安全教育どころか最低限の作業手順すらまともに教えられないのに、労災になれば派遣先とグルになってもみ消すような事もしかねないような派遣会社に、一日に何度も報告の電話を入れさせられてまで、日払いの仕事をする気にはもうなれません。現在、派遣でない副業の面接予約を一件ゲット中です。
しかし、これも妥協して残業を再開すれば、どれだけ楽な事か。でも、それをやっちゃうと、会社の非を受け入れる事になってしまう。「無理しなくても良い」なんて言っているのも今のうちだけで、そのうちにまた元の木阿弥に戻ってしまうのは目に見えています。
「あいつだけ早く帰りやがって」と孤立させられる恐れこそ、杞憂であると分かったものの、それも今後はどうなるか分かりません。「××さんはもう上がって良いよ」と定時退勤させられるのも、「あいつはウルサイから早く帰らせろと、上から言われているから、仕方なくそうさせている」というのが、もう見え見えで。「××さんは特別な人で、私には到底あんな真似は出来ない」というのが、他のバイトの大方の受け止め方です。
これを更に一歩前へ進めていくには、果たしてどうしたら良いか。職場新聞の発行再開ぐらいしか思いつきません。何か妙案がないものでしょうか。
※職場新聞の読者向け質問:さて、上記「冷蔵庫で商品の仕分け中に、あるアルバイトと二言三言、雑談を交わしていた時のこと」云々の、「あるアルバイト」とは一体誰でしょう?
※以下、派遣労働ネットワークのHPからの転載です。既に幾つかのブログでも告知が行われていますが、当ブログでも当該趣旨に賛同して転載させてもらう事にしました。
皆様方にはご清栄のこことお慶び申し上げます。
派遣労働ネットワークでは、「派遣スタッフアンケート2011」をおこなうことになりました。
当団体では、派遣スタッフ、派遣的な働き方がひろがる雇用情勢下の労働者の権利・待遇向上を目的に、さまざまな活動をしてまいりました。その一環として、現状調査のための派遣スタッフアンケートを2~3年ごとに実施しています。
前回のアンケート実施は2008年で、リーマンショックによる大量の「派遣切り」が深刻な問題となった時期でした。
賃金も下げ止まらず、派遣の仕事では生活が大変苦しいという声が多く寄せられました。安定した雇用への渇望もますます大きくなっていました。
その後も、雇用情勢は、まったく改善せず、仕事がなくて困窮する人は、むしろ増加している状況です。
次回、通常国会での派遣法改正を目指すこの時期に、改めて派遣スタッフの実情を把握し、労働者が働きやすい方向への法改正への取り組みに役立てたいと思います。
派遣就労されている方、最近まで派遣で働いていた方、お知り合いに派遣スタッフがいらっしゃる方のご協力をいただけましたら幸いです。
実施期間 : 2011年1月6日~2011年3月31日
(アンケートの回答は集計処理し、派遣労働の実態把握及び今後の活動の参考にさせていただきます。個人情報は慎重に管理し、本来の目的以外のことで使用することはありません。)
なお、アンケート回答者のなかかから、抽選で30名様に、QUOカードまたはJCBギフトカード1000円分を進呈させていただきます。
派遣スタッフアンケートの内容
・現在従事している仕事について
・契約と実際の仕事
・現在(直近の仕事)の賃金
・契約の労働時間と実際の労働時間
・収入(月収、年収)
・収入と現在の生活
・正社員との格差
・契約期間と就労期間
・派遣先での事前面接
・通勤交通費の支給
・社会保険と労働保険
・離職票の発行と失業給付
・育児(家庭)と仕事との両立
・就労日数
・派遣先への直接雇用
・派遣という働き方について
・現在困っていること
・自由記述欄
派遣スタッフアンケート2011
↑ こちらをクリック!
