大阪の地下鉄駅構内に一斉防災訓練のポスターが張り出された。それによると、「大阪880万人訓練」と称して、9月5日午前11時に、880万府民の携帯電話に次の様な防災訓練開始の緊急メールを流すのだと。それを見て机の下に隠れたり市町村が決めた緊急避難先に避難せよとの事。緊急速報メール等対応機種(ソフトバンク、AU、ドコモ)の携帯に一斉に流れ、マナーモードにしていても強制的に鳴るので、仕事や車の運転や会議や映画鑑賞等で支障をきたす場合は予め携帯の電源を切っておけとの、大阪府からのお達しだ。
件名:訓練通報 DRILL(大阪府)
内容:訓練。訓練。大阪府で大阪880万人訓練を開始します。実際に地震が起こったときのことを考えてみてください。このメールは訓練用の通報で、実際の災害ではありません。DISASTER DRILL 実行委員会を代表して大阪府より発信しています。
実際の災害時には、身の安全を確保し、適切な情報に基づき近隣の指定避難所に避難してください。
(参照)
・大阪880万人訓練HP
http://www.pref.osaka.jp/shobobosai/trainig_top/h24_880.html
・訓練メール通し府民880万人避難 5日午前11時(大阪日日新聞)
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120828/20120828021.html
9月5日の当該時刻には、私は仕事中でレーンで商品の仕分けをしているので、当然そんなメールを流されても何も出来ない。ひょっとしたら職場でも避難訓練をするかも知れないが、現時点ではまだ何の連絡もない。
それ以前に、「仕事や運転に支障をきたすなら予め電源を切っておけ」なんて言う位なら、最初からそんな何の役にも立たないメールなぞ流すなよと思う。自宅周辺の避難先も市役所のHPで見たが、近くの鉄筋3階建ての小学校なぞに避難した所で、東日本大震災規模の津波が来れば一たまりもない。いざという時はそんな指示なぞ無視して、近くの高層マンションに避難するか、ひたすら海岸とは反対側に逃げるしかないだろう。
それに、何だかんだ言っても、結局は個人の自己責任に転嫁しているだけじゃない。避難速報流すから、後は下々が決められた通りにやれと。でも実際は、避難したくても出来ない人も一杯いるのに。大正区・港区・此花区などの海抜ゼロメートル地帯には、手足の不自由な高齢者や障害者、身寄りのない単身者も多く住む。そんな人たちに訓練や避難開始のメールを一本流した所で、対応出来ない人も決して少なくはない筈だ。そんな人でも普段から何の不安もなく生活でき、いざという時にはスムーズに避難できるようにするのが、行政本来の仕事だろう。実際、数年前の米国ニューオーリンズのハリケーン災害や近年の紀伊半島水害でも、最も多く被災したのは自家用車を持てない貧困層や過疎地域のお年寄りだった。訓練や避難のメールを流すより、それらの人たちのフォローの方がよっぽど重要じゃないか。
ところが、松井・大阪府知事や橋下・大阪市長が実際やっている事はと言えば、区内の老人福祉施設を整理・統廃合したり民営化したりして、それに背を向けるような事ばかりしているじゃないか。それどころか、先日のゲリラ豪雨の際も、府下の高槻や枚方で多くの被災者が出たのに、松井知事は実家の福岡で「世間は騒がしいがこちらは酒も肴も旨い」とかいうツイッター流して、「後で娘に注意された」というようなふざけた言い訳に終始すれば、橋下市長も市長で、「市長がいちいちそんな事に対応していられるか」と居直るという体たらくで。(下記がその彼らのツイートで、gogoichiroは松井一郎知事、t_ishinは橋下徹市長のツイッター・アカウント)
お盆休み、福岡の家内の実家で過ごしています。世間は騒がしいようですが、ここは、本当に静かです。旨い酒と肴で充電中。
gogoichiro 2012/08/14 10:03:36
災害中に不謹慎な呟きなのでは、と娘から叱られました。少し僕の言葉が足りなかったと反省しております。世間が騒がしいというのは、維新の会を取り巻く政局の話であり、あまりにも取材が多かったので、休み中であるということを強調し、あのようなツイートになりました。
gogoichiro 2012/08/15 18:14:25
【大阪府からのお知らせ】松井大阪府知事へのさまざまな意見や要望は、すべて知事の娘さんを通してお伝え願います。そうしないと伝わらない可能性があります。
muzina_shanghai 2012/08/17 07:38:12
大きな方向性は政治家の政治的感覚を重視してもよいが、具体の政策決定は専門家のオープンな突っ込んだ議論が必要。この立論への反論が知りたい RT @ikedanob: 池田信夫 blog : 「住民の被曝限度は年間1mSv」と定めた法律はない http://t.co/oHQrpI3e
t_ishin 2012/08/14 12:41:29
(注:以前に危機管理の件で平松前市長を批判しておきながら、この後も池田氏とのツイートのやり取りばかりで災害対策への言及はなし)
危機管理室が対応し状況報告を受けています。あらゆることを市長が全て直接対応することの方が危機管理上問題。市長の出番はもう一段危ないレベル、判断が必要なとき RT @yuyujiai:今回の大雨災害の時は丸無視でイケノブと下らんツイで時間潰ししとったやないか。コラ?!口先オトコが!
t_ishin 2012/08/17 11:01:25
大阪・長居公園で落雷、10人搬送・1人死亡 : (読売新聞) http://t.co/n4rMRg5x 橋下市長、どう思っているのですか?これでも「市長の出番はもう一段危ないレベル」って言うの? https://t.co/1vCJaYaX
usj1 2012/08/18 22:24:03
必要な場合にはご遺族に対してオフィシャルに行いますが、市民の事故死に全て弔意を発するのは現実に不可能です RT @apollonessive: 市民が事故死する度に弔いの言葉をツイートすべきというお考えですか? RT"@a1675ka:橋下。人間として最低のクズである
t_ishin 2012/08/18 23:02:15
そんな市長だから、選んだ公募区長も、どこぞの成金経営コンサルタントや庁内リストラで人気を博した行政経験者ばかりで、言っている事も、弱者にかけるコストを如何に浮かして都市再開発で一儲けするかとか、そんな事ばかり。それどころか、大阪市HPで公表の公募論文に地区の実名を晒したり(都島区長)、「菅直人を殴る」発言で物議を醸したり(浪速区長)、有権者をアホ呼ばわりしたり首席で芸能人と大喧嘩したり(淀川区長)、神話教育を提唱し統一教会との関係が取り沙汰されたり(住吉区長)といった「問題児」も一杯いて。
おまけに市長も、「有権者をアホ呼ばわり」区長に対して「俺は選挙で選ばれたから良いが、お前は一般公務員なので暴言は慎め」と。選挙で選ばれたからとかいう問題ではなく、人間としてどうなのかという話なのに。
そんな「問題児」の区長や市長・知事の「暴災」から身を守り、「暴災」発生源を除去する事の方が、糞の役にも立たないメール発信よりも、よっぽど大事な事じゃないのか。
(参照)
・災害緊急事態のさなかの橋下徹と松井一郎のツイッター政治ごっこ @t_ishin @gogoichiro(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3688.html
・近畿豪雨災害における、松井知事と橋下市長の対応が、ぶっ飛び過ぎている件
http://togetter.com/li/355758
・大阪市の公募区長が香ばしい件
http://togetter.com/li/342750
件名:訓練通報 DRILL(大阪府)
内容:訓練。訓練。大阪府で大阪880万人訓練を開始します。実際に地震が起こったときのことを考えてみてください。このメールは訓練用の通報で、実際の災害ではありません。DISASTER DRILL 実行委員会を代表して大阪府より発信しています。
実際の災害時には、身の安全を確保し、適切な情報に基づき近隣の指定避難所に避難してください。
(参照)
・大阪880万人訓練HP
http://www.pref.osaka.jp/shobobosai/trainig_top/h24_880.html
・訓練メール通し府民880万人避難 5日午前11時(大阪日日新聞)
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120828/20120828021.html
9月5日の当該時刻には、私は仕事中でレーンで商品の仕分けをしているので、当然そんなメールを流されても何も出来ない。ひょっとしたら職場でも避難訓練をするかも知れないが、現時点ではまだ何の連絡もない。
それ以前に、「仕事や運転に支障をきたすなら予め電源を切っておけ」なんて言う位なら、最初からそんな何の役にも立たないメールなぞ流すなよと思う。自宅周辺の避難先も市役所のHPで見たが、近くの鉄筋3階建ての小学校なぞに避難した所で、東日本大震災規模の津波が来れば一たまりもない。いざという時はそんな指示なぞ無視して、近くの高層マンションに避難するか、ひたすら海岸とは反対側に逃げるしかないだろう。
それに、何だかんだ言っても、結局は個人の自己責任に転嫁しているだけじゃない。避難速報流すから、後は下々が決められた通りにやれと。でも実際は、避難したくても出来ない人も一杯いるのに。大正区・港区・此花区などの海抜ゼロメートル地帯には、手足の不自由な高齢者や障害者、身寄りのない単身者も多く住む。そんな人たちに訓練や避難開始のメールを一本流した所で、対応出来ない人も決して少なくはない筈だ。そんな人でも普段から何の不安もなく生活でき、いざという時にはスムーズに避難できるようにするのが、行政本来の仕事だろう。実際、数年前の米国ニューオーリンズのハリケーン災害や近年の紀伊半島水害でも、最も多く被災したのは自家用車を持てない貧困層や過疎地域のお年寄りだった。訓練や避難のメールを流すより、それらの人たちのフォローの方がよっぽど重要じゃないか。
ところが、松井・大阪府知事や橋下・大阪市長が実際やっている事はと言えば、区内の老人福祉施設を整理・統廃合したり民営化したりして、それに背を向けるような事ばかりしているじゃないか。それどころか、先日のゲリラ豪雨の際も、府下の高槻や枚方で多くの被災者が出たのに、松井知事は実家の福岡で「世間は騒がしいがこちらは酒も肴も旨い」とかいうツイッター流して、「後で娘に注意された」というようなふざけた言い訳に終始すれば、橋下市長も市長で、「市長がいちいちそんな事に対応していられるか」と居直るという体たらくで。(下記がその彼らのツイートで、gogoichiroは松井一郎知事、t_ishinは橋下徹市長のツイッター・アカウント)
お盆休み、福岡の家内の実家で過ごしています。世間は騒がしいようですが、ここは、本当に静かです。旨い酒と肴で充電中。
gogoichiro 2012/08/14 10:03:36
災害中に不謹慎な呟きなのでは、と娘から叱られました。少し僕の言葉が足りなかったと反省しております。世間が騒がしいというのは、維新の会を取り巻く政局の話であり、あまりにも取材が多かったので、休み中であるということを強調し、あのようなツイートになりました。
gogoichiro 2012/08/15 18:14:25
【大阪府からのお知らせ】松井大阪府知事へのさまざまな意見や要望は、すべて知事の娘さんを通してお伝え願います。そうしないと伝わらない可能性があります。
muzina_shanghai 2012/08/17 07:38:12
大きな方向性は政治家の政治的感覚を重視してもよいが、具体の政策決定は専門家のオープンな突っ込んだ議論が必要。この立論への反論が知りたい RT @ikedanob: 池田信夫 blog : 「住民の被曝限度は年間1mSv」と定めた法律はない http://t.co/oHQrpI3e
t_ishin 2012/08/14 12:41:29
(注:以前に危機管理の件で平松前市長を批判しておきながら、この後も池田氏とのツイートのやり取りばかりで災害対策への言及はなし)
危機管理室が対応し状況報告を受けています。あらゆることを市長が全て直接対応することの方が危機管理上問題。市長の出番はもう一段危ないレベル、判断が必要なとき RT @yuyujiai:今回の大雨災害の時は丸無視でイケノブと下らんツイで時間潰ししとったやないか。コラ?!口先オトコが!
t_ishin 2012/08/17 11:01:25
大阪・長居公園で落雷、10人搬送・1人死亡 : (読売新聞) http://t.co/n4rMRg5x 橋下市長、どう思っているのですか?これでも「市長の出番はもう一段危ないレベル」って言うの? https://t.co/1vCJaYaX
usj1 2012/08/18 22:24:03
必要な場合にはご遺族に対してオフィシャルに行いますが、市民の事故死に全て弔意を発するのは現実に不可能です RT @apollonessive: 市民が事故死する度に弔いの言葉をツイートすべきというお考えですか? RT"@a1675ka:橋下。人間として最低のクズである
t_ishin 2012/08/18 23:02:15
そんな市長だから、選んだ公募区長も、どこぞの成金経営コンサルタントや庁内リストラで人気を博した行政経験者ばかりで、言っている事も、弱者にかけるコストを如何に浮かして都市再開発で一儲けするかとか、そんな事ばかり。それどころか、大阪市HPで公表の公募論文に地区の実名を晒したり(都島区長)、「菅直人を殴る」発言で物議を醸したり(浪速区長)、有権者をアホ呼ばわりしたり首席で芸能人と大喧嘩したり(淀川区長)、神話教育を提唱し統一教会との関係が取り沙汰されたり(住吉区長)といった「問題児」も一杯いて。
おまけに市長も、「有権者をアホ呼ばわり」区長に対して「俺は選挙で選ばれたから良いが、お前は一般公務員なので暴言は慎め」と。選挙で選ばれたからとかいう問題ではなく、人間としてどうなのかという話なのに。
そんな「問題児」の区長や市長・知事の「暴災」から身を守り、「暴災」発生源を除去する事の方が、糞の役にも立たないメール発信よりも、よっぽど大事な事じゃないのか。
(参照)
・災害緊急事態のさなかの橋下徹と松井一郎のツイッター政治ごっこ @t_ishin @gogoichiro(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3688.html
・近畿豪雨災害における、松井知事と橋下市長の対応が、ぶっ飛び過ぎている件
http://togetter.com/li/355758
・大阪市の公募区長が香ばしい件
http://togetter.com/li/342750
反原連(首都圏反原発連合)が毎週金曜日に首相官邸前で行ってきた反原発デモ。大飯原発再稼働反対に的を絞った素人同然のデモが、当初の数百人から今や十数万人を集めるまでに成長し、とうとう野田首相と会見を行うまでになった。その一方で、日の丸を黙認しながら労働組合の旗は下せと言ったり、デモ参加者から逮捕者が出ても選り好みしてまともに救援に取り組まなかったりなど、反原連幹部の恣意的な発言や行動も目につくようになった。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6e7e93070f2f2581a2d2058a224ae295
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ed24283659f9fadcd0cf46e381ef0b2d
そんな折り、「週刊ポスト」8月31日号に反原連幹部の一人Misao Redwolf(ミサオ・レッドウルフ)氏の単独インタビュー記事が載った。自由報道協会代表の上杉隆氏によるインタビュー記事だが、その内容を見て驚いた。記事の中で展開されているミサオ氏の価値観が、まるでネトウヨや橋下・石原のそれと瓜二つだったからだ。主張こそ、前者の反(脱)原発に対して後者は新自由主義者や右翼で原発・核武装にも賛成(容認)と違うものの、その論理展開の仕方が余りにも似通っている事に今更ながら呆然とした。以下、記事の中から幾つか特徴的な箇所を抜き書きする。文中の「上」が上杉隆氏、「M」がミサオ氏の発言である。
小見出し:「政権打倒が目的じゃない」
上:「再稼働反対」のシングルイシューに限定したことが大きい。原発推進の学者さんや東電の中にだって、今回の再稼働に反対という人はいるし、大飯が止まればゴールだから、運動そのものが自己目的化してしまうこともない。
M:参加者のなかには福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます。私も被曝の問題は重大だと思ってますけど、まず大飯の再稼働を止めることで、大きな風穴を開けたい。
「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない。代替案として誰々を首相にしろと、そこまでいえるのなら具体性が出てくるけど、具体的なイシューがないと焦点がぼやけてきて、運動に酔うだけの人が増える気がする。だって内閣を打倒して運動が収束して、いざ他の内閣になったら、もっと原発が悪いことになる可能性だってあるじゃないですか。
(私の感想)
全く以て意味不明。原発推進の御用学者や東電幹部の中に、再稼働に反対の人が一体どれだけいるのか?大飯が止まればそれで良いのか?そんな理屈で行けば、菅前首相が浜岡を停止した時点で、反原発運動は使命を終えた事になってしまう。福島の惨状も放射能の垂れ流しも核のゴミも下請け作業員の被曝もそのままにして。そんな事が果たして人間として許されるのか。
代替案が無ければ何も言えないのか。そんなモノがあろうがなかろうが、ダメなものはダメという所から声を上げるのが普通じゃないか。そんな理屈なら、水俣病の告発すらチッソの公害防止体制(つまり代替案)が整うまでは出来ない事になってしまう。まず今の現状を何とかしろという被害者の叫びから出発した後で、代替案もあれば浮かんでくるだろうし、そもそも、それは加害者(この場合はチッソ)の責任で考え出すものであって、被害者に求められる筋合いのものではない。
内閣が代われば同じというが、それは浜岡や大飯が止まってもそれだけでは何も変わらないのと同じではないか。
これだけでも、反原連のこれらの言い分は、全て「為にするもの」「ただの言いがかり」でしかない事が分かる。運動に酔っているのは寧ろ反原連自身じゃないのか。
小見出し:運動を「乗っ取ろうとする人々」
上:自由報道協会の会見(7月27日)でも、セクト(新左翼)を名指しで批判してましたよね。
M:(中略)いま、私たちの反原発連合では、組織や反原発以外ののぼり旗を立てない、勧誘のビラを配らないといった(自主的な)ルールを設けています。それは反セクト的な意味だけじゃなくて、一般の人が入りやすいという理由もあるんですけど、それで裾野が広がった。だんだんシングルイシュー的な部分が理解されて、運動が成熟してきたわけですが、やはり最後はこの問題なんですよ。
結局、デモが巨大化してから、(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い。
(私の感想)
セクト(党派)や労組の旗がないから参加しやすいという人もおれば、逆にあるから奮い立つ人もいるだろう。そんなものは人それぞれであって、要はデモの邪魔にさえならなければ良いのだ。デモの主題もそっちのけに自派の宣伝や勧誘だけやられたら確かに迷惑だし、そんなセクトや労組もあるのは確かだが、ならその当該セクトや労組に個別に注意して、言う事を聞かなければお引き取り願えばそれで済む話。それを「セクトや労組は全てダメ」と、ミソもクソも一緒くたにして否定・排除するのは、主催者側の横暴でしかない。
そもそも、自民党支持者も共産党支持者も包摂した大衆団体の労組を、政党やセクトと同一視してしまっている時点で、反原連の主張が如何に浅はかなものかが分かる。そんな事を言い出せば、反原連自身も一つのセクトであるのに、自分だけは良くて他は全てダメというのは、反原連による独裁以外の何物でもない。デモの真の主人公は参加者であって主催者ではない。
小見出し:デモの”協賛”は警察!?
