アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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ケ・サラと東京都知事選

2024年06月30日 09時31分00秒 | 未完の政権交代

昨日は有休取って昔入っていたサークルの同窓会に出て来ました。同窓会の会場は阪急沿線にある昔ながらの駅前商店街の中の喫茶店です。そこのマスターが合唱団の正団員で、私たち研究生の同窓会を開催する為に貸切にしてくれました。合唱団に入ていたのはもう何十年も前の就職1年生の頃です。その頃はみんな若かったのに、今はもうそれなりの年になりました。同窓会は最後にケ・サラ(Che Sara)を歌ってお開きとなりました。

ところで、このケ・サラという曲は、元々はこの岸洋子が歌っているように、故郷を捨てて街に出る若者の想いを歌ったイタリアの歌謡曲でした。 
 
それが日本にも広まる中で、当時のベトナム反戦運動の高揚の中で、自由と平和を愛する歌として、プロテストソングとして別の歌詞で歌い継がれるようになりました。
 
「ケサラ」 自由の森学園 2011音楽祭
 
歌詞の中に出てくる人達は、いずれも時の政権に弾圧された人達です。グエン・バン・チョイは南ベトナム政府軍に虐殺されたベトコン(民族解放戦線)兵士、ジョー・ヒルは無実の罪で投獄された米国シカゴの労働者シンガー、ビクトル・ハラは南米チリの軍事政権に虐殺された反体制シンガー。
 
当時私が所属していた関西合唱団も、「うたごえ運動」という労働運動の中から生まれた労働歌や反体制シンガーの歌を主に歌っていた合唱団です。私はそこの研究生として、就職1年目の私立高校常勤講師を辞めて、大阪いずみ市民生協に転職するまでの1年間、仕事終わってから大阪市城東区の合唱団に週1日通い、歌っていました。
 
その同窓会には、私より数年後に同じ大阪いずみ市民生協に就職した人もいました。その人も、今まで生協の店で店長として働いていたのが、リストラされて40代後半になって再び配送の仕事に就かされ、配送が終わってからも生協の組合員拡大のオルグをさせられ、拡大目標が達成出来ていないと、15歳下の上司に詰めまくられたと言っていました。そこにいたメンバーは、生協は消費者運動、平和運動に取り組む民主的な団体だと思っていた人が大半だったので驚いていました。
 
同窓会メンバーの中に、脱サラして農業している夫婦がいて、その方から農園で作った梅酒を土産にいただきました。今朝、パンと一緒にコーヒー代わりにいただきましたが、非常に濃い梅酒で、今も少しほろ酔い気分です。後でホットコーヒーで口直しをしなければならない位、濃い梅酒でしたw。
 
そこから一夜明けた今日は、折しも東京都知事選挙告示期間最後の日曜日。あくまで一地方自治体の選挙ではありますが、同時に、日本の全人口の約1割の有権者が住む首都・東京の知事を選ぶ選挙でもあります。この間の小池百合子都知事の実績を評価する場であるとともに、その小池知事の与党・都民ファーストにすり寄り、現職知事当選でこれまでの裏金政治の汚点を全てチャラにしようと目論む自民党に審判を下す場でもあります。
 
1967年に、当時も伏魔殿だった東京都政を改革すべく、それまでいがみ合っていた社会党と共産党が、初めて手を結び、統一候補の美濃部亮吉を当選させる事が出来ました。美濃部都政は初めて老人・障害者の医療費無料化を実現し、企業と公害防止協定を結んで東京に青空を取り戻し、銀座や新宿の歩行者天国を実現した知事でした。その後は国もそれらの政策を一部取り入れるようになりました。
 
ところが、1979年の都知事選を最後に、社会・共産両党が部落問題を巡って仲違いする事になり、自民党に都政の座を奪われてしまいます。そして、石原慎太郎や猪瀬直樹、今の小池百合子などの自民党寄り都政の下で、再び福祉切り捨て、大企業による臨海再開発などの土木行政、伏魔殿都政が続くようになりました。
 
