アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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そんな事は肉屋を支持する豚にこそ言え!

2019年05月29日 12時37分56秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな

 川崎殺傷事件(左上ニュース)で、模倣犯を生まない為にも犯人への過度のバッシングを諌めた人が、逆にネットで叩かれている。「死にたいなら他人を巻き添えにしたりせず、さっさと一人で死ねば」。この書き込みを見た自殺願望の持ち主が、更に逆上して「そんな事書かれる位なら、一層の事、他のリア充も皆殺しにしてやる」となるのを防ぐ為に、過度の犯人叩きを諌めただけなのに、「犯人をかばうのか」と叩かれている。

 川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典)https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/

 「犯人をかばうのか」と言ってる人に私は逆に問いたい。「秋葉原の無差別殺傷事件をもう忘れたのか?」と。スパルタ教育で育てられた挙句に、両親から疎んじられ、派遣切りに遭った犯人が、腹いせに東京・秋葉原の歩行者天国で無差別殺人に及んだ事件だ。当時は今とは違って、犯人が犯行直前まで綴ったネットの書き込み(右上はその一部)を見て、「よくやった」「俺も同じ想いだ」という書き込みがネットに溢れたものだ。

その後、一時的な政権交代を挟んで、派遣切りから今のアベノミクスに時代は変わった。しかし、根本的には何も変わっていない。見かけの有効求人倍率こそ上昇したが、相変わらず食って行けない様なブラック求人ばかり。上がったとされる最低賃金も、当時から僅か100円程度引き上げられただけだ。

フルタイムで働いても月収20万行かない時給千円への最賃引き上げにも、日商会頭が反対を表明した。そして、政府の審議会では、今の65歳からの年金支給を70歳や80歳に引き上げる事すら議論され、「公的年金で賄えない分は投資や個人年金で賄え」とまで言われる有様だ。

それに対し、「何でも自己責任で済ますなら、今まで払った年金保険料全て返せ」と反論しても、「公的年金で賄えないのは贅沢品購入やレジャー費用だけだ。一部の発言だけ切り取り騒ぎ立てるな」と言われる。

人生100年時代に自助努力を、と国が示して怒っている人は、「一部」と「全部」の大違いが分かっていない(山崎俊輔)https://news.yahoo.co.jp/byline/syunsukeyamasaki/20190527-00127495/

一部しか見てないのはどちらか?大企業や中堅企業に正社員として就職し、結婚して妻は専業主婦に。子ども2人産んで、定年まで勤め上げ…今やサクセス・ストーリーでしかない、そんな昔の標準世帯をモデルに、ようやく貰える月22万円ほどの公的年金を引き合いに出して、「今も福祉制度は立派に機能している。一部の発言だけ切り取り騒ぎ立てるな」と言う輩の方が、よっぽど「木を見て森を見ず」ではないか。
途中でリストラに遭い、正社員から非正規雇用に変わっただけで、年金支給額は大幅にダウンする。月22万円どころか10万円あるかないかだ。派遣切りで失業し、家賃も払えずホームレスになった人は、社会保険料どころか食費や治療費も払えない。中高年の未婚率も、非正規雇用に限れば6割にも及ぶ。「一部の発言だけ切り取り騒ぎ立てるな」と言ってる奴は、そんな実態なぞハナから頭に無いのだろう。

最低賃金を時給千円に引き上げ、1日8時間フルに働いても、月収僅か17万円から18万円にしかならない。税金や社会保険料を払えば月15万円にも満たない。そこから家賃や光熱費を払えば、もう食べるだけで精一杯。投資どころか貯蓄もままならない。

私も時給千円の非正規雇用だが、本業だけでは食べて行けないのでダブルワークでしのいできた。ところが、ダブルワーク先で契約を切られ、代わりのダブルワークもことごとく不採用。多分、ダブルワークで入れる時間が少なかったからだと思うが、なら「過労死するほど働け」と言うのか?やむなく本業バイト先に事情を話して、月40時間ほど残業する事を認めてもらって、何とか家賃支払いに見合う増収を確保できる目処が立った。

残業規制が強められる中で、よりによって「残業を認めてもらう」とは。呆れられた方もおられると思う。私も好き好んで残業なぞしたくはない。でも、慣れないダブルワークの、不安定な掛け持ちバイトでアゴでこき使われる位なら、まだ同じ職場の慣れた仕事で残業した方が良い。ご多聞にもれずウチも人手不足。それを逆手に取ったまでだ。

1日8時間働いたら誰でも普通に食べて行けるなら、それに越した事はない。何も贅沢している訳ではない。たまには安売り弁当だけでなく美味しい物も食べたい。たまには有休取って旅行にも行きたい。こんな当たり前の願いすら、贅沢に分類され、「楽しむ分は自己責任で賄え」と言われる。

今も日本は秋葉原の事件の頃と何も変わっていない。それどころか、マスコミは更に政権の顔色をうかがうようになった。川崎の事件も直ぐには速報で流れず、令和改元やオリンピックのお祭り騒ぎばかりが垂れ流される。朝乃山優勝の際も、以前は女性看護士が急病人搬送の為に土俵内に立ち入る事も拒否しながら、相撲観戦に訪れた米国のトランプ大統領には、升席を取り払って椅子まで用意し、スリッパ履きで土俵入りする事も認める不公平さ。この国の主人公は一体誰なのか?

