ブログでの報告が遅くなってしまいましたが、3月24日(日)に開催された競馬GⅠレースの高松宮記念(中京11レース)で、生まれて初めて万馬券を取る事が出来ました。
このレースは3月末の冬から春への季節の変わり目に開催される関係で、ここ数年は雨が降ったり雨上がりの重馬場状態の中で開催されて来ました。重馬場だと、普段は敬遠されるコースの外側の方が、比較的馬場が荒れていなくて走りやすいと、一般には言われています。そして、前の馬の跳ね上げた泥や芝が後続の馬の顔に当たるので、それが苦手な馬は先頭に逃げて走るか、最後の直線で最後方から追い上げるか、どちらかを選ばなければなりません。そんなこんなで、晴れの良馬場の時とはレースの展開がガラッと変わります。
それに馬のレベルも、一応はグレード最高峰のGⅠレースなので、有力馬が参戦して来ますが、最近はより賞金額の多い海外のGⅠレースに出る馬が多くなり、以前ほど強い馬が出て来なくなりました。それでもGⅠなので、ある程度は強い馬が出て来ますが。超有力馬がいなくて、どの馬のレベルも同じぐらいなので、本命の馬を選ぶのに苦労します。
しかも、レースが開催される中京競馬場も、全国に3つしかない左回りのコースで、第4コーナーに全国一傾斜が急な高さ約3メートルの坂があり、坂を超えた後もゴールまで約200メートルの直線を馬は走り抜けなければなりません。全国一タフさが要求されるコースなのです。
その為に、GⅠレースでありながら、今まで1番人気の馬が1勝しかしていない、荒れるレースとして知られてきました。そんなレースなので、私も上位人気の国内重賞馬ではなく、5番人気の香港GⅠ馬・ビクターザウィナーを本命候補に選びました。同馬は保持タイムこそ国内重賞馬より遅いものの、中京と同様にタフなコースである香港の競馬場で、前走のGⅠレースでも他のGⅠ馬を下して勝利をものにしています。しかも、香港は硬い洋芝のコースなので、同じようにパワーの要る中京の重馬場でも十分通用するはずです。
それに加え、同馬は逃げ馬なので、一番最初に進むことが出来、顔に泥をかぶせられずに済みます。馬場も一番最初に進むので、一番荒れていないコースを走る事が出来ます。
そう考えて、私はビクターザウィナーの単勝・複勝馬券をまず千円ずつ厚めに買い、同馬から他の有力馬に三連複フォーメーションで100円ずつ広く薄く流しました。海外のレース結果は着順と勝ち馬の走破タイムと馬体重ぐらいしか公表されないので、国内の競走馬のように、詳しく成績を分析する事が出来ません。データを集めるのに苦労しましたが、その限られたデータを基に、私は人気薄の同馬が勝つ、負けても最低でも3着以内には来ると予想し、単勝・複勝と三連複で勝負する事にしました。
結果は、他の有力馬のうち、私が相手候補として買ったマッドクールとナムラクレアが1・2着に来て、本命のヴィクターザウィナーは3着に逃げ粘りました。単勝馬券は惜しくも逃しましたが、複勝と三連複の馬券を当てる事が出来ました。しかも三連複の配当は1万20円の万馬券です。今まで7千円ぐらいの配当で儲けた事はあっても、1万円以上の配当の付く万馬券は当てた事がありませんでした。広く薄く馬券を買ってしまったので、万馬券の割りには儲けは9千円台と、比較的少額でしたが。
それにしても競馬予想は難しいです。例えば、私は先に「一番最初に進む(馬は)一番荒れていないコースを走る事が出来る」と書きましたが、実際はそれを見極める事一つとっても至難の業なのです。競馬場のコースはそのほとんどは左回りか右回りです。コーナーを回る時は距離のロスが少ない内側が有利なので、どの馬も内側を通ろうとします。ところが、重馬場になると、使用頻度の高い内側ほど馬場が荒れて来るので、逆に外側が有利になります。
その為に、ビクターザウィナーの騎手もコーナーは外側のコースを選択しました。ところが実際は、重馬場だったにもかかわらず、内側はそんなに荒れていなかったのです。そこで、1・2着馬とも内側を進み、ゴール前では2頭の差し比べとなりました。ビクターザウィナーはその2頭から離されてどうにか3着に逃げ粘り。この辺の「馬場読み」は、もう経験豊富な騎手でしか分かりません。
ひょっとしたら、当日の1レースから高松宮記念の11レースまで、全レースをずっと観戦していたら、素人でもある程度の「馬場読み」は出来るかも知れません。でも、いくら休日の日曜日とはいえ、そこまで競馬に時間を費やせる人はそういません。それに、そこまでしても「読み」が当たるとは限りません。仮に読みが当たったとしても、本命の軸馬まで全部入れ替えて、また一から予想を組み立てていたのでは、馬券を買いそびれてしまいます。緻密な予想をした上で、そういうスリリングな感覚も味わえるのが競馬なのです。
今日の公休日に、万馬券的中のお礼と、今週開催GⅠレース・大阪杯の願掛けの為に、「競馬神社」として有名な京都の藤森神社に再び行って、絵馬を買って来ました。最初はその場で願い事を書いて絵馬掛けに吊るして帰ろうと思っていましたが、「別に絵馬を持って帰って自宅で願い事を書いて室内に飾っておいても願い事はかなう」と聞いたので、今回はそうする事にしました。その絵馬の写真もブログに載せたかったので、今日まで記事を書かずにいたのです。欲張って願い事を多く書き過ぎたかも知れませんが、そこは大目に見て下さいw。