その中で、今回初めて再び野党第一党の立憲民主党と共産党が手を組み、蓮舫候補を擁立し、伏魔殿都政に風穴を開けるチャンスがやって来ました。蓮舫候補については、今までもネットで散々叩かれて来ました。曰く「プライドが高い」とか「二重国籍」だとか。確かに、蓮舫候補は、美濃部都知事のような生粋の革新系候補ではありませんから、至らない点や不十分な点がある事は私も充分承知しています。前述の生協と同様に。
 
 
それでも、48億円も投じて都庁をライトアップするプロジェクションマッピングのお膝元で、困窮者支援の炊き出しに、ホームレスだけでなく貧困層の若者カップルも食料を求めて行列を作る中で、炊き出しの現場にやって来て激励してくれたのは蓮舫候補だけでした。私は、それだけでも、蓮舫候補に投票する価値があると思います。後の候補は、小池都知事も石丸慎二候補、田母神俊雄候補も、他の泡沫候補も、誰一人、炊き出しの現場に来て激励してくれる事はありませんでした。
 
それが「二重国籍」で「反日」だと言うなら、言い返してやれば良いのです。「炊き出し支援が反日だと言うなら、反日で結構!反日上等!少なくとも、自民党の裏金政治に対して何も言えず、炊き出しの現場にも来ない反国民、真性反日候補と比べたら、蓮舫候補の方がよっぽど愛国・親日ではないか」と。皆さん、掲示板ジャックや裸体ポスターなどの「争点ぼかし」に惑わされないで下さい。今度の東京都知事選挙の真の争点は何なのか?それを肝に銘じて投票をお願いします。自由と平和を求めてケ・サラを歌った先人のシンガーソングライターのように。
 
そして、これは東京だけの問題ではありません。私の住む大阪でも、戎橋のグリコ看板下の通称・グリ下に、家出少年・少女や身寄りのない若者が、居場所を求めてたむろするようになりました。本来なら、これらの若者を救済するのが行政の仕事なのに、今の大阪府政は、それらの若者を取り締まるばかりで、生活保護や児童相談所に繋げようとはせず、救済策を民間NPOに丸投げするばかり。それでいて、ゼネコンやカジノ資本を潤すだけの万博・カジノ誘致に巨費を投じ続けています。東京都政の問題は、いわば大阪府政の問題でもあるのです。問われているのは有権者の姿勢です。
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健康で文化的な最低限度の調味料(追記あり)

2024年06月26日 07時58分15秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

昨夜はハンバーグとレタスの付け合わせにチキンライスを作りました。本当はオムライスにしたかったのですが以前作るのに失敗しているので諦めました。そのチキンライスも、目一杯ケチャップを掛けたにも関わらず、レストランで出て来るチキンライスよりは大分色が薄いです。一体どれ位ケチャップを掛けなければならないのでしょうか?

そして今夜の夕食はハンバーグ。鉄板焼ハンバーグが売り切れだったので滝沢ハムのマッシュルーム、デミグラスソース、チーズの3種類のハンバーグを1個ずつ買い、食べ比べる事にします。付け合わせに信州ハムの扇形ソーセージとミニトマト、レタス。レタスは冷蔵庫の製氷室の真下に保管。そうすれば氷の滴が当たって乾燥を防ぐ事が出来ます。
 
 
当初はシメジと絹さやもハンバーグの付け合わせに考えていたのですが、ハンバーグのソースが少ししかなかったので、味噌汁の具に使う事にしました。味噌汁とゆで卵もハンバーグを湯煎した後のお湯を使いました。味噌汁の中でゆで卵を茹でたので充分茹でる事が出来ました。
 
レタスに最初は胡麻ドレッシングを掛けるつもりでしたが、流石に2022年4月賞味期限のドレッシングは使う気になれず。これはもう廃棄する事にします。実は昆布ポン酢も2022年11月賞味期限なのですが、こちらは廃棄しようかどうか迷っています。同じ調味料でも、麺つゆや味噌は常時使用するので、賞味期限切れの物を使う羽目になる事はありませんが、胡麻ドレやポン酢は使い道が限られているので、一人暮らしだと、どうしても余ってしまいます。
 
焼飯に使う味覇も、以前はよく焼飯を作っていたのでよく使いましたが、今はもうほとんど作らないので、まだ開封前の分も今年9月に賞味期限が切れます。ワンルームの火力の弱いIHコンロでは、焼飯のつもりで作ってもピラフにしかならないので、もう焼飯食べたくなったら近くの王将で食べる事にします。
 
