理不尽社会に言葉の力を-ソノ一言オカシクナイデスカ?小森 陽一,おおえだ けいこ新日本出版社このアイテムの詳細を見る |
最初はホンの成り行きから、「最近仕事がキツくなったけど、こんな働かされ方ってオカシイんちゃう?」という軽いノリで、職場の問題を取り上げ始めた私のブログが、コピー配布の甲斐もあって、徐々にバイトの間で話題になりつつあります。現在、全体では昼勤者だけでも50名近くいる私の職場で、既に「読者」は7~8名を数えるまでに至っています。但し「読者」と言っても、実際は記事を適当にコピーして、こちらから一方的に渡しているだけです。配布日も部数もテンデンバラバラで。
それでも、みんな結構読んでくれています。最初の方こそ、ブログのURLを折角教えても、記事の内容が難しいの何のと言われ、殆ど誰も読んでいなかったのに、最近は「こんな事も書いてあったなあ」とバイトから指摘され、高をくくっていた私がドキリとさせられた事もありました。
そのうちの一人(激痩せズボンの当事者)には、モニター役を依頼しています。記事の感想や、言い回しの分かり難かった箇所などを、モニターから聞いて、今後の改善に役立てようと思っています。
そう言えば、今日もこんな事がありました。午後1時半の作業終了時間目指して、数人でせっせとカット野菜類の店別仕分けを行っていた時に、一人の社員が数人の新人派遣社員を引き連れて、バイトの中の特定の人間に「お前ちゃんと教えとけよ」と丸投げしていきました。言われたバイトも「何で俺ばっかりにそんな事を言ってくるのか」と憤っていました。
多分、社員にとっては、そのバイトが一番言いやすかったのでしょう。これが私相手だと、「俺らバイトも教えるのは教えますが、基本的にはバイトの指導や労務管理は正社員の仕事でしょう」「その為に社員はバイト以上の給料やボーナスを貰っているのでしょう」「それを自分は殆ど何もしないで、最初から最初までバイトに丸投げでは、只の責任逃れと違いますか?」と言い返されるからでしょう。実際、大人しそうなバイトや、同じ正社員でも異動間なしで右も左もまだ良く分からない新人担当にばかり、派遣の教育係を押し付けているのですから。その挙げ句に、その新人担当が間違ったハンディ操作の仕方を派遣に教えていたのですから、開いた口が塞がりません。
上がそんな体たらくだから、勢い教え方も、作業初日や二日目の初心者にいきなりハンディを持たせて、とりあえず形だけ終わらせようとしたり、バイトの成長よりも自分が楽をする事ばかり考えているのか、やたら細かい枝葉の部分ばかりやかましく言う割には、整理整頓などの一番肝心な基本を蔑ろにしているものだから、最後になるに従い商品がごちゃごちゃになって身動きが取れなくなったりしています。とりあえず教育係を押し付けられたバイトには、上の本をお勧めしておく事にします。
また、こんな事もありました。この前の日曜日は、私は当日は定休日だったので後で知ったのですが、出勤メンバーの話によると、何と夜の8時まで働かされたとの事でした。何でも、卵の納品業者が1人しか来なかった為に、卵の仕分けが夜の8時までかかってしまい、検品・搬送作業を担っているウチのバイトも、その煽りで夜遅くまで付き合わされる破目になったのだとか。それで、何故1人しか来なかったのかというと、納品業者に支払う手数料をスーパーがケチった為に、1人分の人件費しか浮かせなかったから何だと。
スーパーはそれで経費削減したつもりなのでしょうが、そのしわ寄せが納品業者の人件費削減だけで済むはずが無く、商品の品質や、夜遅くまで仕事がかかった分のバイトの人件費や、作業場施設の空調・光熱費にまで及ぶ事には、全然頭がいかないらしい。
しかも、それだけじゃありません。納品業者やウチのバイトも生身の人間です。早朝5時・6時・7時から夜の8時まで、満足に休憩も取れずに働かされたら、当然モチベーション(やる気)も殺がれます。それは下請けの従業員とて同じです。スーパーのお偉いさんたちは、恐らくこれで矛盾を下に押し付けたつもりでいるのでしょうが、それが更に回りまわって、再び自分たちの所にしっぺ返しとなって返ってきている事に、全然気付いていない様は、もう漫画的という他ありません。
何故私が、職場の労働強化の問題を取り上げるに当たって、参議院選挙(7月11日付記事など)や中国の労働問題(同23日付記事)まで話題を広げているか、お分かりになるだろうか。それは、職場で今起こっている事を、単に職場だけの狭い視野で捉えている限り、「愚痴」や「妬み嫉み」にしかならないからだ。それだけなら何の意味もないし、わざわざブログで取り上げる意味もない。そうではなく、今職場で起こっている労働強化も、世に中の動きや社会的関係で捉えない限り、解決の展望など見えてこないからだ。
或いは人によっては、この私のやっている事を、単なる「左翼の宣伝」と捉えている向きもあるかも知れない。確かに私自身が左翼なので、左翼的な見方から捉えた記事が多いのは否めない。但し、私自身はこれで何かの宣伝をする気は毛頭ない。私がこの「職場人権レポート」関連記事の中で言いたい事は唯一つ、それは「いい加減、奴隷根性から抜け出せよ!」という事に尽きる。自分たちが、時の政府やマスコミによって好い様に飼いならされ、その事にすら気付かないでいる限り、たとえ政権与党が自民党から民主党に、もっと極端に言えば共産党に変わっても、私たちが奴隷の境遇から抜け出す事は出来ない。
私たちが如何に飼いならされているか、その最も極端な実例を今から提示する。これは確かに極端な例かも知れないが、決して自分とは無縁の話だとは、斯く言う私自身も含めて、誰にも断言出来ない筈だ。
それは、過去記事「教育再生会議が理想とするのはこんな”実直”な若者だろう」で取り上げたN君のケースだ。個人の尊厳にも関わる事なので、取り上げようかどうか迷ったが、いつかは触れなければいけない問題だと思うので、敢えてここで取り上げる事にする。
このN君というのは、派遣労働者から今の会社に直接雇用されるようになったバイトだったが、やっぱり使い物にならなくて、最後には早退・病欠・無断欠勤を何回か繰り返した末に辞めていった。
何故使い物にならなかったというと、大の大人でありながら小学校で習うような算数の計算も出来ないとか、具体的には色々あるのだが、一番の問題が他人依存癖だった。計算が出来ないなら出来ないなりに、誰かに教えてもらうなり自分で覚えようとするならまだしも、そうではなく、「計算が出来なくてもレジで計算してくれるから別にいいやん」で済ますような所が多分にあった。だから仕事の手順を教えても、なかなか自分で覚えようとはせずに、直ぐに他人に頼ろうとするので、仕事もなかなか覚えられないという悪循環に陥っていた。
子どものときからずっとその調子で来た結果、大人なら勉強の出来不出来に関わらず誰でも当然持ち合わせている筈の認識力が全然育っていなかった。先の「レジで計算してくれるから」云々もその現れだし、その他にも、「CO2=二酸化炭素」程度の基礎知識もないまま平気で危険物取扱主任者の試験を受けてみたり、前述の過去記事にもあるように一週間只働きさせられても抗議一つせず後でぶつぶつ文句言うだけだったり等々、色々あった。
しかし、そんなN君でも一応会話は普通に出来るので、最初はなかなかそこまでは見抜けず、どこか変だと思いながらも、一応本人にも出来る仕事を割り振ってきた。休憩時間の雑談でたまに選挙の話題が出て、N君が他の誰かの意見に歩調を合わせる形で「自民党はもうダメだね」と言っておきながら、翌日になると「自民党でええやん」と僅か一日で正反対の事を言い、俺は「なんやこいつ」と訝しく思っても、それ以上に深く追及しようとはしなかった。
それで何とかやってきたが、それまでの自堕落・不摂生な生活がたたり、とうとう持病の高血圧・高コリステロールが昂じて辞めざるを得なくなった。従来からも身長175センチに対して体重88キロと太り気味だったにも関わらず、間食癖が最後まで抜けなかったのだ。昼食の弁当を食べた後も菓子パン・ケーキ類やレトルトの麺類を頬張っていたので、私などが米国人の肥満やジャンク・フードの事例も挙げて、「間食を止めろ」「どうしても止められなくても、せめてソイジョイなどのダイエット食品で我慢しろ」と幾ら口を酸っぱくして言っても聞かなかった。
以上が、N君が退職に至った経過だが、これは果たしてN君だけの特殊事例なのだろうか。私は決してそうは思わない。何故なら、N君は他の人よりも程度が酷いというだけで、N君以外のバイトも、食生活や生活態度は似たり寄ったりだからだ。それは、毎日の昼食でみんなが好んで食べているものを見れば一目瞭然だ。大抵「カップラーメンとお握り」や「コンビニ弁当」で済ませているではないか。
その理由は、かつかつの生活の中で食費を浮かすためであったり、出勤時間が早朝で買える物が限られていたりと、致し方ない部分も確かにある。でも、そういう人も、一度は自分の買っている商品の原材料表示を見てみる事をお勧めする。そうすれば、タルタルソースてんこ盛りのコンビニ弁当一食で千キロカロリー以上も摂取していたり、メガカップ麺一個で塩分を10グラム近くも摂取している事が、改めてお分かりになるだろう。そんな食生活を何年も続けていたら、誰がN君みたいになっても不思議ではない。濃い味付けに慣れてしまったり、間食が当たり前になってしまったりも当然するだろう。
食品メーカーは、そんな事はとうに計算ずくの上で、何十年もかけて、国民の嗜好や食生活をメーカー好みのものに変えてきたのだ。そうして国民の胃袋を支配してきたのだ。
その典型的な例が学校給食であり、マクドナルドのハンバーガーなのだ。米国が自国産の小麦を通して日本国民の胃袋を支配する為に、減反政策と抱き合わせでパン食普及キャンペーンを学校給食を通してやって来たのは、余りにも有名な話だ。その為に食品添加物の使用規制も緩められてきた。嘘だと思うなら、例えば「Zリスト」「ポジティブ・リスト、ネガティブ・リスト」「コーデックス規格」や「遺伝子組換え作物」「WTO」「アグリビジネス」などのキーワードでネット検索をかけてみたら良い。あるいは映画「スーパーサイズ・ミー」を観てみるのも良いだろう。今まで知らなかった事実が一杯出てくる筈だ。
スーパーサイズ・ミー (日本語吹き替え版) 1/13
以上は、食生活を取り上げてのホンの一例だが、政府やマスコミによる「国民飼いならし」「愚民化政策」の典型例だ。みんなが職場の労働強化に怒っても具体的にどうすれば良いか分からないのも、労働基準法や労働者の権利について、上辺だけサラッとアリバイ的にしか教えられていないからだ。読者のまことさんが4つ前の記事のコメント欄で紹介していたスウェーデンの社会科教科書のように、「実際に不当解雇に遭った場合は、法律をどう活用すれば良いか、どの窓口に駆け込めば良いか」というように具体的に分かりやすい形で教えられていたら、ここまで労働強化が蔓延る事は無かった筈だ。
