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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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コソボ独立宣言をどう見るか

2008年02月29日 23時16分59秒 | その他の国際問題
・コソボ:議会で独立宣言を採択 旧ユーゴは7カ国に分裂(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/photo/news/20080218k0000m030053000c.html
・コソボ情勢(外務省)
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/serbia/kosovo/josei.html
・旧ユーゴ便り:最新更新ページ「ウリメ!コソヴォ独立」へは此処から。
 http://www.pluto.dti.ne.jp/katu-jun/yugo/index.html
・コソボ共和国(世界飛び地領土研究会)
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/syometsu/kosovo.html
・Crisis in Kosovo
 http://www.imcnews.com/kosovo/kosovoindex.html
・コソボ問題―わかりやすく解説(井浦伊知郎氏のHP)
 http://hb6.seikyou.ne.jp/home/iura/kosovo.htm
・コソボの戦い&バルカン紛争(Nishitatsu1234の部屋)
 http://members.aol.com/nishitatsu1234/zatsudan/Balkan.htm

 東欧旧ユーゴスラビア・セルビア共和国内のコソボ自治州が、2月17日にセルビア本国からの独立を宣言しました。このコソボ独立をどう見るか、支持すべきか否か、実は今までずっと考えていました。確かに、域内全人口の約9割を占めるアルバニア人が熱狂的に支持しての独立宣言なのですから、人民主権や民族自決権擁護、被抑圧民族・人民解放を身上とする左派の立場からすれば、当然独立支持という事になります。しかし、この問題について調べれば調べるほど、そう単純には話が行かないという事も分かってきて、今もって態度を決めかねているというのが正直な所です。

 そもそもこの地域は、「セルビア王国発祥の地」と伝えられている事からも分かる様に、当初住んでいたのはセルビア人の方でした。それが、東ローマ(ビザンツ)帝国、オスマン・トルコ帝国という様に、時の支配者が次々変わる中で、イスラム教徒が中心のアルバニア人が南方から移住してきて、正教徒中心のセルビア人は次第に北方に押し出される形となりました。それが現代に至る民族分布の因って立つ謂れです。
 そして19世紀以降は、オスマン・トルコ帝国が衰退するにつれて、西方からはドイツやオーストリア・ハンガリーが、東方からはロシアが相次いでこの地に進出し、ルーマニア・ブルガリアなど東欧各地の民族を傘下に組み込んでいきます。その結果、東欧・バルカン半島のこの地は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる様になり、やがて20世紀に至り第一次世界大戦となって爆発します。

 第一次大戦後は、民族自決の原則に則り、東欧でもポーランドやチェコ・スロバキアなどの民族国家が誕生しますが、この地はセルビア・クロアチア・スロベニアなどと共に、ユーゴスラビアという国の一部にされてしまいます。
 そしてユーゴは、第二次大戦時の対独パルチザン闘争を経て、戦後はパルチザン指導者チトーの下で、社会主義の連邦国家として対ソ自主独立路線と独自の地方分権・自主管理政策で世界の注目を集めるものの、彼の死後は民族対立の激化と東欧社会主義圏崩壊の中で次第に瓦解の道を歩み始め、21世紀に入る頃には世界地図の上からも完全に消えてしまいます。その後もセルビア人とクロアチア人・スロベニア人・ムスリム人・アルバニア人との対立は続き、それで今に至っているのです。

 これを日本に当てはめて考えると、以下の様になります。平安時代までの日本人の主な活動エリアは関東地方から九州までだった。やがて各地方では地方武士による群雄割拠が進み、朝廷から相次いで独立する。その中で、今の京都府一体には渡来人が大挙押し寄せて住み着き、やがて人口全体の9割を占めるに至る。そして長年の日本人による差別に怒り、近畿地方からも一方的に独立―その平安期の日本人エリアが社会主義時代の旧ユーゴ、近畿地方がセルビア、京都府がコソボに当たると考えると、イメージが思い浮かぶでしょう。実際にも旧ユーゴの面積は日本の約3分の2で、それが大小8つの共和国・自治州に分かれていたのですから(この際、時代の違いは敢えて無視して下さいw)。

 以上がこの地域の大まかな歴史ですが、こうしてみると、単純な支配・被支配や大国・小国の関係だけでは説明しきれない事が分かります。ベトナム・アルジェリア・旧ポルトガル領アフリカや東ティモールの様な、帝国主義・植民地主義vs民族解放戦線の対立図式とは全然異なります。
 また、パレスチナ問題やウイグル・チベット問題とも異なります。なるほど、<かつての被抑圧民族(ユダヤ人・中国人)が今では多数派となって別の少数民族を抑圧している>という対立図式だけに限って言えば、パレスチナ等の問題もコソボと似通っていますが、<今もどちらかが一方的に抑圧者の立場にあるとは言えない>という点では、コソボ問題は他の場合とも異なります。例えばパレスチナ紛争の場合では、双方がテロの応酬に明け暮れているとは言っても、抑圧者の立場に立っているのは明らかにイスラエルの方ですが、コソボの場合は後述する様に、どちらか一方が抑圧者であるとは断定出来ないからです。

 一般マスコミではとかく<多数派セルビア人による少数派アルバニア人への弾圧>という枠組みで報じられる事の多いこの問題ですが、実際はそんな単純なものではなく、寧ろ<双方が互いに相手を虐殺しにかかっている>と捉えた方が近いのではないでしょうか。謂わば、<双方ともに被害者であると共に加害者でもある>のです。かつては、今とは逆に、アルバニア人がセルビア人を抑圧した事もありました。また、今もセルビア本国ではアルバニア人は少数派として抑圧されていますが、逆にコソボに行くと今度はセルビア人が少数派として抑圧されているのです。
 そういう意味では、このコソボの民族対立は、スリランカ国内でのシンハラ人・タミール人の対立や、映画「ホテル・ルワンダ」の背景ともなった、アフリカ・ルワンダにおけるフツ・ツチ両部族の対立構造に近い様に思われます。そして、これらの民族・部族対立に共通しているのは、<昔はそれなりに共存していた各民族が、その後の分断統治によって次第に反目・対立させられる様になり、それが現代まで尾を引いている>という事です。

 この様な民族対立の構図を背景に持つ今回のコソボ独立宣言ですが、それでも民族自決や人民主権の立場に立つ限り、一方的独立という選択もやむを得ないのかも知れません。今更共存しようにも出来ない所まで対立が進行してしまった以上、無理に統合させても直ぐまた分裂してしまうだけだからです。スターリン時代の旧ソ連とは異なり、域内諸民族の平等と宥和にはそれなりに心を砕いた筈のチトーの手腕を以ってしても、ユーゴの統一が維持できなかったのですから。
 しかし、独立で事態が好転する事もないでしょう。寧ろ独立によって更に民族対立が激化する兆しすら見られます。コソボ独立を契機に、近隣のボスニアでもセルビア人とムスリム人の対立が激化するでしょうし、ルーマニア・トランシルバニア地方のハンガリー人も分離独立の傾向を強めるでしょう。一層の事、もう気の済むまで散り散りバラバラになるしか道はないのかも知れません。実際、ナチスドイツ占領時代のバルカン半島の国境線が、一番実際の民族分布を反映したものであったのかも知れないというのでは、もう歴史の皮肉という他ありません。

 この地域にとって一番大切な事は、民族間の憎悪の連鎖が断ち切られ、諸民族の平和と平等が保障される事であって、民族独立はあくまでその為の手段でしかない筈なのに、現実は必ずしもそうはなっていない。それどころか寧ろ、一地域の独立が、更なる民族間の憎悪を生んでいる様にすら見えます。そんな中にあって、域内諸民族の平等・平和共存や民族独立・民族自決権擁護の主張が、一体どれだけの意味を持つのだろうか。真の人間解放が達成されるまでには、あとどれだけの経過を辿らなければならないのだろうか。そんな事をついつい考えてしまいます。
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イージス艦衝突事故で問われる日本の民度

2008年02月25日 09時37分11秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
・イージス艦事故:船の進路は?あたご乗組員は「緑灯視認」(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/atagocollision/news/20080220k0000m040184000c.html
・漁協側が会見、自衛隊側説明に反論(TBS)
 http://news.tbs.co.jp/20080221/newseye/tbs_newseye3785551.html
・イージス艦の回避義務濃厚 漁船左舷を直撃 海保調査(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/special/080219/TKY200802210357.html
・事故状況説明図
 朝日新聞によるもの
 http://www.asahi.com/special/080219/080222a.html
 毎日新聞によるもの(記事添付画像)
 http://mainichi.jp/select/jiken/graph/atagograph0802/5.html
・海上交通のルールとイージス艦事故(チラシの裏にでも書いとけ)
 http://writeinthebackofads.seesaa.net/article/85291376.html
・イージス艦事故:衝突の12分前、清徳丸の灯火を視認(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/atagocollision/news/20080221k0000m040104000c.html
・イージス艦 混雑海域、なぜ自動航行?(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/national/update/0223/TKY200802220333.html?ref=rss
・複数の乗組員「よく覚えていない」(TBS)
 http://news.tbs.co.jp/20080222/newseye/tbs_newseye3786671.html
・イージス艦事故:不明の哲大さん、野宿者支援に魚届け続け(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/atagocollision/news/20080221k0000m040172000c.html
・「クライン孝子の日記」2008年02月21日付エントリー
 「軍艦の前をちょろちょろした方が悪いのでは!」
 http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=20080221

 2月19日に千葉県野島崎沖で起こった海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故ですが、これはどう考えても、「あたご」側に事故の主たる責任があるのは明らかでしょう。ここで改めて事故の概要について、添付画像の図解も参考にしながら確認しておきます。

