先日、本屋に立ち寄ったら一冊の本が目につきました。坂夏樹・著「命の救援電車-大阪大空襲の奇跡」(さくら舎)です。1945年3月14日未明の大阪大空襲で、深夜で動いていないはずの地下鉄がその日は動き、市民を安全な場所まで運んだ…という逸話について調べた本でした。私もそういう話がある事は知っていましたが、公式記録は一切残っていません。地下鉄自体は空襲の被害を免れたとしても、空襲であたり一面焼け野原となった大阪で、電車を動かす余裕なぞあろう訳がありません。私は今まで、これは単なる「都市伝説」だろうと思っていました。ところが、実際にその証言を集め、真偽を確かめた本が、こうして目の前にあります。思わず購入し、2日間で一気に読み終えました。
実際に、「3月14日の未明も地下鉄だけは動いていた。その為に、都心の心斎橋から梅田・天王寺方面に、電車に乗って避難できた」という証言が、数多く存在し、新聞やNHKの朝のドラマでも取り上げられて来ました。その一方で、そのような公式記録は一切存在せず、真相は闇の中でした。その中で、本書は数々の証言を繋ぎ合わせる事によって、救援電車の全体像を浮かび上がらせる事に成功しました。
大阪の地下鉄は、1933年に梅田・心斎橋間で開業したのが最初です。そして、大阪大空襲の頃までには、梅田から天王寺まで繋がっていました。当時、地下鉄が開通していたのは東京と大阪だけです。東京の地下鉄は民間の手によって開業し、既存の道路に沿って建設が進められました。その為にカーブが多く、トンネルも浅く掘られた為に、空襲では大きな被害が出ました。それに対し、大阪は、御堂筋の建設など、当時の都市計画に沿って、大阪市主導で建設が進められました。その為に、幹線道路沿いにまっすぐに伸び、トンネルも深く掘られたので、空襲下でも電車を動かす事は可能でした。
しかし、それでも疑問は残ります。①空襲があったのは前日の深夜から未明にかけてです。普段でも送電は止められている時間帯です。ましてや空襲の混乱の中で、どのようにして送電が行われたのでしょうか?②当時の地下鉄路線は、梅田・天王寺間と、途中の大国町から枝分かれして花園町まで一駅の区間しかありませんでした。いずれも都心部で、どこも空襲の被害を免れる事は出来なかったはずです。どこにそんな「安全な場所」なぞあったのでしょうか?③当時の国民は防空法という法律で、空襲下においても初期消火の義務が課されていました。空襲だからと言って、簡単に避難なぞ出来なかったはずです。
それに対し、本書では次のように答えています。①大阪市の幹部の中には、3月10日に東京、12日に名古屋が大空襲に見舞われた事から、次は14日に大阪が狙われると予想していた人もいました。その為に、当日は夜も地下鉄への送電を止めないよう極秘指令が出ていたのです(当時は電力供給も大阪市が担っており、自前の変電所も所有していました)。②大阪大空襲では、米軍は市内の東西南北4ヵ所に照準を定め、逃げ道をふさいで市内を絨毯(じゅうたん)爆撃する焦土作戦を展開しました。そうする事で、戦意喪失を狙ったのです。しかし、その中で、北区扇町付近に設定された照準点だけは、他の3ヵ所とは違い、延焼範囲は小幅に収まりました。多分、梅田のビル街で延焼が食い止められたのでしょう。その結果、梅田方面に逃げた人は助かったのです。
上記は「命の救援電車」に掲載された空襲当時の大阪市街図。◎印の4ヵ所の照準点のうち、北区扇町の照準点(図中の爆撃中心点4=赤枠で囲った部分)のみ延焼範囲が小さい事が分かる。
勿論、戦時下の事ですから、地下鉄もダイヤ通りの運行なぞ出来るはずありません。車両が故障しても直す部品がなく、整備不良のままで地下鉄を運行していたので、常に事故の危険とは隣り合わせです。動かせる車両も限られ、間引き運転が常態化していました。空襲警報が発令されれば、もうそこで運転は取りやめです。そうやって前夜に運転を打ち切り、途中駅に止まっていた車両や、送り列車(始発電車を運転する運転手と車掌を運ぶ回送列車)や始発電車などが、救援電車として走ったようです。