何故、政府・文科省が、丸暗記や受験学力アップには血眼になっても、国民自身に自分で考える力を付けさせたり、問題解決に役立つような「生きた学力」を育てたりは一切して来なかったのか。それは、ごく一握りの「勝ち組」を除き、それ以外の圧倒的多数の国民については、いつまでもずっと、政府に言いなりでマスコミの情報操作に簡単に踊らされる、「物を考えない奴隷」のままにしておきたいからだ。N君流に言うなら「(自分は)アホなままでも国(政府・企業・誰か偉い人)が何とかしてくれるから別にいいやん」となるのだろうか。
そういう意味では、N君のケースはいささか極端な例ではあるが、決してN君だけに限った特殊事例ではない。いつ誰がN君のようになっても(されても)おかしくはないのだ。
或いは人によっては、この私のやっている事を、単なる「左翼の宣伝」と捉えている向きもあるかも知れない。確かに私自身が左翼なので、左翼的な見方から捉えた記事が多いのは否めない。但し、私自身はこれで何かの宣伝をする気は毛頭ない。私がこの「職場人権レポート」関連記事の中で言いたい事は唯一つ、それは「いい加減、奴隷根性から抜け出せよ!」という事に尽きる。自分たちが、時の政府やマスコミによって好い様に飼いならされ、その事にすら気付かないでいる限り、たとえ政権与党が自民党から民主党に、もっと極端に言えば共産党に変わっても、私たちが奴隷の境遇から抜け出す事は出来ない。
私たちが如何に飼いならされているか、その最も極端な実例を今から提示する。これは確かに極端な例かも知れないが、決して自分とは無縁の話だとは、斯く言う私自身も含めて、誰にも断言出来ない筈だ。
それは、過去記事「教育再生会議が理想とするのはこんな”実直”な若者だろう」で取り上げたN君のケースだ。個人の尊厳にも関わる事なので、取り上げようかどうか迷ったが、いつかは触れなければいけない問題だと思うので、敢えてここで取り上げる事にする。
このN君というのは、派遣労働者から今の会社に直接雇用されるようになったバイトだったが、やっぱり使い物にならなくて、最後には早退・病欠・無断欠勤を何回か繰り返した末に辞めていった。
何故使い物にならなかったというと、大の大人でありながら小学校で習うような算数の計算も出来ないとか、具体的には色々あるのだが、一番の問題が他人依存癖だった。計算が出来ないなら出来ないなりに、誰かに教えてもらうなり自分で覚えようとするならまだしも、そうではなく、「計算が出来なくてもレジで計算してくれるから別にいいやん」で済ますような所が多分にあった。だから仕事の手順を教えても、なかなか自分で覚えようとはせずに、直ぐに他人に頼ろうとするので、仕事もなかなか覚えられないという悪循環に陥っていた。
子どものときからずっとその調子で来た結果、大人なら勉強の出来不出来に関わらず誰でも当然持ち合わせている筈の認識力が全然育っていなかった。先の「レジで計算してくれるから」云々もその現れだし、その他にも、「CO2=二酸化炭素」程度の基礎知識もないまま平気で危険物取扱主任者の試験を受けてみたり、前述の過去記事にもあるように一週間只働きさせられても抗議一つせず後でぶつぶつ文句言うだけだったり等々、色々あった。
しかし、そんなN君でも一応会話は普通に出来るので、最初はなかなかそこまでは見抜けず、どこか変だと思いながらも、一応本人にも出来る仕事を割り振ってきた。休憩時間の雑談でたまに選挙の話題が出て、N君が他の誰かの意見に歩調を合わせる形で「自民党はもうダメだね」と言っておきながら、翌日になると「自民党でええやん」と僅か一日で正反対の事を言い、俺は「なんやこいつ」と訝しく思っても、それ以上に深く追及しようとはしなかった。
それで何とかやってきたが、それまでの自堕落・不摂生な生活がたたり、とうとう持病の高血圧・高コリステロールが昂じて辞めざるを得なくなった。従来からも身長175センチに対して体重88キロと太り気味だったにも関わらず、間食癖が最後まで抜けなかったのだ。昼食の弁当を食べた後も菓子パン・ケーキ類やレトルトの麺類を頬張っていたので、私などが米国人の肥満やジャンク・フードの事例も挙げて、「間食を止めろ」「どうしても止められなくても、せめてソイジョイなどのダイエット食品で我慢しろ」と幾ら口を酸っぱくして言っても聞かなかった。
以上が、N君が退職に至った経過だが、これは果たしてN君だけの特殊事例なのだろうか。私は決してそうは思わない。何故なら、N君は他の人よりも程度が酷いというだけで、N君以外のバイトも、食生活や生活態度は似たり寄ったりだからだ。それは、毎日の昼食でみんなが好んで食べているものを見れば一目瞭然だ。大抵「カップラーメンとお握り」や「コンビニ弁当」で済ませているではないか。
その理由は、かつかつの生活の中で食費を浮かすためであったり、出勤時間が早朝で買える物が限られていたりと、致し方ない部分も確かにある。でも、そういう人も、一度は自分の買っている商品の原材料表示を見てみる事をお勧めする。そうすれば、タルタルソースてんこ盛りのコンビニ弁当一食で千キロカロリー以上も摂取していたり、メガカップ麺一個で塩分を10グラム近くも摂取している事が、改めてお分かりになるだろう。そんな食生活を何年も続けていたら、誰がN君みたいになっても不思議ではない。濃い味付けに慣れてしまったり、間食が当たり前になってしまったりも当然するだろう。
食品メーカーは、そんな事はとうに計算ずくの上で、何十年もかけて、国民の嗜好や食生活をメーカー好みのものに変えてきたのだ。そうして国民の胃袋を支配してきたのだ。
その典型的な例が学校給食であり、マクドナルドのハンバーガーなのだ。米国が自国産の小麦を通して日本国民の胃袋を支配する為に、減反政策と抱き合わせでパン食普及キャンペーンを学校給食を通してやって来たのは、余りにも有名な話だ。その為に食品添加物の使用規制も緩められてきた。嘘だと思うなら、例えば「Zリスト」「ポジティブ・リスト、ネガティブ・リスト」「コーデックス規格」や「遺伝子組換え作物」「WTO」「アグリビジネス」などのキーワードでネット検索をかけてみたら良い。あるいは映画「スーパーサイズ・ミー」を観てみるのも良いだろう。今まで知らなかった事実が一杯出てくる筈だ。
スーパーサイズ・ミー (日本語吹き替え版) 1/13
以上は、食生活を取り上げてのホンの一例だが、政府やマスコミによる「国民飼いならし」「愚民化政策」の典型例だ。みんなが職場の労働強化に怒っても具体的にどうすれば良いか分からないのも、労働基準法や労働者の権利について、上辺だけサラッとアリバイ的にしか教えられていないからだ。読者のまことさんが4つ前の記事のコメント欄で紹介していたスウェーデンの社会科教科書のように、「実際に不当解雇に遭った場合は、法律をどう活用すれば良いか、どの窓口に駆け込めば良いか」というように具体的に分かりやすい形で教えられていたら、ここまで労働強化が蔓延る事は無かった筈だ。
何故、政府・文科省が、丸暗記や受験学力アップには血眼になっても、国民自身に自分で考える力を付けさせたり、問題解決に役立つような「生きた学力」を育てたりは一切して来なかったのか。それは、ごく一握りの「勝ち組」を除き、それ以外の圧倒的多数の国民については、いつまでもずっと、政府に言いなりでマスコミの情報操作に簡単に踊らされる、「物を考えない奴隷」のままにしておきたいからだ。N君流に言うなら「(自分は)アホなままでも国(政府・企業・誰か偉い人)が何とかしてくれるから別にいいやん」となるのだろうか。
そういう意味では、N君のケースはいささか極端な例ではあるが、決してN君だけに限った特殊事例ではない。いつ誰がN君のようになっても(されても)おかしくはないのだ。
ある農民工の告発
7月22日放送のNHK「クローズアップ現代」で、中国の労働者ストの事を取り上げていた。現在、中国各地で労働者のストが頻発しているが、番組によると、そのストを主導しているのは、中国の新しい世代の農民工なのだそうだ。従来の農民工が、文字通り地方からの出稼ぎ農民で、農繁期には帰郷していたのに対し、この「新世代農民工」は、元々農民ですらない。ただ単に地方から職を求めて都会に出て来た若者で、いわば日本の派遣労働者に近い存在だ。
この新世代農民工は、旧世代とは違い教育水準も高い。その彼らが、パソコンや携帯を駆使して海外からの情報を入手し、政府の情報統制をかいくぐって、各地の労働者と連携を取り合い、続々とストに立ち上がっているのだ。もはや中国政府も、労働者のストを完全に弾圧する事など出来なくなっている。確かに中国は今も昔も共産党独裁で、民主化運動やチベット・ウイグル独立運動のサイトへのアクセスも依然として規制されている。しかし、それでも海外からの情報は容赦なく入ってくる。数十年来の改革開放政策によって、世界経済と完全に結びついた今の中国では、昔のような情報鎖国なぞ、もはや不可能なのだ。
それに加えて、中国経済の高度成長や内陸部の開発進展により、沿岸部で特に顕著になっている人手不足や、労働契約法施行による権利意識の向上も、新世代農民工にとっては追い風となっている。「国全体の経済が拡大する中で、何故自分たちだけが、いつまでも貧しいまま、長時間・低賃金労働に縛り付けられていなければならないのか?」と、怒りをたぎらせているのだ。
6月16日付ニューズウィーク日本版「暴発する中国」特集号でも、台湾系資本「富士康」のiPad請負工場で起こった従業員の連続自殺事件や、ホンダ部品工場でのストが取り上げられている。そこでは、外資系企業による表向きの広告とは裏腹に、月額僅か300ドルほどの低賃金で、1日12時間労働に駆り立てられている組立ライン工や、1工程僅か7秒間の超スピードで、デルのコンピューター製造に追われる「富士康」の過酷な労働実態が語られている。
中国にもなるほど工会(労働組合)はある。しかし、かつて中国革命の一翼を担った伝統あるこの労組全国組織(中華全国総工会)も、今や完全な共産党政府の走狗に成り下がってしまった。中国の労働者は、もはやこんな官製労組には何の期待も寄せていない。今回の労働者ストも、官製労組の与り知らぬ所で、山猫スト(自然発生的な非合法スト)・職場放棄の形で始まったものだ。
それでもストが一旦開始されれば、教育水準も高く海外事情にも通じた彼らは、貧困・劣悪な労働条件を物ともせずに、近隣や各地の労働者とも連携し合いながら、したたかに闘いを進め、要求を着実に勝ち取ってきた。
共産党独裁の下で、御用組合以外は一切認められない中でも、これだけの闘いが展開できるのだ。面従腹背で職場の現状に不満を持ちながらも、上には一切何も言えずに、仲間内で傷口を舐めあうか罵りあうか、アキバやマツダの事件で暴発するしかない、日本の多くの非正規労働現場の様子とは、雲泥の差ではないか!