そこで、特に一人暮らしの人にお聞きします。もう調味料は最低限の種類しか買わないでおこうと思います。買っても余らせて賞味期限切れになるだけなので。とりあえずは、醤油、ソース、味噌、油、塩、砂糖、麺つゆ、鰹節、だしの素、コンソメスープは常時揃えようと思います。
 
但し、ケチャップについてはどうしようか思案中です。余り使わないのでもう買わないでおこうと思いましたが、昨日のチキンライスをきっかけにケチャップの味に目覚めましたw。それ以外に「これは絶対必要」という調味料があれば教えて下さい。お願いします。
 
(追記)
 
 
おはようございます。大誤算w。昨夜の投稿で、味噌汁の出汁でゆで卵を茹でた事を書きました。鍋に卵を入れて茹でるには、それ相当の水を鍋に入れなければなりません。その結果、数日食べ続けなければならない程の味噌汁が出来ちゃいましたw。
 
こんな事になるなら、横着せずに味噌汁は味噌汁、ゆで卵はゆで卵で、別々に作れば良かった。でも、コンロが一口しかないので、火を使う料理を複数同時には作れない。だから、調理の回数を減らす為には、こんな横着もせざるを得ない。
 
 
しかし、その結果がこれでは。急きょ本日の朝食をパンからご飯に切り替え、付け合わせのおかずを買いにコンビニに走りました。この時間はまだスーパーは開いていないので。買って来て食べた銀鮭の塩焼きは、コンビニで売っていた商品なので、味はまあこんな物でしょうが、たったこれだけの量で税抜378円もするのは何だかなあ。
 
朝から2杯味噌汁を飲んでも、まだ味噌汁がこれだけ残っています。もうこれ以上飲むのは無理です。仕方ないので、後は味噌汁をこのまま鍋に入れて、横のプラスチック製のまな板で蓋をして、今夜の夕食に回す事にします。夕食でも捌けるかどうか分からないけど。
 
味噌汁の具に入れたのは冷奴と乾燥薄揚げ、ブナシメジと絹さやです。常温で放置しても食中毒起こすような具ではないので、多分、大丈夫だとは思いますが。
 
本来なら今日の朝食で食べるはずだった買い置きのパンは、外出先に持って行って、公園のベンチかどっかで、缶コーヒーと一緒に昼食に食べる事にします。こちらも6月28日賞味期限なので、いつまでも置いておけないので。但し、本日はたまたま公休日で、まだ時間に余裕があったから、ご飯ものの朝食を用意する事が出来ましたが、明日以降も同じように出来るとは限りません。以上追記します。
 
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その7 ボッタクリ価格への対抗策

2024年06月20日 21時42分29秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
箱根にはまた行きたいです。でも超有名観光地だけあって、ホテル代も飲食代も超ボッタクリ価格です。カツ丼や親子丼でも1700円します。かけそば、かけうどんも1杯1100円。ホテル代も1泊2万円ならまだ安い方です。高いホテルになると10万円近くします。
 
私の場合は、直前まで天候が読めなかった事もあり、宿の予約も旅行当日の朝にようやく取れたので、宿と食事についてはもう諦めました。宿は小田原で前述のビジネスホテルに泊まり、食事も、旅行1日目の朝は前日夕食に食べたカレーの残り、その日の昼は当日朝に食べる予定だったパン、夕食は小田原駅構内の立ち食いそば屋さんで冷やかけそばとミニ天丼のセット(左上)。旅行2日目はホテルの前述のショボいバイキング朝食(右上)、昼は強羅で一番安かった900円のショボい餃子定食(左下)、夜は小田原駅のコンビニで買った駅弁(右下)。
 
でも、食事については、超ボッタクリ価格だったのは強羅周辺だけで、箱根町周辺では、私の近所の飲食店ともそう変わらない価格だった印象を持ちました。駆け足での旅行だったので、きちんと調べた訳ではありませんが。
 
強羅周辺でも、駅から川を渡って宮城野という地区まで来れば、普通の住宅街もありコンビニもあるようです。周辺にはそのコンビニしかなく、競争相手もいない為に、ネットのクチコミ情報の評判は余り宜しくはありませんでしたが。
 