③避難民を地下鉄の駅に誘導したのは駅員だけではありません。警察官や憲兵の中にも、少なくない人たちが避難民を駅に誘導しています。初期消火もせず逃げ出した市民なぞ、彼らからすれば、取り締まるべき「非国民」に過ぎないはずなのに。ひょっとしたら、彼らも、焼夷弾の威力を目の当たりにして、初期消火の非を瞬時に悟ったのではないでしょうか?燃えるガソリンが空中で一杯炸裂してあたり一面に降り注ぐ。それが焼夷弾です。消防車ですら手も足も出ないのに、初期消火の「バケツリレー」なんかで、焼夷弾に対応できる訳がないでしょう。
戦時中はマスコミは完全に統制されていました。この3月14日未明の大阪大空襲すら、実際は米軍のB29が274機もの大編隊で大阪に襲い掛かり、市内を焦土と化した挙句に、ほとんど無傷で生還しているのに、大本営発表では「90機中11機撃墜、60機以上に損害を与えた」事になっています。大阪大空襲の日の朝も、空襲の被害に遭わなかった梅田駅では、普段と変わらぬ服装で乗車し、心斎橋駅から乗ってきた避難民と遭遇して、初めて大空襲があった事を知った人もいたようです。その日、救援電車が走った事も、公式記録からは抹殺されました。
当時、国民には「時局防空必携」という冊子が配られ、「焼夷弾なんて発火する前に庭につまみ出せば大丈夫」「それよりも延焼を防ぐために焼夷弾の落ちた周囲に水を撒け」という、もうトンデモとしか言いようのない指示が、政府や軍部から出されていました。その為に、東京大空襲では10万人もの都民が焼け死ぬ事になってしまったのです。大阪大空襲の死者も、公式には4千人とされていますが、実際には数万人に上るだろうと言われています。
上記は大前治・著「逃げるな、火を消せ! 戦時下『トンデモ防空法』」(合同出版)に掲載の当時の防災ポスター。「焼夷弾の火を消すよりも周囲の延焼を防げ」と、トンデモな解説をしている。焼夷弾の火がついた瞬間、周囲の全ての物が黒焦げとなるのに。
これは何も戦時中の大阪の地下鉄だけに限った話ではないでしょう。今も、多くのコロナ重症患者が、医療崩壊で病院に入院も出来ずに、自宅待機のうちに亡くなっています。マスコミで報じられる毎日の感染者数や陽性率も、PCR検査もろくに行われない中で、少なく見積もられた数に過ぎません。ワクチン接種も、諸外国と比べ、遅れに遅れまくっています。その中で、五輪だけは小学生も動員して歓迎行事が行われようとしています。この隠ぺい・ゴマカシ・弱者切り捨て体質こそ、戦時中の「大本営発表」「時局防空必携」と瓜二つではないか!
その戦時中のマスコミ統制の中においてすら、大阪大空襲の日時を正確に言い当て、防空法違反に問われるのも承知の上で、市民に避難を促した人たちがいました。「非国民」であるはずの防空法違反者を地下鉄に誘導して、市民の命を救った警察官や憲兵も少なからずいました。ところが、空襲の夜に救援電車が走った事は、もはや隠しようのない事実なのに、いまだに公式記録からは抹殺されたままです。抹殺の理由については、戦後の戦犯追及を逃れるためだと言われていますが、私はそれだけではなく、防空法違反に問われるのをおそれたからでもあると思います。今からでも遅くはないから、史実の掘り起こしと関係者の表彰を行うべきです。
マスコミも「大本営発表」ばかり垂れ流さず、もっと真実を報道すべきです。市民もいたずらに「大本営発表」だけに頼るのではなく、自分でも真相を知ろうと努力し、行動すべきです。自身と仲間の命を守り、日本の民主主義を守る為にも。
前回記事で紹介した例の旅行記ですが、今から思うと甘めの評価でした。旅行記がネットに公表された後、元ホームレス当事者の方の感想など読む中で、自分もいかにあいりん地区の事に無頓着であったか思い知らされました。
例えば、あいりん地区にやって来た旅行者の女性が、ひょんな事から野宿者の方と仲良しになり、一日限りのデートで彼に食事やたばこをおごる話の中でも。女性から自分の特技を聞かれて、「九九」や「ドッジボール」と答える野宿者の反応を見て、私もつい笑ってしまいました。当初はほほえましいエピソードにしか思わなかったその場面も、小学校の授業で習う「九九」や「ドッジボール」しか、彼には良い思い出が無かった事を思うと、笑って済ませられる話ではないのに。
そもそも、最初の居酒屋で見知らぬおっちゃんがこの女性に2千円おごったのも、彼女と楽しい時間が過ごせたからです。そのお礼の意味をこめておっちゃんは2千円払ったのです。多分、その場の勢いもあったのでしょうが。おっちゃんにとっては、あくまでフィフティ・フィフティのつもりで払ったのです。