「最低賃金が上がった」と言われるが、実質賃金は逆に低下。他の先進国がデフレ脱却に成功し、実質賃金も上昇する中で、日本だけがずっと低下し続けている。有効求人倍率が上がったのも、少子高齢化で労働人口が減っているからだ。アベノミクスとは無関係。むしろ、安倍政権が後押しする企業リストラのせいで、少子化による人手不足が起こっているのだから、求人増も「不幸中の幸い」と言うべき代物でしかない。

 
右上グラフは、1997年を100とした場合の2016年の実質賃金指数。他国が軒並み100を超えているのに、日本だけが89.7と逆に低下(全労連の資料より)。本当にアベノミクスで好景気なら、ダブルワークなぞしなくても済む筈だ。大人にも安い値段で食事を提供する「おとな食堂」(左上、5月26日にあいりん地区で開催)も必要ない筈だ。
 
ところが、実際は求人内容もブラックなものばかり。形ばかりの残業規制と引き換えに、労働時間規制そのものを取っ払う「高度プロフェッショナル制度」まで認められてしまった。
 
「運送会社を解雇され、社名入りのトラックで人混みに突っ込んでやろうか」という人が労働相談に現れた事は、ニュースには絶対に流れない。こんな世の中では、川崎や秋葉原のような事件は、今後も増える事はあれ減る事はない。しかし、それをネットで告発しても、「一部だけ見て騒ぎ立てるな」と言われる。
 
そして、何も考えずに「ハッピー令和」だの「オリンピック」だのと浮かれ、見掛け倒しのアベノミクスに騙され、まるで「肉屋を支持する豚」みたいに安倍政権を支持する。昨日の川崎殺傷事件でも、容疑者叩きで憂さを晴らすしか能がない。「木を見て森を見ず」と言うのは、そんな輩にこそ言うべき言葉だ。
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たたかがダブルワーク求人の分際で、人間をロボット扱いするな!

2019年05月22日 13時18分41秒 | 職場人権レポートVol.3


ブログ更新がまた滞ってしまいました。丸山穂高の戦争発言など、このブログで取り上げなければならない時事ネタも一杯ありますが、今は正直言って、それどころではありません。この5月でダブルワーク契約が満了になるので、次のダブルワーク先を探したり、本業のバイト先でもう少し残業させてもらえないか打診したり、それで今は手一杯です。

とりあえず、近況報告と証拠保全も兼ねて、この間のダブルワーク先に関するLINE投稿の内容を、可能な範囲で、こちらにも転載しておきます。

(5月2日)

(前略)ダブルワークに代えて応援出勤する事を思いついたのは、ダブルワーク先のクリーニング工場で契約更新を拒否されたからです。

当初こそ、もっと早く作業するよう社員から指導されましたが、その後は特に問題なく仕事をこなして来ました。時に洗濯物が滞留する事も少なからずありましたが、それは私だけの責任ではありません。洗濯物の移送時間にムラがあり、一時に集中するからでもあるのです。

それなのに、先日(4月30日)いきなり「君は作業が遅いので契約を保留する。今後1ヶ月間、様子を見させて貰う」と言われてしまいました。

今まで通り一遍の説明だけで、作業のコツについても説明が無かったのに、いきなり無能者呼ばわりされ、私はすっかりやる気が失せました。その場では、1ヶ月間の短期雇用契約書に押印しましたが、ダブルワークに代わる増収策さえ見つかれば、いつでも辞めてやろうと思っています。

(5月20日)

今日の一言で遂にクリーニング工場に見切りを付けた💢

今日は台車運搬作業に入った。各部署から出る空台車を何箇所かある所定の置場まで回収・搬送する作業だ。通路が狭いのと、置場が満杯&他の作業中で塞がっていて置場所探しに苦労する以外は、大して難しい作業ではない。

ちなみに、遅いと言われた再洗ほぐし作業には、あれから一度も配置されていない。「再洗ほぐし作業のスピードアップの様子を見て契約更新の可否を判断する」という話だった筈だがw。

それはまあ好い。問題はその後だ。最後の20分位、時間が余ったので、別の作業を充てがわれた。ピロケースの選別だ。緑色の線の入ったピロケースと赤色の線の入ったピロケースを分けて別々のカートに積む様に言われた。

それで選り分け始めたら、また「遅い」と言われた。「1枚ずつ選り分けていたら時間がかかるから、線が見えた瞬間にササッと数枚ずつ鷲掴みにして、(例えて言うならカルタ取りみたいな要領で)手際よく分けろ」と言われた。

言い方はそんなに偉そうではなかった。命令口調ではなく、ちゃんと「です、ます」調で説明された。しかし、言い方が慇懃無礼(いんぎんぶれい=言い方は丁寧だが言っている事は冷酷)だ。初めてやる作業なのに、別にサボっている訳でもないのに、いきなり「遅い、×分でやれ」は無いだろう。

私の初心者ぶりたるや半端ではない。何しろピロケースが枕カバーの意味だと言う事も知らなかったのだから。社員が「ピロ、ピロ」と呼ぶハンカチの様な物を、ここで説明する為にネット検索して、初めて「ピロ=ピロケース=枕カバー」だと知った位なんだからw。