それでもバカ高い飲食店と比べたらまだマシではないでしょうか。わざわざ箱根まで来てコンビニ食で済ますのも気が引けますが。何を目当てに旅行するかで、飲食店やホテルの価値基準も変わって来ます。
 
私は今回、鉄道旅行を主眼に置いたので、宿や食事については二の次、三の次でした。次はもう少しまともなホテルに泊まり、もう少しまともな店で食事をしようと思います。(箱根旅行記全7巻 完)
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その6 大涌谷の黒たまご

2024年06月20日 21時33分27秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
箱根旅行2日目のハイライトは何と言っても大涌谷です。まず箱根山の成り立ちから説明します。
 
箱根山は巨大なカルデラ火山で、40万年前は盛んに火山活動を行っていました。カルデラ火山とは、巨大火山の内側に更に小さな火山がある地形の事です。巨大火山の火口壁が外輪山、内側の小さな火山が中央火口丘です。芦ノ湖はその火山活動で川が堰き止められて出来た湖です。やがて火山活動が収まり、火口原に人が住み着き、箱根の町が出来ます。交通路も整備され、東海道や箱根の関所が置かれます。近代に入ってからは観光開発で登山鉄道も作られました。
 
 
 
しかし、今も火山活動が活発に行われて、硫黄ガスが噴煙を上げている場所があります。それが大涌谷です。ここも観光地で、谷の周囲にはロープウェイの駅や展望台、自然博物館(箱根ジオパーク)や土産物店が軒を連ねるようになりました。温泉場では卵が茹でられ、黒たまごとして4玉500円で販売されています。
 
でも一皮向けばここは危険と隣り合わせです。今も有毒な硫黄ガスが噴煙を立ち上げ、観光客は立ち入りを禁止されています。例外的に一部の見学路のみ制限付きで公開されていますが、見学には予約が必要で、ヘルメット着用が義務付けられています。見学路には、いざと言う時の為に、7ヶ所の避難シェルターも設置されています。
 
 
私はここにすっかり魅せられてしまいました。西日本にはこんな場所はありません。カルデラ火山なら九州にも阿蘇山がありますが、湖まであり、登山鉄道やケーブルカー、遊覧船まで楽しめるのはここだけです。大涌谷の黒たまごも温泉卵の一種です。硫黄ガスが卵の殻の鉄分と化学反応を起こし、硫化鉄となって殻が黒くなって出来ました。黒いのは殻だけで中身は普通の固茹で卵です。
 
でも、普通の温泉卵よりコクがあって美味しいです。「一つ食べると寿命が7年延びる」と言われています。私の作るゆで卵は、半熟だったり殻がきれいに剥けなかったりしますが、このゆで卵は完熟で殻も簡単にきれいに剥けるので重宝しています。
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その5 モハ1形と登山電車の成り立ち

2024年06月20日 20時44分08秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
強羅駅には箱根登山鉄道の旧型車両モハ1形の模型が展示されていました。高校生の作った模型ですが、前照灯のガラスの襞まで精巧に再現されていて、その見事な出来栄えに驚かされました。モハ1形は、それまでの木造車が1950年に鋼鉄製に作り替えられた車両です。ケーブルカー等を除けば日本最大の傾斜80パーミル(80/1000m)の勾配でも走行できるように、随所に色々な工夫が施されています。
 
まずブレーキですが、通常の車両にある電気ブレーキ、空気ブレーキ、手動ブレーキ以外に、レール圧着ブレーキも装着されています。いざと言う時には、特殊な石をレールに当て、その摩擦でブレーキをかけるのです。そして水タンク。電車の前方下部にはこれが設置され、カーブでは散水してレールの摩耗を防いでいます。他の鉄道では潤滑油を散布しますが、急勾配の登山鉄道では潤滑油では車輪が空転して危険なので、代わりに水を撒いているのです。
 
 
モハ1形は車両老朽化の為に2005年に廃車となり、改良型のモハ2形(左上写真)もわずか1編成を残すのみとなりました。代わりに、姉妹関係を結んでいるスイスのレーティッシュ登山鉄道の技術が使われたアレグロ号(右上写真)とベルニナ号が、観光客の輸送に大活躍しています。
 