先日、X(旧ツイッター)で、「山猫ぽてと」さんという方から、「れいわ新選組」のフレンズ(サポーター)加入のお誘いを受け、丁重にお断りしました。お断りした理由もXで書きましたが、投稿字数に制限のあるXでは十分な説明が出来ないので、自分のブログで改めてお答えします。
お断りした理由は、一言で言えば「井の中の蛙(かわず)にはなりたくない」からです。私は大学生の時に共産党に入党してから40歳ぐらいまでずっと党員として活動して来ました。大学卒業後も20年近く共産党系の生協で働いてきました。生協の労働条件が厳しい事は入る前から薄々知っていましたが、それでも「組合員の生活を守る消費者運動の立場から、今の世の中をより民主的な社会に変えていく」点に魅力を感じて、生協に就職しました。
生協の中では主に商品管理や物流センターの業務に携わって来ました。そこで15年ほど仕事に携わって来ましたが、最後の5年ほどの間に職場環境はガラッと変わりました。それまでは物流センターの職員もパート・アルバイトも全て生協の直雇用でしたが、徐々に外部の派遣社員に置き換えられて行きました。残った職員は派遣社員向けのマニュアル作成や指導業務に追われるようになりました。(参考記事)
私の場合はそれに加え、問題ある同僚や部下の管理まで押し付けられました。今から思えば、どちらもアスペルガー症候群(適応障害の一種)の気のあった職員や部下だったように思います。しかし、当時はアスペルガー症候群に関する知識もなかったので、私はどうして良いか分かりませんでした。次第に仕事が回らなくなり、上司との間で板挟みにあい、軽い「うつ状態」に追い込まれていきました。
その頃の労働条件は悲惨の一語に尽きます。朝7時に物流センターに出勤し、冷凍庫・冷蔵庫の中で少ないバイトと商品の仕分けに追われ。しかもバイトの1人はアスペルガーで、そいつのせいで他のバイトはなかなか定着せず。商品の仕分け間違いも頻発。夜もウィンドウズ98のしょうちゅう固まる当時の欠陥パソコン相手に、その頃は私もパソコン音痴で、マニュアル作成は一向に捗らず。
おまけに当時の上司も今から思えばアスペルガー。上司と2人でマニュアル作成に追われる中で、遂に上司がブチ切れ、夜中の2時にそのアスペルガーの上司に机を叩かれ、仕事の遅れをなじられた。そんな時間まで仕事に追われていても、残業代は一切支払われず。職員は専従活動家という扱いだったので、残業代はパートやアルバイトにだけ支払われていて、職員にはほとんど支払われず。
今の私だったら、こんな扱いされたら絶対に黙っていません。尻尾を巻いて辞めるのではなく、徹底的に闘う道を選びます。毎日、退勤時刻を記入し、守衛の警備日報(最終退出者の氏名や退勤時刻が記載される)も秘密裏にコピーさせてもらい、それを証拠に労働基準監督署に告発します。御用組合の生協労組なぞには一切頼らず、自前で弁護士立てて闘います。
でも、当時は生協の中の世界しか知らない「井の中の蛙」だったので、そんな知恵は全然働かなかった。「自民党政府に生協運動弾圧の口実を与えてはならない」という意識にとらわれていたので、告発なぞ思いもよらなかった。「労働者の味方」であるはずの「労働組合や共産党が、最後には助けに来てくれる」と、他力本願でひたすら相手の善意だけを期待していた。そんな状態だったので、最後にはもう自主退職で「緊急避難」するほかなかった。
ここで問題にすべきなのは生協であり、共産党ではない。そんな事は分かっています。生協はあくまで大衆団体であって、政党である共産党とは違います。でも、私が在籍していた生協は、創立者が共産党員だった事もあり、生協の中でも特に共産党色が濃厚でした。私の目から見たら同じ体質の団体に他なりません。
その共産党系生協も、最初は温かみもあり、仕事にやりがいも感じられました。上司も、ダメな部下を切り捨てるのではなく、長所を引き延ばそうとする度量のある人が多かったように思います。専務と言えども、半ば友達のような存在でした。その当時は「民主集中制」がそれなりに機能していたように思います。
でも、やがて生協も大きくなり、経営の実権も、生え抜きの創立者からヘッドハンティングされた外部人材に移っていきます。職員も、学生運動上りの活動家だけでなく、一般の大学生・高校生や中途採用者からも募集するようになります。生協全体が、次第に「資本主義」の色に染まっていくようになります。でも「民主集中制」だけは、職員支配には好都合なので、そのまま維持され続けます。
すると、どうなるか?自浄作用が働かなくなり、資本主義のブラック企業が、形だけ「消費者運動」や「労働者の味方」を名乗り続けるようになるのです。かつてのソ連・東欧や、今の中国や日本の共産党の中で起こっている事こそが、まさにそうではありませんか?