それに対し、野宿者の方は、濡れタオルを入れるビニール袋を渡しただけなのに、890円の定食に560円のたばこ、130円の缶コーヒーまでおごられたのでは、もう女性に何も言えないじゃないですか。もう頭が上がらない。言いなりになるしかない。
そうやって、女性の言いなりになるしかない野宿者の人に、「缶コーヒーおごってやった代わりに私をほめてくれ」と、この女性は言ったのですよ。今までの人生の中で、ほとんどほめられた経験のなかった人に。見ようによっては、これほど残酷な事はありません。
しかも、よりによって「ティファニーで朝食を」という映画の名前を記事の題名にして(「ティファニーで朝食を。松のやで定食を。」)、ネットに公開してしまいました。この映画は、往年の大女優オードリー・ヘップバーンの名演技でヒットしましたが、その内容は新人女優の成り上がり物語です。おそらく、この女性は、そんな映画のあらすじとは無関係に、松のやの定食に引っ掛けて、この名前を記事の題名にしたのでしょう。しかし、それが更に油に火を注ぐ結果となってしまいました。「あんた、何を女優気取りでおんねん。しかも、野宿者を自分の引き立て役にして」と。
だから、元野宿者の方から、「珍獣扱いするな!」と、猛抗議を受ける羽目になってしまったのです。
でも、この旅行者の女性だけが悪いのでしょうか?一番悪いのは、この女性をここまでミスリードに追い込んだ、「新今宮ワンダーランド」「新世界・西成ワンダーランド!」の観光キャンペーンそのものではないでしょうか?
何故そう思うのか?ここで一つ質問します。皆さんは、どこからどこまでの範囲が「あいりん地区(釜ヶ崎)」だと思いますか?
そう聞かれると、大抵の人は「JR・南海と堺筋に囲まれた南北に細長い地域」と答えるはずです。住所で言えば、大阪市西成区萩之茶屋1・2・3丁目です。そのほとんどが日雇い労働者のドヤ(簡易宿泊所)街です。それに加え、堺筋より東側の太子1・2丁目も、民家の中にドヤが点在しているので、「あいりん地区」に含める人が多いはずです。
どちらにしても、JRより北側の新世界は含まれないはずです。あいりん地区とは違い、新世界にはドヤはありませんから。そもそも新世界は、浪速区の一部であって、西成区ですらありません。そういう、あいりん地区とは本来全く異質な地域であるにも関わらず、「優しい街、下町の人情が残る街」という多分に情緒的な言葉で、あいりん地区と一括りにして、大阪市の観光キャンペーン対象地域に含まれてしまいました。
左:あべのハルカスを動物園前商店街から望む。右:星野リゾートがJR新今宮駅北側に開業予定のOMO7(オモセブン)と、その横に建つ低所得者向けの大隅アパート。
※上図は、大阪商工会議所が阪南大学の研究室と共同制作した「新世界・西成食べ歩きマップ」。「新今宮ワンダーランド」観光キャンペーンの為に作られたものの一つだが、最初の曼陀羅の地図(同キャンペーンPR地図)とは違って、堺筋・阪堺線以西のあいりん地区はほとんど無視されてしまっている事が分かる。この事から、いくら同キャンペーンであいりん地区の歴史や日雇い労働の現状について力説しようとも、観光の重点はあくまで堺筋より東側の新世界・動物園前商店街にある事が、はからずも証明されてしまった。
だから、この旅行者の女性も、「優しい街、下町の人情の残る街」とホンワカ気分で、野宿者の人に接してしまったのです。野宿者の人にとっては、餓死や凍死と背中合わせで、不良少年の襲撃からも身を守らなければならない、およそ「優しさ」とか「人情」とは無縁の、生きるか死ぬかの毎日なのに。
大阪市は、何故そんなミスリードを誘発するような観光キャンペーンを敢えてしたのか?あいりん地区だけでは観光にならないからです。今から15年ほど前までは完全なスラム街で、麻薬の密売買も横行し、暴動もしょっちゅう起こっていた地域に、昔は観光に来る人なぞほとんどいませんでしたからね。今も年配の人は、この地域に近づこうとはしません。