(1) 事故は「あたご」が「清徳丸」の左舷にぶつかって起こりました。「清徳丸」の船体が左舷側から真っ二つに割れて沈んだのが、その何よりの証拠です。海上衝突予防法では、自船の右舷側に相手船の存在を確認した方が、右に針路を回避する事になっています。今回の場合は、「あたご」から見て右舷側の位置に「清徳丸」が航行していたのですから、回避措置を取るべきなのは「あたご」の方でした。

(2) しかし「あたご」は右に針路を回避しませんでした。だから「清徳丸」僚船の「金平丸」は、「あたご」がそのまま直進してきたのに驚いて、当初左に避けようとしていたのを慌てて右に避け直したのです。そして「清徳丸」は、左に避けようとした事で却って「あたご」と衝突してしまったのです。

(3) 「あたご」側が衝突直前に見たと主張している「清徳丸」の右舷灯(緑灯)についても、その信憑性に疑問が投げかけられています。両者の位置関係からすれば、「あたご」から見えていたのは、本来「清徳丸」の右舷灯ではなく左舷灯(赤灯)だったと考える方が、遥かに理に適うからです。この証言を巡っては、「あたご」側が意図的に嘘をついているか、若しくは他の僚船の緑灯を「清徳丸」のものと誤認しているかの、どちらかではないかという疑いが、漁船団の方から投げかけられています。

(4) その他にも、当初衝突2分前に初めて「清徳丸」の存在を確認したとされていたのが、実際は少なくとも12分前には確認していた事や、千葉県野島崎沖という海上の難所を自動操舵(自動運転)で航行していた事もマスコミで報道されて初めて明らかになるなど、総じて自衛隊・防衛省側の証言の方に齟齬が目立ち、証言内容も二転三転しています。

 以上がこの事故の大まかな構図です。これでは誰が見ても、自衛隊・防衛省側の方に、より大きな過失があるのは明らかでしょう。しかし世の中には、この程度の常識すら持ち合わせていない人が少なくない様なのです。この期に及んでもまだ「自衛隊は何も悪くは無い、悪いのは軍艦の前をちょろちょろ航行していた漁船の方だ」なんて事を堂々とネットで言い募る人が居るのですから。
 この人の理屈によれば、「自衛隊は国防という大任務を負っているのだから、漁船の方が文句なしに道を譲るべき」なのだそうです。しかも何と江戸時代の参勤交代の例まで持ち出してきて、「お殿様が一番偉いのだから大名行列に道を譲るのは当然だ」なんて事まで言い出すに至っては、もう開いた口が塞がりません。この人の人権感覚はもう封建時代のそれと全く同じです。
 他にもまあ「漁船の横暴」とか、言っている事が余りにも酷すぎる。同じ事を行方不明になった漁師のご家族の前でも言えるのか。その漁師さんはその人が言われるような横暴な人物でない事は、上記の毎日新聞「野宿者支援に魚届け続け」の記事からも明らかです。
 憲法9条がなくなり有事法制が出来たら一体どんな世の中になるか、これでよく分かります。これでは北朝鮮の先軍政治と殆ど変わらないじゃないか。

 流石にこんなムチャクチャな発言に対しては、同じ右派からも批判が多く上がっているようですが、ここまで酷くなくとも、この様な「お上言いなり」の事例は、他にも私達の身の回りにあちこちで見られます。年金問題や拉致問題などで、下っ端の公務員や朝鮮・中国人が相手の時はムチャクチャ嵩にかかった物言いをするくせに、国家権力や財界中枢が相手となった途端に、猫をかぶった様に大人しくなり、お上の弁護を買って出るような人が、私の身の回りにも結構いますから。
 例えば今回の事件でも、「軍事優先」をあからさまに口にしなくても、「小回りのきく漁船の方が道を譲るべきなのでは」という形で、そういう意見が出てきたりします。しかし、漁船も集団で延縄を仕掛けたり魚群を探知していたら、おいそれと簡単に針路変更などは出来ません。つまり、回避の困難性については一概にどちらが重い軽いと簡単には言えないのです。
 そしてより本質的には、あくまでも、「法律に照らし合わせてみて、どちらに回避義務があるか」という事に尽きます。その他の「回避の困難性」云々というのは本質的な要素ではなく、仮に考慮に入れるとしても、せいぜいが過失相殺や情状酌量の材料にしかなり得ないでしょう。

 ここまで書いて思い出したのが、1933年の大阪・天六で起こった有名なゴー・ストップ事件です。この事件は、交差点の赤信号を無視した兵士とそれを見咎めた交通整理の警官との間の諍いが、とうとう軍人と警察の対立にまで発展したというものです。軍人も警官の双方とも「天皇陛下の赤子」として譲りませんでしたが、最終的には警察の方が折れる事で決着を見ます。この事件を境にして、以後は軍部以外には誰も軍人の非行を見咎められなくなったという、戦前の軍事ファシズムへの傾斜を象徴する出来事でした。
 その当時と比べて、今の日本はどれだけ進歩したでしょうか。1988年の「なだしお」衝突事故の教訓が全く生かされなかった事や、かつてイラク日本人拉致事件被害者や北朝鮮拉致被害者家族会に加えられた醜いバッシングの事を思うと、日本人の「お上言いなり」意識は昔も今も全然変わっていないのでは、という気がします。しかしその一方で、水俣病を初めとする公害病患者や、ハンセン病患者、薬害肝炎患者、原爆症認定患者の人権回復過程を考えると、日本の民主主義の成熟ぶりもまんざら捨てたものではないな、という気もするのです。

 そこで再び今回のイージス艦衝突事件に話を戻します。先のクライン孝子氏の様な「大名行列に道を譲るのは当然」といったムチャクチャな論理はもう論外ですが、その他にもマスコミの論調を見ていると、漁船にかぶせ切れなかった罪を、今度はイージス艦「あたご」の見張り員個人だけに押し付けて、それで済まそうとしているような気がして仕方がありません。
 確かに見張り員個人の責任は大きいです。仮にそこで見逃しがあったとしたら、その責任は徹底的に追求されて然るべきです。しかし、問題は其処だけにあるのでしょうか。当時「あたご」の周囲を航行していたのは「清徳丸」だけではありません。同じ船団の「金平丸」「康栄丸」なども航行していました。これらの船団の存在は、かなり早くから「あたご」も確認出来ていた筈です。左右と後ろを監視していた見張り員も含め、艦橋(ブリッジ)には10人ぐらいの乗員がいたのですから。

 今回の事故でより問われるべきなのは、何故そんな中を直前まで、緊急停止も回避も出来ない自動操舵の状態で航行していたのかという事ではないでしょうか。もっと言えば、千葉県房総半島野島崎沖という、毎日大小合わせて数百隻もの船が行き交う海の交差点で、今まで海難事故も多発している、そういう海域を、何故そんな状態で航行していたのかという事ではないでしょうか。
 若し「こちらは軍艦なんだから、殿様なのだから、海上衝突予防法など関係ねぇ」などという気持ちが本音としてあったのなら、それこそ思い上がりも甚だしいと思います。パトカーや消防車などの緊急自動車ですら、緊急出動時以外は信号を守ります。況してや当時の「あたご」は緊急出動もしていなければ、海上衝突予防法でそう定められていた訳でもありません。こと海上航行に際しては、法令上では他の船舶と全く同じ扱いになっている筈です。

 ここは是非、徹底的な情報開示と真相究明が求められます。ことは人命に関わる問題なのですから。それがあってこそ初めて、今後の対策も立てられるし、責任者に対する厳正な処罰も可能となるのです。その際に考慮されるべきなのは、あくまでも「海の交通法規に照らしてどうだったのか」―この一点に絞られます。その他の「軍艦なのだから」云々は一切関係ありません。そんな事を言っているようでは、「海の男」「プロ」として従事する資格はありません。
 そういう意味では、今回の衝突事件では、日本に法治主義や文民統制、ひいては民主主義がきちんと機能しているか否かが問われていると言っても過言ではないでしょう。この前のパキスタンの総選挙でも、ムシャラフ軍事政権による司法介入を人民が許さず、「テロも独裁もNO!」の意思が明確に示されました。翻って日本ではどうか。ここでまた仮にゴー・ストップ事件の愚を繰り返す様な事にでもなれば、今度は日本の民主主義の成熟度(民度)そのものが疑われる事になるでしょう。
コメント (3)
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まんが蟹工船

2008年02月23日 01時11分32秒 | 一人も自殺者の出ない世の中を
蟹工船 (まんがで読破)
小林 多喜二
イーストプレス

このアイテムの詳細を見る


・小林多喜二「蟹工船」について(白樺文学館・多喜二ライブラリー)
 http://www.takiji-library.jp/
・ハケンと志位和夫のGJ=専門編集委員・山田孝男(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/news/20080218ddm003070128000c.html
・2/8 派遣法改正し"労働者保護法"に 志位委員長が質問/衆院予算委員会(全編)(YouTube)
 http://jp.youtube.com/watch?v=6I_NTfz3RNs
・働くナビ:「名ばかり管理職」その広がりの実態は。(同上)
 http://mainichi.jp/life/job/news/20080218ddm013100107000c.html
・連合:マクドナルド店長の管理職問題、各国労組と連帯へ(同上)
 http://mainichi.jp/select/today/news/20080218k0000m040062000c.html
・連合:「日雇い派遣禁止」の運動方針決める(同上)
 http://mainichi.jp/select/today/news/20080125k0000m040161000c.html