箱根登山鉄道各駅の標高を次に書き出しておきます。小田原から強羅まで直線距離ではわずか約15kmしかありません。それだけ走る間で500m以上も上がるのですから、この鉄道がいかに険しい山中を走っているか、お分かりいただけると思います。
 
 
 箱根湯本108m
 塔ノ沢165m
 大平台349m
 宮ノ下448m
 小涌谷535m
 彫刻の森551m
 強羅553m
 
沿線のあじさいも、この高低差のおかげで、下から上まで開花前線が上がり切るまで、6月中旬から7月中旬まで約1ヶ月かかります。私が行った時は既に終点の強羅付近もだいぶ咲いていましたが、それでもやはり麓の方が咲き方が若干華やかでした。
 
 
箱根登山鉄道では、この急勾配を上がる為に、3ヶ所のスイッチバックが設けられています。スイッチバックで電車の向きを変えながら、ジグザグに山腹を上っていきます(前記の地図参照)。上の写真はそのスイッチバックの信号場です。駅ではないので乗客は乗り降り出来ません。でも小さなホームが設けられています。何故でしょうか?(実際に電車に乗ればすぐに分かります)
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その4 三線軌条と日本最古のトラス橋

2024年06月20日 20時32分45秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

旅行2日目は1日目に訪れる事が出来なかった場所に行く事から始めました。最初は箱根湯本駅から小田原寄り一つ手前にある入生田駅です。駅名の入生田は「いりうだ」と読みます。最初は何で読むのか分かりませんでしたが、栃木県の桐生(きりゅう)、京都府の芹生(せりゅう)と同じ読み方である事に気が付きました。そう言えば政治家にもいましたね。萩生田(はぎうだ)と言う統一教会絡みの人物が。

この駅には登山電車(箱根登山鉄道)の検車区があります。同じ箱根登山鉄道でも小田原から箱根湯本までは小田急の車両が乗り入れ、登山電車はこの検車区に出入りする場合しか来ません。登山電車と小田急とはゲージ(軌間=線路幅)が異なります。小田急は狭軌の1067mm、登山電車は標準軌の1435mm。箱根湯本からこの駅までは登山電車も乗り入れるので、2種類のゲージの線路が並行して走っています。前から見ると3本の線路が走っているように見えます。これが三線軌条です。日本ではもうここでしか目にする事が出来ません。
 
険しい山間部を走る登山電車のゲージの方が、ほとんど平野部しか走らない小田急のゲージよりも広いのは何故か?山間部の急な勾配を登るには、より大きいモーターが必要だからです。登山電車は、急カーブも回らなければならないので、車両の長さがわずか17mしかないのに、ゲージの幅はこちらの方が大きいのです。
 
 
 
三条軌道の撮影を終えた後は塔ノ沢駅に向かいました。こちらは箱根湯本で小田急電車から強羅行き電車に乗り換えて一つ目の駅です。上り線ホームの横に深沢銭洗弁天があります。この弁天様の湧水でお金を洗えば、お金が倍になると言い伝えられています。ネットには小銭だけでなくお札も柄杓付きのザルに入れて洗おうとする写真もアップされていました。お札なんか水で洗ったらクチャクチャ、ベトベトになって使い物にならなくなるのでは?
 
私は近くの早川橋梁(通称・出山の鉄橋)の写真を撮る為にこの駅に降りました。早川渓谷に架かる現存する最古のトラス橋です。大正時代の鉄橋架設工事の際には地上60mまで木の足場が組まれました。駅の雰囲気や、駅から崖下の国道1号線に降り立つまでの風景は、もう秘境感たっぷりで、南海高野線の紀伊細川駅を訪れた時の事を思い出しました。
 
 
但し、そこから出山の鉄橋に向かうまでが一苦労です。鉄道と並行して走る旧東海道の国道1号線を辿る事になりますが、ひっきりなしに車が行き交い、道を横断する事も出来ません。道自体も2車線の細い道で、横断歩道もありません。車に気を付けながら、必死の思いでようやく鉄橋撮影スポットに辿り着く事が出来ました。箱根登山鉄道は小田急傘下の地方私鉄で、電車の運転本数も多いので、他の撮影スポットよりはシャッターチャンスに恵まれています。交通事故に遭う危険さえなければ絶好の鉄道撮影地なのですが。
 