そんな人間を捕まえて、初めてやる作業を、通り一遍の説明だけでやらせて、いきなり「遅い」は無いだろう。ウチの会社の社員でも、こんな事は言わんぞ💢

しかも、充てがわれた作業は時間調整の為の手作業だ。そんな作業まで、何故フルスピードでやらなければならないのか?以前、○○や○○の物流センターで経験したソーター仕分けじゃあるまいし。

野×(私の昼のバイト先に派遣されて来ているワーカーで作業が遅い)やベトナム人留学生の女性バイトみたいに、誰が見てもチンタラやってるのが見え見えな程、遅いと言うならまた話は別だ。幾ら何でも私はそこまで遅くはない。

初めての作業で、普通にやってるのに、一々「遅い」の何のと言われては堪らない。時間調整の繋ぎの作業にまで、何故「チャップリンのモダンタイムス」みたいな働き方を強要されなければならないのか?たかがダブルワーク求人の分際で、人間をロボット扱いするな!💢👊

(5月20日)

ちなみに、今日の暴言の主はクリーニング工場の係長・浜×。契約公開面談で契約保留だと偉そうに抜かしたスーツ着たオッサンの名前は知らないが、施設管理者の表示から一定推測出来る。多分、所長クラスの職階で西×という奴だろう。

当該施設管理者名の表示板は2枚ある。1枚には(副)浜×(正)小×。もう1枚には(副)小×(正)西×とあった。小×と言うのは私の事を前述の偉いさんにチクった課長だ。この2人については既に顔と名前は覚えた。

施設管理者には窓際族の社員の名前なぞ載らない。それなりの責任者の名前が載る。故に、浜×<小×<西×の序列が導き出せる。

次また何か言って来たら最悪、会社名をネットで公表してやろうかとも思っている。所属労組に通報して詫び状の1枚でも書かせてやろうかとも思っている。どの道もう辞めるのだから最早遠慮は要らない。泣き寝入りするだけでは余りにも癪だ。その為の証拠保全として、ここに記録を残しておく。

(5月21日)

クリーニング工場をパワハラ告発で懲らしめるのは非常に難しい。それはパワハラの基準が曖昧な上、客観的証拠も残らないからだ。証拠保全のメモも、でっち上げだと言われればそれで終いだ。

しかし、パワハラ告発なぞしなくても、クリーニング工場を懲らしめる方法は幾らでもある。

まず同社は雇用契約書を従業員に交付していない。契約書の内容説明はするが、押印だけさせて従業員には控えを一切渡さない。私が入社1ヶ月目に試用期間から半年間の本契約に更新した際に、私の方から雇用契約書を請求して、初めてコピーをくれた。こちらから請求しなければ契約書の控えも渡さない。これは労基法第15条(労働条件の明示)違反ではないか?

また、雇用契約書には賃金は30分刻みで支払うとある(上記写真参照)。これでは、たとえ1分の遅刻でも残り29分もタダ働きだ。これも労基法第24条(賃金の全額払い、全額=1分単位で支払い)違反ではないか?

たまたま入社1ヶ月目に私が契約書のコピーを要求したから、1分遅刻で残り29分タダ働きの証拠も押さえる事が出来たのだ。これが無ければ泣き寝入りを強いられる所だった。

5月28日(火)で今月限りの契約は満了する。その翌29日(水)のシフト休みに、当該クリーニング工場のある××区を管轄する××労働基準監督署に出向き、これらの違法行為について申告してやる。

(5月22日)

昨夜のダブルワーク先クリーニング工場労働の記録も証拠保全の為にメモ。昨夜は久し振りに「遅い」と言われた再洗ほぐし作業に配置された。

しかし、実際に当該作業に就いたのは、17〜18時までの間の実質30分位だ。後は、ほぐさなければならない再洗浄の洗濯物がなかなか出てこないので、隣のシーツ仕上げラインの応援に入っていた。そして、18時からはラインも停止し、機械下の掃き掃除を指示された。傍にいた社員(例の小×課長)曰く「今日はもう大して仕事はない」という話だったので、もう19時で早退させて貰った。

その帰り際に、小×に「君は再洗ほぐし作業が遅いので契約更新できないと、面接官に言われましたが、教えられたのは作業手順だけで、早く作業するコツなんか一つも教えて貰っていない。それなのに、面談でいきなりあんな事を言われ、私は納得行きません!」と言ってやった。そうしたら、何と小×は面食らい、「それは初耳です。私はあなたが面談された事すら知らない」とw。

しらばっくれているのか、本当に知らなかったのか定かではないが。この小林の対応は私の想定外だった。次は浜×係長にカマ掛けてみる事にする。浜×は面談後も私に何度も「早く作業しろ」と言って来たので、寧ろ小×より、こいつの方が所長と結託して私を辞めさせようとしているのではないかと思う。

私の契約更新拒否の理由も、作業が遅いのも勿論あるだろうが、それよりも週2日(月・火)しかシフトに入っていない事の方が大きいような気がする。現に、今までも火曜日には、19時で早上がりにされたり(4月9日)、今日は暇だからと帰されたりした(5月14日)事が何度かあった。