 <なぜ、日本の若者は暴動を起こさないのかという言葉をよく聞く。暴動はすでに起こっている。散発的に、暴発という形で。すでにひきこもりと呼ばれる百万人が、労働を拒否して立てこもっている。ニートと呼ばれる八十五万人が、無言のままにストライキを起こしている。そんなふうにも見えないだろうか。>―以上は雨宮処凛著「生きさせろ」(太田出版)の中の一節ですが、事態は既にもっと先の、誰もがその姿を目にする事が出来る所まで進んでいるのではないでしょうか。
 日雇い派遣の過酷な労働実態を告発した共産党の国会質問の様子が、YouTubeの動画に流れ「2ちゃんねる」でも話題になる。今までサービス残業を強いられてきた「名ばかり管理職」が起こした不払い残業代返還訴訟の原告勝訴判決を機に、各企業で是正の動きが広がり始め、今もって是正に踏み出そうとしないマクドナルドに対しても、連合の会長が対抗キャンペーンを提唱する。

 そんな中でイーストプレスという出版社から出たのが「蟹工船 まんがで読破」という漫画文庫。あの小林多喜二原作の同名のプロレタリア小説を漫画にしたもので、これが結構若者の間で評判を呼んでいるのだそうです。私もそれを聞きつけて、少し買って読んでみました。
 確かに読み応えがありました。<蟹工船は「工船」であり「航船」でないため航海法は適用されず純然たる「工場」であるにも関わらず工場法(注:今の労基法の前身に当たる法律)の適用も受けられなかった―これほど都合よく「勝手にできる」場所はない!>というくだりなど、正に現代の偽装請負の手口と全く同じじゃないですか!グッドウィル・フルキャストなどの派遣企業が、派遣と請負の間のグレーゾーンを悪用して、労基法無視の働かせ方をしているという、偽装請負の手口と。
 なるほど、これを読んだ今の若者が「これは決して昔話なんかじゃない、現に自分達の身の回りでいつも起こっている事じゃないか」と思う気持ちがよく分かります。会社の意を受けた冷酷無慈悲な主任監督・浅川が、己の出世の為に雑夫(蟹漁師兼缶詰工)たちを極限まで追い立てている様子も、成果主義賃金体系の下で競争に追い立てられ過労死が頻発している今の労働現場とそっくりじゃないですか。

 当時の周旋屋(口入屋)に騙されて集められた荒くれ男達と、現代の派遣企業によってトヨタやキャノンの工場に送り込まれてきた労働者達。表向きの求人条件と実際の待遇が全然違うのも、集まってきた労働者達が、最初は労働法の知識も団結の経験も一切無くて金・酒・女にしか関心がない所も、今と全く同じ。それが浅川や雑夫長(胴体ばかりデカい浅川の提灯持ち)たちによる無謀な搾取や、保険金の算段優先で僚船のSOSをも見捨てる惨い仕打ちの中で、「このまま黙っていたら最後にはみんな殺される」とストライキに立ち上がる。

 狡猾な浅川はそれに対して、団交に応ずると見せかけて代表メンバーを護衛の駆逐艦に引き渡してしまう。それまで軍隊は国民を守るものだと思い込んできた労働者達も、ここで初めてそれが国民の運動を弾圧する為のものである事を知る。このくだりも、今の沖縄米兵少女暴行事件や、この前の衝突事故でも全容解明や行方不明者の安否よりも己たちの保身に汲々としているのが見え見えのイージス艦乗組員や防衛省幹部たちの行動とダブって見える。

 しかし労働者達は諦めきれず、二度目のストライキに立ち上がる。最初のストが失敗したのは代表メンバーだけの戦いにしてしまったからだと気付いた彼らは、今度は全員が代表団として浅川たちと対峙する。これではたとえ乗員全員を軍隊に検束させても、働き手を失いオケラで帰港する事になるだけで、浅川たちの出世も覚束なくなる。劃してストライキは成功する。―これが、この漫画の大まかなストーリーです。原作の小説の方も、昔買って読んだ新潮文庫版がまだ自宅に残っていたので、ざっと読み直してみましたが、大まかな粗筋は漫画と同じでした。

 私は、今でこそ、ワーキングプアながらもバイトに関しては労基法が一応は守られている会社に勤めていますが、かつては日雇い派遣や個人請負に近い形のバイトも経験した事が何度かあります。流石にこの蟹工船ほどムチャクチャな現場はありませんでしたが、それでも其処ではそれなりに嫌な思いを味あわされました。
 チラシのポスティングのバイトでは確か、日給制で昼休みはチラシ配付の合間に銘々勝手に取るとだけ聞かされていたのに、蓋を開けたら「誰が勝手に昼飯食べて良いと言ったんじゃ、45分昼休みに取った? アホかそんなモンはチラシ撒きながら15分ぐらいでパンでもかじって済ませておくんじゃ」と言われた事もありましたね(そこは即行で自分から辞めてやった)。

 また、社員が次の作業指示をロクスッポきちんとしないので、仕方なく他のバイトと少し壁にもたれて立っていたら、いきなりどやしつけられたりした事もありました。おまけに其処は、ある日なんか集合場所に来たら誰も居なくて、呆気に取られてたら急にその会社から私の携帯に電話がかかってきて、「本日は親企業の都合で作業は中止になったので帰っても良い」と。そういうのが翌日も続いて、それで私がいい加減頭に来て今後の予定はどうなっているのか問い詰めたら、雇用主の癖にまるで「自分達も被害者だ」みたいな口ぶりでしたので、貰うもの(給料)だけ貰った後はもうそんな会社とはオサラバして次の仕事を探し始めたり。そういう経験もしてきましたので、この漫画に書いてある事は、もうその通りだと思いました。

 ただ、少し違和感を感じた所もありました。それは、主人公の雑夫・森本たちの繰り出した蟹漁ボートが遭難して、ソ連の艦船に拿捕されて沿岸の民家で一時保護され、そこで中国人と思しき人物による共産主義の赤化(オルグ)を受けた後に元の蟹工船に戻って来る場面です。オルグといっても資本主義や搾取がどうこうとかいう大上段な話ではなく、ただひたすらカタクトの日本語で「金持ち威張る貧乏人いつも苦しむこれダメみんな力合わせて変える日本もっと良くなる」と続くのです。それが奴隷状態の雑夫達の心に響き一筋の灯明を点す事になるのですが、この場面も何だか今のソ連の実態を考えると、余りにも勧善懲悪過ぎるというか。

 この部分については、後で「あとがき」に補足として、
(1) 共産主義も理想通りには行かなかった。(ソ連・中国・北朝鮮の人権抑圧)
(2) それでも少なくとも労働者の心の中に点った希望については間違いではなかった。(今の日雇い派遣の実態を見れば資本主義万能論がいかにデタラメかよく分かる)
(3) 寧ろ今やその希望の灯は、単なる左右のイデオロギーを超えて、当時の蟹工船だけでなく全世界に広がっている。
(4) その希望の灯を絶やさない為には、レーニンや毛沢東といった「代表団」任せ(頼み)にするのではなく、人民自身が自分の頭でモノを考え民主的に物事を決めていく事が重要なのだ。
―という事を付け加えれば、更に普遍性のある内容の漫画になるのでは。蟹工船が示した実態は、何も戦前日本に限った事ではなく、今の日本や欧米や中国・北朝鮮・第三世界全てに共通するものなのですから。

 あと、資本家側の一部の人物の描き方が型通りなのも、少し気にかかりました。鬼監督・浅川のキャラは、まあ彼の役柄を考えたらこの程度で妥当かという気もしますが、蟹工船オーナーの冷血資本家・須田の人物像は、まるで「嫌韓流」作家の描く韓国・朝鮮人みたいで、少し抵抗を感じました。もっと有効な冷血無慈悲ぶりの描き方があるのでは(例:闇金ウシジマくんとか)。しかしそれ以外では、この手の漫画の中では、なかなか良い出来栄えなのではないかという気がします。
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「お笑い百万票」についての考察

2008年02月19日 23時16分33秒 | 都構想・IRカジノ反対!


・大阪府知事選:橋下氏当選…閉塞感打破託す お笑い票健在(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/kansai/osakaprefelection/news/20080128k0000m010111000c.html
・橋下弁護士 百万タレント票が後押し(スポニチ)
 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/12/12/01.html

 大阪府知事選関連のエントリーを一旦閉じるに当たって、最後に改めて書いておきます。上記の記事には、如何にも大阪だけに特殊な「お笑い票」なるものが存在するかの様に書かれていますが、大阪にはそんなものは存在しません。知名度やイメージだけで投票する層は大阪にも少なからず居り、その動向が時として選挙結果に重大な影響を与える事がありますが、それは何も大阪だけに限った特殊な現象ではありません。
 橋下当選を支えたのは「お笑い票」でもなければ、橋下は圧勝もしていません。前回のエントリーでも書きましたが、相手候補の集票力減退によって橋下が恰も圧勝したかの様に見えるだけです。それは下記のデータからも明らかです。

(参考資料)
1970年代以降における大阪府知事選各候補の得票数・得票率推移

●第7回知事選(1971年4月11日投票) 投票率:63.06%
 黒田了一1,558,170(49.8%)社会・共産推薦
 左藤義詮1,533,263(49.0%)自民公認
 他1名  39,248
 政治状況:万博誘致vs公害問題、革新自治体の広がり。

●第8回知事選(1975年4月13日投票) 投票率:66.27%
 黒田了一1,494,040(42.1%)共産推薦
 湯川 宏1,043,702(29.4%)自民推薦
 竹内正巳 947,664(26.7%)社会・公明・民社推薦
 他6名   21810+16703+12597+7558+3900+2262
 政治状況:解同問題などを契機に社共が分裂。