但し周辺の旅館街は寂れています。国際観光地の箱根も、潤っているのは箱根湯本と強羅、大涌谷と箱根町周辺だけはないでしょうか。この国道沿いの廃屋も、かつては有名旅館として繁盛していたのでしょうか。
 
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その3 小田原のビジネスホテル

2024年06月19日 18時51分21秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

大阪から箱根観光にやって来て、泊まったのは小田原駅前のビジネスホテルです。本当はもっと観光地に近い湯本温泉か強羅のホテルに泊りたかったのですが、旅行を思い立ったのが出発直前で、他の宿は全て予約で埋まった後でした。

それに箱根は国際観光地で、ホテル代も決して安くはありません。一番安いホテルでも2万円前後、高いホテルになると10万円近くもします。
 
さすがに一泊するだけの為に10万円も払う気にはなれません。そこでもう箱根に泊まるのは諦めて、小田原駅前のビジネスホテルに泊まる事にしました。以下はそのホテルの感想です。
 
良かった点
①駅から近い。わずか徒歩数分の場所にあり分かりやすいので助かりました。
②値段がリーズナブル。箱根の旅館が全て塞がっていたのでこちらに泊まりましたが、バカ高い旅館と違って一万円以下で泊まれるのはやはり有難いです。
③清潔。ロビーも客室もユニットバスも清潔でチリ一つ落ちていないのには感心しました。
④飲料自販機の価格設定も良心的。250mlの缶やボトルですら1本160円ぐらいするこのご時世に、1本100円の価格設定で頑張っている姿勢に好感が持てます。
⑤傘の無料貸出サービスがある。急な雨に遭った時も、このサービスがあれば近くのコンビニに買い物に行けます。
 
残念だった点
①ユニットバスしかない。値段がリーズナブルなので一定やむを得ませんが、それでもユニットバスでは旅の疲れは癒せません。たとえ家族風呂程度の大きさでも、共同浴場を館内に備えてほしいです。
 
②案内が不親切。
ア)部屋には照明スイッチの使い方や浴槽蛇口の操作方法も表示されていませんでした。浴槽の添付シールに書かれていたのはカランとシャワーの切り替え方のみで、温度設定の仕方も書かれていませんでした。その為、最初は少し戸惑いました。
イ)ルームキーでエレベーターの乗降操作をするやり方も分からなかった為に、上階から1階に降りて来た時と同じように、階床ボタンさえ押せば良いと思ってしまい、上階に上がる時にはルームキーをセンサーに読み込ませなければならない事が分からず、ずっと1階で待たされるはめになりました。
ウ)アメニティグッズの場所も、エレベーター内部の壁に表示された注意書きを読むまで気付きませんでした。来館早々、エレベーター内部をしげしげと観る客なぞほとんどいません。宿泊客にとっては料金の次に重要な内容なのですから、予算の関係で各室に案内パンフを置くのが無理でも、せめて1階エレベーター乗り場の横あたりに表示しておいて欲しいです。
 
③朝食バイキングについて。早朝6時半のオープンすぐに朝食会場のホールに行ったのに、既に長蛇の列が出来ていました。確かに当日は運動部合宿と思しきメンバーも大勢いて、普段以上に混雑していたかも知れません。でも、そんな日曜早朝の時間帯から混み合うようでは、落ち着いて朝食も取れません。実際、混み合う中で、どれだけのおかずが用意されているか分からなかった為に、ビュッフェ形式にも関わらず、満足におかずも取れませんでした。しかも、ご飯も半ば冷えて固まっていました。これでは吉野家や松屋の朝食の方がまだナンボかマシです。是非ご検討をお願いします。
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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その2 強羅公園のあじさい展

2024年06月19日 18時30分01秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

スイッチバックと「あじさいの小径」を堪能した後は、終点の強羅まで出て、強羅公園で開催されていた「流木とあじさいの丘」と言う展覧会を見学。せっかく紫陽花を見に来たのですから、ここも是非見学しなければ。普段はこんな花の展覧会なぞ見向きもしなかった私ですが、さすがにこの流木と紫陽花、苔と紫陽花のコラボレーションには感激。写真をそのまま貼り付けておきます。

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箱根登山鉄道あじさい電車の旅その1 大平台のスイッチバック