そういう事もあるので、次のダブルワーク先は畑違いの仕事ではなく、昼の仕事と同じ物流センター業務にして、勤務シフトも延長含みで考える事にした。

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婚活サイトの新プロフィール

2019年05月13日 06時01分48秒 | 当ブログと私の生い立ち
 


長らく休眠状態だったネット婚活サイトのプロフィールを全面的に改訂しました。住所(市町村まで表示)を実家の住所から現住所の西成区に変え、実家を出て独り住まいを始めた事や、自力で賃上げを勝ち取った事を全面的に押し出しました。プロフィール写真も今の「あいりん地区」中心の物に変えました。
今更「リア充」を装っても疲れるだけです。それよりも、ありのままの自分をさらけ出した方が遥かに気が楽です。多分、却下されるだろうと思っていたら、写真は意外とすんなり承認されました。でも、プロフィールは多分、却下されるでしょうw。
下記がその新プロフィールです。(追記:何とプロフィールも掲載を承認されましたv)

 

私は約20年前に生協を退職し、今は大阪の大手スーパー物流センターで働いています。正規雇用から非正規雇用に変わり、収入は大幅に減りました。しかし、それを補って余りある幸せを手に入れる事が出来ました。

まず、長時間労働から解放されました。生協時代は、人減らしによって早朝から深夜まで働かされ、過労死寸前にまで追い込まれていました。時間が出来たのを機に、パソコンを購入し、ブログも書くようになりました。このブログは今も続けています。ブログを書くようになってからは、何事も自分の頭で考えるようになりました。仕事も生活も、「追われる毎日」から「追う毎日」に変わりました。

非正規雇用でパワハラや労災隠しに遭ったのを機に、バイトの労働組合の無い職場でも一人でも入れるユニオンに加入し、会社幹部を相手の団体交渉も体験しました。生協時代も労働組合には入っていましたが、所詮は大勢いるうちの一人に過ぎませんでした。ところが、今度入ったユニオンは小さな組合で、団交に参加できたのも組合委員長のオバちゃんと私の2人だけでした。たった2人で、4人の会社幹部と対峙する羽目になりました。この初めての団交は散々な結果に終わりましたが、これで肝が据わったのか、私はこれ以降、会社に堂々と物が言えるようになりました。やがて仕事でも評価されるようになり、今年は80円もの大幅時給アップを勝ち取る事が出来ました。

一方、実家では、昔は家族5人で生活していたものの、やがて兄弟は結婚して家を出て、お袋も亡くなり、親父と2人で生活するようになりました。親父は元公務員で、昔気質の保守的な人間だからか、私が独身の非正規雇用である事を論うようになりました。今から考えると、親父も寂しかったのだと思います。でも、私が独身で非正規雇用なのは、少子高齢化や正社員リストラの世相によるものであって、別に私だけの責任ではありません。第一、独身や非正規で一体何が悪いのでしょう。どんな人間も平等に、かけがえのない個人として、自由に生きる権利があります。遂に、私は親父と衝突し、実家を出る事にしました。今は大阪・西成の「あいりん地区」に住んでいます。

大阪・西成の「あいりん地区」、通称「釜ヶ崎」は、日雇い労働者の街です。今も日雇い労働者や野宿者が大勢います。その一方で、地価や家賃、物価が安い事もあって、外国人観光客が大勢押し寄せるようになりました。地方からの滞在者も大勢います。今や治安も大幅に改善され、女性でも一人で普通に歩けるようになりました。また、日雇い労働者の街ゆえに、労働運動や市民団体の活動も活発で、炊き出しや夜回り、お盆の夏祭りや年末の越冬祭りが毎年行われて来ました。確かに、他の地域と比べたらガラは悪いです。しかし、他の地域では失われた「助け合い」の気風が、ここではいまだに息づいています。私はこの地域に住んでいる事を、今ではむしろ誇りに思っています。そんな私でも良ければ、どうぞお付き合いしていただけたら光栄です。

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ケタオチのデズラでブタの仕事をするな

2019年05月10日 01時50分19秒 | 職場人権レポートVol.3

 

昨年の夏祭りで買った釜ヶ崎解放Tシャツの威力恐るべし。先日の夜も、ホテル屋上の共同浴場からの帰りのエレベーターに、このTシャツを着て乗っていたら、見知らぬ居住者から「そのTシャツカッコ良いな」と、いきなり声が掛かりました。それを機に、このTシャツのロゴにある「黙って野垂れ死ぬな」云々の由来を調べていくうちに、40年も前の活動家の来歴にたどり着きました。

船本洲治―これがその活動家の名前です。広島大学を除籍後に釜ヶ崎の日雇い労働者となり、当時横行していたヤクザ手配師の暴力や賃金ピンハネに対抗する為に、釜共闘(暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議)を立ち上げた人です。手配師の中でも最も酷かった鈴木組と果敢な闘争を繰り広げ、全国で最も低かった釜ヶ崎の日雇い賃金を、全国最高水準にまで持って行きました。しかし、折角そこまでの成果を上げながら、最後には昭和天皇の沖縄訪問に抗議し、焼身自殺してしまいます。「黙って野垂れ死ぬな」とは、その船本洲治が残した言葉だったのです。

また、このTシャツには、もう一つのロゴが入っています。最初のロゴ「黙って野垂れ死ぬな」は船本洲治の遺言ですが、もう一つのロゴ「やられたらやり返せ」は、また別の活動家の遺言でした。山岡強一―これがもう一人の活動家の名前です。船本洲治が釜ヶ崎でヤクザ手配師と闘っていた頃から約10年後に、東京の山谷(さんや)でも、山岡強一が、暴力団手配師追放の闘争ドキュメンタリー映画を撮っていました。当時の山谷においても、釜ヶ崎と同様に、暴力団の金町一家が手配師の元締めとして君臨し、日雇い労働者の賃金をピンハネしていました。それに対し、労働者や日雇い労働組合は、山谷争議団を作って対抗していました。その闘争ドキュメンタリー映画のタイトルが「やられたらやり返せ」でした。この映画は、金町一家による襲撃と闘いながら撮られました。山岡強一や前監督の佐藤満夫も、金町一家に殺されています。