●第9回知事選(1979年4月8日投票) 投票率:63.31%
 岸 昌  1,792,856(51.4%)自・社・公・民推薦、自ク支持
 黒田了一1,671,812(47.9%)共産・革自連推薦
 他1名  22,857
 政治状況:公害・福祉対策から関西経済地盤沈下・関空開発に争点が徐々に移行。(政党名略称:自=自民、社=社会、公=公明、民=民社、自ク=新自由クラブ、革自連=革新自由連合)

●第10回知事選(1983年4月10日投票) 投票率:60.74%
 岸 昌  2,173,263(63.0%)自・社・公・民・自ク・社民連推薦
 亀田得治1,250,374(36.3%)共産推薦
 他1名  24,718
 政治状況:関西新空港建設の是非が争点に。

●第11回知事選(1987年4月12日投票) 投票率:56.65%
 岸 昌  2,224,379(66.7%)自・社・公・民・社民連推薦
 亀田得治1,112,660(33.3%)共産推薦
 政治状況:売上税、与野党相乗りの是非が争点に。

●第12回知事選(1991年4月7日投票) 投票率:49.68%
 中川和雄2,064,708(68.2%)社会・民社・社民連・進歩推薦、自・公支持
 角橋徹也 964,554(31.8%)共産推薦
 政治状況:岸不出馬・中川擁立に至る過程でオール与党内部の確執が顕在化。

●第13回知事選(1995年4月9日投票) 投票率:52.27%
 横山ノック1,625,256(48.2%)無所属
 平野拓也1,147,416(34.1%)自民・新進・社会・さきがけ・公明推薦
 小林勤武 570,869(16.9%)共産推薦
 他2名   21356+4548
 政治状況:ヤミ献金疑惑による中川不出馬で新人同士の争いに。タレント候補がオール与党批判票を一気に取り込む。

●第14回知事選(1999年4月11日投票) 投票率:53.24%
 横山ノック2,350,959(67.6%)無所属
 鰺坂 真  920,432(26.5%)共産推薦
 他7名    80161+25823+25311+19603+18834+18385+16351
 政治状況:財政再建が主な争点に。

●第15回知事選(2000年2月6日投票) 投票率:44.58%
 太田房江1,380,583(46.0%)自(本部)・民・公・由・改革ク推薦
 鰺坂 真1,020,483(34.0%)共産推薦
 平岡龍人 574,821(19.1%)自民(府連)・自由連合推薦
 他1名   26,781
 政治状況:セクハラでノック退陣。中央政界による頭越しの太田擁立工作に自民府連が反発、分裂選挙に。(政党名略称・民=民主、由=自由)

●第16回知事選(2004年2月1日投票) 投票率:40.49%
 太田房江1,558,626(56.2%)自・民・公・社推薦
 江本孟紀 670,717(24.2%)無所属
 梅田章二 505,167(18.2%)共産・新社会推薦
 他2名   25851+13885
 政治状況:民主党進出・二大政党制定着。但し大阪では江本人気は空振りに終わる。

●第17回知事選(2008年1月27日投票) 投票率:48.95%
 橋下 徹1,832,857(54.0%)自民・公明(共に府連)推薦
 熊谷貞俊 999,082(29.5%)民主・社民・国民新党推薦
 梅田章二 518,563(15.3%)共産・新社会推薦
 他2名   22154+20161
 政治状況:裏金疑惑による太田不出馬で新人同士の争いに。偽「官僚政治批判」ポーズと自公の政党隠しで橋下が票を掠め取る。

※参考文献:大都市圏選挙研究班2006「大都市圏における選挙・政党・政策(続)―大阪都市圏を中心に―」(関西大学法学研究所研究叢書・第32冊)(記事添付画像参照)、並びに大阪府選管資料。


 上記データでもう一目瞭然でしょう。70年代の保革対決時代には60%台を保っていた投票率が、革新自治体崩壊後のオール与党体制の下での馴れ合い・内ゲバ政治の長期化と、今に続く小選挙区制・二大政党制(オール与党体制の全国化)の下で、有権者が次第に政治に愛想を尽かし、40%台にまで落ち込んできた事が。この前の橋下人気で投票率が前回よりもアップしたと言っても、若干持ち直したに過ぎないだけでなく、あの横山ノックが235万票獲得しての当選時(第14回知事選)ですら、投票率自体は70年代~80年代前半からはグンと下がっているのですから。
 そもそも橋下が集めた183万票が化け物だというのであれば、かつて六党を相手に共産党と革自連だけの推薦で当時の黒田了一知事が1979年の府知事選で集めた167万票は、あれは一体何なのか。183万票よりは多少見劣りするものの、橋下みたいに政権党がバックについていた訳ではないこの票も、同じく化け物として評価されなければオカシイ。しかし当時のマスコミは、この事実には目もくれず、「保守・中道時代」の到来を煽っていただけではなかったのか。

 要は、80年代以降、政治茶番劇の進行・重症化の下で、自民党政治への不満や生活困窮に対する大衆の怒りが、それまでの様にストレートに政治変革の方向に向かうのではなく、棄権層の増大や際物タレント候補の大量得票という歪んだ形で現われるようになってしまった―という事です。その際物タレント候補が、たまたま大阪では西川きよしや横山ノック、東京では石原慎太郎、宮崎では東国原英夫、青森県八戸市ではエロ保守二世議員だったというだけの話です。90年代以降における共産党推薦候補の得票減少に、それが如実に現われています。
 それを恰も、大阪人の大多数が知名度やイメージだけで投票するかの如く捉えた上記新聞記事は、余りにも皮相的な物の見方に終始したものであると言わざるを得ません。大阪人が全て吉本興業の信奉者でもなければ、阪神タイガースのファンでもありません。大阪人みんながケチでイラチな訳でもありません。上記記事は、吉本人気に悪乗りしての、安易でステレオタイプなレッテル張りでしかありません。

 それよりも、もっと肝心なのは、「何故大衆が悪政に対する怒りをそういう歪んだ形でしか表出する事が出来なくなったのか?」という事です。それに対しては、私は以下の様に推測しています。

(1) 高度経済成長の終焉に伴う世論の保守化(70年代後半)。第9回知事選で黒田革新府政が倒された頃から、選挙の争点が徐々に変ってきました。それまでの公害問題や老人医療費の無料化に代って、関西経済の地盤沈下や関西新空港建設などが世間の耳目を集める様になりました。その中から「地盤沈下への恐れ→関西復権を希求→自民党・関西財界への擦り寄り」という流れが生まれてきたのでは。しかし、実際にはそれは財界の一人勝ちでしかありませんでした。

(2) 保守勢力による「革新」イメージの取り込み(80年代以降)。それまでは「革新」とか「改革」というのは革新政党の十八番であったのが、80年代に入ってからの臨調行革以降は、保守勢力の側が「改革」を口にするようになり、いつしか「革新」が死語になってしまいました。狡猾な保守勢力が、実際には反動や歴史の退歩でしかないものを、「改革」と言いくるめるのに成功してしまったのです。皇国史観の持ち主でありながら社公民三党に担がれ「革新系候補」を僭称した岸昌(第9回知事選)や、「岩国市民は国策に逆らうな」発言に見られる如くズブズブの保守反動にしか過ぎないくせに、そんな事はオクビにも出さずに「笑顔・子育て・トライ」をキャッチフレーズに当選した橋下徹(第17回知事選)などは、正にその典型です。

(3) 中曽根行革による社会党・総評ブロック(55年体制)骨抜き・解体の総仕上げ(80年代)。革新自治体潰し(TOKYO作戦)、社公合意による社会党右転落、国鉄分割民営化と歩調を合わせた国労・総評解体、右翼的労戦再編によって、社会党の解体、現代に至る保守二大政党制の下地が、この時に作られました。

(4) 「ベルリンの壁」・ソ連崩壊と中国の六四天安門事件(80年代末)。いずれも、社会主義の理想とは一切無縁の、スターリン体制の崩壊劇だった訳ですが、これが社会主義や左翼そのものの権威失墜であるかの様な宣伝が流布されました。それが社会党の解体に更に拍車をかけ、今の民主党の結成に繋がりました。

(5) 偽「政治改革」による保守二大政党制の確立(90年代以降)。当時のリクルート事件に見られる政治的腐敗が、元々は自民党政治の下での政・官・財癒着に起因するものであるにも関わらず、それが恰も中選挙区制に原因があるかの様に、問題が摩り替えられました。その下で、当時既に大臣病亡者に成り下がっていた社会党は、細川政権と村山・橋本二代の自・社・さ連立政権の時代を経て、完全に解体されてしまい、その主流は民主党に収斂されてしまいました。

(6) 保革対立の「消滅」(90年代以降)。実際には<新自由主義・格差社会vs生存権・フェアトレード・勤労生活者同士の連帯>や<米国流”テロとの戦い”vsイラク反戦>という形で、保革対立は厳然として存在しているのにも関わらず、それがまるで恰も雲散霧消してしまったかの様な宣伝が、広汎に行き渡ってしまっています。その下で、大衆は次第に「諦め」の心境に落とし込められ、悪政に対する怒りがそのまま支配階級に向けられる事なく、「ワーキングプアは自己責任」「公務員・労組・高齢者バッシング」等の言説に絡め取られて、「下見て暮らせ傘の下」の分断統治の枠内に押し止められてしまっています。例えば年金問題の不祥事一つとってみても、それに対する怒りを「社保庁の木端役人叩き」だけに流し込み、グリーンピア利権を巡るゼネコンとの癒着や高級官僚の天下りなどから目を逸らさせる様な、巧妙な仕組みが作られています。「誰か毛色の変わった有名人に身を託し、それでウサ晴らしするしかない」風潮も、そんな中から生まれてきたのです。

 これら全ての要素が互いに複雑に絡み合って、「お笑い百万票」なる現象が生まれてきたというのが、私の大まかな見立てです。では、どうすればそういう現象を乗り越えて行く事が出来るのか? それは私にも分かりません。その答えが直ぐに出る位なら、社会はとうにもっと良くなっている筈です。しかし少なくとも、「前回と比べて何票伸びた」で一喜一憂しているレベルに止まるのではなく、もっと大きな世の中の流れから、それを考えていかなければならない事だけは確かな様です。
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産経新聞によるセカンドレイプを許すな!