その違いは一体どこから来るのか。それは何と言っても、中国が経済のインフレ(成長)基調にある中での、貧困に打ち捨てられた新世代農民工たちの、格差に対する怒りだろう。少なくとも彼らには、格差が目に見えているのだ。それに加えて、実際の闘争経験を通して、勝利や敗北の実感を得ている事が大きい。「実際に闘ってみてどうだったか?」「何故勝てたのか?何故負けたのか?」「次に繋げるためにはどうしたら良いか?」という事を、日々自問しているのだ。
それが、経済がデフレ(縮小)基調にある中での、闘わなくなって(闘えなくなって)久しい、同じく貧困に打ち捨てられた日本の非正規労働者との大きな違いだろう。日本の貧困層は「不景気だから仕方が無い」と思い込まされているのだ。実際は、大企業は、デフレ基調の中でも、非正規・不安定労働への置き換えと下請け叩きや賃金ダンピングによって、法外な利益を得ているにも関わらず。
闘わなければ、勝利や敗北の実感も湧かず、次の展望も見えてこない。逆に要求貫徹の意志さえ固まれば、具体的な闘争戦術は自ずと浮かんでくる。例えば冒頭のユーチューブ動画「ある農民工の告発」の中にもあるように、実際にタイムカードを押さえる事で、労働時間の偽造も見破られるようになる。そこでは、私が給料支給額照らし合わせの為に毎月行っている就労時間の記録取りを、タイムカード撮影という、更に徹底した形で行っていた。
それに対して、中国労働者の決起を反日暴動の延長で捉え、恰も日本の労働者に敵対するものであるかのように描く者がいる。日本の財界や外国人排斥を唱える右翼たちだ。先述のNHK番組の中でも、パナソニックの中国現地法人関係者は、「悪夢の様なスト」への慄きを隠そうともせず、「如何にそれを未然に抑えるか」という発言に終始していた。
表向きは中国の共産党独裁を非難し民主化を要求しておきながら、実際に労働者が民主化に立ち上がり始めた途端に、踵を返すように反日だと貶める。正にダブル・スタンダード(二枚舌)と言う他ない。それは、「社会主義国」の外見に惑わされて中国の人権弾圧に及び腰の、旧左翼(共産党・社民党)や体制保守(自民党)によるダブル・スタンダードの、ちょうど裏返しでしかない。
しかし、彼ら中国の労働者は、本来、反日でもなければ日本の労働者の敵でもない。19世紀の「義和団の乱」の叛徒のように、西洋人排斥を唱えている訳でもない。「自分たちを人間扱いしてくれ」「途上国や貧民の犠牲の上に、先進国や富裕層だけが潤う不公平を改めてくれ」と言っているのに過ぎないのだ。自分たち日本のワーキングプアと、同じ要求を掲げているに過ぎないのだ。それを「反日」に押しやるか「国際連帯」に転化させるかは、偏に我々の姿勢にかかっている。
確かに、今回ストに決起した新世代農民工と言えども完全無欠の存在ではない。ひょっとしたら、反日暴動を主導した「糞青」と呼ばれる若者も加わっていたかも知れない。しかし、そんな事を言い出せば、「朝鮮・シナ人排斥」を唱える日本のネットウヨクも同じだ。それで、同じ貧乏人同士がいがみ合って、得をするのは一体誰か、よく考えるが良い。
そんな心配をしている暇があるなら、このストの進歩性にもっと注目すべきだろう。アキバやマツダで暴発するしかない日本の多くの若者よりは、よっぽど前向きではないか。政府・財界・右翼による反日脅威論に絡み取られている限り、奴隷状態からの脱却なぞ到底不可能だ。中国を初め全世界の労働者の闘いと連帯してこそ、初めて自らの解放も勝ち取る事が出来るのだ。
(関連情報)
・「もはや待てない」 中国の新世代農民工、国家の安定に挑戦=全国労組連合報告(大紀元)
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/06/html/d94320.html
・中国工場での賃上げストライキは何故起こったのか~労働争議報道から考えること~(大和総研)
http://www.dir.co.jp/souken/consulting/researcher/insite/100716.html
・「「工場労働者の反乱」で中国経済の漂流が始まる」(晴耕雨読)
http://sun.ap.teacup.com/souun/2921.html
(追記)
G20 Protest The Real Battle of Toronto
(注)これは今年6月にカナダのトロントで開催されたG20(拡大先進国首脳会議)に反対する市民団体のデモの動画である。従来の日・米・欧によるG8に加え、中国・インド・ブラジルなどもG20として参加している。それら先進国や多国籍資本の搾取に抗議するデモだ。中国の侵略に抗議するチベット人の姿も見える。日本の保守的市民からすると過激に見えるかも知れないが、欧米ではこれがごく当たり前のデモの姿なのだ。
7月22日放送のNHK「クローズアップ現代」で、中国の労働者ストの事を取り上げていた。現在、中国各地で労働者のストが頻発しているが、番組によると、そのストを主導しているのは、中国の新しい世代の農民工なのだそうだ。従来の農民工が、文字通り地方からの出稼ぎ農民で、農繁期には帰郷していたのに対し、この「新世代農民工」は、元々農民ですらない。ただ単に地方から職を求めて都会に出て来た若者で、いわば日本の派遣労働者に近い存在だ。
この新世代農民工は、旧世代とは違い教育水準も高い。その彼らが、パソコンや携帯を駆使して海外からの情報を入手し、政府の情報統制をかいくぐって、各地の労働者と連携を取り合い、続々とストに立ち上がっているのだ。もはや中国政府も、労働者のストを完全に弾圧する事など出来なくなっている。確かに中国は今も昔も共産党独裁で、民主化運動やチベット・ウイグル独立運動のサイトへのアクセスも依然として規制されている。しかし、それでも海外からの情報は容赦なく入ってくる。数十年来の改革開放政策によって、世界経済と完全に結びついた今の中国では、昔のような情報鎖国なぞ、もはや不可能なのだ。
それに加えて、中国経済の高度成長や内陸部の開発進展により、沿岸部で特に顕著になっている人手不足や、労働契約法施行による権利意識の向上も、新世代農民工にとっては追い風となっている。「国全体の経済が拡大する中で、何故自分たちだけが、いつまでも貧しいまま、長時間・低賃金労働に縛り付けられていなければならないのか?」と、怒りをたぎらせているのだ。
6月16日付ニューズウィーク日本版「暴発する中国」特集号でも、台湾系資本「富士康」のiPad請負工場で起こった従業員の連続自殺事件や、ホンダ部品工場でのストが取り上げられている。そこでは、外資系企業による表向きの広告とは裏腹に、月額僅か300ドルほどの低賃金で、1日12時間労働に駆り立てられている組立ライン工や、1工程僅か7秒間の超スピードで、デルのコンピューター製造に追われる「富士康」の過酷な労働実態が語られている。
中国にもなるほど工会(労働組合)はある。しかし、かつて中国革命の一翼を担った伝統あるこの労組全国組織(中華全国総工会)も、今や完全な共産党政府の走狗に成り下がってしまった。中国の労働者は、もはやこんな官製労組には何の期待も寄せていない。今回の労働者ストも、官製労組の与り知らぬ所で、山猫スト(自然発生的な非合法スト)・職場放棄の形で始まったものだ。
それでもストが一旦開始されれば、教育水準も高く海外事情にも通じた彼らは、貧困・劣悪な労働条件を物ともせずに、近隣や各地の労働者とも連携し合いながら、したたかに闘いを進め、要求を着実に勝ち取ってきた。
共産党独裁の下で、御用組合以外は一切認められない中でも、これだけの闘いが展開できるのだ。面従腹背で職場の現状に不満を持ちながらも、上には一切何も言えずに、仲間内で傷口を舐めあうか罵りあうか、アキバやマツダの事件で暴発するしかない、日本の多くの非正規労働現場の様子とは、雲泥の差ではないか!
その違いは一体どこから来るのか。それは何と言っても、中国が経済のインフレ(成長)基調にある中での、貧困に打ち捨てられた新世代農民工たちの、格差に対する怒りだろう。少なくとも彼らには、格差が目に見えているのだ。それに加えて、実際の闘争経験を通して、勝利や敗北の実感を得ている事が大きい。「実際に闘ってみてどうだったか?」「何故勝てたのか?何故負けたのか?」「次に繋げるためにはどうしたら良いか?」という事を、日々自問しているのだ。
それが、経済がデフレ(縮小)基調にある中での、闘わなくなって(闘えなくなって)久しい、同じく貧困に打ち捨てられた日本の非正規労働者との大きな違いだろう。日本の貧困層は「不景気だから仕方が無い」と思い込まされているのだ。実際は、大企業は、デフレ基調の中でも、非正規・不安定労働への置き換えと下請け叩きや賃金ダンピングによって、法外な利益を得ているにも関わらず。
闘わなければ、勝利や敗北の実感も湧かず、次の展望も見えてこない。逆に要求貫徹の意志さえ固まれば、具体的な闘争戦術は自ずと浮かんでくる。例えば冒頭のユーチューブ動画「ある農民工の告発」の中にもあるように、実際にタイムカードを押さえる事で、労働時間の偽造も見破られるようになる。そこでは、私が給料支給額照らし合わせの為に毎月行っている就労時間の記録取りを、タイムカード撮影という、更に徹底した形で行っていた。
それに対して、中国労働者の決起を反日暴動の延長で捉え、恰も日本の労働者に敵対するものであるかのように描く者がいる。日本の財界や外国人排斥を唱える右翼たちだ。先述のNHK番組の中でも、パナソニックの中国現地法人関係者は、「悪夢の様なスト」への慄きを隠そうともせず、「如何にそれを未然に抑えるか」という発言に終始していた。
表向きは中国の共産党独裁を非難し民主化を要求しておきながら、実際に労働者が民主化に立ち上がり始めた途端に、踵を返すように反日だと貶める。正にダブル・スタンダード(二枚舌)と言う他ない。それは、「社会主義国」の外見に惑わされて中国の人権弾圧に及び腰の、旧左翼(共産党・社民党)や体制保守(自民党)によるダブル・スタンダードの、ちょうど裏返しでしかない。
しかし、彼ら中国の労働者は、本来、反日でもなければ日本の労働者の敵でもない。19世紀の「義和団の乱」の叛徒のように、西洋人排斥を唱えている訳でもない。「自分たちを人間扱いしてくれ」「途上国や貧民の犠牲の上に、先進国や富裕層だけが潤う不公平を改めてくれ」と言っているのに過ぎないのだ。自分たち日本のワーキングプアと、同じ要求を掲げているに過ぎないのだ。それを「反日」に押しやるか「国際連帯」に転化させるかは、偏に我々の姿勢にかかっている。
確かに、今回ストに決起した新世代農民工と言えども完全無欠の存在ではない。ひょっとしたら、反日暴動を主導した「糞青」と呼ばれる若者も加わっていたかも知れない。しかし、そんな事を言い出せば、「朝鮮・シナ人排斥」を唱える日本のネットウヨクも同じだ。それで、同じ貧乏人同士がいがみ合って、得をするのは一体誰か、よく考えるが良い。
そんな心配をしている暇があるなら、このストの進歩性にもっと注目すべきだろう。アキバやマツダで暴発するしかない日本の多くの若者よりは、よっぽど前向きではないか。政府・財界・右翼による反日脅威論に絡み取られている限り、奴隷状態からの脱却なぞ到底不可能だ。中国を初め全世界の労働者の闘いと連帯してこそ、初めて自らの解放も勝ち取る事が出来るのだ。
(関連情報)
・「もはや待てない」 中国の新世代農民工、国家の安定に挑戦=全国労組連合報告(大紀元)
http://www.epochtimes.jp/jp/2010/06/html/d94320.html
・中国工場での賃上げストライキは何故起こったのか~労働争議報道から考えること~(大和総研)