その釜ヶ崎解放Tシャツのルーツをたどるうちに、遂にその原典を目にする事が出来ました。それが「やられたらやりかえせー実録 釜ヶ崎・山谷解放闘争」(田畑書店・刊)です。この本は現在、大阪市西区西長堀の市立中央図書館に蔵書として保管されています。この本には、当時の釜ヶ崎や東京の山谷で暴力手配師と闘った活動家の言葉や当時のビラの内容が収録されています。今から数十年も前に出版された書物で、既に絶版になっているので、大阪ではもう西長堀の市立図書館にしかありません。船本も山岡も新左翼の活動家で、当時の世相も反映して、「ベトナム反戦」とか「世界革命」などの言葉が頻繁に出て来ます。現代との世相の乖離ぶりたるや、凄まじいものがあります。しかし、その一方で、野宿者や日雇い労働者向けに書かれたビラの中には、現代にこそ蘇らせなければならないと感じられる物もありました。例えば次の一節などがそうです。

こんなふうに闘おう。
①はじめに決めた条件の仕事しかやらない。
②ケタオチ(今で言うブラック企業)のデズラ(日当)ではブタの仕事はやれない。
③臨機応変に考えて、時間を短くさせたり、イロ(手当)をつけさせる。
(イ)よごれる仕事(ロ)キケンな仕事(ハ)ぬれる仕事(二)遠い現場での仕事(ホ)デズラ以上にあおられた(仕事を急かされた)時。交通費は必ずつけさせよう。
⑤山谷では、労働時間の常識はこお〈ママ〉だ。
●10時と3時には30分ずついっぷく(休憩)をとろう。
●11時半から1時まではメシとヒルネ。
●4時半になったら仕事じまい(後片付け)。
⑥現場でケガをしたら、なにはともあれ、病院に飛んでいこお〈ママ〉。
⑦問題が起きたら、一人で考えこまず、仲間に呼びかけて団結して闘おう。
⑧残業代までゴマかされてたまるか。(以下、25%増しの残業代計算方法の解説が続く…)

 

ざっとこんな感じです。ある意味、開き直りともとれる文面ですが、だからこそ、我々が社畜として飼い慣らされるうちに失った「正常」な感覚が、そこかしこに見て取れます。これらの内容に共通するのは「条件の悪い仕事に対しては、我々も最低限の働きしかしない」という事です。我々は、ともすれば、ブラック企業に飼い慣らされ、競争をあおられる中で、「賃金以上の働きをしなければならない」「必要以上に皆んなに合わさなければならない」と思わされがちでした。それが現代の過労死や、同僚との雑談も出来ない過密労働、残業代も付かないタダ働き(サービス残業)を生み出して来ました。それを思えば、むしろ「10時と3時には30分ずついっぷくをとる」「11時半から1時まではメシとヒルネ」位の気構えで丁度良いのかも知れません。

ケタオチ(今で言うブラック企業)のデズラ(日当)ではブタの仕事はやれない。

先に紹介した昔の釜ヶ崎の組合活動家の、この言葉は今でも使えます。「ブタの仕事はやれない」と言いうのは多分、「コマネズミみたいに働くな」「社畜・奴隷に甘んじるな」という意味なのでしょう。私はダブルワーク先のクリーニング工場で、「再洗ほぐし作業が遅い」という理由で、契約更新を保留にされました。しかし、それは私だけの責任ではありません。再洗浄分の洗濯物をいっときに集中して降ろしてくる移送上の問題や、通り一遍に注意するだけで作業のコツを具体的に全然教えてくれなかった社員の指導上の問題もあるはずです。それらを無視して、なぜ私個人の能力だけ論われなければならないのでしょうか?他の人はもっと早く出来るのも事実ですが、それは勤続日数(キャリア)の差によるものです。会社はそれを承知の上で、社会保険料の負担を避ける為に、短時間勤務のダブルワークバイトを募集したのではないですか。それを今になって「遅いから契約更新出来ない」と言うのは、おかしいのではないでしょうか。そんな事言う位なら、最初から私を採用しなければ良かったのです。

今までは、たかだか月3万円前後のダブルワーク収入にしかならないクリーニング工場に、いつまでもしがみついている気はありませんでした。しかし、いざ再びバイト探しを始めても、同じ条件のダブルワーク先はなかなか見つかりません。たかだか3万円でも、有るのと無いのとでは大違いです。そもそも、社会保険も無い契約条件で、個人の働きぶりを云々する事自体がおかしいのです。生身の人間に、8時間の法定労働時間を超えて、フルマラソンみたいな働き方なぞ出来る訳がないでしょう。ロボットじゃあるまいし。ダブルワークでも良いという条件で雇ったのはクリーニング工場なんだから、本業よりは劣るダブルワークとしての働き方でも一向に構わないはずです。幸い私は個人加盟のユニオンに今も所属しているので、その組合の力も借りて、その点を徹底的に追及する事にします。それでもダメなら、もう仕方ないので、今の本業バイト先で同じだけ残業するか、再びダブルワーク先を探す事にします。

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ダブルワーク求人はブラック企業の巣窟か?