2008年02月18日 00時49分41秒 | 福田第2次投げ出し政権
 アッテンボローさんの送ってくれたTBを辿っていったら、はなゆーさんのブログに、「ある沖縄在住者の呼びかけ」という下記の文章が掲載されているのを見つけました。この「呼びかけ」の内容は、去る2月10日夜に沖縄県北谷(ちゃたん)町で起きた米兵による女子中学生暴行事件を巡って、産経新聞がセカンドレイプ紛いの報道を行っている事に対して、抗議の為のボイコットを呼びかけたものです。転載歓迎という事なので、こちらでも遅まきながら急遽紹介させて貰う事にします。

 その「沖縄在住者」さんが問題にされている産経新聞の当該記事についても読ませて貰いましたが、確かに聞きしに勝る醜い内容でした。「暴行事件への抗議はいかがわしい反基地勢力が政治闘争の具に利用するためのもの」「暴行されたのは被害者が無防備で躾が出来ていなかったから」なんて事を、臆面もなく書き連ねているのですから。そこには最低限の人間性の欠片もありません。これはもう右とか左とかいう以前の問題です。
 しかも、これが三面記事なんかではなく論説記事だというに当たっては、もうその新聞社の社風が疑われるというものです(実際にもその通りなのですが)。若し我が子が同じ被害を蒙っても、この論説記者は同じ言葉を吐けるのでしょうか?

 産経新聞は以前にも、集団自決軍命削除の教科書検定意見に抗議した沖縄県民集会に対して、当初は殆ど無視を決め込んでおきながら、突然中傷記事を掲載するという暴挙をやってのけました(拙ブログ関連記事参考)。この一例を以ってしても、産経新聞の政府御用、強者・権力への阿諛追従、弱者・少数派への蔑視・排除の姿勢は際立っています。
 凡そメディアというものは、権力の暴走をチェックする所にこそ、その存在意義があるのです。それがもっぱら時の権力や時流への迎合のみというのでは、それでは政府広報と何ら変りません。

 また、これは単に沖縄や米軍基地の問題だけに限った事ではありません。この問題だけに限らず、「小悪叩きに矛先を逸らし真の巨悪を隠蔽・免罪」した挙句に「”下見て暮らせ傘の下”で溜飲を下げさせてそれで終わり」という毎度お馴染みの産経新聞の基本スタイルは、もうかれこれ60年代ぐらいからずっと続いている話ですが、それでも上記の様なセカンドレイプ紛いの報道姿勢を一旦黙認してしまったら、次はどんなヘイトスピーチを垂れ流されるか分かったものではありません。次はワーキングプアや失業者・ホームレスなどが、分断支配の為の格好のターゲットにされる事でしょう。
 メディアに求められる役割はあくまで「社会の木鐸」であって、肥大化した「第4権力」なぞではありません。産経新聞に対する購読ボイコットの下記「呼びかけ」に私も賛同します。

(転載開始)
--------------------------------------------------
《ある沖縄在住者の呼びかけ》

沖縄米兵、少女暴行事件について、右派の、「騒ぎすぎ」という妄言が、いかに歴史的事実を知らず、本土の人間の傲慢な態度として沖縄の人に映っているかに、知性のない右派にはわからないのでしょう。

沖縄は、琉球王国時代に、江戸幕府公認のもとで、薩摩藩により侵略、支配され、琉球を通しての、大陸との貿易のため、体裁は王国は残されましたが、実際には薩摩藩から重い税をかけられて、民は塗炭の苦しみに喘いでいました。

明治維新の薩摩藩の資金源は、こうした琉球支配からもたらせたものでした。

そして、明治になってから、「琉球処分」というものが行われ、琉球王国は廃止され、王は最初は男爵として列せられたものの、島民にとっては、貧しさだけが残っていました。

そして、琉球処分後も、日本人(本土人)の琉球人差別は続き、従軍慰安婦にも、沖縄の女性が多く連れて行かれました。

とどめは沖縄戦です。本土防衛の捨て石とされた、沖縄では、太平洋戦争中最大の地上戦が行われたとされています。

しかし、それは被害の大きさからはそうですが、実際には米国による、途方もない物量作戦と、穴があれば、見境なしに焼き払うという殲滅戦の挙句、沖縄島民は、三分の一が死亡しました。

本土人によって、差別され、捨て石にされ、さらに米軍に殺されて(日本軍による自決の強要や、スパイ容疑での処刑などがありました)、生き残った沖縄県民たちは、米軍が作った収容所に入れられました。

その後、何年か経ってから、収容所を出た沖縄県民が驚いたのは、今の嘉手納基地など、広大な土地が、所有者に断りも補償もなく、接収されて、米軍基地になっていたのです。その状態は今も続いています。

サンフランシスコ講和会議で、日本は独立を果たしたと歴史では教えますが、沖縄はこれに含まれず、アメリカによる領有が続きました。

この間、誤射、事故だけでなく、意図的な銃撃、車で引き殺す、など、今、米軍がイラクで行っているのと同じことが行われました。

1954年以降、確認されているだけで、日本全体で、米軍の事故、事件で死んだ日本人は1000人以上。これに、米軍領有時の数字は入っていません。

1970年には、米軍のあまりの横暴と、その犯罪が、米軍内部での処分で、軽微または無罪に終わることに怒った、市民が、交通事故を起こした米兵を取り囲み、米軍のMPと衝突して、車に火を放つという、「コザ暴動」という事件も起きています。

それだけ、米兵の犯罪に、沖縄県民は、怒りを膨らませていたのです。

そして1974年の沖縄返還。沖縄は日本のものとなりましたが、本来、沖縄県民が望んだのは、「基地撤去、本土並み」でしたが、これは、「核抜き、本土並み」にすり替えられ、基地は存続しました。

その後も、「日米地位協定」により、米兵の起こす事件は、領有されていた時と同様に、米軍側で処理され、ほとんどは本国送還でごまかされてきました。今回の事件で、犯人の逮捕に成功したのは、13年前の事件以降の、地位協定の、運用の見直しの一環として、現行犯は、沖縄県警察が逮捕拘留できるということになったからで、基地内に逃げ込まれていたら手出しはできませんでしたし、今でも、米軍が身柄の引き渡しを要求してきたら、日本は応じなければならないのです。

以上のような、迫害と差別の歴史の中で、土地を接収されて、一族の誰かは、米軍に殺されたという記憶がある中で、依然、沖縄での米兵の犯罪は、続いているのです。

この、積年の苦しみと怨念を知らずして、「騒げば補償金が入る」という、根拠のないデマを使って、沖縄人を愚弄する、右派メディア、右翼どもは、依然として、沖縄人を差別しているのです。この悪質な連中こそ、米軍基地の隣に住まわせるべきです。

先日のプリンスホテルに限らず、産経新聞、サンケイスポーツの、不買運動を始めましょう。夕刊フジも同じ、扶桑社の書籍も買うのはやめましょう。

そして、奴らの言うことが、いかに不条理で、売国的であるかを、上記の文を転載して、広めてください。

本土人は、沖縄に、おおきな負い目をおっているのです。

それなのに、さらに傷つける言葉を吐く、下劣な奴らを糾弾しましょう。
--------------------------------------------------
(転載終了)

(関連記事)
・米兵が中学生暴行/沖縄署、容疑で逮捕(沖縄タイムス)
 http://www.okinawatimes.co.jp/day/200802121700_01.html
・携帯越し「助けて」/安保の影 犠牲また(同上)
 http://www.okinawatimes.co.jp/day/200802121700_02.html
・沖縄 中学生強姦事件に関する報道(アッテンボローの雑記帳)
 http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2008/02/post_3ba6.html
・【政論探求】「反基地」勢力が叫ぶいかがわしさ。(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htm
 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n2.htm
・鬼畜への手紙(なごなぐ雑記)
 http://miyagi.no-blog.jp/nago/2008/02/post_cadf.html
・GO HOME!MOTHER FUCKER!(きっこのブログ)
 http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/02/go_homemother_f_f93a.html
・沖縄在住者が産経新聞系列企業製品のボイコット運動を提唱(低気温のエクスタシーbyはなゆー)
 http://alcyone.seesaa.net/article/84013090.html
・連合によるプリンスホテル系列ボイコットと、米兵による強姦事件の報道を巡る産経新聞不買運動(アッテンボローの雑記帳)
 http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2008/02/post_e182.html 
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「母べえ」―贅沢は素敵だとまだ言えるうちに

2008年02月16日 09時48分42秒 | 映画・文化批評
 昨日はシフト休日だったので、次のブログ記事更新に必要な資料を探しに図書館に行き、そこで面白い本があったのでついでに借りてきて、その帰りに今話題の映画「母(かあ)べえ」を見てきました。