http://www.dir.co.jp/souken/consulting/researcher/insite/100716.html
・「「工場労働者の反乱」で中国経済の漂流が始まる」(晴耕雨読)
http://sun.ap.teacup.com/souun/2921.html
(追記)
G20 Protest The Real Battle of Toronto
(注)これは今年6月にカナダのトロントで開催されたG20(拡大先進国首脳会議)に反対する市民団体のデモの動画である。従来の日・米・欧によるG8に加え、中国・インド・ブラジルなどもG20として参加している。それら先進国や多国籍資本の搾取に抗議するデモだ。中国の侵略に抗議するチベット人の姿も見える。日本の保守的市民からすると過激に見えるかも知れないが、欧米ではこれがごく当たり前のデモの姿なのだ。
今回は、遅くなりましたが、参院選の結果について思う所を書きます。
消費税増税を唱えた与党民主党が後退したものの、批判票が反消費税の共産・社民両党にではなく、元々消費税容認派だったにも関わらず今回「他にやる事があるだろう」と唱えた「みんなの党」に流れてしまいました。そして、議席の過半数を占める地方の一人区では、自民党が民主党の敵失によって復調を遂げる事になってしまいました。その結果、本来「大衆増税反対」だった投票行動が、逆に「大衆増税・金持ち減税」派の自民党や「みんなの党」の復調・躍進をもたらすという、「ねじれ」が生じてしまいました。
選挙期間中、非党員ながらボランティアとして共産党の法定ビラをまいていた私も、選挙終盤戦になってようやく、「このビラの内容では、ひょっとしたら負けるかも知れないなあ」と思い始めていたのですが、気付いた時には既に遅しで、やはり危惧した結果になってしまいました。
この選挙結果を受けて、既に何人かのリアル知人とも意見交換をしたのですが、無党派の方も含め、「みんなの党」が新自由主義(弱肉強食資本主義)の党だと知っている方の多くは、やはり「選挙民は道を誤った」「自分で自分の首を絞める事になってしまった」という意見が大勢でした。
しかし、今の日本で、こんな争点で選挙をやったら、こんな結果にしかならないであろう事は、今までの例からも充分推測出来たと思います。7月15日付記事でも書いたように、自己責任に絡み取られて「過労死に抗議するよりも自殺する方を選ぶ」奴隷根性のこの国では、「搾取に怒る」よりも「まだ搾取されてない人を妬む」人の方が多い訳ですから、大企業減税や米軍への思いやり予算には何も言わずに公務員叩きにだけ精を出す「みんなの党」が躍進するのは、ある意味、必然だったとも言えるのではないでしょうか。
実際、今の自分の職場の状況に置き換えれば、今回現れた投票行動の「ねじれ」も、あながち不可思議な現象ではありません。私の職場では、スーパーの物流業務を孫請けの会社が請負っている訳ですが、元請や一次下請による単価の買い叩きや賃金ピンハネを、孫請けの労働者自身も分かっていながら、職場の不満が直接上に行く事は殆ど無く、大抵は同じ孫請けの同僚間の対立にすりかえられてしまうでしょう。
これを今の政党配置に置き換えるとよく分かります。元請などの搾取やピンハネを批判する「共産・社民」よりも、「バイトの誰それや社員は俺よりも楽しやがって」と批判する「みんなの党」の方が、孫請けの労働者にとってはある意味自然なのです。たとえ頭の中では、根本的には「ピンハネをなくすしかない」と分かっていても、それは困難だし下手すれば「お飯の食い上げ」にもなりかねない、それよりも「目先の敵」を叩く方が、遥かに手っ取り早いですから。
それに対して共産・社民両党は、正論での批判のみに力を入れてきたのです。確かに、「ピンハネ搾取こそが諸悪の元凶だ」というのは「正論」ですが、それを幾ら言った所で、「お飯の食い上げ」にしかならないのでは、誰もついて来ません。ここで本来、共産・社民がすべきなのは、「正論」宣伝に力を入れると同時に、「お飯の確保」にも充分関心を払う事なのです。そうしてこそ初めて、「正論」が説得力を持つのです。
また、私が7月9日付記事でも書いたように、日本人は「新自由主義を無自覚に受け入れてしまっている所がある」。つまり、人権の歴史がまだまだ浅く、市民革命の経験の無い日本では、国民は搾取や悪政に抵抗するよりも、「妬み差別」に走ったり、「偉い人のお慈悲」にすがろうとする傾向があります。自らがストやデモに立ち上がるよりも、ひたすら「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」「坂本龍馬」の出現を待ち焦がれる。
だから、石原慎太郎や橋下徹みたいな輩が、のさばり返るのです。そして、総選挙直前までズブズブの自民党幹部で、自身も世襲議員でしかなく、官僚天下りを規制せず合法化(人材バンク設置)した渡辺喜美(みんなの党・党首)も、一夜にして「アンチ自民・アンチ民主」の「第三極」に豹変する事が出来るのです。
そこを共産党は甘く見過ぎたのではないか。今回の参院選での法定ビラや街頭演説の内容を見ても、それが如実に現れているのではないでしょうか。言っている事は正しいが、それはあくまで正論でしか無かった。言っている事は決して間違いではない。だから一定の支持層は獲得できる。しかし説得力が伴わないので決して支持が広がらない。次第に一進一退の繰り返しとなる。
実はこの一進一退の時期が非常に重要なのです。企業の業績でもそうでしょう。創業後ある程度の所まではシェアは伸びるが、一定の所で足踏み状態となる。そこで体質転換できればまた伸びていくが、転換出来なければ衰退していく。共産党は、今正にその「剣が峰」に差し掛かっているのではないか。
確かに、今までは「確かな野党」の独自路線でやって来れました。しかし、今後も「我が道を行く」だけでは、今の大政党有利の小選挙区制の下では、泡沫政党として衰退・消滅するしかないでしょう。勢いのある「勝ち馬=みんなの党」にすがる方が、遥かに楽なのだから。しかし、果たしてそれで良いのでしょうか。「妬み差別」で劣情を煽るだけの、こんな大衆迎合の新自由主義の党に、ひれ伏すしかないのでしょうか。
そうではないでしょう。説得力さえ得られれば、言っている事はしごく正論なのですから、必ず支持を得られる筈です。民営化・自由化・規制緩和による「小さな政府」を主張する「みんなの党」が、結局は福祉削減・弱者切捨て・「搾取の自由」擁護の「弱肉強食」党でしかなく、その矛盾を一番弱い「下請け・労働者」や「貧しい開発途上国・第三世界の人々」に押し付け、自分たちは見て見ぬ振りしながら「貧しいのはお前らが悪い」と嘯くデマゴギーでしかない事は、既に見てきました。
ここで一つの事例を挙げます。新自由主義が世界で猛威を振るっている中で、それに抗い逆に攻勢に打って出ているのが、主にフランス・ドイツやギリシャ、中南米などの国々の人々です。これらの国々は、確かに日本とは政情が大きく異なります。なるほど、日本には、フランス革命や軍事独裁を倒したギリシャのような歴史はありません。また、長年に渡るアメリカ帝国主義や封建地主・財閥・軍部による独裁政治の下で、新自由主義が弱肉強食でしかない事を、民衆が理屈ではなく身を以って理解している中南米とも異なります。しかし、その違いを踏まえても、それら諸国における闘い方から学ぶべき点も、多々あるのではないでしょうか。
それは「数は力」という事です。これらの国々では、左翼諸党がともに小異を捨てて大同団結する事で、小選挙区制の下でも過半数の支持獲得に成功してきました。それがフランス人民戦線の伝統や、ドイツや中南米における左派合同の教訓です。日本では、米軍基地の重圧に苦しめられている今の沖縄が、差し詰め中南米に相当します。
現に沖縄県では、選挙区こそ自民党の当選を許したものの、比例区では普天間問題で連立離脱した社民党が、12万余票を獲得して(得票率22.7%)、比例第一党に躍進しました(時事通信記事参照)。「みんなの党」なんてハナからお呼びではないのです。そして、民主党はおろか自民・公明ですらも、県連レベルでは基地の「県内たらい回し」(普天間基地の辺野古移設)に反対しているのです。そう言わなければ選挙で勝てないから。
以上は一つの事例ですが、如何に強大な敵であろうとも、決して打ち破れない事はないのです。本当に打ち破る気さえあれば。それを、今までの狭い経験に囚われて、今までの同じ様な発想や闘い方に終始しているから、打ち破れないだけなのです。小康に甘んじる事しか考えていないから、今までの発想から抜け出せず、新自由主義や「みんなの党」に対しても、こんな甘い見方しか出来なかったのではないでしょうか。
(参考資料) 第22回参院選党派別当選者数(注:公示前勢力は欠員1)
党派名 当選者 選挙区 比例区 改選数 非改選 新勢力 公示前 増減
民主党 44 28 16 54 62 106 116 -10
自民党 51 39 12 38 33 84 71 +13
公明党 9 3 6 11 10 19 21 - 2
共産党 3 0 3 4 3 6 7 - 1
国民新 0 0 0 3 3 3 6 - 3
新改革 1 0 1 5 1 2 6 - 4
社民党 2 0 2 3 2 4 5 - 1
たち日 1 0 1 1 2 3 3 ± 0
みんな 10 3 7 0 1 11 1 +10
諸 派 0 0 0 0 1 1 1 ± 0
無所属 0 0 0 1 3 3 4 - 1
合 計 121 73 48 120 121 242 241 + 1
略称名:国民新=国民新党、新改革=新党改革、たち日=たちあがれ日本、みんな=みんなの党
消費税増税を唱えた与党民主党が後退したものの、批判票が反消費税の共産・社民両党にではなく、元々消費税容認派だったにも関わらず今回「他にやる事があるだろう」と唱えた「みんなの党」に流れてしまいました。そして、議席の過半数を占める地方の一人区では、自民党が民主党の敵失によって復調を遂げる事になってしまいました。その結果、本来「大衆増税反対」だった投票行動が、逆に「大衆増税・金持ち減税」派の自民党や「みんなの党」の復調・躍進をもたらすという、「ねじれ」が生じてしまいました。
選挙期間中、非党員ながらボランティアとして共産党の法定ビラをまいていた私も、選挙終盤戦になってようやく、「このビラの内容では、ひょっとしたら負けるかも知れないなあ」と思い始めていたのですが、気付いた時には既に遅しで、やはり危惧した結果になってしまいました。
この選挙結果を受けて、既に何人かのリアル知人とも意見交換をしたのですが、無党派の方も含め、「みんなの党」が新自由主義(弱肉強食資本主義)の党だと知っている方の多くは、やはり「選挙民は道を誤った」「自分で自分の首を絞める事になってしまった」という意見が大勢でした。
しかし、今の日本で、こんな争点で選挙をやったら、こんな結果にしかならないであろう事は、今までの例からも充分推測出来たと思います。7月15日付記事でも書いたように、自己責任に絡み取られて「過労死に抗議するよりも自殺する方を選ぶ」奴隷根性のこの国では、「搾取に怒る」よりも「まだ搾取されてない人を妬む」人の方が多い訳ですから、大企業減税や米軍への思いやり予算には何も言わずに公務員叩きにだけ精を出す「みんなの党」が躍進するのは、ある意味、必然だったとも言えるのではないでしょうか。
実際、今の自分の職場の状況に置き換えれば、今回現れた投票行動の「ねじれ」も、あながち不可思議な現象ではありません。私の職場では、スーパーの物流業務を孫請けの会社が請負っている訳ですが、元請や一次下請による単価の買い叩きや賃金ピンハネを、孫請けの労働者自身も分かっていながら、職場の不満が直接上に行く事は殆ど無く、大抵は同じ孫請けの同僚間の対立にすりかえられてしまうでしょう。