2019年05月05日 08時22分53秒 | 職場人権レポートVol.3

 

ブログの前の記事の中でも少し触れましたが、先日、兼業先のクリーニング工場で契約更新を拒否されてしまいました。昨年11月から仕事を始め、今まで半年間働いてきたのに、先日いきなり「このままでは契約更新できない。今後1か月間、様子を見させてもらう」と言われてしまいました。

先方が契約更新拒否の理由として上げてきたのは、私の「再洗ほぐし」作業が遅い事です。「再洗ほぐし」というのは、再洗浄にかけるシーツを、すぐに洗濯機に投入できるようにほぐし(開き)、別のカートに移し替える作業です。それ以外のアイロンかけ等の流れ作業とは違い、一人でやる手作業なので、私にとっては、むしろ一番やり易い作業でした。

但し、ホテル用のベットシーツなのでサイズが大きく、ほぐすのに手間取る事はありました。実際、社員からも「ウチは丁寧さよりもスピードが求められるので、もっと早くやるように」指摘された事もありました。しかし、それは当初だけで、その後は特に問題なく仕事をこなして来ました。時にシーツが滞留する事も少なからずありましたが、それは私だけの責任ではありません。シーツの移送時間にムラがあり、一時に集中するからでもあるのです。それなのに、そんな事は一切考慮されずに「ほぐす前のシーツを積んだカートが通路にもはみ出て、洗濯物の運搬にも支障を来している」と言って来たのです。

確かに、一人でやる手作業という事で、ラインでの機械作業と比べたら、若干スピードが落ちるきらいはあったかもしれません。しかし、そんなもの私に言わせると許容範囲内です。出勤してから退勤するまで、ずっとぶっ通しでフルマラソンの様に動き回っていたら身体が持ちません。作業の種類によって、力の入れ方に緩急をつけるのは、労働者なら誰しもやっている事です。

それでも、別に意図的にサボっていた訳ではなく、普通に仕事をこなして来たつもりです。それを、今まで通り一遍の説明だけで、作業のコツやペース配分についての具体的助言も無かったのに、いきなり無能者呼ばわりされ、私はすっかりやる気が失せました。その場では、仕方なく1か月間の短期雇用契約書に押印しましたが、ダブルワークに代わる増収策さえ見つかれば、いつでも辞めてやろうと思っています。

そんな折り、本業のバイト先で、私がシフト休みの水曜日に、他のバイトが仕分けミスを起こした事を知りました。白菜1ケースを、誤って隣の店に誤積みしてしまったのです。水曜日は、作業量が少ない代わりに出勤者も少なく、いつもギリギリの人員で仕事を回していました。普段でもギリギリの人数なのに、当日は欠勤者が2名も出て(うち1名は遅れて出勤)、そのしわ寄せで、普段は2名ずつで回している農産・惣菜PC部門の仕分けを、3名で両方かけ持ちしながら回さなくてはならなくなりました。そのさなかに、前述の誤積み事故が起こったのです。

私は、それを聞いて、兼業バイトに代わる増収策として、慢性的な人手不足状態にある毎週水曜日の午前中に、本業バイト先に応援出勤する事を思いつきました。以下、5月のカレンダーを基に、ダブルワークと応援出勤による収入額を取り敢えず比較してみます。ここでは交通費はひとまず除外して、時給額のみの比較で考えてみます。

兼業先のクリーニング工場(時給1150円)には、毎週月・火曜日の17時から20時まで3時間働いています。カレンダーに"夕方DW(ダブルワーク)"と書いた日がそうです。それを基に計算すると、5月の兼業収入は1日3時間×8日×1150円=27600円となります。他方、本業バイト先(時給1000円)で、毎週水曜日(5月8日以降)に、午前中作業と午後の作業準備(カゴ車セット等)まで含めて、7時〜13時に6時間出勤したとして、その場合のバイト収入は、1日6時間×4日×1000円=24000円となります。

実際には、兼業先も本業勤務先のすぐ近くにあり、交通費支給の二重取りを享受できていた旨味が、退職で無くなるので、もっと差は広がります。しかし、それを無視すれば、差は27600円-24000円=僅か3600円にまで縮まります。勿論、たった2万円超の増収では、月43050円の家賃を賄う事は出来ません。しかし、その不足分も、比較的忙しい週4日(月・木・金・土曜日)に1時間ずつ残業する事で、かなり賄う事が出来ます。

確かに、ダブルワーク収入と比べると若干減収にはなりますが、やれ「遅い」の何のと追い立てられる様に働かされるダブルワークと比べたら、通い慣れた職場で、いつもやってる仕事をするだけなので、応援出勤の方が精神的負担は遥かに小さいです。今までは有休を消化しなかったので、たとえ13時までと言えども折角の休日に出勤するのは億劫でしたが、今月から有休も計画的に消化する事にしたので、応援出勤もそんなに苦にはならなくなりました。

しかし、その旨を社員と所長に相談しましたが、認められませんでした。

不承認の理由は、①労基法では労働時間は週40時間までと決められている。それ以上の超過勤務を臨時で会社からお願いするならまだしも、最初からその超過労働を前提とした勤務シフトなぞは組めない。②水曜日は他の曜日よりも物量が少なく、出勤人数も最小限に絞らなければならない。この二つでした。現に、4月のセンター通過点数のデータも見せてもらいましたが、やはり通過点数は水曜日が一番少なかったです。