質問は36問で、最後に属性の記入欄があります。
アンケートは、15ページあり、最終ページ下部のボタンで内容確認画面へ進み、送信ボタンで事務局まで届きます。
正月明けはこの新聞記事から。鉄道関連の記事ですが、とても他人事には思えませんでした。「並行在来線」切りも「非正規」切りも、ともに企業の利益至上主義、新自由主義(強欲資本主義)の現われだと思います。少なくとも私にとっては、そういう意味で、非常に身につまされる記事でした。
・整備新幹線開業の陰で…どう守る地元の“足” 苦悩する沿線自治体(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110103-00000525-san-soci
記事の内容は、東北新幹線の全線開通に伴って、並行在来線のJR東北本線が逆に存亡の危機に陥っている、というものです。
昨年12月の八戸・新青森間開通により、東京から青森まで新幹線で結ばれるようになった一方で、並行して走っているJR東北本線については、盛岡から終点の青森までが、JRから切り離されて、岩手県内は「IGRいわて銀河鉄道」、青森県内は「青い森鉄道」と、それぞれ第三セクターに移管される事になりました。その為に、沿線では下記のような事態になっているというのです。
>開業から3日目、初の平日となった12月6日の朝、駅に入ってきたのは、JR時代の4両編成ではなく、たった2両編成の列車。車内は通学の高校生ですし詰め。病院へ通うお年寄りが列車に乗れず、ホームで立ち往生するほどだった。運賃も大幅に値上げされた。通学定期は据え置かれたが、普通運賃はJRの1・37倍、通勤定期は1・65倍となった。
>「当面は車両や運転本数をできる限り少なくして、輸送効率を高めるしか手がないのでは」(鉄道関係者)というように、縮小均衡以外の改善策は見あたらない状況だ。(いずれも当該記事より)
これが所謂「並行在来線問題」というやつです。これは東北本線だけでなく、信越本線(軽井沢・横川間廃止と、軽井沢・篠ノ井間の「しなの鉄道」への移管)や、鹿児島本線(八代・川内間の「肥薩おれんじ鉄道」への移管)など、全国各地で起こっている問題です。
何故こんな事態になってしまったのか。それは、1990年の政府・与党合意によって、それ以降に開通した整備新幹線の並行在来線については、不採算区間は全てJRから切り捨て第三セクターとする事で、沿線住民に赤字の尻拭いを押し付けるようにしてしまったからです。しかも、同じ並行在来線でも、まだ比較的採算が見込まれる線区についてはJRにそのまま留め置くという、JRによる「エエとこ取り」まで認めてしまっているのです。沿線住民には自己責任の名でとことん犠牲を強いておきながら。こんな不公正・不公平な話はありません。
>JRは沿線の自治体との同意が得られれば、新幹線開通後、並行在来線の経営を分離できることになっている。九州新幹線の鹿児島ルートの一部(新八代~鹿児島中央間)が開業した際は、肥薩おれんじ鉄道(八代~川内間)が第三セクターに分離されたが、同鉄道は少子高齢化や過疎化で沿線人口が減少し、厳しい経営環境にさらされている。
>ただ来春、開業する「博多~新八代間は「福岡、熊本の都市圏を走るため、通勤通学需要が大きく、新幹線開業後も一定の収益が見込める」(JR九州)という比較的、優良な路線でもある。さらにこの区間は私鉄の西日本鉄道が並走しており、「ライバルに客を取られたくなかった」(関係者)と指摘するように、結果的に路線が維持されたとの見方もある。(同上)
しかし、そもそも国鉄時代からの巨額の赤字を生み出したのは一体誰か。選挙での集票の為に赤字ローカル線を作らせた自民党の族議員や、ゼネコンを儲けさせる為に不要不急の整備新幹線を作らせておきながら、高利で巨額の債務を当時の国鉄に肩代わりさせてきた鉄建公団などではないですか。そうやって、自らが巨額の赤字を作り出しておきながら、そのツケを一方的に沿線住民だけに擦り付けるのでは、話の筋が通りません。正に「マッチポンプ」そのものです。
>JR西の佐々木隆之社長は昨年12月1日の記者会見で「これらの線は輸送量が少なく、経営が苦しい」として、バスへの転換、路線の廃止を踏まえた協議を地元自治体と始める意向を示した。北陸本線の当該区間をJRから分離する以上、同区間から伸びる支線も分離しないと、JRが「飛び地」の路線を運行する形となり、維持費用や運賃なども割高となってしまうためだ。