 「母べえ」というのは、言わずと知れた山田洋次監督製作・吉永小百合主演の映画で、1940年前後の東京郊外に住む野上家一家の日常を描いた作品です。家族同士がお互いに「父(とう)べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と愛称で呼び合うような、あの時代には珍しいリベラルな家庭でしたが、ドイツ文学者である夫の滋(配役、以下同:坂東三津五郎)が治安維持法違反容疑で捕まってからは、「母べえ」こと佳代(吉永小百合)の細腕一つで子どもの「初べえ」「照べえ」を食わせていかなければならなくなりました。そこに夫の教え子の「山ちゃん」・山崎(浅野忠信)や夫の妹の「チャコちゃん」・久子(壇れい)も加わって、あの日米開戦前夜の暗い時代を乗り切っていく、というのがこの映画の大まかなストーリーです。

 この映画の見所は色々あるのですが、私は次のブログ記事更新の予定もあるので、ここでは一番印象に残ったシーンについての感想を書くだけに止めておきます。
 野上家に来る登場人物の中に、「山ちゃん」や「チャコちゃん」に混じって、一風変った人がいます。それが母の叔父の「仙吉」(笑福亭鶴瓶:この役柄にはぴったし!の感あり)で、わざわざ奈良から出てきたのですが、これがまた他の真面目一辺倒のキャラクターとは全然違うので、家族との間に一悶着あったりするのです。思春期を迎えた長女の「初べえ」に向かって「ええ乳してるなあ」とか言って顰蹙を買い、仙吉も仙吉で一向に反省せず、「(初べえも、治安維持法で捕まった夫の滋も)真面目一辺倒やからそんな目にあうのや、万事世の中はカネや、もっと上手に世渡りせんかい」とぼやく、そういう人物です。当然「真面目一辺倒」の「山ちゃん・チャコちゃん・初べえ」からは今で言うセクハラ親父の様な扱いを受けるのですが、何も自由にモノが言えないあの時代の中にあっては、その「仙吉」との会話が「母べえ」の唯一ホッと出来る時間でもあったのです。

 そういう豪放磊落な「仙吉」ですが、その思想とは一切無縁な彼ですら警察に捕まってしまいます。街頭で贅沢品追放運動を行っていた婦人会の面々に「女がお洒落して何処が悪いんじゃ」「贅沢は敵じゃない、素敵だ」と突っかかっていき、おまけに自分のしていた金の指輪を見止められてその供出も拒んだ為に、婦人会の面々から「非国民」となじられて警邏中の巡査にしょっ引かれてしまうのです。
 この「仙吉」にしても、大本営発表の延長線上に「日本はやがてドイツも放逐して世界制覇を成し遂げるのだ、その為に今はドイツと仲良くやって英米と戦うのだ」なんて講釈を垂れながら、統制経済の中で上手く立ち回ろうとする街の炭屋(この人は何くれと無く佳代の面倒を見てくれもするのだが)にしても、これが当時の庶民の一般的な姿だっただろうと思います。
 山師の「仙吉」は、今風に言えばネオリベ(新自由主義者、株主資本主義者)で、差し詰めホリエモンやグッドウィルの折口に当たるのでしょうか。街の炭屋なんて、今で言えばネットウヨクになるのかもw。でもそう書いちゃうと、何か違うような。今のネオリベやネットウヨクと比べたら、仙吉や炭屋の方がまだよっぽど人間的ですから。

 そういう「仙吉」ですが、それでも別れ際に、佳代に「何かの足しにしろ」とその金の指輪を譲り、「絶対に指輪を金属供出になんか出したらアカンで、あんなもの戦車や戦闘機を作るためなんて大嘘や、偉いさんがポッポ内々してしまうに決まってるんや」と列車の窓越しに言うシーンは、最後で庶民の意地を垣間見せたと言うべきか。
 しかし、そこまで来たら、もういくら抗っても手遅れなのです。「仙吉」の前に婦人会の贅沢検問に捕まっていた婦人の洋服姿も、今の感覚からすればどうってことないものです。しかし周囲がみんな割烹着やモンペ姿なので、それですら目立ってしまうのです。今はまだそこまでは行かない。少なくとも普通に食事が出来、服も着れる。言論・集会・表現の自由も、まだ建前上は保障されている。しかし今のまま右傾化がどんどん進めば、ホンの些細な贅沢(普通の服装)すら出来なくなってしまう時代が、再び来ます。そうなってはもう何もかもが手遅れなのです。今のネオリベやネットウヨクが、その事をどれだけ分かっているのかは甚だ疑問ですが。

※写真は映画のパンフレットから。右から左に、「母べえ」佳代、「チャコちゃん」久子、「山ちゃん」山崎(パンフの折り目になって殆ど見えませんが)、子供たち、仙吉。子供たちのうちで、手前に座って仙吉を睨みつけているのが長女の「初べえ」初子、その後ろに立っているのが次女の「照べえ」照美。 
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大阪と岩国の敗北から何を学び取るか

2008年02月14日 08時42分18秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 昨年の東大阪市長選、今年に入ってからの大阪府知事選、山口県岩国市長選の、いずれの選挙でも、自公与党の利権派候補が勝ってしまいました。東大阪と岩国については、前者が多数を頼んでの市長不信任の強行、後者が地元米軍基地拡充ごり押しに新市庁舎建設補助金凍結の兵糧攻めと、いずれも形振り構わぬ横暴なやり方で自公勢力が臨んできたのに対して、抗議の声をかなり結集する事が出来ましたが、それでも結局は僅差で負けてしまいました。大阪府知事選の場合は、自公与党をバックに付けた新人候補が、無党派・改革派を詐称する事で当選を果たしてしまいました。
 上記の3つの地方選挙で何故革新・市民派が自公勢力に勝利する事が出来なかったか。この3つに共通するのは、いずれも「自公与党陣営の方に庶民の生活保守主義を逆手に取られてしまった」という事ではないでしょうか。

 「生活保守主義」とは、読んで字の如く、庶民が自分の生活を守ろうとする気持ちです。これは庶民の素朴な生活感情に根ざすものですが、これは時には、悪政に対する政治変革のエネルギーに転化する場合もあれば、またその逆に、「長いものには巻かれろ」という方に流れて体制側に絡め取られてしまう場合もある、そういうものです。
 先の参院選の場合には、この「自分の生活を守ろうとする」庶民の気持ちが、それまでの悪政に対する怒りとなってストレートに噴出しました。その結果、庶民の生活困窮を他所に「改憲ごっこ」に現を抜かすばかりで閣僚の不祥事にも何ら対処し得なかった安倍内閣は、庶民からはまるで「生活破壊の元凶、諸悪の根源」であるかの様に看做されて、最後には退陣に追い込まれました。
 翻って今回取り上げた3つの地方選の場合はどうだったのか。こちらの場合はいずれも、寧ろ参院選の時とは逆に、こちらが守勢に回ってしまった感がどうしても否めないのです。相手の意図した「泥仕合」の展開に、結果的には引きずり込まれた形となり、それが無党派層の目には「どっちもどっち」と映ってしまったのではなかったか。そうなると、もう後は「長いものには巻かれろ」で、どうしても政権与党の方に有利に流れてしまいます。

 無論、政治の混乱を引き起こしたのは国や自公勢力の方です。岩国では、米軍艦載機の移駐受入れをごり押しする為に、新市庁舎建設補助金をカットするという暴挙に打って出てきました。東大阪でも、何の落ち度も無い市長を、ただ単に共産党単独推薦市長だという理由だけで、数を頼んで不信任決議を強行してしまいました。大阪府知事選挙の場合は、これら前二者の場合とは違い最初から新人同士の三つ巴の争いとなりましたが、ここでも自公派は、それまでの民主党とも馴れ合ってオール与党時代にやってきた大型乱開発や乱脈予算の問題には頬かむりしながら、最初は出ないと言って煙に巻いていたタレント新人候補を引っぱり出してきて改革者を装わせる事で当選を果たしました。いずれの場合も、道理の通らないのは自公勢力やその同調者であったのは確かです。当然、自公やその同調者のそういうやり方に対しては批判が集まりました。そこまでは先の参院選の場合と全く同じです。

 但し、問題はその後です。自公勢力は、自ら政治の混乱を引き起こしておきながら、同時にアメとムチのやり方を推し進める事で、それを長期の消耗戦に持ち込み、市民の反対運動を疲弊させ、泥仕合の展開に持ち込むことに成功してしまったのです。それは特に岩国においては顕著でした。それまで何度も行われた住民投票や市長選での、「国のごり押しNO!」の民意を悉く無視するものでしたから。

 そういう展開を辿る事で、逆に市民の側は、参院選の場合とは逆に「守りの選挙」を強いられる事になりました。岩国でも東大阪でも、市民の側はいずれも「自治と民主主義を守れ」という事をスローガンに掲げました。大阪府知事選挙の場合も、「タレントの欺瞞に騙されるな」という訴えかけが中心になりました。
 それに対して、自公勢力は「改革」や「生活重視」を唱える事で、参院選での民主党と同じポジションを獲得する事に成功してしまったのです。この時点で、市民派は当時の安倍政権と同じ立場に立ってしまったのではないでしょうか。だから、いずれの選挙でも、無党派層やそれに近い立場の民主党支持層(この層は自民党の右翼的・土建屋的体質には拒否感を示すが新自由主義には宥和的である)の多くが、自公候補の方に流れてしてしまったのではないでしょうか。