これを今の政党配置に置き換えるとよく分かります。元請などの搾取やピンハネを批判する「共産・社民」よりも、「バイトの誰それや社員は俺よりも楽しやがって」と批判する「みんなの党」の方が、孫請けの労働者にとってはある意味自然なのです。たとえ頭の中では、根本的には「ピンハネをなくすしかない」と分かっていても、それは困難だし下手すれば「お飯の食い上げ」にもなりかねない、それよりも「目先の敵」を叩く方が、遥かに手っ取り早いですから。
それに対して共産・社民両党は、正論での批判のみに力を入れてきたのです。確かに、「ピンハネ搾取こそが諸悪の元凶だ」というのは「正論」ですが、それを幾ら言った所で、「お飯の食い上げ」にしかならないのでは、誰もついて来ません。ここで本来、共産・社民がすべきなのは、「正論」宣伝に力を入れると同時に、「お飯の確保」にも充分関心を払う事なのです。そうしてこそ初めて、「正論」が説得力を持つのです。
また、私が7月9日付記事でも書いたように、日本人は「新自由主義を無自覚に受け入れてしまっている所がある」。つまり、人権の歴史がまだまだ浅く、市民革命の経験の無い日本では、国民は搾取や悪政に抵抗するよりも、「妬み差別」に走ったり、「偉い人のお慈悲」にすがろうとする傾向があります。自らがストやデモに立ち上がるよりも、ひたすら「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」「坂本龍馬」の出現を待ち焦がれる。
だから、石原慎太郎や橋下徹みたいな輩が、のさばり返るのです。そして、総選挙直前までズブズブの自民党幹部で、自身も世襲議員でしかなく、官僚天下りを規制せず合法化(人材バンク設置)した渡辺喜美(みんなの党・党首)も、一夜にして「アンチ自民・アンチ民主」の「第三極」に豹変する事が出来るのです。
そこを共産党は甘く見過ぎたのではないか。今回の参院選での法定ビラや街頭演説の内容を見ても、それが如実に現れているのではないでしょうか。言っている事は正しいが、それはあくまで正論でしか無かった。言っている事は決して間違いではない。だから一定の支持層は獲得できる。しかし説得力が伴わないので決して支持が広がらない。次第に一進一退の繰り返しとなる。
実はこの一進一退の時期が非常に重要なのです。企業の業績でもそうでしょう。創業後ある程度の所まではシェアは伸びるが、一定の所で足踏み状態となる。そこで体質転換できればまた伸びていくが、転換出来なければ衰退していく。共産党は、今正にその「剣が峰」に差し掛かっているのではないか。
確かに、今までは「確かな野党」の独自路線でやって来れました。しかし、今後も「我が道を行く」だけでは、今の大政党有利の小選挙区制の下では、泡沫政党として衰退・消滅するしかないでしょう。勢いのある「勝ち馬=みんなの党」にすがる方が、遥かに楽なのだから。しかし、果たしてそれで良いのでしょうか。「妬み差別」で劣情を煽るだけの、こんな大衆迎合の新自由主義の党に、ひれ伏すしかないのでしょうか。
そうではないでしょう。説得力さえ得られれば、言っている事はしごく正論なのですから、必ず支持を得られる筈です。民営化・自由化・規制緩和による「小さな政府」を主張する「みんなの党」が、結局は福祉削減・弱者切捨て・「搾取の自由」擁護の「弱肉強食」党でしかなく、その矛盾を一番弱い「下請け・労働者」や「貧しい開発途上国・第三世界の人々」に押し付け、自分たちは見て見ぬ振りしながら「貧しいのはお前らが悪い」と嘯くデマゴギーでしかない事は、既に見てきました。
ここで一つの事例を挙げます。新自由主義が世界で猛威を振るっている中で、それに抗い逆に攻勢に打って出ているのが、主にフランス・ドイツやギリシャ、中南米などの国々の人々です。これらの国々は、確かに日本とは政情が大きく異なります。なるほど、日本には、フランス革命や軍事独裁を倒したギリシャのような歴史はありません。また、長年に渡るアメリカ帝国主義や封建地主・財閥・軍部による独裁政治の下で、新自由主義が弱肉強食でしかない事を、民衆が理屈ではなく身を以って理解している中南米とも異なります。しかし、その違いを踏まえても、それら諸国における闘い方から学ぶべき点も、多々あるのではないでしょうか。
それは「数は力」という事です。これらの国々では、左翼諸党がともに小異を捨てて大同団結する事で、小選挙区制の下でも過半数の支持獲得に成功してきました。それがフランス人民戦線の伝統や、ドイツや中南米における左派合同の教訓です。日本では、米軍基地の重圧に苦しめられている今の沖縄が、差し詰め中南米に相当します。
現に沖縄県では、選挙区こそ自民党の当選を許したものの、比例区では普天間問題で連立離脱した社民党が、12万余票を獲得して(得票率22.7%)、比例第一党に躍進しました(時事通信記事参照)。「みんなの党」なんてハナからお呼びではないのです。そして、民主党はおろか自民・公明ですらも、県連レベルでは基地の「県内たらい回し」(普天間基地の辺野古移設)に反対しているのです。そう言わなければ選挙で勝てないから。
以上は一つの事例ですが、如何に強大な敵であろうとも、決して打ち破れない事はないのです。本当に打ち破る気さえあれば。それを、今までの狭い経験に囚われて、今までの同じ様な発想や闘い方に終始しているから、打ち破れないだけなのです。小康に甘んじる事しか考えていないから、今までの発想から抜け出せず、新自由主義や「みんなの党」に対しても、こんな甘い見方しか出来なかったのではないでしょうか。
(参考資料) 第22回参院選党派別当選者数(注:公示前勢力は欠員1)
党派名 当選者 選挙区 比例区 改選数 非改選 新勢力 公示前 増減
民主党 44 28 16 54 62 106 116 -10
自民党 51 39 12 38 33 84 71 +13
公明党 9 3 6 11 10 19 21 - 2
共産党 3 0 3 4 3 6 7 - 1
国民新 0 0 0 3 3 3 6 - 3
新改革 1 0 1 5 1 2 6 - 4
社民党 2 0 2 3 2 4 5 - 1
たち日 1 0 1 1 2 3 3 ± 0
みんな 10 3 7 0 1 11 1 +10
諸 派 0 0 0 0 1 1 1 ± 0
無所属 0 0 0 1 3 3 4 - 1
合 計 121 73 48 120 121 242 241 + 1
略称名:国民新=国民新党、新改革=新党改革、たち日=たちあがれ日本、みんな=みんなの党
数日前から、階段の昇り降りが次第に辛くなってきました。平らな地面を歩いている段には別に何とも無いのですが、階段を昇り降り、特に昇る時に、右膝がズキズキ痛むようになりました。最初は「大した事ないや」と、近所の整骨医でお灸や鍼を打ってもらっていたものの、全然良くなりませんでした。
そこで、今日仕事終わってから、改めて整形外科に診察に行きました。そうしたら、右膝の、上の骨(大腿骨)と下の骨(脛骨)の間で潤滑油のような働きをしている、関節軟骨(左上写真:骨の模型で水色の部分)という器官の柔軟性が、徐々に失われているのが原因だと言われました。本来はツルツルでなければいけない軟骨の表面が、徐々にザラザラになって来ているのだそうです。「軟骨自体はまだそうすり減ってはいないので、湿布薬を貼って無理さえしなければ大丈夫」との事でした。
普段の仕事の内容が内容なので、「いよいよ解雇か」「若しそうなれば、こちらとしても、いよいよ労災認定も視野に入れた解雇撤回闘争を組まなければならないな」と思い始めていたので、まずは一安心です。しかし、この整形外科医さんは「業務起因性の断定は出来ない」と仰っていましたが、いくら年齢的なものもあるとは言え、仕事の影響も多分にある事は、ほぼ間違いないでしょう。
何故なら、私は右ききなので、商品の載った台車を運ぶ時は、勢い台車を自分の左側に持ってきて、両手で運ぶ事になります。進む方向も、自分から見て右回りが基本となるので、どうしても右の軸足に負担がかかるようになります。台車の重みで身体に「捻り」も生じます。そして、毎日の歩数も数万歩と、半端じゃない。これで右膝に負担がかからない筈がありません。
おまけに、日頃の出勤調整による人員削減の為に、今日の0℃帯保管庫の畜産・惣菜・IB仕分けエリアに至っては、殆ど人が揃わないまま仕分けを開始せざるを得なかった。その所為で全体作業が遅れたにも関わらず、職制たちは、自分たちが招いた人災(作業配置ミス)を棚に上げて、やれ「早くしろ」だの果ては「駆け足で運べ」だの、言いたい放題でした。それも、手ぶらで作業している訳ではなく、重い台車を運んでいるのに、よくもまあこんな事が言えたものです。その通りしていたら、私なぞ、今頃は右半身不随になっているかも知れません。
その物言いには、流石に「みんな一生懸命にやっているのに、その言い方はないだろう」とバイトからの抗議もあったようですが、それに対する社員の答えは「上(元請)から詰められるから仕方ないだろう、俺の立場も分かってくれよ」という自分勝手で無責任なものだったそうです。
それもこれも全て、この業務請負会社の社員が、保身に汲々としているからではないですか。幾ら下請けで不利な立場に立たされ、元請にピンハネされていても、本当に仕事やバイトも含めた従業員の事を考えていたら、元請にも、もっと毅然とした態度で臨める筈です。たとえ下請けであっても、奴隷じゃないんだから。消費者の為に仕事をしているのであって、個々の元請社員の為に仕事をしているのではないのだから。
それが、何故ここまで元請の言いなりなのか。事なかれ主義で、自分たちの保身しか頭に無いからです。だから、矛盾をずっとそのまま放置して、平気で下にしわ寄せ出来るのです。
そっちがその気なら、こちらにも考えがあります。今から最悪の事態を想定して、労災認定に向けての証拠集めにかかります。まずは手始めに、先日の記事「搾取ダイエット」で取り上げた万歩計のデータ(右上写真参照)を、一ヶ月分(6月16日~7月15日)丸々、下記に保存・公開しておく事にします。
6月16日(水) 32708歩 7月 1日(木) 3118歩
6月17日(木) 1985歩 7月 2日(金) 37722歩
6月18日(金) 38923歩 7月 3日(土) 35522歩
6月19日(土) 40432歩 7月 4日(日) 26689歩
6月20日(日) 4941歩 7月 5日(月) 32009歩
6月21日(月) 31399歩 7月 6日(火) 8990歩
6月22日(火) 33741歩 7月 7日(水) 27828歩
6月23日(水) 39789歩 7月 8日(木) 30679歩
6月24日(木) 3697歩 7月 9日(金) 2355歩
6月25日(金) 40674歩 7月10日(土) 31559歩
6月26日(土) 31460歩 7月11日(日) 29456歩
6月27日(日) 4669歩 7月12日(月) 3975歩
6月28日(月) 33104歩 7月13日(火) 34485歩
6月29日(火) 32339歩 7月14日(水) 31729歩
6月30日(水) 36030歩 7月15日(木) 4316歩
※歩数が桁違いに少ない日は、万歩計記録保持者の人のシフト休日です。
304 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2010/05/13(木) 10:42:21
【世界の常識 vs 日本の常識】
世界の常識:過労死するくらいなら抗議したほうがいい
日本人:抗議するくらいなら黙って自殺したほうがいい
世界の常識:悪政に苦しむくらいなら革命するほうがいい
日本人:革命するくらいなら悪政に苦しむほうがいい
世界の常識:我々を搾取する奴がいるなんて許せない!