>ただ、安定的な路線の運営に不安を覚える沿線の自治体からは「支線は並行在来線とは違う。引き続きJRが担当すべき」(富山県)と、反発の声が上がる。地域に暮らす人々の足をどう守っていくのか、という重い課題。沿線の自治体はまだ明確な答えを見いだせていない。(同上、北陸新幹線開通に伴う並行在来線問題に関して)
それが、この記事の書きようは一体何ですか。「地域に暮らす人々の足をどう守っていくのか、という重い課題」とか、「沿線の自治体はまだ明確な答えを見いだせていない」とか、まるで他人事みたいな書きようで。これでは、まるで沿線の自治体や住民だけが悪いみたいですね。
確かに、沿線の自治体や住民にも、禄でもない自民党議員を選んでしまったり、鉄建公団の利権構造を黙認してきた責任の一端はあるかも知れません。しかし、それはあくまでも、企業・地域ぐるみ選挙の中で、やむなく圧力に屈してしまったという事でしかない。本当に悪いのは、そうやって住民や自治体を恫喝し、その中で利権を貪り食ってきた族議員やゼネコン、鉄建公団のほうです。「重い課題」や「明確な答え」を出す責任があるのも、沿線住民ではなく利権を貪り食ってきたやつらのほうです。
そもそも、それ以前に、「整備新幹線と並行在来線のどちらを残すか」という選択の枠組み自体がナンセンスです。整備新幹線なんて、「在るには越した事がないが、今特に無くても別に困らない」、所詮はその程度のものでしょう。大都市圏の住民にとっては、在来線から新幹線に代わった所で、せいぜい観光地への到着時間が1~2時間早まるだけでしょう。しかし、沿線住民にとっては、新幹線は地域を素通りしていくばかりで、逆に並行在来線がズタズタに寸断される事で、通学・通勤・買い物・通院もままならなくなるのです。住民の交通権・生存権・生活権を保障する上で、一体どちらを優先すべきか。それは誰が見ても並行在来線のほうでしょう。
整備新幹線なんて、並行在来線では交通需要を賄えない所にだけ敷設すれば良いのです。それを、わざわざ並行在来線を寸断するなぞという、本末転倒な真似をしてまで、無理に敷設しなければならないものだとは、到底思えません。そして、仮に敷設する場合も勿論、並行在来線はJRが運営しなければなりません。それが公共交通機関としての使命です。
勿論、企業は営利を目的としています。しかし、その営利も、顧客や従業員・取引先の生活向上に還元されてこそ、初めて価値のあるものです。従業員や取引先の犠牲の上に、ひとり企業だけが胡坐をかくような真似なぞ、絶対に許されるものではありません。それは鉄道会社とて例外ではありません。
(参考記事:適宜追記)
・asahi.com:(2)もがく並行在来線-マイタウン青森
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000651011270001
・鉄道ウオッチングのすすめ3 各地で起きている「並行在来線問題」
http://homepage3.nifty.com/kumanotaira-mura/tetsudou-watching3.html
・北陸・東北新幹線開業に伴う並行在来線のJR経営から分離の第三セクター鉄道比較
http://www5e.biglobe.ne.jp/~thlt/hokuriku/hokurikuline.0005.html
・いま再び並行在来線問題を考える(レイバーネット)
http://www.labornetjp.org/news/2011/1294242169882zad25714
(追記)
・記事のタイトル名を一部変更しました。「ネオリベ」とは、新自由主義(者)の略称(蔑称の意味合いも多少有り)で、ここでは「主に大都市に住み、先進国・財界・正社員中心の物の見方しか出来ずに、小泉構造改革や石原・橋下知事などの強権的手法をひたすら支持してきたような人たち」ぐらいの意味合いで使っています。
順法闘争に伴う残業代目減りの穴埋めに副業バイトを探すも、なかなか適当なものが見つからず。過労で身体を壊したら何もならない。そこで仕方なく、また時々競馬をする事にしました。昔取った杵柄で、いわば苦肉の策です。
しかし、そうは言っても所詮はギャンブル。胴元だけが儲かる仕組みになっている事ぐらい、百も承知の上。そんな中でも儲けを捻り出していく為には、勝てると踏んだレースだけに絞って、少額でも確実に落としていくしかない。
実は、本日開催の京都金杯(京都競馬11レース、GⅢ)も、ハンデ戦で混戦ゆえに、最後まで買おうかどうか迷っていました。しかし、それなりにレース展開が読めたので、最終的に買う事にしました。