上:これまでのデモは、「権力側は敵だ」という前提から入っていたけど、今回は政治とも話し合いの場を持とうとしている。
M:デモとか抗議って、それ自体は国策を変えるわけではない。やっぱりエネルギー政策の転換は国会で政策を練らないといけないことだと考えています。数で押すことによって、ようやく議員さんが反応を示すところまで来たな、と。
(私の感想)
この物言いは、「デモや抗議では政治は変えられない、最後に頼りになるのはやはり国会議員や政治家などの”偉い人”だ、デモはその政治家の後押しに徹すれば良い」と言っているに等しい。何とまあ封建的な価値観か。これでは「お任せ民主主義」そのものではないか。やれツイッターやネットで人を集めたの、斬新で新しいデモのスタイルだのと言われながら、実際にそれを主導しているのは、昔の議員後援会のオジサン・オバサンみたいな旧態依然たる人たちであった。
実際は全く逆で、デモや大衆運動が政治家や政治そのものを変えてきた事は、フランス革命などの歴史や今のジャスミン革命の経緯を見れば明らか。この日本でも公害反対の住民運動や革新自治体の運動が実際に政治を変えてきた歴史がある。その運動が潰された後のたかだか数十年の歴史だけを見て、「デモだけでは政治は変わらない」と訳知り顔に言う人たちは、己の奴隷根性や怠慢を誤魔化す為にそれを言っているだけ。
小見出し:私たちは”人生の押し引き”が分かる
上:日本には60年、70年安保闘争にノスタルジーを覚える世代がいる一方、その下の世代はデモが日本を悪くしたというマイナスイメージを持っている。それを払拭しようとしているのは大きいことです。
M:私は安保のときのこととか、一般レベルの知識しかないんですけど、当時はリーダー的な学生も一緒に突入したんでしょう?でも私たちは主に30~40代以上の”大人の”コアメンバーで運営しているので、人生の押し引きとかもわかる。私たちはリーダーでもなくてただの呼びかけ人ですけど、その呼びかけをした私たちが若すぎないから、粘りもあるんじゃないかな。
(私の感想)
はあ?「デモが日本を悪くした」?日本を悪くしたのは自民党などの政治家や、労働者をどんどんクビにして格差を拡大してきた経営者だろう。なのに、政治の事は良く分からない「一般レベルの知識しかない」封建的なオジサン・オバサン、奴隷根性に囚われた「30~40代以上の”大人”」が、自民党や経営者、橋下・石原などの尻馬に乗って、末端の労組員や公務員、生活保護受給者などを叩きまくり、強きにへつらい弱きを挫く・・・それに対する「ネトウヨの言い訳」にしか聞こえない。この週刊ポストのインタビュー記事のタイトルに「脱原発デモの内なる敵はサヨクとネトウヨだ」とあり、しかもネトウヨ(在特会)批判は申し訳程度で大半がサヨク批判なのだが、これでは自分たちこそが「ネトウヨ」そのものじゃないか。
いや実際にあるよ。この記事で取り上げられているような「既得権益の上に胡坐をかき一般市民とは縁遠い労組」や「デモや集会を単なる自派の草刈り場としか見做さないサヨク党派」の姿とかも。官公労や民間大企業の正社員労組がそうだ。会社べったりで会社と一緒になって原発推進している御用組合(電力総連)なんてその典型でしょう。でも、そうではない労組や党派も一杯ある。
ちなみに私も労組員だが、私が個人で加盟している地域労組のどこにそんな「既得権益」があるのか。色んな会社・職種・地域の非正規労働者の寄せ集めで、勤務時間も休日もバラバラの弱小組合で、社内ではビラ一枚自由にまけないのに。職場での業務改善や労働条件改善の取り組みは、全て私が勝手に行い、労組には必要な時に報告して助言を仰ぐのみ。それでも「腐っても鯛」、いざという時には、そんな労組でも当てにするしかないから加盟しているのだ。そんな労組まで含めて、ミソもクソも一緒くたにされて「脱原発デモの敵」扱いされたのでは堪らない。それもこれも、所詮は「世間知らずのブルジョア・セレブの有閑市民」主導のデモだからか。
正直言って、この「週刊ポスト」の記事を読んで、反原連に対する見方が大きく変わった。今後もずっと反原発・脱原発の取り組みには参加していくつもりだが、こんないい加減な、逮捕されても知らんふりされるようなデモには参加しないだろう。
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http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6e7e93070f2f2581a2d2058a224ae295
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ed24283659f9fadcd0cf46e381ef0b2d
そんな折り、「週刊ポスト」8月31日号に反原連幹部の一人Misao Redwolf(ミサオ・レッドウルフ)氏の単独インタビュー記事が載った。自由報道協会代表の上杉隆氏によるインタビュー記事だが、その内容を見て驚いた。記事の中で展開されているミサオ氏の価値観が、まるでネトウヨや橋下・石原のそれと瓜二つだったからだ。主張こそ、前者の反(脱)原発に対して後者は新自由主義者や右翼で原発・核武装にも賛成(容認)と違うものの、その論理展開の仕方が余りにも似通っている事に今更ながら呆然とした。以下、記事の中から幾つか特徴的な箇所を抜き書きする。文中の「上」が上杉隆氏、「M」がミサオ氏の発言である。
小見出し:「政権打倒が目的じゃない」
上:「再稼働反対」のシングルイシューに限定したことが大きい。原発推進の学者さんや東電の中にだって、今回の再稼働に反対という人はいるし、大飯が止まればゴールだから、運動そのものが自己目的化してしまうこともない。
M:参加者のなかには福島からの避難者のこととか、子供たちの被曝のこととか、自分たちのイシューをかぶせようとする人もいます。私も被曝の問題は重大だと思ってますけど、まず大飯の再稼働を止めることで、大きな風穴を開けたい。
「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない。代替案として誰々を首相にしろと、そこまでいえるのなら具体性が出てくるけど、具体的なイシューがないと焦点がぼやけてきて、運動に酔うだけの人が増える気がする。だって内閣を打倒して運動が収束して、いざ他の内閣になったら、もっと原発が悪いことになる可能性だってあるじゃないですか。
(私の感想)
全く以て意味不明。原発推進の御用学者や東電幹部の中に、再稼働に反対の人が一体どれだけいるのか?大飯が止まればそれで良いのか?そんな理屈で行けば、菅前首相が浜岡を停止した時点で、反原発運動は使命を終えた事になってしまう。福島の惨状も放射能の垂れ流しも核のゴミも下請け作業員の被曝もそのままにして。そんな事が果たして人間として許されるのか。
代替案が無ければ何も言えないのか。そんなモノがあろうがなかろうが、ダメなものはダメという所から声を上げるのが普通じゃないか。そんな理屈なら、水俣病の告発すらチッソの公害防止体制(つまり代替案)が整うまでは出来ない事になってしまう。まず今の現状を何とかしろという被害者の叫びから出発した後で、代替案もあれば浮かんでくるだろうし、そもそも、それは加害者(この場合はチッソ)の責任で考え出すものであって、被害者に求められる筋合いのものではない。
内閣が代われば同じというが、それは浜岡や大飯が止まってもそれだけでは何も変わらないのと同じではないか。
これだけでも、反原連のこれらの言い分は、全て「為にするもの」「ただの言いがかり」でしかない事が分かる。運動に酔っているのは寧ろ反原連自身じゃないのか。
小見出し:運動を「乗っ取ろうとする人々」
上:自由報道協会の会見(7月27日)でも、セクト(新左翼)を名指しで批判してましたよね。
M:(中略)いま、私たちの反原発連合では、組織や反原発以外ののぼり旗を立てない、勧誘のビラを配らないといった(自主的な)ルールを設けています。それは反セクト的な意味だけじゃなくて、一般の人が入りやすいという理由もあるんですけど、それで裾野が広がった。だんだんシングルイシュー的な部分が理解されて、運動が成熟してきたわけですが、やはり最後はこの問題なんですよ。
結局、デモが巨大化してから、(セクト系が)またドーッと来るようになった。でも、これに始末をつけなければ、本当の意味での市民運動にならないっていう思いが私の中で強い。
(私の感想)
セクト(党派)や労組の旗がないから参加しやすいという人もおれば、逆にあるから奮い立つ人もいるだろう。そんなものは人それぞれであって、要はデモの邪魔にさえならなければ良いのだ。デモの主題もそっちのけに自派の宣伝や勧誘だけやられたら確かに迷惑だし、そんなセクトや労組もあるのは確かだが、ならその当該セクトや労組に個別に注意して、言う事を聞かなければお引き取り願えばそれで済む話。それを「セクトや労組は全てダメ」と、ミソもクソも一緒くたにして否定・排除するのは、主催者側の横暴でしかない。
そもそも、自民党支持者も共産党支持者も包摂した大衆団体の労組を、政党やセクトと同一視してしまっている時点で、反原連の主張が如何に浅はかなものかが分かる。そんな事を言い出せば、反原連自身も一つのセクトであるのに、自分だけは良くて他は全てダメというのは、反原連による独裁以外の何物でもない。デモの真の主人公は参加者であって主催者ではない。
小見出し:デモの”協賛”は警察!?
上:これまでのデモは、「権力側は敵だ」という前提から入っていたけど、今回は政治とも話し合いの場を持とうとしている。
M:デモとか抗議って、それ自体は国策を変えるわけではない。やっぱりエネルギー政策の転換は国会で政策を練らないといけないことだと考えています。数で押すことによって、ようやく議員さんが反応を示すところまで来たな、と。
(私の感想)
この物言いは、「デモや抗議では政治は変えられない、最後に頼りになるのはやはり国会議員や政治家などの”偉い人”だ、デモはその政治家の後押しに徹すれば良い」と言っているに等しい。何とまあ封建的な価値観か。これでは「お任せ民主主義」そのものではないか。やれツイッターやネットで人を集めたの、斬新で新しいデモのスタイルだのと言われながら、実際にそれを主導しているのは、昔の議員後援会のオジサン・オバサンみたいな旧態依然たる人たちであった。
実際は全く逆で、デモや大衆運動が政治家や政治そのものを変えてきた事は、フランス革命などの歴史や今のジャスミン革命の経緯を見れば明らか。この日本でも公害反対の住民運動や革新自治体の運動が実際に政治を変えてきた歴史がある。その運動が潰された後のたかだか数十年の歴史だけを見て、「デモだけでは政治は変わらない」と訳知り顔に言う人たちは、己の奴隷根性や怠慢を誤魔化す為にそれを言っているだけ。
小見出し:私たちは”人生の押し引き”が分かる
上:日本には60年、70年安保闘争にノスタルジーを覚える世代がいる一方、その下の世代はデモが日本を悪くしたというマイナスイメージを持っている。それを払拭しようとしているのは大きいことです。
M:私は安保のときのこととか、一般レベルの知識しかないんですけど、当時はリーダー的な学生も一緒に突入したんでしょう?でも私たちは主に30~40代以上の”大人の”コアメンバーで運営しているので、人生の押し引きとかもわかる。私たちはリーダーでもなくてただの呼びかけ人ですけど、その呼びかけをした私たちが若すぎないから、粘りもあるんじゃないかな。
(私の感想)
はあ?「デモが日本を悪くした」?日本を悪くしたのは自民党などの政治家や、労働者をどんどんクビにして格差を拡大してきた経営者だろう。なのに、政治の事は良く分からない「一般レベルの知識しかない」封建的なオジサン・オバサン、奴隷根性に囚われた「30~40代以上の”大人”」が、自民党や経営者、橋下・石原などの尻馬に乗って、末端の労組員や公務員、生活保護受給者などを叩きまくり、強きにへつらい弱きを挫く・・・それに対する「ネトウヨの言い訳」にしか聞こえない。この週刊ポストのインタビュー記事のタイトルに「脱原発デモの内なる敵はサヨクとネトウヨだ」とあり、しかもネトウヨ(在特会)批判は申し訳程度で大半がサヨク批判なのだが、これでは自分たちこそが「ネトウヨ」そのものじゃないか。
いや実際にあるよ。この記事で取り上げられているような「既得権益の上に胡坐をかき一般市民とは縁遠い労組」や「デモや集会を単なる自派の草刈り場としか見做さないサヨク党派」の姿とかも。官公労や民間大企業の正社員労組がそうだ。会社べったりで会社と一緒になって原発推進している御用組合(電力総連)なんてその典型でしょう。でも、そうではない労組や党派も一杯ある。
ちなみに私も労組員だが、私が個人で加盟している地域労組のどこにそんな「既得権益」があるのか。色んな会社・職種・地域の非正規労働者の寄せ集めで、勤務時間も休日もバラバラの弱小組合で、社内ではビラ一枚自由にまけないのに。職場での業務改善や労働条件改善の取り組みは、全て私が勝手に行い、労組には必要な時に報告して助言を仰ぐのみ。それでも「腐っても鯛」、いざという時には、そんな労組でも当てにするしかないから加盟しているのだ。そんな労組まで含めて、ミソもクソも一緒くたにされて「脱原発デモの敵」扱いされたのでは堪らない。それもこれも、所詮は「世間知らずのブルジョア・セレブの有閑市民」主導のデモだからか。
正直言って、この「週刊ポスト」の記事を読んで、反原連に対する見方が大きく変わった。今後もずっと反原発・脱原発の取り組みには参加していくつもりだが、こんないい加減な、逮捕されても知らんふりされるようなデモには参加しないだろう。
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※(2)からの続き
●Re: 日の丸は 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時42分11秒 返信・引用
バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。
> 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
>
> だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
一種の権威主義なのかな。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)15時16分18秒
野間易通さんへのお返事です。
> > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
>
> 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。
まあ、いいでしょう。集団の中で自覚が高まってゆけば。
始めはだれでも失敗だらけです。
がんばってください。
> 自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。
責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
まず「反原発のために集まった人はすべて仲間である」という認識にたって
だれでも(日の丸を掲げた人でも)逮捕者には救援対策を行うことは確認事項なんじゃないでしょうか。
ぜひそういう風にお願いします。
> 救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?
実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
その時、「実務集団」として救援センターを使うのです。
たとえば印刷物を発行しようというのはその発行主体の判断によります。
しかし、実際の印刷物は印刷屋に委せるでしょ? それと同じですよ。
> そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?
> 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
いえ、発言をすり替えないでください。
「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?
もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
そういうことにはなりませんね。
まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
残念ですが、今後の発展に期待しましょう。
野間さんもがんばってください。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時31分29秒 返信・引用
まっぺんさんへのお返事です。
> > > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
> >
> > 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> > 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
>
> 私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
> 「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
> 「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
> あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
> 平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。
ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
私の個人的考えとは関係がない。
> 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
> 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
> > そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
>
> 「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
> 「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?
「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
> > 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
>
> いえ、発言をすり替えないでください。
> 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。
> それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?
ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
> もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> そういうことにはなりませんね。
この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
> まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
> 残念ですが、今後の発展に期待しましょう。
いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
https://twitter.com/kdxn
●工作員なのw 投稿者:転載君 投稿日:2012年 8月18日(土)15時49分52秒
某ツイッターより転載
「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」
●Re: 工作員なのw 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時55分18秒
転載君さんへのお返事です。
> 某ツイッターより転載
>
> 「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」
こういうのってちゃんとURLつけないと。
https://twitter.com/kdxn
●野間さん、まぁがんばってください 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)16時27分52秒 返信・引用 編集済
野間易通さんへのお返事です。
> ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> 私の個人的考えとは関係がない。
おやおや(^^)
それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。
というか、反原連の中には統制主義な輩もいるらしいけど、少なくとも「救援」に関しては
野間さんよりはちゃんと考えているようですね。
その意味で「反原連主催者は」(約1名を除き)救援についてちゃんと考えている
というご意見なら同意しましょう。
> > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
>
> それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
まぁ、これからがんばってくださいね。
> > 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> > 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
>
> その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
それに救援対策を行うのは、まず第一に「主催者」である反原連なのは自明の理です。
なぜなら、その労組の中の逮捕者は、反原連運動全体とは無関係に逮捕されたのではなく、
運動の中で逮捕されたのですから、主催者のもとに両者が協力しあって救援を行うのです。
こういう常識的なことはこれからぜひお勉強していってもらいたいと思います。
なお、「ケースバイケース」とは、救援のスムースさとか意思疎通などではなく、逮捕時の状況、
被逮捕者の職場・学校や肉親などの関係、要するに被逮捕者を第一に考えなきゃ駄目でしょ。
あのー。この議論の発端は、逮捕者対策をきちんとするかどうか、ということでしたが
なんでこんな方向に話が進むんでしょうかねえ。
野間さん。
要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
----------------------------------------
私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
----------------------------------------
> 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
それについてはもう議論済みですよ。
(A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。
(B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。
つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。
ですから、同じことを繰り返しても、何の説得力もありません。おわかりでしょうか?
あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。
> > いえ、発言をすり替えないでください。
> > 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> > あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> > これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> > 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
> さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。
「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
> ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
それなら問題ありません。
> > もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> > しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> > そういうことにはなりませんね。
> この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
核武装賛成論の話はしてませんが? それに「核武装賛成論には立たない」と言っているだけで
「核武装賛成論は一面的で単純だ」とは言っていませんよね?
まぁ、野間さん個人が私の歴史観を「一面的で単純なもの」というのは全く自由です。
しかしそれは「主催者の意向」として説明はできません。
> いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。
●Re: 野間さん、まぁがんばってください 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)17時03分16秒
まっぺんさんへのお返事です。
> > ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> > 私の個人的考えとは関係がない。
>
> おやおや(^^)
> それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。
事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。
> > > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
> >
> > それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
>
> ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
> きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
> まぁ、これからがんばってくださいね。
いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。
> > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
>
> はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
ありますよ。
> 野間さん。
> 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> ----------------------------------------
> 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> ----------------------------------------
意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。
> > 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
>
> それについてはもう議論済みですよ。
>
> (A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
> しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。
>
> (B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
> つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。
>
> つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
> 私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。
で、それは《自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか》?
> あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
> それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
> それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
> すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。
(B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。
> 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。
> > ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
>
> それなら問題ありません。
あわてて誤読しないように、よく落ち着いて読んでくださいね。
> > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
>
> 核武装賛成論の話はしてませんが?
それは「たとえ」です。落ち着いでください。
> > いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
>
> ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
> ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。
概ね労組にシンパシーを抱く人が多い感じですかね。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)17時50分41秒
野間易通さんへのお返事です。
> バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。
>
> > 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> > ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> > ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
> >
> > だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
>
> この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
> 一種の権威主義なのかな。
ははははっ、こりゃ、付ける薬ないねぇ。
ま、トシ食って変節するヤローもこの世にゃいるから、ナンとでも言えるか!
それにしても、貴兄の論法も思想内容も、これだけでよく判りましたわw
●議論は出尽くして堂々巡りモードですね 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)18時29分35秒
> 事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。
はい、そうですねえ。「主催者がおこなった」のは事実なんですね。
でもあなたはそんなもの不必要と思ってるんですよねえ。逮捕された連中は「仲間じゃ無い」んでしょ?
それは自分を「主催者失格」と言っているのと同じじゃないでしょうか?
> いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。
おいおい! それは言葉のすり替えだなぁ。
「責任範囲のことではなく」とは言いましたが、「責任のことではなく」と言ったんじゃありませんよ。
つまりあなたが主催者の責任を「範囲」に分けて「自分には責任がない」ような言い逃れをしたからです。
あなたがここで「主催者の立場から」発言するなら、そのような分担による反論は無効ですよ。
> 態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。
おいおい! あのイラクの人質問題では私は「自衛官人権ホットライン」に所属し
あの運動を「主催していた」立場なんですけどねえ。
あなたにそんなことを言われるとは思わなかった。
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/
それに私は「主催者の責任」をあなたに問うているのであって、それを問うているのは
私も参加者であり、主催者の指示について吟味しているからなのですよ。
どうしてそれが「自己責任」になるんでしょうねえ? 論理も何もなくなってしまってますね。
> > > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
> >
> > はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
>
> ありますよ。
「ありますよ」だけでは反論になっていません。
私は「入れ子も何もない」のあと、ちゃんとその理由を説明していますよ。
> > 野間さん。
> > 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> > あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> > ----------------------------------------
> > 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> > というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> > トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> > 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> > 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> > ----------------------------------------
>
> 意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。
ついに議論放棄ですか(^0^)
あなた自身が「どの立場で発言しているのか」に係っているのですよ。
あなたは「救援など必要かどうか疑問」と言っている。それは「あなた個人の立場」です。
しかし私は救援の必要を主張しました。すると今度は「主催者は救援をやっている」と言った。
自分の個人的立場と、主催者の公的立場とを併用しながら批判をかわしているだけじゃないですか。
だから、さっきいったのですよ、「主催者は約1名を除いて救援についてきちんとやっている」とね。
それでいいんでしょう? それなら同意しますが、なにか問題ありますか?