ところが、交通の便が良い、宿泊代も安いという事で、外国から観光客が押し寄せるようになり、今までスラム街だった所が観光地に生まれ変わりました。近くには繁華街の新世界もあります。難波や天王寺のターミナルにも近い。行政や企業からすれば、まさに「ひょうたんから駒」です。だから「人情の街」というキャッチで、新世界もあいりん地区もお上の都合で全てぶっこみにされ、一大観光キャンペーンが張られた為に、旅行者の女性のミスリードを誘発してしまったのです。
確かに、あいりん地区にも「優しさ」や「人情」はあります。しかし、それは単なる「下町情緒」なぞという甘っちょろいものではありません。もっと過酷な、それこそ生きるか死ぬかのギリギリの所から生まれて来た処世訓です。
あいりん地区に「来たらだいたい、なんとかなる」(新今宮ワンダーランドのキャッチコピー)のは、そうしなければ、誰も生きて行けないほど、過酷な環境下にあるからです。早朝の午前4時に起きて5時にはあいりんセンターで職探しをしなければならない。その職種も、キツい、汚い、危険な建設現場の土工やとび職が大半です。そんな所には食い詰めた人しか来ない。雇う方も雇われる方も、従業員や仕事をえり好みなぞしていられない。それが「西成に来さえすれば仕事にありつける」「えり好みさえしなければいくらでも仕事はある」という事の本当の姿です。
そんな中では、お互い助け合わなければ生きていけない。ドヤには敷金も保証金も不要で一日の宿泊費さえ払えばすぐ泊まれるのも、住所不定の食い詰めた客ばかりだからだ。雑貨屋も、早朝から動き出す労働者の動きに合わせて、朝6時には商売を始めなければならない。ほとんどの住民は、風呂もトイレもない、洗濯機も室内にはおけないドヤ住まいだ。それを当て込んで、銭湯やコインランドリーが街中に乱立するようになる。工事現場の飯場を渡り歩き、狭いドヤには自分の荷物も置けない人も多い。それを当て込んでコインロッカー屋も乱立するようになる。単身者のドヤ住まいで、部屋の中にはキッチンも満足になく、自炊が難しい人も多く住む。それを当て込んで、弁当屋も乱立するようになった。
それを何も知らない観光客が見て、「ドヤは敷金も保証金も不要で、その日から泊まれる。店も朝早くから開いている。何て便利な街なんだ」「あちこちに弁当屋や銭湯があるとは、何て下町情緒にあふれた優しい街なんだ」と勝手に感動して、「人情味あふれる下町」神話が出来てしまったのです。
実際には、観光客で潤う表通りの小洒落たホテルと、その恩恵を受けない裏通りの古い福祉アパートやドヤという形で、あいりん地区内にも格差が広がっているのに。
本当にあいりん地区の事を知りたいと思うのであれば、新世界の串カツ屋や、あいりん地区の居酒屋だけ見るのではなく、野宿者支援の炊き出しや夜回りにも参加したら良いのです。あいりん地区では、いくつもの団体が、炊き出しや夜回りに取り組んでおられます。そこまで無理だと言うのであれば、見るだけでも良いです。
野宿者の人に中途半端に飯をおごって、その人に惨めな思いをさせてしまうくらいなら、まだその方がよっぽど為になります。そのどちらも嫌だと言うのであれば、もう西成なんかよりも有馬温泉にでも行ってくれた方が、観光客にとっても良いだろうし、地元の私達も珍獣扱いされなくて良いです。
何も見てくれの良い上辺だけ見せるのが観光キャンペーンではありません。幾ら見てくれの悪い「地域の負の遺産」でも、歴史的価値や社会的価値があるなら、それは立派な観光資源です。現に、原爆ドームや沖縄のチビチリガマも、そうやって観光地に立派に脱皮できたではないですか。あいりん地区の貧困も、その原因と対策を知る事で、派遣切り対策やブラック企業対策に活かせるなら、それは立派な観光資源となります。そこまでやってこそ、初めて「新今宮ワンダーランド」の観光キャンペーンをやる価値があると思います。
左:あいりん地区内にも建ちだしたオートロックのホテル。右:昔ながらの一泊500円のドヤ。
「ティファニーで朝食を。松のやで定食を。」という旅行記があります。大阪市のあいりん地区観光キャンペーン「新今宮ワンダーランド」の協賛記事です。最近、本屋の店頭に並ぶようになった「新世界・西成ワンダーランド」という雑誌で、このキャンペーンが盛んに宣伝されています。そのキャンペーンの為にかかれた旅行記がネットで炎上してしまいました。