確かにこのレースは、従来はトップハンデの実力馬が勝つ事が多かった。しかし今回は、コースの線形や出走メンバーの面子から判断して、それ以上に先行馬同士の接戦・混戦となる可能性が高い。だから、2枠(3番・4番)の実力馬◎○を一定中心に据えながらも、伏兵馬▲△にも出来るだけ手が届くように、枠連とワイドで堅実に流す買い方にしたのです。三連複や三連単、馬単などには目もくれずに。
結果はワイドのダブル的中で差し引き6千円のプラスと、幸先の良いスタートを迎える事が出来ました。たかが6千円とバカにする勿れ。これだけでも20日分弱の弁当代が賄えます。次の狙い目は、1月23日に同じく京都で開催の平安ステークスです。
1月2日に大阪・難波の高島屋前で配られていた「辺野古に基地を絶対に作らせない大阪行動」のリーフレット。ジュゴンの着ぐるみを着た人が、「2011年こそ普天間問題の最終解決を」と訴えられていた。
1月5日に大阪・北区民センターホールで開かれる勤労協主催の新春学習会の案内ビラ。実は昨年末に労組からもらっていたのですが、生来の筆不精ゆえ、集会当日のアップになってしまいました。
元旦出勤時の勤め先で、休憩時間に振舞われたお餅。実はこれが、新年最初にブログにアップしていた写真です。前号の当該記事を書き直した時に一旦削除した後、「番外編」として改めてこちらにアップし直しました。
最後に、四トロ同窓会二次会掲示板からの転載。今よりも、もっと八方塞の「冬の時代」にあっても、「春は必ずやって来る」事を、幸徳秋水はちゃんと見抜いていました。ともすれば目の前の出来事に一喜一憂しがちな現代の我々も、斯くの如くありたいものです。
●なぜ、新年はおめでたいのか
投稿者:かめさん 投稿日:2011年 1月 1日(土)16時47分27秒
「なぜ、新年はおめでたいのか」について、1911年1月24日に死刑になった幸徳秋水はこう言っている。
武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の旧年は去れり、而して武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の新年は来れり、新年の新は猶旧年の旧の如し、吾人は少しも其の芽出度きを見ざる也。
然れども、旧観依然、徒らに斯くの如き者は国家組織の表面也、少しく深く社会の裏面に入れば、別に暗潮の熱を帯びて大いに動くあり、・・・利を掠め色を漁するの外に一能事なき富豪の下に、其の衣食欠乏の無道に泣ける労働者あるを見ずや・・・、斯くの如きの暗潮が新年と共に更に新潮を加え来るべきは当然也。
此意味よりすれば、吾人も亦新年の芽出度きを見ざるに非ず、吾人は此意味に於て新年の前途を祝しつつ、更に読者諸君に向って左の語を為す。
曰くお芽出度う、曰くお芽出度う!
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/koutoku02.html#05
今年は大逆事件から100年。“暗潮の熱を帯びて”、大いに動こうではありませんか!
この記事では最初、「年末年始も出勤でいつもと変わらないので、もう今年は年賀状は出さない」として、会社で休憩時間に焼いたお餅の写真を載せたりしていました。しかし、長い間ご無沙汰だった旧友からもせっかく賀状を戴いておきながら、こちらも出さないというのは余りにも気が引けます。そこで当初の記事を全面的に更新し、賀状を出してブログにもアップする事にしました。その賀状が上記写真です。
上記の賀状にもある、私の地域労組加入の件は、職場の同僚やブログ仲間、一部の身近な知人・友人については、これまでも大なり小なり知らせてきました。しかし、それ以外の「ご無沙汰の旧友」については、まあこれは誰でもそうだと思いますが、殆ど何も言って来ませんでした。この賀状の文面を見たらさぞかし驚くのでは。
そういう事で、最初載せていた「職場のお餅」は、また何かの折に他の写真と一緒にブログにアップする事にしましたので、悪しからず。
また、今年は初詣にも行きません。だから去年のような「人民絵馬」も無しです。何故なら、初詣の楽しみの一つに境内での屋台の飲食がありますが、例年以上に「ぼったくり」が増えたと耳にしましたので。もう去年のような「不味いのに千円以上もする広島焼」を掴まされるのはコリゴリです。その代わりに、今日2日の休みには家族・親戚水入らずで鍋をつついて来ました。
そこで改めて、2011年、新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。