> (B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。
おやおや! あなたの「主催者命令」に固執する態度については落ち着いて観察していますが?
この問題に関するあなたの態度は「主催者が主役だ。参加者は主催者に従え」という事ですよね。
私は、そのような一方的態度が批判されてきたと言っているのですよ。
だから「主催者に従え」をいくら強調しても、それに従うわけには行きません。
主催者を尊重しつつ、従えないものは従えないと言う他はありません。
(B)ではそのような主催者の一方的態度が参加者からの反感を買っている「事実」を述べているのです。
するとあとは、あなたの口から、次の言葉がいつでるのでしょうか?
「俺様の命令に従わないなら、排除する!」 さあ、さっさとそう言ったらどうですか?
参加者に命令し、統制し、逮捕されても知らん顔で、よく「主催者」なんて言えますねえ。
> > 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> > 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> > 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> > そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
>
> いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。
はい、それならそれで手を打ちましょう。
「主催者の公式見解ではなく、野間さん個人の立場からの発言です」ということで確認いたします。
> > > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
> >
> > 核武装賛成論の話はしてませんが?
>
> それは「たとえ」です。落ち着いでください。
落ち着いています。ぜんぜん「例え」になっていませんが? ま、いっか。
http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&
※当該掲示板での議論はこの後もまだまだ続きますが、これ以上転載してもキリがないので、こちらではこれにて完。
●Re: 日の丸は 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時42分11秒 返信・引用
バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。
> 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
>
> だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
一種の権威主義なのかな。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)15時16分18秒
野間易通さんへのお返事です。
> > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
>
> 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。
まあ、いいでしょう。集団の中で自覚が高まってゆけば。
始めはだれでも失敗だらけです。
がんばってください。
> 自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。
責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
まず「反原発のために集まった人はすべて仲間である」という認識にたって
だれでも(日の丸を掲げた人でも)逮捕者には救援対策を行うことは確認事項なんじゃないでしょうか。
ぜひそういう風にお願いします。
> 救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?
実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
その時、「実務集団」として救援センターを使うのです。
たとえば印刷物を発行しようというのはその発行主体の判断によります。
しかし、実際の印刷物は印刷屋に委せるでしょ? それと同じですよ。
> そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?
> 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
いえ、発言をすり替えないでください。
「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?
もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
そういうことにはなりませんね。
まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
残念ですが、今後の発展に期待しましょう。
野間さんもがんばってください。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時31分29秒 返信・引用
まっぺんさんへのお返事です。
> > > 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
> >
> > 意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
> > 当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
>
> 私はあなたの返事に対して質問をしたのですが?
> 「自分は反原連だ=主催者だ」としながら、
> 「自分のこと」への質問に「集団としての主催者」として答えている。
> あれほど逮捕者についての対応に無知な自分をさらけ出しておきながら、
> 平然と「反原連は組織としてやってます」で済ませるのだから。
ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
私の個人的考えとは関係がない。
> 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
> 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
> > そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
>
> 「何に対して」って? 大丈夫とは、やっても大丈夫ということであって
> 「何に対して」などという条件がつかないから「大丈夫」なんじゃありませんか?
「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
> > 「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
>
> いえ、発言をすり替えないでください。
> 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。
> それとも反日の丸・君が代史観は「一面的で単純な歴史観や国家観である」と主催団体の中で確認されたのですか?
ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
> もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> そういうことにはなりませんね。
この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
> まぁ、労組については、がんばってほしいという事で、それ以上私にもどうすることもできません。
> 残念ですが、今後の発展に期待しましょう。
いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
https://twitter.com/kdxn
●工作員なのw 投稿者:転載君 投稿日:2012年 8月18日(土)15時49分52秒
某ツイッターより転載
「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」
●Re: 工作員なのw 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)15時55分18秒
転載君さんへのお返事です。
> 某ツイッターより転載
>
> 「@kdxn あのね野間易通さん、原発再稼働賛成、という人は馬鹿でいいけどねえ。あなたの言っている馬鹿は、「エートスに反対して子供を非汚染地帯に逃がそうと努力している人たち」に「馬鹿」と言っている。どっちが馬鹿だ?はっきり言います。あなた権力側からの工作員じゃないの?え、ちがうの?」
こういうのってちゃんとURLつけないと。
https://twitter.com/kdxn
●野間さん、まぁがんばってください 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)16時27分52秒 返信・引用 編集済
野間易通さんへのお返事です。
> ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> 私の個人的考えとは関係がない。
おやおや(^^)
それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。
というか、反原連の中には統制主義な輩もいるらしいけど、少なくとも「救援」に関しては
野間さんよりはちゃんと考えているようですね。
その意味で「反原連主催者は」(約1名を除き)救援についてちゃんと考えている
というご意見なら同意しましょう。
> > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
>
> それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
まぁ、これからがんばってくださいね。
> > 実務を行う組織の問題と、活動の主体の問題の違いですよ。
> > 運動の中で逮捕者が出れば、その運動体が救援対策を行うのは当たり前です。
>
> その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
それに救援対策を行うのは、まず第一に「主催者」である反原連なのは自明の理です。
なぜなら、その労組の中の逮捕者は、反原連運動全体とは無関係に逮捕されたのではなく、
運動の中で逮捕されたのですから、主催者のもとに両者が協力しあって救援を行うのです。
こういう常識的なことはこれからぜひお勉強していってもらいたいと思います。
なお、「ケースバイケース」とは、救援のスムースさとか意思疎通などではなく、逮捕時の状況、
被逮捕者の職場・学校や肉親などの関係、要するに被逮捕者を第一に考えなきゃ駄目でしょ。
あのー。この議論の発端は、逮捕者対策をきちんとするかどうか、ということでしたが
なんでこんな方向に話が進むんでしょうかねえ。
野間さん。
要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
----------------------------------------
私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
----------------------------------------
> 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
それについてはもう議論済みですよ。
(A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。
(B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。
つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。
ですから、同じことを繰り返しても、何の説得力もありません。おわかりでしょうか?
あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。
> > いえ、発言をすり替えないでください。
> > 「反原連はそのように考えない」という表明なら、それでまったく問題はありません。
> > あなたは日の丸に反対の意見に対して「一面的で単純な歴史観や国家観」であると言ったのです。
> > これは「反原連はそのように考えない」の範疇を超えて、相手の歴史観への批判です。
> > 反原連は様々な歴史観の人々を受け入れるのではないのですか?
> さまざまな歴史観の人々を受け入れるのですから、そういう単一の(一面的で単純な)歴史観には立たないということです。何も矛盾がない。
「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
> ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
それなら問題ありません。
> > もちろん「主催者として」ではなく「あなた個人として」の発言なら問題はありません。
> > しかし、文脈からいって、「主催者の意向」として発言されているのですから
> > そういうことにはなりませんね。
> この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
核武装賛成論の話はしてませんが? それに「核武装賛成論には立たない」と言っているだけで
「核武装賛成論は一面的で単純だ」とは言っていませんよね?
まぁ、野間さん個人が私の歴史観を「一面的で単純なもの」というのは全く自由です。
しかしそれは「主催者の意向」として説明はできません。
> いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。
●Re: 野間さん、まぁがんばってください 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)17時03分16秒
まっぺんさんへのお返事です。
> > ますます意味不明。反原連が組織として何をやったかという話はすべて単なる事実です。
> > 私の個人的考えとは関係がない。
>
> おやおや(^^)
> それならなんで、そんな無責任なことをおっしゃるのですかねえ。
事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。
> > > 責任範囲のことではなく「仲間は助けるが同志は助けない」みたいなことを言ったのは
> > > 主催者ではなく、主催者の一員である「野間さん個人」ですよ。
> >
> > それは「責任範囲のこと」です。あなたが「主催の責任」について述べたものに対する私個人の考えを書いたものなので(笑)。
>
> ですから、その結果、あなたの「無責任さ」あるいは、責任というものについて
> きちんと考えていないことが明らかになってしまったのではないでしょうか。主催者とは別に。
> まぁ、これからがんばってくださいね。
いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。
> > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
>
> はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
ありますよ。
> 野間さん。
> 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> ----------------------------------------
> 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> ----------------------------------------
意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。
> > 「やっても大丈夫」って意味わからないです。主催が歓迎しないことをやるのは、少なくとも主催にとっては迷惑なのでは? 自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか。
>
> それについてはもう議論済みですよ。
>
> (A)あなたは「主催が歓迎しない」こと「だけ」を強調している。
> しかし「禁止はしない」ということも言われたのですよ。そうですね。
>
> (B)その上で、逆に主催者の態度に対して参加者が抗議していることも申しました。
> つまり言い換えれば「参加者が歓迎しないこと」を主催者が強制しているのです。
>
> つまりあなたは(A)の半分だけの主張を繰り返しているだけなのです。
> 私はそれに対して(A)のあとの半分の主張で対抗し、その上で(B)の観点からも反論しています。
で、それは《自分たちだけよければ「大丈夫」ということでしょうか》?
> あとは「主催者が歓迎しない」行為がどのような行為なのかを現場で判断するしかないでしょう?
> それともあくまでも「主催者が歓迎しないことは一切やるな」というのであれば、
> それこそ横暴な態度として糾弾の対象となるでしょう。
> すでにそれが糾弾されていることについて私は(B)で表明しているのですよ。
(B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。
> 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。
> > ここに書くのは私個人の意見だと表明したはず。「一面的で単純な歴史観や国家観である」というのも、私の評価です。「反原連はそうしたものに依拠しない」というのも、反原連の行動原理に対する私の評価です。
>
> それなら問題ありません。
あわてて誤読しないように、よく落ち着いて読んでくださいね。
> > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
>
> 核武装賛成論の話はしてませんが?
それは「たとえ」です。落ち着いでください。
> > いつも不思議に思うのですが、労組の意義などについてここで熱い議論を闘わせているみなさんは労組とどういうかかわりを持ってるの? 自分はそこに参画してないのですか?
>
> ひとりひとり立場が違いますよ。僕は労組には入っていないので関われません。
> ただし、いま関西の関西生コンに期待し、協力関係にありますから、無関係とは言えませんけど。
概ね労組にシンパシーを抱く人が多い感じですかね。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)17時50分41秒
野間易通さんへのお返事です。
> バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事です。
>
> > 在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
> > ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
> > ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
> >
> > だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
>
> この「ジョンやジミや清志郎」が自分たちと同じ意見だと勝手に思い込むのはなんだろう?
> 一種の権威主義なのかな。
ははははっ、こりゃ、付ける薬ないねぇ。
ま、トシ食って変節するヤローもこの世にゃいるから、ナンとでも言えるか!
それにしても、貴兄の論法も思想内容も、これだけでよく判りましたわw
●議論は出尽くして堂々巡りモードですね 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)18時29分35秒
> 事実を事実として記述するのに「無責任」も何もないでしょうに…。
はい、そうですねえ。「主催者がおこなった」のは事実なんですね。
でもあなたはそんなもの不必要と思ってるんですよねえ。逮捕された連中は「仲間じゃ無い」んでしょ?
それは自分を「主催者失格」と言っているのと同じじゃないでしょうか?
> いや、まっぺんさんは「責任範囲」について何も語ってないでしょう? 「責任範囲のことではなく」と言ってるぐらいだから、こちらが何を言っているのかまったく理解してないとしか思えないです。
おいおい! それは言葉のすり替えだなぁ。
「責任範囲のことではなく」とは言いましたが、「責任のことではなく」と言ったんじゃありませんよ。
つまりあなたが主催者の責任を「範囲」に分けて「自分には責任がない」ような言い逃れをしたからです。
あなたがここで「主催者の立場から」発言するなら、そのような分担による反論は無効ですよ。
> 態度としては、イラク人質事件のときに「自己責任だ!」と言って人質たちを非難した人たちと変わらない。まあ日本人によくありがちな糾弾姿勢ですけどね。
おいおい! あのイラクの人質問題では私は「自衛官人権ホットライン」に所属し
あの運動を「主催していた」立場なんですけどねえ。
あなたにそんなことを言われるとは思わなかった。
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/
それに私は「主催者の責任」をあなたに問うているのであって、それを問うているのは
私も参加者であり、主催者の指示について吟味しているからなのですよ。
どうしてそれが「自己責任」になるんでしょうねえ? 論理も何もなくなってしまってますね。
> > > その「運動」というのが、入れ子になってるわけですよ。たとえば労組の組織参加の場合、救援対策を行う「運動体」は反原連なのかその労組なのかといった、そういう問題。救援のスムースさ、意思疎通の容易さなどさまざまな要素を加味して、これはケースバイケースで判断していけばよいのではないかと思っています。
> >
> > はぁ? 入れ子も何もないと思いますが?
>
> ありますよ。
「ありますよ」だけでは反論になっていません。
私は「入れ子も何もない」のあと、ちゃんとその理由を説明していますよ。
> > 野間さん。
> > 要するに主催者としてきちんと行っているというならそれでいいのです。
> > あなたの以下の発言は撤回すればそれでいいのです。
> > ----------------------------------------
> > 私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をする
> > というのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセク
> > トや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を
> > 奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参
> > 加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
> > ----------------------------------------
>
> 意味がわからない(笑)。「主催者としてきちんと」ということがアプリオリにどういう状態か決定されているのなら、議論の余地など最初からないわけで、これは典型的な思考停止でしょう。糾弾の欲望が先にたつとそういうことになりがちですね。
ついに議論放棄ですか(^0^)
あなた自身が「どの立場で発言しているのか」に係っているのですよ。
あなたは「救援など必要かどうか疑問」と言っている。それは「あなた個人の立場」です。
しかし私は救援の必要を主張しました。すると今度は「主催者は救援をやっている」と言った。
自分の個人的立場と、主催者の公的立場とを併用しながら批判をかわしているだけじゃないですか。
だから、さっきいったのですよ、「主催者は約1名を除いて救援についてきちんとやっている」とね。
それでいいんでしょう? それなら同意しますが、なにか問題ありますか?
> (B)では何も表明されていないです。主催が歓迎しないがそれに逆らってまでやるべきなのかどうかということをいま話し合っているわけで、「組織旗を出す」というのはあなたにとってそういう意味付けのある行為ですか?ということです。「OKとはどういう意味か」というのはそういう質問です。落ち着いてよく考えましょう。
おやおや! あなたの「主催者命令」に固執する態度については落ち着いて観察していますが?
この問題に関するあなたの態度は「主催者が主役だ。参加者は主催者に従え」という事ですよね。
私は、そのような一方的態度が批判されてきたと言っているのですよ。
だから「主催者に従え」をいくら強調しても、それに従うわけには行きません。
主催者を尊重しつつ、従えないものは従えないと言う他はありません。
(B)ではそのような主催者の一方的態度が参加者からの反感を買っている「事実」を述べているのです。
するとあとは、あなたの口から、次の言葉がいつでるのでしょうか?
「俺様の命令に従わないなら、排除する!」 さあ、さっさとそう言ったらどうですか?
参加者に命令し、統制し、逮捕されても知らん顔で、よく「主催者」なんて言えますねえ。
> > 「そういう歴史観に立たない」は立場の表明、「そういう歴史観は一面的だ」は批判です。
> > 意味が違います。それをいっしょくたにして語ってはいけません。
> > 反原連は前者であって、後者はあなた個人の態度です。
> > そのふたつを混ぜこぜにして、あたかも「反原連の立場」であるかのように言うのはいけません。
>
> いけませんもなにも、「混ぜこぜ」にしているわけではなく、私は私の立場から語るしかないのですからしょうがないでしょう。《あたかも「反原連の立場」であるかのように言う》というのがあなたの誤読にすぎないだけです。
はい、それならそれで手を打ちましょう。
「主催者の公式見解ではなく、野間さん個人の立場からの発言です」ということで確認いたします。
> > > この「主催者の意向」は、主催者でなくても説明できるものです。「反原連は核武装賛成論には立たない」といったことは、「主催」でなくてもさまざまな情報から言うことができるでしょう? 私はまっぺんさんの歴史認識を「一面的で単純なもの」と思っており、反原連がそうしたものを表明していない以上、「反原連はそうした一面的で単純な歴史認識を共有しない」と説明するのは当然のことです。
> >
> > 核武装賛成論の話はしてませんが?
>
> それは「たとえ」です。落ち着いでください。
落ち着いています。ぜんぜん「例え」になっていませんが? ま、いっか。
http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&
※当該掲示板での議論はこの後もまだまだ続きますが、これ以上転載してもキリがないので、こちらではこれにて完。
※(1)からの続き
●Re: 事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:プレカリアート@携帯 投稿日:2012年 8月18日(土)09時03分21秒
野間易通さんへのお返事です。
> 以下はまったくの個人の意見で反原連スタッフの中でもごく少数派ですが、私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。
●仕事前ですので手短に 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月18日(土)09時43分5秒
野間易通さんへのお返事です。
要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。
了解しました。ごちゃごちゃ文句を言う前に、とりあえず野間さんを信じてもう一度行動してみます。
ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。
被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。
なお、こういう例や人間を(たとえ匿名でも)、表に引っ張り出す気はないし、「ここが変だよ反原連」みたいな論陣を張る気もありません。それはこの本人たちが自分でそういうことをやろうと思わない限り、私が代行的に「問題を大きくする」気はない。そこまで反原連に悪意はないです。相手(反原連)を変えよう、態度を改めさせてやろう、けしからんので喧嘩しようという気が私にはないのです。
それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。ますは評価と連帯が先だと思っています。苦言は二の次、その苦言をどう受け止めるかもご本人たち(反原連)が決めること。相手を変えようとするのではなく、その態度を見て、自分たちなりの反原発運動をやっていけばいいと思っています。道が別れるならそれはそれでしょうがない。その私(たち)に対して、また苦言なり意見を言うのも自由だと思います。ただ罵りあいはしたくないですね。
まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。
http://bund.jp/
●時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)10時14分43秒
>はい。で、「何をし」たら、「有効」と判断するのですか?
>あなたはそこを何も示していない。
私は「一参加者」に過ぎません。
その私に「主催者」と自称するあなたが聞くのでしょうか?
本末転倒ではないでしょうか?
というか、「主催者」の責任も知らない人が「主催」することに危惧を覚えます。
こうした大規模な行動の場合、警備の警察との間で「摩擦」が起こるのはある意味当たり前。
それは主催者がどんなに気をつけても起こり得るのです。
しかし、そうした一般的な「摩擦」の背後には、警備側の思惑も潜んでおります。
昨年、「素人の乱」主催のデモで、いきなり大量逮捕が行われたことがありましたが、
あれなどは典型的です。警備側は、こういう運動を「沈静させたい」のですよ。
抗議行動のような行為はやめさせたい。そのために逮捕などを脅しに使う。
また運動それ自体を「逮捕者を出すようなイケナイ行動」という印象操作する。
素人の乱がいったいどんな悪いことをしたというのでしょうか?
あの逮捕事件をきっかけに一時は動員数が減りました。警察の目的はそれだったのです。
官邸前行動とは、「国政に異議を申し立てる」行為です。
それが大きければ大きいほど現政権にとっては都合が悪い。
だから「政治は正しく行われている」というポーズをとるためにも
こうした街頭における反対運動はできればない方がいいのです。
警察による「警備」行動はこの政府の思惑を背景に行われています。
だから中立の立場から抗議行動を管理するのではなく、
できるだけ運動が後退してゆくように考えて行動をします。
逮捕はその手段のひとつです。その事は念頭においておくべきでしょう。
呼びかけた主催者は、その呼びかけた集会を無事に、安全に終わらせる義務があります。
呼びかけっぱなしで、「あとは自由勝手にしろ」ではすみません。
だからある程度の「指示」は必要なことなのです。
しかし、それでも時には逮捕者が出ます。「逮捕」とは「捕まえる」の意味に過ぎず、
ただちに起訴されるわけではありませんが、一定の時間、拘束されるのです。
そのような行為を警察が行うにはよっぽど「正当な理由」がなくてはなりません。
しかし、一連の反原発行動の中で「正当な理由」など指摘されていません。
現に、逮捕はしても起訴もされていないことからも、この逮捕の不当性を物語っています。
逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
逮捕の状況を調べ、その不当性を主張すること
などがあります。有効性を持った対応とはこういう事です。
だから参加者も主催者の呼びかけに安心して応えられるんじゃないでしょうか。
こうした責任は「主催者」にあります。
他の「主催者」に聞いてごらんなさい。常識ですよ。
>私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
まあ、呆れるという他はありませんね。
なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
ぜひ、活用していただきたいと思います。
>一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。
「日の丸」は「所属を示す」のでしょうか?