日本人:我々の中に搾取されてない奴がいるなんて許せない!
世界の常識:汚職を批判しないのは真の社会人ではない
日本人:汚職を批判するのは真の社会人ではない
世界の常識:責任ある行動をとるのが大人というものだ
日本人:責任を逃れる行動をとるのが大人というものだ
世界の常識:普段は競争していても、危機が迫れば手を組む
日本人:普段は群れていても、危機が迫れば足を引っぱり合う
世界の常識:物事がうまくいかないなら、うまくいくよう改善しよう
日本人:物事はどうせうまくいかないし、もう少し悪くなってもいいや
http://ayacnews2nd.com/archives/51638655.html
-------------------------------------------------------------------
上記文章の元々の出典は不詳です。恐らく2chかどっかでしょう。既にあちこちのブログで紹介されていて、私もそれで偶々知る事になりました。そんな怪文書ながら、内容が余りにも面白くまた悲しくて、思わずこちらでも紹介する事にしました。
取り分け上から二番目の、「革命するくらいなら悪政に苦しむほうがいい」のくだりなんて、上には何も言えずに、ひたすら下にしわ寄せする事で、自分たちだけ姑息に生きながらえようとする、事なかれ主義の我が社の社畜ども、そのもので。同じく三番目の「我々の中に搾取されてない奴がいるなんて許せない!」も、自民党・「みんなの党」支持者やネットウヨクによく見られる発想ですしね。
更にネットで検索したら、新自由主義者の池田信夫も、前後の言葉を入れ替えただけでほぼ同名の記事を書いていました。但し、書いている事は、「もはや額に汗して働くなんて時代遅れだ」「これからは、たとえ借金増やしても、もっともっと自由化して外資をどんどん引き入れ、日本をシンガポールやドバイみたいな国にすれば良い」という事でしかありませんが。
それで日本から農業や商店街を一掃して、マクドナルドやコンビニだけになってしまったら、日本はジャンクフードだらけの国になってしまいます。それとも、自分たちさえ潤えば、「後は野となれ山となれ」なのでしょうか。しかし、本当に世界中から「額に汗して働く」人がいなくなれば、誰も生きていけなくなるのですがw。
結局この論は、「額に汗して働く」役回りを一番弱い誰かに押し付けて、自分はそれを見て見ぬふりして不労所得(搾取の代価)でのうのうと暮らしながら、さも「俺たちは偉いんだ、お前らみたいなカスとは違うんだ」、或いは闇金ウシジマくんのように「搾取されるぐらいなら搾取する方に回る」と、嘯ているだけなのです。
一部に日本経団連の御手洗執行部批判とも取れるような事も書いてますが、それすら「もっと弱肉強食に徹せよ」という立場からの批判でしかないのですから、お里が知れます。「極右からの自民党批判」と同じで、見るべきものは何もありません。
このシリーズでは、私の職場の労働実態について縷々書いてきましたが、今回新たに職場の同僚から、その実態を裏付ける資料をご提供いただきました。それをこちらにも紹介しておきます。
■ある同僚の万歩計データから
私と同じ職場のバイトで、毎日の歩行距離を万歩計に記録している人がいます。その人も、私と同じ部署に所属し、同じ様に商品を仕分け・搬送しています。仕事量も私とほぼ同じです。上記写真は、その人が携帯電話の便利機能を使って記録していた、6月20日から25日にかけての万歩計のデータを撮ったものです。
同じ数字を下記にも引用しておきます。6月20日と24日に数字がグンと下がっているのは、それがその人の定休日です。それ以外の出勤日についても、通勤の往復で大体4千歩を歩くので、実際の職場で労働に費やした歩数は、6月25日の例で言えば、39789歩から4千歩を引いた3万5千歩余となります。
左から順に、消費カロリー、歩いた距離、歩いた歩数。
6月25日 429kcal 15.9km 40674歩
6月24日 26kcal 1.5km 3697歩
6月23日 403kcal 15.5km 39789歩
6月22日 321kcal 13.2km 33741歩
6月21日 286kcal 12.3km 31399歩
6月20日 61kcal 2.0km 4941歩
この話を行きつけの鍼灸医さんに話した所、やはり「異常な数値だ」という事で、半ば呆れられていました。その鍼灸医さんが言うには、「日常生活で歩くのが大体一日2千から3千歩、健康ウォーキングで目標とされるのが一日1万歩で、これ以上歩けば逆に身体に負荷がかかり過ぎる」との事でした。実際、休憩時間以外は殆ど立ちずくめ・歩きずくめ・運びずくめの毎日です。それでも、まだ仕事中は気が紛れるので意外と苦になりませんが、仕事が終われば一気に疲れが出て来ます。それが毎日ずっと続くと、足もパンパンに腫れてきます。
データを引用した6月20日から25日にかけても、この週は月末週としてそれなりに忙しく、特に25日は金曜日という事で、土・日曜日の特売品が大量に入荷していたように思います。しかし、年末繁忙期のような特別な時期ではなく、「よくある普通の繁忙期」という感じだったように思う。
■別の同僚の激やせズボン
上記も同じ職場のバイトの写真です。この人も、私たちと同じく8ヶ月余り前に、今のこの新しい物流センターに配属になりました。そして、主に作業で使用する備品の調達・管理を担当してきました。立ちずくめ・歩きずくめ・運びずくめなのは私たちと同じですが、この人の場合は、それに加えて、センターの冷蔵庫内だけでなく、外の備品置き場や2階の常温保管庫との行き来も頻繁にあるので、外気温との温度差の影響をモロに受けます。その為もあって、異動当初にはいていたズボンが、今やブカブカになってしまいました。
この人の体型変化の数字も、下記に紹介しておきます。但し、まだ異動後の健康診断を受けていないので、あくまでも当人の自己申告による数字ですが、上記の写真を見る限り、それなりに実態を反映したものである事は、ほぼ間違いないでしょう。
身長170cmは異動当時から変わらず。
体重は68kg→56kg(▲12kg)、ウエストは88cm→73cmに(▲15cm)。
勿論、個人差もあるでしょう。現に私は、数年前に「3kg痩せた」と書いた時(過去記事参照)の体重をキープしたままですから。恐らくこの人も、大きな持病さえ抱えていなければ、ここで体重は下げ止まりになるのではと思われます。但し、これ以上も体重減少が続くようなら要注意ですが。
これが私の職場の労働実態です。記事のタイトルに「搾取ダイエット」とあるのも、勿論皮肉のつもりです。こんな「身体を鍛えるのではなく、ただひたすら酷使するだけ」の「ダイエット」なぞ、健康に良い筈ありませんから。
そう言えば、伊吹文明が安倍内閣の文科相だった2007年当時に、「日本は人権が重視され過ぎている」という意味で、「人権メタボ」と言った事がありましたね。これは何も伊吹だけに限らず、他にもこの手の政治家は大勢いますが、この状況の一体どこが「人権メタボ」なのでしょうか。寧ろ「北朝鮮難民に近い」と言っても良い位ではないか。この世間知らずの「搾取メタボ」たちに、民情視察も兼ねて1年間ぐらい「搾取ダイエット」生活を思いっきり味わせてやりたい。
■ある同僚の万歩計データから
私と同じ職場のバイトで、毎日の歩行距離を万歩計に記録している人がいます。その人も、私と同じ部署に所属し、同じ様に商品を仕分け・搬送しています。仕事量も私とほぼ同じです。上記写真は、その人が携帯電話の便利機能を使って記録していた、6月20日から25日にかけての万歩計のデータを撮ったものです。
同じ数字を下記にも引用しておきます。6月20日と24日に数字がグンと下がっているのは、それがその人の定休日です。それ以外の出勤日についても、通勤の往復で大体4千歩を歩くので、実際の職場で労働に費やした歩数は、6月25日の例で言えば、39789歩から4千歩を引いた3万5千歩余となります。
左から順に、消費カロリー、歩いた距離、歩いた歩数。
6月25日 429kcal 15.9km 40674歩
6月24日 26kcal 1.5km 3697歩
6月23日 403kcal 15.5km 39789歩
6月22日 321kcal 13.2km 33741歩
6月21日 286kcal 12.3km 31399歩
6月20日 61kcal 2.0km 4941歩
この話を行きつけの鍼灸医さんに話した所、やはり「異常な数値だ」という事で、半ば呆れられていました。その鍼灸医さんが言うには、「日常生活で歩くのが大体一日2千から3千歩、健康ウォーキングで目標とされるのが一日1万歩で、これ以上歩けば逆に身体に負荷がかかり過ぎる」との事でした。実際、休憩時間以外は殆ど立ちずくめ・歩きずくめ・運びずくめの毎日です。それでも、まだ仕事中は気が紛れるので意外と苦になりませんが、仕事が終われば一気に疲れが出て来ます。それが毎日ずっと続くと、足もパンパンに腫れてきます。
データを引用した6月20日から25日にかけても、この週は月末週としてそれなりに忙しく、特に25日は金曜日という事で、土・日曜日の特売品が大量に入荷していたように思います。しかし、年末繁忙期のような特別な時期ではなく、「よくある普通の繁忙期」という感じだったように思う。
■別の同僚の激やせズボン
上記も同じ職場のバイトの写真です。この人も、私たちと同じく8ヶ月余り前に、今のこの新しい物流センターに配属になりました。そして、主に作業で使用する備品の調達・管理を担当してきました。立ちずくめ・歩きずくめ・運びずくめなのは私たちと同じですが、この人の場合は、それに加えて、センターの冷蔵庫内だけでなく、外の備品置き場や2階の常温保管庫との行き来も頻繁にあるので、外気温との温度差の影響をモロに受けます。その為もあって、異動当初にはいていたズボンが、今やブカブカになってしまいました。
この人の体型変化の数字も、下記に紹介しておきます。但し、まだ異動後の健康診断を受けていないので、あくまでも当人の自己申告による数字ですが、上記の写真を見る限り、それなりに実態を反映したものである事は、ほぼ間違いないでしょう。
身長170cmは異動当時から変わらず。
体重は68kg→56kg(▲12kg)、ウエストは88cm→73cmに(▲15cm)。
勿論、個人差もあるでしょう。現に私は、数年前に「3kg痩せた」と書いた時(過去記事参照)の体重をキープしたままですから。恐らくこの人も、大きな持病さえ抱えていなければ、ここで体重は下げ止まりになるのではと思われます。但し、これ以上も体重減少が続くようなら要注意ですが。
これが私の職場の労働実態です。記事のタイトルに「搾取ダイエット」とあるのも、勿論皮肉のつもりです。こんな「身体を鍛えるのではなく、ただひたすら酷使するだけ」の「ダイエット」なぞ、健康に良い筈ありませんから。
そう言えば、伊吹文明が安倍内閣の文科相だった2007年当時に、「日本は人権が重視され過ぎている」という意味で、「人権メタボ」と言った事がありましたね。これは何も伊吹だけに限らず、他にもこの手の政治家は大勢いますが、この状況の一体どこが「人権メタボ」なのでしょうか。寧ろ「北朝鮮難民に近い」と言っても良い位ではないか。この世間知らずの「搾取メタボ」たちに、民情視察も兼ねて1年間ぐらい「搾取ダイエット」生活を思いっきり味わせてやりたい。
下記のビラは、建交労という労働組合が、先日、職場最寄り駅の駅頭で、参院選への投票を呼びかける為にまいていたものです。恐らく上段が表面で、下段が裏面だと思われます。勿論、労組のビラなので、特定の政党・候補を推している訳ではなく、あくまでも労働者の立場から、「格差政治にノーを」と訴えていました。私のブログでも、その趣旨に賛同して、投票締め切りまで、トップに表示しておく事にしました。
ただ、如何せん、このチラシも文字だらけで。特に表面の方なぞは余り読まれないかも知れません。言いたい事が一杯あるのは、私も同じ想いなのでよく分かりますが、ここはもう少し精選する事で、逆にインパクトを持たせる方が良かったのでは。例えば、
せっかく政権交代したのに、次々に公約を反故にして、辞めていった前首相。
その後を受けて登場した今の首相は、盛んに「強い日本にする」と言う。
しかし、実際にやっている事は、前政権やその前の自公政権と全然変わらず。
普天間基地の沖縄県内たらい回し?