 勿論、市民の側とて、それに手を拱いていた訳ではありませんでした。自公推薦候補の繰り出す「改革」「生活重視」のスローガンが、客寄せパンダ以上のものでは決して無くて、それどころかトンでもない毒饅頭であった事も、折りに触れて訴えてきました。例えば「国の言いなりにならなければ岩国も夕張みたいになってしまう」というデマに対しては、「国の言いなりになって、炭鉱閉山の尻拭いを押し付けられリゾート開発にのめり込んだからこそ、夕張が今の体たらくになってしまったのではないか」「国の補助金を当てにするというが、それは国の言いなりになる事で抱え込む事になる起債=借金の一部を補填するものでしかない。そんな事をすればそれこそ借金漬けになってしまう」「そうなればもう後に残るのは基地依存一辺倒のシャッター街しかない」という事も言って来ました。

 しかしそれ以上に、ともすれば「自治と民主主義を守れ」という(無党派からすれば)一種の建前論が先行してしまいがちになってしまったのではないか。それが無党派にとってみれば一種の書生論の様に思われてしまい、「基地拡充には本当は反対なのだが国との妥協もやむを得ない」という層を、反対運動や市民の側が結集する事に失敗してしまったのではないでしょうか。
 先に述べた「岩国が夕張になる」デマ宣伝の欺瞞を突く説得にしても、互いに市民同士が対話を繰り返す中でこそ、初めてその効力が現われてくるものです。それは、僅か二週間余りの短い告示期間の間で、しかも今のワンフレーズ・ポリティクスな劇場政治の状況の下では、常に時間切れのリスクを強いられる事を余儀なくされます。勢い、敵の繰り出す偽「改革」「生活重視」の洪水の中では、こちらもついつい「自治と民主主義を守れ」の連呼で対抗してしまいがちになってしまいます。肝心なのはその先の、「自治と民主主義」のビジョンをどう描き実現していくか、という事であるにも関わらず。そこを上手く相手に突かれたのではないか。

 そういう意味では、短期的には「相手の勝ち」だと言えます。しかし、これは長期的に見れば、確実に「相手の負け」です。何故ならば、選挙中に彼らが散々ばら撒いた偽「改革」「生活重視」の公約と現実政治との間の矛盾が、後になればなるほど何倍ものしっぺ返しとなって、今度は彼らに襲い掛かってくるのですから。
 既にその兆候は早速、橋下タレント新大阪府知事のゼロ起債発言を巡る二転三転の狼狽振りとなって現われています。その後も、沖縄でまたもや米軍兵士による少女暴行事件が発生し、米軍基地が市民とは共存不可能なものである事を改めて思い知らされました。
 斯様に、彼ら自公勢力による偽公約、偽宣伝の全ては、結局は「矛盾の先送り」でしかないのです。橋下も、やがては前任者の太田房江の様に、御用済みとなった時点で捨てられる運命になるでしょう。そうして自公は、また新たなタレント候補を見つけ出してきて、また新たな偽公約を述べ立てる事になるでしょう。
 しかしそれでも、短期的には相手の勝利を許してしまった事は確かです。こんな負のスパイラルは、もういい加減早く断ち切ってしまわなければならない。
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岩国市長選挙に全国から支援を―私も「30分の時間カンパ」に協力させて貰います

2008年02月10日 09時34分13秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 以下、南雲さんのブログに掲載されていた、岡本三夫広島修道大学名誉教授のメール全文を、下記に転載させて貰います。本日2月10日がその岩国市長選挙の投票日です。こと此処に至ってはもう、他府県在住の私に出来る事と言えば、この「30分の時間カンパ」(岡本三夫氏)に協力させて貰うぐらいしかありませんので。それで、南雲さんブログの無断転載禁止規定には抵触してしまいますが、当該メール文中の「時間のない方は このメールを知人・友人に転送だけでも結構です」という言葉に甘えて、私のブログにも転載させて貰う事にします。(尚、南雲さんにはこの後で、転載させていただいた旨をきちんと伝えるつもりです)

(転載開始)
-------------------------------------------------
広島の「岡本非暴力平和研究所」所長の岡本三夫です 岩国市のことで非常に大事なお願いがあります ちょっと長い文章ですが辛抱して読んでください
「誰の心の中にも反骨心はある。自立心がある。矜持がある。その葛藤に悩みながら人はバランスを保って生きるのではないか」(2月1日付 天木直人ブ ロッグより)。

岩国市長だった井原勝介さんはまさにそういうお人です 悩みながら岩国市民にとって「何がベストか」を真剣に模索しながら市政に全力投球してきた政治家です 井原さんは 元中央省庁の高級官僚(在タイ日本大使館一等書記官  労働省課長ほか)であり 一地方都市の市長にすぎません 決して「反基地闘争」の活動家などではありません 米軍基地にもむやみやたらに反対してきたわけではなく 現に 沖縄・普天間 基地の空中給油・輸送機部隊を岩国基地へ移駐することにも同意しています  政府からの要請に対する妥協でした 新市庁舎建設のためには そう妥協することが市民のためになると判断したのです 

また 沖合の新滑走路を用いて試験飛行を行ない 改めて騒音を測定すること NLP(夜間飛行離着陸)の恒久的基地の明確化 海上自衛隊の残留などの条件を国に提示するなど 悩みながら岩国市民にとって「何が最善か」を真剣に模索しながら市政に全力投球してきたのです 

 ですから 反基地闘争家が100%井原さんを支持してきたわ けではありません。しかし 米軍再編への全面的かつ積極的協力を露骨なまでに打ち出した「中央政府」のごり押しに対しては「地方政府」の首長として断固たる態度に出ました 米軍再編に伴う計画に沿って厚木基地から岩国へ米軍の空母艦載機を大量に移転するという暴挙に反対を表明したのです 市民のいのちと安全と財産を預かる市長としては当然の行動でした 隣接する広島市民もその多くが岩国米軍基地強化には大反対です ですから 井原さんの「市民のための市政」という首尾一貫した政治姿勢は大半の岩国市民の支持を受け 住民投票でも 市長 選挙でも 市民の圧倒的な支持を獲得したのは当然でした 井原さんは 「地方自治の本旨に基いて」(憲法92条)まことに誠実な対応をしてきたのです しかし 今 井原さんは最大の危機に直面しています 市議会議員 建設業者  関連する会社社長など 「目先の利益に目がくらんだ人たち」は 井原さんが再選されると「夕張市のようになる」「税金が高くなる」「バスがなくなる」「病院がつぶれる」などと 根も葉もないウソとデマで市民を誘導し 井原さんの落選を狙っているのです 岩国市民を馬鹿にするにもほどがあります。大きな米軍基地を抱えた地方都市は 沖縄もその1つですが 韓国でもドイツでも 軒並み米軍兵士による犯罪が増え 子どもたちは安心して学校に通えず  若い女性は街を一人歩きできず 大企業の地方支店は逃げ出し 経済が停滞し 街全体が荒廃します 沖縄では1995年に小学生が3人の米軍兵士に レイプされました! 井原さんは岩国市が そういうことにならず 市民が安心して生活できることを心より願って 岩国という小さな地方都市を「人身御供」に米軍に捧げようとする卑屈な「中央政府」の方針に反対し 米政府の言いなりになってゴリ押しする日本政府と 文字通り 「身体を張って」闘っているのです どうか 民主主義を守るこの天下分け目の一大決戦に「30分の時間カンパ」をしてください そうすることによって井原さんを支援してください パソコンの前で 30分間 「時間カンパ」をしてください 全国規模で さらには グローバルな規模で できるだけ多くの知人・友人に岩国市長選挙への応援を 訴えて欲しいのです いろんな形の支援があります インターネットで検索してください 岩国市の現状を多くの日本人・外国人に訴えてください 時間のない方は このメールを知人・友人に転送だけでも結構です 1人でも多くの人に伝えてください これは民主主義を守る戦いなのです 「おカネのある人はおカネを 時間のある人は時間を 知恵のある人は知恵を 何もない人は熱気を!」(市民運動の原点) 井原さんにお寄せ下さい 以下のようなカンパの窓口もあります 

「岩国新市庁舎を勝手に支援する会」 郵便振替 00130-9-583982

インターネットによって市民が結ばれ 連帯できる時代であり このような好条件があるのに 岩国は遠いからなどの理由で 座視傍観し この一大決戦に破れたら 岩国ではなく日本の恥じであり 世界の笑いものになります  しかし 私たち草の根の市民派が勝利は歴史的な意味を持っています 
「日本の民主主義もここまで育ったか」と賞賛され 日本市民の政治的健全さへの評価が確立することに繋がります それは 類似の問題に悩む沖縄や横須賀市で の反基地市民運動や六ヶ所村での市民運動にとっては素晴らしい勝利のシンボルとなり さらに 独裁と専制のもとで苦しんでいる多くの世界市民にとって  どれほど大きな励みになるか 計り知れません 

まずは 可能ならば 明日2月2日(土)の「岩国市民会館大ホール」大集会(2時~3時半)に参加してください  
どうぞ宜しくお願い致します

ゲスト:天木直人(元レバノン大使)     
森田 実(政治評論家)     
佐高 信(「週刊金曜日」編集委員)     
井原勝介(前岩国市長)

主 催:民主主義と自治を守る議員有志の会 連絡先:有志の会代表 重岡邦昭(090-1332-3313) (本来なら 「決戦」ほかの軍事用語は避けるべきですが 「分かりやすさ」のために 今回はあえて使いましたことをお許し下さい)
-------------------------------------------------
(転載終了)
 http://blog.goo.ne.jp/dabamyroad/e/030014c18f93aaf8a44c351d8e296888
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岩国市民に大阪府民の夢を託す