広い意味で「日本国民である事を示す」という事になるかも知れませんね。
しかし私は日の丸によって、そんな「集団の一部である」と思われることに不快感を持ちます。
野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。
原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。
一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)12時55分10秒
まっぺんさんへのお返事です。
> 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> 逮捕の状況を調べ、
ここまで、反原連は全部やってますね。
> >私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
>
> 「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
> まあ、呆れるという他はありませんね。
> なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
> ぜひ、活用していただきたいと思います。
いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。
> >一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
>
> 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
> ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
> それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。
その比較自体がおかしなことだと思います。
> 野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。
>
> 原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
> そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
> 「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。
反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。
> 一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
> 労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
> だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
> だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
> むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
> 労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。
「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 仕事前ですので手短に 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時09分33秒
草加耕助さんへのお返事です。
> 要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。
その「限度」についてはわりと厳格です。シングル・イシューは大原則として維持します。草加さんが先の投稿で挙げた例は原発問題に直接関連するさまざまな主張で、シングル・イシューの範囲を逸脱しませんから、当初から何も制限されておらず、「歓迎しない」ものですらないです。
> ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。
私はプラカードを下ろしてもらったことや、下ろせといって断られたこともあります。それはどういうプラカードだったかというと、どこかの教職員組合の人が持っていた「中村都教委糾弾!」みたいな幟でしたね。要は別のイシューのものを掲げている場合は、これは下ろしてもらいます。
> 被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。
このことについてはツイッター上でもよく話題になっていますが、たいていの場合は誇張です。反原連は疎開裁判の人たちとも連絡をとりあって活動してます。官邸前のスピーチエリアで、ルールとなっている制限時間を超えてえんえんとしゃべり続けるとか、それを制止してもやめないような人たちの一部にそういう主張の人がおり、それが「被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ」たという話として流布されているのが実情です。あと、「シュプレヒコールの中にこれを入れろ!」と言ってきて断った場合とか。いずれにせよIWJのアーカイブを見れば、多くの人が被曝問題や避難の問題について普通に官邸前で訴えているという事実が確認できると思います。
> それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。
というよりも、草加さんは事実ではない情報を伝聞として広めているので、そのこと自体が反原連からしたら「ケンカ売ってんの?」ってことになっちゃいますよ、ということです。「腕章をした黒ずくめの集団にとりかこまれた」なんてことが、起きるわけがない。そんな集団はいないのですから。そういう、細かい印象操作をそのまま流布するなら、せめて当事者から反論があった場合はきちんと対応すべきです。
> まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。
この話じたいに、謙虚さがまるでないと思います。私は草加さんにたいして「デマを広めるな」と言っているだけです。自分が何に加担しているか、よく考えて行動してくださいね。
●「同志」と「仲間」の違いについて 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時17分1秒 返信・引用 編集済
プレカリアート@携帯さんへのお返事です。
> 普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。
いや、このへんの感覚を説明するのは難しいのですが、たとえば労働組合や左翼セクト、ノンポリ市民、右翼勢力が「反原発」の一点で集まっている場合、それは「同志」であってもそれぞれの人に「仲間」の感覚が薄いんじゃないかと思うんですね。当然、「利用価値」とか「手駒」という感覚もないです。利用したり動かしたりしませんから。
「官邸前の日の丸を下ろせ」という左翼からの主張は、集まっている人は仲間であるべきだから、仲間じゃないやつを排除しろという発想に立っているようにも思えるのですが、本来はさまざまな政治的傾向を持つバラバラの人が「反原発」という「同」じ「志」のもとに集まっているのだという感覚になれば、あんまり気にならないんじゃないのかなと。
ちなみに、7.29の救援については、救援会は逮捕者の「仲間」の方々が組織し、反原連はそれと連絡を取り合いながら支援するという形を取りました。
https://twitter.com/kdxn
●日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)14時20分16秒
在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)14時21分17秒
野間易通さんへのお返事です。
> > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > 逮捕の状況を調べ、
>
> ここまで、反原連は全部やってますね。
今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
救援についてきちんと考えていたとは思えません。
まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
当然やっていると思いますが。
> いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。
わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。
運動の歴史の中で救援の担い手たちが協力し合っていっしょに作り出したのです。
えっと、少なくとも40年以上の歴史がありますよ。
被逮捕者の意向を尊重するのは当然のことです。
当然、その「意向を聞く」ことから始まりますよね?
それについて、人に聞く前に自分からやるべきだと思いますよ。主催者なら。
> > 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
>
> 「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
> 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?
逆に言わせてもらえば、現場で「反原連」の腕章によって参加者に命令的態度をとる人は
参加者から「歓迎」されていないことも踏まえておくべきでしょう。草加さんが書いている通りです。
呼びかけたのは反原連ですが、その呼びかけに応じて参加したのは我々です。
それに対する一定の指示は受け入れますが、現場では受け入れられない場合もあるということです。
労組の旗の登場については、あなたに余計な指図を受けるいわれはありません。
> 反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。
知っていますよ。原田さんとは、テントの中で議論しましたから。
しかし原田さん以外はどうなんでしょうね。
ところで、原田さんが「積極的に」というのは誤解されかねない言い方ですね。
まるで彼が日の丸を「歓迎している」みたいな言い方じゃありませんか。原田さんがかわいそうです。
日の丸問題については、昨年、テントに「反原発」の極右団体が来たことに端を発しています。
その時の議論の結果として日の丸を掲げる団体などが「団体」として行動する事に反対するが
個人が日の丸を掲げて参加するのを反対はできない、というのがテントとしての見解でした。
だから、極右団体が日の丸を掲げて参加するのには大いに抗議するべきです。
もちろん、その文脈で例えば左翼もヘルメットをかぶって集団で登場するのは反対、という事になります。
日の丸と労組を比較できないという見解は、まったくその通りです。これについては
右翼の側が、「日の丸が駄目なら労組の赤旗も禁止しろ」という事を言ってきたからです。
つまり彼らは「日の丸」と「労組の赤旗」を比較するが、それはスジ違いというものです。
労組はすでに申したとおり、「労働者の権利を守るための団体」です。
しかし日の丸を掲げる極右団体はそれに比較できるような団体ではありません。
比較するなら「極左の党派」ということになります。
だから左翼が集団で党派として登場するのもはばかられることになります。
また私は日の丸を「禁止しろ」とまでは言っておりません。
主催者側にそんなことを要求するのではなく「反日の丸」意見を拡大してゆき、
参加者の力で排除するべきかと思います。
日の丸に対しては一参加者として非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?
日の丸を許容したのは、意見の違いを超えて「反原発」一本で集まるためではないのですか?
それなら、当然にも参加している「反日の丸」勢力の人たちにむかって
「一面的で単純な歴史観や国家観」というのは参加者を「選別」する行為です。
主催者なら「日の丸も反日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?
> 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
ピンと来ないのは実態として知らないからなのでしょうね。「知識」として知ってはいても。
それは旧「新左翼」の一員である僕にも大いに責任のあることです。
世界の労働運動が、資本の側からの強力な攻勢にもかかわらず、生き残って闘いを継続しているのに
日本では労働運動はことごとく潰され、資本に屈服してきました。
現在、日本では反原発でも沖縄でも、他のどのような運動でも、
労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時40分33秒
まっぺんさんへのお返事です。
> > > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > > 逮捕の状況を調べ、
> >
> > ここまで、反原連は全部やってますね。
>
> 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
> そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
> 「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
> 責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
> 救援についてきちんと考えていたとは思えません。
> まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
> 当然やっていると思いますが。
自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。
> わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
> 救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。
救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?
> > 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
>
> おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?
そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
> 一参加者としては非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
> しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
> それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
> そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?
> 主催者なら「日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?
「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
> > 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
>
> ピンと来ないのは知らないからなのでしょうね。
そうです。仲間内の了解事項を共有しない人が集まるから、人数が増えていったんだと思います。
> 労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
> 次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
> このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。
先の投稿でも書いたように、私自身は労組にもっと参加してほしい。もっといえば、独自のデモもどんどんやってほしいと思ってます。労働運動に関わってきた人が「このままではだめだ」と本当に考えるなら、今までのやり方を見直すことにもっと積極的でいいんじゃないかな。「労組の幟は団結の象徴だから上げさせろ!」なんてことを主張する前に、原発をどうやったら止められるかを労組以外の人たちと一緒になって考えていく姿勢を持ってほしいと思います。
実際、組織動員をするが組合の幟は持ってこないという方針の労組はすでにいくつかあるようです。7.16の代々木でもそういう方針が主催の側から伝えられたと聞きますが、あんまり守られてなかったみたいですね。
https://twitter.com/kdxn
http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&
※(3)に続く
●Re: 事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:プレカリアート@携帯 投稿日:2012年 8月18日(土)09時03分21秒
野間易通さんへのお返事です。
> 以下はまったくの個人の意見で反原連スタッフの中でもごく少数派ですが、私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。
●仕事前ですので手短に 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月18日(土)09時43分5秒
野間易通さんへのお返事です。
要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。
了解しました。ごちゃごちゃ文句を言う前に、とりあえず野間さんを信じてもう一度行動してみます。
ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。
被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。
なお、こういう例や人間を(たとえ匿名でも)、表に引っ張り出す気はないし、「ここが変だよ反原連」みたいな論陣を張る気もありません。それはこの本人たちが自分でそういうことをやろうと思わない限り、私が代行的に「問題を大きくする」気はない。そこまで反原連に悪意はないです。相手(反原連)を変えよう、態度を改めさせてやろう、けしからんので喧嘩しようという気が私にはないのです。
それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。ますは評価と連帯が先だと思っています。苦言は二の次、その苦言をどう受け止めるかもご本人たち(反原連)が決めること。相手を変えようとするのではなく、その態度を見て、自分たちなりの反原発運動をやっていけばいいと思っています。道が別れるならそれはそれでしょうがない。その私(たち)に対して、また苦言なり意見を言うのも自由だと思います。ただ罵りあいはしたくないですね。
まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。
http://bund.jp/
●時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)10時14分43秒
>はい。で、「何をし」たら、「有効」と判断するのですか?
>あなたはそこを何も示していない。
私は「一参加者」に過ぎません。
その私に「主催者」と自称するあなたが聞くのでしょうか?
本末転倒ではないでしょうか?
というか、「主催者」の責任も知らない人が「主催」することに危惧を覚えます。
こうした大規模な行動の場合、警備の警察との間で「摩擦」が起こるのはある意味当たり前。
それは主催者がどんなに気をつけても起こり得るのです。
しかし、そうした一般的な「摩擦」の背後には、警備側の思惑も潜んでおります。
昨年、「素人の乱」主催のデモで、いきなり大量逮捕が行われたことがありましたが、
あれなどは典型的です。警備側は、こういう運動を「沈静させたい」のですよ。
抗議行動のような行為はやめさせたい。そのために逮捕などを脅しに使う。
また運動それ自体を「逮捕者を出すようなイケナイ行動」という印象操作する。
素人の乱がいったいどんな悪いことをしたというのでしょうか?
あの逮捕事件をきっかけに一時は動員数が減りました。警察の目的はそれだったのです。
官邸前行動とは、「国政に異議を申し立てる」行為です。
それが大きければ大きいほど現政権にとっては都合が悪い。
だから「政治は正しく行われている」というポーズをとるためにも
こうした街頭における反対運動はできればない方がいいのです。
警察による「警備」行動はこの政府の思惑を背景に行われています。
だから中立の立場から抗議行動を管理するのではなく、
できるだけ運動が後退してゆくように考えて行動をします。
逮捕はその手段のひとつです。その事は念頭においておくべきでしょう。
呼びかけた主催者は、その呼びかけた集会を無事に、安全に終わらせる義務があります。
呼びかけっぱなしで、「あとは自由勝手にしろ」ではすみません。
だからある程度の「指示」は必要なことなのです。
しかし、それでも時には逮捕者が出ます。「逮捕」とは「捕まえる」の意味に過ぎず、
ただちに起訴されるわけではありませんが、一定の時間、拘束されるのです。
そのような行為を警察が行うにはよっぽど「正当な理由」がなくてはなりません。
しかし、一連の反原発行動の中で「正当な理由」など指摘されていません。
現に、逮捕はしても起訴もされていないことからも、この逮捕の不当性を物語っています。
逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
逮捕の状況を調べ、その不当性を主張すること
などがあります。有効性を持った対応とはこういう事です。
だから参加者も主催者の呼びかけに安心して応えられるんじゃないでしょうか。
こうした責任は「主催者」にあります。
他の「主催者」に聞いてごらんなさい。常識ですよ。
>私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
まあ、呆れるという他はありませんね。
なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
ぜひ、活用していただきたいと思います。
>一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。
「日の丸」は「所属を示す」のでしょうか?
広い意味で「日本国民である事を示す」という事になるかも知れませんね。
しかし私は日の丸によって、そんな「集団の一部である」と思われることに不快感を持ちます。
野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。
原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。
一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)12時55分10秒
まっぺんさんへのお返事です。
> 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> 逮捕の状況を調べ、
ここまで、反原連は全部やってますね。
> >私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
>
> 「仲間は助けるが同志は助けない」って、いったいどこから出てくる屁理屈でしょうか?
> まあ、呆れるという他はありませんね。
> なお、「ここ10年」ではありません。救援連絡センターの歴史はもっと古いです。
> ぜひ、活用していただきたいと思います。
いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。
> >一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
>
> 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
> ついでに私の見解を申しますが、所属を示すかどうか、は基準としてもしょうがないと思います。
> それは「日の丸」と「労組の旗」との比較においてそう思います。
その比較自体がおかしなことだと思います。
> 野間さんもご存知のように日の丸は君が代と共に、明治政府以来「侵略の象徴」でもあったからです。
>
> 原発被害を訴え、危険なものを押しつける政策に反対する行動の中に
> そのような侵略・抑圧の象徴を持ち込むのは、言い換えれば
> 「他者を抑圧するような者が抑圧されている人々の行動に参加する」という事に他なりません。
反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。
> 一方、労働組合とは、労働者の団結を象徴するものです。
> 労働者個人と、経営者とでは労働者の方が圧倒的に不利な立場にあります。
> だから労働者は団結して経営者と対等の立場となる事ができるのです。これは憲法でも保障された権利です。
> だから、こうした反原発の行動に対して非常に親和的であると思います。
> むしろ労働者の闘いに学ぶことさえできるのではないでしょうか。
> 労働運動がもっと反原発運動の主流となる必要を感じます。この運動に「勝つ」ためには。
「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 仕事前ですので手短に 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時09分33秒
草加耕助さんへのお返事です。
> 要するに、ありとあらゆる主張(歓迎しないものを含む)に対して、オープンにしていますよ、別に何を主張してもらってもかまいませんよということですね。もちろんモノには限度があることは承知していますが。
その「限度」についてはわりと厳格です。シングル・イシューは大原則として維持します。草加さんが先の投稿で挙げた例は原発問題に直接関連するさまざまな主張で、シングル・イシューの範囲を逸脱しませんから、当初から何も制限されておらず、「歓迎しない」ものですらないです。
> ただ、「再稼働反対」以外のこと(「野田はやめろ」とか)を主張して、「主催者」を「自称」する人から、やめてほしいと言われた話は、ごく普通に聞きます。実際に書くのはリアルの友人から聞いた話だけですが、ネット上のつきあいの方を含めると、もっと多いです。書いてきたプラカードを下ろせと言われた人もいます。どの例も、断ったら「主催者」はそれ以上は何も言わずに立ち去ったということです。
私はプラカードを下ろしてもらったことや、下ろせといって断られたこともあります。それはどういうプラカードだったかというと、どこかの教職員組合の人が持っていた「中村都教委糾弾!」みたいな幟でしたね。要は別のイシューのものを掲げている場合は、これは下ろしてもらいます。
> 被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われて、官邸前には行かなくなった方というのも、私のリアルの知り合いです。そんなの無視してやればできるということなんでしょうが、「主催者」にそう言われた時点ですっかり失望してしまったようです。ただし反原連を非難するのではなく、「とても心配している」とのことです。
このことについてはツイッター上でもよく話題になっていますが、たいていの場合は誇張です。反原連は疎開裁判の人たちとも連絡をとりあって活動してます。官邸前のスピーチエリアで、ルールとなっている制限時間を超えてえんえんとしゃべり続けるとか、それを制止してもやめないような人たちの一部にそういう主張の人がおり、それが「被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ」たという話として流布されているのが実情です。あと、「シュプレヒコールの中にこれを入れろ!」と言ってきて断った場合とか。いずれにせよIWJのアーカイブを見れば、多くの人が被曝問題や避難の問題について普通に官邸前で訴えているという事実が確認できると思います。
> それを怠惰というなら言えばいいですが、そもそも喧嘩する気がないのです。
というよりも、草加さんは事実ではない情報を伝聞として広めているので、そのこと自体が反原連からしたら「ケンカ売ってんの?」ってことになっちゃいますよ、ということです。「腕章をした黒ずくめの集団にとりかこまれた」なんてことが、起きるわけがない。そんな集団はいないのですから。そういう、細かい印象操作をそのまま流布するなら、せめて当事者から反論があった場合はきちんと対応すべきです。
> まあ、どうしてもというなら、こういう知り合いをご紹介してもいいですが、私も、その当人も、もうあんまそういうことを深く追求してエネルギーをさくほど、反原連に腹をたてているわけではありません。「証拠をみせろ!」「表で論争しろ!」とかいうことではなく、今後の内部討論やよりよいネットワークのために是非とも話を聞きたいとか、そういう謙虚(友好的)な姿勢で接するならあってくれるかもしれません。
この話じたいに、謙虚さがまるでないと思います。私は草加さんにたいして「デマを広めるな」と言っているだけです。自分が何に加担しているか、よく考えて行動してくださいね。
●「同志」と「仲間」の違いについて 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)13時17分1秒 返信・引用 編集済
プレカリアート@携帯さんへのお返事です。
> 普通は同志=仲間じゃないの。実際に個人としてどこまで救援に取り組めるかはまた別問題としても。ところがそうじゃないという事は、参加者を単なる利用価値のある人間、自分の手駒としか見ていないからじゃない。
いや、このへんの感覚を説明するのは難しいのですが、たとえば労働組合や左翼セクト、ノンポリ市民、右翼勢力が「反原発」の一点で集まっている場合、それは「同志」であってもそれぞれの人に「仲間」の感覚が薄いんじゃないかと思うんですね。当然、「利用価値」とか「手駒」という感覚もないです。利用したり動かしたりしませんから。
「官邸前の日の丸を下ろせ」という左翼からの主張は、集まっている人は仲間であるべきだから、仲間じゃないやつを排除しろという発想に立っているようにも思えるのですが、本来はさまざまな政治的傾向を持つバラバラの人が「反原発」という「同」じ「志」のもとに集まっているのだという感覚になれば、あんまり気にならないんじゃないのかなと。
ちなみに、7.29の救援については、救援会は逮捕者の「仲間」の方々が組織し、反原連はそれと連絡を取り合いながら支援するという形を取りました。
https://twitter.com/kdxn
●日の丸は 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月18日(土)14時20分16秒
在日外国人やアジア諸国民を運動から排除する。
ま、代々木とも気の合う、今の日本社会のレベルに相応しい「国民運動」路線だけどねw
ドイツ人やインド人もビックリ!!!www
だけど、ジョンやジミや清志郎が生きていたら、多分、泣くぜぇ。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月18日(土)14時21分17秒
野間易通さんへのお返事です。
> > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > 逮捕の状況を調べ、
>
> ここまで、反原連は全部やってますね。
今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
救援についてきちんと考えていたとは思えません。
まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
当然やっていると思いますが。
> いや、「救援の歴史」ではなく、救援の担い手の話です。よく読みましょう。また、救援連絡センターを使うかどうかは、逮捕された人の意向を尊重すべきです。方針が合わない人もたくさんいますので。
わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。
運動の歴史の中で救援の担い手たちが協力し合っていっしょに作り出したのです。
えっと、少なくとも40年以上の歴史がありますよ。
被逮捕者の意向を尊重するのは当然のことです。
当然、その「意向を聞く」ことから始まりますよね?