消費税値上げ?そのくせ法人税は更に値下げ?
後期高齢者医療制度の廃止も、派遣法改正も、口先だけだったしな。
このままでは、強めるのは自分たちの私腹や利権だけで、
庶民生活はますます痛めつけられる一方だ。
挙句に、国会比例定数削減で批判の声まで封じ込めるつもりか。
もうエエ加減にせえよ。是非、今度の選挙で思い知らしてやろう!
最低これだけでも、想いは充分伝わるのでは?
ただ、如何せん、このチラシも文字だらけで。特に表面の方なぞは余り読まれないかも知れません。言いたい事が一杯あるのは、私も同じ想いなのでよく分かりますが、ここはもう少し精選する事で、逆にインパクトを持たせる方が良かったのでは。例えば、
せっかく政権交代したのに、次々に公約を反故にして、辞めていった前首相。
その後を受けて登場した今の首相は、盛んに「強い日本にする」と言う。
しかし、実際にやっている事は、前政権やその前の自公政権と全然変わらず。
普天間基地の沖縄県内たらい回し?
消費税値上げ?そのくせ法人税は更に値下げ?
後期高齢者医療制度の廃止も、派遣法改正も、口先だけだったしな。
このままでは、強めるのは自分たちの私腹や利権だけで、
庶民生活はますます痛めつけられる一方だ。
挙句に、国会比例定数削減で批判の声まで封じ込めるつもりか。
もうエエ加減にせえよ。是非、今度の選挙で思い知らしてやろう!
最低これだけでも、想いは充分伝わるのでは?
6月28日付記事「依然としてチャンスを生かせない共産党」で、共産党の法定1号ビラについて、「幾ら正しい事を書いていても、これだけ文字ばかりのビラでは、支持者以外は誰も読まない」と、少し辛辣な事を書きました。その次に下記の法定2号ビラが出て、1号ビラと同じ地域を配布しましたが、こちらのビラについては、図表もふんだんに使われていて、なかなか良かったと思います。
法定2号ビラ表面
同上・裏面
下記の法定1号ビラ両面と比較してみて下さい。同じような事を書いていても、読者に与えるインパクトが大分違うのが分かります。
やはり「腐っても鯛、色々あってもそこはやはり共産党だ」「嘘とデタラメで固めた挙句に、後で必ず馬脚を現す民主党・みんなの党・立ち上がれ以下とは全然違う」・・・こと消費税値上げに関しては(そして2号ビラでは触れていないが普天間問題でも)、そう思います。
ただ、「みんなの党」に対する批判が、相変わらず弱いように思います。確かにビラをちゃんと読めば、「みんなの党」も増税を先送りしているだけで、「値上げしない、下げすぎた法人税も元に戻す」とは全然言っていない事は分かります。しかし、消費税値上げを煽っているのが、現与党の民主と前与党の自民である以上、批判の主要な矛先がどうしても自民・民主の二党に向いてしまい、結果的に「みんなの党」以下が批判を免れる形になってしまっているのは事実です。
これは有権者からみると、「消費税や普天間の問題ではなるほど筋を通していても、やはり選挙では勝てないし、それに日本が北朝鮮みたいになるのも嫌だから、一応現時点での消費税増税には反対している「みんなの党」に入れた方が、死票にならないだけましかも」となる可能性も当然あり得る訳です。それに対して、単に彼の党の「増税先送り」姿勢を批判しているだけでは不十分ではないでしょうか。
私は、最終的には「みんなの党」も、新自由主義者の党として、民主・自民と一緒になって「大衆増税・金持ち減税」を推進した挙句に、国民から見捨てられる日が来ると思います。しかし、それをただ待っているだけでは、幾ら経っても政治を変える事は出来ません。ここはもっと、あの党の本質を国民に浸透させるべきではないでしょうか。
「何故ここまで言うか」というと、日本では人権の歴史が浅く、まだまだ封建的な要素が社会から完全には払拭されていないので、国民が新自由主義を無自覚に受け入れてしまっている所があるからです。例えば、「喧嘩に負けるようなひ弱な男ではいけない」という価値観が、日本ではまだまだ優勢でしょう。そこにいきなり、「ひ弱な男にも人権がある」とか、「喧嘩なぞに頼らずもっと民主的に物事を決めるべきだ」と言ったところで、「何言ってんだ」と一蹴されかねない所が、日本社会にはあります。それが自己責任論や官尊民卑・男尊女卑、英雄待望論や「お任せ民主主義」などの形で直ぐに現れる。
ここが欧州や中南米などの諸国と日本との違いです。なるほど新自由主義は世界中に広まっていますが、少なくとも欧州では、市民革命によって個人の人権が確立され、また社民勢力も一定の基盤を有しているので、そう簡単に賃下げや福祉切捨てを強行できないのです。また中南米でも、新自由主義者のいう「自由」や「規制緩和」が、結局は米系資本やそれと結託した軍部・封建支配層を肥え太らせるだけの、「搾取の自由」でしかない事が、理屈抜きに皮膚感覚として民衆に理解されています。だから、これらの諸国では、日本とは違い、新自由主義への抵抗も遥かに強いのです。
ここで「ひ弱な男にも人権がある」と言うのが左翼であるのに対して、「喧嘩に負けるようなひ弱な男ではいけない」と考えるのが新自由主義(弱肉強食資本主義)の発想です。「一番(一等国)」の復活を掲げる自民党や、「強い日本」を掲げる民主党、「小さな政府」を掲げる「みんなの党」、「復古反動」路線の「立ち上がれ日本」など、悉くその発想が根底にあります。それが証拠に、石原慎太郎・橋下徹・森田健作・東国原英夫・松沢成文・上田清司・中田宏・山田宏・河村たかしから鹿児島県阿久根市のネトウヨ・ブログ市長に至るまで、上記政党を応援する政治家は、みんなこの手の弱肉強食・差別肯定論者じゃないですか。
だから、70年代前半に革新自治体や革新政党が伸張した直ぐ後でも、今の「みんなの党」の走りみたいな「新自由クラブ」に、大都市部の共産党票が食われたりしたのです。その新自由クラブも、自民党の亜流でしかない事がすっかりばれて、やがて消滅していきましたが、その後も日本新党や自由党・新進党などが出てきたでしょう。そして、80年代に始まった中曽根行革が、90年代以降、次第に今の新自由主義となって、小泉政治で絶頂を迎える事になりました。そこまで来てようやく、新自由主義の弊害が明るみになり出しました。
この様な「みんなの党」に対しては、もっと自覚的・意識的に批判しなければいけないのです。この法定2号ビラのように、自民党や民主党と並列に、それら二党への批判のついでに批判するだけでは不十分なのです。限られたスペースの中でも、自民・民主批判とは別枠で、「みんなの党」も批判すべきだったのに。そこだけが悔やまれます。
今回の参院選でも、これだけ自民党も民主党も批判されているのに(保守二大政党制の矛盾顕在化)、その批判が何故、共産党に向かわずに「みんなの党」に流れるのか。そこにこそ、もっとメスが入れられなければならないのではないでしょうか。
法定2号ビラ表面
同上・裏面
下記の法定1号ビラ両面と比較してみて下さい。同じような事を書いていても、読者に与えるインパクトが大分違うのが分かります。
やはり「腐っても鯛、色々あってもそこはやはり共産党だ」「嘘とデタラメで固めた挙句に、後で必ず馬脚を現す民主党・みんなの党・立ち上がれ以下とは全然違う」・・・こと消費税値上げに関しては(そして2号ビラでは触れていないが普天間問題でも)、そう思います。
ただ、「みんなの党」に対する批判が、相変わらず弱いように思います。確かにビラをちゃんと読めば、「みんなの党」も増税を先送りしているだけで、「値上げしない、下げすぎた法人税も元に戻す」とは全然言っていない事は分かります。しかし、消費税値上げを煽っているのが、現与党の民主と前与党の自民である以上、批判の主要な矛先がどうしても自民・民主の二党に向いてしまい、結果的に「みんなの党」以下が批判を免れる形になってしまっているのは事実です。
これは有権者からみると、「消費税や普天間の問題ではなるほど筋を通していても、やはり選挙では勝てないし、それに日本が北朝鮮みたいになるのも嫌だから、一応現時点での消費税増税には反対している「みんなの党」に入れた方が、死票にならないだけましかも」となる可能性も当然あり得る訳です。それに対して、単に彼の党の「増税先送り」姿勢を批判しているだけでは不十分ではないでしょうか。
私は、最終的には「みんなの党」も、新自由主義者の党として、民主・自民と一緒になって「大衆増税・金持ち減税」を推進した挙句に、国民から見捨てられる日が来ると思います。しかし、それをただ待っているだけでは、幾ら経っても政治を変える事は出来ません。ここはもっと、あの党の本質を国民に浸透させるべきではないでしょうか。
「何故ここまで言うか」というと、日本では人権の歴史が浅く、まだまだ封建的な要素が社会から完全には払拭されていないので、国民が新自由主義を無自覚に受け入れてしまっている所があるからです。例えば、「喧嘩に負けるようなひ弱な男ではいけない」という価値観が、日本ではまだまだ優勢でしょう。そこにいきなり、「ひ弱な男にも人権がある」とか、「喧嘩なぞに頼らずもっと民主的に物事を決めるべきだ」と言ったところで、「何言ってんだ」と一蹴されかねない所が、日本社会にはあります。それが自己責任論や官尊民卑・男尊女卑、英雄待望論や「お任せ民主主義」などの形で直ぐに現れる。