但し、通過点数の内訳で見ると、一番少ない水曜日も、それなりに点数はあります。しかし、他の曜日みたいに特売商品(チョコレートや農産当日仕入れ)の入荷がないので、点数が最小となっているのです。今、手元に資料が無いので、例えで説明すると、定番商品だけは、週末12に対し、水曜日以外の平日10、水曜日8ぐらいの割合でした。それが特売商品も加わる事で、週末15、水曜日以外の平日12、水曜日8と、週末の半分強の水準にまで減ってしまう。そんな感じのデータ推移でした。

だから水曜日は最小限の出勤人数に絞っているのだそうです。最小限なので一人でも当日欠勤者が出ると、途端に作業配置に穴が空きます。今週の農産PC部門での仕分けミスも、それが影響したのです。しかし、それを今更言っても水掛け論にしかならないので、応援出勤は諦め、今のクリーニング工場のダブルワークを後1ヶ月間続けながら、次の兼業先を探す事にします。次の兼業先は、畑違いの仕事ではなく、仕事のコツやペース配分も分かる同じ職種を中心に探そうと思います。

でも、今まで経験した兼業先は、どこもろくな求人ではありませんでした。最初のテレアポの会社は、ろく研修もせずに長いこと放置された挙句に、ようやくたどりついた実地研修で罵声を浴びせられ嫌気が差して退職。次の宅配便センターの仕分けも、長時間の酷使で身体が持たず、こちらから退職。そうして、ようやく見つけた好条件のクリーニング工場も、前述の様な感じで退職の瀬戸際に。

そもそも、企業が短時間雇用で兼業バイトを募集するのは、社会保険の負担を嫌っての事。雇用保険や労災保険の負担だけで済むように、兼業で使い捨ての短時間バイトを募集するのです。いくら見かけの時給が高くても、たとえ交通費全額実費支給でも、社会保険の負担がゼロなので、企業は十分元が取れます。しかし、そんな求人先ばかりになれば、日本の労働市場全体が「釜ヶ崎」みたいになってしまいます。そう考えると、兼業に過度に依存するのも善し悪しです。

それでも食べて行かないといけないので、渋々ダブルワークするのです。企業も、それを承知で雇っているのだから、多少「安かろう悪かろう」でも我慢しろと言いたいです。雇用が「安かろう悪かろう」なんだから、働きぶりも「安かろう悪かろう」で一体何が悪いのか?

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非正規にはGWも10連休も無い 何がハッピー令和だバカヤロー!

2019年05月01日 22時50分24秒 | 職場人権レポートVol.3

 

5月1日は本来、労働者の祭典、メーデーの日のはずです。今から百年以上も前の、この日に、米国シカゴの労働者が、世界で初めて8時間労働制を求めて立ち上がったのを記念して、全世界の労働者がメーデーを盛り上げて来ました。今年も大阪だけでも、4月27日には連合系のメーデー集会に3万人以上が、本日5月1日にも全労連系の集会に、雨天にもかかわらず3500人もの人々が集まりました。少なくとも「私たちの暮らしと権利を守る」という意味においては、「今年だけ、日本だけ、天皇家だけ」の令和改元、新天皇即位のニュースよりも、こちらのニュースの方が、はるかに重要なはずです。ところが、マスコミは前者のニュースばかり取り上げ、後者については完全に黙殺しています。今も8時間労働制が守られているとは、お世辞にも言えないのに。こんな有様で、本当に日本は民主国家であると言えるのでしょうか?これでは、まるで戦前の大日本帝国や今の北朝鮮と、ちっとも変わらないではないですか。

私の周辺を見ても、とても令和改元のバカ騒ぎに興じる気にはなれません。私の住んでいるのは大阪・西成の「あいりん地区」です。直ぐ近くには、あいりん総合センターもあります。このあいりんセンターの建て替え・仮移転工事を巡り、当局と一部労働者の間で対立が続いています。仮移転阻止を掲げる一部の労働者が、今もセンター封鎖に抗議しています。5月1日には、この「あいりん地区」でも釜ヶ崎メーデーが開催されました。この労働者たちにとって、令和改元や新天皇即位に、一体どれほどの意味があると言うのでしょうか?

そして、この私も、ダブルワーク先のクリーニング工場で契約更新を保留されました。作業が遅いからだそうです。しかし、最近は特に何も言われませんでした。確かに洗浄すべき洗濯物が滞留した事も度々ありました。しかし、それは必ずしも私の責任だけではありません。洗濯物の移送量に偏りがあり、いつも一時に移送が集中するからです。第一、1日3時間、週2日勤務の新人の私と、フルタイムで何年も前から勤めているベテランのバイトでは、作業スピードに差が出るのは当然ではないですか。その差を埋める為の教育もろくにせず、2日前にいきなり「契約を保留する」と言われたのです。一応、1ヶ月の様子見と言う事にはなりましたが。まるで、いきなり後ろからこん棒で頭を殴られたような気分です。次また何か言ってきたら、もうこちらから退職届を叩きつけてやるつもりです。所詮、副業のダブルワークです。本業と同じ様になんて動ける訳ないでしょう。フルマラソンじゃあるまいし。先方もそれを承知の上で、短時間雇用で私を雇ったくせに。私はチャップリンの喜劇「モダンタイムス」に出てくる「人間歯車」ではありません。

そういう事もあって、今年のメーデーにはガチ本気で、自作のプラカード持参で参加しました。

皐月の令月(れいげつ)にしてメーデーの粉(こ)を披(ひら)き 安倍の嘘に怒りの香(こう)を薫(かお)らす

非正規にはGWも10連休も無い 何が令和だバカヤロー!