それについて、人に聞く前に自分からやるべきだと思いますよ。主催者なら。
> > 了解しました。ではこれからは労組が旗をもってきても大丈夫だという事ですね。
>
> 「大丈夫」というのは、どういう意味でしょうか?
> 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?
逆に言わせてもらえば、現場で「反原連」の腕章によって参加者に命令的態度をとる人は
参加者から「歓迎」されていないことも踏まえておくべきでしょう。草加さんが書いている通りです。
呼びかけたのは反原連ですが、その呼びかけに応じて参加したのは我々です。
それに対する一定の指示は受け入れますが、現場では受け入れられない場合もあるということです。
労組の旗の登場については、あなたに余計な指図を受けるいわれはありません。
> 反原連はこういう一面的で単純な歴史観や国家観にくみしないので、日の丸については当初から「許容」しているのです。また、メンバーの中には、私やたんぽぽ舎の原田さんのように、日の丸が上がっていること自体にもっと積極的な意味を見出す人もいます。
知っていますよ。原田さんとは、テントの中で議論しましたから。
しかし原田さん以外はどうなんでしょうね。
ところで、原田さんが「積極的に」というのは誤解されかねない言い方ですね。
まるで彼が日の丸を「歓迎している」みたいな言い方じゃありませんか。原田さんがかわいそうです。
日の丸問題については、昨年、テントに「反原発」の極右団体が来たことに端を発しています。
その時の議論の結果として日の丸を掲げる団体などが「団体」として行動する事に反対するが
個人が日の丸を掲げて参加するのを反対はできない、というのがテントとしての見解でした。
だから、極右団体が日の丸を掲げて参加するのには大いに抗議するべきです。
もちろん、その文脈で例えば左翼もヘルメットをかぶって集団で登場するのは反対、という事になります。
日の丸と労組を比較できないという見解は、まったくその通りです。これについては
右翼の側が、「日の丸が駄目なら労組の赤旗も禁止しろ」という事を言ってきたからです。
つまり彼らは「日の丸」と「労組の赤旗」を比較するが、それはスジ違いというものです。
労組はすでに申したとおり、「労働者の権利を守るための団体」です。
しかし日の丸を掲げる極右団体はそれに比較できるような団体ではありません。
比較するなら「極左の党派」ということになります。
だから左翼が集団で党派として登場するのもはばかられることになります。
また私は日の丸を「禁止しろ」とまでは言っておりません。
主催者側にそんなことを要求するのではなく「反日の丸」意見を拡大してゆき、
参加者の力で排除するべきかと思います。
日の丸に対しては一参加者として非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?
日の丸を許容したのは、意見の違いを超えて「反原発」一本で集まるためではないのですか?
それなら、当然にも参加している「反日の丸」勢力の人たちにむかって
「一面的で単純な歴史観や国家観」というのは参加者を「選別」する行為です。
主催者なら「日の丸も反日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?
> 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
ピンと来ないのは実態として知らないからなのでしょうね。「知識」として知ってはいても。
それは旧「新左翼」の一員である僕にも大いに責任のあることです。
世界の労働運動が、資本の側からの強力な攻勢にもかかわらず、生き残って闘いを継続しているのに
日本では労働運動はことごとく潰され、資本に屈服してきました。
現在、日本では反原発でも沖縄でも、他のどのような運動でも、
労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。
●Re: 時代の違い、といっていいのだろうか? 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)14時40分33秒
まっぺんさんへのお返事です。
> > > 逮捕をさせないようにするのはもちろんですが、
> > > 逮捕されたら、まずどこへ拘束されているかを調べること、
> > > 弁護士などに連絡すること(そのために救援連絡センターがあります)
> > > 逮捕の状況を調べ、
> >
> > ここまで、反原連は全部やってますね。
>
> 今までの議論から考えて、それは「あなた以外の」反原連ということになりますね。
意味がわからない。反原連が、組織としてやってます。
当然会議で合意を経たものですし、実務の担当者とそうでない人がいます。
> そもそも「仲間は助けるが同志は助けない」とか
> 「呼びかけただけで、あとは知らないナリ」という、
> 責任についての奔放な態度を開陳されているあなたが
> 救援についてきちんと考えていたとは思えません。
> まぁ、たんぽぽ舎なんかはそのへんしっかりしてますから
> 当然やっていると思いますが。
自分の考えと同じでないと「きちんと考えてない」とするのはいかがなものか。運動が大きくなってきた場合、責任範囲を限定的・分散的にしておかないとこういう個人主体の運動体そのものがつぶれてしまいます。大きな組織でないと運動ができなくなる。そういうことを避ける方策を考えるのは当然でしょう。
> わたしは救援の担い手の歴史から申しているのです。
> 救援連絡センターは「外部から忽然と産まれた」のではありません。
救援連絡センターの歴史ではなく、「誰が救援連絡センターや弁護士と連絡を取り、救援会を組織するか」の話。それを「担い手」と言ってます。救援連絡センターが「担い手」なら、そこに連絡すりゃすむ話ってことになっちゃいますが、ちがうでしょ?
> > 主催の呼びかけで「歓迎しない」とされている行為をすることが、何にたいして「大丈夫」なのですか?
>
> おや? 「歓迎しない」けれども禁止ではないんでしょう?
そうです。「主催の呼びかけに応じて集ま」る人が、主催が「歓迎しないことをやる」のは、何にたいして「大丈夫」なんでしょうか?
> 一参加者としては非常な不快感を持っていることについては表明しておきます。
> しかしその意見に対してあなたが「一面的で単純な歴史観や国家観」であると断定するのは、
> それもまた「一面的で単純」であると思いますが、それよりも問題なのは、
> そうした断定をする事は「主催者の権限」を超えた行為なのではないのでしょうか?
> 主催者なら「日の丸も許容する」というだけでいいのではありませんか?
「反原連はそのように考えない」と表明することは当然反原連の「権限」の範疇でしょう。というか、そもそも権限云々とは関係がない。
> > 「団結を象徴する」というのは、労組以外の人にとってはあまりピンと来ない考え方のように思います。そういう考え方があることは理解しますが、その是非とは関係なく、労働運動の文脈を過度に持ち込むことは、外野から見ればマイナスに働いているように見えますね。反原発運動においては、労組の方にはもっと組合以外の人々と「団結」する方策を模索してほしいと思います。
>
> ピンと来ないのは知らないからなのでしょうね。
そうです。仲間内の了解事項を共有しない人が集まるから、人数が増えていったんだと思います。
> 労働運動が主役となることがありません。敗北の結果として
> 次の世代に運動の伝統を渡すことができませんでした。
> このままではだめだ、という気持ちは、野間さんにはわからないでしょうね。
先の投稿でも書いたように、私自身は労組にもっと参加してほしい。もっといえば、独自のデモもどんどんやってほしいと思ってます。労働運動に関わってきた人が「このままではだめだ」と本当に考えるなら、今までのやり方を見直すことにもっと積極的でいいんじゃないかな。「労組の幟は団結の象徴だから上げさせろ!」なんてことを主張する前に、原発をどうやったら止められるかを労組以外の人たちと一緒になって考えていく姿勢を持ってほしいと思います。
実際、組織動員をするが組合の幟は持ってこないという方針の労組はすでにいくつかあるようです。7.16の代々木でもそういう方針が主催の側から伝えられたと聞きますが、あんまり守られてなかったみたいですね。
https://twitter.com/kdxn
http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=1&
※(3)に続く
毎週金曜日に行われてきた首相官邸前の反原発デモについては、当ブログも今まで積極的に応援してきました。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1a42972fb6a8ffbe30acdcf7dadbbf37
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3027ef44998d715508f3bb6df754fcd9
その一方で、当該デモの在り方を巡る議論についても注視してきました。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/78d33dc7ea4d330ab1b8fb3ab0c802b8
その後、当該反原発デモ主催者の一人も加わり、更に議論は白熱化。転載フリーの掲示板での議論なので、関連投稿を当ブログにも参考の為に保存しておく事にしました。
投稿数が膨大なので3分割での記事としましたが、それでも記事1本あたりの字数は優に1万字を超えます。そのつもりで読んで下さい。
---------------------------(転載はここから)---------------------------
●「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:tpkn 投稿日:2012年 8月16日(木)18時44分0秒
まっぴょんさん、お久しぶり。官邸前の「主催者」の一人です。みなさん何かご質問やご意見あればどうぞ。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月16日(木)19時03分14秒
tpknさんへのお返事です。
> まっぴょんさん、お久しぶり。官邸前の「主催者」の一人です。みなさん何かご質問やご意見あればどうぞ。
すでに意見はいっぱい書いてあるので、とりあえず総論的にあなたの意見や反論なぞ書いてくだされ。
そもそも官邸前の主催者(=反原連とその構成団体)はいっぱいおられるはずで、その中には私たちとほぼ同じ意見の人もおられるはず。批判するべきは批判するし、評価するべきは評価する。まあ、今までできるだけ批判は控えてきたわけですけれど。
tpknさんの意見でそれら反原連のすべてを代表することはできませんし、そんな一面的に見ているわけではありませんよ。また、別にその中の一人であるtpknさんの意見が変わったからといって、官邸前行動、まして反原発運動が劇的にかわろうはずもない。
ゆえに、自分の意見を通す時でも、他人の意見を批判する時でも、官邸前の主催者の看板を使ってものを言うのではなく、共に反原発を闘う一人の仲間、一人の人間として、この場の議論に建設的に対等な仲間として参加してください。もちろんすでに現場でもそうしておられるのだろうし、みんなの意見は対等だとはよく理解しておられるとは思いますが、それはここでも同じだということです。
追伸)「下品なおばはん」「説教してやった」という表現はよろしくないと思います。初めて見た時は、この人こんなこと本気で書いているのかとびっくりして、それでtpknさんに対するイメージが瞬時に固まってしまいました。今はそれを解凍しているところですが(^O^)。すでにあのツィートはいろんなところに出回って一人歩きしていますよ。(以下は別件へのレスに付き省略)
●おお、お久しぶりです(^^)/ 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月16日(木)19時31分29秒
「主催者」ったって、反原連は1団体じゃなく、連合体ですからねえ。
例えば野間さんは「園君は反原連じゃない」って言ってますが、
団体名をなぞっていけば、園くんもその端くれではありますよ。
「たんぽぽ舎」に出入りしてるからねえ。
それから「主催者」といっても、反原連は統一した団体じゃないので
かなりスタンスの違いが見られます。
とんぷくん氏が責任者の立場から回答するのは無理でしょう。
●いやいや… 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)19時46分48秒
ハンドルを本名に変えます。
「責任者の立場」ではなく、単純に主催の中の人の一人として、ということです。私がここで書くことはすべて私個人の見解。ただし、統一見解も当然知っているので、それにもお答えできますよ、ということです。
で、園良太が「たんぽぽ舎に出入りしている」から反原連ってことになると、経産省前テントも素人の乱も何も全部「反原連」ってことになっちゃいますが、基本的に「反原連」は13のグループの連合体で、単に「出入りしてる」人は含まれないですね。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)19時52分35秒
草加耕助さんへのお返事です。
> そもそも官邸前の主催者(=反原連とその構成団体)はいっぱいおられるはずで、その中には私たちとほぼ同じ意見の人もおられるはず。
この「私たち」はブントを指すんですよね? その場合、「ほぼ同じ見解の人」はおられないです。
反原発運動に関しては、共産党にしろ統一戦線義勇軍のような民族派右翼にしろ、できるだけ自分たちの看板や色を出さないということに尽力している勢力が多いので、草加さんの「左翼の存在感を見せつけたい」的な話はずいぶん新鮮でした。ブントのヘルメットは代々木で見ましたけど、やっぱあれ、コスプレにしか見えないから逆効果じゃないかな。
ただ個人的には、労働組合にはもっと来て欲しいと思ってます。
https://twitter.com/kdxn
●おっ!反原連登場ですね!w 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月16日(木)20時09分39秒
でも、○○くんって、以前ここにも顔出してたんじゃない?
最近はカキコより実践活動の方で忙しいんですか?w(以下は別件へのレスに付き省略)
●コスプレ上等 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月16日(木)20時43分25秒
野間易通さんへのお返事です。
> この「私たち」はブントを指すんですよね? その場合、「ほぼ同じ見解の人」はおられないです。
え?ブント?確かに私は元ブント系ですけど、30年前の話でして、今はただの個人です(笑
いやー、意表をつかれてびっくりしたっす(^0_0^)
そりゃ「ほぼ同じ見解の人」はいないでしょうよ。
もう少し丁寧に書かねばならなかったか。。。
「ここでは「主催者」への不満も書かれているが、一方ではここで書かれている不満を吹っ飛ばす、もしくは払拭するようなことを言ってくれる人も「主催者」にはいるわけですから・・・」これでいいかな?
> ブントのヘルメットは代々木で見ましたけど、やっぱあれ、コスプレにしか見えないから逆効果じゃないかな。
「ブントのヘルメット」はかぶってないけどなー。
代々木では5人で参加して、ヘルメットは3人でしたが、みんな自作でバラバラのデザインでした。私は脱原発のシンボルカラーの黄色のヘルメットに「脱原発」と書いたやつですよ。ゲバラとわんちゃんのシール貼っていったら、すごく面白がられて写真いっぱい撮られた。
コンセプトとしては、「大真面目にコスプレ」してるんです。一見するとガチに見えて、関係者や経験者が見ればちゃんと「こいつはガチじゃないな」とわかってもらえるくらいには崩してます。それでちゃんと主張や意思は伝わるように。そのバランスがいいんだと(本人は)思ってます。
つかねー、「ヘルメットかぶって集会にいってきた」と聞いて、「えっ!」とか思う段階ですでに「普通の市民」じゃないのね。コスプレとおっしゃるけど、元ネタを知らないとか、知ってても聞いたことはある程度の人にとっては、それはコスプレじゃなくて、単に面白い格好にすぎないわけで、デザインさえ間違えなければ、新鮮にさえ思われるわけですよ。
官邸前にかぶっていった時は、通りすがりの参加者(若い女性)から「かわいい!」と言われた(苦笑)。別の男性からは「黄色のヘルメットってアイデアはいいな。どこで売っているの」と聞かれました。かえって「過激派」の人が「いいんですか!大丈夫ですか!」とビビってました。「今時誰も知らねえよ」と答えておきました。まあ、ヘルメット姿が100人集まるとまた印象違うでしょうけど、数人なら問題なしです。
写真↓
http://bund.jp/img/test/met.jpg
これ見て「自分も作りたくなった」という素人さんがおられます。どんどん普及させよー。
野間さんもおひとついかがですか、マイメット(*゜▽゜*)
http://bund.jp/
●Re: コスプレ上等 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)21時42分2秒
草加耕助さんへのお返事です。
> 「ブントのヘルメット」はかぶってないけどなー。
まじですか。BUND って書いてあったの確かにあったけどなー。それで「旗旗」の関係の人かな?と思った記憶あります。
> 野間さんもおひとついかがですか、マイメット(*゜▽゜*)
いや、なんかそういうメタな楽しみ方、みたいなのをやる気にならないのですよ。反原発運動の場合。もちろん、そういう人がいても全然かまわないんだけど、基本的には「あれこれ趣向を凝らす」の逆をやろうとしたのが官邸前の始まりなんで。まあ今は広がって、だいぶ雰囲気変わりましたけど。
※追記
今写真見たら「bund.jp」「旗旗」て書いてありますね(笑)。「旗旗の関係の人かな?」と思って当たり前だわw
https://twitter.com/kdxn
●Re:いやいや 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月17日(金)10時51分1秒
>単に「出入りしてる」人は含まれないですね。
まぁ、「含まれない」と考えるからなのか・・・というより、反原連はやはり
ゆるい連合体でしかなく、現場責任を本当にとれるほどの集合体ではないから
某逮捕者のための有効な行動ができなかったのだと思いますが。
しかし「権限」と「責任」とは一体のものであってしかるべきです。
責任をとるから権限を認められる。そういうものです。
現場における警察同調的対応や、日の丸を許して労組の旗を排除するなどの「権限」は
どのような「責任」を担って行われてきたのか。反原連の「指導部的立場」については
やはり疑問を持たざるを得ません。
といっても、あれだけ大きな集団になるのですから、なんらかの「仕切り」が
必要であったことは認めますし、それに対して十分な対応ができていないのも
また過渡的にはしかたのないことであったと、私も考えております。
今後の対応に期待しますよ。これまでの経過を総括しながらうまくやってください。
●Re: いやいや 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月17日(金)12時38分27秒
まっぺんさんへのお返事です。
> ゆるい連合体でしかなく、現場責任を本当にとれるほどの集合体ではないから
> 某逮捕者のための有効な行動ができなかったのだと思いますが。
何をもって「有効な行動」とするのかよくわかりません。
デモ主催者と参加者は「組合→組合員」のような関係にないので、任意の逮捕者に対してどこまで関与すべきかはケースバイケースになると思います。
> しかし「権限」と「責任」とは一体のものであってしかるべきです。
> 責任をとるから権限を認められる。そういうものです。
これも同様で、主催者は呼びかけ人にすぎず、参加者はあくまで自主的に集まっているわけですから、主催者は参加者に対してなんの権限も有していないと考えるべきですね。
> 現場における警察同調的対応や、日の丸を許して労組の旗を排除するなどの「権限」は
> どのような「責任」を担って行われてきたのか。反原連の「指導部的立場」については
> やはり疑問を持たざるを得ません。
まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。
> といっても、あれだけ大きな集団になるのですから、なんらかの「仕切り」が
> 必要であったことは認めますし、それに対して十分な対応ができていないのも
> また過渡的にはしかたのないことであったと、私も考えております。
> 今後の対応に期待しますよ。これまでの経過を総括しながらうまくやってください。
結局のところ、デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえるか、個人の集合体としてとらえるかの違いだと思います。
https://twitter.com/kdxn
●事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月17日(金)17時33分24秒
>何をもって「有効な行動」とするのかよくわかりません。
主催者が呼びかけ、呼びかけに応じて集まった人の中から逮捕者が出たのです。
警察による逮捕に対して「何をしたか」が問われるのではないでしょうか?主催者なら。
そんなこともわからないのでは、あまりにも無責任です。
「よくわかりません」などととぼけた事を言っている時点で「主催者」失格ですね。
>主催者は呼びかけ人にすぎず、参加者はあくまで自主的に集まっているわけですから、主催者は参加者に対してなんの権限も有していないと考えるべきですね。
それならいいんですが。実際には「腕章をした人」(つまり反原連の主催者)による
参加者への「指示」が行われています。その「指示」の内容によっては批判が起こっているんですが。
>まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。
そうではなかったことは目撃証言によって明らかです。
>結局のところ、デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえるか、個人の集合体としてとらえるかの違いだと思います。
つまり「主催者」側が前者としてとらえ、私などの「一般参加者」が後者としてとらえているから
上記のようなことが起こるんでしょうねえ。
もっとも、野間さんご自身は、発言からすると「後者」の感覚のようですね。
批判されている「主催者」とはちがう立場のようで、そこでも「主催者」内部のバラツキを感じます。
●Misaoさんのインタビュー記事を読んで 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月17日(金)23時25分55秒
野間易通さんへのお返事です。
反原連に官邸前行動の中で「何かをやれ」とはもう別に思いませんよ。
やはり「皆が入れる大きな空っぽの袋」を用意してくれたところが偉いというか、現在の成功の秘訣だったと思うから。反原連の催しって、そこがいいと私は思うのです。その袋の中に「こういうものを入れろ(入れるな)」とか、要求するのは詮無いことなんだろうなと、最近は思うようになりました。
別の言い方をすると、反原連は「世話人」に徹した時にすごく輝く。
そこを勘違いして、「管理人」みたいなふるまいをすると反感を呼ぶ。
で、これでいいと思うんですよ。
>主催者は参加者に対してなんの権限も有していない
>「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
>日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容
だいたい最初の「参加者に何の権限も有してない」にすべてが含まれると思うのですが、Misaoさんは週刊ポストのインタビューで、野間さんとはかなりニュアンスが違うことを言っておいでですね。要するに「デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえ」て、それに主催者が規制の枠をはめるという、「管理人」的な考え方をしておられると思いました。「空っぽの袋」ではなく、参加者を自分色に染め上げてやろうみたいな。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/427261bc909b9271211e3e057bc30459
一番疑問に思うのは「再稼働反対」以外は「口に出してもいけない」ってこと。これはちょっと窮屈すぎると思う。Misaoさんは野田政権に反対してもいけないとおっしゃるけど、活動家でもなんでもない普通のおじさんやおばさんが、「野田やめろ!」とか現場で叫んでますよ。いくら原発に反対でも、野田さんの支持率がすごく高かったら、ここまで集まらなかったのも事実だと思う。そういう政治に対する不満が背景にある。違いますか?そんなごく自然なみんなの気持ちを押さえつけて、のぼりはおろか、口にもするなというのはどんなもんでしょう。
警察との「友好関係」の強調もそう。官邸前には行けないと、警察に止められたおばさんが、びっくして警官に掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられました。あれは活動家では絶対にできないこと。ああいうのを見た後でインタビューを読むと、「はあ?」って感じですね。「この人は普通のおばさん(参加者)と警察のどっちの味方なのかな。どっちを見てものを言っているのかな。みんなの怒りがわからないのかな」と。もう、雲の上の偉い人になってしまわれたんですね。
Misaoさんのインタビューを読んで思ったのは、総じて「自分の個人票で当選したと思い込んでいる議員先生様」みたいな印象でした。実際にはまず政党の基礎票というものがあり、個々の運動員や支持者が必死で開拓した運動の集積として、その議員個人の票だってある。それを忘れるなら、あっという間に「あっそ、じゃあ自分だけてやってね」と皆が離れて裸の王様ですよ。
たとえばセクトの活動家だって、組織名を出さずに官邸前に通いつめ、被災者のために献身的に運動している人だっているのです。だから10万人を突破した時、そんなセクトや左翼の活動家を含む参加者の一人一人が「自分の成果=みんなで勝ち取った成果」として、すごい達成感を感じたし、嬉しかったし、それをまともに報道しないマスコミへの怒りを共有した。連帯感があった。それをまるで自分(たち)の成果みたいに語って、どこもかしこも味噌もクソも一緒くたに「セクトのやつらは」と語るMisaoさんには、ものすごい反感を感じました。あの日の連帯感を穢されたような裏切られた思いでいっぱいになりました。
被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ、絶望(幻滅)して、官邸前には行かなくなった方もいます。恩着せがましいことは言いたくありませんが、私はそんな方にもずっと反原連をかばってきたつもりです。でもこのインタビューで、被災者を含むそういう人たちを切り捨てたおかげで「運動が成熟した」とか言っておられるので、もう雑誌を破ってやろうかと思いました。
まあ、革マルはしょうがないですよ。あそこの運動理論では、参加者との連帯なんてないですから。文字通り、単に宣伝のため「だけ」に来ているのです。だからこそ、いつも素早く最前列に陣取れる。さすがの私もかばいようがなく、あれは追い出されてもしょうがないです。ただ、Misaoさんみたいに駅前でビラを巻くのもいけないってのは、ちょっと行き過ぎだと思います。また、よく革マルと一緒にされる中核派ですが、実態はかなり違います。少なくとも参加者の一人一人は主体的に抗議に参加しています。隣になったことがありますが、全体的にとても好感が持てました。まあ、組織の評価は指導部と機関紙に書いてある内容で判断するしかないので、その点では気の毒に思います。
まあ、「主催者」にもいろいろいるということですねえ。前の私の投稿で書いた、頭ごなしに命令してきた「主催者腕章男くん」も、おそらくMisaoさんのこういう発想に感化された人だったんだと合点がいきました。
http://bund.jp/
●Re: 事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)02時45分40秒
まっぺんさんへのお返事です。
> 主催者が呼びかけ、呼びかけに応じて集まった人の中から逮捕者が出たのです。
> 警察による逮捕に対して「何をしたか」が問われるのではないでしょうか?主催者なら。
はい。で、「何をし」たら、「有効」と判断するのですか?