昔は共産党は権力から弾圧されていた為に、権力のスパイが党内に潜入してかく乱するのを防ぐ為に、分派禁止の「民主集中制」が組織原則として採用されました。「めいめいが個人主義で好き勝手にやっていたのでは、革命なぞ絶対に達成できない。党内では民主的に議論するが、一旦決まった方針については全員がそれに従う。その結果、都合が悪ければ、またその時に議論して、新たな方針を採用すれば良い」。共産党の言い分によれば、これこそが「民主」と「集中」の長所を兼ね備えた「民主集中制」と呼ばれる組織原則だそうです。
でも、この原則には落とし穴があります。いくら仮に党内で民主的に議論出来たとしても、党内の事しか知らない、党の体質に染まった人たちだけで議論している限り、「井の中の蛙」で終わってしまいます。過去の私がその良い例です。
生協の中の世界しか知らなかった為に、残業代未払いが労基法違反の明白な「犯罪行為」である事を見抜けなかった。夜中の2時にアスペルガーの上司に机をたたかれ脅されても、それが不当なパワハラ・人権侵害であり、「仕事の速い・遅い」は何ら正当化の口実にはならない事にも気が付かなかった。自分の身を守る事だけで精一杯で、「後輩にも同じ嫌な思いを味わせてはならない」点にも思い至らなかった。
元共産党幹部の松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)さんという方が、昨年、党外の出版物で「党首公選制」と「安保条約廃棄の見直し」を主張し、党を除名されました。それに対し、共産党は「党内では民主主義が保障されているのに、党内では何も言わずに、いきなり党外の出版物で党の方針を批判し始めた。これは民主集中制に反するので除名した」と反論しています。
私もこの松竹さんの本「シン・日本共産党宣言」(文春新書)を買って読みました。確かに、この本に書いてある内容については、少なからず異論はあります。例えば「安保廃棄の公約が野党共闘の障害になっている」と主張している点などです。じゃあ、日米安保条約容認に転ずるべきなのか?今でも米軍基地の治外法権や米兵犯罪に苦しみ続ける沖縄を無視するのか?それで本当に「弱者の味方」と言えるのか?
でも、それ以外の論点については、私も松竹さんの言うとおりだと思います。この本を読めばわかりますが、松竹さんも党の歴史や綱領の先見性は認めた上で、「民主集中制の見直し」と「党首公選制」を主張しているに過ぎません。これが何故「党を攻撃」した事になるのか?私にはさっぱり分かりません。
そんな事言い出せば、前述の生協における不払い残業告発の事例も、生協経営者の側からすれば「生協内部の問題を勝手に外部に持ち出した」として解雇の対象になるでしょう。冗談じゃありません。罰せられるべきは法律違反の人権侵害を行った生協の方です。自浄作用が働かなくなった組織については、問題を外に持ち出して、世論にその是非を訴えるしかないじゃないですか。
第一、これだけネットが発達し、ラインでいくらでも個人同士で自由に意見交換出来る時代に、党中央との縦の意見交換しか認めず、党員間の横の意見交換は全て分派とみなして認めないのは、もう時代錯誤という他ありません。そんな事言っていたら、最後には、もう誰からも相手にされなくなってしまいます。
じゃあ、何故「れいわ新選組」のサポーター加入も断ったのか?それは「れいわ新選組」も、党内民主主義の実現という点では、はなはだ疑問に思う点が少なからずあるからです。
一例がそのサポーター制度です。サポーター制度は「れいわ新選組」以外の政党にもあります(ないのは共産党と公明党だけ)。「党友」「協力党員」など、サポーターの名称は様々ですが、どこも党首選挙に参加できません。参加できるのはヒラ党員からで、実際は一人でヒラ党員の何倍もの票を持つ国会議員票の数で党首が決まる。これではサポーターなんてただの将棋の駒に過ぎません。これの一体どこが民主的なのか?これでは共産党とさほど変わらないのでは?
その最たるものが自民党です。自民党の裏金問題も、党内に自浄作用が働けば一切起こらなかったはずです。自浄作用が働かなかったからこそ、政党助成金(国民の税金の一部)を裏金にして私腹を肥やすような事が何十年もおとがめなしでまかり通って来たのです。そんな党が、果たして共産党の事を「非民主的」と批判出来るでしょうか?
だから、私はもうどの党にも所属せず、自由な立場で、政治に関して意見を言いたいのです。