2008年02月08日 14時32分51秒 | 都構想・IRカジノ反対!
・住民投票めぐり異論反論 井原・前岩国市長と橋下氏(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/kansai/osakatiji/OSK200802030031.html
・岩国市長選が大阪に飛び火?(all about)
 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080205A/index.htm?FM=rss
・岩国市長選:橋下徹次期大阪府知事のトンデモ発言(カナダde日本語)
 http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-761.html

 何を考えているのか、このタレント新知事は。ロクスッポ府政の引継ぎも終わらないうちから、肝心の大阪府知事の仕事をほっぽり出して、他府県の市長選挙の事にやたら熱くなっているようです。それも、いくら与党推薦とは言えそれでも一応は弁護士の端くれなのだから、少しは住民投票や地方自治、基本的人権の意義でも説くのかと思いきや、それがトンでもない。「多数決こそ民主主義、勝てば官軍、下々の者が何を生意気にお上に楯突くのか」というような事を喚き立てているのだそうな。流石はサラ金会社の顧問弁護士だけあって、まるで明治憲法時代に逆戻りしたような、その人権感覚には驚かされました。

 確かに当の岩国市民にしてみたら、「何を大阪のお笑いミーハー頼みのタレント知事がしゃあしゃり出てきて」というようなものでしょうね。それで実際、「岩国vs大阪」みたいな形になってしまって、挙句の果てには「橋下に投票した人間のみならず、それ以外も含めて大阪人全体が付和雷同のミーハーか」みたいな意見まで飛び出しかねない雰囲気になってしまっているそうです。とんだ「大阪の恥さらし」という他ありません。
 元より私は、こんな「大阪人総懺悔」要求論には組しません。それでは、北朝鮮・拉致問題や昨今の中国産餃子農薬混入事件で、スターリン主義やグローバリゼーションの問題には目を瞑り、単なる日朝・日中間の民族・国家対立の次元での話にすり変えてしまっている日本のネットウヨクや韓国のチュサパ、中国の糞青たちと、同じレベルでの応酬に堕してしまいます。
 この問題の原因はあくまでも「在日米軍再編」にあるのであって、それを「岩国と大阪の対立」次元に矮小化してしまったのでは、正しく「橋下の思う壺」です。

 今、岩国で起こっている事は、70年代の大阪で起こった事とも無縁ではありません。あの頃の大阪も、当時既に深刻化しつつあった西淀川の大気汚染や、本格操業を始めた堺泉北臨海コンビナートの騒音・炎、急速に広がった光化学スモッグの被害を目の当たりにした大阪府民が、それまでの万博・高度経済成長神話からやっと目を覚まして、黒田革新府政を誕生させたのです。謂わば、艦載機移駐問題を契機に、それまでの基地経済の神話から目を覚ました今の岩国市民と同じ状況下にあったのです。それが70年代末期の革新府政崩壊以降は、オール与党体制が続く中で、政治参加の機会も政治変革の希望も潰されて来た府民の多くが、次第に自暴自棄の心境に追い込まれ、無党派の看板だけに目を奪われてタレント知事を選ぶようになったのです。
 それは、マスコミが作り出した劇場政治の虚像の上に乗っかって、小泉純一郎や石原慎太郎、安倍晋三、東国原英夫といった人間が権力の座についたのと、全く同じ構図です。それが大阪では、たまたま吉本興業出身の西川きよしや横山ノックだったというだけにしか過ぎません。別に、日本の他地域とは切り離された所で、特殊な「お笑い百万票」というものがある訳ではないのです。

 そういう意味では、今の岩国市民は寧ろ、政府・与党の包囲を打ち破って、黒田革新府政崩壊で果たせなかったかつての大阪府民の夢や可能性をも実現し得る位置にあるのです。ここで岩国市民の良識が勝利したならば、その影響は必ずや次の大阪の、そして全国の市民の励ましとなるでしょう。今こそ岩国市民は、かつての大阪を轍を踏むことなく、寧ろそれを教訓にして、更に前へ進んでいって欲しい。
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集会の自由を守るために

2008年02月05日 08時01分52秒 | 二大政党制よりも多党制
 日教組教研集会の会場となったホテルが、右翼の恫喝に屈して、裁判所の仮処分命令も無視して会場使用を断り続けた為に、教研集会が中止に追い込まれました。この問題について最も指弾されるべきなのは、勿論集会の自由を踏みにじった右翼ですが、それに易々と迎合するホテルにも大いに問題があります。こんな事を一旦許してしまったら、最後には何もモノが言えない社会になってしまう事は、戦前の2.26事件の時の教訓からも明らかです。是非、下記の転載文書をお読みになった上で、文書の趣旨に賛同して下さいますよう、ご協力をお願いします。

※当初下記に転載していたミクシィ内の記事ですが、転載可の文章といえどもミクシィ内の記事であり、文中には他のマイミクさんに関するプライベートな事項にも少し言及されていた部分もあったので、急遽転載記事の内容を下記のものに差し替えました。下記記事も以前のマイミク記事と趣旨は同じですので、引き続きご協力の程、宜しくお願いします。

(転載開始)
---------------------------------------------------
[AML 18044] 非戦つうしん号外  08.2.3 裁判所の決定まで無視したグランドプリンスホテル新高輪要請呼びかけに賛同を

できましたら、下記「アピール」にご賛同下さい。
(不泊を直ちに呼びかけるものではありません)
転送・転載大いにお願いします。重複ごめんなさい。

第一次集約 2月6日(水)24時  その後も集約日を決めて継続する予定です
集約のうえ、ホテル側にアピール・呼びかけ人と賛同人の氏名所属・一言集を届けます。

0000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
返信文
1 (○をつける)呼びかけ人になる
  (主催者の一人としてインターネットで順次公表します。肩書きも記載してください)
2 (○をつける)賛同人になる(インターネットでは公表しません)
3 ひと言(任意。プリンスホテルに泊まったことのある方あるいは予約されている方は、是非その旨明記してください)
4 個人(または企業・団体)の氏名・所在自治体
000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
なお、
1 より大規模の同種要請運動が提起されたら、それに合流することをご承諾のうえ、ご返信下さい。
2 また、返信の整理にかける労力が大変な場合にお手伝いしていただける方は、お申し出下さい。
==================================================
毛利正道   mouri-m at joy.ocn.ne.jp
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/
〒394-0028岡谷市本町2-6-47 信州しらかば法律事務所
tel0266-23-2270 fax0266-23-6642 携帯090-4096-7065
==================================================
呼びかけ文
「裁判所の決定まで無視したグランドプリンスホテル新高輪に対する要請への賛同を呼びかけます」
  2008.2.3   発起人  非戦つうしん主宰  毛 利 正 道
  http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/hisen0.html
東京品川のグランドプリンスホテル新高輪が、高等裁判所の決定を無視して2月1日の日教組教育研究全国集会全体集会の会場使用を拒否したため、全体集会が中止に追い込まれました。
http://www.asahi.com/paper/editorial20080202.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008020202084385.html
http://www.shinmai.co.jp/news/20080203/KT080202ETI090004000022.htm
毎年街宣車を繰り出して各種集会妨害に狂奔する右翼の策動、並びに同ホテルが既に昨年5月になしていた日教組との会場使用契約の破棄通告をしたことも強く批判されなければなりませんが、同様のケースでも、従来は裁判所の命令に従って催しが実施されて来ており、ここにいたっての催し中止は初めてのことと報道されています。

 今回のグランドプリンスホテル新高輪の会場使用拒否は、
1 主催者日教組と集会参加予定者の憲法で保障する「集会表現の自由」を蹂躙し、理不尽な右翼の策動が目的を達したことになったばかりでなく、
2 今後も同様な裁判所の命令を無視して会場使用を拒否する事例が増え、会場使用契約自体を拒むという最近の重大な傾向と相まって、右翼に睨まれるものは集会を一切開催できないという、表現の自由なき社会が招来されかねず、
3 事態はこれに止まらず、どんなことでも「裁判所の命令を無視して構わない」という風潮作出を助長し、現代社会における「司法によって紛争を解決する」という最低限の社会的ルールが破壊される恐れすら出てきます。

 よって、私たちは今回のホテル側の態度を許すことは決して出来ません。私たちは、ホテル側に対し、
・主催者日教組と参加予定者および社会に謝罪すること
・日教組より次回の会場使用申込みがあったときには受諾すること
・日教組と参加予定者に対し今回の事態に対する十分な償いを行うこと
・表現の自由を尊重し今後同ホテルはもちろん全国の系列「プリンスホテル」において二度と同様の態度を取らないこと
・この申し入れに対し誠実に回答すること
以上を要請します。

なお、誠実な回答がない場合には、今後、同「東京品川のグランドプリンスホテル新高輪」はもとより、全国の系列「プリンスホテル」での宿泊・使用を止めるよう日本と世界の民衆と企業・団体に呼びかけることも辞さないものです。
---------------------------------------------------
(転載終了)
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-February/017559.html
 http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/08.2.3purinsu.html

(関連記事)
・新潟日報「大ホテルがこんな無法を」
 http://www.niigata-nippo.co.jp/editorial/index.asp?syasetsuNo=1098
・東京新聞「集会の自由は守らねば」
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008020202084385.html
・読売新聞「司法をないがしろにする行為だ」
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080202-OYT1T00729.htm
・毎日新聞「言論の自由に関わる問題だ」
 http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080202ddm005070129000c.html
・朝日新聞「ホテルが法を無視とは」
 http://www.asahi.com/paper/editorial20080202.html#syasetu1
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