あなたはそこを何も示していない。
> それならいいんですが。実際には「腕章をした人」(つまり反原連の主催者)による
> 参加者への「指示」が行われています。その「指示」の内容によっては批判が起こっているんですが。
「指示」は実際には「お願い」ですね。何の権限もありません。参加者と主催者は対等です。
「主催者の指示にしたがってください」とお願いした上で集まってもらっています。
> >まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
> それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。
>
> そうではなかったことは目撃証言によって明らかです。
「権限としては行われていません」と書いてある通りです。現在のガイドラインはこれ。
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=789
一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
> もっとも、野間さんご自身は、発言からすると「後者」の感覚のようですね。
> 批判されている「主催者」とはちがう立場のようで、そこでも「主催者」内部のバラツキを感じます。
いや、私は「もっとも批判されている主催者」の一人ですが、それとは別に、やっぱり一部の参加者にお客様感覚の強すぎる人がいるとは感じています。そういう人には、「主催は店員ではないよ」と言いますね。
以下はまったくの個人の意見で反原連スタッフの中でもごく少数派ですが、私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
https://twitter.com/kdxn
●Re: Misaoさんのインタビュー記事を読んで 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)03時10分45秒
草加耕助さんへのお返事です。
> だいたい最初の「参加者に何の権限も有してない」にすべてが含まれると思うのですが、Misaoさんは週刊ポストのインタビューで、野間さんとはかなりニュアンスが違うことを言っておいでですね。要するに「デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえ」て、それに主催者が規制の枠をはめるという、「管理人」的な考え方をしておられると思いました。「空っぽの袋」ではなく、参加者を自分色に染め上げてやろうみたいな。
ミサオさんのインタビューを読んでもそういう感想は持たないのですが、どのあたりがそう読めますかね。
> 一番疑問に思うのは「再稼働反対」以外は「口に出してもいけない」ってこと。
こんな事実ないです。過去のIWJのアーカイブを見れば明らか。
> Misaoさんは野田政権に反対してもいけないとおっしゃるけど、活動家でもなんでもない普通のおじさんやおばさんが、「野田やめろ!」とか現場で叫んでますよ。
いいんじゃないでしょうか。「反対してもいけない」なんてことは書いてないです。《「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない》と言ってます。それが目的ではないのだからしょうがない。野田がやめたところで次の首相が再稼働をつづければ同じように「再稼働反対」を言いに官邸前に集まるのだから、当たり前でしょう。
> そんなごく自然なみんなの気持ちを押さえつけて、のぼりはおろか、口にもするなというのはどんなもんでしょう。
「野田はやめろ」と書いたプラカードやのぼりを降ろさせたことなどないし、官邸前のスピーチでは「野田やめろ」と叫んだ人はたくさんいますよ。再稼働するなという流れからすれば至極当たり前のことでしょう。
> 警察との「友好関係」の強調もそう。官邸前には行けないと、警察に止められたおばさんが、びっくして警官に掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられました。あれは活動家では絶対にできないこと。ああいうのを見た後でインタビューを読むと、「はあ?」って感じですね。「この人は普通のおばさん(参加者)と警察のどっちの味方なのかな。どっちを見てものを言っているのかな。みんなの怒りがわからないのかな」と。もう、雲の上の偉い人になってしまわれたんですね。
「抗議する人と警察とどっちの味方か」みたいなことをよく言われますけど、どっちの味方でもないですよ。私がよく見る限りでは「掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられ」る「おばさん」は「活動家」の人が多いですが、そうでないにしても、デモの現場で警察とケンカすることは時間の無駄だと感じているからです。やりたい人は自由にやればいいですが、スタッフはあんまり興味がない。ただし、一応横で注意はしていて、もみ合いになりかけた場合は割って入りますし、すぐに現場に弁護士を呼ぶ態勢を整えています。
その他、ミサオさんのインタビューについて印象を語られても、私にはあんまり共有できるものがないので以下事実関係のみ。
> 被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ、絶望(幻滅)して、官邸前には行かなくなった方もいます。
これもよく出回っている話ですが、被曝問題も疎開支援の話も、当然官邸前のスピーチで何回も語られています。これもIWJのアーカイブを確認すればわかります。草加さん、これ伝聞じゃないですか?
> まあ、革マルはしょうがないですよ。あそこの運動理論では、参加者との連帯なんてないですから。文字通り、単に宣伝のため「だけ」に来ているのです。だからこそ、いつも素早く最前列に陣取れる。さすがの私もかばいようがなく、あれは追い出されてもしょうがないです。
ところが実際にはむしろ革マルのほうが問題が少ないという…(笑)。
> ただ、Misaoさんみたいに駅前でビラを巻くのもいけないってのは、ちょっと行き過ぎだと思います。
私もそう思います。ただし7.29日比谷の場合、駅前=日比谷公園中幸門ですから、これは集会場所の文字通り入り口で『解放』を配られちゃってるわけで、実質的には「おいおい、かんべんしてくれよ」なシチュエーションでした。
> また、よく革マルと一緒にされる中核派ですが、実態はかなり違います。
私も反原発運動における中核派(おもにNAZEN)はよく頑張っていると思います。
> まあ、「主催者」にもいろいろいるということですねえ。前の私の投稿で書いた、頭ごなしに命令してきた「主催者腕章男くん」も、おそらくMisaoさんのこういう発想に感化された人だったんだと合点がいきました。
たぶん全然違います。その件に関して、どの人かツイッターのアカウントも教えて事実関係をちゃんと取材しては?と提案しましたが、草加さんは結局何もしませんでしたね。そういう怠惰なことで「合点がい」かれても困りますね。
https://twitter.com/kdxn
http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=2&
※(2)に続く
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/1a42972fb6a8ffbe30acdcf7dadbbf37
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/3027ef44998d715508f3bb6df754fcd9
その一方で、当該デモの在り方を巡る議論についても注視してきました。
http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/78d33dc7ea4d330ab1b8fb3ab0c802b8
その後、当該反原発デモ主催者の一人も加わり、更に議論は白熱化。転載フリーの掲示板での議論なので、関連投稿を当ブログにも参考の為に保存しておく事にしました。
投稿数が膨大なので3分割での記事としましたが、それでも記事1本あたりの字数は優に1万字を超えます。そのつもりで読んで下さい。
---------------------------(転載はここから)---------------------------
●「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:tpkn 投稿日:2012年 8月16日(木)18時44分0秒
まっぴょんさん、お久しぶり。官邸前の「主催者」の一人です。みなさん何かご質問やご意見あればどうぞ。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月16日(木)19時03分14秒
tpknさんへのお返事です。
> まっぴょんさん、お久しぶり。官邸前の「主催者」の一人です。みなさん何かご質問やご意見あればどうぞ。
すでに意見はいっぱい書いてあるので、とりあえず総論的にあなたの意見や反論なぞ書いてくだされ。
そもそも官邸前の主催者(=反原連とその構成団体)はいっぱいおられるはずで、その中には私たちとほぼ同じ意見の人もおられるはず。批判するべきは批判するし、評価するべきは評価する。まあ、今までできるだけ批判は控えてきたわけですけれど。
tpknさんの意見でそれら反原連のすべてを代表することはできませんし、そんな一面的に見ているわけではありませんよ。また、別にその中の一人であるtpknさんの意見が変わったからといって、官邸前行動、まして反原発運動が劇的にかわろうはずもない。
ゆえに、自分の意見を通す時でも、他人の意見を批判する時でも、官邸前の主催者の看板を使ってものを言うのではなく、共に反原発を闘う一人の仲間、一人の人間として、この場の議論に建設的に対等な仲間として参加してください。もちろんすでに現場でもそうしておられるのだろうし、みんなの意見は対等だとはよく理解しておられるとは思いますが、それはここでも同じだということです。
追伸)「下品なおばはん」「説教してやった」という表現はよろしくないと思います。初めて見た時は、この人こんなこと本気で書いているのかとびっくりして、それでtpknさんに対するイメージが瞬時に固まってしまいました。今はそれを解凍しているところですが(^O^)。すでにあのツィートはいろんなところに出回って一人歩きしていますよ。(以下は別件へのレスに付き省略)
●おお、お久しぶりです(^^)/ 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月16日(木)19時31分29秒
「主催者」ったって、反原連は1団体じゃなく、連合体ですからねえ。
例えば野間さんは「園君は反原連じゃない」って言ってますが、
団体名をなぞっていけば、園くんもその端くれではありますよ。
「たんぽぽ舎」に出入りしてるからねえ。
それから「主催者」といっても、反原連は統一した団体じゃないので
かなりスタンスの違いが見られます。
とんぷくん氏が責任者の立場から回答するのは無理でしょう。
●いやいや… 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)19時46分48秒
ハンドルを本名に変えます。
「責任者の立場」ではなく、単純に主催の中の人の一人として、ということです。私がここで書くことはすべて私個人の見解。ただし、統一見解も当然知っているので、それにもお答えできますよ、ということです。
で、園良太が「たんぽぽ舎に出入りしている」から反原連ってことになると、経産省前テントも素人の乱も何も全部「反原連」ってことになっちゃいますが、基本的に「反原連」は13のグループの連合体で、単に「出入りしてる」人は含まれないですね。
https://twitter.com/kdxn
●Re: 「素人さん」の「主催者」です。 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)19時52分35秒
草加耕助さんへのお返事です。
> そもそも官邸前の主催者(=反原連とその構成団体)はいっぱいおられるはずで、その中には私たちとほぼ同じ意見の人もおられるはず。
この「私たち」はブントを指すんですよね? その場合、「ほぼ同じ見解の人」はおられないです。
反原発運動に関しては、共産党にしろ統一戦線義勇軍のような民族派右翼にしろ、できるだけ自分たちの看板や色を出さないということに尽力している勢力が多いので、草加さんの「左翼の存在感を見せつけたい」的な話はずいぶん新鮮でした。ブントのヘルメットは代々木で見ましたけど、やっぱあれ、コスプレにしか見えないから逆効果じゃないかな。
ただ個人的には、労働組合にはもっと来て欲しいと思ってます。
https://twitter.com/kdxn
●おっ!反原連登場ですね!w 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2012年 8月16日(木)20時09分39秒
でも、○○くんって、以前ここにも顔出してたんじゃない?
最近はカキコより実践活動の方で忙しいんですか?w(以下は別件へのレスに付き省略)
●コスプレ上等 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月16日(木)20時43分25秒
野間易通さんへのお返事です。
> この「私たち」はブントを指すんですよね? その場合、「ほぼ同じ見解の人」はおられないです。
え?ブント?確かに私は元ブント系ですけど、30年前の話でして、今はただの個人です(笑
いやー、意表をつかれてびっくりしたっす(^0_0^)
そりゃ「ほぼ同じ見解の人」はいないでしょうよ。
もう少し丁寧に書かねばならなかったか。。。
「ここでは「主催者」への不満も書かれているが、一方ではここで書かれている不満を吹っ飛ばす、もしくは払拭するようなことを言ってくれる人も「主催者」にはいるわけですから・・・」これでいいかな?