ここが欧州や中南米などの諸国と日本との違いです。なるほど新自由主義は世界中に広まっていますが、少なくとも欧州では、市民革命によって個人の人権が確立され、また社民勢力も一定の基盤を有しているので、そう簡単に賃下げや福祉切捨てを強行できないのです。また中南米でも、新自由主義者のいう「自由」や「規制緩和」が、結局は米系資本やそれと結託した軍部・封建支配層を肥え太らせるだけの、「搾取の自由」でしかない事が、理屈抜きに皮膚感覚として民衆に理解されています。だから、これらの諸国では、日本とは違い、新自由主義への抵抗も遥かに強いのです。
ここで「ひ弱な男にも人権がある」と言うのが左翼であるのに対して、「喧嘩に負けるようなひ弱な男ではいけない」と考えるのが新自由主義(弱肉強食資本主義)の発想です。「一番(一等国)」の復活を掲げる自民党や、「強い日本」を掲げる民主党、「小さな政府」を掲げる「みんなの党」、「復古反動」路線の「立ち上がれ日本」など、悉くその発想が根底にあります。それが証拠に、石原慎太郎・橋下徹・森田健作・東国原英夫・松沢成文・上田清司・中田宏・山田宏・河村たかしから鹿児島県阿久根市のネトウヨ・ブログ市長に至るまで、上記政党を応援する政治家は、みんなこの手の弱肉強食・差別肯定論者じゃないですか。
だから、70年代前半に革新自治体や革新政党が伸張した直ぐ後でも、今の「みんなの党」の走りみたいな「新自由クラブ」に、大都市部の共産党票が食われたりしたのです。その新自由クラブも、自民党の亜流でしかない事がすっかりばれて、やがて消滅していきましたが、その後も日本新党や自由党・新進党などが出てきたでしょう。そして、80年代に始まった中曽根行革が、90年代以降、次第に今の新自由主義となって、小泉政治で絶頂を迎える事になりました。そこまで来てようやく、新自由主義の弊害が明るみになり出しました。
この様な「みんなの党」に対しては、もっと自覚的・意識的に批判しなければいけないのです。この法定2号ビラのように、自民党や民主党と並列に、それら二党への批判のついでに批判するだけでは不十分なのです。限られたスペースの中でも、自民・民主批判とは別枠で、「みんなの党」も批判すべきだったのに。そこだけが悔やまれます。
今回の参院選でも、これだけ自民党も民主党も批判されているのに(保守二大政党制の矛盾顕在化)、その批判が何故、共産党に向かわずに「みんなの党」に流れるのか。そこにこそ、もっとメスが入れられなければならないのではないでしょうか。
「人よりトイレのスリッパの方が大事なのか」「資本家と労働者は基本的立場が違う」の話の続きです。
あれから月末にかけてが、最近では最も忙しかった。但し、忙しいにも関わらず、コスト削減の為に出勤人数は減らされたまま、作業終了時間と誤配削減目標だけがやかましく言われた。商品の仕分け作業をしているそばから、「此処のエリアは何時までに終わらせろ」との檄が職制から飛んでくる。勿論、「蟹工船」みたいな扱いを露骨にすれば問題になりかねないし、下手すれば広島マツダ暴発事件みたいな事も起こりかねないので、最初は揉み手で、ビリーズ・ブートキャンプみたいなノリで声をかけてくる。しかし、それも最初のうちだけで、中盤以降は「蟹工船」とさほど代わらない扱いになる。
そのくせ、この会社は、下らない所に労力をつぎ込みたがる。必要出勤人数さえ充足すれば、誤配もなく時間通りに終われるのに、それをせず、何と「盗難予防」と称して、仕分け済商品の写真撮りをやりだしたのだ。その為だけにわざわざ人を雇って。
劃して、小柄で大人しそうな、見慣れない男の子が、言われるままに写真を撮り始めるようになった。大した給料にもならないのに、時として他のバイトに邪魔モノ扱いされながら。その扱いがあんまりなので、この倒錯ぶりを天下に公表してやろうと、実はこの間、私は密かにスクープの機会を伺っていた。
その動きが察知されたのか、はたまた、邪魔者扱いしていたバイトからの苦情によるものか、それは分からないが、ともかく数日前から写真撮りは中止となり、その子は今、私たちと同じバイト作業に就かされている。但し、自己紹介も何もされないままで。大人しくて誰とも殆ど喋らないが、礼儀正しいし根は真面目そうな子で、きちんと指導したら、そこそこ戦力にもなろうものを。若し私がこんな扱いをされたら、恐らく数日で辞めているだろう。若しこれがアキバやマツダの容疑者であったなら、あの事件と同じ様な事がここでも起こっているに違いない。
それに対する、職制側の予想される反論は、多分「それはお前らバイトの責任だ」というものだろう。勿論、この大人しい新人を仲間として迎え入れる責任は、私たちバイトの側にもある。しかし、その私たちを、互いに交流も深められないほどの労働強化に追い立てているのは、一体誰なのか。その主たる責任を負うべき者が、自己紹介もせずに新人をいきなり現場に投入しておいて、自らの責任は棚に上げて、バイトだけに罪をなすりつけようとしても、そうは問屋が卸すか。
同様の倒錯事例は他にも一杯ある。例えば、意味の無い通路迂回表示などがそうだ。作業場に入るや否や、いきなり正面に、進入禁止のゼブラ・バーとカラー・コーンが置かれている。工事現場などでよく見かけるやつだ。それが何故、わざわざ出入り口直ぐの所に置かれてるのか。これでは作業員の通行の邪魔にしかならないのに。恐らく、「弊社では危険箇所の表示もきちんとしている」という、一種のアリバイ工作の為だろう。
アリバイ工作と言えば、構内で頻繁に流される、「商品搬入時には渡し板を使え」「ドーリーで運ぶ時は両手で持て」などの、注意喚起の館内放送などもそうだ。一見すれば、まともな事を言っているように見えても、肝心の心が全然篭っていないのが、もう丸分かりなのだ。放送している当の派遣や事務パートの女の子が、「渡し板」や「ドーリー」が何物かも全然知らずに、ただ放送原稿の字面を追っているだけなのが、聞いていてよく分かる。(下記写真は、左から順に、通路迂回表示・渡し板・ドーリー)
更に言うと、鳴り物入りで導入されたハンディ・ターミナルによる検品作業にしてからが、究極のアリバイ工作なのだ。今日び、こんな手作業でのバーコード読取作業なんて、少なくとも大手では、どこの物流センターでも採用していない筈だ。佐川急便でもヤマト運輸でも、今の仕分け作業の主流は、ソーターによる自動制御システムによるものだろう。恐らく、自動化された仕分けラインの中で、センサーがバーコードを読み取り、商品を行き先別に振り分ける形をとっている筈だ。
私の職場で今やっているような、人力によるハンディでのバーコード読み取り作業なんて、本来は、それこそ化粧品や文房具のような手荷物・小物類を対象に、集品作業(ピッキング)で行うものだ。それを、多品種少量の小物類だけでなく、今まで納品業者に委託してさせていたような、1リッター牛乳の一日数千ケースからの大量仕分けにまで、無理やり対象を広げてしまったから、普通の牛乳もコーヒー牛乳もヨーグルトもぶっ込みでどんぶり勘定の、ひたすらバーコード・スキャンだけに追われるような、形骸化した検品・仕分け作業になってしまったのだ。
ハンディ(左上写真)で、小物類だけでなく牛乳類まで検品しようとするから(中央上写真)、ケース毎に無理やりバーコードを割り振り、ひたすらバーコード・スキャンだけに追われるようになってしまった。しかも、検品者には各店別総数のみ書かれた表しか渡されていない為に(右上写真)、例えば「牛乳」「コーヒー牛乳」「のむヨーグルト」それぞれのケース数が入れ替わっていても、ケース総数は同じで、一旦その店のバーコード・シールが貼られてしまえば、そのまま検品を素通りしてしまうような事も起こるのだ。
少なくともソーターで仕分けしておれば、こんな初歩的なミスはまず起こらない。それを、ソーター導入の投資をけちって、「パソコンの代わりにワープロを導入して自動化とうそぶく」様な、形だけの「システム化」をしてしまったばかりに、逆に手間ばかり増えて全然効率は上がらない、こんな作業になってしまったのだ。
今までの話の中で、職場の体質がよく分かるだろう。最初に取り上げた「トイレのスリッパ」の話にしても(過去記事参照)、この項でも取り上げた「自己紹介も無しに現場投入」や「形だけの危険表示・館内放送・ハンディ検品」の話にしても、元を正せば全て、人を人と看做さず、単なる会社の金儲けの道具・部品・モノとしてしか見ない、元請・下請け企業の体質から来ているのだろう。そして、これは別にこの会社に限らず、日本の企業・社会全体に共通する体質だろう。
しかし、労働者はモノではない、人間だ。どんな人間にも人権はある。また、偉い人間や金持ちだけで、この国や社会が動いている訳でもない。どんな大金持ちでも、実際に下で働く人間がいなければ、モノは作れないのだから。
この基本がみんな分かっていないから、「何で俺が貧乏人の為に税金を払ってやらなければならないのだ」と居直る麻生元首相みたいな輩がのさばり、それを批判した鳩山前首相も、そんな社会を本気で変えようとはしないまま政権を投げ出してしまい、今の菅首相も「消費税増税、法人税減税」と、かつての麻生・自民党と同じ様な事を言い始めているのだ。そして、支配される側も、政財界人やマスコミにすっかり洗脳されて、奴隷根性に囚われてしまったのだ。
そこを変えなければならない。どう変えるかについては、各々が主体的に考える事であり、今ここで自分の考えを述べる事は敢えてしない。しかし、変えなければならない事だけは、はっきりしている。でなければ、アキバ・マツダ事件容疑者の矛先が、やがて雑踏や工場だけでなく、永田町や霞ヶ関、兜町にも直接向かうようになるだろう。