これが、私が作ったプラカードの文面です。上段の「令月」云々は、令和の元になった万葉集の歌詞をもじったものです。写真の赤字部分がその歌詞です。安倍はさも自信たっぷりに、「初めて日本の国書である万葉集から新元号を選んだ」と力説していましたが、その万葉集の歌詞も、実際は漢詩集「文選」からの孫引きである事が、すっかり明らかになってしまいました。ちなみに、そのプラカードに挿入した挿絵の「昆虫人間」は、ベトナム人バイトがかつてトイレに落書きした擬人画を私がデフォルメしたものです。今後は「アン・ロイ・二ェ」人形と名付け、ブログのマスコットキャラクターとして使わせてもらう事にしますw。

 

こんな状況下で、令和改元を祝う気持ちなぞ、今の私には微塵もありません。ホームレス排除の現場を見せつけられ、自身も契約保留の憂き目に遭う中で、何で赤の他人の天皇家への祝賀を強要されなければならないのか?この国の主権者は、あくまでも天皇ではなく国民です。

元号そのものが中国由来で、その中国も前近代的で時代遅れだと使わなくなったものを、いまだに日本だけが後生大事に固執しているのです。しかも、「新元号は漢籍からではなく国書から選んだ」と言いながら、相変わらず漢字に固執して。中国の影響を一掃しようとすると、漢字はおろか平仮名・カタカナも使えなくなります。これらも、元は漢字を超簡略化したものに過ぎないからです。大体からして、たかが一総理大臣に過ぎないのに、「文化的影響を一掃する」と、まるでタリバンやISみたいな事を言いだす事自体が、そもそもおかしいのです。元号については、これぐらいにしておきます。

かつて私が勤めていた大阪いずみ市民生協の労働組合も、このメーデーには参加していますが、もはや生協を退職して××年。今の生協には知人はほとんどいません。飛び入り参加の私は、そう思い、生協労組の隊列からも離れ、メーデー会場となった扇町公園グラウンドの片隅に一人たたずんでいました。そうしたら、同じく一人で参加の鍼灸師の方と偶然知り合いになり、腰痛談議で俄然話が盛り上がりました。

 

その方は、住之江診療所から分かれた春風民主鍼灸センターの院長先生でした。その院長先生が仰るには、昔、大阪いずみ市民生協にも、住之江診療所から出張診療に来ていた時期があったそうです。その院長先生の背中には、署名集めの幟(のぼり)がはためいていました。鍼灸治療にも健康保険の適用を求める署名です。現在、鍼灸治療には保険は適用されていません。国が鍼灸をまともな医療とはみなしていないからです。だから診療報酬も安いままです。今でこそ千円に上がりましたが、かつては1人治療しても300円ほどしか医師には報酬が支払われませんでした。まともな鍼灸治療を受けようとすればするほど、高額の医療費を負担しなければならない仕組みになっているのです。この私も、隔週日曜日ごとに、1回6千円もの治療費を実費で負担しながら、今も実家近くの鍼灸院に通っています。

ところが、この雨では署名集めは、もはや不可能です。院長先生は「5月3日の憲法集会にも参加するので、署名もその時に集める」と仰っていました。そこで、お互い一人なので、協力してメーデーの写真を撮る事にしました。メーデーの私の写真も、この時に院長先生に撮ってもらったものです。

 

そうこうするうちに、メーデー集会が始まりましたが、雨はいよいよ本降りとなって来ました。その為、集会演説のメモや写真は、今年はほとんど取れませんでした。その中で、最初に登壇した集会実行委員長の菅義人さんの発言だけが記憶に残っています。「誰でも8時間働いたら、まともに食っていける賃金と労働条件を」というのが、演説の内容ですが、私はその演説の中身よりも、菅さんが実行委員長として登壇した事自体が驚きでした。何故かと言うと、この菅さんこそ、私が生協に勤めていた時の労働組合委員長だったからです。この菅さんには、私も在任中に少なからずお世話になりました。当時は若かった彼も、今や白髪交じりです。(写真を撮りそこねたのでMBSニュースの画像を拝借しました)

しかし、その雨も、デモ行進が始まる頃にはすっかり止んで、何とか写真撮影が出来るようになりました。それでも片手に傘を持ちながらの撮影なので、なかなか良い写真が撮れませんでした。最後には、折角お知り合いになった院長先生とも、はぐれてしまいました。メーデーのデモ行進は扇町公園を出て堺筋を北上し、天六で都島通りを西に折れ、すぐ先の中崎町でもう流れ解散となりました。いくつかに分かれたデモコースの中で、どうやら最短のコースを選んでしまったようです。デモが終わった後、今通っている天下茶屋の整骨院がGW明けまで休みなので、早速、前述の院長先生の鍼灸院で診てもらおうと、くだんの鍼灸院を訪ねましたが、そこも残念ながら休業中でした。

 

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