2024年06月19日 18時21分41秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
私は鉄道が趣味なので旅行も乗り鉄を主体に考えます。しかし、この梅雨の季節には紫陽花しか見る物がないので、両方とも堪能出来る場所を探したら、箱根登山鉄道のあじさい電車がヒットしました。
 
6月15日(土)に有休を取っていたので、翌日の16日(日)と連休で行こうと思っていましたが、天候がどうなるか分からないので、当日ギリギリまで宿の予約を入れませんでした。当日朝に何とか天気が持ちそうな事が分かり、宿の予約だけ大急ぎで取った後、新幹線に飛び乗り小田原には昼過ぎに着きました。
 
 
旅行1日目は小田原から箱根登山鉄道に乗り、大平台駅で下車して、「あじさいの小径」とスイッチバックカフェを訪問。電車の動画を撮影。その後、強羅まで出て、公園で開催されていた「あじさい展」を堪能。その日の夜は小田原駅前のビジネスホテルに宿泊。本当は箱根湯本か強羅に泊りたかったのですが。夜も「あじさい電車」に乗り、ライトアップされた紫陽花を愛でる事も出来たのですが、小田原まで帰って来る事を考えると強行軍になるので、そちらはもう回るのを諦めました。
 
2日目は1日目で撮れなかった鉄道写真の撮影スポットを訪問し、強羅からケーブルカーで早雲台に出て、ロープウェイで大涌谷を巡り、芦ノ湖の遊覧船で箱根町に出て、小田原に戻るルートをたどりました。
 
大平台とその周辺は箱根登山鉄道最大の見所の一つです。駅と近くの出山、上大平台の2ヶ所の信号場はスイッチバックになっていて、ジグザグに進行方向を変えながら急な斜面を上る電車を見る事が出来ます。そして「あじさいの小径」も整備され、沿線に咲き誇る紫陽花も観る事が出来ます…と、登山鉄道の案内パンフにそう書いてあったので、大阪から土日連休で有休取って来ました。
 
今日から明日にかけて、その旅行記を順次ブログに上げていきます。但し動画はスマホから直接このブログに上げる事は出来ないので(ユーチューブにも何故かアップロード出来なくなっている)、残念ながら紹介できるのは写真のみです。
 
 
「あじさいの小径」の入口が分かりにくかったので、入口に目印の道標を設置して欲しかったです。ネットの情報では設置されている事になっていましたが、実際にはありませんでした。最初は駅ホームから階段を上り駅舎を出て住宅街の中を探しましたが見つからず。ホームの案内板地図を頼りに、階段を上らずに横の駐車場から駅を出た所に小径の入口があるのではないかと探したら、やはりそうでした。次来る人は参考にして下さい。
 
「あじさいの小径」は草ぼうぼうで、お世辞にも整備されているとは言い難かったですが、咲き誇る紫陽花の間から、スイッチバックを行き交う電車を撮影出来て良かったです。小径のゴール付近にあるスイッチバックカフェでいただいた、紫陽花の蜜が載ったソフトクリームも美味しかったです。
 
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毒食らわば皿までも 最後は自民と心中するのが維新の定め

2024年06月12日 20時48分19秒 | 何でも秘密ではなく積極的に情報公開
6月10日に実施されたNHKの世論調査より。岸田内閣を支持する21%、支持しない60%。政治資金規正法改正案の衆院通過を大いに評価3%、ある程度評価30%、あまり評価しない32%、まったく評価しない28%。自民と維新が合意した同案の衆院通過を評価するのは「大いに」「ある程度」合わせても33%に対し、評価しないのは倍の60%に上る。この60%がそのまま岸田内閣不支持率となって表れている。
 
政治資金規正法改正案で維新が自民と妥協した感想を、職場のLINE仲間に聞いたら、やはり悪評ふんぷんだった。曰く「領収書を10年後に公開しても10年前の事なぞ誰も覚えてない」「公選法違反も時効逃れでOK」「黒塗りの領収書なぞ公開する意味なし」と。選挙の投票も大半の従業員が棄権する、私の勤め先のような所でも、この有様だ。「名を捨て実を取った」と自画自賛しているのは維新の馬場代表だけだw。
 