> ブントのヘルメットは代々木で見ましたけど、やっぱあれ、コスプレにしか見えないから逆効果じゃないかな。
「ブントのヘルメット」はかぶってないけどなー。
代々木では5人で参加して、ヘルメットは3人でしたが、みんな自作でバラバラのデザインでした。私は脱原発のシンボルカラーの黄色のヘルメットに「脱原発」と書いたやつですよ。ゲバラとわんちゃんのシール貼っていったら、すごく面白がられて写真いっぱい撮られた。
コンセプトとしては、「大真面目にコスプレ」してるんです。一見するとガチに見えて、関係者や経験者が見ればちゃんと「こいつはガチじゃないな」とわかってもらえるくらいには崩してます。それでちゃんと主張や意思は伝わるように。そのバランスがいいんだと(本人は)思ってます。
つかねー、「ヘルメットかぶって集会にいってきた」と聞いて、「えっ!」とか思う段階ですでに「普通の市民」じゃないのね。コスプレとおっしゃるけど、元ネタを知らないとか、知ってても聞いたことはある程度の人にとっては、それはコスプレじゃなくて、単に面白い格好にすぎないわけで、デザインさえ間違えなければ、新鮮にさえ思われるわけですよ。
官邸前にかぶっていった時は、通りすがりの参加者(若い女性)から「かわいい!」と言われた(苦笑)。別の男性からは「黄色のヘルメットってアイデアはいいな。どこで売っているの」と聞かれました。かえって「過激派」の人が「いいんですか!大丈夫ですか!」とビビってました。「今時誰も知らねえよ」と答えておきました。まあ、ヘルメット姿が100人集まるとまた印象違うでしょうけど、数人なら問題なしです。
写真↓
http://bund.jp/img/test/met.jpg
これ見て「自分も作りたくなった」という素人さんがおられます。どんどん普及させよー。
野間さんもおひとついかがですか、マイメット(*゜▽゜*)
http://bund.jp/
●Re: コスプレ上等 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月16日(木)21時42分2秒
草加耕助さんへのお返事です。
> 「ブントのヘルメット」はかぶってないけどなー。
まじですか。BUND って書いてあったの確かにあったけどなー。それで「旗旗」の関係の人かな?と思った記憶あります。
> 野間さんもおひとついかがですか、マイメット(*゜▽゜*)
いや、なんかそういうメタな楽しみ方、みたいなのをやる気にならないのですよ。反原発運動の場合。もちろん、そういう人がいても全然かまわないんだけど、基本的には「あれこれ趣向を凝らす」の逆をやろうとしたのが官邸前の始まりなんで。まあ今は広がって、だいぶ雰囲気変わりましたけど。
※追記
今写真見たら「bund.jp」「旗旗」て書いてありますね(笑)。「旗旗の関係の人かな?」と思って当たり前だわw
https://twitter.com/kdxn
●Re:いやいや 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月17日(金)10時51分1秒
>単に「出入りしてる」人は含まれないですね。
まぁ、「含まれない」と考えるからなのか・・・というより、反原連はやはり
ゆるい連合体でしかなく、現場責任を本当にとれるほどの集合体ではないから
某逮捕者のための有効な行動ができなかったのだと思いますが。
しかし「権限」と「責任」とは一体のものであってしかるべきです。
責任をとるから権限を認められる。そういうものです。
現場における警察同調的対応や、日の丸を許して労組の旗を排除するなどの「権限」は
どのような「責任」を担って行われてきたのか。反原連の「指導部的立場」については
やはり疑問を持たざるを得ません。
といっても、あれだけ大きな集団になるのですから、なんらかの「仕切り」が
必要であったことは認めますし、それに対して十分な対応ができていないのも
また過渡的にはしかたのないことであったと、私も考えております。
今後の対応に期待しますよ。これまでの経過を総括しながらうまくやってください。
●Re: いやいや 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月17日(金)12時38分27秒
まっぺんさんへのお返事です。
> ゆるい連合体でしかなく、現場責任を本当にとれるほどの集合体ではないから
> 某逮捕者のための有効な行動ができなかったのだと思いますが。
何をもって「有効な行動」とするのかよくわかりません。
デモ主催者と参加者は「組合→組合員」のような関係にないので、任意の逮捕者に対してどこまで関与すべきかはケースバイケースになると思います。
> しかし「権限」と「責任」とは一体のものであってしかるべきです。
> 責任をとるから権限を認められる。そういうものです。
これも同様で、主催者は呼びかけ人にすぎず、参加者はあくまで自主的に集まっているわけですから、主催者は参加者に対してなんの権限も有していないと考えるべきですね。
> 現場における警察同調的対応や、日の丸を許して労組の旗を排除するなどの「権限」は
> どのような「責任」を担って行われてきたのか。反原連の「指導部的立場」については
> やはり疑問を持たざるを得ません。
まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。
> といっても、あれだけ大きな集団になるのですから、なんらかの「仕切り」が
> 必要であったことは認めますし、それに対して十分な対応ができていないのも
> また過渡的にはしかたのないことであったと、私も考えております。
> 今後の対応に期待しますよ。これまでの経過を総括しながらうまくやってください。
結局のところ、デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえるか、個人の集合体としてとらえるかの違いだと思います。
https://twitter.com/kdxn
●事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:まっぺん 投稿日:2012年 8月17日(金)17時33分24秒
>何をもって「有効な行動」とするのかよくわかりません。
主催者が呼びかけ、呼びかけに応じて集まった人の中から逮捕者が出たのです。
警察による逮捕に対して「何をしたか」が問われるのではないでしょうか?主催者なら。
そんなこともわからないのでは、あまりにも無責任です。
「よくわかりません」などととぼけた事を言っている時点で「主催者」失格ですね。
>主催者は呼びかけ人にすぎず、参加者はあくまで自主的に集まっているわけですから、主催者は参加者に対してなんの権限も有していないと考えるべきですね。
それならいいんですが。実際には「腕章をした人」(つまり反原連の主催者)による
参加者への「指示」が行われています。その「指示」の内容によっては批判が起こっているんですが。
>まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。
そうではなかったことは目撃証言によって明らかです。
>結局のところ、デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえるか、個人の集合体としてとらえるかの違いだと思います。
つまり「主催者」側が前者としてとらえ、私などの「一般参加者」が後者としてとらえているから
上記のようなことが起こるんでしょうねえ。
もっとも、野間さんご自身は、発言からすると「後者」の感覚のようですね。
批判されている「主催者」とはちがう立場のようで、そこでも「主催者」内部のバラツキを感じます。
●Misaoさんのインタビュー記事を読んで 投稿者:草加耕助 投稿日:2012年 8月17日(金)23時25分55秒
野間易通さんへのお返事です。
反原連に官邸前行動の中で「何かをやれ」とはもう別に思いませんよ。
やはり「皆が入れる大きな空っぽの袋」を用意してくれたところが偉いというか、現在の成功の秘訣だったと思うから。反原連の催しって、そこがいいと私は思うのです。その袋の中に「こういうものを入れろ(入れるな)」とか、要求するのは詮無いことなんだろうなと、最近は思うようになりました。
別の言い方をすると、反原連は「世話人」に徹した時にすごく輝く。
そこを勘違いして、「管理人」みたいなふるまいをすると反感を呼ぶ。
で、これでいいと思うんですよ。
>主催者は参加者に対してなんの権限も有していない
>「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
>日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容
だいたい最初の「参加者に何の権限も有してない」にすべてが含まれると思うのですが、Misaoさんは週刊ポストのインタビューで、野間さんとはかなりニュアンスが違うことを言っておいでですね。要するに「デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえ」て、それに主催者が規制の枠をはめるという、「管理人」的な考え方をしておられると思いました。「空っぽの袋」ではなく、参加者を自分色に染め上げてやろうみたいな。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/427261bc909b9271211e3e057bc30459
一番疑問に思うのは「再稼働反対」以外は「口に出してもいけない」ってこと。これはちょっと窮屈すぎると思う。Misaoさんは野田政権に反対してもいけないとおっしゃるけど、活動家でもなんでもない普通のおじさんやおばさんが、「野田やめろ!」とか現場で叫んでますよ。いくら原発に反対でも、野田さんの支持率がすごく高かったら、ここまで集まらなかったのも事実だと思う。そういう政治に対する不満が背景にある。違いますか?そんなごく自然なみんなの気持ちを押さえつけて、のぼりはおろか、口にもするなというのはどんなもんでしょう。
警察との「友好関係」の強調もそう。官邸前には行けないと、警察に止められたおばさんが、びっくして警官に掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられました。あれは活動家では絶対にできないこと。ああいうのを見た後でインタビューを読むと、「はあ?」って感じですね。「この人は普通のおばさん(参加者)と警察のどっちの味方なのかな。どっちを見てものを言っているのかな。みんなの怒りがわからないのかな」と。もう、雲の上の偉い人になってしまわれたんですね。
Misaoさんのインタビューを読んで思ったのは、総じて「自分の個人票で当選したと思い込んでいる議員先生様」みたいな印象でした。実際にはまず政党の基礎票というものがあり、個々の運動員や支持者が必死で開拓した運動の集積として、その議員個人の票だってある。それを忘れるなら、あっという間に「あっそ、じゃあ自分だけてやってね」と皆が離れて裸の王様ですよ。
たとえばセクトの活動家だって、組織名を出さずに官邸前に通いつめ、被災者のために献身的に運動している人だっているのです。だから10万人を突破した時、そんなセクトや左翼の活動家を含む参加者の一人一人が「自分の成果=みんなで勝ち取った成果」として、すごい達成感を感じたし、嬉しかったし、それをまともに報道しないマスコミへの怒りを共有した。連帯感があった。それをまるで自分(たち)の成果みたいに語って、どこもかしこも味噌もクソも一緒くたに「セクトのやつらは」と語るMisaoさんには、ものすごい反感を感じました。あの日の連帯感を穢されたような裏切られた思いでいっぱいになりました。
被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ、絶望(幻滅)して、官邸前には行かなくなった方もいます。恩着せがましいことは言いたくありませんが、私はそんな方にもずっと反原連をかばってきたつもりです。でもこのインタビューで、被災者を含むそういう人たちを切り捨てたおかげで「運動が成熟した」とか言っておられるので、もう雑誌を破ってやろうかと思いました。
まあ、革マルはしょうがないですよ。あそこの運動理論では、参加者との連帯なんてないですから。文字通り、単に宣伝のため「だけ」に来ているのです。だからこそ、いつも素早く最前列に陣取れる。さすがの私もかばいようがなく、あれは追い出されてもしょうがないです。ただ、Misaoさんみたいに駅前でビラを巻くのもいけないってのは、ちょっと行き過ぎだと思います。また、よく革マルと一緒にされる中核派ですが、実態はかなり違います。少なくとも参加者の一人一人は主体的に抗議に参加しています。隣になったことがありますが、全体的にとても好感が持てました。まあ、組織の評価は指導部と機関紙に書いてある内容で判断するしかないので、その点では気の毒に思います。
まあ、「主催者」にもいろいろいるということですねえ。前の私の投稿で書いた、頭ごなしに命令してきた「主催者腕章男くん」も、おそらくMisaoさんのこういう発想に感化された人だったんだと合点がいきました。
http://bund.jp/
●Re: 事実認識がだいぶ違うようです 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)02時45分40秒
まっぺんさんへのお返事です。
> 主催者が呼びかけ、呼びかけに応じて集まった人の中から逮捕者が出たのです。
> 警察による逮捕に対して「何をしたか」が問われるのではないでしょうか?主催者なら。
はい。で、「何をし」たら、「有効」と判断するのですか?
あなたはそこを何も示していない。
> それならいいんですが。実際には「腕章をした人」(つまり反原連の主催者)による
> 参加者への「指示」が行われています。その「指示」の内容によっては批判が起こっているんですが。
「指示」は実際には「お願い」ですね。何の権限もありません。参加者と主催者は対等です。
「主催者の指示にしたがってください」とお願いした上で集まってもらっています。
> >まず、「労組の旗を排除する」ということは、権限としては行われていません。
> それから、日の丸やレインボーフラッグ、赤旗、黒旗等のシンボルは最初からすべて許容です。
>
> そうではなかったことは目撃証言によって明らかです。
「権限としては行われていません」と書いてある通りです。現在のガイドラインはこれ。
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=789
一部労組の旗を排除したりという行為があったことはたしかですが、それは方針の不徹底による反原連側の過ちです。
> もっとも、野間さんご自身は、発言からすると「後者」の感覚のようですね。
> 批判されている「主催者」とはちがう立場のようで、そこでも「主催者」内部のバラツキを感じます。
いや、私は「もっとも批判されている主催者」の一人ですが、それとは別に、やっぱり一部の参加者にお客様感覚の強すぎる人がいるとは感じています。そういう人には、「主催は店員ではないよ」と言いますね。
以下はまったくの個人の意見で反原連スタッフの中でもごく少数派ですが、私は逮捕者の救援自体、必要なのかどうか疑問に思ってます。デモの主催者が救援をするというのはここ10年ぐらいのことだという話も聞きますが(それ以前は、それぞれのセクトや組合が個別にやっていた)、運動歴が短いのでその真偽はよく知りません。「仲間を奪還する」というのが救援の本質だとすれば、官邸前デモの主催者と参加者、あるいは参加者同士は「同志」の感覚はあっても「仲間」の感覚は希薄だと思います。
https://twitter.com/kdxn
●Re: Misaoさんのインタビュー記事を読んで 投稿者:野間易通 投稿日:2012年 8月18日(土)03時10分45秒
草加耕助さんへのお返事です。
> だいたい最初の「参加者に何の権限も有してない」にすべてが含まれると思うのですが、Misaoさんは週刊ポストのインタビューで、野間さんとはかなりニュアンスが違うことを言っておいでですね。要するに「デモに来る参加者をひとつの大きなまとまりとしてとらえ」て、それに主催者が規制の枠をはめるという、「管理人」的な考え方をしておられると思いました。「空っぽの袋」ではなく、参加者を自分色に染め上げてやろうみたいな。
ミサオさんのインタビューを読んでもそういう感想は持たないのですが、どのあたりがそう読めますかね。
> 一番疑問に思うのは「再稼働反対」以外は「口に出してもいけない」ってこと。
こんな事実ないです。過去のIWJのアーカイブを見れば明らか。
> Misaoさんは野田政権に反対してもいけないとおっしゃるけど、活動家でもなんでもない普通のおじさんやおばさんが、「野田やめろ!」とか現場で叫んでますよ。
いいんじゃないでしょうか。「反対してもいけない」なんてことは書いてないです。《「野田政権打倒」を掲げる人たちもいるけど、私たちはそれが目的ではない》と言ってます。それが目的ではないのだからしょうがない。野田がやめたところで次の首相が再稼働をつづければ同じように「再稼働反対」を言いに官邸前に集まるのだから、当たり前でしょう。
> そんなごく自然なみんなの気持ちを押さえつけて、のぼりはおろか、口にもするなというのはどんなもんでしょう。
「野田はやめろ」と書いたプラカードやのぼりを降ろさせたことなどないし、官邸前のスピーチでは「野田やめろ」と叫んだ人はたくさんいますよ。再稼働するなという流れからすれば至極当たり前のことでしょう。
> 警察との「友好関係」の強調もそう。官邸前には行けないと、警察に止められたおばさんが、びっくして警官に掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられました。あれは活動家では絶対にできないこと。ああいうのを見た後でインタビューを読むと、「はあ?」って感じですね。「この人は普通のおばさん(参加者)と警察のどっちの味方なのかな。どっちを見てものを言っているのかな。みんなの怒りがわからないのかな」と。もう、雲の上の偉い人になってしまわれたんですね。
「抗議する人と警察とどっちの味方か」みたいなことをよく言われますけど、どっちの味方でもないですよ。私がよく見る限りでは「掴みかからんばかりの勢いで猛抗議しておられ」る「おばさん」は「活動家」の人が多いですが、そうでないにしても、デモの現場で警察とケンカすることは時間の無駄だと感じているからです。やりたい人は自由にやればいいですが、スタッフはあんまり興味がない。ただし、一応横で注意はしていて、もみ合いになりかけた場合は割って入りますし、すぐに現場に弁護士を呼ぶ態勢を整えています。
その他、ミサオさんのインタビューについて印象を語られても、私にはあんまり共有できるものがないので以下事実関係のみ。
> 被曝問題や福島の方々の疎開支援も言ってはいけないと言われ、絶望(幻滅)して、官邸前には行かなくなった方もいます。
これもよく出回っている話ですが、被曝問題も疎開支援の話も、当然官邸前のスピーチで何回も語られています。これもIWJのアーカイブを確認すればわかります。草加さん、これ伝聞じゃないですか?
> まあ、革マルはしょうがないですよ。あそこの運動理論では、参加者との連帯なんてないですから。文字通り、単に宣伝のため「だけ」に来ているのです。だからこそ、いつも素早く最前列に陣取れる。さすがの私もかばいようがなく、あれは追い出されてもしょうがないです。
ところが実際にはむしろ革マルのほうが問題が少ないという…(笑)。
> ただ、Misaoさんみたいに駅前でビラを巻くのもいけないってのは、ちょっと行き過ぎだと思います。
私もそう思います。ただし7.29日比谷の場合、駅前=日比谷公園中幸門ですから、これは集会場所の文字通り入り口で『解放』を配られちゃってるわけで、実質的には「おいおい、かんべんしてくれよ」なシチュエーションでした。
> また、よく革マルと一緒にされる中核派ですが、実態はかなり違います。
私も反原発運動における中核派(おもにNAZEN)はよく頑張っていると思います。
> まあ、「主催者」にもいろいろいるということですねえ。前の私の投稿で書いた、頭ごなしに命令してきた「主催者腕章男くん」も、おそらくMisaoさんのこういう発想に感化された人だったんだと合点がいきました。
たぶん全然違います。その件に関して、どの人かツイッターのアカウントも教えて事実関係をちゃんと取材しては?と提案しましたが、草加さんは結局何もしませんでしたね。そういう怠惰なことで「合点がい」かれても困りますね。
https://twitter.com/kdxn
http://6305.teacup.com/mappen/bbs?page=2&
※(2)に続く
SAPIO (サピオ) 2012年 8/29号 [雑誌] | |
クリエーター情報なし | |
小学館 |
毎年8月15日の終戦記念日になると、靖国神社に右翼が参集して、拉致問題や尖閣・竹島問題などで中国・韓国・北朝鮮を激しく非難し、憲法改正や核武装を主張する。その中には街宣車に戦闘服といった出立の職業右翼だけでなく、一般市民やネットユーザーを中心としたネット右翼(ネトウヨ)も目立つ。李明博・韓国大統領の竹島訪問や天皇訪韓時の謝罪要求発言などの動きが、更にネトウヨ人気に拍車をかける。
しかし、さしものネトウヨ人気も、最近は次第に陰りが出てきたようだ。悪い事は何でもかんでも中国や韓国のせいにし、韓流ドラマやキムチ鍋の料理番組にまで難癖を付けてくるネトウヨを忌避する風潮が、今や左翼や一般市民だけでなく右翼の中にも広まってきたからだ。
その代表例が漫画家の小林よりのり(通称よしりん)や右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男などだ。特に小林なぞは、かつては「東大一直線」などのお笑い漫画を描く傍ら、「戦争論」や「ゴーマニズム宣言」などで「日本は侵略なぞしていない」と主張し、「ネトウヨ生みの親」とも呼ばれる存在だった。それが道義なきイラク戦争参戦や小泉構造改革による格差拡大などを機に、次第に親米保守派や体制内右派とは一線を画すようになり、やがて安倍晋三・石原慎太郎・橋下徹などの保守派政治家やネトウヨにも激しい批判を加えるようになった。
たとえば「SAPIO」7月18日号に掲載された上記の小林「ゴーマニズム宣言(ゴー宣)」漫画では、褒め殺しの手法で、橋下大阪市長の唯我独尊ぶりを徹底的に揶揄している。
ここでは橋下主導の「大阪都」「道州制」構想を、単に米国の連邦制を真似て日本国内に「俺様王国」を作りたいだけだとこきおろし、学校教育での「日の丸・君が代」強制も、己の権勢を誇示する為に、肝心の愛国心の中身を問わずに、ただ単に命令と強制で従わせようとしているだけだと、一刀両断に切り捨てている。