今まで維新の人気が高かったのも、逆に言えば自民党が強かったからだ。特に安倍政権の時は、安倍の改革イメージに乗っかり、大阪でも都構想の住民投票を強行。安倍の国家統制、中央集権と維新の唱える地方分権は真逆の関係にあるが、そこはイメージで誤魔化すw。悪党同士の元祖・自民と「第2自民」の維新が「切磋琢磨」した結果だw。だが今や自民は裏金問題で人気急落、維新も一連托生で後追い。
 
では、その自民と妥協した維新の会代表の馬場伸幸(ばば・のぶゆき)とはどんな人物か?ネットで調べてみた。
まずはWikipediaの資料から。
 
元はロイヤルホストのコックだった人が、親の勧めと、自身も青年実業家になりたいという野心実現の為に、社会勉強のつもりで自民党の中山太郎参院議員の秘書になったのが、政界進出のきっかけに。
 
2010年の維新の会立ち上げを機に自民から移籍。
2014年の維新分党騒動では橋下グループ(今の大阪維新の会)に所属。松野グループから除籍処分を喰らう。
2022年に松井一郎の後を継いで維新の会代表に。
 
「松井一郎が織田信長なら、自分はその信長の草履を温めていた木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)だ」と言う言葉を残している。
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典型的なイエスマンじゃないか。常にジャイアン言いなりのスネ夫みたいな人物。ウチの職場で言えば「虎の威を借りる狐」の社畜××みたいな存在。
 
だから、保守派気取りで、安倍晋三と同様に憲法改正、緊急事態条項導入に賛成し、安保法制や辺野古移設、女系天皇反対に、将来の核武装も検討と、極右ばりの主張を展開しながら、
選択的夫婦別姓やLGBT法案に以前は反対していたのに、最近の世論調査では賛成に傾くなど、首尾一貫性に欠く態度が目に付く。
今流行りの「ネトウヨ」「何ちゃってホシュ」そのもの。ただの風見鶏だ。
 
そのくせ「脇が甘い」というか、近視眼的な物の見方しか出来ない部分も見受けられる。
 
例えば、2009年の堺市長選では、橋下徹が支持した竹山修身(後に維新と袂を分つが)を応援せず、今までの腐れ縁で自民・民主相乗りの木原敬介を推したり。
 
今も、これだけ自民党が裏金問題で叩かれているのに、「スネ夫」人生、「イエスマン」人生から抜け出せず、相変わらず自民党と野合して、わざわざ自民党と心中する道を選ぼうとしたり。
 
まあ、馬場自身も、暴力団フロント企業から献金受けたり、自分が支部長務める維新支部から献金もらいセルフ領収書でお茶を濁したり。
長年の支持者だった社会福祉法人の理事長が認知症を患ったのに付け込んで、認知症の理事長に判子押させて、ちゃっかり次期理事長に収まったり。
悪事には事欠かないから、自民と一蓮托生の道を選ぶしか無かったのかも。また性懲りもなく大阪都構想の住民投票をやろうとしているのも、昔の思い出に浸るしかない老害の悪い癖が出たから。
 
そもそも、大衆に支持されてこそ真の政党政治であり民主主義だ。1円の献金にも支持者の想いがこもっている。個人献金も政党支持のバロメーターと見なすなら、尚更その想いを各党別に1円単位で有権者に公開するのが筋ではないか。
やましい献金でなければ全額1円単位で公開出来るはず。それを相手のプライバシーを盾に公開を阻むのは、それが「やましい金」=賄賂(わいろ)であるからだ。
 
政党には政党交付金も支払われている。政党交付金も元は我々の税金だ。だったら尚更、政治家は金の使い道を1円単位で我々有権者に公開すべきだ。プライバシー云々は言い訳にならない。
それが政治家に限っては5万円超から公開?領収書の公開も10年後から?黒塗りの領収書でもOK?政策活動費の公開は使い道の内訳だけで金額は非公開?連座制の規定もないので議員本人は「知らぬ存ぜぬ」と逃げる事が出来る。秘書だけに罪を被せて。
 
まさに「毒食らわば皿までも」。自民より出でて自民より黒し。そんな第2自民の維新には、もはや自民と心中する道しか残されていない。維新が自民と心中するのは勝手だが、そのトバッチリを食わされる有権者は堪ったものではない。
コメント
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