その中で起こった橋下とMBS記者とのバトルについても、本来なら思想信条の自由にかかわる重大問題なのに、それを公務員の服務規律や教育委員会制度の問題にすりかえ矮小化している橋下の方にこそ非があると、かつての敵たるMBSの「サヨク記者」の方に寧ろ肩入れしている。
そして、カジノ・リニア誘致などの湾岸開発やTPP・道州制推進、文教施設の統廃合や民営化によって、教育や行政を企業の金儲けの道具に変え、地方や弱者の犠牲の上に都会の勝ち組だけが潤う政治を行おうとしているのに、それを「維新」「改革」イメージで誤魔化す事で、ミーハーな「ネトウヨ・バカウヨのB層」中心に大衆の支持を掠め取っていると、橋下政治の新自由主義(弱肉強食)やポピュリズム(大衆迎合・衆愚政治)としての本質を分かりやすく説明している。橋下信者には是非読ませたい漫画だ。
しかし、その事で小林が完全にネトウヨだけでなく右翼とも袂を分かち、究極の「弱肉強食」たる戦争やファシズム、帝国主義をも批判するようになったかと問われれば、それは甚だ疑問だと言わざるを得ない。それは同じく「SAPIO」の最新号「ネトウヨ亡国論」特集に掲載の、上記の「ゴー宣」漫画を読めばよく分かる。
小林はそこでも、在特会(在日特権を許さない市民の会)などのネトウヨ市民デモを徹底的に批判してはいる。曰く「本当に英霊に感謝する気持ちがあるなら、どうして朝鮮人はゴキブリだのブタだのと怒鳴り上げ、ゴミを靖国神社の境内に投げ散らかしたまま帰るのか」「靖国の英霊には朝鮮人の将兵もいる事が分からないのか」「彼らは英霊をダシにして日頃の鬱憤をぶちまけているだけではないか」「これでは竹島は我が領土だと主張する韓国のネトウヨと五十歩百歩じゃないか」と。
確かに「日頃の鬱憤をぶちまけているだけ」「韓国のネトウヨと五十歩百歩」という指摘についてはその通りだ。しかし靖国神社に祭られている「英霊」は、本当に「英霊」として死んでいったのか。そうじゃないだろう。
第二次大戦直前には、既に朝鮮・台湾・中国でも東南アジア・インドでも革命や独立運動が本格化していた。孫文や毛沢東、ガンジーやスカルノ、ホーチミンといった人たちが、真の独立を目指して西欧や日本に闘いを挑んでいった。一方、植民地を支配する宗主国の方でも、たとえば米国などはフィリピン独立の方向で準備を進めていた。武力で植民地を支配するよりも形式的に独立させて間接的に支配した方が安上がりで済むからだ。
またこの時代は、植民地や従属国で独立運動が広がると共に、宗主国内部でも労働運動や大衆運動が発展し、国民が普通選挙権や婦人参政権、8時間労働制など今に繋がる権利を次々に勝ち取っていった時代でもあった。
時代がそのように徐々に民族独立・人権拡充に向かう中で、宗主国の中で日本一国だけが、19世紀の日清・日露戦争の頃と同じように植民地を武力で抑えつけ、自国民の人権も治安維持法などで抑圧し続ける中で、不況の捌け口を更なる戦争に求めたのだ。自分たちの人権すらまともに保障されない国の国民に、他国民の人権への配慮なぞ出来る訳がない。だから南京やバターン半島など各地で住民の大量虐殺や捕虜虐待を引き起こした挙句に、ガダルカナルやインパール、東京大空襲や原爆投下の悲劇が繰り返されたのだ。日本軍兵士の死因の6割は戦死ではなく餓死だった。朝鮮や台湾の「英霊」も、故国遺族からの遺骨返還要求には耳を貸さず、靖国神社のメンツの為に無理やり仕立て上げ得られたものだ。実際には「英霊」どころか消耗品扱いだったのだ。
戦争・ファシズムや帝国主義・植民地支配という、究極の「弱肉強食」を肯定したまま、幾らネトウヨや安倍・橋下・石原政治の「弱肉強食・競争至上主義・利益至上主義」を批判しても、部分的な「効能」に止まらざるを得ない。それを乗り越える為には、過去の一番最悪な部分にもメスが入れられ決別が為されなければならない。それがない限り所詮は「目くそ鼻くそを笑う」にしかならない。これが小林よしのり「脱ネトウヨ」論の限界である。
通勤の乗換駅周辺は下町再開発で大阪市内でも断トツの一人暮らしに優しい街に。深夜営業スーパーに百均、コインランドリー。外食チェーン乱立、地場の飲食店やホカ弁・マクド・ミスドと競争。コンビニも多い。夜8時過ぎるとラーメン屋位しか開いていない自宅周辺とは大違い。但し治安面で不安も。この前もローソンに強盗。
そんな街にまたホカ弁屋が新装開店。もの珍しさもありチラシを持帰り親父に見せる。もうこれで毎日の夕飯も賄おうと。好きな時に買えるので宅配よりも便利。考え込む親父。そりゃあ昔の様な一家団欒の夕飯の方が良いに決まっている。でも母亡き今となってはとても無理。親学や食育や家庭の躾なぞ一体どこの国の話か。
昨日早速そのホカ弁を夕飯に買ってきた。ヘルシーな和食中心のバランス弁当にしたが、幾らヘルシーでも量が少な過ぎ。それで500円、追加のおにぎりも含めれば657円も。味はまずまずだったが、これでは外食と変わらない。
この数日前の呟きについて、当該乗換駅周辺の場所を教えて欲しいとの問い合わせがありましたので、お答えしておきます。
それは大阪市西成区の天下茶屋です。かつてのNHK朝ドラ「二人っ子」の舞台となった街でもあります。
天下茶屋の地名の由来は、昔ここにあった茶屋に豊臣秀吉が立ち寄った事から、天下人(秀吉)の茶屋から転じたものだそうです。かつてはのどかな農村だったのが、明治末期から大正にかけて、大阪市域の拡大とともに急速に開発が進みました。
そんな由緒ある街も、昨今は乗換駅(天下茶屋)東側に広がる昔からの商店街は寂れ、西側のショッピングモールや国道26号線沿いの地下鉄駅(岸里)・西成区役所の周辺にコンビニ・ホカ弁屋・外食チェーン(すき家・王将・松屋・吉野家・めし屋食堂など)が乱立し、互いに凌ぎを削っています。
乗換駅乗降客の大半は精々駅前のスーパーを利用するのみで、後は岸里駅に流れる人々が26号線沿いの店舗を利用。昔からの商店街は、どちらの恩恵にもあやかれず、地域と共に衰退するのみ。正に新自由主義の象徴みたいな街です。
あいりん地区が近くにあり、4世帯に1世帯が生活保護受給という事で、とかく話題になる事の多い西成区ですが、これは決して当該地域だけの問題ではありません。消費増税とは裏腹に先細りする福祉、自殺者も年間3万人を超える中で、一家団欒も失われていく。寧ろ日本全体が「西成化」していっていると捉えるべきでしょう。
※上記写真の左側2葉が天下茶屋駅東側の商店街、同じく右側2葉が同西側のショッピングモール。
検証 福島原発事故・記者会見--東電・政府は何を隠したのか | |
クリエーター情報なし | |
岩波書店 |
(理論編からの続き)
【郵送】
先程同僚2人に顛末書&提出までの経過ツイートのコピーを郵送。同じ職場の同僚なのに回りくどい事。これも皆会社側の言論弾圧のせいだが、逆にこれで誰憚る事なく情報発信できる様になった。彼らの様に、それはあくまで会社の都合であって自分にはまた別の都合があると考えられる労働者の、何と少なくなった事か。
【そもそも立場が違う】
この間他のバイトと話して痛感するのは、労働者と資本家は根本的に立場が違うにも関わらず、労働者でありながら会社側の土俵でしか思考できない人が増えた事。会社批判したら信用なくすと。信用なくす様な事をしているのは、飲料ケースとシュークリームを一緒くたに流し破損の責任をバイトに擦り付ける会社の方なのに。
【同化政策】
労働者と資本家は根本的に立場が違うからと言って、何も赤旗振れと言う訳じゃなし。会社や仕事も大事だが、それはあくまで自分の為。自分の人生を犠牲にしてまで会社に従う必要なし。最初はそのつもりで従っていたのが、気が付けば精神的にも洗脳され奴隷状態に。その行き着く先が原発事故にTPP、消費増税。
コメント(ウルフの子)
会社のあの労務管理の拘束性、あれは従業員の疲れや世間知らずにすることによる従順さ養成なんでしょうね。休日を削ったり、残業で終電・終バスにも乗れるかどうか分からない。あんなのじゃ消費者として、趣味や社交できず、ろくに洗濯や掃除さえできず、給与の割に精神的・文化的に貧しくなっていく。
コメント(プレカリアート)
>会社のあの労務管理の拘束性~従順さ養成なんでしょうね。/これの一番酷かったのが大阪の某生協勤務時代でした。今は何だかんだ言っても所詮バイトなので精神的拘束はまだ強くないが、モダンタイムスの様な働き方なので肉体的拘束は極限。たかだか1時間かそこらの急な残業延長で以前揉めたのもそれがあるから。
【奴隷に成り下がる位なら】
私が要望書や顛末書をコピー配布したバイト2人は遅かれ早かれ退職するだろう。それを匂わす発言も既に聞いている。勿論ベストなのは共に闘う事だが、それが無理なら退職で奴隷化拒否も当然あり。私が生協辞めた様に。私は彼ら程若くはないので当分まだいるが、ゆくゆくは私もライターへの転身目指し模索開始。
【アンチ・スネ夫】
今の会社のスネ夫体質にはほとほと嫌気がさしたが、他も似たりよったりだろう。いつまでもバイトでいる気はないが、橋下徹のように搾取する側に回りたいとも思わない。ならライターや市民記者が一番向いてるかもと思い、先程某サイトに登録。ストレートに市民記者を目指すか、まずは軽めの記事で技量をつけていくか。
【新たな一歩】
ついでにライター募集や市民記者をキーワードに色々検索してみたが、まだまだ暗中模索。理想はあくまで独立系市民メディアの編集・参画を目指すも、いきなり素人には無理。まずは副業として軽めの記事からと考えるも、どこまで割り切るべきか。下手すれば三流風俗ライターや怪しげな健康食品の営業マンに成り下がる恐れも。
http://mixi.jp/list_voice.pl
上記アフェリエイト本著者の日隅一雄、木野龍逸両氏の様な独立系ジャーナリストの理想は素晴らしいと思うが、日本のJANJANも韓国のオーマイニュースも結局は長続きせず。今ある中では、完全ボランティアのNPJやBLOGSを除けば、PJニュースやIWJ、ガジェット通信が私の理想に近い。でも、これらは今の私にとっては、余りにもレベルが高すぎてなかなか足が踏み出せない。そこで、当面は安売り記者に成り下がるのも覚悟の上で、当該募集サイトにライターとして新規登録。
<平和記念式典>福島から広島へ 避難の小6が願い込め(毎日新聞)
「平和とは、世界中すべての人が幸せになること」。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に避難した小学6年、三浦友菜(ゆうな)さん(11)が、戦争と放射能汚染のない世界を願って書いた作文が、「平和の歌声・意見発表会」(広島市教委主催)で優秀作に選ばれた。6日の広島・平和記念式典で読み上げられる「平和への誓い」に作品のエッセンスが盛り込まれ、全世界に発信される。(中略)
友菜さんの作文「幸せな世界」の全文は次の通り
◇
私は、平和とは、世界にいるすべての人間が幸せになる事だと思います。
私には、家族がいます。私の事を支えてくれる家族がいます。私の友達にも家族がいます。三人の家族もいれば、五人の家族もいます。私の家族は五人います。でも今、広島にいるのは、四人だけです。お母さん、お姉ちゃん、妹と私はお母さんのふるさとの広島でくらしていますが、お父さんは今までみんなでくらしていた福島県いわき市にいます。なぜ、はなれてくらしているかというと、2011年3月11日の東日本大震災が起きてしまったからです。
3月11日、地震がきました。とっても大きな地震で、建物がくずれたり、津波が来たりして、たくさんの死者が出ました。地震や津波だけなら福島にいられたのですが、その数日後、福島第1原発が爆発して大変な事になりました。
「放射能をあびると体に悪いえいきょうがあるから福島にはいられない」。とお父さんは言いました。そして、私の家族は広島に住むことになりました。しかし、お父さんは会社の仕事をしなくてはならないので、広島に住むことができません。一人残って文ぼう具店の仕事を一しょうけん命しています。時々、私たちに会うために広島に来てくれますが、数日するとまた福島にもどります。お母さんも私たちの世話をしながら1ケ月に一度、家のことをしたり、福島の人に安全な野菜をとどける仕事をしたりしています。
私はあの大震災が起きるまで家族はいつもいっしょにいるのがあたりまえの事だと思っていました。でも今はお父さんと、はなれてくらしていて、少しさみしい時があります。いわきの友達にも会ってみたいし、いっしょに遊びたいなと思う事もあります。
世界には、戦争などで家族を失っている人がたくさんいて、一人ぼっちになってしまった子もいると思います。私は家族とははなれてくらしていますが、家族を失ってはいません。家族がいない人は私よりさみしい思いをしていると思うのです。
去年の平和学習で平和記念資料館に行きました。そこにはひふがはがれている人のもけいや写真、ぼろぼろになったふくやおべんとう箱の実物などがあって、それを見た時、原爆ってほんとうにおそろしいな、目に見えない放射能ってすごい力をもっているんだなと思いました。そして、広島と福島とはなれてくらすことを決めた、お父さん、お母さんの気持ちがあらためて分かりました。
私は、戦争をすると、する分だけ、世界から幸せが消えると思います。でも、戦争をしていなくても放射能のことを心配してくらさなければならない今の日本も決して平和とは言えないと思います。
今、福島には、自分の家でくらしたくてもくらせない人がたくさんいるし、反対に福島第1原発からはなれたくても仕事でそこに入らなければならない人もいます。
私は、世界から戦争が消えて、放射能の心配も消えて、いろいろな国と仲良くできたら良いと思います。早く世界のみんなも幸せになってほしいと願っています。そして、私も一日でも早く、福島で家族5人が安心して、楽しくくらせるあたり前の日が来てほしいと思っています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120806-00000009-mai-soci
「平和とは、世界中すべての人が幸せになること」。東京電力福島第1原発事故後、福島から広島に避難した小学6年、三浦友菜(ゆうな)さん(11)が、戦争と放射能汚染のない世界を願って書いた作文が、「平和の歌声・意見発表会」(広島市教委主催)で優秀作に選ばれた。6日の広島・平和記念式典で読み上げられる「平和への誓い」に作品のエッセンスが盛り込まれ、全世界に発信される。(中略)
友菜さんの作文「幸せな世界」の全文は次の通り
◇
私は、平和とは、世界にいるすべての人間が幸せになる事だと思います。
私には、家族がいます。私の事を支えてくれる家族がいます。私の友達にも家族がいます。三人の家族もいれば、五人の家族もいます。私の家族は五人います。でも今、広島にいるのは、四人だけです。お母さん、お姉ちゃん、妹と私はお母さんのふるさとの広島でくらしていますが、お父さんは今までみんなでくらしていた福島県いわき市にいます。なぜ、はなれてくらしているかというと、2011年3月11日の東日本大震災が起きてしまったからです。
3月11日、地震がきました。とっても大きな地震で、建物がくずれたり、津波が来たりして、たくさんの死者が出ました。地震や津波だけなら福島にいられたのですが、その数日後、福島第1原発が爆発して大変な事になりました。
「放射能をあびると体に悪いえいきょうがあるから福島にはいられない」。とお父さんは言いました。そして、私の家族は広島に住むことになりました。しかし、お父さんは会社の仕事をしなくてはならないので、広島に住むことができません。一人残って文ぼう具店の仕事を一しょうけん命しています。時々、私たちに会うために広島に来てくれますが、数日するとまた福島にもどります。お母さんも私たちの世話をしながら1ケ月に一度、家のことをしたり、福島の人に安全な野菜をとどける仕事をしたりしています。
私はあの大震災が起きるまで家族はいつもいっしょにいるのがあたりまえの事だと思っていました。でも今はお父さんと、はなれてくらしていて、少しさみしい時があります。いわきの友達にも会ってみたいし、いっしょに遊びたいなと思う事もあります。
世界には、戦争などで家族を失っている人がたくさんいて、一人ぼっちになってしまった子もいると思います。私は家族とははなれてくらしていますが、家族を失ってはいません。家族がいない人は私よりさみしい思いをしていると思うのです。
去年の平和学習で平和記念資料館に行きました。そこにはひふがはがれている人のもけいや写真、ぼろぼろになったふくやおべんとう箱の実物などがあって、それを見た時、原爆ってほんとうにおそろしいな、目に見えない放射能ってすごい力をもっているんだなと思いました。そして、広島と福島とはなれてくらすことを決めた、お父さん、お母さんの気持ちがあらためて分かりました。
私は、戦争をすると、する分だけ、世界から幸せが消えると思います。でも、戦争をしていなくても放射能のことを心配してくらさなければならない今の日本も決して平和とは言えないと思います。
今、福島には、自分の家でくらしたくてもくらせない人がたくさんいるし、反対に福島第1原発からはなれたくても仕事でそこに入らなければならない人もいます。
私は、世界から戦争が消えて、放射能の心配も消えて、いろいろな国と仲良くできたら良いと思います。早く世界のみんなも幸せになってほしいと願っています。そして、私も一日でも早く、福島で家族5人が安心して、楽しくくらせるあたり前の日が来てほしいと思っています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120806-00000009-mai-soci
鳥子の蟹工船―アルバイト女子編集者の「最底なお仕事」 | |
クリエーター情報なし | |
有学書林 |
非正規レジスタンス―池袋ウエストゲートパーク〈8〉 (文春文庫) | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
(後編からの続き)
【やらずぼったくり】
請負業は複数の元請けと下請け契約を結ぶようなもの。派遣先に人を回すだけの派遣業とは違い、元請けと言えども下請け業務の細部(ラインでの商品の流し方等)にまでは干渉できない筈。しかし現実には奴隷主のように君臨し、そのくせ労災などの責任は雇用主ではないからと一切取ろうとはしない。正にやらずぼったくり。
【自由な働き方とは】
政府・財界は、当初派遣や請負のような働き方を、企業に縛られない自由な働き方だと宣伝。ドラマ「ハケンの品格」等でそんなイメージを拡散。しかし現実には、元請け・下請けの重層構造は更に酷くなり、まるで奴隷主と奴隷のような関係に。自由な働き方とは、奴隷主が奴隷を自由に搾取できる働き方という意味だった。
【退化】
派遣や請負で働いて痛感するのは、そこで働く社員もバイトも上の言いなりで、自分で物を考えられなくなっているという事だ。勿論人間である限り自分の意思はあるが、それらは大抵仕事の愚痴に止まり、会社や世の中を変えようという所まで行かない。確かに昔も社畜の奴隷根性は酷かったが、今はそれが更に酷くなっている。
【会社奴隷から派遣奴隷へ】
派遣は自由な働き方と言われながら何故日本人は会社人間から脱却できないか。雇用が不安定なのもあるが、より根本的には市民革命の経験がないから。奴隷根性が染み付き人権意識も未熟で、弱い者虐めで鬱憤を晴らすしかない。石原や橋下には何も言えず生活保護バッシングに走るしか能がない。かくして史上最悪の格差社会に。
【ブラック企業もいろいろ】
ブラック企業も千差万別。飲食業界の競争・利益至上主義は米国譲り。サラ金等の暴力的労務管理は旧日本軍譲り。JR・NTTには親方日の丸の影が。いずれも場合も、戦前日本や明治以前の封建的要素に米国譲りの新自由主義が加味され、世界的にも醜悪な資本主義社会に。それを真似たのが今の中国。
【東電の下請け差別】
福島での東電の下請け差別が酷い。綺麗なバスで出勤し冷蔵庫を使用できるのも東電社員のみとか(7/26週刊朝日・7/30読売)。我々ですら冷蔵庫を自由に使えるのに。でも黙っていたら我々もきっとこうなる。天下の大企業が冷蔵庫一つ用意できない筈がないのに、誰もそれに抗議せず愚痴をこぼすのみ。それは我々も同じだから。
【傍観者の床屋談義】
会社に何も言えない奴が床屋談義ではしたり顔で与党や自民党を批判。そのくせ与党や自民と一体の会社には何も言えず。それは、国会の与党や自民は自分とは無関係だから傍観者として批判できるが、身近な会社関係者には、たとえ与党や自民の党員・支持者であっても何も言えないから。こんな国は民主主義でも何でもない。
【隠れ左翼】
但し中には、外で労組や左翼の活動をしながら、会社では鳴りを潜めている人達もいる。その人達にとっては外の活動こそが重要で、会社の仕事なんて只の飯の種にしか過ぎない。私の様に一々やりあってたらキリがない。それも確かに一理ある。でもそれだけじゃあ、外の与党や自民だけを批判している傍観者と同じでは。
【手抜き番組】
テレビはたまにしか見ないがそれでも手抜き番組の横行を痛感。先週たまたま見たアンビリバボー怪奇特集も酷かった。合成心霊写真を焦らし見せて視聴率稼ぎ、三流芸人に安いギャラで適当な事喋らせているのがモロ見え。後にホームで投身自殺する女が最初顔がモザイクで夢に出てきたってアレ何?AVじゃあるまいし。
【テレビ総白痴化】
それ以上に不思議なのは、そんな露骨な手抜き番組の横行に鈍感な国民が増えた事。これは五輪番組だけではない。もはや定番となった警察24時モノなんて警察権力ヨイショそのものなのに、誰もそれに異を唱えない。かつての3S政策、テレビ総白痴化の警鐘も虚しく。
【人との繋がり】
昨日(注:8/7日)のNHKハートフルTVで生活保護受給者の孤立を取り上げていた。保護受給で収入は安定したが逆に人との繋がりは以前より希薄に。野宿者仲間や支援者との繋がりが切れてしまったから。これ実は非正規雇用も似た様なモノ。皆バラバラで時間目一杯酷使され、ビラも自由に撒けない中でどうやって本音の付き合いが出来る?
【弱肉強食】
だから生活保護受給者の孤立感も皮膚感覚で分かる。逆にスーパーのチラシを見ると無性に腹が立つ時も。何故こちらがレトルトでそちらは母の日ケーキなのかよ!同じ事は自民党や右翼が説く家庭の躾や道徳にも言える。ここまで自殺・イジメがはびこる様になったのも、お前らが財界と組んで弱肉強食を煽ったからだろうが!
http://mixi.jp/list_voice.pl
※但し、【 】の小見出しは、整理の便宜を図る為に編集者が後で添付したものです。また、mixiボイスから転載するに当たり、投稿順序を一定入れ替えています。
※記事タイトルにある「あじさい革命」とは、大きなデモが途絶えて久しいこの日本でも、脱原発デモの高まりによって、独裁政権を打倒したアラブ諸国の「ジャスミン革命」の様な事が起こるのではないかという期待から、最近ネットで広まってきた表現です。
(続編に続く)